恋愛

2010年11月21日 (日)

ヌードになりたい女と全てから逃げだしたい男

 最近、週刊誌でヌードになりたい女性が増えていると報じていた。その記事によれば、ざっと500人に一人はAVに出演した経験を持つ計算になるという。また、主婦層をターゲットにした女性ファッション誌『美STORY』(光文社)では、200人を超える人が読者ヌード企画に応募したとも書かれていた。脱ぐことが自己表現の1つになっているのだろう、との結論が下されていた。

 既婚女性の恋愛を取材していた際にも、同じような話を聞いたことがある。女としての魅力を測るため、あるいは夫や社会へのアピールとして恋愛が始まるケースである。

 結婚もした、出産もした、働いてもいる、ファッションにも手を抜かない、スタイルもキープしている。でも、女性として自分はどうなのだろう、と疑問に感じ始めたとき、「恋愛をできる自分」がほしくなる。30代中盤あたりから、その種の承認願望は強まっていくようだ。面白いことに、そうした女性の多くが「若い男の子」との恋愛を望んでいた。

 では、若い男性を捕まえればめでたしめでたしかというと、そうでもない。何人かから聞いたのが、外を一緒にあるくのが恥ずかしいというもの。その話の延長で、ファッションの違いが気になるというケースも聞いた。ダメージ系のジーンズなど、ちょっと「汚い」イメージのファッションでキメてきた男性と外出すると、世代が違うのが丸わかりで、余計に恥ずかしいと。いきおい家から出たくなくなるとか。女として通用できることはアピールしたいが、まるで若い子をたらし込んでいるようなイメージは持たれたくないらしい。

 こうした女性に惚れた男性はけっこう気の毒だったりする。いかんせん恋人もファッションの1つだから、些細なことで女性はいきなり去っていく。知っている例では、占いの結果が悪かったからと袖にした女性がいた。

 取材した人の中には、家庭内では女をアピールしたくないと答えた女性もいた。夫婦仲がよくなく、なるべくなら旦那とは寝たくない。だから自宅ではなるべく体の線が見えないダサイ服を着用。ただし彼氏のためにダイエットをし、デートでは女をアピールする服で出かける。家庭に不和があると、恋愛も大変なんだと思ったものだ。

 こうした「恋愛をできる私」の主張が「脱いでもキレイな私」に変わるのは、それほど不思議ではない。むしろ女性として通用することを証明するだけなら、恋愛よりヌードの方が面倒くさくない。少なくとも意のままにならない相手はいないのだから。

 もちろん女性と同じような自己表現への欲求が男性にもある。自分が男性としてどうなのかを気にしている男は多いからだ。だから40歳前後ともなればスポーツジムに入会する人も増える。また、陰毛に白髪か生えてくる衝撃について熱く語ったりもする。ただ男性はヌードになることもなければ、そのためだけに慌てて恋愛にはしることもない。
 というのも、ほとんどの男性は男としてのアピールが何の意味を持たないことを知っているからだ。もともと大半の男性はもてない(一部だけがモテ続けるのだ!)。男として血気盛んな若い時分からもてないのに、おじさんになってもてるはずがないと、初めからあきらめている。せいぜい恥ずかしくない程度にお腹を引っ込めるべく、ジョギングを始める程度のものだ。

 先日、学生時代の友人から「40歳を超えると急に増してくる欲求があるが、何か知っているか?」と聞かれた。41歳の自分が考えられるさまざまな欲望を挙げてみたが、彼は首を振るばかり。う~んと悩んでいると、彼はおもむろに正解を教えてくれた。
「すべてを放りだして世の中から消えてしまいたい願望だ」
 なるほど、それなら分かる! 私も大きく頷いた。

 女性は女としてのアピールの場を男性から媒体に移し、男性はすべてを捨てて世の中から消えてしまいたいと願っている。両性の逆方向のベクトルは、伸びるばかりである。(大畑)

既婚女性たちがどんな恋をしていたのかは、 「妻の恋」(アストラ)で。

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2007年7月 3日 (火)

迷惑メールを研究しよう! その1 

 最近やたらと迷惑メールが来る。いわゆるスパムメール、バルクメールというやつだ。
 普段は読まずに削除してしまうが、業者もせっせと送ってきてくれるので、その誠意に報うべく研究してみることにした。
 読んでいるとだいたい同じ業者から同日に何通も送られてきていたり、差出人は女なのに、内容は「俺はこれで彼女できちゃいました」といった矛盾に満ちた内容、さらには「お金を振り込ませてください」といったタイトルで、疲れた生活を送っている人が読んだら即URLをクリックして逆にお金を振り込まされてしまいそうなメールまである。
 基本的に出会い系サイトのものが多いが、中にはウィルス付き、ネズミ講、ダイエット薬販売(中身は英語)などセックスに付随するメールばかりではないことがわかる。しかし、そんなメールは少数で、大多数が出会いに直結するものばかりで少しウンザリしていしまう。肉体関係を結びたいと欲する男女が存在するのはテレホンクラブ(テレクラ)が栄えた時代が象徴するようにいつの時代でも変わりがない。テレクラのチラシが入ったティッシュや、電話ボックスの中に無数に張られたチラシなどの代わりに、そういったメールに取って代わっただけという印象が私にはある。
 さて、今回は第一回ということで、送信者の名前について研究してみた。
 メールの送信者を見ると、やたらと変な女性の名前が多い。いくつかに分類してみた。
 その1、芸能人の名前をもじる。思わず苦笑してしまったのが、「リア・クリステル」。これは、最近人気のリア・ディゾンと、これまた人気アナウンサー滝川クリステルをとった名前だと一目瞭然。ほかには、浜崎まゆみ。そっくりさんAV女優名(昔いた加護あいりとかくらもとまいとか……)じゃないんだからもう少しひねりを加えて欲しいものだ。
 その2、名前だけ。美咲、いくみ、さとみ、まさこなどなど。この場合、漢字かローマ字のどちらかだ。
 その3。適当ないかにもいそうな名前か、源氏名にありそうな名前。石田初鈴、西森千果子とか。迷惑フォルダに入らなければ、普通に友人にいてもおかしくない名前である。もし夫や恋人のメールボックスにいたら間違いなく浮気を疑われるだろう。
 業者はこういった名前をがんばって考えているのだろうか。いずれにしろ迷惑フォルダに振り分けられてしまうのだからもっと適当ないい加減な名前、たとえば六条院麗華とか、三十院光とかね。内容もばかばかしいのだからすべてばかばかしくしてみたらどうだろうか。
 第一回目は送信者の名前を研究したが、次回はどういった内容なのかを研究してみたい。今日はスパムトラバが嫌がらせのように貼られそうだが、そのうちそういったものも研究してみようと思う。 (茎崎カリナ)

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2006年6月 1日 (木)

18歳で愛する彼をがんで失った女の子のその後

ブログで自分の体験を綴っている(http://takakoworld.blog66.fc2.com/)takakoさんから電話があったのはもう2ヶ月以上前のこと。私(編集長)が電話に出た。ちなみに小誌編集部への電話の多くは編集長が取る。なぜならば他の部員がいないことしばしばだからだ。何をやってるだか。
内容は本の売り込みだった。仕事柄多く受ける用件ではある。ともかく会って草稿があればみせてくれと申し入れ期日を決めて対面した。これもよくあること。

その本人はブログで写真を公開しているので見ていただければわかるが美しい31歳の女性だった。草稿にざっと目を通す。するとその内容が眼前にある楚々とした女性の告白なのかとにわかには信じがたいほど衝撃の連続だった。恋愛が縦軸に貫かれているのは変わらないが、ざっと述べると次のような話が出てくる

1)中学時代の反抗・シンナー依存
2)高校中退
2)18歳で大好きだった「彼氏」と両想いになってわずか数ヵ月で彼氏のがん発覚
3)がん闘病と空しく迎えた死
4)引きこもり
5)脅迫的な宗教の勧誘
6)新しい彼の覚せい剤使用
7)キャバクラでナンバーワン
8)結婚とセックスレスと離婚
9)レイプ
10)買い物依存症

これでも一部である。おおよそ15歳から約15年間に実際に出会ったジェットコースターのような内容に圧倒される。悲しかったりつらかったり腹立たしかったりの連続なのだが半面で家族愛、友人愛、姉妹愛がtakakoさんを支える温かい環境もまた存在するのである。

愛する人をティーンで失うなどいくつかの点で星野夏著『あおぞら』(ポプラ社刊)に似るが、星野さんと違ってtakakoさんは30歳を越えている。いわば『あおぞら』で紹介されたような体験を味わった女性が、その後どうなるのかを身をもって解説しているような面白さがある。
takakoさんは今、同じような体験をして苦しんでいる人のために自分も一緒に考えていきたいと活動している。指導や助言といった高みからの行為ではなく伴走者の役を望んでいる。そのためには実名、顔出しもいとわない。本を出版するのもその一環であり内容は個人情報を守るために自分以外の登場人物は仮名とするが他は事実のみを記載している。

さて出せるのか。私は自分のところで出してみたい。ただし草稿段階の原稿ではいうまでもなく読者に提供できないので大幅なリライトが必要だ。また現時点でtakakoさんは有名人ではないので、このままの状態で書店営業をしても、また取次様へのパターン配本に乗せても大した部数は出ないのが近年の常識である。ないしは返品のヤマとなろう。
したがって編集者としてできることは私の精一杯をするがtakakoさんへの一層の支持が不可欠であるというのが商人でもある私のいつわらざる心境である。「場合によっては自費出版もあり、ですか」と問うたらtakakoさんはうつむいてしまった。気の毒な質問であるのはわかっている。だが小社とて損を承知のボランティアはできない。

ともあれ気高き当ブログ読者様にお願いしたいのはtakakoさんのブログ(http://takakoworld.blog66.fc2.com/)を一度だけでもいいから訪ねていただいてコメントをつけるなり小社に感想をいただくなりをしていただけないか。

別の取材でわかったことだが現在この国ではtakakoさんが陥った状況にある若者は多数いるということだ。彼ら彼女らは無軌道とも感じられる言動で取材者である私でさえ驚かす。しかし心の内には悲しみや虚ろさを抱え込んでもいる。それが犯罪や自殺の導火線になるのもしばしばだ。正直を申せば若者の犯罪や自殺を調べているうちに上記のような状況が広く存在すると知ったのである。
そこには「地元」という濃密な環境がある。高校→大学→就職といったステップを踏み切れなかった若者がこぼれ落ちていく残酷な構図がある。若くしての病死や事故死もびっくりするほど多い。同じ境遇で恋愛という形で支え合おうと男女が身を寄り添っても「残酷な構図」が彼ら彼女らのナイーブな心のひだをかき乱して混乱を生じさせる。
失礼を承知でいえばそこに無理解や無知がしばしば見受けられるが、そうした若者は解決する糸口や方法を見出したり知ることもできない。そこに付け入る「大人」のあこぎが追い打ちをかけてくる。

小誌は「弱者・少数者の側に立つ」を編集方針としており、上記のような追いつめられている若者の実態も取り上げてきたつもりだがtakakoさんの草稿を読んで改めて見逃している弱者・少数者が悲しく固まっていると再認識した。大学進学を境に上京して以来、田舎とは没交渉。運よく就職を果たして後にドロップアウトしたものの好き勝手をやって生きてはいる私では見えない。ぜひ一読をお願いしたい。(編集長)

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2006年2月 9日 (木)

バレンタインデーという憂鬱

それは「一部のイケメンを困惑させ、大部分のもてない男を憤激させる壮大な愚挙」と定義できよう。
もらったことがないひがみから言っているのだろうって? フフフ違うんだな。私とてチョコレートとは限らんまでも、その日および前後になにがしかのプレゼントをしてくれる未婚の女性は毎年何人かはいるのだ。
エッ!裏切り者だって? このラインで「もてる」「もてない」を区別して戦うのはよそうよ。広義の「もてない」が万国の労働者のように団結してこそ資本家階級であるイケメンに勝てるのだとマルクスは言っていないから私が言おう。
「もてない」同士が微差のナルシシズムを競って際限なく足を引っ張り合ってはならない。醜悪が醜悪を演じてどうする。「もてない」の矜持は「私もそうだ」とカミングアウトした者のバックグラウンドを詮索せずに快く仲間とするところにある。少々チョコをもらっていたからといって、たまたま彼女がいたからといって排除の論理を働かせては敵の思うつぼである。むろん敵とは・・・・

おっとっと。タイトルとそれた方向へ無意味にもっともらしく突っ走るところだった。軌道修正して改めてバレンタインデーを述べる。

女より/智恵ありといふ/男達/この戦いを/やめぬ賢さ

と与謝野晶子に痛烈に皮肉られたように男性の大半は女性よりアホである。だがバレンタインデーとダイヤモンドへの執着だけは晶子の歌の「男」と「女」を入れ替えていいのではなかろうか。
バレンタインデーが日本の製菓業者の、ダイヤモンドは月収の何とかがデビアスの、それぞれの商魂に発したことは今さらいうまでもない。うちデビアスの市場支配力は近年低下しているが日本の女性がしょせんは白墨と同一に過ぎないあの鉱物にかける妄執はやまない。
恋のあれこれで男が犯す最大の錯誤は「(ある女性を)想っている量が他の男性より勝っていれば女性は評価してくれる」であろう。「君はあいつの方が好きかもしれない。でもオレの君への想いはあいつの何倍もあるのだ」といえばわかってくれるとか考え直してくれるといった勘違いである。実際には何の効果もないばかりか有害でさえある。「キモい」を決定づけるのだ。
これと同じ錯誤を女性はバレンタインデーで犯す。正体は「私が心を込めて贈った大好きな食べ物を相手は喜んでくれる」だ。したがって最高級のゴディバならば恋する男性の心を動かせる、ないしは義理チョコに止めれば相手も「義理に過ぎない」と出過ぎた真似はしない、とね。
そうじゃないんだな。最高級チョコを贈られる男はほんの一握りしかいない。したがって彼の下には最高級しか集まらないから最高級の価値を究極的には保持し得ない。これを経済学では合成の誤謬という・・・・というのはウソだが似たようなところはある。

いったいに女性は甘いものが好きである。だが男性は必ずしもそうではない。だから贈り主の女性が大好きな甘いチョコが恋する男性を甘くさせるとは限らない。

戯奴のため/我が手もすまに/春の野に/抜ける茅花ぞ/召して肥えませ

とは万葉にある紀女郎の相聞歌である。これに似た勘違いといえよう。

一方の義理チョコは明白に「義理チョコだ」と言い放つか板チョコのように間違いなく最底辺のチョコだと広範に認識されているものを贈らないと相手は相当の確率で「義理に過ぎない」とは思わない。相手は乾きに乾いた砂漠の漂流民の如しだ。ならば泥水でも甘露である。よって義理以上と邪推されて、つまり誇大妄想を与える。かくしてアンパイはストーカーへ変貌を遂げる・・・・やも知れぬのだ。

女はキモい男に贈り物をされれば大半の者が嫌であろう。だが男は違う。とくに「もてない」は。「オレも結構イケてるじゃん」と本気というか本能というか、名づけようのない想いで胸を焦がす。

結論。バレンタインデーは女性にとってバカげている。本命の男性には甘さが届かず、義理の相手の胸を熱くするだけだ。

・・・・ふむう。ということは結局は女性の愚かさを指摘したようで、その淵源は男性側にあるということか。世に男と女しかいない。なのに恋の行き交いは複雑怪奇である。

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2005年7月26日 (火)

人妻はなぜ不倫に走るのか

その原因を探ってみようとの意図で3年がかりで該当者への取材を行った。出版を前提とした取材なので数多く断られたが12人が応じてくれた。困難の連続だったが取材を続けていくうちに共通点も見えてきた。

●「人妻」とも「不倫」とも本人は感じていない
まず「人妻」という用語である。広く使われるが実は妻である者が自分自身を、または他者が妻を「人妻」と呼ぶことはないとわかった。「人妻」という用語は現在では主に「性風俗の肩書き」として流通している。
また「不倫」「浮気」の状態にある妻はそうした自分の営みを純粋な「恋」と名乗る。「夫が私の浮気に気がついて」という言葉遣いはしても「私と○○さんの浮気はこうして始まった」とは語らない。あくまで「恋」が始まるのである。

●「人妻の激しいセックス願望が不倫に走らせる」もない
おもに男性側が築いたフィクションであるようだ。事実そうした告白は皆無に近い。取材対象者に横のつながりはないに等しかったから同じ心象の人だけを集めたわけでもないし、他の場面では旺盛にセックスを語るのでセックス自体を恥じ入っている様子もない。だから「激しいセックス願望が不倫に走らせる」は虚構である可能性がかぎりなく高い。

●本当の理由は夫とのコミュニケーション
逆に、異口同音に発せられたのは夫とのコミュニケーション不足である。妻が言葉にできない不安や不満を抱き、言葉にならないゆえに話されることはなく、話したとしても夫の解釈は要領を得ない。そのうちに会話をあきらめた妻――彼女らがつまずくこと必至の「恋」に向かっていく。夫婦のあり方を再発見しようと苦しんでいる妻たちの姿がそこにはあるように思えた。
それは、単刀直入にセックスにもいえることらしい。面白おかしい性描写で読者の興味を引く気は最初からなかったが。理由は編集方針というよりも、事実として面白おかしいものではないからである。

これらの聞き取りをまとめたのが小社から発行している『妻の恋』(大畑太郎・川上澄江著)である。

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