プロレスの「ハッスル・マニア2005」が11月3日、横浜アリーナで開催されて狂言の和泉元彌が初めてリングに上がった。鈴木健想を「空中元彌チョップ」とやらで倒したというから驚きである。母の節子さんが率いる「セッチー鬼瓦軍団」が脇を固めたとか。健想の妻の浩子も加勢して大いに盛り上がったという。
私は元彌氏がこれをもって「墜ちた」とは決して思わない。「セッチー」こと節子さんには拍手を送りたい。
さて02年。「和泉元彌」に関わる「スキャンダル」は連日報道されていた。勝手に二十世宗家を名乗ったとか、ドタキャンだのダブルブッキングがどうだとかとあたかも社会的関心事のように騒いだ。
私はその背景に「セッチー」という「ですぎた女」をよってたかってバッシングしてやろうとのいじめの構図を感じた。ジェラシーや、それを叩く快感を隠して、もっともらしい解釈を加えて叩きに叩く構図はワイドショーの得意とするところ。「セッチー」の前には和歌山の毒物カレー入り事件の林真須美被告や「サッチー」こと野村沙知代元プロ野球監督夫人と続いていた。
たしかに林被告は当時、凶悪事件の容疑者で、その後逮捕、起訴されたので、報道する一定の価値があったのは認める。野村夫人も01年12月6日に脱税容疑で逮捕されたので、それを指弾するのがいけないとはいわないし、ニュースバリューもあるのはわかる。
しかしその間にプライバシー侵害としかいいようのないウソか誠かわからない情報を、これでもかとたれ流して視聴率が上がったという話を聞くにつれてメディアを介した集団リンチに近いのではと感じた。
このような批判はワイドショーの制作側にもある程度伝わっていたようで、野村夫人の場合には、彼女が旧新進党の国会議員の名簿搭載者として立候補しており、場合によっては繰り上げ当選の可能性がある「公人」だとの言い訳がされていが語るに落ちたとはこのこと。
野村夫人が「公人候補者」ゆえに、何時間もプライバシーも含めて批判されるべきだとしたら、文字通りの「公人」には何十時間もさいてあらゆることを批判すべきだ。小泉首相など1日中批判していないと釣り合いがとれない。
しかも「セッチー」はどこから迫っても「公人」ではなく犯罪の容疑者でもない。そのような人物がなぜバッシングされるようになったのか。
「和泉元彌」の名が広く知られるようになったのは、01年のNHK大河ドラマ「北条時宗」で主役を演じてからだ。節子さんは、主役に決まったと発表された00年末に元彌氏が務めた紅白歌合戦の発表に付き添うなどして、「あれは誰だ」と密かに注目された。
そして翌年2月に元彌氏とタレントの羽野晶紀さんとの「熱愛」が明らかとなり(後に結婚)、節子さんが猛反対しているとか、嫁としての「鬼の心得」を述べたりといった報道がさかんになされた。
ところが、肝心の「北条時宗」は大河ドラマとしては人気薄で終わり、この年から02年初めにかけては小泉・真紀子人気や米国同時多発テロ、年末の野村夫人逮捕、鈴木宗男問題など有名国会議員の不祥事と相次いで「大ネタ」があったので、「和泉元彌」話はチョコチョコ報道されるにとどまっていた。でもその間に、少しずつ、でも確実に「セッチー」の否定的なイメージは視聴者に浸透していった。そして大騒ぎとなる。
ではあの騒ぎは騒ぐだけの価値があったのかを考えよう
1)ドタキャン・ダブルブッキングがそんなに問題なのか
一般常識としてはもちろんいけないが、それで信用を落とすのはあくまでも和泉側なので、第三者がワーワー騒ぐ必要はない。それによって被害を受けた人が我慢できないならば損害賠償請求をすればいいだけのこと。それが頻発すれば報じる価値があるかもしれぬが、そんな状況ではなく、また仮に民事裁判の被告になったとしても、それを実名で報じるにあたっては慎重さが求められるのは報道の大原則である。
節子さんのマネジメントが稚拙であるとの批判もあるが、伝統芸能は狂言に限らず、能や文楽、また比較的大規模な歌舞伎でさえ、世間が思っているほどもうかる職種ではなく、小規模なマネジメントでやっている。だからプロレスにだって出るのだ。
「おめでとうございます」で知られた太神楽の海老一染之介・染太郎師匠は、あれだけの有名人でありながら、マネジメントは本人でやっていた。そのことを芸能マスコミが知らないとしたら勉強不足だし、知っていて批判をするならば、せめて伝統芸能の経営の実情ぐらいは併せて報じないとフェアではない。
2)長時間かけて報じる価値のある出来事か
たしかに元彌氏や節子さんが公人ではなく、刑事被告人になる可能性がなくても、社会に重大な影響を与える人物であり行動だと報道する側が判断すれば、独自の判断に基づく報道はあってしかるべきである。で、どんな判断があったか。視聴率が上がる以外に何かあるのか。
3)和泉流の内紛が大ニュースなのか
報道では、元彌氏が勝手に「二十世宗家」を名乗り、それを商標登録したことが問題だとされているが、別に犯罪でも不法行為でもない。和泉流に内紛があるのは事実のようだが、それは和泉流の内部でどう解釈するかというだけの話で、それ以上ではない。おそらく元彌氏と対立している側の認識もそうであろう。
だいたい狂言という伝統芸能を、ワイドショーはこれまで今回の騒動の何百分の一かでも時間をさいて紹介したことがあったか。
和泉流ということならば、1994年に当代一流の人気を誇る野村萬斎が「萬斎」を襲名したときに、「萬斎」は五世野村万蔵の隠居名であり、本来ならば現在活躍中の七世万蔵(現在は野村萬)に継ぐ資格があり、七世万蔵の弟である万作の子である今の萬斎が継ぐのはおかしいとの意見があった。
当時は狂言界の一部で深刻な話題となったはずだが、たいして騒がれなかった。当然である。騒ぐ方がおかしいのだから。その時には「セッチー」役がいなかったからワイドショーは騒がなかったのだ。
4)母親が息子の結婚に反対してはいけないのか
どのような思想をもっていようと自由だし、表現の自由も憲法で保障されている。あえていえば憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」の精神にそむいているということにでもなるか。
でも「両性の合意」によって元彌氏と晶紀さんは実際には結婚したから、それほど糾弾されるいわれはない。後は家族の、つまりプライバシーの問題である。
それに、俳優の梅宮辰夫氏がタレントである娘の結婚に反対の発言をしていた頃、ワイドショーはずいぶん好意的に取り上げた。父親が成人した娘を心配すると好意的で、母親が成人した息子を心配するのは否定的というアンバランスの裏側に「男尊女卑」という封建道徳がある。
5)マスコミの自作自演の「狂言」ではないのか
私は「狂言」(仕組んで偽る)を演じているのはマスコミ自身ではないかと疑う。節子さんを出演させて何かと話を引き出しているのも、ダブルブッキングを追い掛けて騒動に仕立てているのもマスコミ自身。
岐阜から東京までの「ダブルブッキング」で、和泉側がヘリコプターや飛行機などを約300万円かけて移動したなどと、その異常ぶりを報道したワイドショーが使用した報道用ヘリや車、殺到した「報道陣」の人件費などはいくらかかったのか。
マスコミ自身が大騒ぎして、その様子を「大騒ぎが起きている」と報道する行為は「仕組んで偽る」そのもの。この意味での「狂言」師はどうやら和泉側ではなく、ワイドショー側にいらっしゃるようだ。
かくして和泉親子はダーティイメージに消えたかに思われた。しかし男尊女卑やしっとしっと心からなるバッシングを肥やしにして「セッチー」は「鬼瓦軍団」と化して逆襲に出た。考えてみれば「ハッスル」も「空中元彌チョップ」も皆虚構(偽り)の世界だ。鈴木健想とまともに闘って勝てるわけがない。そこを舞台にして「仕組んだ」のだから和泉元彌は立派な狂言師である。
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