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2009年12月 2日 (水)

毎日新聞が共同通信および加盟社と包括提携へ

私が入社したばかりの埼玉県警記者クラブの毎日新聞のブースにはファクスがなかった。共同にはあった。共同へ加盟している産経や東京は使わせてもらっていたけど毎日はダメ。「いいなあ」と素朴にうらやましかった。
そのころから記者のなかでは「共同から配信を受けて毎日は調査報道に徹し、日本一のクオリティ・ペーパーをめざしたらどうか」というアイデアがあった。そのような発想は1977年の経営危機以来、大なり小なりあったに違いない。となると今回の「包括提携」はやっとの実現である。大きな壁となっていた「三大紙=国内ニュースは自前でカバー」とのプライドをかなぐり捨てたのだ。私はいいことだと思う。
「包括提携」は毎日記事によると次の2点が大きい。

①共同通信社加盟社である地方紙の一部から記事配信を受ける
このうち「一部」というのが気になる。文字通り地方紙からドカンと配信されるならば地方支局はほぼ必要ない。すると新人記者のファームでもある地方支局の価値が問われよう。逆に文字通り「一部」で実際には共同通信の支局からの配信のみとしたら支局の仕事はほとんど変わらない。腐っても鯛で地方取材網は毎日が共同を圧倒しているからだ

②10年4月1日、共同通信社に加盟する
これについて毎日の説明は「本社の記者は独自の視点で取材を進め、強みとしてきた調査報道や解説記事をより充実させる」「新聞社の役割は水面下に隠れた情報の発掘や解説記事にシフトしている。本社は、できるだけ多くの記者をこうした取材にあてるため、両者と協議を進めてきた」とする。概念としては理解できる。インターネットの普及と新着記事を次々と無料でアップする(これは大変な愚策である)今の新聞社の姿勢から考えるに「総論賛成」である。もはや新聞から速報性は消えた。できることがあるとすれば権力の監視であり、その観点から「水面下に隠れた情報の発掘や解説記事」が生まれるならば一騎当千の毎日記者の面目躍如となろう。
ただし問題が2つ。一つはバカ高い年間契約料をどうするかだ。当然リストラかと思いきやそれはしないという。読売の渡辺恒雄社長(当時)がかつて値下げ要求を却下されたのに対して共同脱退をちらつかせたこともあった。系列の日本テレビは06年、共同から脱退している。それほどのコストをどう工面するのか。
二つめは「水面下に隠れた情報の発掘や解説記事」は記者が思うほど売り上げにつながらない点。といってそれまでネットで無料配信したら元の木阿弥である。

そこで私のアイデアを。こうなったらいっそのこと共同通信を乗っ取ればいいのだ。共同の年間契約料はどう考えても高い。そして毎日の国内取材力は共同と遜色がない。「ひさしを貸して母屋を乗っ取る」よろしく当初は地方紙の「一部」と共同配信を受けての調査報道をしておき、段々に地方紙の信頼を得て、今度は毎日から配信してあげればいいのだ。むろん共同よりずっと安く。幸か不幸か毎日の部数は低迷しているので地方紙に毎日と同じ記事が出てもクレームなどは起きにくい。地方紙側とすれば一定のクオリティーが保たれていれば共同配信だろうと毎日配信だろうと構わないはずだ。こうした胸にいちもつの作戦だとしたら至極愉快なのだけど(編集長)

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2009年5月30日 (土)

私財を投じてネパールに寺を建てた身障者

 昨日終日疲労が残っていた。土曜日の午前中に、週刊金曜日に諌早干拓事業に消えた60億円分の海砂について初稿を書き終え、8時間ほど自転車走行したせいである。
 距離にしてたったの90キロ少々だが、嬉しかった。これで数年ぶりの100キロ越えは近くなってきた。
 四万十川を旅する準備だから、まだまだこれではいけない。年内にスペインの巡礼地を走る。いずれは南米縦断とシベリア横断、地中海一周、南ア縦断。中国とチベット。こんな誇大妄想的なことも考えている。
 劣化した肉体はその程度のビジョンがないと点火してくれない。が、かりにすべて完走してもなんと言うこともない。スポーツは我欲を満たす行為に過ぎない。個人的にはスポーツごっこが好きなのだが、スポーツだけの趣味人を最近はどうも尊敬できないときもある。海外の貧者に学校を作る程度の他愛的趣味は尊敬する。ノーベル賞欲しさに世界中に競艇の寺銭をばら撒き、ハンセン病撲滅に訴えた笹川氏の狂おしい動機の不純さを知っているので大いなる慈善事業をしていても、動機を知るとそれほど心が動かない。しかし確かに、子どものときに自分が苦労した人がやれば確実に良い学校になる。

 世間では知られていないが、無私の精神でネパールにウン千万を出して寺を作った人を個人的に知っている。
 名は向坊弘道さん。向坊さんは若い頃の交通事故が原因となって車椅子に乗っていた。
 頚椎髄損が原因だった。2年前に癌で逝った。聞くところでは、最期のとき、癌は向坊さんの肉体をむさぼったが、交通事故で首の神経が切断されていたので、全く痛みを感じなかった。最期の日も睡眠導入剤などを飲んで、荒い呼吸をしながら、ベットに横たわった。ヘルパーさんの太田美代子さんが、深夜部屋を覗くと眠るように安らかに逝っていた。死後、ネパールの首都カトマンズにお寺を残した。

 彼はグリーンライフ研究所というNPOを作っていた。同サイトには以下の情報が残る。

【カトマンズ本願寺の経緯】
 カトマンズ本願寺は、向坊弘道氏によって発願され、さまざまな方々の協力を経て、建築が始まりました。ネパールの首都カトマンズにある浄土真宗のお寺です。
 2005年度には、浄土真宗本願寺派から、「カトマンズ本願寺」の寺号を許され、新たな活動をスタートさせております。

【カトマンズ本願寺の活動】
 現在、カトマンズ本願寺では、次のような活動をしております。
 メンバーによる定例法座
 日本語教室の開催
 今後再開したい活動
 古着などの配布
 無料医療検診の実施
 車いすの現地生産と無料配布 など

 向坊さんは1人で始めて、浄土真宗の仲間の力を借りて、ここまできた。フィリピンにも身障者の施設を持っていたが、そちらは向坊さんの没後、現地の裏切り者に取られたと太田さんが残念そうに語っていた。フィリピンでは外国人は土地を持てない。それはいいことである。外国からの収奪資本主義が土地を食い尽くすからである。ところが抜け道はある。向坊さんも信頼したフィリピン人の名義で土地と建物を投機した。そして、最期に裏切られた。
 もっとも聡明な向坊氏のことである。その程度のありそうなリスクはちゃんと読んでいただろうが、寒い冬を逃れて、数ヶ月だけフィリピンの田舎でのんびりと療養目的で日本から来た身障者と介護者に、長年親しくしてきた現地の管理人がいきなり銃を突きつけて、「もう2度と来るな」と凄んだ時の情景が目に浮かぶ。たしかにそれは修羅である。幸い、向坊さんと宗教的紐帯があるネパールの施設では問題はおきていない。現地の責任者の僧侶は、向坊さんから資金を受けて、来日し、龍谷大学で学び、その後、西本願寺で僧籍を得た。彼が現地でこれからも恩師の大業を残す。

 

ココを読めばおおよそは知ることができる。
 筆者が向坊弘道さんご本人から教えてもらった話もある。そのサイトに書いていない。 
彼の貸しビル業が成功した一つの理由は正直な不動産業者に会ったことだった。在日韓国人だった。北九州には高利貸し、パチンコ屋、不動産屋の世界には戦前玄界灘を越えてきた者の末裔が多い。向坊さんの周囲は大反対した。「連中と組むと全部取れるぞ」と。それもまた現実的な評価である。そんな時代だった。
 身障者になった向坊さんは、幸いにも実家が北九州の地主だった。交通事故に遭った当時、東大法学部にいただけあり、努力家だった。時代を見るセンスもあった。彼は土地の将来性に着眼して、70年代の高度成長期にビルを建て家賃収入で自立した。
 わざわざヤバイ相手を笑んだ訳を、生前、聞くと、「あー、彼ねえ。彼とは高校のときに同級生だったからね」。そんなもんだったかと腑に落ちた。最後は10代の友愛に賭けたといった。
 その在日のパートナーに会おうかとも思い、その後の消息をヘルパーさんに尋ねて、愕然となった。返事はぽつんと一言、「自殺したようです」。身体的ハンディよりも社会的ハンディがしんどいこともあるのか。よりによって、善人が自殺する環境とは何か。一瞬考えたが、答えはなかった。

 向防さんの著作はある。題名は『隠れ念仏伝承の旅』(本願寺出版社刊)。宗教弾圧といえば日本ではカトリックが有名である。教科書に出てくる隠れキリシタンの殉教者は5万7000人。ところが、浄土真宗の隠れ念仏者の殉教者は14万人以上という。それだけの殉教者が、南九州、とくに薩摩の地で出たという。室町末期から明治9年まで地下に潜伏した念仏者の足跡を尋ね、テントを張りながら、自動車で介護者と回って記録を残した1冊である。隠れ念仏者は、キリシタン同様、九州の辺境の島に逃げ、洞窟生活したらしい。長崎・平戸のキリシタンは五島列島だったが、薩摩の念仏者は鹿児島の甑島列島などに隠れた。この本には現地踏査で得た写真が多く、知識が満載されている。彼はこんな本を相当数自費出版も含めて世に残した。少数者が宗教を背負うと本物になる。
 どなたでもネパールに小旅行を予定する方がいれば、いつでもグリーンライフ研究所に連絡して欲しい。日本からの方はお寺で宿泊いただける。僧侶は日本で修行したインド人僧。何も心配はない。グリーンライフ研究所の現在の代表は太田美代子さん。向坊さんの最期を看取ったヘルパーさんである。彼女はグリーンライフ研究所の近くに住むご婦人である。長年、向坊さんをお世話して世界中を歩んだ。

同研究所の所在地は
〒803-0123 福岡県北九州市若松区有毛3106 
FAX 093-647-0336

 脱線が過ぎた。小生も数ヶ月前に小さな交通事故に遭った。リハビリを兼ねて、自転車旅行を再開することにした。計画だけは壮大で守っていないが月曜日と火曜日が35キロ。水曜日が65キロ。木曜日と金曜日がまた35キロ。土曜日が100キロから130キロ。日曜日は休み。7月末まではこのスケジュールでいくつもり。
 だれかの役に立つわけではない。なぜ、体力をつけるか。答えがない。あまりに虚弱だと原稿が書けないという理由があるにはあるが、エクササイズに熱中すると、書く情熱が消える。疲労が蓄積して頭がうごかない状態になるのだ。
 プラスもある。新しい光景に遭遇すると脳が動く。昨日は無駄な公共事業を見ようとして海上に作られた北九州空港を見にいった。海上空港までの道は精緻だった。用地買収にいくら対策費が動いたかなどと考えずにひたすら走ったが、海上の道路の全長は2100メートル。自転車と歩行所専用レーンもあった。欧米基準の造りを見て高コストを実感できた。トヨタ・日産などの自動車産業の従業員を北九州工場に誘致したので、前市長は彼らの便のためにも作ったというが、いまや世界的不況を受けて大減産。空港の定期便はスターフライヤー社1社だけ。これも赤字空港になるだろうと思いながら、ちんたら走っていると、安手のマウンテンバイクに乗った若者に抜かれた。
 ややむっと来たが、今の段階ではこちらが遅い。すべては1年後。そう思いながら、休日の午後を楽しむ若い自転車乗りの背中を見送った。

 とえらそうに述べたが、大畑センセーがシカトし、原稿の掲載が遅れた。
 『週刊金曜日』も小生の原稿の法律的杜撰さに蒼くなり、編集者本人が確認作業に入るという。没ではない。
 60億円が諌早に消えた。犯人は誰か。国かゼネコンか。
 証言者を小生は探したが、取材費を十分寄越さないので、それなりの手法で小生が取材したもので、いざ裁判になると負ける可能性が濃厚という。それで走り回る。若手の編集者が。裏の裏を確認するために。かくて掲載は6月中旬になるらしい。編集者も人を利用することに長けているが、彼ら同様、小生も人でなし。週刊金曜日にはややどたまに来たので、今回、取材して残った情報をさらに銭をくれそうな月刊誌に提示してたかる最中である。
 自転車乗りを信用するな。

 こんなことはいい。その後、隠れ念仏についてさらに読んだ。五木寛之も書いている。日本のこころという本で。
 五木は50歳になって竜谷大に学んで、浄土真宗を彼なりに学んだ。その過程で、一向一揆をやった北陸の教えが九州に入り、生まれたことを知る。その産物とが隠れ念仏である。このことを総本山の竜谷大にいる向坊さんの恩師に五木も習い、九州を走り回っている。作品としては、プロの五木の作品の方が格段がいいが、車椅子に乗り、節約するためにカップラーメンを食しながら野宿して、南九州を往った向坊さんの先駆的体験があればこそ、五木が今いる。(李隆)

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2009年5月 8日 (金)

チームLSD 忌野清志郎・最期の転身

 ロック歌手の忌野清志郎が他界した。咽喉癌から転移したリンパ系の癌である。
 3年前に咽喉癌を発病。まだ初期だった。喉にメスを入れれば、生存の可能性が高かった。が、歌手としての生命線を守って、放射線治療を選択した。
 高校のときだった。RCサクセッションというバンド時代に聞いた。印象に残ったが、日本の音楽シーンに関心をなくしたので彼らがどこに消えたかも知らなかった。ところが、15年以上して、世はバブル。テレビを見ると、際物臭いメーキャップを効かせ、忌野清志郎がソロ歌手に化けていた。バンド時代の路地裏からの哀歌と弾けた音調の混合と較べ、別人かと思ったが、声の力感と艶はたしかに忌野だった。三菱のランサーのCMで歌っていた。テレビの中の忌野清志郎を横目で見つめただけだった。
 ところが、6年か7年前だったと思う。突然戻ってきた。ノーメークのおやじ姿をさらして。自転車専門雑誌のグラビアの主人公だった。ついに音楽雑誌で出る場所を失い、業界雑誌かよと思いかけたが、そうではなかった。忌野は自転車乗りに変貌していた。
Photo  ウン十年前になるが、小生、三文現役選手だった頃に、町田にある「ケルビム」という個人工房で作り、カスタムフレームにイタリア部品をつけて愛用した。忌野の方は50になって目覚めて、日本で数社残ったカスタムフレーム製作所のケルビムを乗りまくりだした。 
 奇遇である。そのときは注目した。親しみをおぼえた。彼の音楽ではなく、パフォーマンスに。
 忌野はさすがに業界人。自転車専門の雑誌メディアを味方にひきつけ、東京から鹿児島。あるときは東京から東北。サルサを聞くためだったが、キューバも走っていた。芸能人の遊びの領域を超えていた。トレーニングをして体を作り、走りのコツを専門人からどんどん吸収していた。その様子はなれた乗車フォームを少し見れば想像できた。忌野は、チームLSD(Long and Slow Distance〈長くのんびり走ること〉の略)も結成し、連日、130キロ程度、ときには160キロ超えのツーリングをした。平均時速で22キロ前後。断じて速くはないが、禁煙までしてがんばる姿を見て、内心応援していた。芸人は何でもやらんといかんなあと内心、怠惰な己を叱りながらも。
 忌野の享年はまだ58歳。腰などに癌は転移した。歌を放棄せずに寿命を短くした結果だろう。人の数倍の密度で生きたロッカーにとって、早世は、あの世に進む挑戦だったのか。陳腐だが、そう思うしかない。ダニみたい小悪人が長寿するのが人生の実相。その差はウン十年。人類史から見れば、たいした差はない。忌野の名は多くの人の心に刻まれた。
 日常についていえば圧倒的に読む量が多い。連日連夜3冊から5冊のペースである。斜め読み、あるいは、最初の10ページでポイもあるが、地元の図書館では、小生も奇人扱いされている。あるときは統合失調症について。またあるときは公共事業について。キリスト教神学で固め撃ちにしたこともある。新潮社と約束したままの書き下ろしの資料として製鉄関係はほぼすべて。戦前の芥川賞受賞作品全集のときもあった。岩波、中央公論、時には文春、新潮関係の新書はほとんど。正統派のノンフィクションもほとんど。今は来月に予定している四国から紀伊までの自車旅行に備えて、『街道の日本史』を紐解いている。連日、ペダルを踏んでももう飽きる。事前に雑学である。
 今回は四万十川を走る。日本でただ一つダムがない川だという。諌早干拓がらみで、日本の自然がいかに破壊されてきたかを少し知った。どこもコンクリートだからである。海も山も。最後の秘境を見ておきたい。
 四万十川から高知に行く。高知の後は紀伊半島経由で、日本の山岳仏教を見る。うっかりしていた。まだ伊勢参りはしたことがない。ゴールは伊勢神宮。連日テント。予算は一日2000円。今年の夏にフランスからスペインのサンティアゴ聖地巡礼1200キロを自転車で計画しているので、その予行演習である。できれば帰路イスラエルを歩き、インド南部ゴアにある聖ザビエルの墓を見る。
 四国行きの今月末にスタートしようと練習しているが、なんとかなるのも、40キロが限界。それ超えると飽きる。風景が変わらないと駄目。人は脳内の刺激を追って走っている。新しい風景は脳内のセロトニンを刺激する。
 使う自転車で悩んでもいる。忌野清志郎が最初に乗ったケルビム製のフレームが小生のガレージにもぶら下っている。彼とは違い25年以上前に手に入れたものである。アメリカ時代には中西部に持っていた。かの地でもそれなりに走った。もうお釈迦近い状態の骨董品だが、累計で5万キロは乗った気がする。人も機材と同じように、風雨にさらされ、等しく消えていく。You Tubeにはサイクリングを唄ったありし日の忌野清志郎が悲しくも残る。You Tubeで「サイクリング・ブルース」を検索してほしい。忌野清志郎の走りが映る。
 合掌。(李隆)

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2009年4月29日 (水)

SMAP草彅(なぎ)剛君の扱いは正当だったのか

サツ回りを始めて最初の頃に驚いたのが酔っ払いがいかに多いかだった。来る日も来る日もトラ箱に人がいる。そればかりか来る日も来る日も酔っ払いが夜中に署へやってくるのだ。当直とわけのわからない会話をしていつの間にか帰っていく。「この時分になるとやってくる酔っ払いリスト」を作っていた当直長もいた。
酔ったあげく警察へ「保護」されてトラ箱入りする酔っ払いは翌日になって常連を除くと赤ら顔が一転して真っ青となる。その後は警察官にメチャクチャ怒られて帰るか、怒るまでもなく憔悴しきっていて逆にサツ官側が励まして送り出す場合もある。「逮捕しているのですか」と駆け出しの頃に質問して笑われた。冗談じゃない。逮捕となると書類も作らなければならない。数が数だからやってられないよ、と。ただし次の3点はあり得るとも教えてくれた

・器物を破損したり人に危害を加えようとしている場合
・大男が大暴れして収拾がつかなくなった場合
・素っ裸

草彅(なぎ)君は三つ目に該当したわけだ。それでもおとなしくしていればよかったものの暴れてしまったら逮捕という形式を取らざるを得なかったのだろう。

ブラックアウトした経験のない大人は少ないのではないだろうか。私もある。私の場合は記憶を失った後にしょうもないセリフを大騒ぎして(つまり口先男)回りから押さえ込まれ、その際に蹴りなりパンチなりを食らい、元が貧弱だからそれであっさり崩れ落ち、翌日に体中あざだらけの痛みとともに覚醒して「ここはどこ?」となる。なる、といってもすべて20代の「若気の至り」だ。30になって以来はそうならないようしている。威張れたものではない。およそ皆様もそうであろう。だから草彅(なぎ)君の34歳は少々幼い。

酔うととかく脱ぎたがる人がいるのも事実だ。記者クラブで朝から飲み(今ではあり得ない)昼になると上半身裸になる先輩がいると人づてに聞いたことがある。きっとそういう習性は性格によるのであろう。くわしいことは知らない。パンツだけは脱げないように工夫しておきたい。

とここまでは草彅(なぎ)君に非がありそうとの見立てだ。しかし家宅捜索と身柄送検は驚いた。家宅捜索の理由は処々うわさされているけど私は案外と逮捕した以上ガサ入れるかとルーティンな発想で気楽にやったのではないかと推察する。何も出なかったのだから草彅(なぎ)君にとってかえって良かったのではないか。
それに「有名人」「公務員」が不始末で逮捕となれば罪の軽重を問わずマスコミは取りあえず突っ込まなければならない。これは「掟」だ。とすれば警察もきちんと対処していると見せる必要があったのだろう。というわけでここも警察擁護。いわば有名税

ただ身柄送検はどうよ。うがった見方をすれば超有名人を成り行きで逮捕してガサまで突っ込んだ以上は叱りつけて釈放とはいかない。いっそ検察様のご判断でお願いしようと責任を検察庁へ押しつけたのではないか。
としたら検察も参ったであろう。身柄まで送ってくるんじゃないとも言えないし(内ではきっと言っている)。起訴できないに決まっている。やっても略式。それほどですらない。そこで出てきたのが伝家の宝刀?「処分保留で釈放」だ。

「処分保留で釈放」は聞き飽き書き飽きた表現なので最初は気づかなかったけど、この件を機会にじっくり考えてみた。変な言葉とわかる。何の処分を保留するかというと起訴である。文字通りならば「起訴という処分をするかどうかを保留するので拘置するわけにもいかないから釈放する」と場合によっては起訴もありうるような表現だ。しかし私が知りうる限り「やっぱり起訴だわ」となった例を知らない。事実上「無罪」か「罪を問わない」なのだ。それを「処分保留で釈放」といかめしく言うのは無謬性担保の一種なのかも。
この親戚で「起訴猶予」がある。形式上「お上にも情けがあるぞよ」といった扱いで目こぼしなのだが公判を維持する自信がないか維持したいほどでもない事案であるのも事実。起訴猶予5年といった期限もつかないし「処分保留で釈放」と同じく「やっぱり猶予取り消しで起訴」というのも聞いたことがない。別件で上げたい事案が浮かべばわからないけどね。要するにこれまた「無罪」か「罪を問わない」に等しい。

身柄送検だけは気の毒だったというのが私の感想である(編集長)

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2009年3月18日 (水)

マスコミとマスゴミ

主に大新聞とテレビ局がネット社会ではしばしば「ゴミ」呼ばわりされている。と同時にネットを多用していると思われる年齢層の購読率や視聴率(コアターゲット)が激減している。明らかにマスコミはネチズンに嫌われ始めている。なぜだろうか

①高飛車な姿勢
ニュースバリュー(価値)は我々で決めるという偉そうな姿勢がかなり反感を買っている。これらは一昔前は「こうやってバリューが決まるのか。勉強になった。ありがとう」と感謝されていた。評価が正反対になってしまったのだ。
ただしマスコミが世相や世論と無関係に高説をたれているという事実はない。むしろ世相には媚びている。これは80年代も今も変わらない。政治家と同じく国民の程度以上のメディアは生まれないのだ。これを書けば、あれを放送すればきっと読者や視聴者を喜ばせたりあっといわせられるとの判断が第一ではなくてもそれに近いところにある。その意味で私はマスコミによる世論誘導説を信じない。
もっとも媚びるならば媚びるで徹底すればいいのである。気色悪いとの反発は出ようがゴミにはなるまい。次に述べるような「媚びきれないプライド」のようなものがネットユーザーをいらだたせるのではないか

②正確と信じる情報源への偏重
例えば小沢一郎民主党代表公設秘書の逮捕の陰に「国策捜査」のにおいをかがない者はまずいないであろう。本当か違うのかは別にしてそのような可能性を考えてしまうのはむしろ自然の発想だ。しかしマスコミは1つとして「これは国策捜査ではないのか」との論調で切り込まない。そう発言した政治家の声や「政府高官」の失言、外電や社から切り離された識者の声で間接的に言及するのがやっとである。
理由は簡単。事件取材最大の情報源が捜査当局だからだ。公設秘書は身柄を取られているから20日は取材に応じたくても応じられない。すると事件の概要はもっぱら当局の情報のみとなる。いわゆる「リーク」も当局がハトへえさをまくようにしているのではなく多くは情報源(当局)に肉薄して得た結果であろう。といってもしょせん情報源は当局なのでそちら向きの情報しか出ない。したがってそこから開始する独自取材も「疑惑深まる」の方向へ行かざるをえない。
本当に客観取材をするならば被疑者の声を聞かせよと迫らなければならない。でもそれはなし。逆に当局からの情報ならば「安全な情報源だ」とホッとして書き飛ばし、画面で垂れ流す。そこにマスコミがよく使う「私達は国民の知る権利の代弁者」の姿はどこにもない。
断っておくが私は捜査当局の批判をしているわけでも小沢氏側をかばっているわけでもない。当局が自らの事件の構図に沿ったネタを提供するのはある意味で彼らの正しい姿である。問題はそれを安心材料として垂れ流す側にある

③他社を見る
②で述べたような問題はずっと前から指摘されてきた。一向に改まらない最大の理由はマスコミが読者や視聴者ではなく他社に関心のほとんどを寄せているからである。
明らかに当局に都合のいいリークがあったと仮定する。良識ある取材者ならば無視すればいい。ところがそうすると他社が報道してしまって結果的に特落ちになりかねない。だから取りあえず書いておく。実際に新聞を何紙も読み比べている人などほとんどいないのに新聞記者はどうしても気になって悪癖が直らない。
テレビ最大の関心事もまた裏環境にある。刻々と毎分で刻まれるビデオリサーチ社のデータに一喜一憂する。本当かどうか怪しげだがネタ元は安全な当局の情報だったら結局は使ってしまう。新聞と違ってテレビが問題なのは視聴者がザッピングする点だ。したがって同じような「疑惑」なり何なりを複数チャンネルで結果的に追認させる恐れがある(編集長)

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2009年3月 4日 (水)

うらやましいぜ(麻生風)AIGの通期約10兆円赤字

08年の通期で約10兆円の純損。四半期だけで約6兆円の赤字! すごい! 素晴らしい! うらやましい

私は自分の会社で一生に一度でもいいから当期10兆円の利益をあげたいとは思わない。10兆円の売上さえ望まない。でも10兆円の赤字は計上してみたい。もちろんそれで破産していい。ホームレスになっても構わない。いったいどうしたら10兆円の赤字なんて出せるのだろう。

本日はこのニュースにただあぜんとするばかり(編集長)

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2009年2月25日 (水)

週刊新潮の朝日新聞襲撃実行犯告白記事

「私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した!」の連載が終わった。おおかたはガセネタとの見方である。私も同様だ

長い間編集者をやっていれば過去の大事件に関するこうした「告白」を受けることは一度ぐらい経験するものだ。私でさえ三億円事件やグリコ・森永事件の「真犯人」をたくさん?知ってるぜ(麻生太郎風)。しかし記事にもしなければ警察へも届けない。だって明らかにガセなのだから

例1:私は三億円の犯人だ。しかし実は五億円だった。公安はその事実をひた隠しにしている。なぜならば云々
例2:私はグリコ・森永事件の真犯人だ。しかし公安は知っていて動けない。なぜならばCIAが云々
例3:私は帝銀事件の犯人を知っている。平沢さんは無実だ。真犯人は○○だ。だが彼は鉄砲玉に過ぎない。背景にはGHQの云々

「云々」部分は取るに足らない妄想が続く。他に背後にいる代表格はモサドとか旧ソ連の諜報機関とか。そんな巨大な力が働いて「公安」(なぜか多くが公安)がどうこうというストーリーである。と言いつつ「オレは公安に狙われている」などと脈絡のない話がくるのもセオリー?
確かに警備・公安・外事といった警察の部局は謎めいている。警察回りは始めた記者の多くが最も近寄りがたい雰囲気を感じるところでもある。入り口の3分の2がロッカーのようなもので塞がれていたりなど。だからといって何もかも「公安」が仕切っているわけでも法律から遊離した闇の権力でもないと段々とわかってくる。

こうした話が編集部へ電話で来ると(たいていそう)まずは概略を聞く。ここで99%はボツ。なぜならば私が公安の回し者……ではないのだよ。取るに足らないからだ。某極左から突然「公安の回し者」呼ばわりされてあきれたことがある。そんなのになれるならなりたいぜ(麻生太郎風)。多額のお金が入ってくるらしいじゃないか。しかしそんな話はないのである。

残り1%ぐらいが「よくできた作り話」である。その時は「場合によっては掲載してもいいけど、せめて『実名告発』にして下さい。でないと信憑性がなさすぎます」という。するとたいていは尻込みする。私の経験では100%だった。公安に消されるとかアメリカに狙われるとか既にスパイに盗聴されているとか(ならばかけるなよ)。
週刊新潮の記事は、この「せめて『実名告発』」をクリアした。島村征憲という人物である。よって私も最初は勢い込んで読んだ。結果「ガゼだろう」との感想をもった。

まず第一に事実ならば大スクープなのに「以下次号」の連載になっていたから。新聞は印刷から輸送まで一貫行程で降版から4時間後程度でニュースを届ける仕組みがある。だからスクープが打てる。それでも大スクープの時は極度に情報漏れを警戒する。
対して雑誌は校了後から外部の印刷所へ情報が移り、さらに無論別会社の取次会社経由で書店へ流れる。したがって最短スピードを走る週刊誌でさえおおむね1日前ぐらいには大スクープの概要は漏れてしまう。仮に漏れなくても新聞が追いつくのは可能である。いうまでもなく週刊誌は刊行日の朝一番から書店に並んでいなければならない。24時間営業のコンビニでも刊行日前日の午後11時半ごろには店へ運ばれる。それを手に取れば14版の降版時間までに一報ぐらいは突っ込めるのだ。

だから本物のスクープならば連載などにせず20ページでも30ページでも割いて一挙に量で圧倒しないと日刊紙が簡単に追いついてしまう。言い換えれば週刊で連載したら絶対に追い抜かれる。ということは連載とした時点で追われるネタではないと編集部が判断した……というのが邪推とは思えない。

細かい事実関係の齟齬については朝日新聞始め行われているので他のことを書く。島村氏の「告白」で出てくる主要な人物で実名なのは野村秋介氏のみ。だが野村氏はすでに故人で確認のしようがない。島村氏に犯行を依頼した在日本アメリカ大使館職員の日本人は仮名。島村告白が事実とすれば職員は時効とはいえ共謀共同正犯に位置する。だから彼も実名ならば多少は信じられるけど仮名。
仮名か実名かは重要な分かれ目である。もし職員を実名で暴露し、当該職員が濡れ衣だとしたら名誉棄損で刑事・民事双方で訴えてこよう。しかし仮名ならば少なくとも刑事は行けそうにないし民事では「訴えの利益」が存在しないから抗議ぐらいに止まる。「新潮で仮名とされたのは私だ」と実名で名乗り出る自体が損害だから。

島村告白に出てくる重要人物2人がこのようでは信じようもない。ガセネタと考えるゆえんである(編集長)

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2009年2月18日 (水)

オーバードース中川昭一さん

泉山三六「トラ大臣」は酒で失敗して座を追われた。でも風邪薬の過剰摂取=オーバードースで辞任した大臣の記憶がない。あなたはジミヘンか。歴史に残る大臣である。
一応オーバードースで押し通しているけれど「トラ大臣」ではなかったのか本当かという疑惑?も消えていない。中川さん宅では風邪薬を2倍飲んだら2倍早く治ると教えられたのか。まさかねえ。でも風邪薬と言っているのだからそれはきっと飲んだのだろう。お水ではなく酒で飲んだのではないか? それともトリップしたかったのかねえ。「そこにグラスがあったから」。ジミヘンにプラスしてジョージ・マロリー。大変な人物なのかもしれない。
それにしても安倍晋三さんにしても中川さんにしても勇ましい右の人は何でまあこのように体調不良になりやすいのか。左翼の大物は偉く長寿なのに。もっとも長寿だから権力を握り続けられたというのが本当かもしれないけど。右ならばマッチョでないと格好付かない。斗酒なお辞せずでないとはまらない。愛国心だの何だのと高らかに唱える人が国辱ものの映像を流されたのでは行き場がないでしょうに(編集長)

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2009年2月11日 (水)

裁判員制度よりも法廷の映像配信解禁が先だ

裁判員制度の問題は裁判員に「場数」が足りない点にあると前回述べた。残虐なシーンの写真や再現は一般市民には耐え難い。したがって普段法廷でどのようなことが行われているかを広く知らせれば多少は解決するはずである。
このことを裁判所は長年怠ってきた。確かに法廷は公開だが刑事法廷へ当事者でもないのに足を運んだ市民はどれほどいるだろうか。かく申す私でさえ記者になって初めて訪れた。裁判のイメージはほとんどテレビドラマであろう。しかし実際の裁判はそれとはほど遠い。
そこで「場数」を重ねるのに有効なのが法廷の映像を配信することである。何も地上波でとはいわない。ネットのサイトやCSなどの専門チャンネルでもいい。そこで本物に触れていけば一定の「場数」になりはしないか。

歴史を振り返ると裁判所はこの提案を退け続けてきた。三権のうち国会はテレビ中継される。行政は各種公開の道が開け、閣議こそ非公開でも閣僚の記者会見や懇談がひんぱんにある。ひるがえって裁判所はどうであったか。

何しろつい先ほどまで傍聴人のメモさえ法廷警察権の拡大解釈によって認められてこなかった国である。私が記者に成り立ての頃はまだ不許可で1列目の記者席に座る記者のみが許されていた。法廷が混乱するとか静けさが保てないとか証人が動揺するなどの理屈をつけて排除してきた。1989年の最高裁大法廷判決で原則自由となるまでまかり通ってきたのである。

映像撮影に至っては事実上いまだ閉ざされているといって過言ではない。まったく認めない姿勢から転換したのは1987年だった。しかしその基準は
ⅰ)裁判官全員が着席してから開廷を宣するまでの2分以内
ⅱ)刑事被告人は在廷しない状態
ⅲ)法廷後方から裁判官席正面を映すのが原則
ⅳ)照明や録音機材は認めない
など味も素っ気もない絵しか映し得ない設定である。90年の改訂運用基準もミリ単位での変更に止まった。

すべての裁判に当てはめるのではなく裁判員がそれこそ関わって苦悩しそうな重大犯罪に限っては刑事被告人は在廷状況も含めて映像(カメラ)取材に応じるべきと日本新聞協会が東京地裁で行われるてはずだったオウム真理教の麻原彰晃被告の公判で申し入れた。しかし地裁は例の運用基準を持ち出して退けた。司法の側が市民に身近な裁判のあり方を遠ざけておいて、それを裁判員制度でいきなり招き入れるというのは横暴というしかない。
だいたい法廷内のカメラ取材は新憲法が公布された1947年からしばらくの間は認められていたのだ。GHQ占領下の51年頃まで程度の差はあれ可能だった。なるほど当時のマスコミがいくぶん過熱報道をしたとか、法廷自体が荒れたという問題もあったろう。しかし何ら立法措置を施すでもなく禁止した。50年代前半から始まったテレビ放送も当然放映できない。法廷は隠され、それは今でも続いている。まずこちらを解禁し、少なくとも裁判員が加わるような事案は映像配信を認め、国民の広い理解が一定程度みられたところで制度を導入するのが筋である(編集長)

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2009年2月 4日 (水)

東京・江東区OL殺人事件と裁判員制度

06年4月、当時23歳の女性を殺害し、さらに遺体も切断したとして殺人などの罪に問われた星島貴徳被告(34)の論告求刑公判が26日に開かれ検察が被告に死刑を求刑した。それに先立つ集中審理における被告人質問(検察側)で遺体切断場面を再現した画像が廷内で映されて傍聴席にいた遺族がショックから泣いて退廷したという(http://www.asahi.com/national/update/0114/TKY200901140314.html
この事件は残虐な遺体写真などを裁判員が証拠として直視しなければならない裁判員制度の問題の一端を浮かび上がらせた。
事件事故で損傷した遺体を見るのは一般市民には実につらい。自身の体験でそれを痛感している。

今はどうか知らないが私が記者になった頃はほぼ例外なくサツ回り(新人)記者が警察から受ける「洗礼」があった。事件性の薄い変死体のある現場をわざと見せるのである。「ついてくるか」と誘われて断るような憶病者ではいけないから行く。するとそこには死後1ヶ月はたったと思われる黒こげのような死体(後に病死と判明)があった。すでに扉を開けた瞬間にハエの大群が雲のようにウワンと襲いかかってきていて怖じ気づいたのを必死に隠して遺体を見る。その様子の詳細はとても文章に書けない。またにおいもすごい。「酸鼻」というのはこのことかと思い知らされる。いつまでたっても消えない残像とにおい。堪りかねて検死官の経験のあった回り先の副署長へ相談した次第である。
列車への飛び込み自殺現場の取材も閉口した。私の知り合いの記者はこれに出会った後に頭がクラクラして自動車の運転もおぼつかなくなったという。
そうした状況から「成長」するのはひとえにプロ意識と場数であろう。場数を踏めば慣れはしなくても衝撃で飛んでしまうようではなくなる。そこに「お前は記者だ。冷静に現場を取材しなければならない」というプロ意識があって初めて一人前の事件記者になるらしい。「らしい」と書いたは私自身が一人前でないからだ。
新聞社を辞めた後も取材活動はずっと続けてきた。なかでも遺体解剖実習の取材は勇気がいった。前述の「お前は記者だ。冷静に現場を取材しなければならない」を言い聞かせ、そのモードに入ってからエイと飛び込んだものである。

遺体そのものではなく写真ならば大丈夫かというととんでもない。よく警察本部の交通部の警察官から事故現場の写真を見せられた。それはそれは悲惨なもので最初はやはりつらかった。裁判の証拠写真も同様の経験がある。私だけがナイーブというわけでもなく先輩も同期も同じような感想を述べていた。

その感情は警察官や検察官、裁判官にはないのかというとあるようだ。いつか地検と飲んだ際に「これが仕事だという構えがないと耐えられないものだよ」と捜査検事がこぼしたことがある。やはり経験とプロ意識が耐えさせているのだろう。遺体を見て平気だったり好ましく感じるのは異常である。職業柄それに触れざるを得ない者はその「モード」になれるから耐えられる。モードへ入るには前述のように場数を踏まねばならない。
ところで裁判員には「市民の感覚を法廷で反映する」のが求められている。ということは一般市民の感覚でなければならない。言い換えれば「プロ意識」であってはならない。だとしたら途方もなくつらい審理になるのは間違いない。対処としては「裁判員というプロ意識を学び、持ちつつも市民(アマチュア)の感覚を大切にする」手立てを講じるしかない。不可能とまでは言わないものの相当ていねいな準備やケアが必要な難しい手立てである。それがほとんど整えられないまま制度を開始するのはあまりに乱暴である。
この手立てが仮にできたとしても再三にわたり書いたように「場数」の方が足りないという問題もある。この点で裁判所は過去むしろ裁判の存在を市民から遠ざける措置を取ってきたとの「前科」がある。それについては次週に述べたい(編集長)

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