新宮の皇位を補佐する眞子女帝容認案
紀子妃の新宮ご出産から1日以上経って我に返ると不安がよぎる。前日に書いたように現在の男系男子を維持するには新宮がすこやかに育ち、しかるべく結婚し、相手の妃殿下が滞りなく男子を出産し、その宮がまたすこやかに育つという前提でなければ話は立ちいかない。考えてみれば猛烈な楽観論となる。
さりとて女系天皇を認めるという案は当ブログでも紹介したように問題も多く、かつ反発者も目立つ。だったらその中間を取る方法を探ってみたらどうか。
天皇家の継承が今日のように細い糸のようになった時期は何度もあった。今回のように皇位に就かない弟宮の子が天皇になった典型例が42代文武天皇である。この時期には天皇になるべき草壁親王がわずか27歳で早世し、残された文武天皇はわずか6歳で即位を余儀なくされる。ところが文武帝も25歳で世を去り、残されたのは、これまたわずか6歳の後の聖武天皇であった。
現在の皇太子と秋篠宮殿下との間は6歳ほどしか離れていない。つまり目出度く長寿をまっとうされたとしたらしたで、高齢者同士の兄弟継承となる。あまり考えたくはないが秋篠宮が先に・・・・という危険性もある。またお二方ともすでに40代。ご壮健の様子で何よりだが高円宮憲仁親王のように47歳で薨去された例もある。こればかりは人智の及ぶところではない。
そうした不測の事態に備えておかないと新宮に何もかもかぶってもらわなければならない。重荷に過ぎるであろう。そこでかつての草壁親王、文武天皇の早世で機能した女性天皇だけは皇室典範を見直して認めるようにすべきではないか。
女性天皇とは男系女子の天皇で該当者は敬宮愛子内親王、秋篠宮眞子内親王、同佳子内親王が直宮家にはいらっしゃる。草壁親王の成長を待つために母の持統女帝が即位し、文武帝の早世を受けて同じく母の元明帝が、次いで聖武天皇の成長を待つ形で文武帝の姉の元正天皇がそれぞれ即位した。歴史以上8人いる女帝のうち3人がここに集中して皇統を守ったのである。
ただし皇后であった持統、元明両女帝は同時に天智天皇の子でもあった。したがって現在の美智子皇后や雅子妃殿下が即位するのとはわけが違う。ポイントは元正天皇である。
元正女帝は文武天皇より3つ上の姉である。弟が世を去って幼い皇嗣が残された間を取り持ったばかりか724年に譲位して以後も748年に薨去するまで弟の子の治世を陰に陽に助けた。こうした存在があってこそ皇統は維持できたともいえる。
ただしこの時期は天武→持統→文武→元明→元正→聖武→孝謙・称徳女帝と続く天武系とは別に壬申の乱で敗れた形になった天智系も存在していて称徳女帝薨去の後はそちらへ引き継がれた。そうした安全装置が現在はない。戦後に皇籍離脱した旧伏見宮系が似ている。
今年初の皇室典範改正論議でも旧伏見宮系男子の皇籍復帰案が出てきたが、戦後ずっと皇族でなく生まれ育ってきた男性がいきなり皇位継承者になるのもまた違和感があるとの反論があった。そこで新宮が誕生した今、最も妥当な方法は以下の2点ではなかろうか
1)新宮以外に男子が誕生しなかった場合に備えて愛子、眞子、佳子各内親王が女性天皇になる可能性を開くべく典範を改正する
2)同時に上記3人の内親王ないし他の宮家の内親王の婿として旧伏見宮系男子を迎えて宮家が作れるように典範を改正する
そして男子の出産を待てば新宮一本かぶりでなくても男系男子は保たれる。この場合1)で選ばれた内親王もまた旧伏見宮系男子とも結婚できるようにしておいても構わない。
さて新宮の補佐ともなる1)の候補であるが文武帝の場合は姉が即位したから眞子、佳子各内親王がいいとなる。愛子様は漏れ伝わるところでは雅子妃殿下が皇籍にこだわらずにお育てしたい意向というので外してみた。他意はない。しかもどうやら眞子内親王にはかなりの人気があるらしいのだ。(ここまで編集長)
編集長に命令されここから書くことになったが、正直、皇室問題には疎い。しかし以前に再三お伝えした通り、編集長には「わかりました」と「すいません」しか発言が許されておらず、状況的に「わかりました」としか言えなかった……。つまり書くしかない。
そんな私が持つ唯一の情報は「眞子さま萌え」がネットで盛り上がっているらしいという噂だった。
で、調べてみたら、あること、あること。例えば「マコリンペン」という単語を知っているだろうか? 眞子内親王のネット上での愛称らしい。ちなみに佳子内親王は「デコポンタン」。紀宮清子(さやこ)内親王が「サーヤ」となったことは広く知られているが、まさか眞子内親王が「マコリンペン」になっていたとは。
また、眞子内親王のイラストやフラッシュなども、ネット上にはけっこう出回っている。お嬢様口調で強気のキャラクターで演じているケースが多い。
おそらくこのような現象は皇室史上初めてのことであろう。そもそもネットの普及が最近だから、当たり前といえば当たり前かもしれないが、これまでの皇室の騒がれ方とは根本的に異なる。なぜなら眞子内親王には勝手にキャラクターが付け加えられているからだ。
「美智子さま」や「サーヤ」の呼び名は常に清く正しい皇室像を喚起してきた。穏やかで高貴なイメージである。ところが「マコリンペン」は、そうした「皇室イメージ」を脱却している。その理由をコンピュータやネットの発達だけに負わせることはできないだろう。今まで以上に身近に感じられる皇室の「アイドル」の誕生を、私たちは目にしているのではなかろうか。
「開かれた皇室」という主張に抵抗感を持つ人がいるのは知っている。ましてネット界で取り上げられるなんてもってのほか、と感じる人も多いだろう。しかしネット上の盛り上がりが雑誌や新聞に取り上げられ、それがテレビなどにも取材される最近の状況を考えれば、ネット界での人気をバカにすることはできないはずだ。
浮世絵の役者絵を例に出すまでもなく、国民の人気が高まるとイラストも多く出回る。(それこそ比べるのも申し訳ないが、支持率が以上に高かった当時の小泉首相のイラストもよく目にしたもんだ……)これは、もう伝統である。
というわけで、眞子内親王がいかに人気があるのかを書いてみた。だからどうなのかを編集長に聞き忘れてしまった……。
というわけで、ここからは再び編集長に渡したい(ここまで大畑)
元正天皇の即位前は氷高皇女であった。この呼称と「マコリンペン」を並列に置いて言語学的な考察を加えると・・・・ってそんなことできるわけないだろ大畑。変なテンションで渡すんじゃない。よって今回オチはない・・・・というオチでご勘弁。(再び編集長)
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