携帯電話ファシズム
喫煙者である私が近年「禁煙ファシズム」に悩まされているのは何度も書いた。だが喫煙による副流煙が疫学上害を与える危険が高いので我慢はすべきとわきまえている。だが携帯ファシズムは誰にも迷惑をかけていない分だけ納得がいかない。
私は原則として携帯を使わない。「原則として」とはかけるためだけに持ってはいるから。今や新規加入できないNTTドコモのPHSである。本当は持ちたくないが公衆電話が激減していて仕事上かけるしかない場合が多々生じるので止むなしなのだ。かけ終わったら即刻電源を切るのでかかってくることはない。
なぜ持たないかというと必要ないからだ。私は友人が1人もいないし家族も構えていないから私用という概念がまずない。仕事にしても自宅にも会社にも旧来型の電話はあり会社には社員もいるし留守電機能もある。メールは旧ニフティサーブ時代から10年以上使っているアドレスがあって頻繁にチェックしている。
そもそも電話に否定的であれと教えたは新聞社時代の先輩だ。電話に頼るな。足を使えと。だから事件があれば警察署に駆けつけて広報担当の副署長に会う。概要を取材しているところで副署長の電話が鳴る。朝日かららしい。副署長は目の前にいる同じ用件の私との会話を中断して朝日と話す。その内容を私はメモしていた。そのうちに腹が立ってきた。何で出向いてきた私を差し置いて電話を優先するのだと。これは究極の失礼だ。
携帯にも似たような経験がある。あるメーカーの会議に重要だからどうしても参加してくれというので外部スタッフとして説明に参上した。会議室ではひっきりなしに携帯が鳴り、そのたびごとに社員が会議室を離れていく。中断するか再度説明するかで異様に時間がかかる。「重要な会議以上に重要な電話がひっきりなしにかかってくる」という日本語はありえない。
というわけでされて失礼を自分でするのは以ての外と使わなかったのであるが最近とみに携帯電話の番号を教えて下さいと当然のように聞いてくる仕事のお相手が増えてきた。「ないんです」と返答すると不思議な顔をされる。直近では嫌な顔をされ出した。これが携帯ファシズムと呼ぶ理由である。
直面談より優先される仕事などありえない。自分がされて嫌なことは人にはしない。この2点が間違っているとはどうしても思えない。「ではメールで」「では会社に電話を」とたいていは収まるが、それで不自由したことは一度もない。要するに携帯でないと困る用件など本当はほとんどないのだ。
この点は重要である。携帯でないと連絡が取りづらい職種とか常に緊急性を帯びている職業に従事しているとか携帯以外の電話連絡手段がない人などは当然持ってしかるべしだが私に限ってはいらない。同タイプもいるだろう。そこまで「使って当然」とする気風を問題にしていると留保をつけておく
「ビジネスでは必須」も疑わしい。急ぎの一報を素早く処理できるメリットは直截にわかるが代わりに会議を長引かせたり弛緩させているデメリットを感じないだけではないか。煮詰めてやれば20分で素晴らしいアイデアが出たかもしれない会議を携帯の中断で凡庸にした例は「素晴らしい」が生じなかったから、つまりなかったから不利益と勘定していないだけなのだ。
とはいえ小誌編集部でさえ私以外は皆携帯電話を持っている。きっと私と違って私用があるのだろう。それに私は他人が携帯を持つこと自体には反対していない。オレにも使えと暗に圧力をかける風潮が忌々しいだけだ。
もっとも持っているNTTドコモのPHSのサービスはもうすぐ終わる。するとかけるための携帯は新たに選んで買わなければならない。家電量販店でながめると不要な機能満載ばかりである。
当たり前のように携帯メールがついているが愚の骨頂だとなぜ誰も叫ばないのか。携帯にもしメリットがあるとすれば本人にすぐつながる点だろうが携帯メールは「すぐでなくていいから」の意味合いが濃い。でなければ通話すればいいのだから。
すぐつながる能力のある機器に「すぐでなくていい」機能が標準装備。これが変どころか重宝している人が少なからず、否、非常に多くいるのが不思議でならない。ズバッと話せ。会いに行け。間違っているか?(編集長)
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