住まい・インテリア

2007年5月 3日 (木)

編集部合作! ワールドワイド・トイレ事情

●インド編
 インド・カルカッタのサダルストリートは安宿が集まる地域として世界中のバックパッカーに有名である。その中でも名が知れた安宿のうちのひとつ、パラゴンに私は泊まっていた。
 近くには『深夜特急』で沢木耕太郎が投宿していた安宿・サルベーションアーミーがあった。
 私が5年前にインドに旅行したときはこの宿に滞在していた期間がいちばん長かったから、いまでもパラゴンのトイレのことはよく覚えている。インドの他のトイレと比べて特に変わった点はない。つまり、インドにおけるスタンダードなトイレだ。
 私が泊まっていたのはドミトリー(何人かとの相部屋)だった。他には日本人ばかりが集まってるドミトリーがあったが、インドにまできて日本人とつるむ心境がまったく分からなかったので、欧米系の人が集まってるドミトリーを選んだ。
 水にあたったのか体調を崩している太った女がいて、夜中に何度もトイレに駆け込んでいた。
 トイレは水洗ではなく、蛇口をひねって出した水を手桶にため、排したものを流す。トイレットペーパーはもちろん持ち込み。灯りがあったのがラッキーだ。
 トイレの広さは日本のものとは特に変わらないが、インドのどのトイレにも共通していたのは、妙な簡潔さのようなものだった。
 洋式の便座があるわけでもなく、水をためるタンクもない。ただ中央に和式とほぼ同じ便器と水道、便器の横に手桶があるだけだ。今でもこの国の人たちはトイレットペーパーを持ち歩くわけでもなく手で尻を拭くのだろう。ふと思ったことがあるのは、それはトイレの進化系ではないのかということだ。
 いつか資源が枯渇したとき、手で拭く方式がグローバル・スタンダードになる可能性は誰にも否定できない。(宮崎)

●中国編
 忘れられないトイレといえば15年前の中国だ。よく知られている中国のトイレといえば、水の流れている溝をまたいで「大」をするもの。「川上」からは当然のように他人のものが流れてくる。
 この形態がキツイという人もいるが、僕はそれほど違和感を感じなかった。ボットン便所ほど大量の「大」を見るわけでもないし、前にケツがあるとはいえ、それは銭湯でも同じこと。
 ちょっと面白いのは銭湯と同じく「裸のつきあい」がうまれることだろうか。日本からトイレットペーパーを抱えて行ったこともあり、「川下」の人から背中を叩かれ「ペーパーくれない」と頼まれたことがたびたびあった。
 これはこれでけっこう楽しい。

 むしろ衝撃的だったのは北京にあった水洗便所だった。
 中国では珍しくキレイな水洗の洋式便所に大喜びで便器に座った。そのとき一瞬目の入ったのが壁を伝う配水管だった。変わっているのは新聞紙が挟んであること。さして気にもとめずスッキリ出して自分で持ち込んだトイレットペーパーで拭いた。
 そのとき不思議なことに気がついた。

 ペーパーホルダーがない!? 
 
 みんなどうやってケツを拭いているの?? そのとき、やっとシナプスがつながった。配管に挟まれた新聞紙はトイレットペーパー代わりではないか。
 グロイものほど見たくなるのが人情。僕はそっと顔を新聞紙に近づけた。随分と長く放って置かれたのだろう黄ばんだ新聞紙に付けられた黒い筋。中にはシミのように一部が黒くなっている紙も。
 間違いありません。使った後の新聞紙でした。

 それが地面から天井近くまでズラリ。壮観ッス!

 便所が詰まるから流せない。でもゴミ箱は置いてない。仕方なく使い終えた新聞紙を折って配管に挟んでいったに違いない。この便所の光景だけは今でも忘れることができない。万里の長城の景色なんかは、けっこう曖昧になっているのに……。(大畑)

●香港編
 SARS以来、香港のトイレは清潔を保つように指導されているのか、それとも自主的に行っているのかけっこうキレイらしい。
 らしいというのは、SARS以前に行ったことがなく、どんだけだったかがわからないので言明を避けただけである。
 さて、香港に住み始めてすぐにあるデパートのトイレへ行った。旧正月前で大混雑する店内とトイレ。日系デパートのトイレだからキレイだろうと思っていったら、入り口をはいってすぐのところで入る人みなトイレットペーパーを少しずつちぎっている。どういうことだろうと思いながら真似してちぎって個室へ入ったらあらびっくり。便座が空いている。そしてそこには黒い靴のあとと、床には液体(たぶん水じゃないと思う)。便座をおろすとなぜか表面がぬれている。一体どういうことだ……。さらにペーパーもないし、すぐ近くにあるゴミ箱には使用済み生理用品やら紙やらが捨ててある。とにかく汚かった。 以前一度だけ、黒い靴のあとに好奇心を抱き、洋式便器の上に乗り、和式スタイルで用をたしてみたのだが、はっきりってしずらい。
 それが初めてのトイレ体験in香港であった。
 それからいろいろなトイレへ行ったが、明らかに汚いトイレはその頃に比べて減っていったようにも思える。ここでも思えるって書いたのは、トイレ自体が少なくあまり行く機会がなく比較できなかったからである。ホントね、少ないんだよ、香港のトイレ。
 香港のトイレで興味深いのは、掃除のおばちゃんが必ず1人は在駐していることと、場所によって鍵がないと使用できないということ。
 おばちゃんはセカセカ掃除したり、話したり、掃除したりしている。ガイドブックによると、このおばちゃんにティッシュをもらったらチップ払うとかなんとかって書いてあったのだが、今まで払った経験はない。特に請求もされないし、そもそもカモられたこともない。場所の敷居によって掃除のされ具合が違う(それともおばちゃんの熱心度?)ような気もするのだが、たいがい高級なところはキレイ。
 次の鍵がないと使えないというのは、主にレストランのフロアーしかないところや、オフィスビルに多い。場所によっては、曜日によって鍵が必要なところ、不必要なところもある。急に催したときなんかは特に困る。トイレへ走るも空かない。個室どころか、トイレという空間にすら足を踏み入れることができない。
 さらにこの鍵が厄介で、だいたい一つの店に一個しかないことが多い。かち合ったら先に行った人が戻るまで待つか、ドアの前で出てくる人を待つかのどちらかしかない。トイレの数が少ない上に、輪をかけ鍵問題。多少の我慢ならできる大人ならまだしも、子供にはあまり優しくないが香港のトイレ事情ということだろうか。(奥津)

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2005年11月28日 (月)

「姉歯物件」購入者に同情すべきか

むろん同情の余地はある。ただなあ・・・・。個々の事情もさまざまで本当に気の毒な方もいらっしゃるだろうし、基本的には被害者だから「欲の皮vs化けの皮」のせめぎ合いとまでは言わないけれど・・・・
最初に懺悔から。フリーランスで仕事をやっていた頃に首都圏郊外を拠点とする分譲住宅販売会社からPR誌の取材・執筆の仕事を受けた。
取材といってもその会社が指定する「不動産の専門家」のインタビューが中心だ。

取材対象者は同じであれば違う場合もあったが口をそろえていうのは「今が底」だった。「地価も下げ止まり建築費用も安く調達できるようになった。金利も低い。これだけの好条件がそろえば必ず住宅取得価格は上昇に転じる」というような内容である。
しかし「今が底」原稿が掲載された翌月にはさらに下がっていった。郊外は特にである。そこでその事実を踏まえて同じ取材をすると「だからこそ、今が底」という話になるのだ。
結果として読者を欺いてしまった。
この論理に問題があるのは現に地価が下がっている理由を追求せずに「下がるはずがない地価がここまで下がったから上昇に転じるはずだ」というトートロジーの変形版だった点であろう。「金利が低い」も同様で低下した理由を動機にすり替えていたわけだ。

1級建築士が耐震構造計算における強度を偽装していた問題で真っ先に思いついたのは「まさか!」であった。ただ「まさかそんなことが起こるなんて」のまさかではない。
先のような原稿を書いていた頃に私は関連してかなりの不動産・住宅建築・販売の取材をしていたが多くはかなり怪しげであった。
むろん良心的な会社もあるに違いない。でも私自身が「今が底」インタビューを書き綴っていたように手抜き工事やら劣化した資材の使用やら建築確認のすり抜け方までさまざまなうわさ話を聞いた。石綿をブンブン吹き付ける現場もみた。
だから先述のまさかは「まさかそんなことがバレるなんて」である。1人の1級建築士だけが起こした特殊な不祥事で止まっているはずがない。現場で聞いた感触では大なり小なり他にもあるはずである。

「姉歯物件」の被害に遭った人達は何故事前に十分に調べなかったのか不思議である。私が取材した頃はそうでもなかったが現在は廉価で調べてくれる建築士や団体が多数あるのだから購入前に調べるのが普通であろう。
そう思ってこの1週間ほど最近分譲住宅(戸建て・マンションとも)を購入した人に聞き取りをし始めたところ驚いたことに現在1人も事前調査をした人がいない。これが2つ目の「まさか」である。
よくいわれることだが庶民にとって住宅の購入は生涯で最も高い買い物であろう。バーゲンの安物から少しでも良い品を選ぶ時には目を血走らせ、皿のようにして漁るのに人生最高値の買い物を不見転でするは不可解の極みである。

何よりも「まさか」なのは大半がキャッシュではなくローン、しかも超長期のローンを組んで取得している点だ。30年なんてザラだ。こんなことに驚いていることに驚いている人がいることにまた驚く。
30歳の人が30年ローンを組むと60歳となる。いかな年月か。1975年から今年まで何があったで想像しよう。ソ連はその間になくなってしまった。CarpentersやOlivia Newton-Johnがアイドルだった。ホリエモンは幼児だった。都市銀行・長期信用銀行が20近くあった。東京メトロに冷房はなかった。すぐにでも固定相場制に戻れるとまだ思っていた。バブルが来て去った。日本社会党が野党第一党だった。王貞治と野村克也が現役だった。朝青龍もタイゾーも生まれていない。

30年前に30年後の今を予測するのが困難なように30年後など誰にもわからない。それをローンで約束するなど私には信じられない。というか怖くてできない。

しかも金利が低位にあるとはいえローン分がキャッシュでポンと買うよりウンと高くつくのは当然である。それで潤う輩を30年間安心させるだけである。

現在、特に東京都心部で地価上昇の分譲住宅の価格高騰がみられる。仕掛けにファンドがあるのは明らかである。奴らの自作自演に踊らされてはならない。
ここに石油で大もうけした輩が便乗しよう。原油高は買う者を苦しめたが売る者はもうけたのである。原油でもうけるタイプは金転がしぐらいしか頭に浮かぶまい。よって自らファンドになるか既存のファンドに融通する。
だから短期的には価格は上昇するし庶民は焦る。でもそれが彼らの狙い。高値と見るや売り抜けてババをつかむのは「不見転長期ローン庶民」である。そんな環境下で安い物件があること自体が本来は不自然である。欠陥があった方が論理的にはつじつまが合う。

特定市街化区域農地の宅地並課税も徐々に威力を発揮していくだろう。驚くべきことに税を払って赤字経営をしている農家は現在でも半数近くはある。ただ代替わりで相続税と分割相続と跡継ぎ不足が絡めば放棄を一斉に後押しよう。
その上で人口減少が重なるから将来的に(30年ローンは将来だろう)価格の高騰が続くはずはないのだ。何を焦るのか。

住めればいいじゃん!立って半畳寝て1畳。そういうと「お前は独身だから」と反論されそうだが私はこれまで誰一人として結婚を勧めた覚えはない。
だから勝手に結婚して勝手に子どもをつくって勝手に「一国一城の主」(笑)にならねばと気負って将来の子どもの成長を考えて広めのマンションを買うものの「主」本人の将来は大丈夫だと勝手に決め込んで30年もの支払いを約束してローン会社をもうけさせる人の気持ちはわからなくても責められる筋合いはない。
ましてや公的資金での救済など断固反対である。だったら新潟県中越地震の被災者を救ってやれよ。民間と民間の問題であって水俣病患者とチッソの時とは全然違う。誰も彼も甘えるのはいい加減にするといい。

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2005年9月 3日 (土)

人ごとではない米国の大水害

大型ハリケーン「カトリーナ」によって千人単位の死者が危ぶまれるニューオーリンズの水害だが他人事とは思えない。日本を襲う台風とハリケーンは発生場所が違うだけで同質だからだ。

まだ詳細はわからないがニューオーリンズ水害は「世界一長い橋」のコーズウェイブリッジが架かるポンチャートレイン湖の一部と同湖とミシシッピ川とをつなぐ運河の二ヶ所が決壊したらしい。湖の方は詳細がまだわからないが日本ならば一級河川に相当するであろうミシシッピ川本流の決壊でない点を注目したい。

かつて日本では大河川の決壊が大水害を繰り返してきたが近年の治水対策により姿を消しつつあった。
代わりに問題となってきたのが中小河川の氾濫である。2000年の東海大水害の時には本体の庄内川は大丈夫でも支流の新川が決壊、ないしは決壊させないよう放流を止めたための内水氾濫が発生した。04年の台風23号に基づく豊岡水害は氾濫が事前に心配されていた円山川がやられた。

現在の都市住民の多くは中小河川の氾濫に直撃される低い海抜地帯に住んでいる。一級河川は100年に1度を想定した治水が進んでいるが中小河川はそこまで行き届かない。地方自治体の財源も乏しい。そもそも「100年に1度」も単なる概念に過ぎない。イチロー選手の名言を借りて言えば今年100年に1度の水害が起きた翌年に次の「100年に1度」が来たっておかしくないのである。
ニューオーリンズ水害もハリケーンをやり過ごすまでは首尾よくいったが翌日の氾濫にまったく備えなかったがための大惨事のようである。水害はこれがこわい。いわゆる「台風一過」でホッとしている時に襲いかかるのだ。

趣は異なるが1998年に神奈川県玄倉川で発生した水難事故を思い出す。再三の避難勧告にも関わらず中州で「キャンプ」をしていた家族連れなどが濁流に押し流された。後で子細を批判されるものの勧告する者はやるべきことは一応やっていたし被害者もキャンプの常連だったという。それでも油断する。思うに台風の恐ろしさは学ぶまでもなく皆が知っているが後の河川氾濫の危険性はあまり啓蒙されていなのではないか。考えようによっては、というより命に関わるという点で考えるまでもなく郵政民営化などより重要で喫緊のテーマであろう。

何とか大災害を命からがらやり過ごしたとしても後が大変である。日本の場合は被災者生活再建支援法が適用されようが家屋の解体などの制限があって支給金で家の修理や新築は許されていない。日本は私有財産制度だから公金を私有財産(家など)に投入してはいけないそうだ。アホらしい。同胞が明らかに何の罪もないにも関わらず何もかも失っているのだよ。それでも同法ができただけでも進歩(1998年成立)というから暗たんたる思いである。しかも地震と違って水害は家は実質的にはもう使いものにならないが見かけ上は半壊もしていないという場合も多々あり得るから同法の適用を個々には受けられない可能性もある。

小誌1995年3月号に寄稿していただいた歴史学者の秦郁彦氏の文章によると阪神大震災の「避難所になっている体育館の温度が、夜半には0度以下まで下がっていた」という報道から「がく然とした」とし、その理由として以下を挙げている。

「苛酷きわまるシベリアの抑留生活を経験した人に聞くと、零下20度の戸外で労働させられたが、夜はそれなりの暖房のきく部屋で寝ていたという。極言すれば、被災地の避難所はシベリア以下の寒冷地帯なのだ」

阪神大震災から時も経ち被災者生活再建支援法ができたといってもスズメの涙の様相は変わらない。生活拠点と同時に営業や経営の拠点でもある自営業者の場合は一刻も早く拠点整備をしないと生活できないが被災者生活再建支援法では救われないので融資に頼るしかない。いいですか。拠点が壊滅してただでさえ休業を余儀なくされているのに融資を受けたらどうなるか。しかも他に選択肢はない。あるとすれば町を棄てるだけだ。それも棄てた先に目途がある人しかできない。

2004年の新潟中越地震が発生した後に避難所暮らしを続けたり自動車で寝泊まりする人々の姿が何週間も映し出された。私が不思議でならなかったのはそうまでして避難所に居続ける心理である。あのような難民キャンプさながらを黙認する国のあり方にも激怒したが私が避難民ならばサッサと逃げ出す。特に自動車があるならば止めておかずに近隣の都市に多少が定まるまで逃げ出せばいいのにとも思った。それでエコノミークラス症候群にかかって死んだら元も子もあるまいと。
しかしこうした発想は私のような風来坊だからできるとわかる。地震社会学者の和田芳隆氏が小誌05年2月号で報告した内容によると車中避難の理由は①自宅から離れたくない②避難所で誰だかわからない人たちと暮らしたくない③ペットを飼っており避難所での共同生活が難しい--だった。
最多の①は自営業者など商売を営む人に多く泥棒を見張ったり避難所が自宅から遠いなどが理由であった。
なお新潟中越地方の場合は「一家に1台どころか、家族1人に1台が当たり前」のクルマ社会ゆえに車中泊を選択できたという東京にいると想像が付かない実情もわかった。

余談であるがジャーナリズムに携わる者とて被災地にいれば水難や地震の被害に他と平等に遭う。なのに案外と死なずに取材活動に転じているような気がしてならない。単なる思い込みかなあ。以前にNHKが関東大震災直後の映像がみつかったと報道しているのを見た。悲惨な光景の中に今でいうロケバス風の車が左から右へ堂々と走り去った。車体には大きく『萬朝報』の名が・・・・。当時の大新聞である。あああの頃からそうだったのかと感慨にふけった次第。

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