冠婚葬祭ビジネスへの視線

2009年9月 6日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第35回 ペット葬のあり方

 様々な事情により、今月から数回にかけてペットのお葬式事情を追っていきたい。
 ペットブームといわれて久しいが、波に乗った人はまだあってないに違いない、愛犬・愛猫の死に目には。考えたくもないだろう。
 しかし知っておくにこしたことはないのではないか。だって、ペットのお葬式には既にいろんな企業が入ってきており、常にごった返しの状態で、どんな送り方がいいのかなんて瞬時に判断するのは至難の業だから。

 自然派ならば、庭に埋めるのがいいだろう。自分の敷地内なら何を埋めても問題ない。しかし自分の家を持ち得ない人達は、何らかの手段で処理しなければならない。真っ先に思いつくのは保健所だ。もちろんゴミの日に出すという手もある。誰から責められるわけでもない。しかしペットに1ミリたりとも愛情を持っていなかったとしても、ちょっと気が引けるのではないか。
 引き取ってもらえない保健所もあるので、電話で確認してみよう。保健所に持っていくメリットは、まず費用が安いことだ。無料のところもあるが、重量に従って課金されるところが殆どだ。デメリットは、骨が戻ってくることが少ない点だ。他のペットと合同火葬されるからだ。お骨を供養したいという人には向かない。慰霊塔を持っていて、年に一度供養祭をしてくれるといった心配りの利く保健所もあるが、まれな方だろう。

 お骨をぜひ戻したいなら、民間のペット葬業者に頼む必要がある。
 一番手軽なのが、移動火葬車で荼毘に付してもらう形式だ。「移動火葬車ってなに?!」という人も、焼き芋屋を見たことくらいあるだろう。車の中で火が燃えてたって全然不思議じゃない。おうちまでペットを預かりに行き、近くで停車して火葬し、そのまま骨壺に納めて家に持ってきてくれる。マイカーがなく、ペットを連れて火葬場まで行けない都会人にお勧めだ。ただ、家の近くで停車して火葬するといっても、近隣住民に抵抗感を与えない場所を選ばなければならない。けっこう難しい問題だ。火葬とか死体とかに慣れきっている私でも移動火葬車に出会ったら気味が悪い。
 近所と不穏な関係になりたくないなら、火葬場に出向くのがいい。火葬場を持っているペット葬業者に頼むのだ。炉の前でのお別れがあるところが多いので、比較的ゆっくりと最後の時間を持つことができる。料金はやはりペットの重量によるが、1万円から10万円でやれてしまうところが殆どのようだ。移動火葬車も同程度。超大型犬だったら別だが、火葬のみなら、10万円を大きく上回るときは警戒した方がいい。嘘か誠か、火葬している間にどんどん値をつり上げていって「払わなかったら今すぐ炉から出すぞ」と脅す乱暴な業者もいるそうだ。つまり生焼けの状態で放り出すというのである。デマであることを祈る。

 悪徳業者にかからないようにするには、見積もりをもらっておくのが一番、というのは基本のキ。そんなの危篤になってからでも遅くないと思うだろうか。あなたは肉親の危篤や不幸以外で急に休みを取ることができる環境にあるだろうか。有給がどんなに余っていても、仕事が立て込んで「今は休むべきでない」という時期は幾らでもあるだろう。しかし、生命は待ってくれない。ペットが死にそうなので休みます、と言えなさそうな仕事を持っている人は、やはり事前に考えておきたい。

 さて、先ほど「1~10万円」といった。こちらは当然火葬のみの値段である。葬儀をするとなると、値段はピンキリのアイマイになってくる。宗派にこだわり、人間並みに送ってやりたいと思うのであれば、それなりのお金が必要だ。どんなスタイルで送るかによって、かかってくるお金が大幅に違うのがペット葬なのである。これから数回、ペット葬のスタイルについて記事をお送りする。(小松)

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2009年8月 2日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第34回 ベルコに注がれる大阪国税局の視線

 去る7月26日、冠婚葬祭業大手「ベルコ」が葬儀後の遺族に送っていたあいさつ状が、大阪国税局から「領収書」と認定され、印紙税の納付漏れを指摘されたことがわかった。

 ことの次第はこうだ。葬儀後、四十九日頃に同社は遺族にお礼の文面をしたためた「あいさつ状」を送付することにしている。文面の末尾には「○月○日付にて金○円を領収致しました」と、ご丁寧に書き記すのだが、これが領収書とみなされたのだ。過怠税額は約3000万円で、すでに納付済み。正規の領収書は別に発行しているとのことなので、単純に考えて必要な印紙税の2倍を支払ったことになる。

ただのうっかりミスに見えるが、しかしこのベルコ、過去に国税局がらみの問題を何度も起こしている。

●1999年→大阪国税局より、積立を中断している互助会会員の積立金を所得に計上していないとして、1997年3月までの3年間に計約33億円の申告漏れを指摘される
●2002年→上記と同じ理由で2000年3月までの3年間に計約28億円の申告漏れを指摘される
●2005年→上記と同じ理由で2003年3月までの3年間に計約31億円の申告漏れを指摘される

 「互助会会員」ってなに? と思う人もいるだろう。ベルコは冠婚葬祭互助会組織の業態をとる。葬儀にも結婚式にも使えるような、ひと月2~3000円程度の積立を互助会会員に行ってもらい、企業にもよるが7~10年で満期になると、セット料金で非会員よりもおトクに結婚式や葬儀が行えるという仕組みだ。積立途中で婚姻や死亡があった際でも、残金を納めれば会員価格で式をできることが多い。料金体系の中身は複雑で、不透明な印象を受ける人もいるだろうことは否めない。私も互助会出身だが、内容の理解にかなりの時間を要した。社員なのに。

 ベルコが大阪国税局から指摘を受けたのは、かなりの期間払い込みが途絶えた積立金を「預かり金」として計上し、非課税にしていたからだ。通産省は1980年に、5年以上のものについては「雑収入」として所得に計上し課税対象にするよう通達しているのだ。これに対してベルコは、保留会員でも長年経ってから利用する人もいるので計上できないとして争ったが、一回目の分については最高裁で敗訴。二回目は大阪高裁にて係争中、三回目については納税したうえで司法の判断を仰いでいる。

 払い込みが止まってしまって5年が経つ、というのは十分にありえる。自分のためにせっせと払っていたおばあちゃんが認知症になってしまった、本人は亡くなって遺族が互助会の存在を知らず違うところで式をしてしまった、すっかり忘れて転居した、等など。連絡がつかないものに関してはしょうがないのだ。解約を促したくてもできないのだから。しかし十分に予想できる事態を考慮せずに、途中で保留になった場合も施行発生までお金をあずかるという契約を交わしていることには疑問を感じてしまう。ただし結局は3回あわせて25億円分もの追徴課税を支払った。契約文面が意図的なものだったのかどうかは謎だ。

 そして2009年の今回も、なんだか風物詩のように未納国税を指摘されてしまったのだが、全く違う理由であるうえに未納額も2桁違う。今度は素直に納税したのか、それとも契約内容を変えたのか「預かり金」問題。そして一見マヌケに見える印紙税の納付漏れ。あいさつ状への金額記載は「サービスのつもりが……」と会社側は言っているようだが、うーん、領収書は発行済みなのに、わざわざお礼の文面にカネの話題を入れるって、それ自体が無粋では?

 葬儀社はリピーターとなってくれるお客様がつきづらい。そうそう何度も喪主になるものではないからだ。年賀状が出せない(その年にお世話になったお客様はみんな喪中だ)。暑中や寒中のあいさつもできない(遺族が嫌がるだろう)。だから四九日と一周忌くらいしか、あいさつのチャンスはない。有効に使いたいと思う気持ちはわからないでもないけれど、やっぱり引っかかる。払ってくれない遺族に請求をするのがメインで作られたあいさつ状なら、金額にまつわる文面が打ってあっても頷けるけれど。(小松)

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2009年7月 5日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第33回 最近の香典返しは、どうなっておるのか?

 香典返しの種類といえば、

●茶
●海苔
●乾物
●タオル

が主流だ。

上の4品の共通点を挙げると、
1、軽い(弔問客が持って帰るのによい)
2、賞味期間が長い、または食物ではない(返品がきく)
3、単価のバリエーションがある(値段に差をつけやすい)

 どれもお返しものに不可欠な適性だ。
 とくにタオルやシーツは近親者に贈られ、「かたみわけ」の意味合いが強い。遺品として代表的な反物になぞらえているからだ。しかしこのラインナップ、評判が悪いことも確かだ。「葬式のお茶はどれもまずい」とよく言われる。そんな先入観を覆すほどの美味いお茶が出れば別だろうが、きっとそんなものは出ない。

 なお、田舎になると香典返しの種類は一変する。

●酒
●砂糖

と、利便性よりも重いもの、かさばるものをお返しものとして重宝する傾向が現れてくる。

 ちなみに都市部では逆に、軽いもの、かさばらないものが重宝され、その究極例がカタログギフトだ。

 先だって行ったフューネラルビジネスフェアでは、カタログギフトの紹介も多かった。印象に残ったのが「沙羅」。2500円から50000円までバリエーションがあり、カタログのデザインも落ち着いている。仏事を醸す繊細な色合いだ。中身も比較的落ち着いたものが取り揃えられてあり、実用的なものももちろんあるがスタイリッシュなデザインだ。もちろんファミリー向けの品物もある。25000円のカタログには自転車まである(!)。反返しだとしても40000、いや50000円を香典として持っていかなければならないが。ごく近い親戚の葬儀に夫婦で参列したときくらいしかお目にかかれない額だ。でも香典持って行って自転車もらえるなんて、なんだかお得な気がしてしまう。もらうのが楽しみな香典返しなんて、滅多にない。

 他にも挨拶状サービスあり、喪中葉書サービスあり、送品サービスあり…カタログギフト業界は激戦区のもよう。そんななかでもデザインの面で一歩出ているように感じる「沙羅」。当日返しは地元のしきたりに倣っても、あと返しはこだわって、じっくり選んでみては。(小松)

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2009年6月30日 (火)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第32回 フューネラルビジネスフェア2009に行ってきた

 今年もフューネラルビジネスフェアの季節になった。といっても、一般の方々には何が何だかわからないに違いない。まず「フューネラル」という言葉がわからないに違いない。「ブライダル」は婚礼、「フューネラル」は典礼。そう、「フューネラルビジネスフェア」は、葬儀ビジネスの情報発信をする場だ。葬儀社との取引をこいねがって、祭壇屋・演出屋・衛生管理商品屋・遺影屋・骨壺屋などなどがPRする。今年は100を超える企業が一挙にパシフィコ横浜に集まった。

 6月25日の9:30、入り口に続々と向かっていくのは地味なスーツに身を包んだ男性たち。こんな時間に堂々と抜けてこれるのだから、きっと偉くて暇な人なんだろう。実務をやってるぺーぺーは26日、友引の日を選ぶだろうから。

 展示場に入って右側、一番最初に目に付く場所を陣取っていたのは意外にもアットアロマ。アロマ空間デザインに力を入れている会社だ。葬儀式場のデザインまでするということか。たしかに、安らいだ香りに包まれた式場はいいだろう。しかし線香の香りとの相性はどうなんだ? その辺を詳しくお聞きしたかったが、常にブースは満員でプレスの札を下げている私を相手にしている暇などなさげだった。きっとみんな同じギモンをぶつけているのであろう。

 その他、伝統的な祭壇や仏具、柩などの展示が続いたが、特に珍しかったのは棺に敷く畳。「故人を棺に納める際、薄い布団を敷くとはいえ板の上にお休みになっていただくのは少々気が引けますよね。これは本物のい草でできていますから、実際の畳の触感です」と、社員の方。
 たしかに気になってはいたのだ。故人を棺におろす際の、ゴツッとした感触。あれはなんとかならないだろうかと。なるほど畳を敷けば、少しは暖かみが出そうだ。でも、重くないんだろうか?

「細長い畳を二枚使っていただきますが、両方合わせて3キロほどです。炉に入れても残留物を出すことはなく、新潟の火葬場で実際に焼き、使用可の証明を頂きました」

 3キロというと重いと感じるかもしれないが、それに平均して60キロの人間が乗っかるのだ。持ち上げるときに極端に重さが変わるわけではない。

「棺の中に敷くだけではなく、和室式場の演出などでも使っていただいてます。畳の部屋でちょっとした段差を出したいときなどに便利です」

 畳の部屋での難点というと、私の方でも思い出したことがある。自宅葬の際だ。香炉の下の畳は、訪問客がうっかり線香を落としてしまうことがあるのでどうしても焦げ付く。初七日が終わると、座布団で始終隠していなければ格好が付かないほどになることもある。一段高い演出も出来て、本物の畳のカバーにもなるなら一石二鳥だ。これから重宝がられる商品になるだろうと思えた。

 他にも「おくりびと」から生まれた遺体専用化粧道具や(これが本当にオシャレで欲しくなってしまった)、静岡県警からも支持を受けたという遺体保全剤、トヨタ「レクサス」改造型の霊柩車など、葬儀業界は活発だ。出版はどうだ、と思うと暗い気持ちになってしまった。7月に行われる「東京国際ブックフェア」に期待したい。といっても、どうせ元気なのは携帯コミックとかデジタルパブリッシングなんだよな……(小松)

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2009年5月 3日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 天国でもおくりびと―『ワンダフルライフ』

 世の中はゴールデンウィークというものに突入したようだ。

 だからこちらも息抜きに番外編として、たまには映画でも見てみたいと思う。

 『ワンダフルライフ』(1999年日本、テレビマンユニオン)は、是枝裕和監督の2作目の映画だ。
 舞台は一見、さびれた病院のような施設。しかしそこは、あの世とこの世の境目であり、死者がまず訪れることになる建物だ。死者はそこで「生きている間、もっとも印象に残ったこと」を一つ選ぶことになる。その体験談を元にスタッフが一生懸命映像を作る。死者は映像を見ながら、思い出が頭に鮮明に思い浮かんだ瞬間、天に召されるのだ。
 スタッフはいわば天国の番人なのだが、特にファンタスティックな衣装を着ているわけではなく、謎の道具も使わない。普段着のお役人たちが集まっているような「職場」であるのが面白い。さらに死者たちも、格式ばって思い出を披露するといったふうでもない。一般人が入り混じっているからだ。おばあちゃんの茶飲み友達が話す遠い記憶を聞いているようなリアルさが、そこにはある。

 「生きている間、最も印象に残ったことは何ですか?」

 この問いに即答できる人はいるだろうか。
 個人的には地下鉄サリン事件や阪神大震災など多感な頃にニュースで見たようなことばかりが思い浮かぶのだが、なんと天国では、その思い出の一瞬を胸に抱きながらずっと過ごすのだという。強烈だったからといって不幸な思い出を選べば、天国でずっと不幸なままということになるのだ。

だからこそ、映画では

「あなたの大切な思い出を一つだけ選んでください」

という言い方になっている。

 鮮明に覚えていることが、そのまま大切な思い出であるという人は、なかなかいないのではないか。だからこそスタッフが誘導しながら死者一人ひとりの思い出を探っていくのだが、なかなか選べない人がやはり出てくる。そういった人々に思いを重ねながら、はて私ならどんな思い出を胸に旅立ちたいだろう? とゆっくり自問ができる優しい映画である。

 思い出を選んで3日間、それを元に映像をこしらえてもらう3日間、映像を見ながら永遠に旅立つ最後の一日。人生の最後に、こんな贅沢な一週間が用意されているとするならば、死ぬのもなかなか悪くない。

 私ならば、「母親にも名前があると気づいた瞬間」を選ぶかもしれない。あの驚きは、爽快だった。

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2009年2月28日 (土)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第31回 棺だけで自力葬、やってみようよ「おくりびと」(後編)

 「おくりびと」が外国語映画賞をとった。 以前感想をお伝えしたが、なかなか見る機会がない納棺夫の仕事、その美しい一挙手一頭足に感動した方も多いのではないだろうか。

 前回の続きだが、棺だけを注文して葬儀をするのであれば、当然遺体のケアは遺族達でやらなければならない。自らが「おくりびと」になるということだ。あんなキレイな動きはできないと思うけれど、いいじゃない、気持ちがこもっていれば。このたびは、遺体のケアと納棺方法についてお伝えしたい。

 遺体の搬送は遺族でやるぶんにはどんな車でも構わない(*料金をとるときのみ、いわゆる霊柩車や寝台車で運ばなければならない)。死亡診断書さえ同乗させればOKだ。肝臓など内臓疾患で亡くなったとき以外は、毛布にくるんでそっと運転すれば、近距離なら体液漏れの心配はない。不安ならペット用の吸水シートやオムツなどを敷いておくとよい。

 おうちに着いたら布団に寝かせる。硬直が始まる前に衣服をあらためるのが理想だが、自分で着せてみましょうとここで何回言ったところで、実行に移せる人はいないだろうし、心の余裕もないだろう。浴衣姿ならそのまま着物をかぶせてあげたり、少しでも着ている感じを出したければ背側を切って前から回してあげるとよい。そして手を組ませる。

 さて、遺体になってから容赦なく発生してくる「腐る」という問題。ドライアイスの販売を行っているところは各地にあるので、10キロずつ2回に分けて入手すれば2日は保つだろう。到着したら切り分けて(やけど注意、軍手でさわろう)脱脂綿などに包み、次のように配置する。

■首の付け根左右2カ所

■脇腹左右2カ所

■おなかの上1カ所

 血の巡りが盛んだったところ、内臓のあるところから腐敗が進むからだ。 このとき、肌に直接のせるとやはり火傷して黒ずんでしまうことがあるので、下着や浴衣など、一枚挟むとよい。なお、ドライアイスが来るまでは…う~ん、保冷剤などで一時はしのげるが、生ものを扱うお店などでドライアイスを分けていただければすごく助かる。

 心が少し落ち着いて故人の前にじっくり座れるようになったら、お顔を見てほしい。看護師さん達がエンゼルケアをしてくださっていると思うが、鼻の穴から脱脂綿が見えていたり、口が開いていたりしないだろうか。鼻の脱脂綿はピンセットを使って押し込めてみると、意外と奥の方まで隠せるはず。目が開いている場合はまぶたをあわせて何秒かじっとしていればある程度は閉じる。口が開いている場合はあごを持ち上げて、やはりそのまま何秒か支えているといいだろう。 ひげそり、お化粧などは生前やっていたとおりに行うのが自然だ。訪問客が生前の面影を見いだせるよう、本人らしいところは残してあげた方がいい。長い入院生活で頬がこけてしまっていたら、ピンセットで脱脂綿をふくませてあげると多少ふっくら感が出る。

 さて、棺以外はお世話にならない自由なお葬式だから、納棺を何時に誰とどんな宗派で行うかは人それぞれだろう。作法はさておき、遺体の扱い方で気をつけたいのは棺に移ってもらうとき。シーツごとの移動がスムーズだ。そして棺の下に台を置いておくのを忘れると、あとで持ち上げるのが困難になるので注意しよう。葬儀まで日が空くようだったら、納棺だけ早めに済ませてしまうのがいい。ドライアイスを入れれば天然の冷蔵室になるからだ。

 そして出棺時。経路を確保してからことにあたろう。柩は傾けず、常に平衡を保って移動させる。もちろん自分たちの車で構わない。中型のバンで十分だ。これで初級「おくりびと」。難しい亡くなり方をしていなければ、こんなケアで十分だ。(小松)

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2009年2月 1日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第30回 棺だけで自力葬(前編)

 人の入っていない状態を「棺」といい、人が入ると「柩」という。音は同じで字だけが違う。ただのデカい木箱という乱暴な言い方もできてしまうわけだけど、あなたも私もいつかはお世話になる代物だ。儀式をするかどうかは個人の自由。運ぶのも自分の車でよい。となれば火葬をする日本においては、棺こそが葬送において唯一必要最小限のものとも言える。どんなに節約葬儀をしても、棺だけは用意しなければならないのだ。今回は、棺のみを買う場合、どの程度の値段になるのかを紹介したいと思う。

 ただ、訂正点がひとつある。「葬送において、棺だけは必要不可欠である」との物言いをしたが、これが間違っている。火葬において、棺を使用しなければならないという決まりはない(各斎場において規制がある場合は別)。極端な話、布団にごろり横になった遺体を炉に入れることも可能なのだ。しかし、それを知ったからといって棺を使わない人がいるとは到底思えない。そんな勇気、私にもない。

 さて、本題だ。以前触れたように、中国産のものだと棺の原価は約8000円から9000円である(仕入れ個数などにもよる。私が以前いた職場だと、120個ずつ仕入れて9000円だった)。これが5倍から20倍の値に跳ね上がるのだが、白木で飾りのない一番シンプルな型なら60000円台~90000円台が相場。中には40000円台という代物もある。9000円で売ってくれるところもあると小耳に挟み、関係者に話を聞いたところ、「去年まではやってたんですけどね~、今はもうやってないんですよ」という対応だった。ある自治体の斎場だ。状況に応じて値段を変えるのではないかな、と、ふと思った。あくまで推測だが。40000円台だと完全に棺のみというところが多い。でもそれだけでは困るじゃないか。普通、布団をしいた棺に眠ってもらうじゃないか。その上にはまた布団をかけるじゃないか、そしてそうなるからには、枕も欲しいじゃないか。

 棺に敷く布団は薄い。枕はダンボール製である。稀に「ダンボールの枕なんかに寝せやがって」と逆上する遺族がいるが、あくまで燃えやすいように作ってある。これを棺とセットにすると、料金が1万円から2万円アップする。…これだけならいいのだが、なんとなく腑に落ちないのは、セットに例外なく白装束もついてくる点だ。仏衣、杖、手甲に脚絆など、要するに「あの世への旅路」に必要な身支度をするためのセットなのだが、もちろん仏式または神式でしか使わない。わざわざ棺のみを取り寄せる人が、古式にのっとった仏式葬儀をするとは思えず、蛇足のような気がしないでもない。オプションにしてしまえばいいのに。

 インターネットでも棺の販売はあり、シンプルな桐の八分棺から布張り、天然檜の5面彫刻まで百花繚乱。エコに反応してダンボール棺もある(木のものに比べて少し割高に感じる)。価格は本当にピンきりで、300万から400万、という代物もあるのだが、「入ったらすぐに燃やしてしまう」がキホンの日本ではなかなか売れない。飾り物のない桐の棺が主流である。儀式めいたものをしないぶん、棺だけは豪華にしてあげようという家族もいる。それは人それぞれだ。

 本当に「自分たちだけで葬儀をしたい」、そう思うのであれば、棺だけ取り寄せるのが最もよいといえる。しかしそこには落とし穴が。遺体は腐る、ということだ。遺体の取り扱いがわからずに、とりあえず葬儀屋に任せてしまうという弱気に陥らないためにも、遺体はどう扱ったら腐りにくいかということを知っておくのは損にあたらないと思う。ドライアイスや手続きのための副読本を不次と一緒に届けてくれるサービスもあるし、これからは新生児同様ご遺体も自分で扱う時代にしたい。次回は、遺体の衛生保全について基礎的な知識をちょっとご紹介したい。(小松)

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2009年1月 4日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 書評『わたしの葬儀』

4794976267  「旅立ち」をめぐる21のヒント、というサブタイトルがついた晶文社出版刊のこの本は、エッセイスト・山本ふみ子氏の優しい語り口が魅力である。遺言書、尊厳死、生前葬、遺影、散骨など「興味はあるがいざ調べようと思うとなかなか踏ん切りがつかないこと」諸々について、実際の経験や周囲の人びとの話を交えながら少しずつ掘り下げていく。

 どの章も女性らしいやわらかさに満ちている美しいエッセイだが、個人的にもっとも気になったのは「喪服」の話題である。社会人になりたての頃の著者は喪服を買いに行くが、先輩に「喪服としてできているんじゃない黒い服を買いましょうよ」とすすめられ、森英恵のスーツを求める。そして「今年で22年めになるが、かたちも崩れずデザインも好きなまま、ずいぶんお世話になった」と言う。
 喪服として仕立てられた服と、普通の黒い服を見分ける基準は「黒さ」である。黒いスーツと言えども、リクルートスーツや通販で買ったものと百貨店のブラックフォーマルコーナーで買ったものとでは、黒の深さが違う。太陽光に照らされれば一層その違いは明らかになり、世間の女性は安物とばれるのが嫌で、ブラックフォーマルコーナーへと走るものと思っていた。私自身も喪の席で深い黒のシルクを身につけている女性を見ると、格調高い気がしてあこがれたものだ。

 とは言っても、私自身が葬儀に参列する際に着るのは普通の黒スーツである。夏の法事に至っては半袖のカットソーが黒いだけである。「黒い服を着ている」というよりは「服が黒い」という程度のものだ。そしてストッキングの要らないパンツスーツにしてしまう。ただパンツスタイルは正座のときに締め付けられてどうしても足がしびれるので、正座の予定があるときはスカートを履くが。
 どうしてそうしているかというと、単純に仕立ての良い喪服を揃える資金が不足しているからだ。そしてたいていの場合、わたしの姿を見咎めても悪く言うような親族は一切いない。以前葬儀社に勤めていたことを知っているからだ。「ちゃんとすればちゃんとできるのだろう、しかしあえてそうしないのだ」と皆思ってくれている。なんという楽チンさ。そう、ただの黒スーツを着ていて咎められるのは、本人がモノを知らないと周囲に思われたときのみなのだ。すっかり了解したうえならば自分の流儀でやってしまってかまわない。ということは、最初から何も知らずに知った顔して自由なことをすればいいんじゃないのか?! もしくは、咎められても聞こえない強靭な精神があればいいだけじゃないか?!

 無知とKYが葬儀の場を救うかもしれない、という話はさておき、私ならば予算があったらやっぱり漆黒のフォーマルドレスを買ってしまうなあ、と思う。安物にありがちな中途半端に流行を追ったデザイン、型崩れしがちな肩パッド、陽に焼けてしまうステッチ…が一掃された美しいフォーマルドレスは、永遠の憧れだ。きっと葬儀社に勤めることがなければ生まれなかった撞着であろう。ある意味、不幸なのかもしれない。

 およそ本の内容とは関係のない自分の話になってしまったが、山本さんのエッセイには「そういえば、私はね…」と自分のことを語り始める気にさせる力がある。著者の語りを皮切りにして、体験談が華やぎだす不思議。きっとこの本を読む誰もが「母のときはこうだった」「知人のときはこうだった」と、過去の葬儀経験に思いをめぐらすだろう。およそ弔いというものは儀式的なものではなく、民俗的なものであるということを再発見させる一冊。(小松)

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2008年12月13日 (土)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第28回 葬祭ディレクター試験の問題点

 『寺門興隆』11・12月号と、「葬祭ディレクター問題」と題した記事が載っている。儀式の主役は宗教者であるはずなのに、仏教の詳細な知識を問う問題が多々見られることや、地域によって違う葬儀作法をあたかも画一的であるかのように扱っていること、実技試験が幕張のみで現場に即した入棺などの作法が入っていないことなどを批判している。

 といっても、一般の方には何のことやらわからないだろうから、順を追って説明する。

 まず、「儀式の主役は宗教者であるはずなのに、仏教の詳細な知識を問う問題が多々見られること」の問題点は何だろう。
  多くの人は「葬儀屋が仕切役で宗教者はゲスト」ととらえるかもしれない。しかし、葬儀をある宗教方式で施行する場合、葬儀屋は段取りを組んで手配するだけの存在であり、あくまで仕切りは宗教者の役目だ。いわば単独ライブ会場のロックミュージシャン。準備は他の人々に任せても、リハーサルでは自分の表現が最大限に伝わるように細かく指示を飛ばすはずだ。宗教者は自分が使う道具がちゃんとそろっているかどうか必ず式場の下見をして、足りなければ指示を出す。司会者はどんなにお馴染みの住職であってもその都度みっちりと打ち合わせをする。「こちらの式場は仏式であればこういう段取りになっていて、こういう道具しかないのですから、お坊さんはそれにあわせて下さい」と言うことなど、言語道断だ。儀式は宗教者の範疇であることを葬儀屋が忘れてしまうと、トラブルが多くなる。宗教についての余計な知識など付けようものなら、100%鼻持ちならない担当者になって宗教者に嫌われる。宗教のことは宗教者に任せておけばいいのである。他にずいぶんとやらなければならないことがあるのだから。
 ……と、宗教者側は言いたいのであろう。

 確かにこれについては、葬儀屋の現役時代に100回くらい言われた。「お客様から宗教的な質問をされても一般的にはこうだと推測してお答えしてはいけない、宗教者にお聞きするようすすめなさい」と。ものすごく気を遣った。ただ、お客様はそれでいいが宗教者に対しては、いつも無知の顔をさせているわけにはいかない。いくら「儀式はおれに任せろ」と言っても、以前の葬儀で出した指示が式場に生かされていなければ寂しいだろう。つまり、「宗教のことは何も知りませんが、●●寺様がいらっしゃる時にどんな道具が必要かは心得ております」という態度が、葬儀屋として正しいあり方といえる。だから事務所には施行をした寺・神社・その他、一つ一つの式場設営マニュアルがズラッと並んでいた。抹香・線香の銘柄から車いすの有無、ライトの当て方まで、注意されたことは全てメモをとり、どんな担当者がやっても以前の指示が生かされているように気を配ったのだ。
 葬儀屋が宗教上の詳しい知識をつけるのは、詳しく聞かずに邪推したり、臨機応変の素早い対応ができなかったりする原因となる。だったら、そんな知識はむしろない方がいいのだ。

 「地域によって違う葬儀作法をあたかも画一的であるかのように扱っていること」も同じような理由で問題視されている。しかしこれもほとんどの葬儀屋で了承しているところであろう。とくに地方では2キロ離れれば作法がガラリと違ってしまうところもある。その地域で以前施行をしたことがなければ、どんなベテラン担当者でも万事確認が必要だ。そして注意深く近所のおじさま達の話を聞いておかなければならない。耳慣れない単語が出てきたら素早く質問する、些細だと思われることも曖昧にしておかない。これを怠ると、葬儀当日になって自分の知らない段取りが突然進行し、うろたえてしまうことがある。

 そして「実技試験が幕張のみで現場に即した入棺などの作法が入っていないこと」。試験を受ける側としては、確かにこれが一番疑問であった(実際に受ける前に仕事を辞めてしまったのだが)。幕張とは、祭壇の後ろや焼香台にヒダのついた幕を画鋲で張ることである。このヒダを均等にとるのが新人には難しい。体全体を定規にして、身体感覚と視覚を頼りにヒダを作っていくのだが、引っ張りすぎて変な皺ができてしまったり逆に緩んでしまったりと、修行が必要なのである。真っ白な幕に汗のシミをポタポタと落としながら、集中してやったものだった。
 が、そんなことをやるのも筆者が施行していたような田舎のみで、最近ははじめからヒダやフリルのついた幕を留めるだけである。「ウチらは日常からやってるからいいけど、都会モンにはなんかイミあんのか?」というのが正直な感想だった。しかも結構な早さで仕上げなければならない。それこそ、そんな練習をするのであれば入棺作法の方がずっと現場に即しているだろう。単独行動の多い業務の中で他の施行担当者の入棺作法を見るチャンスなどほとんどないし、多会社の作法を見ることで勉強にもなる。

 というわけで、当事者も違和感を感じているのが葬祭ディレクター試験の実際である。ただ、実技試験の中でも司会とお客様に対する接遇はかなり学ぶところも多いのではと思う。学科試験の中でもたとえば行政手続きや法律の項などは、受験の有無にかかわらず覚えていた方が何かと役に立つ。しかし、参考書『葬儀概論』は一万円とスバラシイお値段で、恐れ入った。(小松)

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2008年10月 5日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第27回 映画「おくりびと」を観てみた

 第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞した「おくりびと」。納棺師が主人公だというので、さっそく観に行ってみることにした。土曜の丸の内ピカデリーは、さすがに混んでいる。その中でも特に年配の方々が、この映画上映会場に吸い込まれていくように見えた。若者は、2人連れのお姉様方がちらほらといるくらいだ。動員数は120人程度といったところだろうか。

 納棺師という職業が果たして映画のような田舎で成り立つのかどうか、分からない。筆者は映画の舞台である庄内にほど近いところで働いていたが、納棺は原則として葬儀社の仕事だった。描かれている納棺師に近い職業と言えば「湯灌屋」だ。
 湯灌屋が何をするかといえば、故人宅に簡易バスタブを持ち込み、体を洗ってシャンプーする。そして改めて脱脂綿を詰めるなどの処置をし、着替え・メイクまで仕上げるのだ。そのまま納棺を進めることもあれば、納棺だけは葬儀社が担当することもある。
 湯灌は葬儀社で受注するのだが、ノルマがあり、筆者は達成するのに大変苦労した。とにかく「洗う」事に抵抗のある遺族は多い。湯灌はそのあとに納棺までするのが段取り的にもスムーズなのだが、納棺となると田舎では親戚とともに隣組まで集まる。隣のじいさんがシャンプーしている姿を、いくらタオルで覆われているとはいえ、見たいと思うだろうか。しかも亡くなっているところを。事情をいちいち近所に話して人払いするのも煩わしければ、バスタブを持ち込むことも仰々しく思える。結局、「そんなに丁寧にしてもらわなくてもいい。病院でキレイにしてもらったんだから」と言って断られ、「ではお着替えだけでも」と食い下がっても「着物なんか体の上にかけるだけでいい。おばあちゃんの時もそうだったんだから」と言われる。地域のコミュニティの中で生きている人たちほど、他人と違うことをするのを嫌う。遺体が痛んでいるなどの事情がない限り、湯灌屋さんに仕事を持っていくのは難しかった。
 遺体が痛んでいたとしても「どうせ、明日までだから」と断られる可能性は高い。葬儀よりも火葬が先に来る地域では、主役の場面でもう骨になってしまっているのだ。そこまで身綺麗にしなくても、という遺族の気持ちも分からないでもない。ということは、「痛んでいるから」という理由だけではなかなか注文をいただけないということだ。遺族心情に訴えかけなければならないが、私にはその手腕がなかった。一番効くのは「最近は皆さんされてますよ」という台詞だが、それは嘘なので使う気にはなれなかった。
 結局プランの中に一体となっている時以外は、湯灌を受注することは数回しかなかった。ちなみにオプションでつける場合、価格は8万円。決して安くはない。

 などということを映画を見ながら考えていたが、主人公の納棺師を演じる本木雅弘の動きが美しい。お着替えのシーンなど惚れ惚れするくらいだが、実務をやっていた人間にとってはなんだか仰々しくて気恥ずかしいな、と思った。でも、これくらい厳かにやらなきゃいけなかったんだろうか。汗をだくだくにかきながら着替えをしていた自分の姿と重ね合わせて、「ああ、あたし格好悪かったなあ」などと思った。とにかく練習の出来ない仕事なので、いつも余裕がなく、心の中では非常に取り乱していた。ひげを剃っている時に軽くお顔を切ってしまったこと。深爪させてしまったこと。水死した方の手を組み直そうとしたら皮膚が破けてしまったこと…情けない記憶しか浮かんでこない。しかし、次に浮かんだのは遺族の感謝にあふれた顔だ。ただ無我夢中で開いた口を閉じさせようとマッサージしていたのを見て「おじいちゃんを大事に扱ってくれて」と涙ぐんでいた娘さん。髪がまとまらなくて一心不乱にブラッシングしていたのを見て「何度も梳いてくれて、実の孫みたいだ」と言ってくださったおばあちゃん。「故人のために、真心込めて」という気持ちがない訳ではないが、それより与えられた仕事を完璧にしたい、という思いの方が強かった。だから感謝の言葉を言われる度に「いいえ、お仕事ですから」と答えてきたのだ。謙遜ではなく、本当にそうでしかない。逆に仕事でもなければ、そんなことはしない。

 「おくりびと」の主人公は、はずみで納棺師になってしまう。人に感謝される仕事だとか、誇れる仕事だとか、そういった自己弁護的な台詞は一切吐かない。ただ与えられた仕事をいっしんに、丹念に成し遂げる男の、真摯な物語である。

 ただ、納棺師という職業が成り立つとすれば、ますます葬儀社の仕事にやりがいを感じる人は減ってしまうだろうなと思わされた。一連の業務の中でも、やっぱり一番わかりやすく感謝されるのが納棺だからだ。仕事に誇りを感じるメイン業務なのである。それを取り上げられてしまったら、本当にイベントの手配屋みたいになってしまう。それを思うと、納棺師はいいとこ取りの職業だなあ、と思った。ちなみに、初任給はどんな湯灌屋でもあんなには貰えない。(小松)

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2008年9月 7日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第26回 高野山カフェへ行ってきた

 「高野山」に「カフェ」がくっつくとは誰も予想だにしないだろう。だって、あの高野山である。高野山といえば金剛峯寺。金剛峯寺は真言宗の総本山。開基は空海こと弘法大師様々であり、さらに2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたこともあり、ありがたく荘厳な空間として日常からは遠くかけ離れている。要するに近寄りがたいのだ。「観光」といって「じゃあちょっくら高野山にでも行ってみっか」ということにはめったにならないだろう。
 そんな高野山が「カフェ」を期間限定でひらくという。「カフェ」ですよ。カフェといったらあれですよ。要するに喫茶店ですよ。しかも横文字なんで、妙齢の女性があははうふふとチンタラ色恋話に華を咲かせるスポットのはず。いったいどういう事?! と、妄想ばかりたくましく悩んでいてもしょうがないので、とりあえず行ってみることにした。

 高野山カフェは表参道にあった。場所どりもオシャレである。青山学院大学前の無印良品から小道に入って徒歩1分。カフェレストランHy'Sを、一週間だけ高野山テイストにしてある。飲食可能なカフェスペースはもちろんあるが、他にも観光案内、そして体験スペースが設けられている。体験は、写経・阿字観(瞑想)・声明ライブと3つのコースがある。写経も声明も別イベントで体験済みなので、阿字観とやらに行ってみた。
 連載名が示すとおり、宗教に興味があるというよりはむしろ葬式が専門分野である。よって「阿字観とはなんぞや?」という素人くさい態度で臨むことになった。

 会場に足を踏み入れた途端、嗅ぎなれた匂いに鼻が過去を連れてきた。これは抹香の匂い、しかもこの甘ったるくゆるぎなく漂う匂いは参拝客用の安い抹香じゃない、住職専用のかなり高いヤツだ! …この抹香でないと承知しなかった真言宗の住職のことを思い出した。業務用のファイルにも書いてあった。この寺の葬儀の際は白檀(びゃくだん)必須、と。…などと過去に浸ってる間に整理券を渡され、地下に案内され、靴を脱いで座布団が並んだマット敷きの室内へと進んだ。座布団の数はざっと70枚。ほとんどの席が埋まって、なんとほぼ全員が女性である。男性はきっかり3人きりで、みんな女性に連れられてきたような格好だった。年齢層もかなり絞られていて、20代後半から40代前半といったところだ。ほぼ出産年齢期が集まっていると言える。世の女性よ、なんでこんな所に瞑想しにくるのか。スピリチュアルとかヨガブームの一環か。軽率といわれてもむしろそうであることを望みたい。これだけの人が純粋に瞑想しにきてるんだったら驚愕だ。

 しばらくすると僧侶が参内し、正面にある弘法大師、曼荼羅、大日如来に向かって真言を唱え、阿字観についての説明をし出した。曰く、「阿」の「字」を「観」ずると書いて「阿字観」。サンスクリット語で大日如来を示す「阿」の「字」を手で表現し、正しい呼吸法を用いて心身をリラックスさせ、仏を「観」ずる、ということらしい。まずは体をまっすぐに整え、さらに正面の仏を見つめ、両手を組み合わせるようにそろえて「阿」の字をつくり、息を吐くときに「あー」と声を出す。
 ここで僧侶は「座禅みたいですけど、全然違う修行です。むしろ正反対と思ってください。座禅は心を無にするためのもの。しかし阿字観は、祈りを込めます。瞑想に近いものがあります」と言った。なるほど、昨今の座禅ブーム(ブームになっているかどうかは微妙だが、どうやら座禅見合いとかがあるようだし)にたいするアピールのようなものだろうか。たしかに一緒くたにされてはたまらない。座禅と観想は全くの別物だ。そして座禅は曹洞宗など禅宗の専売特許、たいして阿字観は真言宗や天台宗など密教系のものである。

 「吸うときは鼻から、仏様の清新な気を吸い込むように。吐くときは口から、体中の良くない物を吐き出すように」と指導され、さらに「自分の中の仏様を感じてください」と言われた。うーん、こうしてあぐらをかいて座って、半目開きで吸ったり吐いたりを繰り返してると、なんだか宗教みたい。と思ったが、そうだった、宗教であった。オシャレな雰囲気にすっかり取り込まれていたが、これは宗教的所作の一環なのだ。だから危ないとか言い出す気はさらさらないけれど、はて会場のみんなは自覚しているのであろうかどうか。
 結局20分程度、吸ったり吐いたりを繰り返したのだが、ただ座っているだけでも同じ姿勢を保つのは結構辛かった。いつもどんな乱れた姿勢をしていることか。そういえば会社では椅子に座っているし、家では寝っ転がっている。自分で自分の背中をまっすぐに保つ、腹筋を使った所作はしていないのだなと実感した。そりゃ腹に肉もたまるわけです。

Ts3g0054  さて体験して煩悩がなりをひそめたり、心が落ち着いたかと言われれば笑うしかない。だって隣接カフェの限定スイーツがとんでもなくおいしそうで、体験終了後に直行してしまったのだから。ちなみに食べたのは「護摩豆腐と季節のマチェドニア」。濃厚さが嬉しい高野山名物ごま豆腐の上には、キウイやパインなどのフルーツがいっぱい散らしてあって、なんと茄子のコンポートが飾られていた。おそるおそる口にしてみると、冷たくて甘くて、茄子なのにちゃんとデザート化している!

 宗教的体験と精進料理。一見地味だが、スピリチュアルと美食を取り入れて女性向けにプロデュースする余地は確かにある。今回は南海電鉄との共同企画なので観光PR中心であろうが、宗教の本分はやはり布教だ。葬式仏教から抜け出して、新しい宗教観を作り出すきっかけとしては充分なアプローチであろうと思った。(小松)

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2008年8月31日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第25回 潜入「他力本願でいこう! 2008」 LIVE編

 さてさて、先週の続きなので少しタイムロスが生じてしまうが報告には価値があると思う、「他力本願でいこう! 2008」ライブの様子。
 8月23日午後4時半、小雨の降る中800人の男女が築地本願寺本堂前に集まった。お寺でのイベントというのに、ほとんどの顔が10代から20代前半、ストリート系のファッションに身を包んでいる。
 法衣を着た僧侶が、スピーカーで案内し始めた。整理券のナンバー順に、若者が本堂の中へと入っていく。奥山が手にしていた整理券は601番。当日配りの整理券のうちでは、27番目に若い数のはずだ。ということは、先行配布に570人もが並んだということになる。このチケットの先行配布方法は特徴的で、8月中旬の3日間、朝勤行に参加した人に配られるというものであった。平均して200人弱の一般人が参加する朝勤行というのは、なかなか見ることのできない光景であったろう。残念ながらイベントを知ったのが配布後だったので、見ることは叶わなかったが。

 中に入ると既に絨毯を敷き詰めた真ん中の席はいっぱいで、出演者の見えにくい脇の席に座ることになった。ちなみに式次第、ではなくコンサート次第は以下の通り。

サワサキヨシヒロ
いとうせいこう&ポメラニアンズ
法話(吉村隆真/熊本県良覚寺住職)
Hair Stylis(中原昌也)
DE DE MOUSE
法話(吉村隆真/熊本県良覚寺住職)
KAN
法話(吉村隆真/熊本県良覚寺住職)
二階堂和美
法要

最後に「法要」がくるのが何とも宗教っぽい。

 びっくりしたのは、いとうせいこう。皆を総立ちにして日本語ラップ? を繰り広げていたが、いきなり本尊前に僧侶が並んで念仏しはじめた。さらに経文を唱えるのだが、平板な経文がちょうどいいベースとなり、あわせて演奏がなされていく。お経とラップのコラボ。個人でのお経ラップ(日蓮宗僧侶、互井観章氏)は聴いたことがあったが、バンドと僧侶のコラボレーションを聴いたのは初めてであった。ぞっとするほど美しい、とは思ったが、ほか多勢の男女同様ラップ歌詞の「なんまいだ」にはノれなかった。「カモン!」と言われても、若者に「なんまいだ」と言わしめるのはまだまだ難しいようだ。

 そしてKAN。そう、「愛は勝つ」のKANだ。きっと実演者の中では認知度ナンバーワンだろう。やはり登場と同時に万雷の拍手が鳴り響いた。短髪でスーツ姿のKANは、ラップやクラブミュージック中心という今回のイベントの流れの中で、大変さわやかな印象を醸していた。「愛は勝つ」は歌ってくれなかったが、相変わらずの美声と流れるようなピアノ演奏に参加者が聞き惚れ、唄を口ずさむ女性の姿も見られた。

 個人的に一番面白いと思えたのは、法話であった。「果たして若者たちがじっと我慢して聴いてくれるかどうか?」という、余所者のよけいな心配が吹き飛んだほどの面白さで会場を魅了した。

「自分の子どもが生まれるとき、出産に立ち会う、ということを経験したんですよね。初めての経験だから、おろおろしちゃうわけ。これが『出産』じゃなくて『出棺』だったら立ち会い方もようくわかってるつもりなんですが…」

 などと思わず笑ってしまう小ネタを入れてくるあたり、プロの話術を感じた。他に「ビー玉」の名前の由来など、豆知識的な部分には周りの若者がうなずく仕草も見られた。実演を挟んで三回あった吉村隆真住職による法話の主眼は、宗教に無節操な日本人の一年間、「勝ち組」「負け組」というカテゴライズの愚かしさ、「他力本願」の意味と、一つ一がとても重いテーマであったが、ざわざわと会場が落ち着かないということはなかった。一期一会のこの会場で、仏の教えは確かに心に届いたようだ。

 最後は本尊様のご開帳があり、法要で締められた。

 最後に、関係ないことかもしれないが会場にmegっぽい髪型や服装のコが多かったのはなにか故あってのことなのでしょうか、それとも単に流行ってるのか。(小松)

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2008年8月24日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第25回 潜入「他力本願でいこう!2008」

  8月23日、朝九時半。築地本願寺の門をくぐると、男女の列があった。まだそんなに集まっていないようだ。最後尾、26人目に並び、地べたに腰を下ろす。すぐ傍の築地市場から磯の香りが漂ってくるこの場所で、あと1時間ここにこうしていなければならない。

 仏教系イベント「他力本願で行こう!」も、今年で4回を数えた。会場はこちら築地本願寺、正式名称浄土真宗本願寺派(西本願寺)本願寺築地別院。日中はフリーマーケットやフードコートを楽しむことができ、夕方からは本堂でライブが行われる。私が並んでいるのはライブの無料チケット配布を待つ行列だ。10時半にはかなりの数がおり、みんな10代から20代といった若い男女である。いとうせいこう&POMERANIANSが出るからだろうか。なんにせよお寺では珍しい光景だ。

 10時半、無事チケットを貰ったが本堂ライブまではまだまだ時間がある。まずは雅楽を聴くためにテント内のイスに座った。先ほど並んでいた人たちに比べると老若男女バラツキが見える。カップルもいれば親子連れもいて、おばあちゃんが一人で来てたりもする。「縁起カフェ」と名付けられたこの催しは、僧侶が雅楽と声明の説明・演奏を行うというもの。雅楽は平調越天楽、声明は五会念仏と、文字にすれば難解だがみんな一度は聴いたことのあるものを披露してくれた。演奏後は奏者が客席の方に下りてきて、珍しい楽器を触らせてくれたり、仏教相談に応じてくれたりとコミュニケーションを取り始めた。進んでお客ににこやかに話しかける僧侶の積極性には、形式的な葬式仏教から抜け出し、かつてのお寺の姿を取り戻そうという活動主旨がにじみ出ており、大変感動した。

実際、この度のイベントの主旨にはこうある。

お寺は元来、仏教の道場であったとともに、
地域の中心にあって誰もが気軽に集える場所でした。
そこには歌があり、踊りがあり、笑いがありました。
人々は仏教の全ては分からなくとも、
お寺に集う事でそれを身近なものとしてきたのです。
しかし、時代や価値観の移り変わりの中で、
いまや多くのお寺がそうした姿を失ってしましました。いつの間にか、特に若い人たちにとって
敷居の高い存在になってしまいました。
ここ築地本願寺も、その例外ではないのかもしれません。このイベントは、お寺のかつての姿を取り戻し、
たくさんの人びとに楽しみながら
仏教に触れてもらいたいという願いから、
本願寺がみずから企画したものです。

(以上、「他力本願でいこう!2008」ウェブサイトより

 そう、お寺は昔から巨大な無料イベントスペースだったのだ。音響・照明設備はバッチリ整ってるし、控え室もたっぷり取れる。勿論イベントだけじゃなく、まちの集会に使ってもいい。僧侶だけのためにあるんじゃない、信者とみんなのためにある。そこに力点を置き、訴えていく僧侶たちには確信に満ちた輝きがあるように見えた。 ただ、御案内役の僧侶たちの格好にはちょっとビックリした。夏向けの絽の法衣を来ているので中が透けて見えるのだが、ワイシャツにスラックスなのだ。なんて新しい。そしてシャツが白ならまだよいが、ときたまブルーだったりするとちょっと悩んでしまった。じ、自由だ! さすが型破り開祖・親鸞聖人の教えを受け継ぐ人たち。親鸞さん、あなたの教えはとても良い方向に広がりつつあるようです。

 などと思いながら「縁起カフェ」で僧侶が声をかけてくれるのを待っていたが、誰も来ない。まんべんなく回る暇がないほどみんな大人気なのだ。近くの席にいた女性4人組は、僧侶に差し出された雅楽専用の楽器をキャーキャー言いながら吹いている。そのとなりの30代と思しき男性は、同じような世代の僧侶と一対一で人生について語り合っている。カップルと話が弾んでいる僧侶もいる。まあ、客観的に見て妙齢の女性が一人でこういうところに来てただじっと座っているというのは不気味なもので、いくら僧侶といっても話しかけづらいのだろうと思い、席を立ってタコ焼きを食べに行った。

 最後に、「他力本願でいこう!」というこのイベント名は、一見ふざけているようでにも見えるがとんでもない。浄土真宗の最大コンセプトである。粋な名前も、このイベントの宝であろう。(小松)

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2008年8月17日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 墓に刻む言葉ランキング

 以前から気になっている寺があった。いや、正確には地域だ。文京区図書館あたりをよくブラブラするのだが、図書館の目の前に寺が三つ並んでいるのだ。1つずつ宗派が違い、どれもなにやら立派である。田舎モノの私はついつい参じようと門を入るのだが、物騒な都会ではそれも珍しいらしい。墓参りに来たふうでもない女がブラブラしていたらお庫裏さんもさぞかし怖がることであろうと遠慮していたが、そうだ、お盆なら怪しまれることはないだろう! と思い立ち、迎え盆である8月13日、墓参者に紛れ込んでみた。

 とはいえ、紛れ込むのも容易ではなかった。紛れるほどの人が来なかったからだ。真ん前の図書館からじっと見ていたが、都会モノは7月の新暦盆にさっさと墓参を終えてしまうのだろう、なかなか人が現れないのだ。
 しかしここで怖じ気づいていてはいけないと、午後5時10分、外に降り立ち1つの寺の寺門に向かった。
 裏口にある霊園に回ろうとしたら、墓参客らしき人に声をかけられた。

「私たち、もう帰りますけど、門は開けておきますから」

唐突にそう言われ、「は、はい・・・」と答えると

「お墓参りですよね? ここ、いつもは5時までなんですよ。でも今日はずっと開けておきますから、ゆっくりお線香あげてってください」

おじさまがにこやかに笑った。
 どうやら檀家の巡回役らしい。もしもうちょっと早い時間だったら、この方にご案内されてしまうところだったのだ。参るべき墓なんて1つもないのに! あー、あぶないあぶない。

 おじさまにスマイルを返しながらお礼を言って、墓地へと続く坂を上った。上りきると、小規模の霊園になっている。墓はざっと240基だ。そのうち、花が供えられているのが40基程度。こんなに来ていないんだから、人混みに紛れられないわけだ。

 他に人っ子ひとりいない状況で、ゆったりとそれぞれの墓を見ることができた。最近はお墓に刻む言葉(墓碑文字と呼ばれる)にもバリエーションがあり、生き様が忍ばれ、見ていて楽しい。ここで、こちらの霊園に限った墓碑文字ランキングを調査してみた。

1位 倶会一処 4基
阿弥陀経に出てくる言葉で、阿弥陀仏の極楽浄土に往生すると、浄土の菩薩たちとひとつところで会うことがかなうという意味だ。主に浄土真宗で使われる言葉だが、この寺院はたしか真言密教系のはずだ。ふと周りを見渡すと、「南無妙法蓮華経」と書かれた墓もあればキリスト教式の墓もある。檀家でない者にも土地を貸しているのだろう。

2位 夢 3基
「夢遊び」も含む。

3位 愛 2基

と、「よく使われる言葉」というのは意外に少なく、本当に人それぞれだ。1基のみのものをざっと並べてみると、
「My Way」「ありがとう みんな またね」「空」「無」「寂」「転生」「一期一会」「真善美」

などなど、バラエティーに富んでいる。

こういう文字の選び方って、年代によって違いがあるものなのだろうか?
そもそも、だれが選ぶのか??
突っ込んでみたいテーマがまた増えたなと、虫に3ヵ所も刺されて痒がりながら考えた。(小松)

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2008年7月13日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第24回 生前葬自己プロデュースのススメ3

 「生前葬自己プロデュースのススメ」も第3回を迎えてしまった。べつにシリーズ物にするつもりもなかったのだが、書き始めたらたいへん長くなってしまった。もしかして生前葬って結構面倒くさいものなんじゃないか、と不安になりつつあるが、いやいやそんなはずはない。ポイントをうるさくつつきたくなるのが葬祭業界にいた者の性なのだ、多分。ほら、いるではないか。葬式が出るたびに仕切りたがるウザい近所のおやじが。ちょっとモノを知らないだけで目くじら立てたがる近所のおやじが。言うまでもなく、奴らがこの国の葬式を複雑怪奇にしてきたのだがそれについてはこれ以上触れまい。とりあえず生前葬。筆者は近所のおやじと同じくらい小うるさく言おう、「死んでないんだから自分の葬式くらい好きにやれ」と。

 今回は生前葬をする際の香典について。これには便利な対応策がある。会費制にしてしまうのだ。そのほか、気持ちとして持ってきてくれるという人がいたら受け取ればよい。ただ、この措置は自分に利益が出るようにというよりは、あくまでも招かれる側の心情に立ってのものだ。香典は要らない、参加費はこのくらいですと宣言することで参加者の不安を紛らわすためのものである。その意味でも、金額ははっきりと伝える必要がある。
 さて、いかほどいただくか。「普通に葬儀に参加するとして包むくらいの額」を基準に考えるとすると、友人や会社関係など親類でもない限り、都市部の場合は5000円が相場。田舎は3000円くらいだ。ん? 公民館を貸し切ってさよならの会をするだけで5000円? 高くない? と思うだろう。そう、香典は高いのだ。なぜってお返し代が含まれているから。焼香した帰り道にもらうお茶などがそれだ。49日を過ぎて送られてくる海苔などがそれだ。俗に言う香典返しだ。半額返しが相場と言われているから、2500円相当の品物である。しかしこの場で考えているのは自由奔放な生前葬。お土産を一切出さないという方針で行くならもっとぐっと安い金額設定にしないとボッタクリ感が漂ってくる。もちろんお土産を出すにしても香典返しの相場に引きずられる必要は全くない。参加費は自由に設定してよいのだ。準備にかかる経費なども総合して考えて無理のない金額で行こう。
 さらに言えば、香典とは金のかかる葬式に対して皆が出してくれるカンパである。ということは、実際に自分が死んだときに幾らかかるかも参加費のうちに入れて良いかもしれない。充分に預貯金のある人は別だが、火の車ならその分を上乗せしても罰は当たらない。葬式を済ませたとして他に必要なのは搬送費と棺代と火葬場の使用料。ざっとあわせて20万程度。さらに墓代…とか言ってるととんでもない額になるから、上乗せするにしても火葬代金くらいにしておこう。

 経費計算して参加人数で割って、よし会費が決まったとしよう。しかし、まだ招待状は書けない。なぜか。イベントにはあとの食事がつきものだ。仏式葬儀なら精進落とし、結婚式なら披露宴、二次会まである。それをどうするか。やはり式で終わりじゃ寂しいだろう。せっかく集まってもらったんだし、近しい同士で食を共にしたいではないか。と考えない人は別にいいが、そう考える人はまた経費がかかる。人の選別もしなければならない。会費も違ってくるだろう。次回はその処置について書こうと思う。ああ面倒くさいね。(小松朗子)

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2008年6月29日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第23回 生前葬自己プロデュースのススメ2

 前回、「生前葬自己プロデュースのススメ1」にて生前葬はどんな形式でもできる、だから葬儀社を通さずに自分でプロデュースしてしまおうと述べた。そしてどうせなら格安で済ませる生前葬という名目で式場の選び方、人数の割り出し方を紹介した。日取りも式場も決まって人数を割り出せたなら、招待状を出そう! という流れになるだろうが、その前に決めておかなければならないことがある。参列者の気持ちになって考えよう。「10時からと書いてあるけれど、一体何時間かかるの?」「食事は出るの?」「香典は持っていったほうがよいのか?」様々な疑問が浮かんでくるだろう。疑問解消のために、招待状にはそれぞれについて列記しておかねばならない。今回は、「一体何時間かかるのか」という疑問を解消させるため、式次第をざっくばらんに詰めていこう。
 通常のお葬式を例にとって考えてみる。
 「お葬式」は「お別れの会」の要素と「葬送儀式」の要素をあわせたものである。
 仏教式の「お別れの会」の要素を赤、「葬送儀式」の要素を青で表してみよう。

 どちらとも言えないものは黒でご容赦願いたい。

葬儀式次第
1、開式の辞
1、読経(宗派によって内容は様々だが剃髪など)
1、弔辞・弔電
1、読経(引導など)
1、焼香
1、喪主挨拶
1、閉式の辞

 要するに住職の出番となるところが儀式、遺族や参列者の出番となるところがお別れの会である。「焼香」は仏教式でしか出番のないものだが、これは「個人に何かを献じる」形のものであり、儀式的とも取れるしお別れの意味もある。キリスト教式であれば「献花」、神式では「玉串奉奠」となる。無宗教式では献灯など、様々な形で行われる。
 葬式を宗教儀式にしないのであれば、赤の部分のみで充分。内容的には参列者からお悔やみの言葉があり、遺族から感謝の言葉があれば済んでしまうのだ。しかしそれだけじゃ物足りない。なにより遠方からわざわざお越しいただいた方々に失礼だろう。もっと言えば生前葬は遺族と参列者だけの催しではないのだ。物言わぬはずの死者がまだ生きている、それを活かさずして生前葬はない。
 したがっておおまかにに式次第を作れば以下のようになる。

1、開式の辞
1、弔辞・弔電
1、喪主挨拶
1、故人挨拶
1、閉式の辞

 こう書くとなんかヘンだ。開式していきなり弔辞って。しかも「故人挨拶」ってなんだよ? という話になってくる。もちろんこれは基本構造の話なので、あとは好みに合うように肉付けをすればよい。音楽の好きな人は演奏会風にして、一つ一つの次第の間に緩衝材になるよう演奏をしてもらったり、自分で演奏する。ただし自分のリサイタルにしてしまうとただでさえナルシシックな印象の生前葬がその色を濃くするので、なるべく他の人にも依頼しよう。儀式風にするのが好きな人なら献灯を行うのもよい。一人ひとりに小型の行灯やキャンドルを渡し、祭壇を作るつもりならそこに捧げてもらう。なければ自分に手渡してもらう。花が好きならば献花も同様にできる。メッセージカードを配って何か書いてもらい、匿名でそれを発表してもよい。弔いの余興を誰かにやってもらってもいいし、読書家なら感銘を受けた本を一人ひとりにプレゼントし、気に入った部分を朗読してもらうなんてこともできる。かなりメッセージ性の強い行事なので、よほどうまく演出しないとちょっと恥ずかしくなってしまうが。

 さて、大体の方向性が決まって肉付けできたら大まかに時間を組んでみよう。参列者の集中力を考えれば1~2時間に収まるのが理想だ。決まったら終了予定時間を招待状に書き込める。余興をお願いしたい人には依頼状を同封でき、手間が省けるだろう。もちろん、その前から電話などで相談しておくのが必須だが。

 ここまで読んできて、何かお気づきになっただろうか。そう、内容構造が結婚披露宴の段取りを決める時と全く変わらないのである。葬式はいわば死の世界への嫁入りだ。現にキリスト教では「神のもとに召される」と言うし、結婚の契りを結べば二度と生家には帰らない武家の婚礼で花嫁が白無垢を着るのは、生家での死を意味する。つまり死に装束だ。だから結婚の経験がある人は、アレと同じ感覚でやってもらうとよい。そんなに難しい話ではないだろう、お手本となる例がないだけだ。

 さてさて、ざっくばらんに式時間のめどがたったところで次はお香典について。続きはまた今度。(小松朗子)

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2008年6月15日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第22回 生前葬自己プロデュースのススメ1

 生前葬という言葉をご存知でない人は、今はもうあまりいないかもしれない。しかし、一般の方が頭ですぐさま漢字変換できるようになったのは実は最近のことだろう。昨年で話題になった有名人の生前葬としては、フェミニストの辛淑玉、漫画家の久米田康治、WAHAHA本舗の喰始社長か。ただ、久米田康治の場合はマンガ賞受賞記念と言うことでいささか通常の生前葬とは意味合いが違うが。

 生前葬を取り扱っている葬儀社は多い。どんな形でもプロデュースできます、と謳っているが、ちょっと待った。どんな形でもプロデュースできるということは、生前葬にはまだ形式はなし、好き勝手にやっていいということだ。だったら葬儀社に頼む必要は全くないではないか。今回は、オリジナルな生前葬を考えてみたい。ワーキングプアの時代にふさわしく、余計な費用を一切抑える生前葬だ。残された側が主催する時にはあまりにみすぼらしいと体裁が悪い葬式だが、遺体(?)本人が節約したいと言うのなら、遺族(?)には反対する理由もないであろう。

 さて、どんなイベントにもひとまず箱が要る。…もしかしたらここで眉をひそめた方がいらっしゃるかもしれない。「葬儀はイベントなのか?」と。以前記事にも書いたように、葬儀は準備期間の著しく短い大イベントである。中身は結婚式や祝う会の類と基本的に変わらない。ひとりを主役にして、人を集めて、主役をちやほやする。シンプルに考えればそれに尽きてしまう。

 式場はセレモニーホールを借りればかなり高くつくし、他のサービスもついてきてしまう可能性が高い。ここで試みているのは原価ギリギリの葬式なのだから、葬祭ディレクターもセレモニーレディも必要ない。民間のホールはやめよう。箱はタダに限る。究極は自宅だが、公民館など公共施設なら広く使える。許可が必要だが、普通の葬儀でもバンバンやっているのだから断られる筋はない。なお、屋外でももちろん可能だが雨が降ったときのことを考えると賛成できない。

 次に日取りの決定と参列者の割り出しだ。自由な葬儀なので関係ないと言ってしまえばそれまでだが、気になる人は友引を避けよう。普通の葬儀でも「友を引く」として避けられている。引くとは言っても死んでいないのだから基本的に無視していいだろう。日取りが自由に決められるのも生前葬のいいところ。誕生日、記念日、土日祝日など好きに決めよう。
 参列者は、本人が自由に選んでいけばよい。何しろ死んでいないのだから、顔も見たことのない親戚や息子の会社の上司といった自分にはまったく来て欲しくない人物がどこかから聞いて駆けつけるなんて事態にはならない。披露宴と同じように、招待状を持っている人しか来ないのだ。自分が明日死んでしまうとして御礼を言っておきたい人を基準に選ぼう。ただ、やみくもに呼ぶと式場の問題で定員オーバーということになってしまいかねない。3つ続きの十畳間でも60人程度が無難だ。現実にはぎゅうぎゅうに詰めて縁側や玄関までじゅうたんを敷けば80人は可能だが、ゆったり座って欲しいではないか。昔から「座って半畳、寝て1畳」と言われる。人間ひとりが占めるスペースのことだ。参考にしよう。実際には「座って半畳」になるのはだいぶ恰幅のある人に限られるが、座れば荷物を脇に置かなければならない。焼香や献灯がある場合には通路確保も必要だ。前のほうには司会席等イベントスペースを設けなければならない…と考えれば、式場に対して余裕を持った定員を考える必要がある。イス式にするのであればイスを並べてシミュレーションしてみればわかりやすい。

 さて、次は肝心の中身についてだが、長くなってしまうのでまた来週。なんだか楽しくなってきた。(小松朗子)

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2008年6月 8日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第21回 手元供養展in多摩

 去る5月31日、三越多摩センター7階にて行われた「自分らしい葬送を考える企画展~手元供養展in多摩~」に行ってきた。副題にある言葉が示すとおり、主催はNPO手元供養協会。手元供養とはお骨を手元に置く形での供養方法で、ペンダントトップに骨粉を忍ばせたり、遺灰からダイヤモンドを精製したり、遺灰をオブジェの中に入れて飾ったり、故人の名前を彫って写真をはめ込んだエターナルプレートを作ったりと形は様々だ。

 会場に進むと、さすがに高齢の方々ばかり。私のような若造は見あたらない。専門家の講演があり、私は第一生命経済研究所(ライフデザイン研究本部)・主任研究員、小谷みどり氏の講演を聴いた。講演開始から30分ほど遅れて席に着いたが、作りはささやかながらほぼ満員。50名程度の聴講者がいて、真剣に耳を傾けていた。
 お話は具体的な葬送準備の話だった。「葬儀用の遺影を準備している方は」という問いかけに、一人の手も上がらなかった。「ではみなさん、明日にでもぱりっとした服を着て、お化粧もして、写真屋さんに遺影を撮りに行って下さい」と講師がいうと、そこかしこから笑いがおきた。性急すぎると思ったろうか。みなさん、自分の葬送を考えているとは言いながらどこか他人事なのかも知れない。私事で恐縮だが、祖父は15年前から自分の遺影を持っている。5年前に撮り直してもう2枚目である。いつでも覚悟は出来ているが、今年95にしてまだ元気。息子たちの方が余程危ない。

 講義が終わると、展覧会会場の手元供養用オブジェに人だかりが出来た。お地蔵さんの形をした愛くるしい物、香水のビンをモチーフにしたおしゃれな物、アクセサリーなどに触れる参加者に主催者側が声をかけて説明する。壁際には相談所があり、遺言や相続、墓についての相談を受け付けていた。自らの意志で葬儀を準備したい、死に支度を始めなければならない、そんな緊迫感があった。

 一方、6月2日付の朝日新聞三面に「寺離れ 地方も自治も」という記事があがった。曰く、「葬式仏教」との揶揄もままならないほどに檀家離れが進んでいる。そんな中お寺も知恵を絞り、法事に送迎バスを用意したり都会に出張して派遣僧侶となったり必死のようだ。

 ようやっと「自分の葬儀」について関心を持つことが出来てきた消費者と、離れていく消費者をつなぎ止めるのに必死な寺院。
 そしてどちらの動きにも敏感になって動いてゆく葬祭ビジネスの作り手。
 これからも、一層激しくなるであろうその動きをつかみ取ってゆきたい。(小松朗子)

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2008年6月 1日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第20回 葬儀講習会レポⅡ

 第19回の続き。
 吉澤氏は、仏教葬儀の知られざる実体について次々と語っていく。そのうち、戒名料の話に移った。話によると、全日本仏教会は「こんにち、戒名料が問題になっている。戒名そのものに対して料金を設定するのはおかしいという意見だ。戒名料だってお布施のうちなのだから、今度からは「戒名料」という表記ではなく「お布施」を使おうではないか」と取り決めをしたそうな。でもそれって、呼び方が変わっただけで実態は何も変化しないような気が…。
 これは私個人の意見だが、仏教で葬儀がしたいのならば戒名料は生きているうちにいただいていたほうが良いと思う。戒名は仏弟子につけられるものだから本来なら出家しなければならないが、もらっておくだけなら了承してくださる寺院も多いだろう。自分で戒名料…じゃない、お布施を払うのだから納得ずくの名前にしておきたいだろう。寺院だって本人に渡すものと思えば名づけにも力が入るし、遺族にそのぶん負担をかけなくてすむ。いかがだろうか。あ、戒名ぶんのお布施は支払い済みだということは絶対に文書にして寺院と遺族となる人に渡しておかなければならないが。

 さて、吉澤氏の講義は火葬についての話に移った。火葬と言えば長い箸で骨を拾うお骨あげが必須だが、東日本と西日本では拾う部位が違うらしい。東日本は全てのお骨を骨壷に入れるが、西日本では喉仏周辺しか骨壷に入れないというのだ。知らなかった。当然二つの地方では骨壷の大きさが違い、東日本で骨あげして西日本に持って帰ると墓に骨壷が入らないなんて悲劇が起こるという。へえー! というか、ひえー! それからの処理のほうがもっと悲劇的な気がする。骨なんておいそれと捨てる気分になれないし。十分気をつけよう。

 そして講義は最終局面に入った。理想の終わり方は、というものだ。吉澤氏はホワイトボードに「PPK」と書いた。PPK?
 「お若い人の間では、「KY」なんて言葉も流行っているようですね。それではPPKは何の略語でしょう。若い人を代表して、小松さん」
 吉澤さんに指名されてしまった。ええと、正直にわからない。そう告げると、教室中が笑いに包まれた。ありゃ、結構有名な言葉なのね…お恥ずかしい。お伺いすると、なんと「ピンピンコロリ」の略。元気に生きてサクッと逝くというのが最近の理想らしい。あっさりとした死に様が良い、そう考える人が多くなっているようなのだ。

 若者の間では結婚観が多様化しつつあり、オリジナルスタイルで新しい生活をするカップルが増えているけれど、もしかしたら高齢者の間でも終末観がどんどんユニーク化していってるのかもしれない。若いもんに負けず、どんどん新しいスタイルを実現して欲しい。そして未来につなげていっていただきたいものだ。(小松朗子)

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2008年5月25日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第19回 葬儀講習会レポ

 5月23日、朝日カルチャーセンターで行われた「納得できる葬儀」という講義に出かけてきた。講師は「木霊と凪」代表の葬儀コンサルタント、吉澤武虎氏。せんだって「葬送の自由をすすめる会」主催の「春の合同自然葬」に参加したとき、お会いした方だ。このたびは取材ではなくあくまで一般の個人として、講義を受けてきた。
 よって個人として感じたことをここに書いてみたい。

 集まったのは40人程度。講義の定員が40人なので満員御礼だ。テーマがテーマなだけに受講生はご年配の方が多い。男女比は、やや女性が勝っている。一番前に20代から30代と思しき女性が二人座っていて、なんだ、若い人もいるじゃない、と思っていたらスライドショーを操るお手伝いの方々だった。あとは私を除けば60代は下らない方ばかり。ということは、みなさん「自分の葬送について」学びに来たのだ。しかし「納得できる葬儀」という名の講義なのだから、ぜひ喪主になる立場の方にも受講していただきたい。葬儀について思いをめぐらすのは死者となりゆく人々でも、それを実行するのはひとつ手前の世代たちであるのだから。

 おじいちゃんやおばあちゃんが講師の言葉に合いの手を入れながら、というアットホームな授業が始まった。講義の流れはわかりやすく時系列を追っている。つまり死から始まって葬儀屋が登場し、葬儀・火葬が行われ納骨までの一連の流れに沿って講義が進んでいった。とくに、もと葬儀屋として印象に残ったのは「葬儀屋に言ってはいけない3つの言葉」。いわく、

1、「初めてです」(または、「何も判りません」)
2、「普通でいいです」
3、「おまかせします」

 とのこと。実はこの3つの言葉、葬儀屋にも「あとでクレームをつける客が言う危険な一言」として認識されている。この3つを発するお客様に限って、デートで「食べるもの? なんでもいいよ」と言いながら具体的な提案をすると「それだけはイヤ」と拒否するワガママ娘のようなことを言い出すのだ、しかも注文したあとに、だ。
 要するに、消費者として商品知識を予めつけておかないと双方不幸な結果になるということであろう。講義にうなづきながら必死でメモを取る受講生にも、消費者として強くあろうとする意気が見える。

 さらに講義は今当たり前となっている仏式での葬儀について詳しく切り込む。「葬式仏教」といって評判の悪い昨今だが、仏式葬儀で実際何がなされているのか理解している人は一体どのくらいいようか。理解されようとする努力がお寺のほうに足りないのではという主張もうなづける。しかし正しく理解しないで批判するのも、まごころがないというもの。吉澤氏は批判されがちな戒名料、何を言っているのかよくわからないお経、仏教と葬儀との関係などについて詳しく解説していく。時々漏れる受講生の「知らなかった」というつぶやきやため息などから察するに、こういった講義に関心を持つような人でもやはり正しくは知らなかったのだろう。「知らされない」ということは不安につながって、「良く知らないから納得できない、だから仏教で葬儀はしない」ということになりかねないところを、受講生は今一度深く考えるチャンスを得たのだ。

 「納得できる葬儀」--。そう、受講生はただ葬儀を簡素にしたいから講義に来たわけではない。そんな貧乏根性ではなく、納得できる送り方、送られ方をしたいと思って来たのだ。そのためにはいろいろな送られ方を知らなくてはならない。ただ簡素にしたいというのでは、「住職は呼ぶけれど戒名は要らない」などというへんちくりんな葬儀になってしまう恐れもある。仏式も、ほかのあり方も知った上で自分の「本当にやりたい葬送」を見つめなおす。今回の講義は、その起点となりうるのではないだろうか。(小松朗子)

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2008年5月18日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第18回 携帯仏壇

 「携帯」と聞いて思い浮かべるのはどんなことだろうか。持ち歩けていつでもどこでも活用できる、そんな印象だろう。では、「携帯仏壇」はどうか。やはり持ち歩けて、いつでもどこでも供養・・・したいか? という疑問は別にして、実際にあるのだからしょうがない。今回は、携帯仏壇にアプローチしてみた。

 インターネットでの販売もしている(株)よねはらの携帯仏壇は、12センチ×8センチと、携帯電話を二回りほど大きくしたサイズ。「長男ではないけど両親の位牌を持ちたい。家を継いでいないけど位牌をお祀りしたい。実家の両親が亡くなったけど、主人の家の仏壇には入れられない。そんな方におすすめしたい」との文句で販売している。

 そうか、「いつでもどこでも供養ができる」をうたい文句にしてなくて良かった、とちょっと胸をなで下ろした。プチお仏壇のように使えばいいのね。ただでさえ核家族化がすすみ一戸建てを持つことが難しくなってきたこの時代、仏壇を持っていない、置く場所もないという家族も少なくないだろう。携帯仏壇、お値段を見れば戒名を書き入れても一万五千円程度からある。なんてお手頃なんだ!

 ただ、これを唯一無二の仏壇にできるかというと、既に位牌が作られている場合はいささか無理がある。大多数の携帯仏壇は、位牌ではなく平たい戒名板を収めるように作られているからだ。新しい仏様なら戒名板のみを作るということも可能だろうが、携帯仏壇のみで供養したいといった場合、もとの位牌から魂移しを行わなければならないだろう。

 ・・・・・・と思っていたらありました、位牌を収められるタイプのものが。もちろんその分カサは出てしまうのだが、(株)森正の「同行二人」は位牌と本尊、又は遺影を同時に収納することができる携帯仏壇だ。当社のホームページではオープン価格としているが、これなら今ある仏壇からそっくり位牌を抜いて供養することが可能だ。

 ではこれからの時代、携帯仏壇だけで供養はイケるのだろうか。安くて小さくてこれだけで供養が済んでしまうとしたら画期的なことではないか。

 しかし、ここに従来の仏壇と決定的な違いがある。携帯仏壇は位牌を一つしか入れることができない、つまりお一人様用の仏壇なのである。新しく仏様が出たら、また一つ仏壇を増やさなければならないということになるのだ。一人一仏壇、響きだけ聞けば何とも贅沢である。一つ一つは、仏壇にしては破格のお値段なのだけれど。「携帯は一人一つの時代」という言葉が、電話ではなく仏壇を指す時代が来るのだろうか。
(小松朗子)

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2008年5月11日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第17回 ダイヤモンドは永遠の

 エターナル・ペンダントというものをご存知だろうか。
 遺灰をジュエリーに仕立てたアクセサリーだ。
 第15回で紹介した株式会社メモリアルアートの大野屋(長い社名だが正式名称がこれ)も提供している手元供養のひとつで、大野屋では「アッシュペンダント」と称して真珠の中に遺灰をこめたもの、「メモリアルペンダント」と称してホワイトゴールドのペンダントヘッドに遺灰をこめたものがある。最愛の人といつまでも一緒にいたいという遺族の気持ちにうまく応えた品だと思う。

 まあ、「ハイ、お父さんの遺灰が中に入ったペンダント」と母親から渡されたらなんだか微妙だが。やっぱり恋人や夫やよくもって自分の子ども(持ったことがないからわからないが)位までだろうと思うのは私だけだろうか。遺物として配るような類のものではなく、持つにふさわしい人は限られているような気がする。

 さてこの類にはゴージャスなものがある。数年前に一時騒がれたので記憶にある人もいるだろうが、遺灰をダイヤモンドにしてしまうというものだ。ダイヤも灰も炭素系。遺灰をグラファイトに精製→高熱・高圧をかけて圧縮しダイヤモンドを造成→カッティング・研磨という工程を踏んで、灰はダイヤモンドに生まれ変わる。
 このサービスで代表的なのはアメリカのライフジェム社、スイスのアルゴダンザ社だ。まず気になるのはやっぱりそのお値段。果たしておいくらまんえんなのか。

各社ホームページにて調べたところ、一番手ごろなのは

アメリカのライフジェム社

0.2カラット(0.20~0.29カラット)
¥400,000 ~¥500,000

スイスのアルゴダンザ社

0.2カラット(0.16~0.25カラット)
\399,000

 細かく大きさに応じて価格設定をしているか、認定カラット数ごとに価格設定をしているかという違いはあるがアクセサリー加工をしていないことを考えるとなかなかのお値段だ。しかし記念と考えれば巷の天然ダイヤと価格を比べるような品物でもない。まさに世界にひとつだけのジュエリーになるのだから。

 奇想天外なこの企画、しかし墓地不足の日本にとっては将来的に「アリかも」と考える。馬鹿高い墓地と墓石(占めて100万か200万か、上を見ればきりがない)を買ったり待ったりするよりは、一粒のダイヤに40万、そっと箪笥にしのばせる。手ごろだしコンパクトに供養ができる。スリにあったら泣くどころの騒ぎではないけど。スリも嫌だろうな…
 あわせて、故人が散骨を希望しているがそれだけではちょっと寂しいという遺族にもすすめて良いだろう。遺髪からダイヤモンドを作れるサービスもあるようだから、献体希望者の髪を加工してもらっても良い記念になる。献体希望者は、亡くなって大学病院などに引き取られれば2年は帰ってこれない。実際、髪やつめを骨壷に入れて供養することが多いのだ。

 問題は抵抗感。「遺灰をダイヤモンドに」という感覚が、お骨に対して強い執着を持つ日本人になじむまでどのくらいの年月を費やすか。そしてサービスが普及したとしても、仏壇に納めるものとしてふさわしいかどうかと問われると首を傾げざるを得ない。さらに子どもや女性、ペットはまだいいが「おじいちゃんがダイヤモンドになったよ」と言われてもなんだかしっくりこなくて納得がいかない。なにより自分がダイヤモンドになるとなったら…なんだかニヤけてしまう。「私が死んだらダイヤモンドにして」って、どうよ? シャイな日本人には似合わないこの趣向、やっぱり遺された人向けのサービス。当たり前だけど。(小松朗子)

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2008年5月 4日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第16回 みんなニコニコ霊柩車料金は無料

 こんな連載を持っているけれど、恥ずかしながら上京してからは通夜のお手伝いを一回した限りで、葬儀に積極的にかかわったことがない。よってここでどうのこうのと書いていても実情に全く即していないのではないか、そんな不安が日々付きまとっていた。
 しかし今回、通夜・葬儀とひととおり参列できる機会を得、行ってきましたよ落合斎場へ。見てきましたよ田舎と違う諸々を。

 式次第が進む中で、一番気にかかったと言うか笑ってしまったのは霊柩車の存在。

 落合斎場は、火葬場と葬儀式場が向かい合わせに設置された総合施設だ。葬儀から火葬に移行する流れはもちろん、火葬のみも可能だし、火葬後のお食事会を組み込んだプランも提供している。火葬場と葬儀式場が一緒になっている施設にお邪魔するのが初めてで、移動時間が少ないから楽だなあ、くらいに思っていた。葬儀が終わり、花を大量に棺に入れ、蓋を下ろして霊柩車へ。さあお旅立ちだ、と手を合わせたとき。

 ん?

 火葬場が目の前……ということは。

 そう、霊柩車は高らかにクラクションを鳴らして出発していった。ぐるりと回って火葬場ウラの入り口へ。故人が霊柩車に滞在する時間は、わずか2分。って、短いよ! そして合わせた手を元に戻したあと、遺族は歩いて向かい側の入り口から火葬場へ。うーん、遺族もバスに乗り込んで何分か揺られ、という図がないとなんだか物足りないなあ……まあ、この「なんだか物足りない」という感覚こそが、滞在時間2分の霊柩車を生み出したのであろうが。どう考えてもそのまま手移動、もしくはキャスター移動のほうが効率がよいのにもかかわらず、裏から回り込むという小技を使ってまでも霊柩車を使いたい。クラクションを鳴らす霊柩車に向かって手を合わせたい。積極的にそれをしたいと言うわけではないけれど、なかったならばなんとなく寂しい。判るような気もする。しかし、「霊柩車を見送り、火葬場まではバスに揺られて20分」の世界にいた小松には、不謹慎なユーモアさえ感じられるお旅立ちだった。

 問題は霊柩車料金。こんなんで金を取られたらたまらないと落合斎場(施行:佐藤葬祭)のホームページで調べたところ、セット料金の明細に「霊柩車使用料」はない。それはそうだろう、とひとまずほっとする。だがしかし、霊柩車料金は葬儀屋にとって結構重要な項目のはずだ。初期投資が半端な額じゃない分、遺族はラッキーだが、結局霊柩車自体は用意せざるを得ない葬儀社のほうが泣きを見ることになるのだろうか。当然、その分も配慮しての料金設定だろうが(おそらく火葬場の使用料などにそっと組み込まれている、多分だけど)。

 まあ、表面上は霊柩車料金がないから遺族はニコニコ。揉めない上に他の料金で上乗せできる葬儀社もニコニコ。しかしこれは「葬儀には霊柩車が必要である」という常識が浸透しているからこそ成り立つものだ。小松が遺族だったら「こんな距離で霊柩車使うのなんてばかばかしいじゃん。その分安くなんない?」とゴネてしまいそう。え、葬式代をまけろだなんてバチがあたるって? そんな常識も、確かにアリマシタネ。(小松朗子)

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2008年4月27日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第15回 永代供養「さくら」ってどんなの?

 なんだかお墓の話ばかりが続いて申し訳ないが、今回もまたお墓の話である。別に私が墓好きというわけではない。こんなに取り上げざるを得ないということは、今、お墓が葬祭ビジネスにおいて大変重要なポジションにある、ということに他ならないだろう。どうしてセレモニーではなく、お返しの品でもなく、仏壇でもなく、お墓なのか。理由は墓の必要不可欠性にある。
 まずは葬祭業界の主役といってもいいだろう、セレモニーの部分。これは年々簡素化してきている。最近は直葬といって、祭壇の前で葬儀をせずに火葬場でいささかばかりのお弔いをして済ましてしまう形式がじわじわと増えているらしい。形骸化どころか、あってもなくてもいいものとしての地位を着々と築いているのである。無論、式の簡素化にしたがって香典の中身もお返しも簡素になりつつある。
 つぎに仏壇。これはモダンなものを取り揃えたりと頑張っているアーティスト系の仏具屋もあるが、持ち家率の低下と無宗教葬の出現にダブルパンチを食らっている。
 さて問題の墓であるが、これは根本的に、必要なものなのである。それが既出のものとは違う。
 何ゆえ必要か。
 骨という現物が、残るからである。

 ここでただ「墓は必要なもの」と言ってしまうと語弊が生じるだろう。墓を必要としない弔い方はある。散骨がその代表格だ。しかし、埋めるにせよ撒くにせよ「処理しなければならない」現物としての骨がある。家族の骨をその辺にうっちゃらかして平然としていられるような心臓の持ち主は稀有だ。なにがしかの対処が必要であり、そして対処が必要なところに、自然とビジネスが生まれる。

 ここで紹介する骨供養の方法「さくら」は、㈱メモリアルアートの大野屋が3月にオープンさせた『神戸聖地霊園』で行う樹木葬だ。墓地としての許可を得た区域に、桜の樹を墓標として植えたて、遺骨を根元に埋葬する。

 この方法だと遺骨は土に還ることになるが、散骨などの「自然葬」といわれるものとは若干違うことに留意したい。「自然葬」は、墓を必要としない。あとから弔うところの基点がない。しかし樹木葬は、樹木が墓であり、お墓参りの対象となるのだ。

 しかし、この「さくら」は、承継者を必要としない。埋蔵後はそのまま永遠に動かされず、改葬もない。まさに「永代供養」の代金として、個別での納骨なら30万円、共同納骨なら9万円を支払う。墓はあったほうがいい、でもずっと管理できるかわからないという人にはいいとこ取りのプランである。本音を言ってしまえば、そんなんでいいのなら、裏の庭の木の根元に埋めてしまえばタダだよと……まあ法律的にはそれでもいいらしいのだが、ご近所の目が厳しいだろうからね。賃貸住宅ならなおさら。他人から不快に思われないように、お金を払って処理するのだ。

 結構いいプランじゃないの、と好意的に見ていたのだが、実際の風景を見てちょっと凍りついた。これ→http://www.ohnoya.co.jp/cemetery/search_other/651kbs/sakura.html、ちょっと寂しすぎないか? 桜の季節なら華やかでよさそうだけれど、冬の間ずっとこれだと、しかも来てくれる人もいないと、かなり悲しい気がする。これなら富士の樹海でひっそりと骨になってたほうが、まわりにじっとりと色々あって楽しかろうと思うのは私だけだろうか。(小松朗子)

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2008年4月20日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第14回 秘密の花園★セレモニーレディのお給料

 葬儀式場に立つ一輪の(菊の)花、それがセレモニーレディ。通夜や葬儀ホールや火葬場に行くと、黒系のスカートやパンツスーツでひっそりと姿勢良くたたずんでいる複数の女性がいるでしょう。彼女らのことです。
 石のように立ってるだけに見えるセレモニースタッフ、果たしてあなたたち、おいくらまんえんもらっているの??
 それが葬儀屋在職中、小松が持った一番の疑問だった。田舎の葬儀屋だからこそ、セレモニーレディなんてめったに使うことはないが、たまに大型葬儀で派遣されてくると、彼女らはなかなかにウザい存在なのである。
 美しく保たれた姿勢、慇懃な敬語、取り澄ました表情、誰に対しても態度を変えずとりあえず「人に会ったらお辞儀」。やりすぎだ。
 それで仕事ができるならまだいい。しかし大半はただその場に佇んでいるだけである。こちらとしてもお飾り用に呼ぶわけではないからあれこれと指示はするけれど、忙しいから呼ぶという面もあるからそうそう面倒を見てはいられない。とにかく動いて気づいてそして働けプロならば! と言いたいところをグッとこらえ、大抵は見限って一人で仕事をする。彼女らには神妙な顔でお辞儀だけしておいてもらう。認めたくないところだが、同じ性だからこその敵対心もあるのかもしれない。こちらは遺体や棺も運ぶし化粧もするし祭壇組むしテントだって一人で立てなきゃならないときもあるのに、あんたらは突っ立ってるだけで金がもらえるのかよ! という気持ちがあったことは否定しない。そこを「いやいやこの仕事を選んだのは私だから」と心の中で首を振り、「でも、あんたら幾らもらってんのよ?!」という突っ込みは消えないのであった。

 話が私的方向にブレすぎた。セレモニーレディのお給料の話だが、今回は
・求人情報に待遇を明記してある法人のサイト
・個人ブログ
・コミュニティ
以上の3点からサンプルをとって調査することにした。ネットでの個人的な発言が含まれるため信憑性には欠けるけれど、調べてみたらじゃんじゃん出てくる。とくにSNSのコミュニティサイトは大変参考になった。
総合してみると、時給でもらっている方とひと現場幾らでもらっている方と2種類いる。セレモニーホールのスタッフとして雇われれば時給、セレモニーレディの派遣会社から派遣されるのであればひと現場幾らというパターンが多いもようだ。
で、気になる結果は、平均時給およそ1000円(小松調べ)。

へっ!!

や、安い!

 急にかわいそうになってしまった。「葬式系は給料が高い」というのは定説ではなかったのか? まあ、彼女らの仕事量からしてみれば多すぎる感もあるけれど、しかし驚いたのは「依頼する側」だったことがあるからだ。セレモニーレディの派遣料金は高かった。ひとつのお葬式で一人頼めば10000~15000円がとんでしまう。だからあまり歓迎したくなかったが、いるだけで店が華やかになるキャバクラのお姉ちゃんのように、いるだけでその場の空気が粛然とするのだからやはり大きな葬儀には欠かせない。大企業会長の葬儀に立ち会ったのは汗ミドロで駆けずり回っている現場社員だけでした、ではお客さんに申し訳ないだろう。仕方ないのだ。ないの、だが…平均時給が1000円だとすると、大きな葬儀では準備をあわせて4、5時間程度は立ち会ってもらうので彼女らの取り分は多くて5000円。支払額が10000円。マージンが半分って取りすぎなんじゃ…え? どこも一緒? う~ん、そうだろうか。他の業種についても調べてみないと判らないが。

 にしても、憎むべきは彼女らではなく、派遣会社のほうだったということがわかりちょっとした収穫。
今までごめんなさい、麗しきセレモニーレディのみなさま。(小松朗子)

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2008年4月13日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第14回 火葬船構想のその後

 本連載第8回でも紹介した「火葬船構想」
 「4月には具体的な回答を」とのことだったが、去る4月7日に日本財団より「葬斎・火葬船「そうまる」の構想」という名で報告があがった。
 報告書はなんと161枚にも及ぶ本格的なもの。法に抵触するかと思われる海洋葬などにまつわる問題の解決、「職員は「船員」と位置づけられるか」などといった具体的な疑問についてまで提議し、実現への熱意が感じられる内容だ。

 さて肝心の火葬船、船体はどうやら船舶式になる模様。船舶式と浮体構造式、つまり「客船に火葬炉を乗っけたもの」と「特定の場所に浮いたままの火葬場」と、どちらも視野に入れて検討をなされ、両方の美点欠点が何個となく挙がっていたが、過去に類似例もある(大戦中の氷川丸)などの理由で「本事業での検討主体は船舶方式とする」とある。ただ「利用者の要望がいずれであっても的確に応えられるよう検討を進める」とされている。

 船舶方式となると、客船としても設備を備えた船体にする必要がある。船での葬送を行ううえで同報告書が提案するお別れスタイルとして「ゆったりとしたホテルのラウンジを思わせるようなラグジュアリーな空間で、波の音、宗教者による法話などを聞きながら、静かにお別れのための時間を過ごす」とか、「ホテル並みのサービスが不可欠」と書かれてあるが、ええと、利用者として気になるのはそのお値段である。そのサービス、おいくらまんえん?

 報告書に添付してある「採算検討例」によると、火葬料金は一体10万円。付随する葬儀式も行うとして、式場使用料が21万円。ひゃっほう! 「安いんじゃないの?」と首を傾げる方々、これが官営の火葬場なら住民は無料かタダ同然のところが多いはず。多く見積もっても2万円前後だろう。それが10万円。うむむ! 式場料金だって、公民館や自宅なら(今どきあまり現実的ではないが…)無料だし、民間の葬儀式場でも会員外の価格でもないと21万円などという数字にはお目見えしないはず。庶民に手が届かないと言うほどの額ではないけれど、10万円単位で差額が出るのなら、「陸が混んでるからウチは海で」なんてあっさと引き下がる「庶民」の遺族はそうそういまい。船はできても、もとを取るために満足な稼働率を得るには庶民の支持を得るのが不可欠。魂が海へとむかう美しいイメージを喚起させる新しい神話が必要になってこよう。さてどんな神話が誕生するのか。いまからとても楽しみだ。(小松朗子)

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2008年4月 6日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第13回 潜入! 葬祭派遣

 葬祭派遣というビジネスがある。
 実際には「葬祭にかかわる一切の業務」を派遣対象としているので、葬儀会場でベタつきになることももちろんあるが、その次に多いのが生花店のお手伝い。そして花輪店のお手伝い、テントなど外装のお手伝いと、力仕事が主らしい。
 葬儀は生ものだから、いつ発生するかわからない。急に忙しくなる、急に暇になる、ということが日常茶飯事の職業だ。よってアルバイトを確保することがたいへん難しい。あらかじめシフトを決めてしまうと、結局忙しいときに人が足りなかったり、暇なときに人が余ったりすることを止められない。
 その点、一日単位で人を派遣してもらえたら葬祭業者としてはだいぶ助かるだろう。ただ、問題なのはそのスキル。葬儀の場にディレクターの一人として直接かかわるのならば、ある程度の知識と経験がなければお話にならない。日常には見ることのない仏具や祭壇装飾の部品、一般人には先の見えない段取り、そして今どき尺貫法。
「曲録持ってきて」
「引導のあと、マイクはずして」
「8尺幕張っといて」
 …ありがちな指示だが、素人にはお手上げだろう。ディレクターは仕事中は忙しいのが常で、自分のところの新入社員でもなければいちいち構っていられない。ましてや雇ったその日に役立つ人を遣わすのが派遣業。いったいどの程度の経験があれば一人前だと、葬祭派遣は考えているのか。

 考えるよりも聞くほうが早い。登録だけなら働かなくとも良いであろうと、先日、「未経験歓迎」と銘打ってある葬祭派遣会社に話を聞きに行ってきた。

 最初に経験者であることを告げると、そうなんですか、と言ったあと気まずそうな顔をされた。
「ウチの取引先は葬儀屋さんというよりも、花屋さんが多いんです」
 なるほど、「未経験歓迎」にはそういう意図があったのね。お花屋さんなら、体力仕事が中心。花の名前を覚えるのは大変だけれど、基本的に葬儀の流れに関係のないところにいられる。ただ、お花屋さんでアルバイトするという感覚で考えるとけっこう高い日給。1万円から最高のレベルになると2万円近くまで上がる。
「最初は葬儀会場に出入りするお花屋さんで働いてもらいます。ランクが上がるたびに、モノの名前や仕事の曲流れをどれだけ覚えたか確認させてもらって、だいぶ慣れたら葬祭に移行してもらうんです」
 うーん、なかなかうまい事を考えるではないか。力仕事をしているうちに葬儀の流れを盗み見て覚え、そっちのお手伝いもできるようにしていくという段取りだ。
 一番下のランクからひとつランクアップするには、14日~21日の勤務日数が必要。あとは派遣先の評価によって検討し、面接を経てランクアップ。勤務日数が多くなれば自動的にランクアップするという訳ではないのが良心的だ。長く働くだけ働いてて、全く役に立たないという人もいるだろうからね。そういう人はそもそもどんな仕事にも向いていないわけだが。

 さて、登録会場には他に数名の登録者がいた。今後の抱負を問われたとき、皆それぞれ「お金をためて欲しいものを買いたい」「サービス業のスキルを磨きたい」「とくにない」と答えていたが、若者たちよ、自己実現にしか興味がないのか? 「葬祭」「派遣」で働く上での「抱負」と問われて「ご遺族のお役に立ちたい」とか「派遣先にかわいがってもらえるよう頑張りたい」という回答が出てこないもんなんだろうか。ドライなのもいいけれど、そういう気持ちが微塵もなければ「葬祭」も「派遣」も向いていない気がするんだが…(小松朗子)

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2008年3月30日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 おすすめボーズ系サイトへようこそ

 3月29日深夜、テレビ朝日系の番組「タモリ倶楽部」で「東京ボーズスタイル2008」という特集が組まれた。昨年「縁起プロジェクト」の主導のもと行われた「東京ボーズコレクション」となにかつながりがあるのでは…と思いサイトを調べてみたが、完全に沈黙。どうやら無関係らしい。
 テレビの企画は、それぞれの宗派から「イケメン僧侶(略してイケ僧)」を呼び、宗派ごとに違うお坊さんの衣装をじっくりと拝見してその特徴を説明するもの。ゲストはPerfume。なぜPerfume? と思ったが、登場するお坊さんがPerfumeの大ファンという理由でのことらしい。Perfumeのファンと公言してしまうお坊さんって…とは思ったが、確か曹洞宗の僧侶である従兄弟がまだ出家していなかったころ黒夢のコピーバンドをしていたことを考えると、とくにおかしい話ではない。お坊さんだって普通の日本人なのだ。
 出演したお坊さんは5人、真言宗・浄土真宗本願寺派・浄土真宗大谷派・曹洞宗・日蓮宗から各1人。この5人の方、実はネット寺院「彼岸寺」の中の住職とのこと。彼岸寺といえばお気に入りに入っているサイトのひとつだ。宗派を超えたインターネット寺院というコンセプトに耐え得るユニークなデザインが印象的でブックマークしておいた。さっそくチェックしてみると、ありましたよ宣伝が。
▼虚空山彼岸寺 新着時事
http://www.higan.net/blog/news/2008/03/282008.html

 一般の方々は「お坊さんがサイトを運営している」と聞くとちょっと意外に感じるかもしれないが、ホームページやブログはけっこう多い。しかもその多くが見ていて楽しくなるような凝ったつくりをしている。まあ、仏教がらみのものはなぜかシュールな笑いを含んでしまう、という事実はあると思うのだが、それでも若者にはたまらないセンスのものが充実しているのではないかと思われる。どうしてそのような凝ったつくりができるかというと、ほら、ええと、なんといっても、彼らはヒマであるからして
 限られた記事内だが、これはと思うものをここで紹介しよう。

▼築地ではたらく坊主のアメブロ
http://ameblo.jp/hongwanji/
ユニークなお坊さん関係のサイト、といってはじめに思い浮かぶのがこちらのブログ。ブログながら、トップページの豪華絢爛さは群を抜いている。築地本願寺の輪番、松原功人氏のブログであるが、久々に覗いたら、なんと輪番を退任なさり、ご自身の自坊である正覺寺に移られていた。この凝ったつくりのブログはもう永遠に更新されないのか。非常に残念だ。代わりに始まった正覺寺住職、松原功人のブログ」のこれからに期待したい。

▼Bouzコネクション
http://www.bouz-net.com/
日々の生活で心にたまった悩みを、お坊さんに相談したり、また掲示板を通じて他の人の智恵をかりたりしながら解決していくことを目指すサイト。
「聞いて!娑婆の人」という掲示板コーナーが見えるが、この絶妙な言語センスは心踊るものがある。

▼こんな住職でごめんなさい
http://blog.livedoor.jp/taa67/
こんなタイトルでは、アクセスせずにはいられない。プロフィール写真もたまらない。

▼曹洞宗にもの申す
http://blog.goo.ne.jp/disclose-sotoshu/
千葉県曹洞宗迎福寺の住職が書くブログ。ブログの世界広しといえども、大半は日々の雑感を書きとめている個人ブログが多い中で、こんなに読み応えのあるものを見たことがない。曹洞宗を批判するブログなのだが、一般人はほぼついていけない話題にたいして非常に活発な掲示板。自宗の寺からこんなに物申されている曹洞宗って。

▼ズイズイずっこけブログ

http://zuirinji.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_dc83.html

こちらもタイトルがスバラシイ。中身はほんわかあったかな奮闘記。

お寺の場所が新潟市小針と、学生時代近所にいた小松には大変身近に感じられる。

読者様には関係のないことだが。

▼仏像ガール
http://www.buddha-girl.com/
住職やお寺と直接関係はないのだが、仏教つながりということでご紹介。著者プロフィールに「三度の飯より仏像が好き!人生を仏像に捧げた28歳」とある。世の中には稀有なお嬢さんもいたものである。それはそれとして、「仏像をポップに楽しむためのサイト」というサブタイトルは秀逸だ。

以上、今回は全くビジネスに関係ない番外編を楽しく書かせていただいた。
いずれかでも読者様の気に入れば幸いでっす☆(小松朗子)

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2008年3月23日 (日)

冠婚葬祭ビジネスの視線/第12回 春の合同自然葬に行ってきた

Rimg0122_2  前日の雷雨はどこへやら、空は快晴。海は凪いでいる。3月15日、横須賀の三笠公園に15組の遺族が集まった。ヨットサーファーが遠くに賑わうのが見えるこの観音崎岬で、今から「自然葬」-今回の場合、一般に言って海への散骨-が行われようとしている。
 NPO法人「葬送の自由をすすめる会」が年4回実施する合同自然葬。今回、「春の合同自然葬」に取材参加し、ごくプライベートであるはずの葬送の現場に立ち会わせていただいた。

 きっかけは葬儀関係ニュースの「春の合同自然葬日程決まる」という記事を見たことだった。自由な葬送の実際をこの目で見てみたいと思い「葬送の自由をすすめる会」に取材の希望を申し出たところ、合同葬は公開しているので取材は差し支えないがビジネスではないので理解頂きたい、と言われた。この連載の「冠婚葬祭ビジネスへの視線」というタイトルを気にかけられたようだった。この連載をご覧になって頂いている方ならお分かりになるだろうが、冠婚葬祭の実際や方法の情報にウェイトが重くおかれ、ビジネス色は薄い。じゃあタイトルと中身がマッチしていないのではという議論はさておき、やはりNPO法人がビジネスと勘違いされるようでは困ってしまう。安田睦彦会長のご厚意に甘え、取材前に会の趣旨も含めたお話を聞きに伺った。
 「最近は、散骨やその他色んな葬送の方法を提案する会社が増えてきているようです。そうすると私たちの自然葬も価格の比較対象になりうる。すると安さがきわだつ。でも、元々NPOですから、ボランティアでやっているので、私たちの会が一番安価なのは当然なんですよ」
 なるほどビジネスとして墓地に葬る以外の方法を提案している法人が、確かに最近増加しているようだ。提供価格もさまざま。「葬送の自由をすすめる会」は1991年の設立から18年間、ボランティア活動を続けてきた。その意義を素通りして価格の面だけで比較対象とされては、墓地埋葬以外の方法を模索する方々に伝えたいこともなかなか伝えられまい。
「私たちの葬送は、『自然葬』なんです。海、空、山に遺灰を還す、自然に還す、という考えから来ています」
 安田会長は、穏やかに話してくださった。

 さて合同自然葬当日、15組の遺族と会の関係者、そして私の総勢34名が遊覧船「シーフレンド」に乗り込み、予定の11時よりも少し早めに出航した。小一時間ほど経った頃に船は止まり、司会者の案内によって名前が次々と呼ばれ、船尾から葬いが行われた。
 水溶性の紙に包まれた粉状の遺骨が、海にゆったりと沈んでゆく。そのあと、それぞれの遺族の手で色とりどりの花びらが撒かれる。花びらが悠然と海をたゆたう様子はたいへん美しかった。このような余韻が遺族の心の慰めにもなろうと、ハンカチを手にした婦人を見つめながら思った。

 その後、二組の遺族が取材に応じて下さった。
 年配のご婦人は、「故人の希望でしたから。『死んだら撒いて欲しい』ということで、どこに、どのように、といった指定は全くありませんでしたので、こちらは私が選んで、来ました」と、ほほえみながら話してくださった。
 30代半ばほどのご兄妹は、このたびお父様を海に還された。お兄さんは、雲一つない青空を仰ぎ見ながら口を開いた。
「天気がよいのも幸運でしたが、非常に気持ちのいいものですね。親戚とのしがらみなんかが多いとこういう送り方も難しいんでしょうが、さいわいそういったものが少なく、スムーズにここまで来ることが出来ました。親父は北海道の出身でしたが、この観音崎岬を選んで、この合同葬で、と指定して逝きました」
 清々しい笑顔が印象的だった。故人が自分自身の葬られ方を明確にし、きちんと身内に話していったからこそ、この迷いのない顔は得られたのだろう。

 これで、「葬送の自由をすすめる会」が行った合同葬で自然に還られた人は、2268名になったという。(小松朗子)

NPO法人 葬送の自由をすすめる会

http://www.shizensou.net/index.html

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2008年3月16日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第11回 和婚主義!(後編)

 前回、結婚情報誌「ゼクシィ」最新号にて、最近の結婚トレンドとして語られている「和婚」を確認した。  「和婚」って具体的に何なのか、そして本当に「流行っている」のか? もちろん聞いたことはあったが正体が漠然としているこの結婚スタイル。素朴な疑問を追おうとしたところ、結婚情報誌の種類の多いこと! 販売雑誌から無料誌、地方限定版とほいほい出てくる。関連サイトも星の数ほど。さすがに全てを閲覧するのは難しく、「和婚」という言葉の初出を求めるのは容易ではない。でも流れでみてみると、どうやら「和婚」という言葉が出始めたのは2004年前後。どうりで巫女バイトをしていたころ(2002年まで)は聞いたこともなかったはずだ。
 そして気になるスタイルの詳細はというと、必ずしも神前式とは限らないようだ。日本の伝統を重んじる、という意味での「和」で、大正天皇(当時は皇太子)の結婚式以降に普及した神前式はもとより、それ以前の一般的な挙式スタイルであった人前式も対象となっている。
 人前式。確か90年代から良く聞こえるようになったと把握しているが、私の記憶にある人前式は「伝統を重んじる」というよりも「キリストや神様ではなく親しい人々に愛を誓うあり方」としての挙式スタイルだ。一般にウェディングドレス型だったと記憶している。そのまま披露宴会場にもなる洋式施設で、新郎・新婦は洋装に身を包み、テーブルに置かれた誓約書にサインを交わす。立会人は書類にサインしたり、拍手したりとさまざまな方法で結婚の承認をする。しかし「和婚」の場合は、同じ挙式スタイルでも「宗教的なこだわりのなさ」ではなく「日本の伝統」を前面に出してアピールする。衣装が洋装から和装にひっくり返っただけでそうなってしまうのは面白い。確かに人前式の洋装を和装にし、テーブル席の会場を座敷に変えただけで、時代劇に良く出てくる武士の祝言の出来上がりだ。
 なるほど人前式をも対象としているとすると謎が解ける。最近お馴染みになってきた人前式は洋装のイメージだけど、和装でもできるよ、しかもそれって日本の伝統に即しているよ、という流れで持っていってるのか。とすると伝統への回帰というよりは古さを匂わせながらも全く新しい方法の提案と考えられる。挙式スタイルのアウフヘーベンは「和婚」によって成就されるとでも言うべきか。…自分で言っておきながら、「なんか違う」と思うが。

 さて本当に流行っているのか、という面に関しては、これまた「ゼクシィ」の調査資料がある。読者に対して行い、2007年10月にまとめられた資料によると、首都圏にて06年に行った挙式形式の一番人気はキリスト教式で68.7パーセント。人前式は14.2パーセント、神前式は14.9パーセント。一番新しい07年のデータは(ただし3月までの3か月間)キリスト教式69.8パーセント、人前式15.3パーセント、神前式12.4パーセント。ちなみに04年はどうか。キリスト教式74.2パーセント、人前式15.2パーセント、神前式8.2パーセント。地味に追い上げてきているといえるのかどうか。いずれにせよ、キリスト教式人気はまだまだ健在。
 ただ、この数値では「今」流行っているのかどうかが、実はわからない。実際に挙式として目立ち始めるのはブームが来ておよそ6か月後から。そう、式場予約から成婚まではじつに半年の歳月が流れるのである。さらに神前式で話題を呼んだ藤原紀香の結婚式が2006年12月。それに触発された花嫁たちの結婚式は2007年6月以降。結婚式場に直接取材しに行ってみようか。とりあえず今度結婚する3組の友人カップルがどんなふうに挙式するのか見てみよう。本当に身の回りが結婚ラッシュである。そんな年頃なのか。ちなみに誰も関心を持たないだろうが私自身はたぶん結婚をしない。第一に面倒だから。第二に苗字が変わるのが嫌だから。私の本名は左右対称でデザインとしてとても美しいのだ。(小松朗子)

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2008年3月 9日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第10回 和婚主義!(前編)

 すっかり忘れていたが、この連載のタイトルは「冠婚葬祭」ビジネスへの視線、である。ということは、葬儀のことばかり扱っていてはいけないのだ。たまには「冠」「婚」「祭」のことも扱わなければ。しかし「冠」と「祭」でビジネスを語るというのもなかなか難しい。今回は「婚」で我慢してほしい。
 というわけで「婚」。昔、巫女バイトやドリンクサービスの手伝いは山ほどしたことがあるけれど今の事情はとんとわからない。基礎から攻めてみよう! ということで、買いましたよ「ゼクシイ」リクルート社より。これが発刊されてから結婚式の事情が変わってきたのだと100万回くらい聞かされたものです。「自分たちらしい結婚」を模索するようになったカップル(主に花嫁)が、結婚式場を、披露宴会場を飛び出し、チャペルへレストランへ海外へ家へ(ハウスウェディング…)乗り出した、と。
 噂の「ゼクシイ」はとある知り合いが毎号買っていたためけっこう馴染みがある。が、結婚情報誌って毎号買うものか? どんだけ結婚したいんだよ…と今更ながらしみじみ思う。30歳の誕生日に入籍した知り合いを思い出しながら、しみじみ思う。
 そして3300グラム。この数字を聞いて、雑誌の重さだと即答できる人はそうそういまい。「ゼクシイ」首都圏版4月号の重量である。確か専用布袋のついている号もあったはず、付録としてではなく書店用としてだが。しかし今回はついていないようで、めったにいただくことのない二重紙袋にそっと入れてもらった。500円の買い物なのに大仰なことだ。これを持ち歩いて新生児の重さを覚えろという一石二鳥のたくらみなのだろうか。…自分で書いておきながらまったく意味がわからない。手のひらに食い込む重さへの怒りで我を忘れてしまった。失敬。

 久々に読むなあ、と思いつつページをめくる。記事の中身はまったくかわり映えしない。「結婚準備最速スケジュール」、「結婚の思いがけない出費37」、「披露宴BGMベスト30」などなど。かわり映えしないでなぜ許されるのかというと、当然のことながら継続して購入する読者というのを念頭には置いていないからだ。先述の知り合いのように一部例外もいるが、基本的には学研における学年雑誌のような立ち位置である。そんなマンネリの中、流行が垣間見られるシーンがちらほら。神前式、もしくは和装の写真が多い。「和婚」という言葉は薄く聞いたことがあった。日本の伝統を大事にし、和装、もしくは神社で、または親族同士で和気藹々と結婚式をするスタイルのことだったと思う。しかし、和式での結婚スタイルは本当に今、ブームなのだろうか?

 私は1998年から2002年までの4年間、結婚式場の巫女バイトをしていた。あくまで祝祭日の場合だが、98年には1日8件あった神前式の施行は、02年には1日2件になってしまっていた。チャペル式に完全白旗を揚げたのである。それがわずか5、6年で再燃するとは思えない。最も色あせやすいであろうファッションのブームだって20年かそこらの周期である。はて、今まさにじわじわ火がついているところのか、はたまた大ブームなのか、雑誌が騒いでいるだけなのか。
 実際のところをできる限りこの目で確かめたい。ので、もう一週待ってくださいませ。(小松朗子)

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2008年3月 2日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第9回 エコロジック棺桶

 エコロジックな棺桶、その名も「エコフィン」。従来の棺に比べ、環境にやさしいとされる。どのように優しいのか。
 関連サイト「エコフィン[ノア]http://www.ecoffin.jp/index.htmlによると、
■1トンの木材から54本の棺が製作できる
従来の合板製棺なら36本のところであるから、比較して150%の有効活用。

■燃焼時のエネルギー減
合板製棺の50%の燃料で燃焼させることが可能らしい。

■燃焼時に発生する有害物質を低減
接着剤に天然樹脂などを配合することで、燃焼時のNox 、SO2、COの排出量が1/3以下に。

■使用した森林資源分を植林
売上金の一部を植林活動に充てている。

 と、まさにエコロジーな逸品。肝心の見た目も普通の布棺とまったく変わらない、至って普通。
http://www.ecoffin.jp/catalog.html
 なるほど中身はダンボール的なつくりになっている。合板製と比べるとはるかに軽いのではないか。これなら一人でらくらく運べるだろう。見苦しさから一人で運ぶことはタブー視されているけれど。

 この棺桶を導入する側の気持ちになってみる。

 うーん、これって結構高いんだろうなあ。なんといっても日本製だしなあ(出回っている棺の大部分は中国製)。でもすぐに補充できるメリットはあるか……保存性はどうなっているんだろう? 何ヶ月か放っておいたら劣化してた、という可能性が無きにしも非ず。それに体液漏れしたときに、ダンボールだと外に染み出してしまうのではないか……

 もやもやと悩んだ末に、私が事業主だったらたぶん導入しないだろう、といえる。原因は耐久性の不安定さ。万が一のことって、あってからでは何の言い訳も立たないものです。
(小松朗子)

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2008年2月24日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第8回 大海原を行く遺骨

 世間は墓地不足らしい。今もそうだし、高齢化の進む将来はもっとそうらしい。不足するともちろん、値段だって上がってしまう。948万円という価格が墓ではなく「墓地」のものである、という話だから驚きだ。ちなみに青山霊園の一等地の価格、永代使用料のみ。サイト「ついのすみか」より。
http://www.tsuino-sumika.net/result/cemetery_006.html
 もちろん墓地があるだけでは遺骨は埋められない。当たり前だが墓地には墓が要る。どんなに見栄えのしない墓石でも数十万円はする。墓地とあわせて一千万軽く飛んでしまう「ついのすみか」。一般人には手の届かない価格だが、青山霊園でなくとも都内で墓地から購入しようとすれば数百万円は簡単にかかってしまう。少なくともロスジェネの私にそんな金は払えない。親孝行をしたいとは思っても生きている自分たちが不幸になってはしょうがない。そんなとき、いい考え方があるじゃないか。「自然葬」があるじゃないか。

 NPO法人「葬送の自由をすすめる会」は発足して18年目、NPO法人になって7年目の「自然葬」を運営する団体だ。この団体で行う「自然葬」は海や山への散骨である。とくに毎年4回観音崎沖で行われる特別合同葬は有名だ。遊覧船に乗って沖まで波に揺られ、粉状になった遺骨をそっと海に還す。「葬送の自由をすすめる会」で自然葬を行うとすると、一番高い見込み額で23万円程度(年会費を除く)。NPO法人なのだから破格なのは当然だが、他の団体や葬儀社に頼んだとて墓地&墓石購入よりは安く済むだろう。
 しかし、ここで大きなカベが立ちはだかる。法律ではない。法律はクリアされている。もちろん土地の管理者の許可などが必要だが、自力でやる必要はない。むしろ散骨自体が「故人の遺志」であるかどうか、という問題である。まさか「親父が死んだら海に撒いていいか」と言い出すわけにいくまい。ましてや何も言わないまま逝かれてしまったらどうか。いくら墓地がない、資金もないと言っても散骨を選ぶのは至難の技である。だからこそ「死んだら自然に還るという考え方が、本来の日本人のあり方だから」といったもっともらしい理由が必要になるのだろうが、それでもさらに大きなカベが待ち構えている。それは「故人の遺志で」散骨を選んだ遺族にも共通に立ちはだかる問題だ。散骨するには骨を砕いて持参しなければならない。そりゃそうだ、そのまま撒いてしまったら何だか凄惨だ。米粒大ほどまで砕くのがマナーだそうだがなかなか勇気の要る行動である。
 代行してくれる業者もいるようだが、親の骨を他人に預けて細かくしてもらうというのもけっこう感情に響く。

 「自然葬」の希望も残さないままに亡くなった身内の骨を、木っ端微塵に砕けるだろうか?

 だからこそ墓地も買えず、海にも撒けないでずっと自宅の片隅に遺骨を置いている家が、たくさんある。
 今、「自分の」弔い方について、それぞれが考えなければならない局面にきているといえる。
(小松朗子)

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2008年2月17日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第7回 大海原を行く火葬船

 世間は火葬場不足らしい。今もそうだし、高齢化の進む将来はもっとそうらしい。町に一つしかない火葬場の予定のなさに羨望のまなざしを向けながら片田舎の葬儀屋で働いていたからピンとこないのだが、都市部は大変深刻な状況のようなのだ。関係者から聞いたところによると、火葬場が空かず、遺体安置室で一週間冷蔵しておくことなどザラだとか。新築するにしても、近隣住民から当然のごとく反対の声が上がる。そもそも都市部に人が集まりすぎなのでは、どうせクルマ移動なのだから火葬だけ田舎でやることにして地方に金を落としていってくれればよいものを、などと考えるのは私だけだろうか。

 それはさておき、火葬場不足から出てきた「火葬船」構想。寺院コンサルタントを行っている日本テンプルヴァン株式会社の代表、井上文夫氏がかねてから提唱してきたプロジェクトが動き出している。1月27日付の日経ネットによると、国土交通省のOBらが実現に向けて検討を重ねているとのこと。カーフェリーを利用し、葬儀から火葬までを一気にこなせる施設を内蔵するという。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080128AT1G2601M27012008.html

 構想自体は面白いのだが、クリアしなければならない問題が多々ありそう。結構難航するのではあるまいか。陥りそうな状況を思いつくままにざっと挙げていくと、

■こんどは漁業団体の反対に遭う
「どこから、そしてどこまで出航するか」をまず決定しなければならない。フェリーは現行のものを再利用するとして、出航場所は新たに作るのか。出航しやすい場所とはもちろん今現在有効に使われている場所でもあるだろう。出航場所に反対団体、そして「じゃあこのへんで」と火葬を始める場所にも「ここじゃ俺たちが魚採ってんだ」と反対団体では、陸地につくるときの倍は疲れてしまう。かといって何の心配もない大海原に乗り出すというのも遺族心情としてはなんとなく不安だろう。さらに葬儀自体が簡素化される傾向にある現在、遠い海岸線まで連れて行かれさらに遠くまで船に揺られて火葬しに行くという選択を、果たしてどれだけの遺族がするであろう。

■フェリー代が高くて一部の人しか使えない
仮にも航海用の乗り物を一台貸しきるのだから、いくらか自治体が負担してくれるとしても陸地で斎場を使用するよりはかなり高額になってしまうことが考えられる。それとも通常の斎場のように一日六回転するとでもいうのだろうか。海の上で。他人の火葬がなされる中、船の上で一日中逃げも隠れもできない遺族の精神状態が心配だ。

■住職が船酔い体質だ
「私は火葬船はちょっと…」と言っただけで営業の幅が狭まってしまうというのは、檀家不足に悩む昨今の住職にとって致命的だ。

■遺族が船酔い体質だ
もちろん、女性は喪服など着ていられない。ただでさえ胴回りが苦しい帯にやられて一発アウトだろう。

■大シケで葬儀が出せない
「海が荒れているので葬儀は延期です」という奇妙な事態が発生する。そして結局、海が凪ぐまで遺体安置室に収容される。

■一族郎党がご遺体と化す危険性がある
海難事故が起こりうる。船が激しく揺れれば火葬炉の事故も起こりうる。火事と水難の二つの危険を抱えるわけで、葬儀を出して死に至るとはお悔やみの言葉も見当たらない。

「安全性などの問題をクリアして、3月までに結論を出す方針だ」(リンク先記事より)とのことだが、どうクリアするか注目どころである。
(小松朗子)

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火葬船構想に思うこと

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2008年2月10日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第6回 仏教葬儀屋―仏教家族葬の会

 第1回で「僧侶派遣」について書いた。僧侶派遣とは、葬儀や法要の際に僧侶や寺院を宗派・予算にあわせて紹介し、菩提寺のない方でも一般的な仏式葬儀・法要ができるよう場と人材をととのえるものだ。そして「葬式といえば、仏式」と当たり前のように信じて止まない、通常は葬儀そのものに関心のない日本人の心理があるからこそ成り立つ業界だと述べた。僧侶派遣が流行すると、葬儀社に対する寺院や僧侶の下請化が進んでしまうと危惧する向きもあるのだが、僧侶派遣の叛流とも呼べるグループがある。愛知県で発足した「仏教家族葬の会」がそれだ。今月号「寺門興隆」(興山社)に詳しい記事がある。以下、抜粋すると

人々が注目したのは、次の二点だった。まず、この会のお葬式は、お寺の本堂を使って二十人ほどの小規模葬儀(家族葬)を行うことだ。(中略)二点目が、お布施の額を明示した葬儀料の公開。"お布施込みで最低五十万円からの葬儀を引き受けます"と、お寺自らが告知したことなのだ。
(「寺門興隆」08年2月号,p.29,興山社)

とある。僧侶派遣のように葬儀社が宗教者をホールや自宅へ派遣するのではなく、あくまでも寺院のグループが主体となって取り仕切り、お寺(葬儀式場)ごと貸し出しますよ、というセールスなのである。ここには僧侶派遣に見られるような葬祭業者の主導的介在はない。とすれば、「棺さえ準備してくれれば、あとはおれたちがやるから」の世界、なのか?

 死者を弔うことよりも寧ろ遺族の頭を悩ませるのは、お客様をスムーズにおもてなしすることである。そのことでアタマがいっぱいで弔う気持ちが失せてしまう遺族が星の数ほどいる。宗教者はそんなところまでフォローできない。というか、彼らの仕事の範疇ではない。血眼になりながら香典返しの数を数えたり、汗だくになりながら精進寿司の追加に奔走したりする僧侶を私は見たことがないし、見たくない。しかしこの会ではそれをするというのだ。窓口はすべて「仏教家族葬の会」。仏教に特化した寺院主体の葬儀社と考えればよい。実情は細々とした手配に関しては葬儀社にアウトソースすると考えても、寺院主導なのは間違いなく、僧侶派遣とは逆の立場になるわけだ。
 すると「お坊さんがお葬式をする」という、一見フツーに見えて今までありえなかった状況が成立する。
 今まで、お坊さんが主体となってお葬式をするということはなかっただろうと思われる。なぜなら宗教者は儀式の主役であり、主役は出番がくるまではただ奥で控えているだけであり、儀式以外の煩雑な事柄は全部葬儀社やら隣組のおじさんやらが取り仕切ってまとめてきたからだ。
 「お坊さんがお葬式をする」という事態は、主演女優が映画監督もこなしているようなもんである。まあ、助監督(葬儀社)のほうが実際に仕事をしているのだとしても。

 なんにせよこの流れが全国に伝わってきたら、葬儀の仏教化は僧侶派遣が流行するよりもずっと確実に、そして深く進む。「葬式は葬儀屋に頼むもの」という認識が、「葬式はお坊さんに頼むもの」という認識に変わるのは矢のごとくに早いだろう。
(小松朗子)

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2008年2月 3日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線 第5回/公益社に見る葬祭業の複合性(後編)

 先回、「葬祭の副次的ビジネスにおいて一番有望なのはイベント業界への進出だろう」と書いた。花屋、花輪屋、石材業、食品(仕出)、運送(貸バス)と周辺分野は様々あるが、一番成功しやすいのはきっとイベント装飾、もしくはイベントコンサルタントだろう。
 あまり意識したことがある人はいないだろうけれど、葬儀はイベントである。宗教的要素が絡んだり決まりごとが多かったりと様々な縛りで隠されてはいるが、結婚式やコンサートや演劇やコミケとなんら変わりない、イベントの一種にすぎない。とくに「冠婚葬祭事業」と一からげに言われるように結婚式とは業務内容が接近していて、婚礼部・典礼部間の異動は、多くの互助会組織では日常茶飯事のことだろう。
 ちなみに婚礼(典礼)施行発生から本番までの流れは次のようになる。

婚礼(葬儀)日程決定→見積→招待(知らせ)→装飾・料理・引物決定→式場設営→司会打合せ→本番

 以上を婚礼担当者は半年掛りで段取りする。葬儀担当者は2日で全てを終わらせる。時間があるからこそ婚礼の仕事はより煩雑になってくるが、基本事項は同じ。
 2日で数百人規模のイベントの手配をすっかり終了させてしまうネットワークを持っている業界なんて、葬儀業界以外に考えられるだろうか? しかも失敗は基本的に許されていない。よって細かいところまで手抜かりはなし。まさに任せて安心だ。

 段取りが良くても、肝心の本番の中身はどうなのかという意見もあるだろう。葬儀とは違う、華やかな演出を迫られる場合が多々あると考えられるからだ。しかし、学生時代に舞台をやっていた私は、葬儀会場の設営に初めて携わったときに直感した。
 「僧侶のコンサート会場を準備しているのだ」と。
 僧侶にとっては楽器である仏具を用意し(木魚はリズムを担当しており、リンは音頭と各種合図に使われる)、マイクを据えて音量を調節する。スポットをあわせる。客や僧侶柩の動線を確保する。案内看板を出す。「あそこの住職は声がでかいからこのくらいの音で」「背が高い人だからもっとマイクを高く」、または「ああ、明日は声のいいあの住職のお経が久々に聴ける」などという会話が繰り広げられるのを見るにつけ、「ああ、ここはコンサート会場なのだな」と思っていた。

 さらに進行に関して言えば、例えばジャリズムのかなり前のコントに「葬式DJ」がある。葬儀の司会者がDJだったらという想定のもとで行われるコントで、喪主を「今日の僕のパートナーは…」と紹介したり、「それでは本日のスペシャルライブとまいりましょう、お坊さんで曲はもちろん、OKYO!」「さあ、いよいよみなさんお待ちかね、焼香ターイム!」と激しいが、そんなに間違ってない。というか、大体あってる。そのテンションを極力ローに徹すれば、DJはそのまま葬儀司会者になってしまう。実際、司会席には照明盤が併設されていて、大きい会場では10数本ものバーを巧みに動かしながら照明調節を行わなければな
らない。導師入堂時は花道だけを照らし、着席したら祭壇前を照らし、焼香の時間には客席の明りを全開にする、喪主挨拶時にはスポット…というように。さらに音響設備も司会席まわりにあるのが一般的だ。喪主挨拶のクライマックスに流す思い出の曲、弔電披露の際のBGM、客入れ客出しの音楽と、沢山ある音響効果を絶妙のタイミングで入れることを要求される。時にはマイクで進行しながら、お辞儀をしながら。まさにDJだ。
 以上のような段取りと会場設営を、葬祭ディレクターは死に物狂いで2日で終わらせ、しかも3日目には自ら司会者として進行にあたる場合が多く、それを月に平均8回は繰りかえす。
 このような熟練のイベント担当者が、他業界に果たしているだろうか。
 金を出してでもそのノウハウが欲しい、あるいはその人そのものが欲しいと言う広報担当者は、どの業界にもいそうだ。
 さらに葬儀ディレクターは一般的に寿命が短い。多忙すぎて辞めてしまうのである。しかしイベント担当者としての腕は大変もったいない。だったら葬儀以外のイベント部門を設けてそこに異動してもらえば、企業として人材を失うこともない上に個人の転職不安も解消されるのではないだろうか。
 というわけで葬祭業の更なるイベント業界進出を期待します。そして私を雇ってください。(小松朗子)

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2008年1月27日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線 第4回/公益社に見る葬祭業の複合性(前編)

 燦(さん)ホールディングスという企業体をご存知だろうか。「聞いたことないなあ」という方も、きっと「公益社」ならなんとなく知っているだろう。燦ホールディングスは、大手葬祭会社「公益社」を母体として生まれた持株会社で、グループには葬祭関連の企業がずらりと並ぶ。母体となって今は子会社の公益社を含めて9社。ざっと紹介すると、

関西自動車株式会社…霊柩車や送迎バスのレンタル
株式会社デフィ…生花・料理販売、イベント装飾
エクセル・スタッフ・サービス株式会社…清掃や警備などサービス関連の人材派遣
株式会社東京公益社…セレモニースタッフ派遣

その他、「公益社」とは別名になるが地方支社と思われる葬祭会社、公益社のみに向けてサービス提供する下請け的な役割を持つ物流会社、同じく下請け的な仏具・墓石の販売会社がある。
上に具体的に上げた4つは、葬祭のフィールドを飛び出して事業展開をしているだろうと思われる会社だ。
 送迎バスはなにも葬儀だけに使うものではない。法要、イベント、観光ツアーなど用途は様々だし、花屋だって料理屋だって葬儀の場に縛られなくて当然だ。もちろん墓石屋も、ひろく石材業者として展開するのであれば同様だろう。
 葬祭業は、様々な業種への展開が可能な複合企業体なのである。
 では、一番期待が持てそうな副産物的産業は何か。

 鎌倉新書が発行している月刊「仏事」平成20年新年号の記事によると、燦ホールディングス株式会社の小西幸治代表取締役社長は、これからの事業展開について以下のように話している。

「…伝承された技術やノウハウと関連のない分野には進出しないというのが当社の基本方針であり、現在の事業の延長分野にしか進出しない考えである。…(中略)…介護ビジネスや教育ビジネスなど、いろいろと考えられるが、そういった新しいポケットを早めに見つけていきたい。」(「仏事」2008年1月号、p.30)

 なるほど「葬儀」という人の悲しみをケアサポートする事業から「介護」「教育」とつながったのかもしれない。確かに「トータルライフサポート」を企業理念に掲げる同社としては、こういった発想になるのだろう。しかし、葬儀の現場というのはむしろ福祉や教育からは遠い。日常的に接点がない。理念からはつながるが延長分野かと言われると話が違う。
 では確実に延長線上にあり、これから伸びそうな分野はなんだろうか。
 それは誰がなんと言ってもイベント分野だろう。
 上で紹介したように、燦ホールディングスはイベント関連業もやっているようだが、この分野が一番面白く展開できるのではないか。
 どうしてそう考えるかは、書き出すと長くなってしまうようなのでまた来週。(小松朗子)

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2008年1月20日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線 第3回/葬儀費用はどこまで控除の対象となるか

 先週、葬儀の費用について少々触れたので、ビジネス路線からはちょっと外れるが今回は葬儀費用と税金についてチラッと紹介したい。もうすぐ確定申告の季節になるし。もちろん専門家ではないので参考程度にしていただきたい。
 確定申告では医療費控除、寡婦控除、障害者控除など福祉の目線に立って様々なものが控除の対象となっているが、では葬儀費用は控除対象になるのかというと残念ながらならない。でもくじけてはいけない。確定申告では無視されるが、企業の介入しない個人葬であれば相続財産に関する手続きの際に控除対象となるからだ。相続税申告の対象者となりそうな方々のために、せっかくなのでよりサイフに負担とならない葬儀の方法を資料を絡めて考えてみたい。

 国税庁の発行する相続税基本通達第13条には以下のようにある。

13-4 法第13条第1項の規定により葬式費用として控除する金額は、次に掲げる金額の範囲内のものとする。(昭57直資2-177改正)
(1)葬式若しくは葬送に際し、又はこれらの前において、埋葬、火葬、納骨又は遺がい若しくは遺骨の回送その他に要した費用(仮葬式と本葬式とを行うものにあっては、その両者の費用)
(2)葬式に際し、施与した金品で、被相続人の職業、財産その他の事情に照らして相当程度と認められるものに要した費用
(3)(1)又は(2)に掲げるもののほか、葬式の前後に生じた出費で通常葬式に伴うものと認められるもの
(4)死体の捜索又は死体若しくは遺骨の運搬に要した費用

→通夜から葬儀まで一連の儀式をするにあたり伴った費用は、妥当な金額なら控除の対象となる。お布施もまた然り。導師を前にして「領収書ください」とは言いにくいかもしれないが。

(葬式費用でないもの)
13-5 次に掲げるような費用は、葬式費用として取り扱わないものとする。(昭和57直資2-177改正)
(1)香典返戻費用
(2)墓碑及び墓地の買入費並びに墓地の借入料
(3)法会に要する費用
(4)医学上又は裁判上の特別の処置に要した費用

→香典返しの費用は対象外。これは香典そのものが財産や所得として非課税であることにつながる。墓や四九日法要といった、一連の儀式から外れた出費も対象外。そのかわりといっては変だが墓所は非課税だ。

 とかく遺された者が負担するイメージのある葬式だが負担は労力のみにとどめておきたい。そのためには精進落としの際に追加で買ったビールの領収書までもかき集めておくのだ。もちろん領収書は相続人の名前で貰っておく。ただでさえバカ高いイメージのある相続税、引けるものは引いておこう。
 上の条項を踏まえると、葬儀をするにあたって一番痛いのは香典返戻費用ということになる。しかし香典返しというのは半返しが基本である。持ち出しはないものとすれば、人をたくさん呼べば呼んだ分だけ負担が軽くなるのだ。これは税金うんぬんを抜きにしても言えることである。最近は人を招ぶ気苦労を味わいたくない、無駄な出費を少なくしたいという思考から家族葬がブームだが、出費の少ない家族葬はもちろん入ってくるものも少ない。極力赤を出したくないのなら人をドカンと招ぶべきだ。「黒は黒字」を地で行こう。(小松朗子)

(参考資料:国税庁ホームページ内)
http://www.nta.go.jp/shiraberu/ippanjoho/pamph/gensen/aramashi2007/mokuji/02/01.htm
http://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kihon/sisan/sozoku/02/03.htm#a-13_4
http://www.nta.go.jp/taxanswer/sozoku/4108.htm
http://www.nta.go.jp/shiraberu/ippanjoho/pamph/sozoku/shikata-sozoku2007/all.pdf

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2008年1月13日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線 第2回/葬祭ディレクターの人件費

片平なぎさ主演のサスペンスドラマに「赤い霊柩車シリーズ」がある。登場人物が葬儀社勤務で、「葬祭ディレクター」という職業が一般に知られることになったドラマと記憶している。
「葬祭ディレクター」は厚生労働省が認可する公的資格である。難易度により2級と1級に分かれている。試験監督は各地域にある葬儀社の有資格者がつとめるため、試験日になると社員は受験、管理職は監督で事務所がガラ空きにという事態もままある。そんな様子だから試験会場はとてもアットホームだ。試験内容は学科(葬儀にまつわる歴史、法律、宗教など)・実技(幕張り装飾、司会)・接遇(試験監督が遺族を演じて受験者の対処法をみる)に分かれ、個人葬のプロとしての2級は2年以上、社葬まで含めたプロとしての1級は5年以上の実務経験が必要だ。
有資格者になれば写真つきのIDカードが配布され、それを胸につけて仕事をすることが許される。葬儀社によっては資格を得ることで手当てを支給するところもあるようだが、国家資格でも必須資格でもないため、資格を取ることが著しく効力を発揮する場面はない。せいぜい胸元のカードを見たご遺族の安心度がちょっと増すくらいだ。
そんな葬祭ディレクターの人件費について今回はご紹介したい。

葬儀の一切を取り仕切るのが葬祭ディレクターの仕事だが、明確に業務をバラして項目ごとに役務提供料金を請求する葬儀社がある。こんなふうに書くと全てオプションオプションで営業していくぼったくり業者のようだが、むしろ逆で葬儀の中身を明らかにしてくれる制度と思う。
インターネットで見てみたところ、とある業者のホームページでは

・24時間電話対応と遺体搬送(車、運転者については別料金)
・訃報・香典返し・料理手配などのコンサルティング
・火葬許可証取得
・儀式進行

以上の4つに分けて、それぞれの役務執行に関して料金を設定している。ちなみに以上の4つを全て手配すると、親族だけの小さな葬儀でも33万円ほどになる。
う、う~ん!!
ちなみに私の勤めていた葬儀社では、葬儀担当者の人件費として請求書に載るのが「役務代行費」4万円。上の4つはもちろんのこと、宗教者へのお届物や供物のお買物も含め「葬式が始まるまで何でも屋としてコイツを自由に使ってください」という意味での4万円。まあ、何をやってもやらなくても担当者一人につき4万円だから、厳密に比べることは出来ないけれども。
しかも「代行費」という言葉が示すとおり、やる気になればこの業務は遺族や親戚でできてしまうものなのである。もし自力で上記の4つをやろうとするならば、次のようになる。
・遺体搬送…死亡診断書を握り締めた故人の関係者が乗っているという条件で、営利目的でなければどんな車でも出来る。
・訃報・香典返し・料理手配…訃報時の文句はたいてい決まっているので、家にパソコンとプリンタがあれば葉書を購入し印刷するだけだ。但し葉書の種類は黒縁なのはもちろん、仏式なら菊花、キリスト教式なら百合のあしらいが必要になるので早めに用意しておきたい。香典返しは数と予算を確認してギフトセンターなどに相談。返品が可能なものにすることが肝心だ。料理も数と予算を見極めて仕出し屋へ。準備時間も考えると1日前には手配が必要だ。
・火葬許可証取得…必要事項を書いた死亡診断書と届出人の印鑑を自治体の役所に持参すれば近所のお手伝いさんでもできる。
・儀式進行…本気で誰でもできる。弔電は名前と順番を間違えないように、進行の仕方は菩提寺さんと相談すればバッチリだ。

経験者ゼロの葬儀で全てやるとなると難しいだろうが、多くの人が気分的に受け付けないであろう遺体搬送以外なら平気でクリアしてしまうこともある。とくにご近所助け合いの伝統がまだ残っているところでは、必ず葬儀番長的なおじさんがいて、司会まで難なくこなす。さすがに葉書の印刷はしないが、日程を書いたコピーを近所に配り歩く。地元御用達の仕出し屋や品物屋があり、訃報とあらばそこの主人が朝から飛んでくる。実際、近所のお手伝いさんに「あんたたちは棺と霊柩車だけ持ってきてくれればいいから」と言われたこともある。祭壇すら菩提寺から一式借りてくるのである。
本当に棺と霊柩車で済むのであれば、葬儀屋に支払う人件費は無料。
先に示した業者の葬祭ディレクターに全てお任せすれば人件費だけで33万円。
う~~ん!!
「葬祭ディレクター」という資格が、実際のところあまり効力を持たないのは当然なのであった。
代行業務という形態は司法書士などと変わらないが、じゃあ司法書士がいないからといって親戚のおっちゃんがしゃしゃり出てきて何かできるかというと何もできない(このさい親戚のおっちゃんが司法書士であるという可能性は措く)。
たいして葬祭ディレクターは、誰でもできるイベント的な業務を訓練によって抜かりなくやるだけの技能なんである。
そして「棺と霊柩車だけ」発言が示すとおり、本来葬儀は親族とご近所のものであった。
葬儀社がその役割を奪っていったのか、はたまたお駄賃と引き換えにみんながラクになりたかったのか。
どちらともいえないとは思うけれど、「葬祭ディレクター」がいないと葬儀ができなくなってしまいつつあるという事態は、なんだか残念だ。(小松朗子)

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2008年1月 6日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第1回 僧侶派遣のもたらすもの

 9月にドラマ「死化粧師」が始まってから毎日曜日に連載させていただいていた「死化粧師」を見る」も、ドラマの終了とともにその役目を終えた。これからは皆様に葬儀の実際を少し知っていただきたく、初回は最近話題の「僧侶派遣業」について書いてみたいと思う。

 僧侶派遣とは、葬儀や法要の際に僧侶や寺院を宗派・予算にあわせて紹介し、菩提寺のない方でも一般的な仏式葬儀・法要ができるよう場と人材をととのえるものだ。儀式を施行する僧侶とはその場限りでのお付き合いとなるため、葬儀後に檀家としてお付き合いをする必要がない。ただ、これが横行すれば寺院が葬儀屋の下請けと化してしまう恐れがあると、眉をひそめる向きもある。
 とある派遣業者のホームページを見ると、戒名が与えられず俗名で通夜葬儀一式を執り行うと20万円。戒名料は5万円からご相談。通夜のみ、告別式のみ、火葬場のみ、法事ではそれぞれ3万円。他の業者では火葬場にて葬儀を済ませる炉前葬儀も行っており、これが6万円。
 地域や宗派によってお布施の相場が違うので安いかどうかの判断は差し控えるが、かりに菩提寺がなく更に俗名葬儀で良いというならそもそも仏式で葬儀を執り行う必要性がどこにあるだろう。たぶんどこにもなく、「葬式と言えば仏式かと思って」なんとなく仏式葬儀をみんな選んでいるのではないだろうか。結婚するときは神様に永遠の愛を誓い、死んでいくときは仏様によろしくねと言うのが宗教にこだわりのない一般的な日本人のスタンダードである。僧侶派遣はそんな流れの中で自然に生まれたビジネスであろうが、これが全国に広まってゆき、日常に浸透すると「葬儀イコール仏式」という図式が日本人に完全に根付いてしまうかもしれない。それが良いとか悪いとか言っているのではない。ただ、不思議だな、と思うのだ。宗教を儀式のみもしくはそのもののように扱い、コードに変換してしまうというのは面白い性質だな、と思うのだ。

 かつてその宗教性というよりはファッション性によって結婚式のスタンダードは神式(実はこれも100年くらいの歴史しかないのだが)から教会式になった。まさか「子孫繁栄を氏神やイザナギに誓うよりも二人の愛を神様に誓ったほうがいい」と考えて教会式にすることはなかなかあるまい。大概はウェディングドレスを着たいから、お洒落な教会で式を挙げたいから、ということに依っているだろう。なおリクルート社「ゼクシィ」など婚礼雑誌の登場によって様々な挙式の種類、披露宴の方法が一般人にもたらされ、自分たちらしい結婚式の形を探すことが可能になった。披露宴で言えば少し前に流行したレストランウェディング、ハウスウェディング、ガーデンウェディング。挙式で言えば海外でのリーガルウェディング、教会でのブレッシング式など、いろいろありすぎて決めるときにかえってわずらわしいほどだ。
 葬儀にも婚礼と似通ったことが起こらないだろうか。
「今年こそ親父が逝きそうだから今月号の「フューヌ」(架空葬儀雑誌)を買って帰ろう」
「やっぱお葬式は海外で身内だけで、がいいよね」
 今はまだギャグにしか聞こえないけれど。(小松朗子)

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