「ガチ」だと力士が死にますって……
大相撲の八百長問題が世間を賑わせている。社説でも扱われた。三大紙の中では、特に朝日新聞が強い批判を展開した。
「今回の疑惑は角界が神聖視する土俵を自ら汚し、真剣勝負を堪能してもらおうと日々鍛錬を積んでいる多くの力士の努力を踏みにじるものでもある。
立行司は腰に短刀を帯びる。軍配を差し違えた時、腹を切る覚悟を示すためと聞く。疑惑の力士にはそんな気概も、勝負への敬意もないのだろうか」
「腹を切る覚悟」とはかなり大時代的だが、相撲を本気でやること自体「腹を切る覚悟」なのを知っているのだろうか?
まず相撲前は格闘技である。しかも総合格闘技だ。決まり手の多くが組技のために忘れがちだが、相撲の打撃はかなりバリエーション豊かである。
まず「突っ張り」。手をグルグル回しており、それほど破壊力がないようにも見えるが、これは武術などで掌底と呼ばれる手のひらでの攻撃に近い。拳で殴るパンチのように相手に裂傷を与えることこそ少ないが、脳を揺らし、脳しんとうを誘発することで知られる。
さらに恐ろしいのが「かちあげ」だ。これは肘を使った攻撃で、ムエタイなどではKO率の高い攻撃方法として知られている。顔面に繰り出すと流血することも多く、格闘技で禁止されることも少なくない。日本人力士で多用する人はいないが、朝青龍の「かちあげ」は見ている方が怖くなるほどの破壊力で相手の顔面をとらえていた。
蹴りについても胸や腹なら禁手反則となるが、下半身への蹴りは認められている。実際、蹴って相手のバランスを崩す「けたぐり」という決まり手もある。体重が乗った形で蹴りが当たれば、かなりの衝撃のはずだ。
さらに恐ろしいのが立ち会いだ。平均150キロもある力士同士が、防具も着けず正面からぶつかり合う衝撃はハンパなものではない。
こんな厳しい環境で、年6場所、年間90日も真剣勝負をするなど正気の沙汰ではない。しかも本場所の間には、地方巡業まで組まれている。1992年には94日間も巡業したというから180日以上闘っていたわけだ。もうプロレス並みの試合数で、真剣にやれという方がどうかしている。
ちなみにアメリカン・フットボールの試合数は防具を着けて年16試合。プロボクシングも試合後2週間は次を組めないので、どんなに詰め込んでも年26試合しかできない。
まして相撲は、瞬発力と無酸素的持久力を試される短距離ランナーのような体の使い方をするという。以前、かなり有望な短距離選手に取材したとき、「全速力だと体が壊れるから、年に何回かしか本気で走れない」と聞いた。もちろん、この選手は特に体がデリケートだったのだろう。それでも15日間連続で100メートルの試合を組む人はいないし、トップクラスのランナーともなれば、予選でも最後に流すのが当たり前。コンディションが整えにくいタイプの体の使い方であることは間違いない。
そのうえ相撲には体重制限がない。新弟子検査である程度の基準が設けられているとはいえ、50メートル走などの体力テストが一緒に課される第2新弟子検査なら、身長167センチ、体重67キロ以上で合格できる。恐ろしいことに学生時代小柄だった私でも、メタボ気味の今なら新弟子検査合格の可能性がある。
格闘技が勝敗が体重に大きく左右されるのは、柔道やボクシングが細かく体重制限を設けていることからもわかるだろう。「柔よく剛を制す」とはいえ、体重が重ければ有利であることは間違いない。小兵の力士となれば、連日、ヘビー級のパンチをかいくぐって闘うことになってしまう。
こんな“恐ろしい”環境に身を置き、負けが込めばいきなり年収100万円以下になってしまうともなれば、八百長が出てくるのも当然だろう。そもそも真剣勝負を促す環境が整っていないのだから。
江戸時代は10日場所の年2回だったそうだが、アメリカン・フットボールの年間試合数を考えれば、真剣勝負が可能な試合数だったといえるかもしれない。
ちなみガチンコ相撲で有名だった貴乃花は、7場所全休したとして02年の秋場所に出場するよう横綱審議委員会に厳命された。ガチンコで闘えば負傷するのも当たり前。そんな日程を組みながら休みが続けば強制出場。これでは力士の身が保たない。
つまるところ相撲は完全なスポーツではないのだろう。
年6場所を続けるなら、「真剣勝負」の看板を降ろすべきだ。(大畑)
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