『あの事件を追いかけて』無事、書店に並びはじめました
人気連載記事、「あの事件を追いかけて」+「ホテルニュージャパン」を書籍化した『あの事件を追いかけて』が、全国店頭に無事、並びはじめました!
スッキリした印象のカバーが、あなたの心に涼をはこんでくることうけあいです。
中を覗けば…さらにさらーに、涼しくなる写真満載。
お値段は、まさかの1000円!
まずはお手にとって、ご覧下さい!
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神保町「北の丸tinyギャラリー」で開かれた写真展「あの事件を追いかけて」が、本日無事、終了を迎えました。
お越しいただいた皆様方、本当にありがとうございました。
ビジネス街という立地と1階・入口がガラス張りという恵まれた環境のギャラリーでこの写真展を開催することができ、ブログをお読みいただいている人のみでなく「退勤中にふらっと」立ち寄った方などもみられ、本の内容と同じように「ふだんは表に出ない人の野次馬根性をチラッとくすぐる」写真展にできたのかな、と思います!
肝心の書籍『あの事件を追いかけて』は、21日から徐々に本屋さんに並ぶ予定です。
大きな書店さんのノンフィクション棚やエッセイ棚などを覗いていただければ幸いです!
amazonでのご購入↓
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お待たせしました!
人気連載、
「あの事件を追いかけて」と
「ホテルニュージャパン」
が、
『あの事件を追いかけて』(本体予価952円)
として7月中旬に発売されます!
巻頭カラーでは、ホテルニュージャパンの写真を掲載。
ブログでは見られない写真も続々!
廃墟ブームの前に撮られているため、貴重な写真であることは間違いありません。
さらに皆さんを涼しい世界にご案内するため…
出版記念写真展『あの事件を追いかけて』を開催します!!
日時:2010年7月14日(水)~7月19日
11:00~18:00(最終日16:00まで)
場所:北の丸tinyギャラリー
(千代田区神保町3-11-1 03-3262-6889)
地図:http://kitanomaru-tinyg.sakura.ne.jp/access/index.html
事件現場の佇まいを、心ゆくまで味わってください。
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「あの事件を追いかけて」のツイッターを始めました。
僕は取材前に現場周辺をグルグルと歩き回るようにしています。犯人は何を考えて歩いたんだろう、周辺住民にとって事件現場はどんな風な場所だったんだろう。そんなことを思いながら、地域に体をなじませていくのです。現場になじんだからといって、必ずしも取材がうまくいくわけではありません。でも、たまに見えてくる世界が変わることがあるんですよ。
酒鬼薔薇聖斗の事件を取材したときには、現場となった山や首を洗った池などをグルグルと回りました。殺害現場のタンク山の獣道を突っ切れば、舗装された道路をたどるより早く目的地に着けること。住民がバーベキュー大会を開いていた公園の裏に、地元住民すらほとんど知らない池がひっそりと存在すること。福祉の充実を目指すスローガンが、町のあちこちで見られること。
そんな町の雰囲気を感じてから取材を始めたとき、犯人の万能感や疎外感、彼と住民の気持ちのズレが少しだけわかったような気がしたのです。
そんなグルグル歩きを携帯で記録して、つぶやいてみようと思っています。ちょうど7月初旬の出版に向けて、過去に取材した事件現場の撮影に回っていますので、試行錯誤しながら進めてみたいと思っています。
すでに井の頭公園バラバラ事件とスチュワーデス殺人事件のつぶやきはアップしました(事件名を入れるの忘れたのですが……)。携帯を横にして撮影して送ったおかげで、写真がひっくり返ったりしていますが許してください。
もしよければ暇つぶしにのぞいてくださいませ。
明日は現場の撮影に行く予定です。どんどんつぶやきます!(大畑)
登録の名前:taroohata
アドレス:https://twitter.com/taroohata
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ディスコブームがにわいた1978年7月、夕立の上がったナイトクラブ「ベラミ」に、山口組・田岡一雄組長が到着した。越路吹雪や欧陽韮韮などがレコーディングしたことでも知られてる高級店だった。上岡龍太郎や浜村淳が司会を勉強したところとしても知られている。当時、ベラミのステージに立つこと自体がステータスだったという。
奥の椅子に5~6人のホステスを引き連れて座り、「うたとリンボーダンス」のショーを鑑賞。そのショーが終わった直後、2発の銃声が響く。
首を打たれた田岡組長は自らハンカチで傷口を押さえて立ち上がり、巻き添えをくった人を病院に運ぶように指示を出し、部下の運転する車に歩いて乗り込んだという。この不死身ぶりは後に語り草となった。
彼を治療した関西労災病院の外科部長は、全治2週間~3週間だと記者団に説明し、「そんなに軽いのか?」の質問に次のように答えたという。
「ええ、幸い頸部の筋肉のところだったからです。もう1センチでも弾道が内側に行っていたら、大動脈神経系統をやられて即死だったかもしれません」(『雷鳴の山口組』飯干晃一著 角川書店)
山口組のトップが銃撃されたとニュースは、瞬く間に街を駆けめぐった。狙撃から30分後には、新聞記者もベラミに押し寄せたと報じられている。しかし近隣住民は、事件に気付かなかったようだ。
ベラミの向かいにある精肉店の女性は、「パトカーが来たのも気付かんかった。隣がベラミ専用のガレージだったから、いつも車の出入りの音がしてるし、ホステスがお客さんを送り迎えするときには、ワーワー言っているし。次の日の新聞やね、分かったのは」
近所の住民によれば、ベラミは看板を出していなかったという。逆に言えば、それでも客が入る店だったのだろう。
ただし近隣の店から評判のよかった店ではない。
先述の精肉店の女店主は言う
「事件の少し前にボヤを出したんやけど、あいさつにも来ない。事件の後も何もなかった。そういう人たちだったんでしょ」
ベラミから数軒離れた大衆食堂・篠田屋の主人も、事件に気付かなかった語る。
※ここから先の記事は…
『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。
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犯行声明で自らを酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年Aは、「懲役13年」と題する作文で、ダンテの次のような一文を引用した。
「俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでしまった」
もちろん、この「暗い森」は比喩だろう。一人の幼女を金づち殴って死亡させ、もう一人にナイフを突き立て重傷を負わせた事件から1ヵ月ぐらいの間に書かれた作文だけに、犯罪行為を指すものとも思われる。
しかし少年Aの行動をたどっているうちに、彼は実際に「暗い森」に居続けたのではないかという感じるようになった。
彼は供述調書で次のように語っている。
「『タンク山』の地理は、誰よりも僕が一番良く知っているのであり、この森の中で、僕を捕まえることは不可能だと思っていたからです」
実際、タンク山の頂上付近にあるケーブルアンテナ施設で土師淳君の首を切り取った直後、現場に近づいてくる足音を聞きつけ、来た道とは別の方角に山を降りている。
さして大きな山ではない。東西に370メートル、南北に200メートルほどである。しかし少年Aが選択した獣道を探し出すのは、意外なほど骨が折れた。道らしきものをたどっていくといきなり途絶え、下に降りる道を見つけ出せないままに目的地から遠ざかってしまうからだ。
少年Aがこの森に精通していたのは間違いない。『少年A 矯正2500日全記録』(草薙厚子 著 文藝春秋)では、小学5年生の学校の記録として「“タンク山”に基地を作り、六人くらいの友達と遊んでいたが、“子供は友達と遊ぶもの”という常識に従って遊んでいたもので、心から楽しいと思った事はなかったようだ」と書かれている。『暗い森』(朝日新聞大阪社会部編 朝日新聞)にも、「中学二年の後半になると、小学校時代から一緒に悪さをしてきた友人たちの多くが、部活動や受験勉強もあって、しだいに遠ざかっていった。少年は卓球部の練習にまったく参加しなくなり、男児殺害の現場となったタンク山や、池のほとりで、一人で過ごすことが多くなった」という記述がある。少年Aが淳君を殺害したのが中学3年だから、少なくとも4年間ほどはタンク山に出入りしていたことになる。
このタンク山について、『朝日新聞』(97年5月28日)は、「早朝や夕方には近所の人が犬の散歩に訪れ、夜間は中学、高校生がたむろすることもある。近所の主婦の話では、シンナーやだばこを吸う少年たちがよく集まる場所」とも報じている。
タンク山の周辺は北に高校、南に小学校があり、南西から西側にかけて団地が、東側を一戸建て住宅が囲んでいる。山の中腹にある給水タンクまでは舗装された道路が付いているが、そこから一歩入ると獣道しかない森だ。住民が散歩がてら登るのはタンクのある中腹までで、その奥は大人の知らない空間が広がる。そうした場所に、実生活で行き場を失った少年Aが引きつけられたのもうなずける。
事件の起こった須磨区は、かなり住みやすい土地だ。タンク山の南側に住む主婦は、どれほど地域活動が活発かを説明してくれた。
※ここから先の記事は…
『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。
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犯人の梅川昭美が猟銃を持って三菱銀行北畠支店に押し入った翌日、『読売新聞』朝刊の社会面で画期的な記者ドキュメントが掲載された。犯人や警察関係者の動きを時系列で伝えるだけではなく、新聞記者の動きそのものも短い文章で追いかけた記事だった。記者の作戦本部となった喫茶店の主人から「パッチ」(ももひき)を借りた話題なども載ったという。
この記事の衝撃について、当時のデスクだった田村洋三氏は『ドキュメント新聞記者』(読売新聞大阪社会部 角川書店)で、次のように語っている。
「今度の事件では目が洗われる思いがした。発生の夜、早版のドキュメントを見た社会部長が、動きがないのなら、こちらの動きを書こうといったときである」
またテレビの現場中継されるのに、警察や銀行内部の動きがわからない大衆の「隔靴掻痒感」に、この記事が応えたと分析する。さらに「大衆のテレビによる臨場感がこの記事によって増幅された、とも言える。その意味で、記者ドキュメントは、新聞が長すぎる長い間手探りしていたテレビ時代の社会面のあり方を、やっと、探りあてた気さえする」とも述べた。
映像以上のリアリティーを現場の人間の動きから味わう。この手法は、ネット上のつぶやき「ツイッター」に近い。当時、この紙面が評判だったのも当然だろう。
もちろんテレビも高視聴率を記録した。犯人逮捕を報じたNHK総合のニュースは39・3%、関西ローカル報道番組でも関西地区で平均視聴率33・3%を記録している。
犯人が銀行を襲ってから42時間、国民はこの事件に釘付けとなった。
また犯人の梅川も、メディアの目を意識していた。籠城から13時間ほどたった午前3時半にはラジオを差し入れを要求し、到着が遅いと銃を発砲している。また、午前9時半には朝刊を、その日の夕方には夕刊、翌日の朝刊も差し入れを求めている。警官が突入し、彼を撃ったときも新聞に掲載された自分の記事を読んでいたところだった。
事件2日目の未明に、梅川が高級フランスワインである「シャトー・マルゴー」の69年ものを要求したことについて、『破滅 梅川昭美の三十年』(毎日新聞社会部編 幻冬舎)は「テレビやラジオ、新聞を通して、自分に集まる全国の目を意識した精一杯の見栄だった」と分析している。
また犯行前日には、わざわざパーマをかけてアフロヘアにし、犯行当日もチロルハットにサングラス、黒いスーツと着込む。もともと金を奪ったらすぐに逃走するつもりだった梅川が、どうして印象に残るような格好を選択したのは定かではない。ただ30歳にもなったことを理由に、「何か一発でかいことをやらんとあかん」と口癖のように語っていたことを考えれば、犯罪こそが「晴れ舞台」、服装や髪型は舞台衣装だったのかもしれない。
ここにメディアと犯人が競うようにボルテージを上げていく42時間もの劇場型犯罪が「上演」されたのである。
もちろん観客であるやじ馬も熱狂した。近所でクリーニング店を営む店主は、当時のことを思い出して次のように語った。
「『銀行強盗や事件やでー』って、おばちゃんが店に飛び込んできてな。そら見に行くかって、角まで行ったらパンパンパンって音がして、こりゃ危ないわって引き返してきたからな。
それからしばらくして警官がロープ張ってやじ馬が入れないようにしたから、外からはわからんようになったけどな。ただ、それでも見ようとしていた人たちが駐車場の金網の張り付いて見ていたの。それで金網が潰れてしまってな。地主が怒って警察に苦情行って、ロープの位置がもっと後ろに下がったがな」
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なぜ?
そう思わずにはいられない。どれほど考えても3人を殺す理由が、まったく想像できないからだ。
事件が起きたのは1995年7月30日午後9時15分ごろ。現場は北八王子駅から歩いて10分のほどのスーパー「ナンペイ大和田店」だった。閉店直後の店では、2人の高校2年生とパートをしていた47才の女性が2階の事務所で帰宅の準備を進めていた。
パートの女性が迎えに来てほしいと友人に電話を入れたのが午後9時15分ごろ。それからわずか5分の間に、3人は銃で撃たれて命を奪われた。2人の高校生は互いの右手と左手をガムテープで縛られ、口もふさがれた状態で、後頭部から1発ずつ撃ち込まれていた。友人が後ろから撃たれ、慌てて逃げだそうとしたもう1人も後ろから撃ったという。
一方、パートの女性は手を縛られてはいなかった。ただ顔に銃把で殴った跡が残っており、金庫の鍵を彼女に出させたうえで、金庫のダイヤルの番号を聞き出そうとして犯人が殴ったとみられている。しかし彼女は番号を知らなかった。開けられないと分かった犯人は、額の左側などに前方から彼女の頭に向けて2発の弾を撃ち込んだ。ヤケドの跡が残っていることから、額に銃を押しつけるように撃ったことも判明した。
犯人は3人の無抵抗な女性を殺すのに4発。そして開かない金庫に向けて、もう1発発砲。結局、金庫の中の500万を拝むこともなく、わずか5分で現場を去った。
無抵抗な3人を殺害したのは、犯行を目撃したからだろうと推測されている。
「もともと、ここらへんは何の事件もなかったんだから。事件のあったスーパーだって小さくて、誰が見たってもうかっているような店じゃないよ。強盗に入るような店じゃないよね」
近くで農家を営む男性は、ビニールハウスのトマトを収穫しながら言った。実際、ナンペイ大和田店の普段の売上げは200~300万円といったところだった。ただ事件の数日前から特売セールがあったため、その晩の金庫には500万円入っていた。それにしても500万でしかない。3人を殺せば死刑確定。目撃情報通り複数犯なら、通常の感覚なら割に合わないと感じるはずだ。当初、警察が強盗と物取りに見せかけた怨恨の両面で捜査していたのも理解できる。
また、先述の近所の男性は、「訪ねてきた刑事が『こんなことするのは外人だ』って言ってたよ」と教えてくれた。当時の新聞報道でも外国人の可能性が示唆されており、顔を見ただけで無抵抗の女性を銃で撃つ残忍さは、日本人の犯罪と思えない空気が95年にはあったのだろう。しかし事件から14年近くがたった今、「日本人だから無茶はしない」という根拠のない信頼は崩れ去った。
そのような残忍さな殺人の原因の1つになっているのが、この事件当時から急速に広がった銃の存在だ。
「捜査一課の敏腕刑事だったある警部補は、銃による殺人は『冷たい殺し』だという。刺殺や絞殺は、犯人の手に被害者の体のぬくもりが残る『熱い殺し』。どんなに冷酷な犯人でも、『死』を自分の体で感じる。しかし、けん銃殺人には、その『実感』がない。発砲事件の容疑者を取り調べる時、被害者への『思い』がまるでないことに驚くという」(『毎日新聞』95年8月2日)
実感なき殺人が凶器によって作りだされたというわけだ。そしてもっと恐ろしいことに、銃とは関係なく訳の分からない殺人を犯す日本人が増えてきている現実だ。殴り殺す「熱い殺し」ですら、そこに「実感」のない犯人たち。
以前、精神科医に取材したときに、実感を感じられない「離人症」的な症状を訴える人が増えたと聞いた。時代を背景に人が心を病むように、時代を背景に罪を犯す人がいるのなら「実感なき殺人」が増えているのもうなづける。
八王子スーパー強盗殺人事件は、そうした事件のはしりともいえる。周辺の治安に関係なく、特段の理由もなく、国内に出回り始めた銃で殺害した事件。これは怨恨など犯行動機から洗っていく日本の警察得意の捜査手法を楽々と飛び越えていく。
結果として捜査は迷走を続けてきた。
事件当夜、夜9時過ぎまでスーパーナンペイから30メートルほど離れた「北の原公園」では盆踊り大会が開かれていた。太鼓の音で悲鳴などは聞きとりにくい状況だったが、店の近所の主婦は花火のような破裂音を連続で聞いている。
また事件直前の9時5分ごろ店の駐車場のすぐ近くで白いシャツを着た男が目撃された。さらに事件当日と数日前に、スーパーの店内をうかがっていた不審な2人組がいたことがわかっている。しかし店には防犯用ビデオカメラもなく、目撃証言は犯人逮捕に結びつかなかった。
03年には名古屋・大阪で現金輸送車を襲撃した犯人の関係先から押収した銃の線条痕が、八王子の事件と似ていると騒がれた。無言でためらうことなく発砲するやり口も、犯人像に当てはまるといわれた。しかし、これもハズレ。
07年には被害者のパートの女性と交際していた男性が、フィリピン人の知人に殺人を持ちかけたとして警視庁はフィリピンに捜査員を派遣している。しかし、これも犯人にはつながらなかった。
そして現在、中国で覚せい剤所持の疑いで逮捕され死刑が確定している日本人への疑惑が深まっている。この男は過去に日本人と中国人の混じった強盗団を率いており、八王子強盗事件の当日、ナンペイで金が取れなかった腹いせに、近くで別の強盗を働いた、と仲間に話していた。その事件が実際に起こっていたことが明らかになり、捜査員はいろめきたった。今後、中国との捜査協力しだいでは、犯人があきらかになる可能性ありそうだ。
しかし地域住民の「なぜ」の思いは、いまだに消えていない。
ナンペイの前に住む男性は、事件当夜の暑さを思い出しながら語った。
「暑い夜でさ。でも、事件のことは何も知らないんだ。ビール飲んで寝ていたからね。それが、どんどんパトカーが集まってきて、そのうちどこで調べたのか知らないけれど、ジャンジャン自宅の電話が鳴り始めて。どこどこ新聞だの、なんとか通信だの。次の日は朝からヘリコプターが飛んで大騒ぎだった。
驚いたよ。そんな事件が近くで起こるなんて思ってもみなかったから」
ナンペイで買い物をしたことがあるという主婦は、事件の翌朝に飛び回っていたヘリコプターの音を覚えていた。
「驚きました。あの事件の後にも先にも、ここら辺で殺人事件が起きた記憶なんてありませんから」
東京近郊の閑静な住宅街で起こったこの殺人強盗事件は、もう日本のどこも安全じゃないと、全国に向けて宣言したようなものだった。その宣言へのとまどいは、事件が14年近くたった今も続いている。(大畑)
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