冠婚葬祭ビジネスへの視線

2009年12月 6日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第36回 潜入! ペット火葬場

 「火葬場なんて、どこに頼んでもサービスは同じ」と思うだろうか?
 確かに、人間の火葬場であればある一定のサービスは受けられるかもしれない。
 しかし、発展途上のペット火葬場に限って言えば、そうとは言い切れない。

 最近、同じ区にあるペット火葬場三件を取材したり調査したが、人間の火葬場に感じる「金太郎飴」性は感じない。それぞれ個性が出ていた。

 まずA社。
 人間の火葬場の一角にあるペット火葬場。真新しく小ぎれいな印象で、職員さん方の応対も爽やかであった。「うごく火葬炉」の仕掛け(感動的に演出される)や、複雑になりがちな料金体系などをわかりやすく案内していただき、これならばお客さんの不安も取り除かれるだろうと納得した。さらに遺骨の扱いについて、ペット専用霊園や粉骨して作られるメモリアルグッズの紹介はあったが、あくまで紹介であってセールスはしない、提携しているところはないというのも好印象。送迎車の用意などがないのは残念だが、トータルサポートではなくあくまでペットの火葬のみを頼みたい、という飼い主さんには嬉しい火葬場であろう。

 次にB社。
 A社とは300メートル程度しか離れていない。こちらは炉ばかりではなく、霊園やお骨を収めるロッカーもある。霊園には塔婆がズラッと並び、回忌のたびにマメに供養がなされていることが垣間見られた。しかし、それは外側から見たときの話。見学させてくださいとお願いし、中に入ってみるとわかる乱雑さ。草ボーボーの墓があったり、苔で何も見えなくなっているものがあったり、塔婆がドミノ倒しになっていたり……。管理者にも責があるとはいえ、各墓所を掃除するのは遺族の仕事。ペットのお墓参りって、来なくなってしまうものなんだろうか。軒並み無縁仏のようで、ちょっと可哀相だった。奥にある巨大な合同墓地の香炉だけがもくもくとお線香の煙をあげていて、個別にお墓をもらった魂よりもよほど供養が行き届いているようで、矛盾を感じた。
 こちらはお骨を墓におさめるまでのロッカーが完備されているとのことで見学させていただいたが、う~ん微妙! 人間用のお骨ロッカーというと木目調の厳かなものが思い浮かぶが、ペットはみんな違うんだろうか……ズラッとならんだコインロッカーに、プールの更衣室か銭湯にいるような錯覚を覚えた。そして料金表がパンフレットに載っていない。ホームページにもない。説明を求めると案内してくれた。しかし値段表を配ることはしていない。変動する可能性があるから、というのが理由だが、世の中の商品はほとんどその可能性を孕んでいる。公開してほしいと心から思った。

次にC社。
 街中にあるペット火葬場&霊園である。ありがちな話だが、向かう途中には「ペット火葬場反対」の張り紙や垂れ幕が色んなところに貼ってあり物騒だ。取材を申し入れたが「間に合ってます」といわれる(広告を取りに来ているわけではないんだが)。住民と係争中では落ち着いて操業が出来ないだろう、と遠巻きに見ていたある日、ニュースを見て驚いた。なんと地裁から火葬炉の操業停止命令が出たという。匂いに対する住民のクレームがいざこざの発端だったというが、たとえ自治体から許可を得て建設したとしても、このような結果になるということ、思い知らされた。

同じ区内でこのような結果である。膨大なペット火葬場の中から、自分の要望にあったところを見つけるには、とにかく足を運んでみるのがよい。ネットでの情報は参考程度に、実際に見ることが肝心である。(小松)

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2009年9月 6日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第35回 ペット葬のあり方

 様々な事情により、今月から数回にかけてペットのお葬式事情を追っていきたい。
 ペットブームといわれて久しいが、波に乗った人はまだあってないに違いない、愛犬・愛猫の死に目には。考えたくもないだろう。
 しかし知っておくにこしたことはないのではないか。だって、ペットのお葬式には既にいろんな企業が入ってきており、常にごった返しの状態で、どんな送り方がいいのかなんて瞬時に判断するのは至難の業だから。

 自然派ならば、庭に埋めるのがいいだろう。自分の敷地内なら何を埋めても問題ない。しかし自分の家を持ち得ない人達は、何らかの手段で処理しなければならない。真っ先に思いつくのは保健所だ。もちろんゴミの日に出すという手もある。誰から責められるわけでもない。しかしペットに1ミリたりとも愛情を持っていなかったとしても、ちょっと気が引けるのではないか。
 引き取ってもらえない保健所もあるので、電話で確認してみよう。保健所に持っていくメリットは、まず費用が安いことだ。無料のところもあるが、重量に従って課金されるところが殆どだ。デメリットは、骨が戻ってくることが少ない点だ。他のペットと合同火葬されるからだ。お骨を供養したいという人には向かない。慰霊塔を持っていて、年に一度供養祭をしてくれるといった心配りの利く保健所もあるが、まれな方だろう。

 お骨をぜひ戻したいなら、民間のペット葬業者に頼む必要がある。
 一番手軽なのが、移動火葬車で荼毘に付してもらう形式だ。「移動火葬車ってなに?!」という人も、焼き芋屋を見たことくらいあるだろう。車の中で火が燃えてたって全然不思議じゃない。おうちまでペットを預かりに行き、近くで停車して火葬し、そのまま骨壺に納めて家に持ってきてくれる。マイカーがなく、ペットを連れて火葬場まで行けない都会人にお勧めだ。ただ、家の近くで停車して火葬するといっても、近隣住民に抵抗感を与えない場所を選ばなければならない。けっこう難しい問題だ。火葬とか死体とかに慣れきっている私でも移動火葬車に出会ったら気味が悪い。
 近所と不穏な関係になりたくないなら、火葬場に出向くのがいい。火葬場を持っているペット葬業者に頼むのだ。炉の前でのお別れがあるところが多いので、比較的ゆっくりと最後の時間を持つことができる。料金はやはりペットの重量によるが、1万円から10万円でやれてしまうところが殆どのようだ。移動火葬車も同程度。超大型犬だったら別だが、火葬のみなら、10万円を大きく上回るときは警戒した方がいい。嘘か誠か、火葬している間にどんどん値をつり上げていって「払わなかったら今すぐ炉から出すぞ」と脅す乱暴な業者もいるそうだ。つまり生焼けの状態で放り出すというのである。デマであることを祈る。

 悪徳業者にかからないようにするには、見積もりをもらっておくのが一番、というのは基本のキ。そんなの危篤になってからでも遅くないと思うだろうか。あなたは肉親の危篤や不幸以外で急に休みを取ることができる環境にあるだろうか。有給がどんなに余っていても、仕事が立て込んで「今は休むべきでない」という時期は幾らでもあるだろう。しかし、生命は待ってくれない。ペットが死にそうなので休みます、と言えなさそうな仕事を持っている人は、やはり事前に考えておきたい。

 さて、先ほど「1~10万円」といった。こちらは当然火葬のみの値段である。葬儀をするとなると、値段はピンキリのアイマイになってくる。宗派にこだわり、人間並みに送ってやりたいと思うのであれば、それなりのお金が必要だ。どんなスタイルで送るかによって、かかってくるお金が大幅に違うのがペット葬なのである。これから数回、ペット葬のスタイルについて記事をお送りする。(小松)

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2009年8月 2日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第34回 ベルコに注がれる大阪国税局の視線

 去る7月26日、冠婚葬祭業大手「ベルコ」が葬儀後の遺族に送っていたあいさつ状が、大阪国税局から「領収書」と認定され、印紙税の納付漏れを指摘されたことがわかった。

 ことの次第はこうだ。葬儀後、四十九日頃に同社は遺族にお礼の文面をしたためた「あいさつ状」を送付することにしている。文面の末尾には「○月○日付にて金○円を領収致しました」と、ご丁寧に書き記すのだが、これが領収書とみなされたのだ。過怠税額は約3000万円で、すでに納付済み。正規の領収書は別に発行しているとのことなので、単純に考えて必要な印紙税の2倍を支払ったことになる。

ただのうっかりミスに見えるが、しかしこのベルコ、過去に国税局がらみの問題を何度も起こしている。

●1999年→大阪国税局より、積立を中断している互助会会員の積立金を所得に計上していないとして、1997年3月までの3年間に計約33億円の申告漏れを指摘される
●2002年→上記と同じ理由で2000年3月までの3年間に計約28億円の申告漏れを指摘される
●2005年→上記と同じ理由で2003年3月までの3年間に計約31億円の申告漏れを指摘される

 「互助会会員」ってなに? と思う人もいるだろう。ベルコは冠婚葬祭互助会組織の業態をとる。葬儀にも結婚式にも使えるような、ひと月2~3000円程度の積立を互助会会員に行ってもらい、企業にもよるが7~10年で満期になると、セット料金で非会員よりもおトクに結婚式や葬儀が行えるという仕組みだ。積立途中で婚姻や死亡があった際でも、残金を納めれば会員価格で式をできることが多い。料金体系の中身は複雑で、不透明な印象を受ける人もいるだろうことは否めない。私も互助会出身だが、内容の理解にかなりの時間を要した。社員なのに。

 ベルコが大阪国税局から指摘を受けたのは、かなりの期間払い込みが途絶えた積立金を「預かり金」として計上し、非課税にしていたからだ。通産省は1980年に、5年以上のものについては「雑収入」として所得に計上し課税対象にするよう通達しているのだ。これに対してベルコは、保留会員でも長年経ってから利用する人もいるので計上できないとして争ったが、一回目の分については最高裁で敗訴。二回目は大阪高裁にて係争中、三回目については納税したうえで司法の判断を仰いでいる。

 払い込みが止まってしまって5年が経つ、というのは十分にありえる。自分のためにせっせと払っていたおばあちゃんが認知症になってしまった、本人は亡くなって遺族が互助会の存在を知らず違うところで式をしてしまった、すっかり忘れて転居した、等など。連絡がつかないものに関してはしょうがないのだ。解約を促したくてもできないのだから。しかし十分に予想できる事態を考慮せずに、途中で保留になった場合も施行発生までお金をあずかるという契約を交わしていることには疑問を感じてしまう。ただし結局は3回あわせて25億円分もの追徴課税を支払った。契約文面が意図的なものだったのかどうかは謎だ。

 そして2009年の今回も、なんだか風物詩のように未納国税を指摘されてしまったのだが、全く違う理由であるうえに未納額も2桁違う。今度は素直に納税したのか、それとも契約内容を変えたのか「預かり金」問題。そして一見マヌケに見える印紙税の納付漏れ。あいさつ状への金額記載は「サービスのつもりが……」と会社側は言っているようだが、うーん、領収書は発行済みなのに、わざわざお礼の文面にカネの話題を入れるって、それ自体が無粋では?

 葬儀社はリピーターとなってくれるお客様がつきづらい。そうそう何度も喪主になるものではないからだ。年賀状が出せない(その年にお世話になったお客様はみんな喪中だ)。暑中や寒中のあいさつもできない(遺族が嫌がるだろう)。だから四九日と一周忌くらいしか、あいさつのチャンスはない。有効に使いたいと思う気持ちはわからないでもないけれど、やっぱり引っかかる。払ってくれない遺族に請求をするのがメインで作られたあいさつ状なら、金額にまつわる文面が打ってあっても頷けるけれど。(小松)

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2009年7月 5日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第33回 最近の香典返しは、どうなっておるのか?

 香典返しの種類といえば、

●茶
●海苔
●乾物
●タオル

が主流だ。

上の4品の共通点を挙げると、
1、軽い(弔問客が持って帰るのによい)
2、賞味期間が長い、または食物ではない(返品がきく)
3、単価のバリエーションがある(値段に差をつけやすい)

 どれもお返しものに不可欠な適性だ。
 とくにタオルやシーツは近親者に贈られ、「かたみわけ」の意味合いが強い。遺品として代表的な反物になぞらえているからだ。しかしこのラインナップ、評判が悪いことも確かだ。「葬式のお茶はどれもまずい」とよく言われる。そんな先入観を覆すほどの美味いお茶が出れば別だろうが、きっとそんなものは出ない。

 なお、田舎になると香典返しの種類は一変する。

●酒
●砂糖

と、利便性よりも重いもの、かさばるものをお返しものとして重宝する傾向が現れてくる。

 ちなみに都市部では逆に、軽いもの、かさばらないものが重宝され、その究極例がカタログギフトだ。

 先だって行ったフューネラルビジネスフェアでは、カタログギフトの紹介も多かった。印象に残ったのが「沙羅」。2500円から50000円までバリエーションがあり、カタログのデザインも落ち着いている。仏事を醸す繊細な色合いだ。中身も比較的落ち着いたものが取り揃えられてあり、実用的なものももちろんあるがスタイリッシュなデザインだ。もちろんファミリー向けの品物もある。25000円のカタログには自転車まである(!)。反返しだとしても40000、いや50000円を香典として持っていかなければならないが。ごく近い親戚の葬儀に夫婦で参列したときくらいしかお目にかかれない額だ。でも香典持って行って自転車もらえるなんて、なんだかお得な気がしてしまう。もらうのが楽しみな香典返しなんて、滅多にない。

 他にも挨拶状サービスあり、喪中葉書サービスあり、送品サービスあり…カタログギフト業界は激戦区のもよう。そんななかでもデザインの面で一歩出ているように感じる「沙羅」。当日返しは地元のしきたりに倣っても、あと返しはこだわって、じっくり選んでみては。(小松)

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2009年6月30日 (火)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第32回 フューネラルビジネスフェア2009に行ってきた

 今年もフューネラルビジネスフェアの季節になった。といっても、一般の方々には何が何だかわからないに違いない。まず「フューネラル」という言葉がわからないに違いない。「ブライダル」は婚礼、「フューネラル」は典礼。そう、「フューネラルビジネスフェア」は、葬儀ビジネスの情報発信をする場だ。葬儀社との取引をこいねがって、祭壇屋・演出屋・衛生管理商品屋・遺影屋・骨壺屋などなどがPRする。今年は100を超える企業が一挙にパシフィコ横浜に集まった。

 6月25日の9:30、入り口に続々と向かっていくのは地味なスーツに身を包んだ男性たち。こんな時間に堂々と抜けてこれるのだから、きっと偉くて暇な人なんだろう。実務をやってるぺーぺーは26日、友引の日を選ぶだろうから。

 展示場に入って右側、一番最初に目に付く場所を陣取っていたのは意外にもアットアロマ。アロマ空間デザインに力を入れている会社だ。葬儀式場のデザインまでするということか。たしかに、安らいだ香りに包まれた式場はいいだろう。しかし線香の香りとの相性はどうなんだ? その辺を詳しくお聞きしたかったが、常にブースは満員でプレスの札を下げている私を相手にしている暇などなさげだった。きっとみんな同じギモンをぶつけているのであろう。

 その他、伝統的な祭壇や仏具、柩などの展示が続いたが、特に珍しかったのは棺に敷く畳。「故人を棺に納める際、薄い布団を敷くとはいえ板の上にお休みになっていただくのは少々気が引けますよね。これは本物のい草でできていますから、実際の畳の触感です」と、社員の方。
 たしかに気になってはいたのだ。故人を棺におろす際の、ゴツッとした感触。あれはなんとかならないだろうかと。なるほど畳を敷けば、少しは暖かみが出そうだ。でも、重くないんだろうか?

「細長い畳を二枚使っていただきますが、両方合わせて3キロほどです。炉に入れても残留物を出すことはなく、新潟の火葬場で実際に焼き、使用可の証明を頂きました」

 3キロというと重いと感じるかもしれないが、それに平均して60キロの人間が乗っかるのだ。持ち上げるときに極端に重さが変わるわけではない。

「棺の中に敷くだけではなく、和室式場の演出などでも使っていただいてます。畳の部屋でちょっとした段差を出したいときなどに便利です」

 畳の部屋での難点というと、私の方でも思い出したことがある。自宅葬の際だ。香炉の下の畳は、訪問客がうっかり線香を落としてしまうことがあるのでどうしても焦げ付く。初七日が終わると、座布団で始終隠していなければ格好が付かないほどになることもある。一段高い演出も出来て、本物の畳のカバーにもなるなら一石二鳥だ。これから重宝がられる商品になるだろうと思えた。

 他にも「おくりびと」から生まれた遺体専用化粧道具や(これが本当にオシャレで欲しくなってしまった)、静岡県警からも支持を受けたという遺体保全剤、トヨタ「レクサス」改造型の霊柩車など、葬儀業界は活発だ。出版はどうだ、と思うと暗い気持ちになってしまった。7月に行われる「東京国際ブックフェア」に期待したい。といっても、どうせ元気なのは携帯コミックとかデジタルパブリッシングなんだよな……(小松)

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2009年5月 3日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 天国でもおくりびと―『ワンダフルライフ』

 世の中はゴールデンウィークというものに突入したようだ。

 だからこちらも息抜きに番外編として、たまには映画でも見てみたいと思う。

 『ワンダフルライフ』(1999年日本、テレビマンユニオン)は、是枝裕和監督の2作目の映画だ。
 舞台は一見、さびれた病院のような施設。しかしそこは、あの世とこの世の境目であり、死者がまず訪れることになる建物だ。死者はそこで「生きている間、もっとも印象に残ったこと」を一つ選ぶことになる。その体験談を元にスタッフが一生懸命映像を作る。死者は映像を見ながら、思い出が頭に鮮明に思い浮かんだ瞬間、天に召されるのだ。
 スタッフはいわば天国の番人なのだが、特にファンタスティックな衣装を着ているわけではなく、謎の道具も使わない。普段着のお役人たちが集まっているような「職場」であるのが面白い。さらに死者たちも、格式ばって思い出を披露するといったふうでもない。一般人が入り混じっているからだ。おばあちゃんの茶飲み友達が話す遠い記憶を聞いているようなリアルさが、そこにはある。

 「生きている間、最も印象に残ったことは何ですか?」

 この問いに即答できる人はいるだろうか。
 個人的には地下鉄サリン事件や阪神大震災など多感な頃にニュースで見たようなことばかりが思い浮かぶのだが、なんと天国では、その思い出の一瞬を胸に抱きながらずっと過ごすのだという。強烈だったからといって不幸な思い出を選べば、天国でずっと不幸なままということになるのだ。

だからこそ、映画では

「あなたの大切な思い出を一つだけ選んでください」

という言い方になっている。

 鮮明に覚えていることが、そのまま大切な思い出であるという人は、なかなかいないのではないか。だからこそスタッフが誘導しながら死者一人ひとりの思い出を探っていくのだが、なかなか選べない人がやはり出てくる。そういった人々に思いを重ねながら、はて私ならどんな思い出を胸に旅立ちたいだろう? とゆっくり自問ができる優しい映画である。

 思い出を選んで3日間、それを元に映像をこしらえてもらう3日間、映像を見ながら永遠に旅立つ最後の一日。人生の最後に、こんな贅沢な一週間が用意されているとするならば、死ぬのもなかなか悪くない。

 私ならば、「母親にも名前があると気づいた瞬間」を選ぶかもしれない。あの驚きは、爽快だった。

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2009年2月28日 (土)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第31回 棺だけで自力葬、やってみようよ「おくりびと」(後編)

 「おくりびと」が外国語映画賞をとった。 以前感想をお伝えしたが、なかなか見る機会がない納棺夫の仕事、その美しい一挙手一頭足に感動した方も多いのではないだろうか。

 前回の続きだが、棺だけを注文して葬儀をするのであれば、当然遺体のケアは遺族達でやらなければならない。自らが「おくりびと」になるということだ。あんなキレイな動きはできないと思うけれど、いいじゃない、気持ちがこもっていれば。このたびは、遺体のケアと納棺方法についてお伝えしたい。

 遺体の搬送は遺族でやるぶんにはどんな車でも構わない(*料金をとるときのみ、いわゆる霊柩車や寝台車で運ばなければならない)。死亡診断書さえ同乗させればOKだ。肝臓など内臓疾患で亡くなったとき以外は、毛布にくるんでそっと運転すれば、近距離なら体液漏れの心配はない。不安ならペット用の吸水シートやオムツなどを敷いておくとよい。

 おうちに着いたら布団に寝かせる。硬直が始まる前に衣服をあらためるのが理想だが、自分で着せてみましょうとここで何回言ったところで、実行に移せる人はいないだろうし、心の余裕もないだろう。浴衣姿ならそのまま着物をかぶせてあげたり、少しでも着ている感じを出したければ背側を切って前から回してあげるとよい。そして手を組ませる。

 さて、遺体になってから容赦なく発生してくる「腐る」という問題。ドライアイスの販売を行っているところは各地にあるので、10キロずつ2回に分けて入手すれば2日は保つだろう。到着したら切り分けて(やけど注意、軍手でさわろう)脱脂綿などに包み、次のように配置する。

■首の付け根左右2カ所

■脇腹左右2カ所

■おなかの上1カ所

 血の巡りが盛んだったところ、内臓のあるところから腐敗が進むからだ。 このとき、肌に直接のせるとやはり火傷して黒ずんでしまうことがあるので、下着や浴衣など、一枚挟むとよい。なお、ドライアイスが来るまでは…う~ん、保冷剤などで一時はしのげるが、生ものを扱うお店などでドライアイスを分けていただければすごく助かる。

 心が少し落ち着いて故人の前にじっくり座れるようになったら、お顔を見てほしい。看護師さん達がエンゼルケアをしてくださっていると思うが、鼻の穴から脱脂綿が見えていたり、口が開いていたりしないだろうか。鼻の脱脂綿はピンセットを使って押し込めてみると、意外と奥の方まで隠せるはず。目が開いている場合はまぶたをあわせて何秒かじっとしていればある程度は閉じる。口が開いている場合はあごを持ち上げて、やはりそのまま何秒か支えているといいだろう。 ひげそり、お化粧などは生前やっていたとおりに行うのが自然だ。訪問客が生前の面影を見いだせるよう、本人らしいところは残してあげた方がいい。長い入院生活で頬がこけてしまっていたら、ピンセットで脱脂綿をふくませてあげると多少ふっくら感が出る。

 さて、棺以外はお世話にならない自由なお葬式だから、納棺を何時に誰とどんな宗派で行うかは人それぞれだろう。作法はさておき、遺体の扱い方で気をつけたいのは棺に移ってもらうとき。シーツごとの移動がスムーズだ。そして棺の下に台を置いておくのを忘れると、あとで持ち上げるのが困難になるので注意しよう。葬儀まで日が空くようだったら、納棺だけ早めに済ませてしまうのがいい。ドライアイスを入れれば天然の冷蔵室になるからだ。

 そして出棺時。経路を確保してからことにあたろう。柩は傾けず、常に平衡を保って移動させる。もちろん自分たちの車で構わない。中型のバンで十分だ。これで初級「おくりびと」。難しい亡くなり方をしていなければ、こんなケアで十分だ。(小松)

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2009年2月 1日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第30回 棺だけで自力葬(前編)

 人の入っていない状態を「棺」といい、人が入ると「柩」という。音は同じで字だけが違う。ただのデカい木箱という乱暴な言い方もできてしまうわけだけど、あなたも私もいつかはお世話になる代物だ。儀式をするかどうかは個人の自由。運ぶのも自分の車でよい。となれば火葬をする日本においては、棺こそが葬送において唯一必要最小限のものとも言える。どんなに節約葬儀をしても、棺だけは用意しなければならないのだ。今回は、棺のみを買う場合、どの程度の値段になるのかを紹介したいと思う。

 ただ、訂正点がひとつある。「葬送において、棺だけは必要不可欠である」との物言いをしたが、これが間違っている。火葬において、棺を使用しなければならないという決まりはない(各斎場において規制がある場合は別)。極端な話、布団にごろり横になった遺体を炉に入れることも可能なのだ。しかし、それを知ったからといって棺を使わない人がいるとは到底思えない。そんな勇気、私にもない。

 さて、本題だ。以前触れたように、中国産のものだと棺の原価は約8000円から9000円である(仕入れ個数などにもよる。私が以前いた職場だと、120個ずつ仕入れて9000円だった)。これが5倍から20倍の値に跳ね上がるのだが、白木で飾りのない一番シンプルな型なら60000円台~90000円台が相場。中には40000円台という代物もある。9000円で売ってくれるところもあると小耳に挟み、関係者に話を聞いたところ、「去年まではやってたんですけどね~、今はもうやってないんですよ」という対応だった。ある自治体の斎場だ。状況に応じて値段を変えるのではないかな、と、ふと思った。あくまで推測だが。40000円台だと完全に棺のみというところが多い。でもそれだけでは困るじゃないか。普通、布団をしいた棺に眠ってもらうじゃないか。その上にはまた布団をかけるじゃないか、そしてそうなるからには、枕も欲しいじゃないか。

 棺に敷く布団は薄い。枕はダンボール製である。稀に「ダンボールの枕なんかに寝せやがって」と逆上する遺族がいるが、あくまで燃えやすいように作ってある。これを棺とセットにすると、料金が1万円から2万円アップする。…これだけならいいのだが、なんとなく腑に落ちないのは、セットに例外なく白装束もついてくる点だ。仏衣、杖、手甲に脚絆など、要するに「あの世への旅路」に必要な身支度をするためのセットなのだが、もちろん仏式または神式でしか使わない。わざわざ棺のみを取り寄せる人が、古式にのっとった仏式葬儀をするとは思えず、蛇足のような気がしないでもない。オプションにしてしまえばいいのに。

 インターネットでも棺の販売はあり、シンプルな桐の八分棺から布張り、天然檜の5面彫刻まで百花繚乱。エコに反応してダンボール棺もある(木のものに比べて少し割高に感じる)。価格は本当にピンきりで、300万から400万、という代物もあるのだが、「入ったらすぐに燃やしてしまう」がキホンの日本ではなかなか売れない。飾り物のない桐の棺が主流である。儀式めいたものをしないぶん、棺だけは豪華にしてあげようという家族もいる。それは人それぞれだ。

 本当に「自分たちだけで葬儀をしたい」、そう思うのであれば、棺だけ取り寄せるのが最もよいといえる。しかしそこには落とし穴が。遺体は腐る、ということだ。遺体の取り扱いがわからずに、とりあえず葬儀屋に任せてしまうという弱気に陥らないためにも、遺体はどう扱ったら腐りにくいかということを知っておくのは損にあたらないと思う。ドライアイスや手続きのための副読本を不次と一緒に届けてくれるサービスもあるし、これからは新生児同様ご遺体も自分で扱う時代にしたい。次回は、遺体の衛生保全について基礎的な知識をちょっとご紹介したい。(小松)

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2009年1月 4日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 書評『わたしの葬儀』

4794976267  「旅立ち」をめぐる21のヒント、というサブタイトルがついた晶文社出版刊のこの本は、エッセイスト・山本ふみ子氏の優しい語り口が魅力である。遺言書、尊厳死、生前葬、遺影、散骨など「興味はあるがいざ調べようと思うとなかなか踏ん切りがつかないこと」諸々について、実際の経験や周囲の人びとの話を交えながら少しずつ掘り下げていく。

 どの章も女性らしいやわらかさに満ちている美しいエッセイだが、個人的にもっとも気になったのは「喪服」の話題である。社会人になりたての頃の著者は喪服を買いに行くが、先輩に「喪服としてできているんじゃない黒い服を買いましょうよ」とすすめられ、森英恵のスーツを求める。そして「今年で22年めになるが、かたちも崩れずデザインも好きなまま、ずいぶんお世話になった」と言う。
 喪服として仕立てられた服と、普通の黒い服を見分ける基準は「黒さ」である。黒いスーツと言えども、リクルートスーツや通販で買ったものと百貨店のブラックフォーマルコーナーで買ったものとでは、黒の深さが違う。太陽光に照らされれば一層その違いは明らかになり、世間の女性は安物とばれるのが嫌で、ブラックフォーマルコーナーへと走るものと思っていた。私自身も喪の席で深い黒のシルクを身につけている女性を見ると、格調高い気がしてあこがれたものだ。

 とは言っても、私自身が葬儀に参列する際に着るのは普通の黒スーツである。夏の法事に至っては半袖のカットソーが黒いだけである。「黒い服を着ている」というよりは「服が黒い」という程度のものだ。そしてストッキングの要らないパンツスーツにしてしまう。ただパンツスタイルは正座のときに締め付けられてどうしても足がしびれるので、正座の予定があるときはスカートを履くが。
 どうしてそうしているかというと、単純に仕立ての良い喪服を揃える資金が不足しているからだ。そしてたいていの場合、わたしの姿を見咎めても悪く言うような親族は一切いない。以前葬儀社に勤めていたことを知っているからだ。「ちゃんとすればちゃんとできるのだろう、しかしあえてそうしないのだ」と皆思ってくれている。なんという楽チンさ。そう、ただの黒スーツを着ていて咎められるのは、本人がモノを知らないと周囲に思われたときのみなのだ。すっかり了解したうえならば自分の流儀でやってしまってかまわない。ということは、最初から何も知らずに知った顔して自由なことをすればいいんじゃないのか?! もしくは、咎められても聞こえない強靭な精神があればいいだけじゃないか?!

 無知とKYが葬儀の場を救うかもしれない、という話はさておき、私ならば予算があったらやっぱり漆黒のフォーマルドレスを買ってしまうなあ、と思う。安物にありがちな中途半端に流行を追ったデザイン、型崩れしがちな肩パッド、陽に焼けてしまうステッチ…が一掃された美しいフォーマルドレスは、永遠の憧れだ。きっと葬儀社に勤めることがなければ生まれなかった撞着であろう。ある意味、不幸なのかもしれない。

 およそ本の内容とは関係のない自分の話になってしまったが、山本さんのエッセイには「そういえば、私はね…」と自分のことを語り始める気にさせる力がある。著者の語りを皮切りにして、体験談が華やぎだす不思議。きっとこの本を読む誰もが「母のときはこうだった」「知人のときはこうだった」と、過去の葬儀経験に思いをめぐらすだろう。およそ弔いというものは儀式的なものではなく、民俗的なものであるということを再発見させる一冊。(小松)

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2008年12月13日 (土)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第28回 葬祭ディレクター試験の問題点

 『寺門興隆』11・12月号と、「葬祭ディレクター問題」と題した記事が載っている。儀式の主役は宗教者であるはずなのに、仏教の詳細な知識を問う問題が多々見られることや、地域によって違う葬儀作法をあたかも画一的であるかのように扱っていること、実技試験が幕張のみで現場に即した入棺などの作法が入っていないことなどを批判している。

 といっても、一般の方には何のことやらわからないだろうから、順を追って説明する。

 まず、「儀式の主役は宗教者であるはずなのに、仏教の詳細な知識を問う問題が多々見られること」の問題点は何だろう。
  多くの人は「葬儀屋が仕切役で宗教者はゲスト」ととらえるかもしれない。しかし、葬儀をある宗教方式で施行する場合、葬儀屋は段取りを組んで手配するだけの存在であり、あくまで仕切りは宗教者の役目だ。いわば単独ライブ会場のロックミュージシャン。準備は他の人々に任せても、リハーサルでは自分の表現が最大限に伝わるように細かく指示を飛ばすはずだ。宗教者は自分が使う道具がちゃんとそろっているかどうか必ず式場の下見をして、足りなければ指示を出す。司会者はどんなにお馴染みの住職であってもその都度みっちりと打ち合わせをする。「こちらの式場は仏式であればこういう段取りになっていて、こういう道具しかないのですから、お坊さんはそれにあわせて下さい」と言うことなど、言語道断だ。儀式は宗教者の範疇であることを葬儀屋が忘れてしまうと、トラブルが多くなる。宗教についての余計な知識など付けようものなら、100%鼻持ちならない担当者になって宗教者に嫌われる。宗教のことは宗教者に任せておけばいいのである。他にずいぶんとやらなければならないことがあるのだから。
 ……と、宗教者側は言いたいのであろう。

 確かにこれについては、葬儀屋の現役時代に100回くらい言われた。「お客様から宗教的な質問をされても一般的にはこうだと推測してお答えしてはいけない、宗教者にお聞きするようすすめなさい」と。ものすごく気を遣った。ただ、お客様はそれでいいが宗教者に対しては、いつも無知の顔をさせているわけにはいかない。いくら「儀式はおれに任せろ」と言っても、以前の葬儀で出した指示が式場に生かされていなければ寂しいだろう。つまり、「宗教のことは何も知りませんが、●●寺様がいらっしゃる時にどんな道具が必要かは心得ております」という態度が、葬儀屋として正しいあり方といえる。だから事務所には施行をした寺・神社・その他、一つ一つの式場設営マニュアルがズラッと並んでいた。抹香・線香の銘柄から車いすの有無、ライトの当て方まで、注意されたことは全てメモをとり、どんな担当者がやっても以前の指示が生かされているように気を配ったのだ。
 葬儀屋が宗教上の詳しい知識をつけるのは、詳しく聞かずに邪推したり、臨機応変の素早い対応ができなかったりする原因となる。だったら、そんな知識はむしろない方がいいのだ。

 「地域によって違う葬儀作法をあたかも画一的であるかのように扱っていること」も同じような理由で問題視されている。しかしこれもほとんどの葬儀屋で了承しているところであろう。とくに地方では2キロ離れれば作法がガラリと違ってしまうところもある。その地域で以前施行をしたことがなければ、どんなベテラン担当者でも万事確認が必要だ。そして注意深く近所のおじさま達の話を聞いておかなければならない。耳慣れない単語が出てきたら素早く質問する、些細だと思われることも曖昧にしておかない。これを怠ると、葬儀当日になって自分の知らない段取りが突然進行し、うろたえてしまうことがある。

 そして「実技試験が幕張のみで現場に即した入棺などの作法が入っていないこと」。試験を受ける側としては、確かにこれが一番疑問であった(実際に受ける前に仕事を辞めてしまったのだが)。幕張とは、祭壇の後ろや焼香台にヒダのついた幕を画鋲で張ることである。このヒダを均等にとるのが新人には難しい。体全体を定規にして、身体感覚と視覚を頼りにヒダを作っていくのだが、引っ張りすぎて変な皺ができてしまったり逆に緩んでしまったりと、修行が必要なのである。真っ白な幕に汗のシミをポタポタと落としながら、集中してやったものだった。
 が、そんなことをやるのも筆者が施行していたような田舎のみで、最近ははじめからヒダやフリルのついた幕を留めるだけである。「ウチらは日常からやってるからいいけど、都会モンにはなんかイミあんのか?」というのが正直な感想だった。しかも結構な早さで仕上げなければならない。それこそ、そんな練習をするのであれば入棺作法の方がずっと現場に即しているだろう。単独行動の多い業務の中で他の施行担当者の入棺作法を見るチャンスなどほとんどないし、多会社の作法を見ることで勉強にもなる。

 というわけで、当事者も違和感を感じているのが葬祭ディレクター試験の実際である。ただ、実技試験の中でも司会とお客様に対する接遇はかなり学ぶところも多いのではと思う。学科試験の中でもたとえば行政手続きや法律の項などは、受験の有無にかかわらず覚えていた方が何かと役に立つ。しかし、参考書『葬儀概論』は一万円とスバラシイお値段で、恐れ入った。(小松)

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