日記・コラム・つぶやき

2008年10月22日 (水)

【謹告】当ブログにおける私(編集長)の立ち位置について

紙の『記録』を移行して約1ヶ月。著者の皆様も多くもご了承いただいた通り順調に新作を発表いただいている。同時に編集部員による取材記事もアップできている。よりよい内容を目指すつもりなのでご指導ご鞭撻を今後とも賜れば幸いである。

さて今回は編集長である私の立ち位置について。
当ブログは元々株式会社アストラのホームページの1コーナー「月刊『記録』編集長」として私一人が書いていた。市区町村のHPにある「市長より」みたいなもので、あってもなくてもいいけどあれば賑やかしになる程度で進めていた。

それが案外なアクセス数となると同時に編集部から「紙の『記録』を盛り上げるネット展開をしたい」旨の申し出があり、新しくブログなどを始めるよりは一定のアクセスがある当ブログを改変してはどうかとの結論に達した。結果として編集部員による「月刊『記録』編集部」がスタートする。

そこに今回の改変である。編集部とは著者の皆様の黒子となるべき存在だから当ブログが「月刊『記録』」となった時点で執筆から退くべきと当初は考えた。しかし幸か不幸か小社は零細で私を除く編集部員もまた一面ではライターとして紙の『記録』にも書いていたためルポなど取材ものは編集部筆もブログ版「月刊『記録』」に残してよかろうと判断した。今は大畑や奥山が担っている部分となる。
残る問題は私自身である。私は立場上、企画・編集のすべてに関わり、発案の多くを手がけている。大畑や奥山の記事も含めてだ。と同時に編集長なるものは究極の黒子であり云々をブログ版とはいえ書くべきではないのではないかと悩んでいる。
できれば私も物書きの端くれなので取材して記事を書きたい。しかし私までそっち側へ回ると支える役割を果たす者が誰もいなくなる。かといって当ブログの執筆を止めてしまうと以上のような経緯より極少数ではあるも以前より読んで下さっていた読者様に不義理をするのも事実である。したがって従前のまま週1回は書いている。
でも本当はいけないのだ。取りあえず私の紹介をプロフィルの一番下とし最下位の位置付けとはした。とはいえ週1回となると7分の1。雑誌で換算すると数ページを担っている勘定となる。そんな編集長はいない。編集長などせいぜい数行の編集後記を月1回書き、後はお知らせやらお詫び、お願いといったところで顔を出せばいい。現に紙の『記録』ではそうしていた。私個人としては編集後記さえ書くべきでないとの思いがあり紙の『記録』にはいっさい登場しないで来た。

ゆえに悩んでいる。もう少し今までと同じような位置づけで続けようと思う。それでどうしても違和感が出てしまうと判断したら後続の企画を立てた上で撤退するつもりだ。ご理解いただければ幸甚である(編集長)

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2008年7月 9日 (水)

一日が30時間あれば

井上陽水のように「人生が二度あれば」とは思わない。一回で結構だ。それより1日24時間が問題だ。その間を文字通り不眠不休で働いても働いても、1日1食で取り組んでも、エッチなDVDはおろかじっと手を見ることすらせず取り組んでも、終わらない仕事を引き受けていると時計が早い!
そこを何とかするところまで生きていられなかったのかアインシュタイン先生は。

何かが間違っている。20代で忙しすぎるのが嫌で新聞社を辞めた怠け者が40代になって別に背負うものができたわけでもないにもかかわらず20代の時より働いている。何でこうなっているのか自分でもわからない。

書きたいことはヤマほどあるのだ。でもここが実名ブログのつらいところで吐き出してしまうとお得意様や取引先やらを失いかねない。
「王様のように働き、王様のように遊ぶ」とのキャッチフレーズがあった。それにならえば「王様のように働き、王様のように働く」だ。それでは王様ではない。

好き放題をしたくて自分の会社を作った。その結果好きなことができないというジレンマ。このブログに書くのは「一番好きなこと」なのに最後の後回しになった揚げ句に、こうした文章をやっつけで書くしかないパラドックス。抜け出さなくてはならない。そのためには仕事を断るしかない。断るのは簡単なはずだ。でもできない。
ホテル・カリフォルニア状態だ。あの曲が日本でヒットした際に英語がまるでわからないはずのサラリーマンが「フフンフンフンホテル・カリフォルニア。フフフンフフン」と絶叫していた意味が今にしてわかる。言葉がわからなくても込められた意図が胸に突き刺さったのだね。フェイドアウトしていく錯綜したギターアンサンブルは本当は永遠に終わらない。それと同じ。時間よ止まれ。私以外は

……という状態と編集部員は知っているはずなのに「今日は私が代わりましょうか」とか「大丈夫ですか」と誰も言わない。「わかりました」と「すいません」しか言わない。それしか言うなと命じたは私である。だから言わない。それでいい。それでいいのか?(編集長)

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2008年6月30日 (月)

キーボードが打てません。

諸事情によりキーボードが打てないので本日更新の原稿を休止させていただきます。

こういう理由でブログを休むのはプロとして失格かもしれませんが、ご容赦ください。

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2008年6月25日 (水)

私は神である

と唱える人が「本を出させろ」とおっしゃってきたり原稿を送ってくださる会社が我が社である。どういうわけか精神に異常を来しているとカミングアウトしてきたり、そうとしか思えなかったり、牢屋のなかにいたりする人から連絡がよく来る。
何年も公安につけ回されている人とか、自分のせいで教育基本法が改正されてしまった人とか、死ぬ死ぬとずっと叫び続けている(つまり死なない)人とか。何かそうした人物を引きつけるオーラが私から出ているのか。それはオーラか。

ある有名な右翼の方(武士の情けで名は秘す)が上記の如き人物から相談を受けて「だったらアストラへ行け」と助言されて訪ねてきたこともあった。うちは何なんだ。

だから『あの頃』著者の小林高子さんは例外中の例外。原稿持ち込み者の中で初めて普通の人に会った気がする。なお鎌田慧さんはこちらからお願いしている先生なので当然ながら例外である。悪しからず。

たぶん会社のありようが変なのだ。だから個性的?な人ばかり引きつける。どこがおかしいのか。
例えば本日(24日)の夕方、編集部の大畑が帰っていった。『記録』編集で徹夜したこと、それ以外にも取材と執筆で八面六臂の活躍をしていること、ついでに控え目かつ誠実に経費の精算を行っていることなどを雄弁にプレゼンして去った。そうか。安い賃金でご苦労さまと送り出し私は終電まで働いて、家に帰って原稿整理を1本やって、この記事を書いている。
そこでハタと思いつく。そうなのだろうかと。編集部がそんなに働いているのは本当なのかと。本当「らしい」のだが私自身が会社を留守にしている場合が多いので「らしい」までしか言えない。でも「らしい」のは感じる。そこは信じたいし信じてもよさそうだ。

そこで思い出すのが20世紀初頭のロシアである……じゃあない。それでは佐藤優さんになってしまう。思い出すのはマルクスである。これも佐藤さんか。まあいい。
マルクスによると労働者(編集部員)は提供する労働に比して安い給料しかもらえない。その差が資本家(私?私しかいない)の「搾取」となる……はずである。この公式に当てはめてみると確かに小社の給料は安い。そこはわかるけれども肝心の「搾取」の実感がまるでない。何を搾取しているのか全然わからない。それどころか私の個人技で得た金で安いけど、そりゃあ安くて悪いけど、給料などを支払う場合も珍しくない。
考えられるのは2つである。1つはマルクスが間違っている。もう1つは小社がマルクスの想定外の会社である。共産主義は嫌いでもマルクスの分析は正しいとする人は多いから前者は多分ない。となると後者となる。
マルクスの論は打倒すべき資本主義の悪しきありようを指している。その想定外ということは……小社は資本主義ではないのだ。もしかしたら共産主義の会社なのか。
待て待て。共産主義はプロレタリアート独裁でなければならない。編集部員はプロレタリアートであろう。「独裁」ということは私もその一員となる。搾取の実感がないのだからきっとそうだ。働いている実感はあるからそうに違いない!

でもそうすると説明がつかないことがある。私が給料などを支払っているという事実である。その立場にある以上は私は資本家のはずである。となると「上部構造としてのプロレタリアートに奉仕する下部構造の資本家」なのか。何て悲しい資本家なのだろう。
いやまたまた待て。マルクス主義に発した共産主義国家の建設はことごとく失敗した。その理由はさまざま分析されているも答えは未だし。正しい解答は、もしかしたら「奉仕する下部構造の資本家」がいなかったからではないか。そんな奇特な人間は論理的に存在しない。いないはずの者がここにいる。他ならぬ私である。ということは私は人間ではない。奉仕しているのだから人間以下ではあり得ない。となると私は人間以上である。

ということは私は神である。

……てな落ちを書きたくて書きました。こんなことを考えているからきっと冒頭のような方々が集ってくるのでしょうね。お粗末様でした。(編集長)

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2008年5月28日 (水)

お休みします

本日担当の「編集長」入院につき更新できないことをお詫びいたします。病院でパソコンは使えないので。命にかかわるとかそうしたレベルではないのでガッカリしないで下さい。残念ながら生還の予定です

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2008年3月 4日 (火)

筋が伸びたときの病院選びは?

 昨日の朝、夫がうめき声を上げながら「ort」このようなポーズになっていて、あまりにもうめき声がうるさく、安眠を妨げられた私はいらつきながら尋ねた。

「どうしたの?」
「うぅ~。の、伸びをした……ら……グギギギ……って言って……」
「痛めたの?」
「う・・・うん」

 どうやら伸びをしたと同時に肩胛骨辺りの筋が伸びたかどうかしてしまたらしい。
 苦痛にあえぐ夫を横目にまた居眠りをはじめてしまったものの、音ながらもうめくので心配になり介護することにした。
 しかし、介護といっても頭をずらしたり、ストローで飲み物を飲ませたりと簡単なことしかしていない。
 それにしても成人男性を介護するというのは大変だ。あまり痛みを感じさせないように注意を払いながら起こすというのは、左手首の動かない私にとって困難だ。
 テレビで「楽な起こし方」を教える番組が放映されていたのを思い出した。その時も真剣に見てはいたもののもう少し注意深く見ておけばと後悔した。後悔先に立たず。今さらそんなことを考えても仕方がない。
 たまたま夫が痛めてくれたおかげで将来の介護について考えなくてはいけないと気づかせてくれた。
 介護をするにしても自分の身体が融通が利かないととても大変だ。自分自身の体を鍛えることからはじめることにする。
 ところで、筋が伸びたと思われる場合、どのような病院へ行けばいいのか知っている方がいたらぜひ教えてください。(奥津)

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2008年2月25日 (月)

靖国神社を訪れる中国人

 2002年から月刊「記録」誌上で『靖国神社』という連載を続けている。
 靖国と聞くと、今でこそ「戦争で亡くなった人が祀られているところ」とか、「A級戦犯が祀られているところ」と答える人が多いかもしれないが、私が連載をはじめたころは小泉前首相が靖国へ参拝すると言い始めた(言い始めたというより、8月15日靖国参拝は選挙公約だった)ときで、さほど靖国に対する関心は高くなかった。 中曽根元首相の公式参拝以来、8月15日の首相による参拝は、中国との外交関係にひびが入るということで見送られてきた。
 とはいえ、参拝をしないからといって反日感情がなくなるわけではなく、かといって煽られるわけでもない。小康状態が続いていたのがこれまでの靖国に対する双方の接し方だった。
 しかし、小泉前首相在任期間中の靖国参拝は年を経るごとに注目されるようになり、国民からの関心が寄せられるようになってきた。
 その一番のピークが、2005年の中国各地における反日デモと、日本の若者による嫌中感情と愛国心がぶつかったころだ。
 当時は日本ではなく香港に住んでいたため日本での状況や反応はあまりわからなかった。しかし、一時帰国をしたときは必ず靖国へ取材に行っていたが、反日デモ以降の靖国参拝人数が明らかに増えていたのだ。
 靖国をテーマに書き続ける私にとって、靖国神社がどのようなところなのか積極的に知ろう(動機はなんでもいいが)とする姿に、歴史を知ることはよいことだと思う反面、複雑な気分になった。
 それと同時に靖国問題に触れた書籍が山のように出版され「靖国問題ブーム」が起こった。
 ここで靖国問題について書くと非常に長くなるので書かないでおく。
 以降、小泉元首相の任期終了まで「靖国ブーム」が続くが、安倍政権発足後は中国との関係正常化を優先し、靖国参拝は見送った(安倍元首相自身は、首相になるまで8月15日に参拝をしていた)。
 以降の中国との関係は安定していたが、先の重慶で行われたサッカー東アジア選手権でのブーイングやラフプレーを見るとあまり変わっていないようにも感じる(重慶という場所がよくなかったのかもしれない)。

 靖国に話を戻すと、靖国ブームも過去の話になった現在、平日でも多かった若者の参拝客が減り、代わりに意外な人たちの参拝が増えて来たのである。
 ある日、いつものように取材へ行くと団体参拝者がいた。近くを通ると、聞き覚えのある言葉。
 そう、中国語。中国からの参拝客が度々訪れているのだ。
 初めて見たときは驚いた。あれだけ騒ぎ立て日本大使館にペットボトルを投げ入れていた国の人たちが靖国にいる。あれだけ騒がれたのだからどんなところか興味が沸いたのだろうか。靖国神社ってどんなところだ、と。 とはいえ彼らは境内で騒ぐわけでもなければ、爆竹を鳴らすわけでもない。おとなしく参拝している。
 彼らにどのような意図があるかはわからないが、自分たちの同胞を殺した人々が神として祀られているところへ自ら赴くという姿勢に民族の違いを感じた。
 ただ勘違いされては困るが、そういう面だけを見て、中国人はフトコロが広いと援護をしているわけではない。どのような感情を持ってにせよ、自ら進んで見に行くというところは日本人にはない意識である。これは中国が戦勝国だから…っていう理屈は抜きにしてね。そろそろ日本も過去の呪縛から解き放たれてほしいと切に願う。(奥津)

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2008年1月28日 (月)

福田首相とボノ

ダボス会議の一環として、アフリカ支援に関する「円卓会議」が行われた。
円卓ときくとアーサー大王の円卓の騎士を思い出すが、その会議ではアフリカにおける貧困やエイズ問題に関する意見交換会が行われた。
たまたま番組の合間にやっていたニュースを見ていたらその模様が映り、ふと見るとそこには福田首相と、見覚えのある人物がいた。

「ボノだ!」

思わず叫んでしまった。ボノといっても、ハッスルでの曙の愛称ではない。
イギリスのロックバンドU2のボーカルだ。
ボノは、ホワイトバンドやエイズキャンペーンなど、慈善活動を積極的に行っている。
別にボノが円卓会議に出ていようが構わないが、福田首相とボノを見比べて、やはりボノのオーラがすさまじかった。なんだかんだいって大スター。
日本の首相なんて足元にも及ばない。

だが、これが小泉元首相とボノだったら? 

間違いなく違和感がなかっただろう。こう考えると、小泉元首相はかっこよかった。自民党をぶちこわし暴れに暴れたその姿は、彼の好きなXジャパンのライブ後のYOSHIKIのようだ。彼はライブ後必ずドラムを壊す。小泉=ロック。存在自体がロック。

そう考えると、日本の首相はもう少しおしゃれになったほうがいい。首脳会議の写真を見ると、他国の首相、大統領との差が歴然としている。プーチンなんて変なオーラが出ているし。
もう顔はどうにもならないからスタイリストをつけて、首相になったら大幅にイメージチェンジを断行することを法律にでも加えてもらいたい。それかオーラを出せ。あの亀井議員も大幅にイメージチェンジをはかって、かなりさわやかになったのだし。

それにしてもボノはいつの間に、慈善活動家になったのだろうか。これからもがんばってもらいたい。(奥津)

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2008年1月15日 (火)

日曜のアキバと上海。

 3連休の真ん中。日曜日に秋葉原へ行ってきた。秋葉原といっても徒歩圏なので歩き。そしていつもは行かない電気街へ。
 お目当てはソフマップでゲームソフトを売ることで、「べ、別にメイド喫茶とか行きたいとか思ってないんだからねっ!」(ツンデレ)。
 休日のアキバはカオス。
 オタクが脚光を浴びてからのアキバは観光地と化し、再開発も進んで、5年くらい前はもう少し小汚く、今は発見する方が難しいと言われている「ネルシャツ+ケミカルジーンズ+リュック+スニーカー」の典型的ファッションの方を結構な率で見かけていた。現在は、やたらとメイドさんがあふれていて、「おまいらそんなにメイド好きだったか?」というくらいいる。JR秋葉原駅電気街口を電気街へ向かって歩いてみてください。
 駅前で唄っている謎の女性(少女?)が数組と、それを取り囲みビデオ撮影や携帯のカメラで撮影する人々もいた(筆者、高熱が1週間続きヘロヘロのため取材断念)。
 発展し変遷を遂げる秋葉原の街を見て、変わらないところは変わらず、しかし風景や闊歩する人々を見て、中国を思い出した。
 中国沿岸部の都市(主に北京、上海)は、ここ数年激変している。
 上海へ行った折、同行者が「10年前とは大違い」と言っていた。きれいなショッピングモールやビルなどが建ち商業都市として発展を遂げている。
 初めての上海を見て感心していたが、一歩路地を入ると閑散とした汚い道と、上海人の素の生活が広がっている。
 日本もかつては、路地を入ると寂れた風景が広がっていたのかもしれないが、上海もさらに発展が進めば表だけではなく裏側もきれいになるのだろうか(国民の衛生概念等が変わらなければどうしようもないが)。
 都市の発展は、発展途上だろうが先進国だろうがプロセスは変わらない。
 実際、開発前の秋葉原は小汚く(失礼)、マニアが集ってアングラな空気を醸し出していた。しかし街自体が「これから生まれ変わる」という空気漂わせてはいたが。 開発途上にある都市の移り変わりを、秋葉原で、しかもワールドワイドに実感した日曜日。
 そして熱が下がらない私であった。トホホ。(奥津)

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2007年12月25日 (火)

メリクリ☆

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 今日はクリスマス。昨日は月曜日でクリスマスイブだったからケーキを買って、シャンメリー飲んで、ケンタッキーでフライドチキンを食べた家庭が多いかと思われる。

 昨日のことだが、夫が銀座へ行きケーキを買ってきてくれた。

 

 さて、今年は空前の食品業界の偽装ブーム。赤福、白い恋人、不二家ほかいろいろ。

 北海道土産で白い恋人を食べまくったあとに偽装が判明したときはビックリ。そして、小さい頃から好きだったペコちゃんも偽装。

 ミルキーはママの味どころではない。あのペコちゃんの舌は、「消費者騙すなんてたいしたことじゃないよ」と舌なめずりしている姿だったのか。

 

 クリスマスを前にして不二家の偽装が再び判明した。つい最近、営業を再開し、さんざん叩いたマスコミもお涙頂戴ドキュメンタリーの放送したときは失笑を禁じえなかったが、結局、小売店がいくら販売努力しても本社の体質が変わらない限り消費者は騙され続けるのだろう。

 

「不二家にはがっかりだよ」(桜塚やっくん風)と思いながらニュースを見ていたら、夫が「お土産」と言いながらケーキの箱を差し出してきた。

 ちょうどケーキが食べたかったので喜びながら箱を見てみると、不二家のデコレーションケーキだった。

 

 その日の夕方、家族みんなでケーキを囲み紅茶を飲んだ。

チョコレートに描かれたペコちゃんの目が邪悪な光を放った気がしたのは気のせいだろうか……。

 

クリスマスケーキは作り置きとはいうが、やはり不二家のケーキは懐かしい感じがした。

ごちそうさまでした。

来年は天使の笑みを浮かべたペコちゃんと会えますように。

メリークリスマス。

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2007年12月20日 (木)

■制作中

月刊『記録』の制作中である。どうにかこうにか今年最後の発行に至りそうである。毎度のことだが多少ラインナップが濃厚すぎる感じもするが、次作も乞うご期待。

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2007年12月18日 (火)

銀座で猫

Cat 土曜日のこと。
 銀座へ行ってきた。目的はユニクロと、1000円カット。マロニエ通りから銀座2丁目に出て、4丁目交差点の方へ歩いていったところ……。
 ミキモト、山野楽器あたりに、カメラ付き携帯などを片手にパシャパシャ撮っている人たちがいた。
 なんだなんだと普段は人だかりに興味を示さないが、せっかくなので近づいていってみた。
 土日の銀座は歩行者天国になっている。「人寄せ行為」が禁止になっていて、道路中央にはテーブルがいくつか置いてあり銀ブラを楽しむ人々が憩いでいる。
 そこにその奇妙な人だかり。
 近づいてみてみると、「銀座4丁目」の表記看板の上に3匹の猫。
 「ぬこ!ぬこ!ギザカワユス!」(中川翔子風)って感じでバシャバシャ撮られている。
 看板の上で眠る猫に奇妙さを感じながらも、面白い被写体だったので私も携帯カメラで撮ってみた。
 毎年恒例の8月15日靖國神社肉弾戦取材で鍛えられているので、人混みをくぐり抜け良いポジションを取ることにはなれている。
 絶好のポジションをとったものの背が低いのでオヤジの頭の攻撃と、逆光で良い写真を撮ることができなかった。
 しかし、その猫3人組(親子?)だが、撮られ慣れているのかどうかはしらないが、たくさんの取材陣に囲まれながらも堂々としたそぶりで佇んでいる。
 周囲から、「あんなところで寝てるなんてかわいそう」という声がちらほら聞こえたが、かわいそうだと思うんなら降ろしてやりなよ……と呟きそうになった。
 動物愛護の観点からみればかわいそうなのかもしれない。しかし、猫にも猫なりの意志があるわけだし、なにか嫌だと感じたら逃げ出すだろうが、ペットとして生きてきて、野生さを失っているのならば無理かもしれない。
 猫たちをみて、いくらかわいそうだといっても逃げ出すことはなさそうだった。

 1時間後。
 ユニクロで大量に買い込みヒーフーいいながら猫たちの様子を見たらいなくなっていた。
 今後この猫たちとまた遭遇するのだろうか。(奥津)

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2007年12月 4日 (火)

携帯小説。

 少し収まってきているが、携帯小説が盛況だ。
 2006年10月に発売され100万部以上の売り上げ、映画化もされた『恋空』、第1回日本ケータイ小説大賞大賞作品、来年2月に映画公開される『クリアネス~限りなく透明な恋の物語』、最近は「魔法のiらんど文庫」というものができ続々と新刊が出ている。
 現在(2007/12/3)魔法のiらんどには48204作品あり、今後も増えていくだろうと予想される。
 魔法のiらんどの歴史だが、1999年にドコモのiモード専用無料ホームページ作成サイトができたところから始まる。
 携帯小説の先駆けといえば、yoshiの『Deep Love』だが、援助交際を続ける女子高生が主人公で最終的に死ぬというストーリー。その続編が、前作の主人公と関わりのあった少年がホストになる話。完結編が、1作目の主人公の友だちが売られていくという話。なんとなく現実味のありそうな、けれど普通に考えればあり得ない荒唐無稽なストーリーにもかかわらず250万部以上売れ、ドラマ化もされた。たくさんの女子高生を涙させた『Deep Love』から3年、『天使がくれたもの』(chaco著)が発行された。
 最近の携帯小説は、完全フィクションまたはフィクションとノンフィクションをミックスさせたものが主流となっている。
 少女小説のような物語(地味な女の子がカッコいい男の子(不良だったり、学園長の息子だったりいろいろ)に見初められ恋が始まる…… といったもの)からホラー、サスペンスなどいろいろそろっている。
 あまりにも話題になっていたのでいろいろと読んでみたが、ションベン臭いガキが本気の恋だとのたまってみたり、盛りのついたサルのように避妊もせずにヤリなくり揚げ句妊娠、産めないから中絶、または流産、たいした理由のないレイプ、死亡、ホスト狂い、キャバ嬢→風俗嬢→泡姫→真実の愛に目覚める……。劇的な出来事をチャンポンした小説も結構多い。
 それがリアルだと感じるのかはよくわからないが、共感され涙を流している読者が多くいるのは間違いない。
 いろいろ読んで研究してみたが、どこが感動ポイント、共感ポイントかが未だわからない。
 ジェネレーションギャップなのかとも思ってみたが、読者層が10代だけではなく20代にもいる。
 小説のだいご味は追体験だが、主人公を普通のどこにでもいる女の子という設定にし、狭いコミュニティの中に友だちを放流。関係性はグループの中に彼氏の元カノがいたり、元カノが友だちと付き合ったりと恋愛中心に回っている。こういう状況は学生時代に経験したことがある人が多いはずだ。
 ここまではシチュエーションに無理はない。しかし、そのあと、レイプ、妊娠、死亡、ドラッグなどの要素が絡んでくると途端に現実味が薄まる。
 大多数の人間が経験しないようなことを、主人公やその周りの友人が経験する。追体験するなら一つの作品の中でたくさんの出来事があったほうがいいのかもしれないが、そういったことは隠し味として使うからおもしろいのであり、多すぎるとかえって食傷気味にならないのだろうかと感じてしまう。
 いくら携帯小説をよんでもその疑問が解消されることがないので、つい先日から携帯小説を書き始めた。とりあえず書くことでなにかわかればいいと思っているのだが、私の疑問が解消される日はくるのだろうか。(奥津)

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2007年12月 3日 (月)

気管支炎

最近のお医者はやけに丁寧だと感じる。
しばらくの診察のあと、言い渡されたのは“気管支炎”だった。「肺炎かもしれないから」と言われようやく行った内科だったが肺炎より軽い気管支炎でまだよかった。
まず、最近のお医者は症状がどのようなものなのか、何をすればいいのか、何をしたらダメなのかを懇切に説明してくれる。そして、薬を決めるときには一方的に決めるのではなく、患者(私)とあれこれ相談しながら決める。パソコンのモニターで薬価を示しながら予算の心配までしてくれる。気管支炎ごときでセカンドオピニオンをする奴はいないだろうが、まるでそれをさせないかのごとく丁寧に感じた。
内科の場合はまだ分かるが、患者への対応が必死さを伴うのは歯科医の場合ではないか。ウソか本当か分からないが、どうやら現在、歯科医はコンビニの数と同じくらいあるらしい。高い授業料を払っても歯科医は働く先がない。それなりの患者の数を診なければならないだろうから治療室はバタバタしているが説明はかなり丁寧である。
丁寧であるから治りも早い、のならいいがまだ処方された抗生物質は効き目があまりない。(宮崎)

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2007年11月20日 (火)

究極の贅沢? 週刊ハーレーダビッドソン。

Dsc05716 テレビCMを見ていて、ハートに「ズギューン!!」と来たものがあった。
 それはかの有名な集めると何かがコンプリートできるデアゴスティーニから新しく発売された『週刊 ハーレーダビッドソン』だ。
 ちなみに私はバイクに興味はないし、ハーレーも好きではない。なんというかハーレーというと、バイクの横に小型の席があるバイクを思い浮かべてしまう。
 そんな私がなぜ、「ハーレーダビッドソンに胸キュンしたかというと、どうやら完成するとライトがついて、さらにエンジン音まで出せるらしいからだ。
 正直なところその少し前に発売された『週刊 ディズニーランド』も気になっていて、こちらはコンプリートするとフロリダのディズニーランドができあがるそうな。さすがに家が狭いので買うのはよした。
 このハーレーだが、できあがるのはファットボーイという車種で1/4スケール。店頭でできあがったものが飾ってあったが思ったよりも大きかった。
 スペックは、重量6.8キロ、全長59.7センチ、幅25.5センチ、高さ27センチ。写真のタイヤを見てもらえればわかるが、店頭で中身を見たときはさすがに買うのがためらわれたが、頭の中で「ダダンダンダダン……」と、ターミネーターの曲が流れ、我が家に飾ってあるターミネーターの金属の頭が思い浮かび買ってしまった。 
 初回は毎度のことながら特別定価890円。2回目以降は、1790円。高い。最終的に何冊買わなくてはならないかは、夫婦円満のためにも控えさせてもらうが、相当な出費がかかることが予想される。
 さて、このデアゴスティーニだが、どのような会社なのかを少し説明すると、地理学者のジョバンニ・デアゴスティーニ氏が、ローマに地理学研究所を創設し、学校用の近代地図を発行したことから始まる。1901年のこと。日本へは1988年に参入。弟が1993年に発売された『恐竜ザウルス!』の創刊号を買っていたのを思い出すが、デアゴスティーニの根幹には、「パートワーク」というものがあり、ある分野の知識やハウツーなどを毎週少しずつ提供し、コンプリートするとその分野の百科事典ができあがる仕組みになっている。なので、バインダーがセットになっていたりする。
 さて、今回買ったハーレーだが、これはパートワークに組み込まれるのだろうか。
 作る系では、『戦艦大和をつくる』(靖国ライターとしては作るべきか!?)、『ROBOZAK』(ロボを作る)、前出の『恐竜ザウルス!』など、知的好奇心を満たし、さらにちょっとした知識を得ることができる。
 しかし、このバイクはどうなんだ?
 どちらかというと、知的好奇心をくすぐるというより、大人のための無駄遣いとしか思えない。
 子どもが買うには高いし、コンプリート予定の総額はなかなかいい値段だ。ガンプラ(ガンダムのプラモデル)のマスターグレードをいくつか買って飾った方がいくらかマシな気もするが、大人の男の部屋にガンプラが置かれているより、ハーレーが置かれていた方がいい男ポイントがあがりそうだ。見栄えもいいし。
 とりあえず2号まで買ったが、次はどうしようか悩んでいる。うちのターミネーターの頭のために作るか、それともゲームを買うか……。 
 大人の無駄遣いに大いに悩む私は主婦失格だろうか。私の手よりも大きい前輪を見つめながら考えることにして、もしコンプリートしたあかつきには、その勇姿をディスプレイベースにに載せてアップしようと思う。(奥津)

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2007年11月19日 (月)

予防接種は自由価格?

本格的にカゼをひいた。
熱、セキ、頭痛、悪寒、関節痛とフルコースのカゼらしいカゼ。インフルエンザの予防接種を受けた日に発熱した。医者によれば予防接種と発熱は特に関係ないとのこと。
私の場合はインフルエンザではないのだが、3つの型があるインフルエンザが予防接種の型と合わなかったら予防接種は意味のないものになってしまうのか。どうやらそういうことではないらしい。Aソ連型(H1N1)、A香港型(H3N2)、B型の3種混合ワクチンは現在スタンダードになっている。とはいえ新種の型が発生してしまうと3種混合でもカバーすることができないのだが。いずれにしても最善の対策は予防接種を受けることとお医者さんが言われる。
予防接種は健康保険が適応されないため原則として全額自己負担になる。そして、どういう理由だかは分からないが病院によって値段のバラつきがけっこう大きい。原価がいくらだとはさすがにハッキリ教えてくれなかったが、1回で1500円の病院もあれば5000円を超える病院もある。ネット情報では実に7000円ということろまであった。価格設定が自由なのならば、予防接種シーズンは病院にとっての書き入れ時なのではないか。
インフルエンザが流行るのは12月以降。予防接種の効果は打てば即、というわけではなく2週間を要するそうだ。効果持続は約5ヵ月。つまり今が打ち時である。何千円の差額を厭わない人であれば、すぐさまお近くの病院へ。厭うなら調べてからにしたほうがいい。ちなみに私が受けた病院では2500円だった。(宮崎)

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2007年11月13日 (火)

日刊「記録」もあります。

 月刊「記録」編集部と並行して、日刊「記録」というブログをやっている。
 月刊のほうはご存知の通り担当ライターが毎日原稿を書いて更新しているが、日刊のほうは過去の「記録」に載った原稿をアップしている。
 少々、更新がおろそかになってしまったが、連載や過去の特集をアップしている。
 記録は2000年3月号までA5版で発行していたが、2000年6月号から現在のA4版での発行となった。
 現在の版型になってからページ数も減り、連載数や特集数、その他の原稿を載せることが難しくなった。無名の原稿を書く場を求める書き手のためにページを割きたいもののなかなか許されない。
 年々、購読者数が減り赤字続きで印刷用紙のランクアップも断念した。ここ数年、記録復活のため編集部員一丸となって努力している。
 その一環として、日刊「記録」ブログを立ち上げたのだが、月刊「記録」とリンクを張っていないため知らない読者が多いかと思われる。
 過去の記録の記事が読みたい方は、是非、日刊「記録」にアクセスを。(奥津)
http://nikkankiroku.cocolog-nifty.com/blog/

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2007年10月16日 (火)

申し訳ありません

先週末から熱を出し、まだ下がらず寝込んでしまっています。今日は、ベトナム紀行の続きを書く予定でしたが、未だ熱が下がらないのでお休みします。寝ます。おやすみなさい。(奥津)

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2007年9月23日 (日)

ブログ内のアクセストップ10記事に関するコメント

http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2007/09/07_5d9b.html
 今回は、上の記事で紹介したこの4月から9月現在までの半年間でアクセスが多かった記事/ページのランキングにおけるトップ10記事についてのコメントを書いた。

■第10位 なぜか「ビバヒル」。その後、彼らはどうなった?

 言わずと知れた、実に10年も続いたアメリカのテレビドラマである。のっけからなんなんだが、この記事に関しては読者に対して申し訳ない気がしている。
 誰に対して申し訳ないかというと、他でもないビバヒル・ファンに対して申し訳ない。というのも、記事を読んでいただければ感じるだろうが、ビバヒルに対する愛情のようなものに欠けた文章になっている。何を隠そうわたしは別にビバヒルが好きでも何でもないのだ。
 これだけならば別に自責など感じる必要はない。問題はグーグルで「ビバヒル」と入れたとき、同記事が100000件のうちの3番目にきてしまうことにある。どういうワケでこんなに上位に入ってきてしまうのか分からないが、あえて言えば「ページのランク付けロボットでは愛情を感じ取ることができない」ということだろうか(おお、決まった!!)。もっとビバヒルに対して愛情を持った人のページが上位にくればいいのに。そういうワケで少し申し訳ない。(宮崎)

■第9位 練馬一家5人殺人事件の現場を歩く

『あの事件を追いかけて』シリーズでは最も上位にランクインした。理由はよくわからない。
 24年も前の事件だが、犯人に対する死刑が執行されたのはわずか6年前である。
 この類の取材をしていて気付くのは、印象の強い事件であれば、どれくらい時間が経ってもその地域に暮らす人々の頭には事件のことが残っている、という単純な事実。ただ、人の入れ替わりが激しい市街地になるとそうではなくなる。
『あの事件を追いかけて』を書き始めたときは思っていなかったが、最近では、どのようにして人々の記憶から事件は薄れていくのか、ということを考えるようになった。それは、土地が事件を忘れていくということでもある。(宮崎)

■第7位 指定暴力団の内訳
 
 この記事が上位に来たか、とちょっと驚いた。暴力団の内訳を知りたいと思う人が多いとは思えないが、検索などのでたどり着いているのだから調べている人が少なくないということだろう。
 やくざ映画が隆盛を極めた時期があることを指摘するまでもなく、けっこうやくざものは人気だ。フレンチコネクションやゴッドファーザーなども人気が高いから、世界中にワル好きがいるということだろう。(大畑)

■第6位 池内ひろ美氏の「期間工」差別を嗤う

 出版などで意見を発表できることで、特権意識が芽生えるのかもしれない。池内氏の問題のブログを読んで、そう思った。それは会社の大小ではないかもしれない。自分自身、ホームレスを取材したとき相手をバカにしなかったといえば、とても否定はできないからだ。
 ただ、彼らもこちらの気持ちを瞬時に見抜く。結果として取材を断れたり、ときには試すように拾ってきた食事を差し出されたりする。「まさか食えないとは言わないだろうな」という目つきで、こちらを見る。相手も真剣だったから絶対に断れなかった。でも、ヘタレだからいつも数時間後に腹を下していた。
 差別という話題を考えるとき、結局、僕は一度してホームレスの食事を消化できなかったという事実を思い出す。大きなことは言えない。自分だって差別している。ただ、それが恥ずべきことだとは感じている。(大畑)

■第5位 モリサワからの挑戦状

 6月頃、たしかに株式会社モリサワから書体見本がドンと送られてきた。見本を見ながら、「うーむ」「すごいな」「コレいいね」と楽しく品評会をさせていただいた記憶がある(モリサワさま、その節はお世話になりました)。
 フォントひとつで出版物の印象は恐ろしく変わる。できれば適フォント適所でカッコよく物作りをしたいが、あまり知られていないことだが質を伴ったフォントは高価である。
 編集者養成の学校でも書体についてはサワリ程度学習するようだが、それでもDTP全盛の時代において若い編集者の書体に対する嗅覚は明らかに鈍ってきている気配がする。考えるまでもないが、DTPでは書体を選ぶ際、インデザインなりクオークなりの画面でプルダウンからちゃちゃっと書体を選ぶだけでコトが済む。ひと昔前はわざわざ書体を指定するために書き込みをしていた。DTPではフォントの名前を覚える必要すらあまりない。わたしも若い。よってこの項にについてあまり多くを書くことができない。それでも、タイポグラフ的な開発の現場がどのようなものであるかは興味がある。もしよろしければ取材させてください!(宮崎)

■第4位 写研書体が使いたい!

 5位と話題が少しカブる。写研は写真植字機(写植)や電算写植の生みの親である会社だが、どうやら経営者の絶対的な支配力が揺るぎないなど謎に包まれた会社でもあるらしい。
 現在のDTPではフォントの大きさにP(ポイント)が使われることが多いが、もちろん従来の「級 (Q)」や「歯 (H)」もソフト上で使うこともできる。「級 (Q)」や「歯 (H)」といった組版における単位は何を隠そう写研の組版機が採用した単位であり、それが普及した過程がある。このことからもこの業界における写研の影響力が伺える。
 私のような若輩には分からない領域なのだが、長く出版に携わってきた編集者には、写研の方針でDTP上で現在扱うことのできない同社フォントの「復活」を待ち望む人がいる。そういう話はたまに聞く。そういう人たちはまさに「写研書体が使いたい!」状態なのだろうが、それならばと早速写研に取材を申し込んでしまうのがこの編集部である。その顛末は以下の記事に記されている。(宮崎)
http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2006/04/post_fd8b.html

■第3位 プロフィールページ

 この記事を書くのに、久しぶりにプロフィールページを読んでみた。まあ、状況は変わってませんな……。
 このプロフィールにも記したが、前職の内装デザインは本当に大変だった。どうも絵に対する能力が徹底的にかけているらしく家具の立体完成図とか描くと、なんだか平面ぽい仕上がりになってしまうのだ。
 先輩や同僚は皆くびをかしげた。デバイダー(直角・直線が引ける製図用の机ですね)を使って描いて、どうして平面の絵が仕上がるのか分からなかったらしい。で、僕にはどうやれば立体ぽくなるのか分からなかった。あまりにピント外れだったから怒られることもなかったが……。
 まあ、あまりにも合わない仕事を体験したおかげで、労働環境が気にならなくなり、この会社にいたりするわけですね、はい。(大畑)

■第2位 宇野正美氏の反論

 この記事は『記録』95年8月号に掲載した「日本ユダヤ教団理事長に聞いた」(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2005/09/post_08df.html)への反論である。元々は特集「オウム問題の裏をよむ」の中の記事であり、オウム真理教が唱えたユダヤ人陰謀説について日本ユダヤ協会にインタビューしたら宇野氏の名前があがった。それじゃあと宇野氏に反論してもらったしだいだ。
 この特集の取材で記憶しているのは、じつはユダヤ教団理事長の話ではない。日本フリーメイスンの広報委員会委員長への取材だった。自宅までお伺いしてお話を聞いたが、「秘密結社」の幹部とは思えない柔和な方で、フリーメイスンが世界を支配しているという話には、ホトホト困った様子だった。
 儀式などは完全に秘密にされていると言われるが、一部の儀式は公開されていると知った。芝にある協会本部も美しいので、儀式を見学に行くのもお勧めである。ただし、まだ公開されていればだが。(大畑)

■第1位 和合秀典氏の逮捕とフリーウェイクラブの正当性および「大丈夫」

 和合さんには月刊『記録』8月号の特集「“参議院・異色候補吠える”」でも取材させていただいた。自身含めフリーウェイクラブの面々がいきなり逮捕され、選挙でも苦戦中だったのにもかかわらず驚くほど元気だった。「国が逮捕してまで運動を潰そうとするなら、大人のケンカをせざるを得ないでしょ」と言い、豪快に笑った姿が印象的だった。
 首都高の料金がいきなり値上げされたことに怒り、20年近くを戦い続けてきた人である。それで有名になりたいとか、金儲けをしたいとかでもない。もちろん暇だから噛みついたというような人でもない。それどころか会社の社長として、走り回っていた。ようは納得できないできなかったから立ち上がっただけなのである。
 主張もこじつけや屁理屈ではない。民間の会社がこれだけ苦労して製品単価を下げているのだから、いきなり高速料金を20%も値上げするな。無料にすると約束したなら無料にしろ。ひどく当たり前のことだ。だから当人としても、ここまで長い闘いになると思っていなかったらしい。
「みんなが500円通行を始めたら、すぐに高速料金なんか変わるよ。だって当たり前のことだろ」
 もう10年以上前になるが、和合さんはそう言ってニコニコと笑ったのだから。
 頭は切れて、押し出しも強いが、にこやかで気持ちの良い人である。細かなことを気にするタイプでもない。むしろ、「まあ、いいじゃないか。気にすんな」と豪快に笑い飛ばす人だ。だからこそ運動に人が集まってきたのだから。
 そんな和合をここまで怒らせ続けているのだから、旧道路公団の面々もある意味スゴイ。日本を支配する官僚制度の嫌らしさと怖さを、和合さんの運動を通して知った気がする。(大畑)

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2007年9月20日 (木)

月刊『記録』編集部ブログ・07度上半期の人気記事ランキングと検証(上)

以下のランキングは、当ブログにおける今年4月から9月現在までの記事別アクセスランキングである。

1位 和合秀典氏の逮捕とフリーウェイクラブの正当性および「大丈夫」
2位 宇野正美氏の反論
3位 プロフィールページ
4位 写研書体が使いたい!
5位 モリサワからの挑戦状
6位 池内ひろ美氏の「期間工」差別を嗤う
7位 指定暴力団の内訳
8位 日本政策投資銀行は潰すに限る
9位 練馬一家5人殺人事件の現場を歩く
10位 なぜか「ビバヒル」。その後、彼らはどうなった?

11位 池内ひろ美が語る「市橋容疑者への推理」を嗤えるか?
12位 参議院選挙を前に恒例の綿貫民輔先生絶賛
13位 市川一家4人殺人事件の現場を歩く
14位 静岡大学教育学部附属静岡中学校
15位 岩の坂・実在した貧民窟の現在
16位 エアコンから大量の水漏れ
17位 奥田碵トヨタ会長という名の怪物
18位 上杉隆さんへの濡れ衣
19位 唯一無二のケンカ極道・花形敬が刺された場所を歩く
20位 武藤日銀副総裁の総裁就任を許すな

21位 亀田に怒った具志堅用高の真意
22位 オウム総本部・村井秀夫が刺された場所
23位 朝青龍擁護と巡業をめぐる深い確執
24位 麻原彰晃と大川周明の「詐病」
25位 「ハンカチ王子」斎藤佑樹の将来は暗黒とのデータ
26位 属性しか語らぬ安倍晋三の正体
27位 『吉原 泡の園』第26回/解説・ソープのサービス!
28位 岩の坂・実在した貧民窟2
29位 三河島鉄道事故・現場を歩く
30位 歌舞伎町ビル火災事故・「明星56」の現在

     *    *    *

 このブログを立ち上げて2年くらい経つ。このブログを見てくれている方々がどんな目をもって日々閲覧しているかは知りようもない。担当が複数いて全体としてブログの性格が定まっていないような感じもしている。ヤミ鍋的というか。
 いちおう1週間サイクルのローテーションはあるのだが、たまにズレてしまう。が、着実にアクセスは増えているようだ。
 今回は、この4月から9月現在までの半年間でアクセスが多かった記事/ページをランキングにし、その中でもトップ10記事について日曜日の回で検証・コメントしていこうと思う。ランクインしている記事の中には新しいものもあれば古いものもある。例えば7位に入っている「日本政策投資銀行は潰すに限る」などは2005年の記事だが半年で700件くらいのアクセスがあった。
 アクセス解析を見ると、検索エンジンから飛んでくる場合77%がグーグルから来ている。次はヤフーの12%。このことから、今回のランキングでアクセスの多かった上位記事はグーグルの検索キーワードで上位に入っているのか、といわれると事実そうなっている。
 このブログの記事はどういうわけかグーグルの上位に来るものが多い。「岩の坂」など、グーグルで検索するとなんと9000件の記事中トップに出てくる。この環境を活かして広告でも入れるという選択肢もあるのだろうが、そういう話には今のところなっていない。最近では現役理学療法士の連載も始まってますますジャンル混交的なものになっているが、ハッキリ言って今後の確たる指針などはない。ただ、面白いものをアップしていこうと思っている。

 こんな話題、こういう記事を書いてくれ!という要望などコメント欄にでも入れてくれれば、そのうち取り上げることがある「かも」しれません。(編集部)

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2007年9月17日 (月)

ブログの休日

体調不良につき月曜のアップができない状況です。『あの事件を追いかけて』はまた来週に。(宮崎)

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2007年8月27日 (月)

あー、忘れた!

 完全に忘れていた。
 そう、今日はわたしの担当だった。部下と日にちを変わったのである。今日はアップされていないと編集長から指摘されても、自分の番だと気づかなかった。我ながらひどい記憶力である。

 昔から記憶力が弱かった。友人の名前を覚えるのも苦手。久しぶりに会って、まず思い出したことがない。ひどい時になると、いつの同級生か分からなかったりする。
 誕生日などを覚えるのも苦手だ。あまりにも覚えないから、誕生日の覚え方まで考えてくれた彼女がいた。「よい午後だからね」と。1年後、奇跡的に「良い午後」は覚えていた。だから「4月5日、どうする?」と3月中に尋ねたら、「なに?」とけげんな顔をされた。
不思議に思って「よい午後でしょう」と答えたら、あきれたように言い返された。
「11月5日! いい午後でしょ!」
 本気であきれた人間は怒りもしないのだと知った。

 社会人になり、すぐ忘れるのが怖いのでメモはけっこうするようになった。ただ、今度はメモが紛失するようになった。メモを置いた場所を忘れるからだ。メモ帳に書き続ければ無くさないと思ってやってみたが、無くならない代わりにメモ帳をめくるのを忘れるようになった。結局、いまは付箋に書いてモニターの周りに貼り付けてある。現在14枚。そのうちメモが風景の一部となって、また忘れてしまうのだろう。
 ちなみに今回のブログの話は机の上のカレンダーに書き込んでいた。31日にオレンジのダーマトで31日に丸が付けられ27日、つまり今日に矢印が延び「ブログ」と書かれている。

 大丈夫だろうか?

 というわけで、壮大な言い訳でブログを書いてしまいました。賢明なる読者の皆様すみません。(大畑)

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2007年8月20日 (月)

板橋区の公文書館

 ルポものを準備してますが、『記録』入稿前でアップできない状態です。去年何度か取り上げた板橋区・岩の坂について再度調べているところ。地域のことを調べたいのであれば区の資料室が最も充実してると思ってたけど、先日職員さんに教えてもらった「公文書館」という施設にはよりディープな資料が存在していた。

 何でも、所蔵資料には区の公文書の中でも保存期限が過ぎて廃棄対象とされたもののうち、歴史的な価値があると判断されたものが移管されたものも多いという。書籍ではなく冊子のものが多く、岩の坂についても住民1世帯の暮らしぶりの簡単な聞き取り調査などミクロな資料がある。地名に関する詳しい由来の書籍や歴史資料なら区役所などの資料室にあるが、さすがにそこまではない。訪れる人もそんなに多くないようで職員さんにも丁寧に対応していだいた。(単に盆あたりだから少ないだけか?)というわけでアップはしばしお待ちを。

アフガンから白川徹さんが帰ってきた。書きたいことがたくさんある、と電話の向こうで元気そうに喋ってくれた。メチャメチャに疲れたけど家で一休みしたら回復した、というバイタリティの持ち主である。しかもお土産まで買ってきてくれたというスバラシイ気配り。『記録』で連載中の『忘れられた国内避難民』、今後とも乞うご期待です。

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2007年8月19日 (日)

ブログやmixiは取るに足らないものなのか

 たまに、見知らぬ書き手が書いたブログの海をじっくりとサーフする。方法は簡単である。たとえばココログならトップページからカテゴリを選んで新着記事をテキトウにクリックしてみる。FC2でもYAHOO!ブログでもgooブログでもだいたい同じである。
 高みからモノ言うような言い方で申し訳ないのだが、御存知のようにブログの大半は取るに足らない内容である。
 要約すれば「○○に行った」「○○を食べた」「ドラマの展開に驚いた」「○○がカッコイイ」といったことがなんとなく書き込んである。特別な情報や経験に裏打ちされた視点があるわけでもなく、何かの感想が何となく書いてあるという感じだ。しかもタレント性があるわけでもない顔の見えない市井の人が書いたものである。記事に対するコメントもなく、この人にブログを書き続けさせるものは何なのだろうか、と理解に苦しむものが多い。
 じゃあなんでそれをたまにチェックするのか、というと自分でも理由は判然としない。ただ、いまネット上を漂う膨大なブログの状況はまさに玉石混淆で、ディープな視点や知っておくべき情報が書かれてある記事にぶつかったりすることもよくある。このニュースについてこんなに深く考えている人がいるのか、と妙に勇気のようなものを得ることもある。

 この気まぐれな「巡回」を初めて2年ほど経つが、まったく見えている風景が同じというわけではない。先に書いたような「何となくの感想文」パターンが減って、一読してみようか、という内容のものが増えている気がする。バブルが収まったのではないかと思う。HTMLの技術も要らず、しかもタダでテキストを公開できる新しいツールに手を出してみた。が、ブログの総数は死ぬほどあるらしく、コメントもトラバもつかず、なんだか目的も分からないからやめた、という収まり方ではないか。06年3月末に総務省が発表した数字によると、その時点で868万のブログの登録があったそうだが、退会手続きを踏まないまま放置されているものは相当数に上るような気がする。
「ブログなど取るに足らないもの」と私自身思ってた時期もあるが、どうやら状況は変わるようだ。新聞離れが日本より顕著なアメリカでは今やニューヨーク・タイムスやワシントン・ポストの記者が自ら自社サイト上でブログを発信している。
 ブログの全体的な質やツールのステータスはおそらくこれから変わっていく。そういう意味でもしばらく巡回は続けようと思っている。

 取るに足らないものとして位置づけられていそうなツールにSNSも挙げられるのではにないか。mixiをはじめとするそれらは招待状がないとアカウントが作れないことになっていて、アカウント作成後も自分が承認した相手だけにテキストを公開することが可能(設定によるが)。インナーサークルで取るに足らないことを書き合うなんてさらにダメなんじゃないのか、といったところだが、SNSの特徴である「コミュニティ」は使い方次第で特定の情報を集める手段としてかなり「使える」ツールになる。
「コミュニティ」は特定の趣味やトピックを集合地点としてあつまる文字通りのコミュニティで、だいたいは誰もが参加可能な集まりだ。ニッチな趣味であってもmixiでいえば1000万人近い規模だから、集まる人数もバカにはできない。
 例えば「ロシア映画」を集合地点として、机の前に居ながら何百人が集まることができる。これは前代未聞の事態だろう。普段生活をしているなかで、ロシア映画ファンを見つけることはメチャクチャに難しいだろう。
 趣味だけでなく、社会問題に関するトピックでもかなり多くのコミュニティが出来上がっている。原発で例えると、中越沖地震後のコミュニティの書き込み数の伸びは驚異的で、単に「原発は危険だ」的な次元の書き込みではなく、それを報じる新聞のウェブサイトへのリンクが張られ、危険性や安全性を科学的に証明する研究へのリンクが張られ、中には海外の記事を翻訳したものが載ったこともあった。
 膨大な知識を脳にため込むという意味での知識人は必要でなくなる、情報はサーチエンジンにキーワードを入れるだけで手に入れることができる。こんなことが言われるようになったが、サーチエンジンにキーワードを入れるよりも効率的なハブの役割をはたす情報の集積地点がmixi内に置かれている、というのはたぶん暴論でもない。

 とはいえ、あらためて今ブログをざっとサーフしてみると、やはり取るに足らぬものが多い。それでもどちらかというと「擁護」の立場を取ってるのは、「本を読まない若者はアホになった」的な単純構図にブログ群の片隅で異議アリを唱えたくなったから、という気もある。私もひねくれているのかもしれない。ところで、大前提として、オマエ(自分)に玉石が判別できてるのか、という問題もある。が、そこらへんはウヤムヤにして今日のブログを閉じるのである。(宮崎)

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2007年8月12日 (日)

蓮根の連続イタズラ通報

 最寄り駅の蓮根で降りてしばらく歩くと、道いちめんに消防車が停まっていた。地元の人にしか分からなくて恐縮だが、デニーズやニッポンレンタカーのあたりである。ざっと6台の消防車が赤いランプをわんわんと回している。大火事か、大災害か? しかし、火はおろか煙も見えない。野次馬はあたり一面に溢れど、みな一様に「どこで火事が?」といった表情でお互いを見合っている。
 しばらくして、消防車から女性の声がスピーカーで流れてきた。
 ご近所のみなさま、今回の通報は公衆電話からのいたずら電話でございます、どうぞ火の元には気をつけてお休みください……。
 集まった人の何人から「またか……」という声が聞えてくる。どうやらここ最近こんなことが何件か続いてるらしい。夜の11時も超えたころだ。
 が、住民よりもいきり立っている消防士がいた。いたずらだったんだから分からなくもない。当然ともいえる。(消防車が出動する費用というのはやはり税金なのだろうか?)

 真夏にいきり立つ男がいる。

 なぜか勇気のようなものが出てきた。消防士に負けずに俺も書くぞ書くぞと思った。飛んで火に入る虫でもいいではないか。夏本番なのである。夏休みバージョンだということでごくライトで意味のないこんな書き込みでもよろしいのかしら。(宮崎)

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2007年8月 7日 (火)

深夜のマル秘編集部レポート

 深夜3時。ネオンはきらめかないが、一部だけ眠らない街・神保町。その一角に月刊「記録」編集部がある。 そしてそこに、男と女が二人きりで泊まっている。
 男の方は、不惑も近い最近は徹夜も辛い大畑。そして、女の方は仕事が終わらずやむなく泊まりの奥津。
 これまで何度も一夜を共にしてきた二人。彼は私の寝相やいびき、麻呂のような顔も知っている。そして私は彼のいびきや、少し薄くなってきた頭皮のことも知っている。
 狭い編集部内で男女二人きり。二人きりといったら起こることはただ一つしかない……だがここは職場である。 二人とも既婚者でいい大人だ。モラルもある。にもかかわらずアクシデントが起きてしまったのだ。
       *     *
 奥津が大畑に誘いをかける。手には銀に光るポーチ。中から出てきたのはニンテンドーDS。
 そう、奥津は大畑の邪魔をするべくゲームを出してきた。ソフトはぷよぷよ。
 ぷよぷよしたものに目がない大畑は、奥津の目論みどおり興味を示した。しかし、彼にはやらなくてはならない仕事がある。「うぅ……どうしよう」小声でつぶやきつつ、結局は「ぷよぷよ弱いから早く終わるかもー」と喜んでエサに食いついてきた意志の弱い大畑。
 そして二人のぷよぷよプレイが始まった。
「おじゃまぷよを相殺してフィーバーにするんですよ」「ふっふっふっふ。フィーバーだー!あーっはっはっは」
 と二人はプレイにのめり込む。
 早く終わると言っていたにもかかわらず、なかなか終わらない。あっという間に5ラウンド。奥津も、「さすが大トリをつとめる人は格が違いますね~」と感嘆の声。 しかし、でかぷよにやられてしまいフィニッシュ。それにしても不惑に近い男にしてはすごいスタミナである。 クリアという目標の前に倒れた大畑の意志を継ぎ奥津が続きをプレイする。
 しかし、7ラウンドで撃墜。やはり若輩者には偉大なる大畑先輩の足下にも及ばないということを改めて思い知らされた。
 思う存分プレイしたあと、急に「ビリーやろう」と言い出した大畑。まだスタミナは切れていなかったようだ。肉体年齢は若いのだろうか。
 そして二人でビリーをやり始める。やり始めるといっても、DVDはみていない。二人で適当にやっているだけだ。しかし、ビリーのあの無駄なテンションと、軽快なダンスミュージックがないといまいちノれない二人は早々にやめてしまった。
 ふと二人の戯れから現実に戻った大畑は、「やばい、仕事をやらなければ! ……でも、まずはお菓子を買いに行こう」とまたしても欲望の渦の中へ飛び込んでしまった。
 そして二人で近くのコンビニへ行き、プリンとお菓子を買う。帰りがてらおもむろにお天気占いを始める大畑。 仕事でせっぱ詰まっているはずなのに、「あー、明日は晴れだー」と無邪気な声。
 そして、「奥津さんの履いているサンダル。投げ心地よさそうだね」という声に、やはり先輩の言うことは聞かねばならないと思った奥津がサンダルを投げた。
 その瞬間、サッカーボールのように大畑に蹴られてしまった。なんて嫌な先輩。
「ひどいわ……オヨヨヨヨ」と泣く奥津。なんていたいけな女なんだ。「いじめるなんて僕ちんが許さないぞ!」という声など、夜中の神保町にはあるはずもなく先輩に虐げられる奥津と、お天気占いプレイに満足した大畑は無事に帰社し仲良くプリンとお菓子を食べましたとさ。 おしまい。ちゃんちゃん。

 後日談。ブログをアップした直後大畑は寝てしまった。そして私は帰ることにした。(奥津)

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2007年8月 5日 (日)

格差について・圧縮版

 ちょっとショックなのだが、いわゆる“格差社会”について、20代というタイムリーな世代に位置する立場からいろいろ書いたのである、で、その原稿をアップしたつもりなのだが……アップされていなかった。私見の域を出ないものとはいえけっこうな分量を書いたものが消えてしまった。ショック!

 圧縮版で再度アップを試みる。
 20代後半から30代半ばまでが格差世代の中心であるという。これは本当である。交友関係を見回してみても、フツーに就職して正社員を続けているカテゴリーとそれ以外のカテゴリーでは年収で恐るべき差が出ている。収入だけではなく福利厚生や有給休暇の面でも雲泥の差がある。

 格差の上にいる人には格差がみえづらい。象徴的な出来事があった。友人の結婚式の2次会で久しぶりに友人同士で会った時、証券会社に勤めている友人がいた。友人は言った。「絶対、BRICs債はこれからくるから買っとけ」。友人の何人かは運用に回す貯蓄など持っていない。証券会社の友人は悪気があって言ったのでは決してない。ただ、その友人には経済格差が見えていない。
『希望格差社会』で山田昌弘は、暮らしの格差は当然ながら、上流の人と下流の人とでは将来に持てる希望までに格差があらわれると書いた。正社員として先のビジョンがある程度見える層と死ぬまで「積み上げていくこと」に実感が持てない単純作業を点々と続ける層とではまったく景色の違う人生を歩むことになる。
 私が“格差社会”について思ったのは、数字に見える上流と下流の格差よりも、むしろ山田昌弘が言うような精神状態につながるような格差についてだ。
 私たちは貧しい生活をしていますがこの生活が気に入っています、という人ならば何ら問題はない。だが、そんなヤツは少数派だろう。例えば高校や大学の友人と集まったとき、いかんともしがたい経済力や生活の余裕の差をみたとき、人はそれをしょうがないことと受け入れることができるのだろうか。何だか当たり前のことを書いてるような気もするが、格差とはそういうことではないのか。

 人材派遣企業のフルキャストが業務停止命令を受けた。港湾荷役業務への労働者の派遣でパクられているが、同社に給料の不払い、つまりタダ働きを食らった人を私は知っている。いずれ問題になるだろう。
 外資系の企業に勤める友人は夏休みが1ヵ月近くある。
 私は有給もボーナスももらったことがない。高校生なみの給料だが、まあ好きな仕事なので続けていくことができる。ただ外資系からお呼びがかかったら、シッポを振ってついて行くかもしれない。経済力と時間がある人生は遠く輝いて見える。
 
 近い将来、私たちの世代が社会の中核となる。永瀬清子が詠んだ「美しいものを美しいと私らはほめてよいのですって。」という詩は美しいが、ルサンチマンで飽和した層の人々は美しいものを美しいと言える心持ちを失っているかもしれない。

 この国はいつか、大変なことになる。
 短くまとめたので抽象論ばかりになってしまった気がする。このテーマにはいずれちゃんとした形で関わりたい。(宮崎)

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2007年7月22日 (日)

多忙につき

『記録』締め切り間近につき身動きがとれず今日はブログの原稿を書くことができない。現在アフガニスタンのカブール近郊で約20人の韓国のNGO職員が身柄を拘束されていている。また、報道によると共に身柄を拘束されていたドイツ人2人は殺害されたという。タリバンによるものとの見方が強い。そんな混乱のアフガンから白川さんには原稿をおくってもらった。今日の朝、メールで届いた。これから編集作業に取りかかるところである。(宮崎)

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2007年7月17日 (火)

小林高子さんの「あの頃」について

 今月、小林高子さんの『あの頃』が出版される。
『あの頃』は、小林さんがこれまでに体験してきたことが書かれている。彼氏の死や親友の死、妹のレイプなど、このように挙げればはやりの携帯小説を思い浮かべる人が多いかもしれない。やはり最近売れている携帯小説のほとんどが、まだ中学生、高校生なのに、妊娠してしまったり、すぐ終わる恋愛を本気の恋愛と言ってしまったり、恋人が白血病で死んでしまったりといった内容がほとんどで、フィクションとノンフィクションを混ぜ合わせた構成になっている。
 さらに言えば、売れても作者が出てこない。やはり読者の思いとしては、どんな人が書いているんだろうと興味がわくのが自然だ。
 しかし、小林さんは、高校時代から現在に至るまでの出来事を隠すことなく書いている。同じ女性として、もし私が小林さんと同じ立場だったらノンフィクションとして書くかといったら、私には無理だろう。誰しも言いたくない過去、秘密にしたい過去があるが、身近な人に語るのとはちがい、本として世の中に出すということは姿もわからない第三者に自分の過去を知られることになる。しかも、彼女は自分の写真も載せている。
 これには相当な覚悟が必要だ。世の中に自分の過去と自分の姿を出すのは、自分の裸を見せるのと同じだ。最愛の恋人の死や親友の死など思い出したくなかったかもしれない事を思い出し、それを文章にする。それは長くつらい道のりだっただろう。
 『あの頃』の編集当時、私はまだ海外にいたので小林さんがどのような人かはわからなかった。本の内容は聞いていたので、小林さんのことをいろいろ想像していたのだが、実際に会った彼女は本文中で語られている過去からは想像できないほど明るい人だった。自分の過去と対峙し、その過去を消化した人にしか出せない明るさなのかもしれないが、ひたすら明るく前向きな彼女を見てなぜかほっとしたのを覚えている。ちなみに著書には彼女の過去とともに、読者に向けてのメッセージも折り込まれている。そのメッセージ一つ一つも力強く心に響いてくる。読み進めるごとに勇気をもらい元気づけられ、恥ずかしながらいつの間にか泣いてしまった。一人でも多くの人にこの感動を味わってもらいたいので、書店で見つけたら是非手にとってください。(奥津)

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2007年7月10日 (火)

やおいってどうよ

 世の中には「やおい」というジャンルがある。男性同士の愛を描いたものである。現在は、ボーイズラブ(BL)だとか言われて市民権を獲得(?)しつつある(ホントか?)。
 私が初めてやおい本を読んだのは、中学生の時だ。たまたま部活のメンバーが持っていたので読んだ。アニメのキャラクターを使ったもので、きちんと製本されていたのに驚いた。肝心の中身は、同性愛にも興味はないし、知らないアニメだったので覚えていない。なのでそれ以来読んではいない。
 やおいの話に戻すが、やおいの世界で重要なのはカップリングだそうだ。カップリングというのは文字通りカップルを作ることだ。基本的にカップルは実在の有名人やアニメキャラクターなどがその対象にされる。たとえば、ドラゴンボールだと悟空×ベジータ、遊幽白書だと、飛影×藏馬などなど挙げればきりがない。しかし、世の腐女子(腐男子というのもいるらしい)の方々はその巧みな想像力でさまざまなものをやおらせてしまうのだ。
 さて、私が驚いたカップリングがある・それは「えんぴつ×消しゴム」だ。日々使うものまでやおいの素材にする精神はすごい。エロ本やAVを見ている男性諸氏と同じように、やおい本を読んでいる方々が「はぁはぁ」としながら書いたり読んだりしているかはわからないが、仮に興奮しいているとなると、世の中にあるものすべてに対して興奮するということになる。そんなんで日常生活を送れるのだろうかとよけいなお世話だが心配になる。
 鉛筆×消しゴムに好奇心を刺激されたので、カップリングを作ってみることにした。
 ①頭皮(または毛根)×毛髪。一つの毛根から一本の毛が生えるが、そこから2本目が生えてきてラブラブだった二人が三角関係に。そして脱落者は抜け落ちるというストーリー。
 ②スポンジ×洗剤。スポンジが受けで洗剤が攻め。
 ③肌×化粧水。肌が受け、化粧水が攻め。肌が「早くたくさんボクに注いで……」「そんな簡単にあげるわけないだろ……」という感じでSM系ストーリー。
 この原稿を書いているのは深夜。こんな真夜中にやおいのカップリングを考えている自分がほとほといやになった。やはり想像力が豊かではない私には、カップリングを作るのは非常に難しいということがわかった。

 なのでカップリングとは関係ない話をさせてもらう。
 初めてやおい本を読んだときから非常に意味がわからないところがあった。男性同士のセックスの場合、基本的にアナルセックスになる。私が中学生時代にたまたま読んだものはスムーズに挿入行為がなされていたのだが、それが不思議で仕方がない。挿入する側のあれが濡れに濡れまくっている描写があるのだが、男性であれほど濡れている男性なんているのだろうか。とはいえそれは男性向けアダルトコミックにも言えることで、女性が毎回毎回多量の潮を吹くわけがない。世界人口を考えればもしかしたらいるかもしれないが、いたとしてもマイノリティーの中のマイノリティーだろう。さらに以前何かで聞いたのだが、妊娠してしまう物語もあるらしい。男の妊娠と聞いて、ダニー・デビートとアーノルド・シュワルツェネッガーの『ジュニア』という映画を思い出してしまったが、男が妊娠してしまうという奇想天外、摩訶不思議な世界である。人体のメカニズムを無視した壮絶かつ壮大な世界がやおいの世界にはあるのだ。
 普通、鉛筆と消しゴムが受けか攻めかなんて考えない。しかし。腐女子の皆様はそういったことを一生懸命(?)考えている。そういった想像力があると、日々楽しそうな気もする。ゲームをやりながら、頭の中でこれとこのキャラをカップルにして……とか、主人公は総受けにさせてみよう……などと、一つで二つの楽しみ方ができる。そういうこと考えているだけで一日が過ぎそうだし、人生も愉快なものになりそうだ。やおいの楽しさに目覚める女子がいる限り文化は衰退しないだろうし、『となりの801ちゃん』や『腐女子彼女。』といった本を筆頭に、そういった嗜好を持つ人をテーマにした書籍がさらに出版されればますます認知されていくだろう。ただその認知のされ方が、彼女たちにとってよい影響をもたらすのであればよいのかもしれないが、電車男のような注目のされかたにならなければよいと切に願う。  (奥津)

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2007年7月 4日 (水)

エアコンから大量の水漏れ

本当は今日、綿貫民輔先生について書こうと思っていたが家で災難にあったため、その災難の方を書くとする。適当な気分で綿貫先生を書くわけにはいかないので。

日曜日の夜、突然エアコンから水が滴り落ち始めたのだ。我が家はいろいろな理由が重なって夏はエアコンなしではとても寝られない。1分もすれば汗びっしょりになってしまう。部屋は6畳ほどで寝床と仕事場が一体化している。エアコンの真下が寝床の末端に当たる。要するに放っておけばびしょぬれになってしまうわけだ。
布団が濡れるのは一大事である。学生時代、快晴だったので干したままアルバイトに出かけたら一天にわかにかき曇り、ポツポツと降り出してあわてて死ぬ思いで引き返した記憶がある。しかもエアコンの下部から万遍なく漏れるのでバケツでは間口がしのげない。布団の下は畳である。畳に水を直撃させるは布団以上に危険である。万策尽くして水漏れは止まらず、やむなく消した。水漏れは当然止まる。
それで一件落着とはもちろんならない。前述の通り止まったら最後とうてい寝付けないのだ。扇風機の風を顔に直撃させたままならば何とか眠りに落ちて行けそうだけれど、それでは睡眠ではなく永眠になる危険がある。私は死をも恐れぬが、そうした死はごめんだから隣にあるやっと三畳はあろうかという小部屋に避難するとした。
そこにはエアコンがある。だが同時に山ほどの書籍や書類がうなっている。書庫というのでは生やさしい。本棚が地震で倒れた直後のような状態といえば多少は近い。しかも本棚自体も壁一面に天井までぎっしり詰まっている。「寝て一畳」というけれども、もとが三畳弱だから無理やりにこじ開けてとにかく寝て月曜を迎える。

これで仕事のない身ならばともかく、月曜締め切りの依頼原稿が2本ある。悪いことは重なるもので今週は準備が遅れていた。環境は会社の方がはるかに進んでいるので出社して何とかする。ほかにももろもろあって結局は終電で帰った。
家での仕事は補助的にせよしないと間に合わない。しかしその主たる武器であるパソコンと、それを搭載するパソコンラックは水漏れエアコンの部屋にある。そこで仕事にならないのは寝られないのと同じ理由。よってそれもまた無理やりに三畳部屋に押し込んでみた。
急な用があっても面積は変わらない。三畳いっぱいに展開していた書籍類をそのままにねぐらとパソコン環境を確保するのは容易ではなく3日午前6時頃までかかった。

その光景は壮絶である。多分かなりの規模の地震が発生したら大量の書籍が上から石つぶてのように私を襲って生命に関わるであろう。写真をとってアップしたいぐらいだが恥知らずにもほどがあるのでやめた。本を床に均等に並べて、その上で寝るという実験もしてみた。何だかベッドみたいな基盤ができたものの寝心地最悪。というより本はもとよりベッドの役割を期待されて作っていないので床が崩壊するような形で実験は失敗に終わる。バカみたいだが本人(私)至って真剣かつ深刻である。

本日(3日)は電気屋さんが来てくれて「直してくれるかも」と淡い期待をした。ダメだった。エアコンが目詰まりしていて本来は外へ輩出されるはずの水がしたたるそうだ。フィルターのゴミなどマメに取っていたし、時々外から掃除機で吸ったりしていたのに。
「時々分解してクリーニングしていますか?」と電気屋さんに聞かれて「そ、そんなことを皆さんなさっているのですか?」と反問すると「電気屋でないと無理でしょう」。じゃあ無理なんじゃないか。一瞬、分解できない自分が情けないと落ち込んでしまった。
結局どうなるかというとその分解とやらをするか取り換えるしかなく、いずれにせよ4~7日はかかるとのことだ。その間、私は狭すぎる部屋でヤドカリのように過ごすしかない。

商売(出版)である意味、本は私の生命線だ。家に帰ると物理的に生命を脅かす。あと一週間ほど地震がないのを祈るのみ。それにはどんな神様がいいのか誰か教えて下さい神様!(編集長)

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2007年6月24日 (日)

千代田図書館に古い縮刷版が置かれた

 先月リニューアルされた千代田区役所に行った。訪れるのは2度目だ。区役所にしてはどうも立派過ぎるような建物で、9階に図書館がある。図書館で目当ての本を探していると、新聞の縮刷版がズラリと並んでいるのを見つけた。
 リニューアルされた初日に図書館に来たときは縮刷版はここ10年分くらいしか置いておらず、係員は「すいません、縮刷版は置かないことになりました……」と申し訳なさそうに言ったのだった。それが2ヵ月足らずで大正時代のものから置かれるようになったということは、私と同じように「あると嬉しいんですがねぇ……」など漏らした人が多かったということだろう。
 リニューアルされる前は図書館は九段会館の近くにあり、日が当たらずなんとなくうらぶれた感じの場所に収まっていた。それでも2階の新聞コーナーにはたいてい縮刷版を開いている人が少なからずいた。古い新聞記事になぜそれほど用があるのかと思われる人もいるだろうが、あれは目的なくパラパラやっていても楽しいものだ。熱心に何かを調べている人もいたが、多くは現役引退後、興味ある事件を追い返したり在りし日の思い出などを探しているよう見えた。
 縮刷版には需要があった。それが再び置かれたことで、私や引退後の人たちなどは再び通うことになりそうだ。新しいものに限っても、縮刷版は一冊5800円。一冊は1ヵ月ぶんなので1年では5800×12=69600円。スペースの問題もあるし、ちょっと手が出ない。
 リニューアル後、図書館としては珍しく平日は夜10時まで営業するようになった。映像コーナーも設置され、書き物ができる机も格段に増えた。編集部が騒がしいときなどはここに避難して作業を続けようかと思っている。キレイな図書館なので一度訪れてみてはどうか。新しい千代田図書館には“コンシェルジュ”なる要員が配置されていて、図書館のことを何でも教えてくれるそうだ。

 編集部から図書館に容易に避難できるのは、とにかく「近い」からだ。不謹慎だが、ビルがまっすぐこちらに倒れてきたらちょうど9階の図書館あたりが編集部に直撃するのではないかというくらいに近い。
 縮刷版を発見し編集部に戻ると、寝巻きを着た大畑氏がエネルギーはもう枯れた、という感じでテープ起こしをしていた。小林高子さんの本、『記録』の入稿が同時に迫っているので忙しい。寝ずに根を詰めてずーーっと文字を追っていると、ビルが倒れてきて縮刷版のカタマリが編集部ごと押し潰してくんねえかな、などと楽しい妄想が浮かんできたりする。(宮崎)

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2007年6月13日 (水)

残虐ゲームをプレイして。

 先日とあるゲームを買った。値札を見たら1900円と、いわゆるクソゲーでもいいかな……という価格。ついでにパッケージを見ると赤い三角マーク(「このゲームにはグロテスクな……」という注意書き)と、CERO(ゲームソフトの倫理審査機構)のランク(このゲームはD)。このCEROのランクは5段階あり、Aは全年齢対象、Bは12歳以上、Cが15歳以上、Dが17歳以上、Zが18歳以上となっている。さらに、パッケージ裏にはコンテンツアイコンというものが表示されていて、対象年齢決定の根拠となる表現を示すものらしい。恋愛だったり、暴力だったり、恐怖だったりと9つのカテゴリーに分けられている。
 私が今回買ったソフトは暴力のカテゴリーだった。ちなみに、ゲームボーイアドバンスで発売され、最近新シリーズが発売された『逆転裁判』のDSリメイクソフトはCEROがBでカテゴリーはセクシャルと暴力だった。
 逆転裁判はその名の通り、法廷で依頼人を無罪にするというゲームで、基本的に(いや全部?)殺人事件の裁判が舞台だ。なので暴力はわかる。しかし、セクシャルがわからない。ある登場人物のおっぱいがでかいところが引っかかっているのか? プレイしていてこれはキワドイというところがなかったような気がしたので改めてプレイしてみたがわからなかった。ちなみに『逆転裁判2』はAで全年齢対象だ。ますますわからない。ホームページを見ると、審査員には誰にでもなれるようなので、その疑問を解消するべく応募してみることにする。
 ところで購入したゲームをプレイしてみたのだが、これがまたすごい。
 Zに格上げした方がいいんじゃないかって思っちゃう内容。グロテスクなシーンを和らげる機能はあるのだが、やはりそれを抑えるとつまらない。かといってそのままだとめった刺しのうえ、血しぶきドバー(『サイレントヒル』『バイオハザード』『メタルギアソリッド』などの迫りくる敵をやっつけるゲームに多い)。
 ゲームをプレイしていて、「人を殺してみたくなった」という犯罪者の気持ちがなんとなくわかった気がした。ゲームの中で殺される人はあっけなく殺される。ボタン一つで殺せる。しかも、自分が殺されてゲームオーバーになってリプレイすることで生き返ることもできるし、殺した敵も生き返っている。ボタンだけでいろいろなことができてしまう簡単な世界。
 そういったゲームをたくさんプレイしていれば、命に限りがない、殺しても生き返るという価値観が芽生えてもおかしくはない。
 楽しいはずの娯楽なのに、突然刃を向ける危険をはらんでいる遊びだということに気づいてからはゲームをする気が失せてしまった1枚だった。(奥津)

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2007年6月11日 (月)

ルポ・第116回日商簿記2級検定試験

 日商簿記2級の試験を受けた。日本商工会議所が主催する検定試験である。
 簿記とは簡単に言えば、企業や商店の経営活動をお金の計算による面から整理し、損益計算書や財務諸表を読み解き、作成する手続きのことである。事務・経理のための資格だと思われがちだが、それ以外にもコスト感覚を養うために営業や経営管理など広い分野の人が受けるそうだ。
 3級、2級、1級の順に難易度が増し、06年度の受験者数は全国で50万人に達する日本最大規模の検定試験である。
 私は事情あって今年の4月から大原の夜間の講座に行きながら2級の勉強を始めたのだが、始める前は「たかが簿記」と思っていたものである。しかし取り掛かってみるとそれなりにボリュームはある。3級は独学でとりあえず「抑えた」つもりだったが、3級の商業簿記の内容がより深くなる。学習内容としては、現金預金や売掛金の仕訳など初歩的なことから、繰越利益剰余金の配分、複数仕分帳制、手形の不渡り、社債の発行や償還などいよいよ実務的な内容に踏み込んでいるという感じである。それに加え、2級からは工企業における原価計算などを内容とする工業簿記が入る。
 この工業簿記の最初の講座で「仕掛品」という用語が出てくるのだが、工業簿記では空気のように当たり前の存在であるこの「仕掛品」の意味が分からずに「え、仕掛品て何? なんでみんな平然としてるの? それって一般用語なの?」とひとりで焦っていたものである。
 そんな感じで暗中模索でありつつも、なんとか本試験1週間前には合格点をクリアできるかどうかの境界線上にまではこぎつけることができた。

 そして昨日6月10日に第116回、簿記検定試験が行なわれた。
 私が割り当てられた受験場所は大きな体育館のような場所。集合時間30分前には到着したのだが既にびっしり並べられた机にはほとんど人が座って最後の追い込みをかけている。机の数からすると300人は入りそうである。男女比はおよそ5:5。二十歳前後から60代のおじさん、おばさんまで本当に幅は広い。その中でも最も多い層はやはり20~30代の女性である。
 自分の受験番号の机は前から3列目だった。隣にはすでに良きお父さん風の受験者が問題集を広げて追い込みに入っている。受験場には緊張感が漂っていて、いたるところから電卓を叩く音が聞えてくる。
 集合時間である1時30分になると注意事項の説明が始まり、問題用紙と計算用紙の配布がはじまった。問題用紙を開けてはならない、とは言われなかったがなんとなく皆開かずにいる。が、お構いナシにペラペラめくる者も遠くで見られた。
 開かなくても問題用紙の中が透けて見えた。部門別原価計算と標準原価計算の差異分析が問われている。得意分野だ。いけるかもしれない。試験は100点満点で70点合格。20点の配点が5問である。そのうちの2問が工業簿記なのであるが、工業簿記のほうが難しいと一般的には言われる。その工業簿記に得意分野が出ているのだ。
 ただ、私には「地雷」があった。復習の時間が足りず、「本支店会計の内部利益計算」と「伝票会計の変則パターン」という2つの項目を「捨てた」のだ。「地雷があるかないか、それが問題だ……」などとハムレットにかけてクフフフと忍び笑いしてるうちに試験が始まった。我がマシンガンでこの簿記戦場を生き抜けるだろうか?

 問題用紙をめくった。駆け出してすぐに、恐怖の対人地雷・クレイモア(伝票会計の変則パターン)が仕掛けられているのが分かった。すでに避けるできない体制になっていた。

「あ、終わった」

 イセエビのヒゲのようなセンサーに右足が触れてクレイモアが弾けたように見えた瞬間、中に収められた小さな鉄球が爆散して、わたしは蜂の巣になってしまった。(つまり解答用紙に穴が空いてしまった)
 70点以上を取れば合格。そのうちの1問で蜂の巣になってしまえば残りの80点のうちで70点を取らなければならなくなる。もはや絶望的だ。それでもなんとか他の問題に取り掛かる。20分過ぎには早くも隣のお父さんの手が止まり、ため息が聞えてきたのだった。
 会場中に電卓の音が響いている。30分経ったが途中退室する者はほとんどいなかった。
 2時間の試験時間終了後、5枚の解答用紙を1枚づつ集めるという効率の悪い作業の後、ようやく解散となる。安堵の表情、失望の表情、再チャレンジを誓う表情などがみな一緒になって出口に向かったのだった。

 付け加えておくと、私の自己採点は60点だった。言い訳無用、次は受かるぞ。(宮崎)

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2007年5月24日 (木)

レーシックの安全性と「神の領域」

 レーシックが普及するのは当然であるような気もする。
 メガネはダサいかもしれないし、コンタクトはお金と手間がかかる。それならば初期費用はかかるけれどもプチ手術で簡単に視力を手に入れよう。日々のケアも必要ない。
 最近気づいたのだが、自分の回りにもレーシックで視力矯正した知人がぽつぽついる。知人によると、手術自体は何十分かで終わり、その日のうちに帰ることができるのだという。
 レーシックとは具体的にどんな手続きを踏むのか。何でも知ってるWikipediaに教えを請うたところ、「角膜屈折矯正手術の一種で目の表面の角膜にエキシマレーザーを照射し、角膜の曲率を変えることにより視力を矯正する手術」だという。さらに、「マイクロケラトームとよばれるカンナのような機械で角膜の表面を薄く削りフラップ(ふた状のもの)を作り、めくる。そこにエキシマレーザーを照射し、角膜の一部を蒸散する。その後フラップを元の位置に戻し、フラップが自然に接着するまで(約2~3分)待つ。」
 角膜の一部を蒸散する。などと簡単に書かれてあるが、それは大丈夫なのか。なんというか、失敗してまったく見えなくなったなんていう可能性が1%くらいありそうじゃないか。
 レーシックの手術は今は10万円台で受けることができるようである。アンチメガネ派でコンタクトレンズを使っている人の場合で、1ヵ月にかかるコンタクト代が約6000円としよう。1年で6000円×12ヵ月=7万2000円。多めに見積もって3年で元はとれることになる。さらに、わずらわしい毎日のコンタクトの取り外しとケアから開放される。替えのコンタクトやメガネを持ち歩く必要もない。
 おまけにWikipediaで引用したページの下のほうには「プロゴルファーのタイガー・ウッズ選手が手術を受け成績が向上したのを皮切りに、多くの視力に悩むスポーツ選手が手術を受けた」などと書かれてあるではないか。本当かどうか知らんが、なんか手術を迷ってる人の背中を一押しする文句になってそうな気が。だってあのタイガーだもんな。

 ただ、どうも引っかかります。ていうか他の人は引っかかってないのか疑問です。ここは考えどころです。
 日本では2000年の1月に厚生労働省が「エキシマレーザー装置」(混合ガスでレーザー光を作り出す装置)を認可して以来レーシックが急速に普及したようだが、それだけ歴史が浅いということなのだ。世界的に見ても手術が普及しだしたのは90年代。
 これはつまり、二十歳でレーシックを受けて現在70歳である、という人がまだ存在しないということだ。日本においてはまだ「解禁」から7年しか経っていない(「エキシマレーザー装置」を使った場合だが)。なんだろう、この出所の分からない不安は。
 いずれ、「実はレーシックには重大な欠陥があることが分かりました」という発表がされるないとも限らないではないか。そんなことを考えていると、机の向こうに並んだ背広で沈痛なおじさんたちが一斉にアタマを下げて「欠陥を知りつつも公表しなかったことを、深くお詫びいたします」などとノタマう場面まで想像できてしまうではないか。

 私だって、目はよくなりたい。「コンタクトから解放される」と何度か書いたのは自分がコンタクトのケアをわずらわしいと思ってるからだ。小学生のころからどんどん目が悪くなっていったので、草野球でボールが見えなくなっていくのがたまらなく嫌だった。少年ジャンプで毎号のように載っていた広告「視力矯正術」は穴が開くほど眺めたのでレイアウトさえ覚えてる。
 ただ、だからといって即「レーシックOK」でいいのだろうか。
 今では信じられないことだが、60年代、車が普及しだしたころは車社会を受け入れるべきか否かの激しい論争が起こったそうだ。過渡期にはそういうものがつきものだとは言わないが、知人たちにもあまりにも抵抗感なくするりとレーシックを受け入れている印象があってちょっと引っかかる。眼球にメス(レーザーだけど)を入れ、失われたはずの視力を強制的に掘り起こすのである。メガネやコンタクトとはちょっと事情が違う。すでに「神の領域」。神を信じてるわけではないが、人間の手を入れていい部分とそうでない部分の境界線を越えて、足を踏み入れているような気がしてならない。

 それならば歯の矯正やプチ整形や、一般的な外科手術や体外受精はどうなのだという声が聞えてくる。考えるまでもなくそれらもすでに「神の領域」ではないか。そう言われてしまうと……ぐうの音も出ない。どうやらすでに人類は神の庭に足を踏み入れまくってるらしい。
 もし遠くない未来に娘などができ年頃に育ったとき、「整形したい」などと言われたらそのとき私はどうするのだろうか。なにか断る理由を探すことになる気がする。やっぱり「お金ないから」がスタンダードだろうか。
 とにもかくにも、遠い未来、レーシックにおける集団訴訟が起きないことを祈ろう。(宮崎)

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2007年5月13日 (日)

原宿の女の子200人に聞きました

Har  編集部のある業務で原宿をぶらぶら歩いてる女の子200人ほどに調査を行った。そのことについて少しだけ書こうと思う。

「アンケート調査を行え」と命令が下り、原宿に向かう。行きの電車の中ではユーウツである。なにせ知らない人に声をかけるのである。
 キャッチや風俗の勧誘やナンパなどと見られるに違いなく、世慣れた女の子はそういう人たちへの冷たいあしらい方をしっかり体得してるわけで、そういう風にあしらわれてしまうのが嫌なのである。傷つくから。

 まあしかしそんなことを言っていてはメシは食えんのも事実なので、発起してアタックを続けたのである。

 調査の内容はいくつかの本の装丁の見本から気に入ったものを選んでもらうというもので、その見本を片手に竹下通りを延々と歩き回った。
 思っていたよりもちゃんと受け答えしてもらえるものである。話しかけた途端に蜘蛛の子がナントカのように女の子たちが四散するようであれば、ニセの調査結果を書き込んで家に帰ろうと思ってた。

 だが、目をキリリとさせて「ちょっといいですか?」と話しかけてみると、「はい、何ですか?」などと返してくれるではないか。もちろん「あー、いいですいいです」とそそくさと去っていってしまう人もいるが気持ちが分からないでもないので、特にこちらも悪い気もしないようになる。
 ねらい目は2人か3人連れである。1対1だと女の子の警戒度が高い。2、3人であれば、「なんだろうこの人は」という感じで答えてくれる確率が高い。

 いわゆるゴスロリ系の女の子にも話しかけてみた。しばらくいろんな人にアタックし続けると、興が乗るというのか、おし次いくか、というモードに入るのである。そして次はゴスロリいってみようか、などと自然になってくるのである。勿論好奇心もある。
 ゴスロリの子はフツーな感じだった。黒く縁取られている目で鋭く睨まれた、と思うのは最初だけで、しばらく話してみるとフツーの高校生なのだった。

私:「今日はどこから来たんですか?」(あくまでデスマス調で適正な距離をとるのがコツである)
ゴスロリさん:「イバラキからです」
私:「原宿にはよく?」
ゴス:「えーと、私こういう服好きなんですよ、で、イバラキにはこういう服、ほとんど売ってないんです。だからたまに来ます」
私:「外出するときはいつもこの格好なの?」(この辺からデスマスが崩れてくる)
ゴス:「いや違います、パンクのときもあれば姫のときもあります」
私:「姫、というのは何なの?」
ゴス:「姫、というのは○○○○が××××で△△とかになってるやつです」(服飾用語がよく分からない)
私「なるほど。パンクとかの音楽は好きなの?」
ゴス「いや、実はパンクの音楽はまったく聴かないんです。ファッションだけです。CDも1枚も持ってません。パンク系の服の店はラフォーレの回りとかに集まってるんですよ」

 こんな風にして、ゴスロリ的にアツい場所など知ることができたりもして興味深い。
 ただ、チョーシに乗っていかにも学校帰りの女子高生(1人)に聞いてみようとすると、体を強張らせて、
「こここここここここ困ります」
 と脅えたように返されてしまう。別に困ったことはしてないんだけどな。

 見た目で人を判断してはいけないということも改めて実感した。髪を明るく染めて、「だって楽しく暮らしたいもーん」風の女の子(?)に、試しに「どんな本をよんだりする?」と聞くてみると、「うーん」としばらく考えた後、
「最近はブライハ系っすね」
 などと答える。
 ブライハって何だっけ、と一瞬考えてしまったが、つまり無頼派である。
「無頼派って坂口安吾とか?」
「安吾好きですね。だけど『堕落論』読んでると受験勉強やる気が起きなくなるんで、最近は封印してます」
 誰だ、最近の若い人は本を読まないって言ったのは。
 原宿の女の子の傾向など、結局分からなかったというのが結果だろうか。十人十色とはよく言ったもので、他に増してカラフルな原宿通りではそれ以上の色に見えた。ここここここ困りますからブライハ、ゴスロリ、修学旅行生、宝塚好き、品種改良の研究をする農学部生、ロースクール生、フリーター、IT関係勤務。
 原宿の女の子というカテゴリーは始めからなかったのだ。(宮崎)

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2007年5月10日 (木)

ホームレス取材のこぼれ話③

 体質なのだろう。飲むと必ず寝てしまう。わずかなアルコールで、すぐ深い眠りにすぐ落ちる。横断歩道で信号が青になるのを待ちながら眠り、一緒に歩いていた友人から置いてきぼりをくったことがある。1次会の途中で眠り、ケツにバラを生けた恰好で写真を撮られたこともあった。写真の出来は、起きている間に撮ったものより上品な仕上がりで特に驚かなかったが、ズボンを下ろされても目が覚めないのにはビックリした。せいぜいビールをコップで2~3杯飲んだだけなのに。
 そんな僕でもけっして眠くならない宴会場がある。山谷の路上だ。1998年春、山谷で初めてご馳走になったの酒は、日本酒だった。紙コップになみなみと注がれた酒など、僕にはとっては致死量に近い。しかし杯を空けなければ話を聞けそうにもなかった。
「酒好きなんだろ、兄ちゃん」と話を振られたら、「いやー、嫌いです」とは答えにくい。「好きですよ」と答えて杯を空け、後で酒の差入れでもするしかない。しかも、その日の取材は荒れも模様。5人の宴席にお邪魔し、1人のホームレスの取材を始めたのだが、しばらくすると飲んでいた1人がクダをまき始めた。「お前のカメラを川に沈めてやる」と呪文のようにブツブツ唱えながら、「どうせカネはねえさ」と空の札入れを地面に叩きつけていた。
 そうした状況にはお構いなく、酒は2杯、3杯と注がれていく。僕にしては結構なハイペースで日本酒を体に流し込んでいったが、いくら時間がたっても眠くならない。むしろ飲めば飲むほど、目が冴えていった。
 寝たら何をされるのかわからない。なんせズボンを脱がされても起きない体質なのだ。飲みながら、そんな思いにとらわれた。なけなしのカネで買った一眼レフを隅田川に捨てられてはかなわない。今、酒を飲んでいる場所は、あの「山谷」で、飲んでいる連中はホームレスなのだ。どんなに恰好のいいことを言っても、体が山谷やホームレスを拒否している。だから眠くならない。それが僕にはハッキリとわかった。
 身体の拒否反応は、これだけではない。数ヶ月間、ホームレス取材を休むと、僕はホームレスに声をかけられなくなる。踏ん切りがつかなくて、中央公園を2時間近く歩き続けたことさえある。多くのホームレスが善良な人だとを知っているのに、なぜか躊躇してしまう。理屈で説明できない偏見を持っていることを、僕は認めざるを得ない。
 そんな自分を棚にあげ、単行本のあとがきでは、ホームレスへの視線が変わるようにと訴えた。ウソをついていたわけではない。ホームレスへの偏見が事態を悪化させていると今でも感じているし、少しでも偏見が解消されればとも思っている。ただ自分自身が、その壁を崩せない。
 だからこそホームレス関連のボランティアには関わらないようにしている。ボランティアとしてホームレスに顔が売れれば、確かに取材はしやすくなる。声を掛けにくくて悩むこともなく、自分が偏見を持っていることを感じる機会も減る。また、ホームレスが時に見せる一般市民への敵愾心を感じることも少なくなるだろう。
 僕も偏見を持ち、ホームレスも偏見を持っている人を嫌っているという事実は、僕にとって重要だ。そうした現実が、ホームレス問題の難しさを教えてくれる。
 会社を維持するための仕事が終わり、集中的にホームレスの仕事をすることになった。また声を掛けられない時間を経験するのだろう。自分だっていつ失業するのかわからないのに、こんな偏見持ち続けているアホさ加減を再確認することになる。あー、情けない……。(編集部)

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2007年4月30日 (月)

■『記録』5月号発売!

『記録』5月号が発売。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/link/test0705.html

[特集]『奨学金制度が告げる経済崩壊の足音』 /本誌編集部
「いざなぎ越え」などと言われる一方で、多くの自治体で生活保護の申請が増えるなど、苦しい生活状況を伝えるニュースが耳に入ってくる。今や大学生の25%が利用する奨学金制度。実はこの数年で奨学金の返済が滞る人が急激に増えているという。この制度に注目すれば、ちょっと変わった角度から現代ニッポンが見えてきそうだ。

■編集後記

 先月から難民をテーマとした連載が2本になった。白川徹さんの『忘れられた国内避難民』が始まったからだ。編集をしながら、これは伝える価値があるものだと思う一方、ちょっとした絶望のようなものを感じることもある。自分の周りには海外の難民に関心をよせる人はほとんどいない。彼、彼女らの心配事や関心事は同僚とうまくいかないだとか体のケアだとか火遊び程度の不倫だったりする。難民は住む場所に不安を持ち、職がない。このものすごいギャップはいったいなんなんだと思う。ただ、現実的に考えて、報道や記事などで難民の様子などを目にして「大変だね」とか「かわいそう」などを超えてより積極的にそれに関わろうとしたとき、具体的に何をすればいいのかは分かりづらい。というかこれを書いてる私もハッキリとは分からない。なにか具体的な物事につなげる視点を持つべきだと思った。でなければ、どんないい記事でもただ消費されていくだけだ。編集者としても、その視点なくしては記事を活かすこともできないだろう。上段の椅子にエラそうに座っている編集者など必要ないのだ。(編集/宮崎)

 

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2007年4月23日 (月)

ホームレス取材のこぼれ話②

 新宿などでは多くのボランティア団体が活動し、ホームレスの人々に食事や毛布などを提供している。しかし取材に行くと、ホームレスの人々がプレゼントをくれることも少なくない。
 ホームレスの取材を始めて、僕が最初にもらったプレゼントは貯金箱だった。猫をかたどった黄色い貯金箱は、小銭を放り込むと短い曲を流す仕掛けが付いていた。
「お金は大切にするんだよ。若いの。俺にはもう貯金箱なんて必要ないからやるよ」
 上野公園で暮らしていた男性は、そう言って僕の手に貯金箱を握らせた。
 その貯金箱は、編集部の机の上で2年近くお金を集め続けた。最後には音楽が止まらなくなり捨てることになったが、2000円近いお金を僕に残してくれた。アルミ缶で同じだけの金額を得ようと思ったら、23キロも缶を集めなくてはいけない。そう考えるといやに大金に思え、すぐに銀行に行った。
 今回、記事を掲載した沖縄出身の男性からは、ゴーヤとナーベラーを2本ずついただいた。河原で作ったとは思えないほど立派な大きさで、味も素晴らしかった。特にナーベラーは絶品。なすに近い味わいがあり、味噌炒めで食べるとごはんが進む。
 わざわざテントから脚立を持ってきて、ちょうど食べ頃の実を選んでもいでくれた彼が、どういう気持ちで故郷の野菜を育てていたのか。ナーベラーを食べ終わった後、少し考えさせられた。
「いや、ホントにうまいんだから。ゴーヤは、売ってる店もあるけれど、ナーベラーはまだまだ出回っていないから食べてみてよ」
 楽しい思い出が詰まっているわけではない故郷。それでも彼の心の根っ子には、沖縄があった。沖縄への思いについて、それほど詳しく語ってくれなかっただけに、ナーベラーとゴーヤを手渡してくれたときの笑顔が、強烈な印象として僕の中に残っている。
 荒川のほとりでは、一杯のコーヒーをご馳走になった。気を遣ってくれたのだろう。わざわざ新しい湯飲みを箱から出して、パック入りのコーヒーを注いでくれた。
「氷がないのは勘弁してくださいね」
 暑い日だったからだろう。そう言いながら、彼は湯飲みを手渡した。河原には自動販売機もなく、数時間、何も飲んでいなかった僕にとって、そのコーヒーは何よりありがたかった。
 古本屋に拾ってきた本を売って生計を立てている彼にとって、パック入りのコーヒーを買うのは、それなりの贅沢であるに違いない。そんな貴重なコーヒーを、初対面の僕に振る舞ってくれる。その気持ちに頭が下がった。
 どうして彼らがホームレスにならなければいけなかったのか。やはりわからない。いや、ホームレスを美化するつもりは毛頭ない。とんでもなく性格の悪い人や、本当に怠け者の人だって、ホームレスの中にはいる。
 だが彼らの大半は、やはり善良で大人しい人である。仕事仲間としても悪くないように感じる。いきなり職を失う原因を、性格から探しだすことは難しい。
 彼らからのプレゼントについて考えても、やはり同じ疑問が頭を駆け巡る。彼らの運命を不運と片づけたくない。でもホームレスになる明確な理由など、彼らから見つけることはできない。そんなことを考えている。(編集部)

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2007年4月 5日 (木)

ホームレス取材のこぼれ話

 自慢じゃないが酒にはめっぽう弱い。ところがこの手の取材で酒を勧められたら、まず断れない。貴重なお酒を分けてくれるのだから、ありがたく、そして豪快に、ただし彼らの酒を減らし過ぎないように飲むのが礼儀である。

 昨年の秋にホームレスと飲んだ酒は、なんとカクテルだった。
「おー、取材なら飲んでいきな」と笑顔で迎えてくれた彼は、テントから1.5リットルの焼酎ボトル、そしてテント脇に積み上げてあった食器類から湯飲みを2つ取り出した。もちろん湯飲みがいつ洗われたかなんて聞けるはずもない。湯飲みの底が黒いのは茶渋だと思うことにして、とにかく乾杯する。
「あ、そうだ、グレープフルーツがあるぞ。それで割るか」。焼酎を口に含んだ途端、彼が言った。焼酎を湯飲み1杯飲んだら、私の肝機能では間違いなく倒れてしまう。アルコールが薄まるなら、水でもグレープフルーツでも大歓迎だった。二つ返事で答えると、河川敷に転がっていた青いリュックから2つのグレープフルーツを取り出し、例の食器の山から少し錆びた包丁を抜き出してきた。
「米国の学生は、カネがないからウォッカをグレープフルーツで割るんだよ」と言いながら、半分に割ったグレープフルーツを思いっきり絞る。真っ黒い手を伝わり、果汁は湯飲みに溢れるほど注がれていく。
「塩を付ければ、ソルティードッグだろ」と、彼は豪快に笑った。
 よく飲み、よく話す人だった。米国に留学した話、大学の広告研究会で大儲けした話、そして大学時代の友人がいかに立派になったのか――。2時間ほど話し続けただろうか。
 酒の肴につまんでいた鳥のささみを、欠けた歯列のすき間から飛ばしつつ、陽気にまくし立てる。酔いが回るまでは、その白い弾丸を私も避けていたのだが、1時間もたつころには、さすがにどうでもよくなっていた。
「もっと飲んでけよ。暇なんだろ」と言われたとき、私は取材を諦めていた。彼の話には整合性がない。どこかに、あるいは全部に大きなウソが交じっている。これまでの取材経験がそう告げていた。
「編集部に帰らなくちゃいけないので、これで失礼しますよ」と言って立ち上がると、「おー、これからオレも女がくるからな」と彼も立ち上がり、川へと歩いて行った。
 夕日を映した川面に向けて、彼の小便がキレイに放物線を描く。いつも独りで飲んでいるんだろうな。ふとそんな思いがかすめた。彼の背中には、先ほどまでの陽気さが消えている。人との会話に飢えていた反動が、あの陽気さを生みだしていたのだろうか。
 コンクリートで固められた護岸を四つん這いで登り切り、金網を乗り越えたところで私はダウンした。街灯の傍らに座り込み、河川の夕日を見たところまでは覚えているのだが。
 1時間ほどのささやかな睡眠は、無機質な携帯電話の音で破られた。
「今、何してんだ」
 大学時代の友人からだった。
「川で夕日を見ながら、塩抜きのソルティードッグを飲んで、うとうとしていた」
「本当にお前の商売は気楽だな。羨ましいよ」
 確かに返す言葉もなかった。私の意識はホームレスと一般人のどちらに近いだろう。取材中、よくそんなことを考える。言うまでもなく、私はホームレスに近い。大学時代の友人より、ホームレスの話に共感を覚えることも多い。数十年後の私はどうなっているだろう。(大畑)(『記録』01年2月号掲載記事)

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2006年12月31日 (日)

年末年始につき

【お知らせ】

 どうも、宮崎です。当ブログでは31日から明けて3日まで休みを取らせていただきます。 姿の見えない読者さんに言うのもヘンな感じですが、来年もどうぞよろしくお願い致します!

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2006年12月28日 (木)

小社のワーストテン

こういうのを発表する時期である。最初は「十大ニュース」にしようと考えたが「大ニュース」とのニュアンスに相当する話は1つもないので取りやめ。「ベストテン」ならばとも思ったがいいことなど何もなかったから作れず。わずかにワーストならば書けそうだ

ワースト10)小誌執筆者の塩山芳明氏の文庫が売れる
福田和也氏、佐高信氏など激賞の「蔵を持ちながら防災無線と戦うインテリエロ漫画編集者」塩山氏の文庫本が大人気を博す。それが何でワーストかというと版元が小社でないから。ああ。

ワースト9)宮崎太郎が「書けないライター」宣言をした
宮崎はライターである。ライターという英語を翻訳するのは難しい?が「書く人」あたりでよかろう。ある日、彼は「すいません」といった。代わりの記事は私が書いた。この瞬間、宮崎は「書けないライター」という前人未踏の境地に達したのであった。

ワースト8)今年も大畑太郎が単行本を出さなかった
大畑は『ホームレス自らを語る』『新・ホームレス自らを語る』『妻の恋』の3冊を小社から出している。だがいずれも共著だ。なぜ共著までで留まり続けるかわからぬままに06年も終わろうとしている。ライフワークのはずだったコソボ取材の原稿がまだ上がってこない。1行も読んでいない

ワースト7)奥津裕美の『誰も知らない靖国神社』が安倍晋三首相に阻まれた
予定通り小泉前首相は8月15日に参拝してビームはピーク。出版タイミング絶妙。勢いに乗って奥津は青森最大の地方紙『東奥日報』日曜2面の大学教授など文化人が書くコラムに最年少デビューする。後は安倍首相だ。就任以前の言動からして彼ならば前首相を上回る靖国フィーバーを起こすに違いない。もしかして特攻服を着て毎日参拝かも……との期待はみごと裏切られて靖国問題は一挙に沈静化。おかげで札束の嵐になるはずが毎度見慣れた在庫の山。同じ紙でできているのに札束と在庫は何と違うことよ

ワースト6)税務調査が入った
まあ吹けば飛ぶよな会社でも会社だから仕方ない。私の知り合いの話によると、彼は団体旅行をする際に必ず旅行会社に「税務署の方はいらっしゃいませんよね」と聞くそうな。これを見た税務署関係者様。私じゃないですからね。「私の知り合いの話」ですからね。ね!

ワースト5)ホワイトカラー・エグゼンプションを批判する記事が当ブログに書かれた
何か? それは間接的な経営者批判なのか? 確かに「わかりました」と「すいません」以外の発言は禁じているがカネは払っているはずだ。本来ならば「私の場合はただ働きで当然のところを身に余る高給をいただいている身分であるので書きにくいのだが」くらいの前置きがあってしかるべきであろう。署名記事で自分達のブログを荒らしてどうする

ワースト4)印刷屋さんの営業担当が替わった
交替はよくあることであるが、その方とは長いお付き合いだった。その間に2・3回「印刷屋人生最悪の失敗」を小社の刊行物においてなさった。ねらい打ったように小社だけで「最悪」を連発された。最悪とは1回との私の常識は単なる固定観念だったと日本語の奥深さを教えて下さった方だった。合掌……じゃあない。亡くなられてはいない

ワースト3)私の休みは1日もなかった
なのに編集部員は私がしょっちゅう休んでいると勘違いしている。いいか君達。私が社内でひっくり返っているだけでは倒産してしまうから出社していないのだ。君達こそ何をやっているんだ

ワースト2)小社発行物がすべて売れなかった
知らない方に改めてご案内申し上げるが小社は出版社である。したがって単行本も雑誌も出している。雑誌は小誌でジャンルは「総合雑誌」すなわち『改造』『世界』『文藝春秋』と同じである。よりていねいに言えばジャンルだけは同じである。単行本は常に売るつもりでいるが、最近では売れないのを覚悟で出版し続ける気骨ある版元と間違われている

ワースト1)小誌が売れなかった
身もふたもない第一位。前発行者が1979年に創刊以来、短い休刊期間を含めて通算27年間も売れない雑誌というのはすごいのではないか。よく知らないがギネスブックとやらに載せられないのか。載ったらいよいよ最期との気もするが。ギネスの方の『記録』更新に編集部一同燃え上がったりして。(編集長)

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2006年12月24日 (日)

香港雑記

香港に来てから常々感じること。「金はころがせ」。あまりいい言葉ではないが、資産を億単位で増やしたい場合はやはり転がさなければ不可能なんだということを、香港で感じた。お金にどん欲であることがさらなる金を生み出し、金のあるところにさらにお金が集まる。とてもわかりやすい例をここ香港で身近に感じることができる。一旗揚げたい!と思っている方がいたら、この大きなビジネスチャンスが転がっている(裏を返せば失敗したら一文無しでもある)香港はとてもおもしろいところなのではないかな・・・と思った今日この頃。(奥津裕美)

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2006年12月14日 (木)

お詫び

すいません。昨夜は帰宅後に一気に書いてアップする予定でした。レバノンのことなど用意していたのですが帰宅後にわかに体調がおかしくなり一種の人事不省になって気がつくとベッドで先ほど(午後3時半ごろ)まで寝ていたというか倒れたというか

よく(でもないが)飲み過ぎて記憶が飛んで翌日女性の家のベッドで……でなくても単なる自宅のベッドで目覚めるじゃないですか。あれの体調不良バージョンです。

で家族に尋ねると実は今日未明には私は冷たくなっており、もうすぐ通夜だそうです。となると「そこつ長屋」なのですが幸か不幸か同居する家族がいないので死んでいるかどうか確認する手段がなく皆様にお詫びの原稿を書いてから調べてみるつもりです。

原因は持病とさえいえる不眠症を逆手にとって何日もほぼ不眠で原稿を書いていた反動でしょう。病気は逆手に取るものじゃないって? ごもっとも。自重します(編集長)

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2006年10月 7日 (土)

香港暮らし

 香港で暮らしていて便利だと思うのが、家具付きの家。テレビ、洗濯機、クローゼット、ドレッサー、ベッド、ソファー、冷蔵庫……と、生活に必要な大道具がすでに揃っている。
 家具に関しては完全にオーナーの趣味でまとめられているので、必ずしも自分の趣味と合うとは限らないが、駐在員はだいたい3年から5年くらいで異動になるのだから気にしてもしょうがない(と思う)。
 それ以外に、サービスアパートメントという、家具付きマンスリーマンションにハウスキー1ーのついたところもある。
 家賃上昇が著しい香港なのでそれなりの家賃はかかるが、トランク一つだけで乗り込め、その日から生活できてしまうのはやはり大きな魅力とも言えると思う今日この頃。(奥津裕美)

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2006年9月30日 (土)

香港の道端では

 香港を歩いていると、いたるところにマガジンスタンドがあって、新聞、週刊誌、雑誌、風水本、日本の雑誌、漫画などが売られています。
 その中に紛れて、何事もないかのようにエロ本がザクザク売ってたりもします。未だ道ばたで買ってる人は見たことないけど、かなり大量に売られているからきっと需要はあるんだと思う。
 エロ本くらいならば日本でもコンビニなどでお手軽に買えますが、こちらではゲイ雑誌も同等に売られています。日本では陰ひなたに追いやられているゲイ雑誌も、香港にくればお手軽に手に入れることも可能。
 エロ本の中身はよくわかりませんが、聞くところによるとモザイクはないそうです。本当かどうかはわかりません。(奥津裕美)

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2006年9月26日 (火)

私の始末書……一病息災

深刻な体調不良に陥っている。医師から厳命されたのは以下の点である。

1)酒は厳禁
2)規則正しい生活
3)植物繊維を多く含んだ食事
4)適度な運動

いずれも不可能な要求と受け止めた。一瞬死刑囚の気持ちがわかったとさえ感じた。一人酒を欠かしたことは十数年来なかったし「規則」も不眠不休で何も食わずという点で「正し」かったといえたのだが……などという冗句はむろん通用しない。「肉の前では野菜はゴミ同然」を信念としてきたのに葉っぱで腹を満たさなければならないとはね。
「適度な運動」だけは続けていたが二日酔いでの「適度」は要するにアルコールを抜く程度の意味合いしかなかった。
本来ならば見向きもしない要求であるがへその下あたりの激痛は耐え難い。それを守らないと容赦なく襲ってくる。オレの家来のくせに反乱を起こすとは。わが腸を内乱罪で摘発したいぐらいだが腸なくして生きられない。
もしや外敵と戦っている最中かもしれない、だったらわが腸は英雄であり内乱罪なぞ冤罪もいいところ。むしろ援軍を送らねばなるまい。

医師の対応は不可解であった。痛みに耐えかねて駆け込んだのに最初の2週間は様子をみるのと上記4項目の実践。今は「様子をみる薬」とやらを服用している。その後に精密検査をして原因を調べると鷹揚なのだ。
様子をみるくらいだから病理としては大したことがないのかと楽観する半面で精密検査はやるという。「結果を見ないと詳しいことはわかりませんねえ」とニヤリ。
そこで不信感を抱いてネットで検索してみたが30分もたたずに止めた。だってバカらしいから。遅かれ早かれ人は死ぬ。今回が死病かどうってことないかはわからないが死ぬのは決まっている。問題は目の前にある仕事のヤマだが大もうけの類ではなく貧乏ヒマなしの方だから出来なくなって誰ぞ困るというでもない。いや少々は困るかも知れぬがお隠れになったじゃあ仕方ないと諦めてくれよう。

とはいえ激痛は現実だ。やむを得ず4条件を守っていると確かに痛まないか軽快する。そうとわかると再発が怖いから条件を墨守し続ける。驚くなかれ今日で1週間も続いているのだ。
何でこんなに痛いのだ。医師は「痛みはサインだ」と答えるが別のサインもあり得よう。ただし決してできそうもない条件をクリアさせる脅しには十分になるのはわかった。
と同時に私がまだ若い頃に40代以上が寄ると触ると体調の話で盛り上がるというか下がるというか要するに会話の中心に据えていた理由もわかった。あれは趣味ではなく切実だったのだねえ。

そしてだ。皮肉なことに4条件を守っているせいか腸さえ痛まなければ体調は抜群にいいのである。「体調不良の原因さえ顕在化しなければ抜群にいい体調」という実にひねくれた現実が今ここにある。ひねくれた性格に発してひねくれた文章を書いていると病状もひねくれるのか。いや腸は元々ひねくれて腹に収まっているから当然なのか。
安倍晋三もうすぐ首相も一説に腸が弱いと聞く。何やら親近感がわいてきた……なんてはずは無論ないのだが頭の働きが鈍るのは間違いない。現に今回はこんな文章しか書けないわけだし。「様子をみる薬」のせいかどうかわからないけど爆弾がいつ腹中で破裂するか気が気でない。おっと「サイン」だった。サインがいつ腹中で破裂するか……。いやいや爆弾だろうがサインだろうが「ウオー」ってのは同じである。

いずれにせよオレが人様に自分の体調をモチーフとした文章を披歴するとは思わなかった。しかる後には闘病記を連載し始めたりしてね。老病死は人の宿命で本来は得意になってはもとより謙虚であっても他者に語るべき話ではないと信じていた本人が禁を破って埋め草を書く。最近の記事でのコメントで「人間ではない」と批判された私だが少なくとも生物学的には間違いなく人間であるようだ。(編集長)

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2006年9月15日 (金)

「猫殺し」で吊し上げが怖い

 正直、考えがうまくまとまっていない。
 作家の坂東眞砂子さんが生まれたばかりの猫を殺したと日経新聞のコラムに書き、大騒ぎになった一件である。

 問題のコラムは8月18日の夕刊に掲載され、その日のうちに2ちゃんねるにスレッドが立ち始め、ネットで彼女を糾弾するページが乱立、24日には『毎日新聞』などがこの騒動を報道した。そのうえ週刊誌などがかみつき作者自身も反論する事態にまで発展した。

 板東さんは論旨は明確である。彼女は3匹の猫を飼っているが避妊手術をしていない。それは「獣の雌にとっての『生』とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか」との考えているからだ。ただ、その「生」を認めると、当然、猫は無尽蔵に子どもを産む。そりゃ、困ると。
 タヒチ島に住む彼女の自宅の周辺は「草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている」こともあり、彼女は「家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げる」という。
「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と書かれてもね……。
 私も2匹の猫を飼っている。しかも猫さまさまのベッタベタである。なんせ猫ぽく接したくなると、四つんばいになって猫を追い回し猫の腰(?)に頭をこすりつけたりしているのだ。とてもじゃないが、板東さんの話を受け入れられない。

 いや、言いたいことはわかる。だいたい子猫や子犬を殺すなんて、昔はそれほど珍しい話じゃなかったろうし。
 思い起こせば私が小学校低学年だったころ、放し飼いだった猫が出産。結局もらってくれる人を探すことができず、1匹を残して保健所に連れて行った。あの当時、飼い猫に避妊手術している人はどれぐらいいたのだろうか?
 そんな私が言うのも恥ずかしいが、やっぱり崖から子猫を捨てるのは許せないと思ってしまうのだ。だから彼女のコラムに反感を寄せる人があるのは当然だと思う。当人も「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」と書いているから、覚悟の上の執筆だ。お金をいただいた文章に批判が集まるなら、それは仕方ない。正しい言論のありかたともいえる。

 でも、日経新聞や日本動物愛護協会やフランス大使館への抗議って、どうなんだ? 一部報道では「業務に支障が出る」ほどフランス大使館に問い合わせがきたという。
 ある主張が間違っていると感じた。だからネットで意見を表明した。でも、それじゃあ社会は変わらないので関係各所に抗議した。この展開自体を批判することはできない。かつての市民運動だって同じようなことをしていた。
 言論には言論でとか、感情的にならないで話し合い、といった意見もあろう。でも、感情を呼び起こさない議論などためにある議論でしかない。

 そう、ここまではわかっている。それなのにネットで「まつり」と呼ばれる吊し上げが起こるたびに、すっごく嫌な気持ちになってしまう。それは「まつり」を招いた論調とは一切関係ない。今回の件で、そのことを実感した。「猫を崖に投げ落とすなんて、キー!」と思うくせに、「まつり」の現場に出くわしゲンナリしたから。
 しかも以前ならネット界だけにとどまっていた(といっても住所や氏名がさらされ、実際に家に突っ込んで行くような輩もいたが……)話を、「騒動」という切り口でメディアが大きくしていく傾向にある。たしかに世間で騒がれているのはニュースだが、そもそも報じる価値などあるのか???

 こうした吊し上げでも、まだ企業や政治家なら許せる。このような「騒音」を排除できる力とカネを持っているのだから。でも、今回のように対象が個人だと、理由はどうあれゾッとしてしまう。それが例え猫を殺している直木賞作家でさえもだ。

 この手の吊し上げに恐怖感を感じるのは、自分がマイノリティーだからだと思う。小さな出版社にジーンズで勤務する37歳独身。通常なら住宅ローンや子どもの教育に向き合っている年代なのに、ダラダラと仕事し、とにかく美味しい食事を食べることだけにカネを使い、フィギュアなんぞを写真に撮ってネットに流している(たしか金曜日はフィギュアを毎回掲載する予定だったな……)。
 とてもじゃないが社会のお役に立っているとは思えない。日本の人口が多いから2割抹殺しましょう、てなことになれば真っ先に選ばれるはずだ。だいたいロクでもない人生を送ってきたから、糾弾されるネタも尽きないだろうし……。
 自分は吊し上げられる要素を大量に抱えている。日本全国という規模でみれば、すでにオイラは村八分だ。そんなふうに感じているから「まつり」が気味悪い。企業や政治家なら吊し上げも許せると書いたが、では、どれぐらいの権力者で、どれほどの企業なら納得できるのかはわからない。そこに、きちんとした線引きも理屈もない。とにかく、どこからか生理的に我慢できないのだ。

 以前、スポーツ観戦から民族対立が激化し軽い暴動へと発展した現場にいたことがある。相手の民族に「出て行け」と叫んでいるであろう(いやー、全然わからない言語だったので、たぶんね)輪の中で、自分が黄色人種であり、いきなり周りの白人から吊し上げられる対象でもある、と気づいたとき心底ゾッとしたものだ。似たような恐怖を、ネット界の「吊し上げ」に感じてしまう。

 ネットが力をもつということが、こんなことだったらやりきれない。心からそう思う。
 あー! 『車掌に裁かれるJR 事故続発の原因と背景を現役車掌がえぐる』の宣伝が入らなかった。うーん、マイノリティーの国労組合員としてつるし上げの恐怖と闘っている、この本の著者なら僕の気持ちもわかるはず、ということにしておきますです、ハイ。(大畑)

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2006年8月30日 (水)

書評どころじゃない

 大変です。原稿があがりません。あと数時間で落ちそうな状況であります。
 今日は書評の日なので『オシムの言葉』について書こうと思っていたが、パニック状態でそれどころではない。それでも1つだけ。

 著者の木村元彦氏と会ったことはないが、そのアグレッシブな取材ぶりは通訳から聞いたことがある。あのコソボ紛争の直後、国境付近で激しい戦闘を仕掛けていたゲリラに接触すべく、通訳を置いていく勢いで現地に乗り込んでいったと。NATOの空爆を怖いとすら思わなかった通訳者が言った。「さすがにあの取材はヤバかった」と。
 今回の本は「戦争」そのものを描いたものではない。でも、彼がどれだけ突っ込んで取材したのかはわかる。銃弾が跳ねても現場に近づこうとした行動力が、そのまま取材者への質問に向かっている。それをオシムがかわそうとしているのが、また面白い。
 しみじみいい本だなーと思った。

 オシムが記者会見で言葉を選ぶのは、ナショナリズムを煽るだけ煽り、故郷を火の海にしたマスコミのひどさを肌で感じたかららしい。それゆえ笑いを含んだ批判を熟考して言葉に紡ぎ出す。
 うーん、立派だ。
 あと数時間で何百文字もの吐き出す自分が情けなさ過ぎる。しかし皮肉を交えている時間も、熟考している時間はない!

 というわけで執筆に戻るのでありました。

 内容がない更新ですが、読んで損のない本だと思います。ではでは。

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2006年8月26日 (土)

ハンカチ王子に我ら「もてない男」は嫉妬する

私は「東洋太平洋もてない男連盟」の会長である(会員1名)。齢43に至るまで一度ももてたことがない。したがって「もてる男」は入金して下さるお客様を除いて敵である。8月になって新たな敵が登場した。早稲田実業野球部の斎藤佑樹投手=ハンカチ王子だ。

私はハンカチ王子と監禁王子(懐かしい)の区別がつかない・・・・はずはもちろんないが被るものは感じる。それは両方とも「もてる」点だ。

私は汗かきなので夏はハンカチどころかタオルを持ち歩いてヒマさえあれば頬に当てるどころか顔中を拭いている。ハンカチ王子より数段上のパフォーマンスといえよう。ところがそれで一度たりとも「素敵!」と言われたことがないどころか冷たい視線すら感じる場合がある。「汗拭いてんじゃねえよ」みたいな。オレが汗拭いて何がおかしい。電車の空席に座ってタオルを用いていたら隣席の女性が逃げていった経験もある。タオルをもっていなくて汗ダラダラで着席して逃げられたこともある。何か。私は汗を拭いても噴いてもダメなのか。誰が決めたそんなこと。聖書には書いてないぞ

私は「生徒」と呼ばれる未成年のみぎりより野球部やサッカー部の者たちを敵視していた。同時に彼らを持ち上げるマスコミも嫌いだった。何だか自分は「青春の傍観者」のように位置づけられているようで。それが何を血迷ったのか長じて新聞記者となって高校野球の記事を書き連ねた。生涯消せない汚点である。

私は同じ人気者でも亀田興毅君は許そうと思う。ハンカチ王子が出てくるまでは批判的だったが今は違う。亀田君は口の利き方も態度もなってなくてバッシングされている。よいではないか。ハンカチ王子は言動さえいちいち爽やかである。亀田君は疑惑のチャンプだがハンカチ王子は正々堂々だ。亀田君は次に負けたら後がなさそうだがハンカチ王子は希望すれば早稲田大学に進学確実という。早稲田といえば私が進んだ青山学院より上とされている大学だ。

私はちゃんと受験勉強をしなかったから青学にはよくぞ拾ってくれたと感謝している。とはいえ「もてない男」の習いとして勉強はそこそこはできた。その上を内部進学でスッとハンカチ王子は抜けていく。

私は亀田君のように申し分のある人気者ならば我慢ができる。だがハンカチ王子には申し分がない。そこが耐えがたい。許せない。もちろん斎藤投手に何も瑕疵がないのはわかっている。だから怒りをもっていく場さえないのだ。

私は前に書いたように高校野球の取材をした。その際に選手になぜタオルやハンカチをプレー中に使わないのかを尋ねたことがある。理由は投手の場合は不正投球を疑われる危険があるからだった。これが統一見解かどうかは知らない。だがハンカチ王子には許されている。なぜかというとハンカチ王子が不正投球をするはずがないからだ。なぜそう言い切れるかというとハンカチ王子だからだ。これってトートロジーだよね。論理的には破綻しているはずだ。なあんて小賢しい東洋太平洋もてない男連盟会長の主張など誰も聞かない。

私は版元の経営者である。これでもかこれでもかと小誌や小社発行の単行本を宣伝しても築くのは巨万の冨ではなく在庫の山だ。なのにハンカチ王子が使ったというだけで当該ハンカチは売り切れという。何という不公平。これを格差社会というのではないかね。そんな私が「再チャレンジ」する余地がどこにあるのか。教えて下さい安倍晋三さん。おっとあなたも「もてる男」だった。聞くだけ無駄だ。

私は当ブログで「万国のもてない男よ団結せよ」と以前に書いた。ハンカチ王子という新たな敵の出現で我々は存続の危機にすら瀕していると自覚しなければならない。

私は生きている。ということは生まれたのだ。最近はそのことすら時折忘れる。生まれたということは生んだ父母がいる。その父が生まれたということは父を生んだ父母がいたからだ。ということは・・・・とさかのぼると要するに太古の昔から余裕だったか際どかったか、積極的だったか嫌々だったか、どうもいずれも後者のような気がするものの、いずれにせよその男の子を生んでもいいと了解した女性が代々存続した証左である。これを「実存」というとはサルトルはいっていないが私は声を大にしていいたい。

私はゆえに私と同じ不遇をかこっている「もてない男」に訴える。ここまで途切れずに来たのだ。すごく低レベルではあってもオレ達もまた万世一系だったのだ。誇り高き系統の最先端なのだ。それを当世の「もてる男」に阻まれてなるものか。同感の声よ充ち満ちよ。(編集長)

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2006年8月15日 (火)

ぱっとしない地元話

さっき編集部に戻ってきました。福井県の実家に帰っていたのです…。
わずか4日間の滞在だったが、まずは夏と言えば海やろ!ということで車で30分の鷹巣海水浴場へ(あと、夏休み気分を少しでも満喫するために)。
思ったよりも泳ぎに来ている人の数が少なかった。
家族連れも少ない。パラソルの下でじりじり肌を焼くカップルも少ない。男女6人恋物語ふうの男女も少ない。要するに全体において少ない。昭和25年以降、大半の年度において人口が社会減少(転勤などによる移転)を続け、他県に人がじわじわじわ流出するという、なんだかかなしい地方都市の横顔を見た気がして思わず唸ってしまう。

人口に比例してかどうかは分からないが、本屋全般の品揃えが少しさびしかった。
福井駅前の「勝木書店」(福井駅前の店が本店)は元ライブドア社長・堀江貴文が証券取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された次の日に、28店舗すべてから氏の著書を返品したというなかなかに気骨ある書店である。しかし、ほしい本を何冊か検索用のタッチパネルで探してみると、すべて「在庫なし」と表示されてしまった。
県内最大規模の本屋である同書店で在庫なしならば、手に入れるためには注文しなければならない可能性は高いと思われる。注文するには手間がかかるし、書店まで取りに来なければならない。面倒だ。
となると、やはり思い浮かんでくるのはアマゾンをはじめとするネット書店の存在だ。地方においては人口に比べてのネット書店のシェアが高い、というレポートでもあれば、それで「なるほどね」と落ち着く。けど、そんなレポートはなかった。けっこうネットで探してみたけどなかった。興味があるところなので機会があったら調べてみよう。(我こそは、という人は「コメント」まで!)

平積みになっている本の特色といった点でも、パッと見は大きな差異はないように見えるが、よく見ると東京の多くの書店でコーナー化されている靖国モノはほとんど見当たらない。これは福井県の他の書店でも同じだった。また、地域情報「ULALA」がレジ前にどーんと積まれていたりする。
ところ変われば品変わる。休み明けのユルい記事はこのへんで…。(宮崎)

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2006年8月14日 (月)

編集長を告発する

もう我慢がならない。来る日も来る日も原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿原稿である。小社ほど環境の悪い会社は他にあるのであろうか。すべては編集長のせいである。今回は私、大畑が勇気を持って告発したい。

1)マルナゲドン
かつて編集長は当ブログでマグロ船の例えを用いていた。ここで使われる「マグロ船」とは請負仕事で糊口をしのいででも自ら信じる出版活動を貫くとの意で用いられていた。マグロ漁を生業とされている方には申し訳のない表現なので(こうした不作法も編集長の悪癖である)私は「糊口をしのぐ仕事」と言い換えて述べる。
なるほど小社は「糊口をしのぐ仕事」をしている。その多くを編集長が取ってくるのも事実である。それをもって編集長はあたかも自分がそれをこなしているように書くが読者諸賢に声を大にして言いたい。こなすのは我々編集部の下々である。下々といっても多数いるわけではないから徹夜につぐ徹夜となる。
編集長は仕事を取ってくる。すると予告もなく私に「やれ」という。以前に宮崎が述べていたように編集長との会話は「わかりました」と「すいません」しか許されない。こうした場合は「わかりました」である。
すると彼は「じゃあ頼むわ。締め切りは○月○日。遅れるな」。それだけしか説明しない。後は丸投げである。一事が万事こんな光景だ。彼はマルナゲドンなのである。そうこうしているうちに丸投げが小社の文化の如くになって最近では私が後輩の宮崎に丸投げして、宮崎は大畑こそマルナゲドンだと思い込んでいるフシがあるが違う。問題の根本は編集長の態度にあるのであって私は無罪だ宮崎君。

2)ミッション・インポッシブル
ただ丸投げだけならば零細版元ゆえ我慢もしよう。問題は経営者としての編集長ではなく編集長としての編集長にもある点だ。端的にいえば無茶苦茶な企画を考え出して編集部員に押しつけるのだ。
単行本になったから喜んではいるものの『誰も知らない靖国神社』の著者である奥津裕美もまた編集長が雇い入れた一人である。本人も述べているように「クリスマスイブに靖国は何かある」とか「24時間張り込め」とか思いつく限りの難題を並べる。奥津本人は黙して語らぬが現在香港にいるのも、こうしたミッション・インポッシブル振りから逃げたに違いない。

私も散々な思い出がある。「知られざるスポーツ」という企画では「サンボの技をかけてもらって来い」と命じられて死ぬ思いをした。カバディという競技では女子日本代表と対戦させられた。編集長は弟まで駆り出して「『記録』編集部チーム」をでっち上げ、たまたま私が過去にバスケットをかじったのをいいことにエースに任命して必勝を厳命させられた。
だが相手は女子とはいえ代表チームである。ボロボロに負かされて私もヘトヘト。何しろプレー中「カバディカバディ」と唱え続けるルールだから息が吸えない。皆様。ヒトが長らく息を吸わないとどうなるでしょう? 死線をさまよった私に編集長は敗北の責任を負わせ、私ときたら後はお決まりの「すいません」連発である。ちなみに試合での編集長はカメラマン役で汗を一滴も流していない。

まだある。日本フリーメイスン本部と日本ユダヤ教団への取材だ。ちょうどオウム真理教がメイスンとユダヤが世界を狙っているなどの妄想を発表している頃で「本当かどうか調べてこい」「わかりました」となった。
わかりましたとは言いたくなかった。だってなんて質問すればいい? 当事者を前に「本当に世界征服を考えていないのですか」と聞くのか。すると編集長曰く「いいか。もともとが妄想なのだから相手も快く違うと話してくれる。それを尻込みするのは君がわずかでも妄想が当たっているかもしれぬと疑っているからだ。そういう心根が卑しい!」。やむなく「すいません」といって取材をしたのであった。
ああ思い出すだに腹が立つ。「コ・ギャル世相を語る」という取材では渋谷の女の子に片端から声を掛けて今でいうならば「小泉首相の靖国参拝とA級戦犯合祀をどう思うか」みたいなハードな質問を連発して反応を調べるというものだった。わかりましたと始めると警察官に誰何された。当たり前だ。もう少しで逮捕されるところだった。
JR中央線の「開かずの踏切」取材では「高齢者になるグッズ」なるを着用して渡らされた。もうわかるでしょ。このひどさが。

3)人格障害
さすがに断った企画もある。
編集長:在日米軍の日本女性に対する性的いやがらせは許せない。取材しろ
大畑:わかりした
編集長:といって女性の記者を出して暴行されたりしたら取材どころではないよな
大畑:わかりました
編集長:ならば君は男だから大丈夫だ。でも男では相手もちょっかいを出してこないから今度は取材にならないじゃないか!
大畑:すいません
編集長:こうしよう。君が女装をして界隈をうろつく。すると不良米兵に襲われる。でも君は男だから大丈夫だ。よしこれでいこう
大畑:わかり・・・・

・・・・ましたというところだったよ危うく。詳しくは書かないし書く必要もないが無意味で有害な企画だ。ここまで来ると彼は人格障害ではないかと疑わざるを得ない。
私が黙っていると編集長は人格に問題のある人特有の急変をした

編集長:考えてみると下らない。それで襲われなかったら二重三重に価値のない取材になる。女装もカネかかるしなあ。止めよう

そ、それが理由かい!違うでしょうよ。
怖ろしいのはこうした会話が編集部では毎日起きているという事実だ。

4)誇大妄想
確かに編集長はよく働く。それは評価するが自分ができることを他人もできると思っているのが困る。
彼の記者時代はまだ録音が普及していなかったから今でも彼自身の取材はノートとカメラだけでフラッと出かける。現場では猛烈にメモして帰社するや再び猛烈なスピードで書き上げる。すごいとは思うが彼の時代では当たり前だったようだから高く評価する理由もない。
だから録音してテープ起こしをしながら原稿を書いていると、また完成は数日後と報告すると露骨に嫌な顔をする。暗に、ないしはキッパリとオレと同じようにやれと告げている。無理ですって。
先に編集長は「糊口をしのぐ仕事」のマルナゲドンだと述べた。だが例外もある。何やら自宅で、または会社でも抱え込んでいる謎の仕事があるようでガンガンガンガンとワープロに何かを打ち込んでどこかへメールしている。雰囲気から遊びではないのは確かだがでは何かというと本人以外誰にもわからない。だがあれだけのマルナゲドンが手放さない仕事だから実入りがいいに違いない。(大畑・・・・が書けるわけないでしょ!)

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2006年8月13日 (日)

バイトの地位

 アストラ編集部において権力を握っているのはもちろん編集長と社長。普通その後社員アルバイトと続きますよね。しかし往々にして社員以上にアルバイトが幅を利かせています。

先日も社員の方に入力の仕事を任されたのですが(入力なんてバイトの仕事なので「やれ」一言で済みそうなものなのに)「お願いします」と拡大コピーされたものを渡されました。どこまで気を遣わせているんだバイト!という感じですよね。でも毎回そんな感じです。

そしてお金貰って働いているのだから仕事して当然なのにもかかわらず「いやー来てくれてありがとう、助かったよ」としこたま賛辞されて帰っていくのです。

このようにバイトの地位は確立していくようです。(バイトとしては非常に居やすいのでこのままであってほしい…)

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2006年7月22日 (土)

香港在住の著者より

21日の編集部ブログを読み、少し驚愕。
編集部ではよくないことが起こっているようですが、当の著者の現状はというと、家の壁が崩壊してきているだけで、他は特にありません。
これまでを振り返ってみて、怪奇現象か!と思えるようなことといえば、靖国で縁結びのお守りを買った直後に、当時の彼氏と別れてしまったくらい。それ以外は特にありません。8月15日英霊の日を前に、靖国周辺が慌ただしくなってきているようですが、香港に住む私といえば、靖国からほど遠い環境の中でのんびりと暮らしています。「誰も知らない靖国神社」が8月5日刊行。どうぞご購入くださいませ。よろしくお願いします。(奥津裕美)

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2006年6月17日 (土)

元 靖国ライター その5

久々の東京は静かだった。なぜ静かだというと、香港はウルサイから。お互いに怒鳴り合っているとしか思えない会話。そんなに大声でしゃべらなくてもわかるよ。
電話の時も大声でしゃべるもんだから、電話機を耳に付けずトランシーバーみたいな話し方になっているし。
私も大きな声で怒鳴りながら話さなければならないのか・・・。どんどん性格が変わっていく香港ライフ。(奥津裕美)

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2006年5月 6日 (土)

元、靖国ライター その2

『記録』海外支部へ異動して約1年半。靖国ライターとしてふさわしい、シンガポール→香港と住んでるワケなんですが。なぜ海外へ左遷(赴任ではない)されたかは置いておくとして、今回は香港について書きます。

香港は短い冬に長い夏の国で、湿気の国でもあります。もうね、油断してたらカビ、カビ、カビのカビ天国になるんだよ。日本も湿度高いけど、ここは尋常じゃない。除湿器なんて1日でタンク満タン。あと冷房は年がら年中稼働。それでも湿気が残るんだけど……。

基本的にほぼ1年中湿度は80%以上で、この間なんて、豪雨の深夜に天気予報見たら99%。なんだ99%って…。我が目を疑ってしまった数値。見タコトナイヨー!
その湿気の魔手はなんと冷蔵庫にまで及ぶらしく、「隙あらば攻撃」と、湿度ゲリラ部隊に対して戦々恐々とした日々を送っているのです。(奥津裕美)

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2006年3月23日 (木)

すいません

いろいろな意味で一杯一杯。

朝から何も食べずに日付をまたいで午前2時をすぎても、やるべきことが終わらない。終わらないうちに明日(じゃない!もう今日だ)やるべきことが迫ってきている。
このままでは終電車を出す前に始発の時間が来るぞ。そんなことがあるかって?JR車掌の斎藤典雄さん(小社スター作家)によると実際にあったんだって。だからありえない話ではない。でもあってはならないのも事実だ。

時間は正確か不正確か。ロミオとジュリエットのように永遠の一瞬もあれば無意味な50年というのもあり得よう。
事実として私は30代後半から40代前半の、働き盛りだか何だか知らないが、とにかく多分何かの盛りだったに違いない時期、日本の東京で過ごした。その間の日本の首相は小泉純一郎という人で東京都知事は石原慎太郎という人だった。
ああ何という無為。「人間は獣だ」首相と「人生は差別だ」都知事を二重に抱えて、しかも2人とも人気者で、私は始発の時間が迫っても終電車が出せない。

だからどうしたって?時間は不連続だという概念は以上のように証明し得るが・・・・いや証明ってほどの文章でもないから「あり得る」とはいえようが、一方で容赦なく時を刻む「正確な時間」もまた厳然と存在すると痛感している。

中身が全然ない文章を書き殴ってすいません。要するに今日は連日の駄文でさえ書けないほど追いつめられているってことを回りくどく書いただけです。明日からは立て直します。今日はこれで勘弁を。

そういえば先日の強風で腰を打ってしまった。文字通り吹けば飛ぶような男にいつの間にか成り下がっていた。吹けば飛ぶような会社とともに重量感はゼロ。そのくせやるべきことは山。生きるってのはそういうことなんですかね。

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2006年3月 6日 (月)

団塊の世代をほめよう

・・・・というタイトルで文章を書こうと実は1週間ぐらい考えていたのだが全然思いつかない。「けなそう」ならばいくらでも書ける。本1冊分も難しくはない。だがほめるとなると異様な難問なのだ。
もちろん団塊の当事者を中心にした自画自賛を引くことはできるが突っ込みどころ満載なんだな。

・戦後の食糧難を生き抜いた・・・・でも物心ついた頃には一段落していたよ
・受験が激烈だった・・・・その分だけ就職は高度成長のお陰で楽だった
・学生運動で権力にNOを突きつけた気概があった・・・・でも負けたじゃん
・猛烈に働いて高度成長を支えた・・・・世にそれをエコノミックアニマルという
・子を生んで少子化にさせなかった・・・・元の数が多いのだから当たり前
・バブルの後始末をした・・・・一方でバブルを生み出した

という具合に。

団塊の後の1950年代から60年当たりの世代は団塊を宿敵と感じている人が多い。「頭の上にへばりつきやがって」と。その次が私も属する1960年代生まれの「新人類」で会社や学校で団塊の威張り振りを散々見てきたから嫌いだ。さらに続く団塊ジュニアつまり第二次ベビーブーマーの場合、親世代が団塊のせいで受験も大変だった上にバブルに踊れぬまま就職氷河期を味わった。
したがって1962年生まれの私は5つから7つ程度年上の世代から団塊ジュニアまで広範囲で「団塊が諸悪の根源」という話で盛り上がれる。さらに団塊を飛び越えた昭和1ケタから戦中派までとも同意見である。
ちなみに団塊ジュニア以降の世代は上記のように皆が皆団塊を嫌っている世代を親に持つからいい印象をもつわけがない。事実20代の若者から結構多く「私たちの年金は団塊に消えるのね」との怨み節を聞いている。

ではなぜ「団塊の世代をほめよう」とのもくろみをしたかというと原理的に団塊だけ人品骨柄が悪い人間が集まるはずがないからだ。この世代が他と明らかに違うのは人数が多いというだけである。しかも大量の定年を迎えて我々は彼らを支える側にならねばならない。ならば彼らのいいところの1つも見つけておかないとやりきれないではないか。
でも見つからない。本当にない。この世代を「団塊」と名づけたのは堺屋太一氏だから堺屋氏が必要以上に有名にしてしまったといえぬでもないが、だったら我々「新人類」も当時相当にはやった。確か命名者は筑紫哲也氏だったと記憶する(違ったらごめんなさい)。
でも今日に我が世代を「新人類の世代」として抜き出されることはほとんどないし、当事者が自分は新人類と呼ばれていたことすら忘れつつある。

逆に団塊は団塊だとの認識を少なくとも回りは強固に抱いている。
今年に入って「団塊はどこへいく」といった連載が各新聞で目立って掲載された。菅直人民主党元代表@事務所の郵便ポストがあふれている、は「団塊党」を標榜していて驚いたことに、というかあきれたことに、というか結構好評であるらしい。どうやら団塊世代は団塊という記号で一体化しうる主体的な何かを持っているのだ。

ということは唯一ここだけがほめられるのかもしれない。つまり前後の世代に嫌われながら同世代だというだけで結束し、作家が付けてくれた「団塊」という言葉を乃木希典の軍旗のごとくに掲げて常に何事かを叫び行動する。
つまり嫌われ役を一手に買って出て前後の世代間の闘争が起きないようにしている。余命はまだ20年はあるから20年間「団塊が諸悪の根源」と言われ続けてもらって日本民族の他の世代同士の裂け目を相対的に目立たないようにしてくれている・・・・わけだ。わけか?

多分団塊の世代以前に、その役割を果たしていたとすれば「東条の世代」であろう。明治維新から営々と積み上げてきた発展をボロ負け戦争でスッてしまった上に占領下で豹変した、東条英機あたりを年齢的には最上級生とする世代である。
東条英機1884年生まれ。岸信介1896年生まれ。近衛文麿1891年生まれ。だいたい1890年代に生まれて敗戦時に概ね50代。A級戦犯の死刑執行は1948年で団塊が生まれ出した最中である。一方で東条とほぼ同世代の吉田茂、鳩山一郎らは55年体制成立まで覇を競った。その間に団塊の世代の出生は終わる。
つまり団塊の世代は「東条の世代」の終焉の期間に誕生し、早い者は物心をつけた。以降の世代はボロ負け戦争をした当事者のうち長命だったわずかを残して責任を問う対象がなくなった。そこを引き受けたとはいえるのではないか。
ということで幕。ほめたことになったかなあ。

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2006年2月18日 (土)

ドンキのオリジン買収は独身男性無視だ

私のような中年独身男性の友である「オリジン弁当」を経営するオリジン東秀が、これまた中年独身男性の友であるドン・キホーテに買収されつつある。TOBに失敗して誰もがあきらめたと思っていたら市場で買い進んでいたとはね。
さすがドンキ。前身の名称が「泥棒市場」というだけはある。泥棒だから死んだふりをするのはお得意だ。アッ!それはクマに襲われた時だった。
違う違う。泥棒(窃盗犯)にもいろいろあるが警察がノビとか出店荒らしと呼び、ついでに記者もその隠語で覚えている泥棒の類とよく似た行動だと言いたかったんだ。デスクは仮タイトルに「出店荒らし」と一行つけて出稿するのだ。
出店荒らしとは閉店中の店などに深夜忍び込んでは盗むノビ(忍び込み)である。「泥棒市場」だけあって「市場」にノビをかけたわけだ。ただし夜間取引はライブドアの一件で厳しくなったから死んだふりで市場に忍び込んだ。しかも鈍器(ドンキ)を手にして・・・・とベタな洒落にもなる。お里が知れたってとこですかね。

どちらも中年独身男性の友だから私は大歓迎!といえるかというと複雑である。オリジン弁当を頻繁に訪れる身である私にとって、その経営母体がドンキとなると、やはり頻繁に利用するドンキの店舗のイメージが重なってしまうのだ。
たぶん中年独身男性にとってのオリジン弁当はこんなところだ。自炊できないではないが40過ぎて1人で料理を作るのはどえらく空しい。ウソだと思うならば40過ぎまで独身でいるか、すでにその年齢に達している既婚者は妻子を叩き出してみればわかる。で、必然的にコンビニ弁当に走るわけだが、たまにはワンランク上の総菜や弁当を食べてみたくなる。そこで登場するのがオリジン弁当か「ほっかほっか亭」である。
ところが「ほっかほっか亭」は深夜営業をしていない。一方の私は編集者なので終電帰りは当たり前の身である。すると燦然と輝く「ワンランク上」がオリジンなのだ。オリジンが燦然と輝いていいのかとの突っ込みはこの際なかったこととしよう。

一方のドンキは中年独身男性が身の回りのあれこれを調達するに当たって「まあいいか」レベルの、すなわち「ワンランク下」を間に合わせる存在である。

したがって「ワンランク下」が「上」を飲み込むと価値観の変容を我々(といって何人いるか知らぬが)中年独身男性は強いられる。コンビニ弁当をアベレージに設定すれば、それ以下の存在となる。ファーストフードは何となくコンビニ弁当と同格だ。となると「賞味期限切れのコンビニ弁当」くらいがイメージとして近い。だがコンビニは期限切れを売らない。
もっぱら賞味期限切れ弁当を狙うとすれば小誌の分厚い?取材の結果としてはホームレスということになる。そこまでは追いつめられていない当方としては納得のいかない組み合わせである。

なぜオリジンが「ワンランク上」かというと前面に健康志向を打ち出しているからである。私は自分の健康なぞに微塵も気を使っていない。矛盾するようだが正しい。ここから重要なところだが健康のことなど何も忖度しない身が健康志向の店で食物を買うという点で「ワンランク上」の気分が味わえるのである。
わからないというあなた。あなたは人の痛みがわからない愚か者か正しい生活を日々送っている賢者かのどちらかだ。
オリジンの成長を支えた総菜の量り売りも中年独身男性にはありがたい。それをさかなに家で酒を飲む。独身だから当然1人で飲む。その友が缶詰めのイワシ缶よりはオリジンの総菜の方がぜいたくであろう。

ダスキンの資本下にあるミスタードーナツはどう説明するとの詰問もあろう。ないか。でも答えよう。ミスドは中年独身男性の食の枢軸ではない。ミスドとすら呼ばない。しかもミスドは添加物に関する一連の騒動で、ある意味キチンと自らが何者かを情報公開している。

オリジンに対して友好的TOBを発表したイオングループ、もっといえばジャスコとの組み合わせならばどうかというと、やはりドンキよりはいいと答えざるを得ない。
ジャスコは既婚女性の友である。そのジャスコがオリジンを傘下に収める。オリジンは中年独身男性の友である。中年独身男性は仮空の愛妻弁当つまり妻(既婚女性)の味を夢想していると同時に多くは可及的速やかに妻を得たいと望んでいる。
こうした論法から正義はイオンにあるとなる。ドンキよあきらめよ。

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2006年2月 1日 (水)

ダメなブログ

このブログを始めるに当たって私は「ひねくれる」のを編集方針とした。なぜならば自身がひねくれ者であるからだ。文章内容も素材も一ひねりも二ひねりもしてみようと志した。
といってブログとは何かをまったく知らないので「アクセス激増の秘訣」みたいな内容の本を読んで「秘訣」と逆のことをやってやろうと思った。

【秘訣】
身近な話題で親しみやすく
【私の方針】
硬派な話題をひねくって。文章はわかりやすく書くがウィットをふんだんに使おう

【秘訣】
なるべく文章は短く
【私の方針】
なるべく長く書いてやれ

【秘訣】
ビジュアルが大切
【私の方針】
ビジュアル無視

【秘訣】
独りよがりは嫌われる
【私の方針】
独りよがりに徹しよう

【秘訣】
匿名性の高い方が相手も安心してトラバしたりコメントが書ける
【私の方針】
ズバリ実名でトラバもコメントもしづらくしよう

【秘訣】
テーマは一定の方が仲間が増えやすい
【私の方針】
森羅万象あらゆるテーマをメリハリなく書き殴ろう

【秘訣】
商売目的では読者は引く
【私の方針】
実は商売目的である

何しろ文章を書いたり編集したりを20年来やっているが、その大半は仕事としてであった。すなわち対価を得るためである。だから読者はもとよりデスクや著者やスポンサーや取次様や書店様などなどの顔色をうかがって生きてきた。
しかしブログの文章は対価を得ない。ただで書く。商売目的とはいえ商品を毎度毎度紹介するわけではない。ならば思い切り好き勝手を書かせてもらおう。
それならば紙の日記でもいいわけだがブログは読んでもらえる可能性がある。一緒にひねくれてくれる気高き読者が日本中に10人くらいはいるかもしれない。それで十分じゃあないか・・・・と始めたところ多い日は1000人以上もアクセスが来るから驚いた。子どもの頃から「私の存在自体が間違いである」との信念?で生きてきただけにビックリだ。もっとも大半の方はあきれて途中で逃げ出したであろうが。

実名で書いているから文責は生じる。いくら自由とはいえ書いた文章に責任を負う点だけは譲れないのでそうした。であるにしても本当に自由である。こんなに伸びやかに文章を書き続けたのは学生時代以来であろう。デスクも校正さんも通さないしワーッと書き殴って読み返しもせずアップする毎日なので後でとんでもない誤字が見つかったりもする。でもいいのだ。ここでの私は無償の代わりに大自在の境地にある。

文章を書くのは読むのと同じくらい楽しい。世界一安くて簡単で楽しくて利口にもなる娯楽だ。だからそれを専らとする職業を選んだ。だが仕事となると前述のように制約が大きくて楽しめない。それを続けるうちに次第に原点だった書く楽しささえ忘れていた。地蔵菩薩のようになっていたわけだ。ところがブログで楽しさを思い出せた。気高き読者も得た。もう思い残すことはない。本当に今まで有り難うございました。

・・・・なんて最終回みたいな表記をしたが無論明日からも時間が許す限り書き続けるぞ。いったん知った楽しみをそう簡単には手放さない。

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2006年1月15日 (日)

私の始末書4

突然で恐縮だが私は不審人物である。
まず我が世代がいけない。同学齢で世に出た順に紹介すると宮崎勤、上祐史浩、前原誠司となる。いずれも世を揺るがしたか揺るがせる力のある団体のトップにいたか、現在もいる人物であるが揃って不審人物だ。
しかも後の2人はイケメンなのに不審人物だから救われぬ。

私の社会人生活も不審人物として始まった。ちなみに生誕より大学卒業までもそうであったのは以前に書いたから省略する。
ある日、家に戻ったら警察官がいた。近隣の誰かが通報したらしい。確かに新聞記者は勤務が不規則なのでとんでもない時間に帰宅したり、逆に深夜に車で飛び出したり、泊まり明けで帰宅して風呂に入ったり奇妙な出入りをしてはいた。
家のなかは男やもめに何とやらでメチャクチャであった。会社にもクラブにも置いてあったし送られてもくるので極左の機関紙だって持っていた。だから疑われたのであろう。

あんたは何をやっている何者だとお回りは聞く。何をやってるも何もアンタの上司にあたる署長や副署長のところをグルグル訪ねるのが仕事だといっても納得しない。仕方がないから威張るようであまり言いたくなかったが毎日の記者だと告げたら先方は猛烈に恐縮して蜘蛛の子を散らしていった。その恐縮が嫌だったのにと嫌な気分が募った。
断っておくがネタではない。本当にお回りは来たのだ。

後に宮崎勤の犯行と知れる幼女連続誘拐(後に殺害)事件の時も被害者宅の近くで聞き込みをやったら今度は少女が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。まあしょうがないか。真っ昼間に警官でもないカメラをぶら下げた男が聞き回るのだから。
少女の去った先には母親らしきが野ネコの母親の如き訝しげな視線を送ってくる。腕章をしていけばよかったのか。いやよけいに怪しいか。

記者を辞めた後も取材活動はずっと続けてきたから不審がられるのは変わらない。むしろ毎日という大看板がないまま名もなき出版社の名刺で仕事をする分だけ度合いは増したといっていい。
これは小誌そのものにも当てはまる。1996年に「コ・ギャル世相を語る」という企画を実施した。渋谷にいる女の子達は硬派なニュースをどう考えているかを聞き回ったのである。

◎住宅金融専門会社問題・・・・自分のケツは自分でふけって感じ(高1・ユウコ)
◎薬害エイズ問題・・・・安部(英氏)が悪い。だって、ばっくれているから(高1・モエ)
◎従軍慰安婦問題・・・・スッゲーかわいそう(高1・タマエ)

などというコメントを集めて延々と10ページも特集したのだ。記者はお回りに誰何された。高校生に薬害エイズ問題を聞くと警官が誰何する国なのだ。ここは。

最近は編集の仕事が多いので社内にいる。当然カジュアルである。スーツを着て狭い事務所で引っくり返っていても仕方がないからだ。幸い会社を置く神田神保町は同業が多いので出歩いても違和感はないが丸の内あたりまで行くともういけない。昼間から何だという視線が突き刺さる。
広告の仕事を盛んにしていた時はプレゼンでスーツを着ていったがパートナーの広告代理店の社員からやめておけと言われた。代理店社員はスーツだからクリエーターはカジュアルでいいと。でもお堅い会社にカジュアルでいくと異様に目立つ。視線には明らかに「不審」が込められている。
といってスーツで行けばいいわけでもないらしいのだ。スーツといえば取次様にお会いする際に着込むが着慣れない様相はそれで不気味らしく取次様から温かい視線で迎えられたことはない。

世は不審者であふれている。少女をさらったり殺したりと親は心配で仕方がなかろう。だが不審人物が本当に犯罪予備軍かどうかを見分けるのは不可能に近い。
実のところ私は優生学の起源となった断種法のようなものが登場するのを心配している。同法は1931年までに全米30州で成立した。約1万2000件の「不審人物」に該当する面立ちなどの人々に去勢手術が施されたのである。そうなったらたまらないぞ。
前原誠司様。何とか我が学齢の面目を施して下さい。変なことばっかり言ってないで

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2005年12月19日 (月)

「ウザい」「クサい」「ヤバい」「キモい」攻撃

青少年男子を凶行に走らせるに刃物は要らない。「ウザい」「クサい」「ヤバい」「キモい」との言葉の攻撃を浴びせればいいのである。「ヤバい」にのみ若干いい意味も含まれるがたいていの青少年は傷つく。そして「キレる」との逆襲に転じるのである。

こうした言葉に苦悩している青少年よ。心配するな。私もそうであるが全然気にしていない。それどころか堂々としている。
だから結婚できないんだとか、それ自体が逆ギレだとか、お前がそうであっても全然励ましにならないとの意見もあろう。すべて却下する。

要するに私はブタなのだ。太ってはいないけれども「イメージはブタ」なのである。

ブタが寄ってきたらウザい。ブタのくせに人語をしゃべったり意見を言ってもウザい。それが正論だったり人様に恋をしたりすればキモい。
ブタは本当はきれい好きだがイメージとしてのブタはクサい。そんなこんなを全部ひっくるめてヤバいというわけ。

誰も期待していないだろうがさらに詳細に分析する。
最大の原因は容姿が醜いという点である。見場が悪いから少しでも動くとキモいのだ。それは認める。私の容姿は間が抜けている系だと以前に書いた。ところが口は達者である。
ボサッとした間抜け面から速射砲のような発言がよどみなく続けば正常な人は「あり得べからざる事態」と警戒し、そのずれをキモいで片づける。
ほめてくれる人でさえ「見かけとのギャップが大きいね」という。それがキモさの正体だ。私は水泳が得意であるが「えーっ!泳ぐんですかあ」と以前にバイトの女子大生から驚かれた。確か昔の東京スポーツの見出しに

ジャイアント馬場激怒 俺の趣味が読書でどこがおかしい!

というのがあったとの記憶があるがこれに近い。近くないって?近いのだ!

次にウザいである。これは前述のように「寄るな」ということだ。私の平均の体温は36.5度だ。ところが最近の若者は35度台が主流となっている。
実はこの変化は基本的に衰弱なのだ。体温の高さはウイルスなどへの抵抗を高める。バカ親がインフルエンザにかかった子どもに解熱剤を与えて脳症が続出している。人は体温を高めて戦うのである。
しかし低体温で衰えている者は頭も衰えていて自分より基礎体温が高い生命体が寄ってきたら文字通り暑苦しいとだけ感じてウザいとなる。暑苦しい男は生命力が強いのだ。それをウザいと感じる側は死にかけているのだ。
かてて加えて私は以前は多汗であった。醜悪な容姿の男が汗をかいていると実にウザいらしい。ちなみに美男子の汗は青春の象徴だそうな。もう一つちなみにいうと両者の汗の成分に違いはない。汗が無臭である点も同じであるはずだ。
しかし今は本当に汗をかかなくなった。ただしこの変化は多汗から「老い」に入れ替わっただけである。老いぼれてきたオッサンはウザくて当然だ。

さてクサいである。人は皆くさいのだ。しかし格好悪い男はダイレクトにクサいと嫌われ、美男子はフェロモンとか呼ばれる。同質なのにこの扱いの差は何だ。
クサいに関しては時代の変化も感じる。私が子どもの頃は本当にくさい子がいた。私とて小学校低学年までは銭湯通いの身分であったが、その子らは本気で貧しかった。
家を訪れてビックリした覚えがある。川べりにウナギイヌ夫妻の家のように建っていたり「家と呼べというならば家」と表現するしかない拠点に起臥していた。着るものも銭湯代にも事欠くようで文字通りくさかった。その点でいじめられてもいた。
クサいとはすなわち貧しいの転化である。「手前は貧乏くさい」のクサいである。ならば一向に気にすることはない。資本主義社会は貧富の差を容認するが貧しいから人権を制限されるわけではない。クサいを連発して有卦に入っている者はそれさえわからぬバカである。貧しい方がバカより数段人間としてはマシである。いわせておけばいい。

ヤバいは先述の通り良い意味も含む。私を「アナーキー(無政府主義的)な雰囲気ですね」と称する方がいらっしゃった。これなぞヤバいを遠回しに表現した結果だろう。良い意味も含むならば良い意味だと解釈すれば終わりなのだ。

「ウザい」「クサい」「ヤバい」「キモい」の逆は清潔で透明感があって階調を刻んでマッチョな人物像となる。やなこった。少なくとも私はゴメンである。そういうタイプが敵空母に特攻せよと命じられると迷いなくハイというのだよ。それで死んで英霊になってもつまらない。
「ウザい」「クサい」「ヤバい」「キモい」攻撃に悩む者よ。あなた方はどうなんだ。やっぱりゴメンならば気にする道理がそもそもないから言わせたいだけ言わせればいい。

【お知らせ】
明日から3日間休載させていただきます。毎日読んで下さる一握りの、しかし気高き読者の皆様すいません。書きたいことは山ほどあるのですが年末年始に片づけるべきこともまた山のようになり後者の山を越えないと前者の山に挑戦する前に息絶えてしまうとの切実かつ情けない理由によります。どうかご容赦。

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2005年10月19日 (水)

私の始末書3

今回が100本目。その記念には42歳独身子なしの私が「ニート」が気になって仕方がない・・・・という自我自虐の脱力日記「私の始末書」がふさわしかろう。

『ウィキペディア(Wikipedia)』によると「NEET(ニート)とは「Not in Employment, Education or Training」の略で「職に就いておらず、学校等の教育機関に所属せず、就労に向けた活動をしていない15~34歳の未婚の者」であり今やそうした若者が増えているそうで国家は懸念しているようだが・・・・
よくよく考えてみると悪くないじゃん!ニートって
さっそく私はニートになりたいかと考えた。すると年齢制限の上限を超えている以外になってみたい条件も動機もあると知って我ながら驚いた。

まず職は辞めればいいだけだ。その上で「就労に向けた活動」をしなければいい。「教育機関に」は現に「所属」していない。「未婚の者」もその通り。
そして動機である。私は好きなことを取材して執筆して発表できればいいと以前に書いた。それ以外に望みはない。発表の場は会社が取引コードを持っているので出版はできる。会社の経営者は私だから私が私の書いたものを「出版してよろしい」と判断すれば出せる。

取材・執筆は交通費と電話代以外にビックリするほどカネはかからない。しかも私の主たる取材対象は無名の民であるから取材謝礼などは必要としないのが大半だ。執筆は鉛筆と紙、ないしはパソコンにワープロソフトを入れておけばOK。すでに所有している。取材の身軽さはいつも同行するカメラマンなどにうらやましがられるほどだから老いても動ける。カメラの技術も幸いにして身についているし白黒ならば現像・焼き付けまで会社で教えてもらった。
印刷・製本代が用意できなくても今やネットがある。
取材・執筆・編集は仕事であると同時に趣味でもあるから「趣味だ」と決めれば「職に就いておらず」といいうる。

次にニートになる拠点だ。年齢制限があるのはニートしていても暮らせる背景が主に実家とみなしているからであろう。私の両親は東京圏に住んでいて健在である。私の取材フィールドは主に首都圏だから交通費はグッと抑えられる。父親の年金だけで暮らしており現実に今生きているということは何とかなっているという証左だ。そこに私だけ混ざり込んでも大した出費にはなるまい。何しろ独身だから1人が出戻るだけのことだ。
両親の家は持ち家であるから家賃の心配もない。私には妹弟がいるが2人とも親元から離れて立派にやっている。しかも私は長男だから家に戻る大義名分もなくはない。

さてニートを続けるのは両親の年金支給がいつまで続くかが当面の課題となる。公的な資料から命数を数えてみたら10年以上は大丈夫みたい。つまり私が55歳ぐらいまでは徒食できそうである。
最大の問題はそこから私自身の年金支給が始まる65歳までの10年間だ。そうそう私は厚生年金に入っている。正確にいうと会社を経営する以上は強制的に払わされるので支払っているのだ。実家に張り付けば家賃ゼロだから月に10万円もあれば十分に暮らせる。これは一人暮らし25年の実績を誇る私には自信ある数字だ。すると1200万円都合を付ければいい。それをどう確保するか。もしかしたら両親に預貯金があるやも知れぬ。今まで全然気にしたことがなかったが。

あるいはニートの条件を厳密に満たすべく「会社を畳む」と小社関係者一同を脅すという方法もある。従業員は呆然としライターさんやら何さんやらは騒然とする。私がちゃぶ台をひっくり返すと「ちょっと待ってくれ」と引き留めてくれそうなクライアント様もありがたいことにいくらかはいらっしゃる。そこで切り出す。畳まない代わりに10年後から10年間月に10万円の給料をオレに払え、と。

そして65歳からは年金生活だ。無茶苦茶な生活をしてきたからそう長くは生きない予定である。考えてみれば55歳から65歳までの心配も不要かも。その間にあっけなく死ぬ可能性が高いからなあ。

バ・・・バラ色ではないか。今抱えている諸問題をすべて放り出して好き勝手やって死ねる道があったなんて。

でも、結論からいうと私はその道を取らないであろう。逆に死ぬまであくせくする危険性が高い。それは多分、そうでなくては男じゃないという観念が染みついているからだ。

1872年に近代的な初の戸籍である壬申戸籍が作られた際に日本の人口は約3000万人だった。それから1970年代頃まで合計特殊出生率は2を超えていた。つまり人口増が基調であった。私もそのトレンドの最後の方に生まれている。

かつて夫婦で10人ぐらい子をなしても当たり前という時代があった。多死多産だったからともいわれるが壬申戸籍時の約4倍の人口にまで増えたということはやはり生き残った方が死んだ者より遙かに多かったことになる。「子どもは労働力だった」とは俗説に過ぎない。戦前に最大47%まで増えた小作地を耕す小作に何人もの労働力など不要であった。寄生地主は子を労働力とする必要はなかった。畑は一般に田より貧しいとされた。
そこで生まれた子どもは山へ山へと入り込んで段々畑を作ったり荒蕪地の開発にあたったり、南米・中米・満蒙へと移民したりしていった。私の父も何の因縁か聞いたこともないが中国・青島生まれである。「家を出て勝手に生き残れ」というのが人口増時代の不文律で私はその最後にある。だから家には帰れない。ニートにはなれそうにもない。

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2005年9月26日 (月)

私の始末書2

私のような40歳をすぎた独身「もてない男」に「彼女」ができた場合に相手の女性を第三者に対してどう呼ぶべきか。今回はこの呼称問題を指摘したい。

「付き合っている女性」と紹介してもいいのだが40歳をすぎた独身男がこの言葉を使うと「結婚を前提とした」と暗黙のうちに第三者に感じさせる危険がある。本当にそうならば問題ないが頼み込んでやっと付き合ってもらったのに第三者が「結婚を前提としてるの? 本気かよ」みたいな視線を女性に投げかけると当該女性は「とんでもない」と逃げていってしまう恐れが大である。

あるいは正反対に「割り切って付き合っている女性」というニュアンスに響く可能性もある。これはこれで相手の女性に粘っこい視線が注がれて当該女性は「とんでもない」と逃げていってしまう恐れがやっぱり大である。

では通例にしたがって「彼女」とするか。一応最も妥当とされているが人によっては「40代独身が『彼女』だってさ。キモーい」と受けとめられる危険がこれまた発生する。いったいに付き合っている女性を「彼女」と称していいのはせいぜい30代前半までではなかろうか。だれも決めてはいないが「空気」がそう決めさせているフシがある。40代でもし許されるのならば「もてる男」であろう。「もてない男」にはそこかかしこに言論統制の壁がある。

いっそ開き直って「恋人」と呼んだらいかがであろうか。激しくキモい攻撃を受けそうだ。といって「女」と呼んだらお仕舞い感が全面に発光する。「オレの女」「私の男」という表現はカタギでない人か「もてる」陣営でないと通用しないであろう。もてない男が「女」と呼びなわらした2人の行く末・・・・なんて並べてみると「黒い報告書」行きの雰囲気だ。殺さなくちゃあいけなくなる。

浦沢直樹の「モンスター」には「名前のない怪物」が出てくるが40代「もてない男」は「名前のない相手」がいるということになる。

中年にさしかかった「もてない男」が僥倖を得てお付き合いをいただいた場合の相手側の呼称をどうするかはもっと議論になるべきだ。そんなの無価値だって? そうですか。でもそうである者はそうなのだ。新井白石にでも聞いてみたい。

ちなみにいわゆる「不倫」をしている既婚女性は男性をどう呼ぶかというと「彼」「彼氏」が大半であることが小社出版の『妻の恋』でわかっている。夫は大半が「旦那」と呼ぶ。こう呼んで彼女らに屈託はない。不倫女性にさえ名前があるのに中年男性にはないというのは悲しむべきことである。にもかかわらず誰も同情してくれない。

いっそ公募したらどうだろうか。全然反響がないか、正反対に中年男性を徹底的に揶揄するような発明品が殺到するかだろうな。ジェンキンスみたいな。「この女性は私のジェンキンスです」なんていえるかバカ野郎。

いったいもてるかもてないかはどこで決まるのであろうか。なんて答えはわかっている。生まれつきの容姿である。私は20代で着ていた服が今でも着られる。要するに中年太りはしていない。ではと肉体を鏡でみると(あまり深く想像しないように。キモいから)やっぱり変わっていない。ということは

40代の今でも20代の肉体を保っている

ということになるのだろうか。いや違う。そうだとしたらもてるはずだ。正確には

20代の頃からすでに40代の肉体だった

であろう。これが50代になってもそうだとしたらいよいよ深刻である。年を追うごとに自分の若かりし頃がいかに老いていたのかがわかる。寒いじゃないですか。

若い頃、もてる少数の同性を目にして何故自分は「青春の傍観者」のような位置づけにあるのか不可解であったが最近になってようやく謎は解けた気がする。

ただ外見から年齢不詳になりつつあるのは事実だ。しかしそれは多分に職業が影響している。仕事柄若い世代や女性と接することも多く流行り廃りを追うのが職務だけにみるみるオッサン化する様子はない。最近では実年齢より若く見られることもあるから驚く。しかしそれは取りも直さず精神的に大人になりきれていないという証左でもあろうから喜ぶほどのことではない。

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2005年9月 4日 (日)

私の始末書

たまにはつぶやきらしきことも書いてみよう。42歳独身子なし借家住まいの零細企業主。ふむ我ながら立派な負け犬である。

鏡で我が身体を見る。頭髪の後退は今のところないが42年付き合った顔は相変わらず間が抜けている。妙に眼光が鋭いのもかえってマイナスである。その上身長を10センチは縮めてみせる猫背も健在だ。太ってもいないが別にスラッとやせてもいない。
皮膚はもとから白い上にひげが濃くてやわらかい。しかも汗っかきである。なかなかここまでみっともない造作を組み合わせるDNAの出会いもあるまい。やわらかいから電気では剃れない。カミソリで剃ると皮膚が弱いのですぐ血を噴く。といって伸ばすとホームレスさながらとなる。いずれをとっても大層なご面相が出来する。
元来の口臭もある。これは幼少からで極度な胃弱が原因と幼い頃に医師にトドメを刺されている。取材対象者に失礼なのでいろいろ対症療法は試みている。しかしそろそろ加齢臭や死臭が陣営に参加してくるお年頃だ。化け物の完成は間近い。

加えて努力というものができない。生まれてはじめてそれらしきことをしたのはマスコミの試験を受けた時だったが、それとて1日2時間と続かない。やっと潜り込んだ新聞社からは二等兵のままアッという間に逃げ出した。以前に毎日新聞の労働組合から「会社を去った人に聞く」みたいな企画で(成り立つ時点ですごい企画!)取材されたが赤面するのみ。厳しいから脱走しただけなのに。
それからコロコロと転がってわずかな文才と話術の才で地表スレスレの低空飛行人生を続けて今日に至る。

「何で結婚しないんだ」と聞かれることもあるが「誰にも相手にされないんだ」と真実を告げても何故かなかなか信じてもらえない。妻がいないから当然子もいない。孫はまだかと親に詰め寄られて参る。生物学的に私は男であるによって子どもを産むことはできないんだよ。

私より才能があった多数の知り合いは今たまに集うとグチのオンパレードである。私には付いていけない世界がそこに広がる。上司や仕事上のトラブルを延々とグチる者が「どう思う」と振ってこられても困る。「辞めれば」と返答すると「でもオレは組織を内側から改革するんだ」なんていう。ヤレヤレ面倒な方程式である。
「妻や子がいるから云々」ともいうが私が頼んで誰かに結婚してもらったことは一度としてないから「僕は頼んでないよ」というと「お前は無責任だ」「半人前だ」と罵られる。「無責任」「半人前」という指摘自体は実に正確なので黙っていると「お前がうらやましい」などとも言う。私をうらやんだらお仕舞いである。
家庭を運営するのは大変なことらしい。ただ話を聞く限りでは零細企業を切り盛りするほどでもなさそうなのが不思議だ。しかし手に入れていないものは軽蔑できないので独身の私は聞き流していると一渡り不幸な家庭を嘆いた後で「お前も結婚すればわかる」などとのたまう。おいおい。いくら自分が不幸だからといって私まで引きずり込むのはよそうよ。

彼らが子をなしてしばらくは年賀状にどでかく子の写真が貼られていた。私は年賀状を出さない主義なので名簿から削除するといいのに肉の塊にしか思えぬ赤ん坊の写真が送られてくる。それが数年続くとだいたいが決まって消える。子の写真がなくなるのだ。やっと肉の塊が物心ついてこちらも興味を持とうとした瞬間に彼らは隠す。「ここから一歩も出ようとしない娘の部屋」とか「金属バットを振りまわす息子の勇姿」みたいな写真をぜひ送ってよ。そうしたら絶対に返事を書く。

そういえば私には友達もいない。一人もいない。取材対象者やら取次仕入様やら日々お付き合いのある人々は無数にいるが友達はいない。「何でも心から打ち明けられる」といったって打ち明けるほどの内容を背負っていないので不要である。より正確にいえば苦労はズシンとあるが大半は誰かに打ち明けたところでどうにもなりはしない。

趣味は読書。ただし日垣隆さんのご説によると文筆を生業としている者が趣味を読書とすることは警察官が趣味は詮索というのと同じでタブーだそうである。となると私には趣味さえないことになる。

自分でもよくわからないのは社交性である。いわゆる「もてない男」「オタク」のカテゴリーに私は間違いなく入るが、どうしたわけか社交性だけはあるのだ。だから女性と話ができないとかアガるといった経験はまったくない。どこで身についたのか天賦のものかわからないが備わっている。だから歴とした「もてない男」「オタク」の仲間にも入れない。

どうやら42歳まで生きた男性の余命は40年ぐらいあると聞く。まだ半分だ。残りの半分をどうやってごまかして生きればいいのか不透明にすぎる。

ただどんな社会が訪れるかは想像がつく。おそらく「貧しさ」が多くの庶民にのしかかる時代が再来しよう。私の生家は決して貧しくはなかったが小学校を「父親の仕事の都合で」5回も転校せざるを得ないような程度ではあった。
生まれた1960年代は日本から急速に「貧しさ」が消えていった時代だが幼少時にその匂いはかいだ。貧しき者は「ボロは着てても心は錦」でありたいが実際にはより貧しい者や弱き者を叩いて相対的な優位を実感する傾向にある。そこにつけ込む奴もいる。「物言う弱者」に社会は攻撃的でさえある。
願わくばそこに立ち向かいたい。その過程で死んでしまいたい。武器は憲法21条の「表現の自由」。私の「護憲」は9条ではなくて21条なのだ。とりあえずはこの条文を脅かす勢力に蟷螂の斧を振りかざしたい。

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2005年8月21日 (日)

左か右か

私と私の雑誌は「左」とみなされている。かつて右翼的といわれ今でも旧帝国海軍の戦艦と戦闘機の名前が全部いえる私がねえ。
確かに小誌の広告には左系のものが多い。だが大半は交換広告といってお互いの紹介をし合っているものである。どこが交換して下さって大歓迎で右も左も頼んだが右らしき出版物からは反応がなかった。要は左とみなされたのであろう。結果として左な出で立ちとなった。

本当に「左」ならば隠すことは何もない。堂々と名乗ってやる!でも左からも嫌われている。むろん右などでもない。じゃあ何かって!と問われれば反問する。「右か左じゃないといけないのか」と。

1)「エセ左翼」「背後に何かがある」
旧社会党系の人からはいきなり「エセ左翼」と呼ばわれた。エセも何も最初から左翼の予定はないから「エセ宇宙人」といわれたも同様。でも先方は言い放ってしたりとしている。「機会主義者」と批判した方もいたなあ。オポチュニストというわけだ。左とは右の反対といい右とは左の逆と解説するトートロジストならばともかく元から左や右といった観念を信じていないので日和ると言われても困る。

多分本物の左翼に違いない革マル派に至っては厳しい抗議を突きつけてきた。小誌の連載中に作者の思い込みから間違えた記載があり謝罪せよと迫られたのだ。間違っていた上は謝ったのだが革マル派は作者の「思い込んでいた」「まことに迂闊」「軽率のそしりを免れない」という言葉で納得してくれない。「背後にあるものは何か」と何やら我が社の背後に怖い組織があるがごとくに想像力を巡らす。ないない!そんなのないって革マルさん。
それにしても驚いたのは革マル派が小誌を読んでいた(でないと謝罪要求も来ない)という事実である。自慢じゃないが小誌は1979年に創刊以来30年近くにわたって「幻の雑誌」であり続けている。どこでどうやって手に入れたやら。

2)零細企業経営者は左になれない
そもそも私は零細出版社の経営者である。この時点で左翼にはなり得ないのだ。だって普段から銀行(資本主義の権化)に土下座し取次様(出版界の最高権力)に平伏しているのだよ。社員から外注さんに至るまでの支払額も決して高くはない。もっと払ってあげたいけれどもカネがないのだから仕方がない・・・・という考えこそ資本主義であるそうで仕事に比して小額の報酬しか与えられなかった外注さんは私に搾取されているということになるらしい。だとしたら私は「搾取」し続けなければならない。だってないものはないんだもん。
この構図にはまらない零細経営者がいたら拝みたいほどだ。零細企業経営者は自動的に資本主義の権化というか鬼と化すしかないのである。

3)何をもって左とするか
小誌は創刊以来「弱者・少数者の立場」からの編集を方針として掲げてきた。1994年7月から以前の発行元から発行権を譲渡されて今に至っているが編集方針の維持が雑誌の生命なのはオピニオン誌だろうがエロ本だろうが同じはずだ。「弱者・少数者の立場」とは対象によって違ってくる。ホームレスは社会的弱者であるが彼らのなかでも強弱関係がある。だからどこをとらえて弱者と見なすかといわれれば時々の判断と答えるしかない。ここにオポチュニスト批判の源がある。真の左(何度もいうが私は左でさえないが)たるものは何だか知らんがブレてはいかんそうである。
どうも最近の風潮では「右」でなければ左という力学が働いている気がしてならない。その上でサヨとして叩く。本田靖春さんが『我、拗ね者として生涯を閉ず』に書いているように以前には「ニューライト」とさえされた本田さんが「左と見做されているらしい」という。
小誌の巻頭はたいてい鎌田慧さんだが鎌田さんも「最近は左になっちゃったよ」とおっしゃる。本田さんや鎌田さんが「左」だったら本物の左翼は顔を真っ赤にするはずだ。

「左」の根拠はどうやら憲法9条への立場が大きく作用するとの説がある。鎌田さんのような「護憲」は「左」なそうだ。でも本田さんは「自衛隊を合憲とする」こと自体は「護憲のための改憲論」で述べている。私もほぼ同意見だが本田さんでさえ「賛否いずれの反応も皆無であった」というのだから声望も筆力も取材力も精神力も雲泥の差の低レベルにある私などが訴えても「皆無」なのは仕方がないのかもしれない。

4)執筆した雑誌によって決まる
本田さんが前掲書で推察していた。だがそうなると一応右のカテゴリーに入る新潮社の『フォーサイト』に署名記事を書いたことがある私の位置はどうなる。『記録』でも『週刊新潮』の名物コラム「ヤン・デンマン」がなくなった時に追慕の記事を載せたし『文藝春秋』が言論弾圧を受けた時には応援した。「右」とされる方々にも多く執筆を願った。私自身もう右だ左だという不毛な議論に終止符を打ちたくて仕方がないのだ。
私が信じているのはただ一つ。表現の自由を絶対的に守ることである。右も左も大いに結構。誰もが好き放題論じ合える環境こそ真の民主主義だと信じて疑わない。私は「表現の自由原理主義者」である。

最近気になるのは「右」のなかに表現の自由を抑圧する動きに賛同する論調がある点である。かつてはむしろ「左」の側に感じた「嫌なにおい」を発散している。お互いにそれをやったらお仕舞いでしょう。
冒頭の話題に戻る。私は右か左かと問われれば「下」と答える。薄田泣菫は『茶話』で「貧乏人は何でも知っている」と喝破した。常に無名の立場にありたいと願う。

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