スポーツ

2011年2月19日 (土)

「ガチ」だと力士が死にますって……

 大相撲の八百長問題が世間を賑わせている。社説でも扱われた。三大紙の中では、特に朝日新聞が強い批判を展開した。
「今回の疑惑は角界が神聖視する土俵を自ら汚し、真剣勝負を堪能してもらおうと日々鍛錬を積んでいる多くの力士の努力を踏みにじるものでもある。
 立行司は腰に短刀を帯びる。軍配を差し違えた時、腹を切る覚悟を示すためと聞く。疑惑の力士にはそんな気概も、勝負への敬意もないのだろうか」
「腹を切る覚悟」とはかなり大時代的だが、相撲を本気でやること自体「腹を切る覚悟」なのを知っているのだろうか?

 まず相撲前は格闘技である。しかも総合格闘技だ。決まり手の多くが組技のために忘れがちだが、相撲の打撃はかなりバリエーション豊かである。
 まず「突っ張り」。手をグルグル回しており、それほど破壊力がないようにも見えるが、これは武術などで掌底と呼ばれる手のひらでの攻撃に近い。拳で殴るパンチのように相手に裂傷を与えることこそ少ないが、脳を揺らし、脳しんとうを誘発することで知られる。
 さらに恐ろしいのが「かちあげ」だ。これは肘を使った攻撃で、ムエタイなどではKO率の高い攻撃方法として知られている。顔面に繰り出すと流血することも多く、格闘技で禁止されることも少なくない。日本人力士で多用する人はいないが、朝青龍の「かちあげ」は見ている方が怖くなるほどの破壊力で相手の顔面をとらえていた。
 蹴りについても胸や腹なら禁手反則となるが、下半身への蹴りは認められている。実際、蹴って相手のバランスを崩す「けたぐり」という決まり手もある。体重が乗った形で蹴りが当たれば、かなりの衝撃のはずだ。
 さらに恐ろしいのが立ち会いだ。平均150キロもある力士同士が、防具も着けず正面からぶつかり合う衝撃はハンパなものではない。

 こんな厳しい環境で、年6場所、年間90日も真剣勝負をするなど正気の沙汰ではない。しかも本場所の間には、地方巡業まで組まれている。1992年には94日間も巡業したというから180日以上闘っていたわけだ。もうプロレス並みの試合数で、真剣にやれという方がどうかしている。
 ちなみにアメリカン・フットボールの試合数は防具を着けて年16試合。プロボクシングも試合後2週間は次を組めないので、どんなに詰め込んでも年26試合しかできない。

 まして相撲は、瞬発力と無酸素的持久力を試される短距離ランナーのような体の使い方をするという。以前、かなり有望な短距離選手に取材したとき、「全速力だと体が壊れるから、年に何回かしか本気で走れない」と聞いた。もちろん、この選手は特に体がデリケートだったのだろう。それでも15日間連続で100メートルの試合を組む人はいないし、トップクラスのランナーともなれば、予選でも最後に流すのが当たり前。コンディションが整えにくいタイプの体の使い方であることは間違いない。
 そのうえ相撲には体重制限がない。新弟子検査である程度の基準が設けられているとはいえ、50メートル走などの体力テストが一緒に課される第2新弟子検査なら、身長167センチ、体重67キロ以上で合格できる。恐ろしいことに学生時代小柄だった私でも、メタボ気味の今なら新弟子検査合格の可能性がある。
 格闘技が勝敗が体重に大きく左右されるのは、柔道やボクシングが細かく体重制限を設けていることからもわかるだろう。「柔よく剛を制す」とはいえ、体重が重ければ有利であることは間違いない。小兵の力士となれば、連日、ヘビー級のパンチをかいくぐって闘うことになってしまう。

 こんな“恐ろしい”環境に身を置き、負けが込めばいきなり年収100万円以下になってしまうともなれば、八百長が出てくるのも当然だろう。そもそも真剣勝負を促す環境が整っていないのだから。
 江戸時代は10日場所の年2回だったそうだが、アメリカン・フットボールの年間試合数を考えれば、真剣勝負が可能な試合数だったといえるかもしれない。

 ちなみガチンコ相撲で有名だった貴乃花は、7場所全休したとして02年の秋場所に出場するよう横綱審議委員会に厳命された。ガチンコで闘えば負傷するのも当たり前。そんな日程を組みながら休みが続けば強制出場。これでは力士の身が保たない。

 つまるところ相撲は完全なスポーツではないのだろう。
 年6場所を続けるなら、「真剣勝負」の看板を降ろすべきだ。(大畑)

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2010年3月24日 (水)

朝青龍明徳と大達羽左衛門

朝青龍は品格を欠くとして放逐された。大相撲は日本の伝統云々の講釈もある。そんなに大相撲の歴史は「品格」とやらを重視したか。明治期の大人気大関・大達羽左衛門の逸話を述べる。
大達は明治期最強の横綱・初代梅ヶ谷藤太郎とまみえた天覧相撲で有名だ。1884年3月10日、明治天皇の「お好み」として行われた指名試合は水入り2回の30分!引き分けで終える。この一戦が大達人気爆発の導火線であるのは疑いない。しかしそれ以上に江戸っ子が彼に肩入れしたのは、その悪童ぶりが楽しかったからだ。
この人のヒールなエピソードは事欠かない。まず、事実上の破門を2度食らって師匠を3回変えている。一度目は師匠に悪さばかりの日常をとがめられたのに逆上して逐電。相撲会所(現在の相撲協会)を除名された高砂浦五郎の元に走る。その高砂さえぶん殴って!破門。理由は関脇という番付が気にくわなかったというのだからメチャクチャである。それでも詫びを入れて伊勢ノ海門下で何食わぬ顔をして土俵へ上った。
朝青龍がしばしば批判された「仕切りで手をつかない」も大達の場合は朝青龍の比ではない。まず腰を下ろさず中腰のまま握り拳を相手の鼻先へ突きつける。怒った相手が低い立ち会い(当然だ。腰を下ろしているのだから)で突っかかってくると首根っこを押さえて放り出す。それを江戸っ子は「大達の中仕切り」「大達の徳利投げ」と名付けてヤンヤの喝采を送った。
土俵外の話はひたすら酒。それで体調を崩して横綱に届かなかったという。それでも会所は引退した彼に年寄千賀ノ浦継承を認めた。

朝青龍さん。今からでも遅くない。詫びを入れて平成の大達羽左衛門になりましょう。ただし番付は新弟子扱いから。これは初代梅ヶ谷藤太郎が大阪大関から東京へ転じた際に受けた扱いと同じだ。面白くなる。(編集長)

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2009年9月30日 (水)

朝青龍のガッツポーズいいじゃないか

ふるさとに/まわし一本/みやげなり

古くから大相撲はそうだった。圧倒的多数が関取になることもなく、まわしだけを手にして土俵を去っていった。尋常ならざる努力と天性を兼ね備えた者だけが横綱になる。さらにごく一部が優勝を重ねる。朝青龍はそれを成し遂げた。今回の優勝以前にすでに、である。

横綱の品格という。しかし外国人に日本語を強制し、おしり丸見えのまわしを付けさせ、髪を結わせ、横綱ともなれば日本刀の太刀持ちがつき、優勝すれば日本国歌を斉唱させる。朝青龍はそれらをすべて飲んで相撲のルールにのっとって勝ち進んでいる。もう十分ではないか。
以前にも書いたようにあのようなガッツポーズ(この言葉からして日本語である)は諸外国で見たことはない。ならばなおさら別にいいではないか。
朝青龍バッシングに何の理もないとはいわない。でも背後に彼が外国人だから……という強烈な島国根性を感じるのは私だけか。彼は確かに外国人であり、それを隠そうともしない。外国人(といっても同郷)と結婚し、休みが取れれば故郷のモンゴルへ帰る。言い換えれば日本は出稼ぎの場である。日本側から見れば出稼ぎされている。「たかが出稼ぎ風情が正社員たる日本人を差し置いて大きな顔をするな」といえないものだから品格だ何だと変化球でいじめているように思われてならない。そもそも故郷に帰るのはそんなにいけないことなのか。私にはサッパリわからない。

親方になるには日本国籍が必要というのは明かな差別ではないか。国籍を重んじるサッカーW杯でさえ監督は外国人で一向に構わない。たぶん朝青龍が「引退後は親方になりたいから日本国籍を取得したい」としおらしく?言い出したら島国根性隠しかねたるバッシング派の多くが爽快さと優越感に浸るであろう。でも朝青龍はそう発言しない。「外国で勝って、稼いで何が悪い」である。

そう。何も悪くない。「土俵に金が埋まっている」といったのは初代若乃花だったか。彼の故郷は青森(日本)で朝青龍はモンゴルという違いだけである。しゃにむに勝つ。勝ったら喜ぶ。それのどこがいけない。敗者に敬意を払うべきという。でも優勝決定戦で戦った白鵬もまたモンゴル人。日本の土俵でモンゴル人同士が優勝をかけて一騎打ちする自体が相手に十分な敬意を払っているとなぜ認められないのか不思議でならない(編集長)

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2009年6月18日 (木)

三沢光晴とガチンコ勝負

 6月13日、プロレスラー三沢光晴が試合中でバックドロップを受け、そのまま意識不明となり死亡した。頸椎(けいつい)損傷だったという。
 そんな危ない技を歳を取った三沢にかけるなといった対戦相手への批判がネット上で起きたことに、正直驚いた。プロレスがショーであることが、そこまで当たり前だと思っていなかったからだ。

 プロレスがガチンコ勝負だと思われていた時代は短くない。ただのショーだと思っていたのなら、力道山に日本中が熱狂することもなかっただろう。また、40歳である自分も少なくとも中学生ぐらいまでガチンコ勝負を信じていた。
 もちろん今から考えれば不自然なことは山ほどある。真剣勝負で何十分もの試合を毎日していたら身体が保つわけないし、総合格闘技を見慣れた現在では関節技を何分も耐えることなどできないと知っている。でも、当時はそんな疑問など脳裏をかすめることもなかった。

 一体いつからプロレスがショーだと認識するようになったのだろう?

 新日本プロレスのレスラーだったミスター高橋が、『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』を書いたのが2001年。流血試合のためにカミソリを使うなど具体的な記述は、反論の余地すらないものだった。ただ、ショーだという認識はもっと前から広まっていた気がする。
 その大きな転機となったのは87年、前田日明による長州力への顔面キックだろう。この一発で前田には無期限出場停止処分が下り、翌年3月には解雇処分となる。なぜ解雇しなければならなかったのか。その疑問は「本気で蹴ったから」という答えを導かざるを得ない。
 結局、その年の5月に前田はUWFを旗揚げ。まったくのガチンコ勝負ではないもののショー的ではない技の応酬という意味で、総合格闘技の礎を築いていく。

 一方、三沢は84年から二代目タイガーマスクとして人気を獲得していく。空中戦を中心とする技の数々は、きわめてプロレス的といえる。しかし当人がプロレス的で志向であったかどうかは微妙だ。彼の熱狂的なファンだったわけではないが、彼の試合はギリギリまで踏み込んでいたと感じるからだ。
 例えば91年の田上線で初披露した「タイガードライバー'91」 は、腕をロックしたまま落とすため受身が取れない、かなりヒヤリとさせられる技だ。危険だからと彼が一時期封印したのもうなずける。また彼は試合でベイダーの腕を試合で折っている。
 とても「お約束事」の範囲とは思えない。

 プロレスの範囲を保ちつつ、ギリギリまで真剣勝負を追求する。その姿勢がファンを魅了したのも事実だが、ときに早めに試合を止める総合格闘技以上に彼は危険な領域に入り込んでいったように想えてならない。それを可能にしたのは「天才」といわれた一流の受け身だった。

 初代タイガーマスクの佐山聡は人気絶頂のさなかに新日本プロレスを辞め、結局、総合格闘技へと路線を変えた。際だった格闘センスが「ショー」の権化ともいえるタイガーマスクを許せなかったかもしれない。一方、二代目タイガーマスクだった三沢光晴は、同様の格闘センスをプロレスで生かす選択をした。ブクブクに太った佐山と46歳にしてリングに上がり続けた三沢。どちらが格闘家らしいかと考えると不思議な気持ちになる。

 最期に仕掛けられた技が、試合で比較的よく使われる「バックドロップ」だったことも、格闘技と「ショー」の境目がギリギリだと教えてくれた。ほんの少し間違いがあれば死に直結する。そんな世界で46歳まで第一線で闘い続けた三沢選手の冥福をお祈りしたい。(大畑)

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2009年3月25日 (水)

WBCにセパレートウェイズはどうよ

TBSが放送しているWBCの米国ラウンド。テーマ曲にジャーニーのセパレートウェイズがかかるたびに気力を失ってしまう。集中力が途切れるともいう。

確かに歌詞はまああれでいいかもしれない。スティーブ・ペリーの歌声は賛否両論だろうけど高揚感をあおるという点で的確かもとも思う。しかし……しかしだ。「セパレートウェイズといえばあのPV」というほどプロモーションビデオを記憶している世代やファンにとってはつらいよねえ。あの曲が試合の合間に流れるたびに例の迷作PVのあの場面このあほらしさが続々と思い出され(http://jp.youtube.com/watch?v=sxxOyGK1pMk)気が抜けてしまうのだ。原監督の妙に生真面目な顔が重なるともういけない。敗退したらそのせいにしようと思っていたが優勝おめでとう(編集長)

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2009年3月11日 (水)

川上哲治をWBC監督に

本当は「川上哲治に国民栄誉賞を」にしたかったけど時流にこびて変えた。
改めて川上哲治氏がなぜ国民栄誉賞に選ばれないか不思議である。名球会に入っていないからか。でもあれは金田正一(カネヤン)さんが「昭和」でないから入れなかったともっぱらのうわさ。

ここでご存じない人はカワカミさんって平成生まれなのかと勘違いするかもしれないので改めて記す。川上選手は2000本安打を達成している。平成生まれの高卒選手ならば1年間で1000本のヒットを打たねばならない。そんな選手がいたらメチャ目立つ。でもいない。よってカワカミ選手は「平成」ではない。
では何かというと「大正」生まれなのである。戦前のプロ野球草創期を知り、戦後は落ち込んだ国民を「赤バット」で鼓舞し、日本人初の2000本安打を達成し、首位打者5回を始め数々のタイトルを獲得した栄光に満ちた現役生活だった。
監督としては読売球団を14年間で11回優勝させ、そのことごとくが日本一。うち9年連続日本一が含まれる。いずれも前人未踏空前絶後の成績だ。何しろ王貞治や長嶋茂雄を部下として使っていたのだ。そういえば晩年のカネヤンも部下。
さらに重要なのは今年89歳となるにもかかわらず壮健という点だ。生きる日本プロ野球史みたいなものである。なのになぜか人気がない。山県有朋みたいなポジションだ。

原辰徳采配で大丈夫かと誰もが思っている。ここは川上哲治の出番だろう。確かにもう動けないかもしれないけど大丈夫。実質的な監督はイチロー選手と城島選手なのだから。「生きる日本プロ野球史」は座っているだけで緊張感を与えよう。儒教の国のライバル韓国は畏敬の念を持つに違いない。徴兵され先の大戦を味わったと聞けばアメリカも一目置くはずだ。どうですかね。(編集長)

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2009年2月 2日 (月)

朝青龍のガッツポーズは品格を欠くのか

最初にお断りしておく。柔道や剣道、もちろん相撲も含めて日本で武道といわれている競技に「礼に終わる」が重要で、そうした競技を通してそうした学びを得て日々の活動へ生かしている方々にとって朝青龍の行いを憤るのは当然だ。気高い信念と尊敬する。したがって以下の記事はそうした方々を貶める目的はない。と前置きしても怒られたとしたら筆者の拙さによるものである。あらかじめお詫びをした上で始めたい。

私が疑っているのは上記のような確たる信念に基づかず、外国人でありながら「国技」を席巻する朝青龍に対して島国根性をぶつける手段として「礼に終わる」作法を持ち出している人が少なからずいるのではないかという点だ。
そもそもガッツポーズなる英語は英米には存在しない。和製英語というより日本で生み出されたスタイルへカタカナをあてはめただけではないか。あのように両手をUまたはVの字に突き上げる勝利のスタイルを私が知る範囲での欧米で見たことがない。さまざまな説があるものの「ガッツポーズ」は日本人の発明であるのは疑いないのではないか。もし違ったら私の寡聞である。ご指摘いただきたい。
以前に日本の球団に在籍した元メジャーリーガーに取材した話である。彼によると「ガッツポーズ」ができるのは日本だけ。アメリカで殊勲の本塁打を打ったとしてもあのような姿をするなどあり得ない。やったらブーイングではすまない。次の打席で投手から報復されても仕方ない失礼な行為であると。もしこれが普遍的ならば朝青龍のガッツポーズは日本で発明された日本風の歓びの発露である、となる。
それはそれとして武道の世界だけは許されないという反論もあろう。しかしおそらく同じ武道のカテゴリーに入る柔道ではしばしばみられるという点はどう考えればいいのか。北京オリンピックでの石井慧選手の振る舞いも品格に欠けたのであろうか。なるほど石井選手は毀誉褒貶がある。では1984年のロス五輪における山下泰裕選手はどうだ。一本勝ちで優勝した直後に彼が見せたのは明らかに「ガッツポーズ」だった。しかし、これまた私が知る限り、この山下のポーズは「あの山下にしてよほどうれしかったのだなあ」とおおむね好意的だった。

要するに日本人が日の丸を背負って臨む国際大会ならば武道でも優勝の瞬間に「ガッツポーズ」をしても許される。しかし外国人が日本の武道でするのは許せない……となると明らかな二重基準である。

朝青龍は外国人だ。同じモンゴル出身の横綱白鵬は相撲界とゆかりが深い有力者(日本人)の娘をめとっている。大相撲では引退後の指導者を日本国籍取得者に限っており白鵬の所属する宮城野部屋は一悶着あって現在の宮城野親方に求心力が感じられず部屋付きの熊ヶ谷親方が彼の事実上の師匠だ。その熊ヶ谷親方も50代だから白鵬が日本国籍を得て部屋を継承する可能性は高いと見られている。同じモンゴルの旭天鵬が日本国籍を得て師匠大島親方の養子となったように。日本人はおおむねこうした傾向を好ましいと感じる。

しかし朝青龍は違う。モンゴル人女性と結婚し、ひんぱんにモンゴルへ帰る。自分の国に帰って何が悪いといった旨の発言もしている。このままでは親方株の取得はおろか、現役名のまま5年間年寄として協会に残れる制度さえ利用できない。さらに優勝回数すでに23回の彼は一代年寄を贈られても実績としてはおかしくない。それもモンゴル国籍のままでは無理である。少なくとも朝青龍のこれまでの言動から引退後も指導者として(つまり日本人として)わが国に残る気はなさそうだ。文字通りの「出稼ぎ」である。外国人の「出稼ぎ」が日本の「国技」で勝ちまくる図が不愉快で、それがガッツポーズに代表される「品格」問題として生じているとするならば、それはゆがんだ形の島国根性の表出ではあるまいか。

「自分の国に帰って何が悪い」もしばしば問題になる。手続き上の不備を責められるのは仕方ない。しかし本質的にモンゴル人がオフシーズン(もちろん巡業は除く)に母国へ帰るのは別段変ではない。例えば大リーグのイチロー選手はオフの調整を日本で行う。これをおかしいという日本人はほとんどいない。

逆境という意味で09年初場所の朝青龍は、けがを抱えて試合に臨み、決勝でそのけがの部分を攻めなかった相手の姿勢にも助けられて優勝した上記山下選手と優るとも劣らなかったであろう。しかし山下選手のガッツポーズを非難する声はほとんどなく、決勝相手の姿勢(けが部分を攻めない)を責める人もほぼなく、逆に称賛さえなされた。彼我の違いに違和感を抱くのは間違っているのだろうか(編集長)

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2008年10月29日 (水)

原ジャパンとは呼ぶまい

イチロー選手の「WBCを北京のリベンジの場としてとらえたら、チームの足並みはそろわない」発言は図らずもWBCの正体を示している。ズバリそれは米国メジャーリーグベースボール(MLB)の大会という性格である。
そもそも1回目からClassicという名がついているわけで。大リーグのスペシャルイベントだぞと明記しているに等しい。時期も大リーグ開催前。場所もアメリカ。
対するイチロー選手言うところの「北京」とは五輪の大会である。周知のように次回ロンドン大会から野球が正式競技でなくなる。おそらく最大の理由は「ロンドンで野球をやってどうする」だろうが公式見解として見られるうちの1つが大リーグの不参加であろう。根本的な問題でないとしてもIOCとしては我慢がなるまい。似たような関係にIOCとFIFAがあるにはある。しかしFIFAはオーバーエージ枠を渋々ながら認めたし世界の競技国・地域数が野球と比較にならない。
で、イチロー選手はもはやMLBの一員として発想する。するとせいぜい3Aクラスが出場するにすぎない「北京」とWBCでは格が違う。ないしは別種である。したがって北京の延長線上(リベンジ)にWBCを置けばWBCをMLBの大会ととらえ、ゆえに参加でき、参加もしようとする「チーム」の主力を構成するであろう日本人大リーガーの「足並みはそろわない」。この「足並み」とは月並みなチームワークといった意味ではなさそうだ。現に前回のWBCでイチロー選手は事実上特別扱いされていた。今回は彼以外にも多くの日本人大リーガーがいる。ポジションを考えると

●投手
松坂大輔
岡島秀樹
黒田博樹
小林雅英
斎藤隆
●捕手
城島健司
●内野手
井口資仁
岩村明憲
松井稼頭央
●外野手
田口壮
福留孝介
イチロー

あたりは選出しない理由があまりない。少なくとも日本プロ野球選手で彼らを押しのけてまでレギュラー入りする選手は先発投手とコマが1つ足りない内野手を除いて考えにくい。けがの松井秀喜と不振の井川慶も場合によってはあり得る。この大リーガー達に混じって先発出場させたい北京代表はどれだけいるか。投手のダルビッシュ有と藤川球児、外野手の青木宣親ぐらいではないか。
つまりイチロー発言はWBCで日本人大リーガーが主力となるのは必然であり、「北京のリベンジ」にされたら彼らの「足並みがそろわない」のである。なぜならば日本人大リーガーは北京に出場していないからリベンジも何もない。担う必要のない荷物を負うのはご免であり筋も違うと。
選手の分際で監督人事に間接的ながら口を挟むのは何ごとかとイチロー発言を非難する向きもある。そうだろうか。イチロー選手は「選手の分際」ではなく大リーガーの立場から大リーグの大会へ出場する当事者として発言したのであろう。

第1回からの3年で事情も大きく変わった。一番の変化は繰り返すように日本人大リーガーでチームができるほど増えたという点。したがってこの集団を指揮するにふさわしい日本人フィールド・マネジャーを本来は育てておくべきだった。具体的には大リーグの指導者経験である。日本と違って選手時代の輝かしい実績は必要ないのだから日本野球機構(NPB)はしかるべき人物をMLBへ送って育てておくべきだった。
もちろん外国人監督でもいいけど国別対抗戦となるとどうか。最近ではサッカーのW杯では違和感がないもののサッカーの方は「日本はトップレベルとはまだまだ差がある」との認識で共通しているからまだいい。曲がりなりにもWBCは前回優勝国ですからねえ。

とか何とかで原辰徳氏が監督とのこと。いろいろ心配ではある。みんなそうだろう。ジャイアンツ愛の原サンで大丈夫かと。でも案外いい人選のような気がする。なぜならば「原ジャパン」とは呼ばれそうにないから。松坂が投げて城島が受けてイチローが仕切るチームにそれはなかろう。
前から書いているように監督名をチームのシンボルにするのはそもそも誤りである。北京優勝チームを誰が「キム韓国」と呼び、準優勝を「パチェコ・キューバ」としたか。日本でのプレー経験がありそこそこ知名度があっても三位決定戦で敗れたチームを「ジョンソン・アメリカ」と言う声を聞いたことがない。相手には付けないのに自分には付ける。その顛末はどうだ。反町ジャパン、植田ジャパン、星野ジャパン、柳本ジャパン……。惨憺たる結果である。
比較的健闘した女子サッカーは「なでしこジャパン」で監督名なし。優勝して日本中をわかせた女子ソフトボールに至っては愛称すらない。誰か斎藤(春香)ジャパンなぞ言い習わしたか。(編集長)

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2008年4月 9日 (水)

巨人軍が弱いのは新興・零細企業並の補強だから

プロ野球の読売巨人軍は栄光ある伝統を持ち、球界では最も豊かな球団である。だからカネにあかせて他球団の主力選手を補強するのだと一般に見なされている。でもそうして強くなるとは到底思えない。
これが新興企業だったらわかる。右も左もわからない状態では取りあえずその世界で実績をなした選手を取れば他の選手のランドマークの役割を果たすだろう。零細も同じ。ただ零細の場合はカネがないので一点豪華主義で拝み倒してくるのだ。サッカーJリーグ開幕前に住友金属がジーコを連れてきたような例である。

新興企業は自由である。なぜならば栄光をつかむのはこれからであり、栄光あってこそ伝統が生まれ、伝統がその会社独自の「作法」を生ぜしめ、時間とともに作法は複雑化し、縛りとなっていくという経緯を持つから。
零細もある意味で自由である。零細であり続けるとは栄光にいつまでもたどり着けないのと同義だ。栄光がなければ伝統は生まれない。生まれたとしても「零細であり続ける」伝統だからチャンスをものにする際にはかなぐり捨てるべき対象である。また零細の多くには独裁者がいて不自由だろうとの憶測もあろうが、現実問題としてちょっと違う。例えば小社の回りには小社も含め多数の零細があり、小社における私のごとくたいていは独裁者が存在する。しかしこの独裁者は零細を維持する程度の能力はあっても、それ以上に発展させる力がない。だから零細のまま低空飛行を続ける。またカネもないので社員をカネで縛り付けることもできない。いわば弱い独裁者である。
したがって安い給料ならば適当にやろう(=自由)という社員のモチベーション?を抑止する力はない。また逆に零細から脱出するすべを独裁者は知らないので「脱出するにはこの方法があります」との提案を社員がしてきたら、その誘惑に負けて許してしまうのだ。
こうした「自由」からおそらく偶然に商機をつかみ、脱出していったのが現在の大企業である。大きくなって過去を振り返ると、その偶然があたかも必然のように思われ、行き当たりばったりだったり風に乗っただけだったというのが真相の発展もまた整然たる物語として企業文化として、伝統として根付いていく。いったんそうなると伝統自体が人を育てるようになり、最後は誇りにまで昇華する。朝日新聞社員が自らを朝日人というように、電通社員が自分を電通人とするように。もう通常の人類とは違うというところまで来るわけだ。

冒頭に述べたように読売巨人軍はそうした会社である。「巨人軍は紳士たれ」の合い言葉の元でヒゲ面を許さない。ヒゲが生えているか否かで打率や防御率が変わるわけじゃないだろうとの発想は私のごとき零細ならではであって、栄光が生んだ作法を伝統ある会社はことのほか重視する。ヒゲ禁止に類する作法はおそらく100を下るまい。その多くは暗黙知である。ほんのちょっとした違いが伝統企業にとっては驚くべき不作法となり、そうした掟破りを白眼視する。新人や実績のない移籍選手ならばその冷たい視線に気づき、次第になじんでいくしかない。だが大物移籍選手はどうか。
彼らはいうまでもなく高い打率や防御率などを求められて招致されている。本人もそれを果たすが役割と心得る。現在のところ巨人軍以上に歴史と実績を有する球団は国内にはない。したがって彼らが前にいた球団は巨人ほどの作法はなく、場合によっては相当に自由であったろう。
となると結果はみえている。大物移籍選手はわけのわからん作法をわけがわからんゆえに時々破っては白い目を向けられる。いちいち覚えていくだけの柔軟性が彼らにあったとしても第一の使命である「数字を残す」に集中できない。受け入れる側に以上のような理解があって配慮をしたとしても今度は作法が身にしみている生え抜き選手が腐ってしまう。生え抜きが伝統を重んじる度合いは以前「『TOKYO』を『YOMIURI』にした罰」というタイトルで(http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2005/10/tokyoyomiuri_b900.html)松井秀喜選手の述懐を紹介した。大変なことなのである。

したがって読売巨人軍は自らの伝統を信じて、多少の低迷は覚悟して生え抜き主体のチーム作りをするしかないのである。今のような方法をとっていたら純粋に戦力が巨大だから優勝ぐらいできるかもしれないけれど、巨人を愛するファンには愛想を尽かされ、新たな野球ファンは訳のわからないチームとしか映らず思い入れようもない。それができない言い訳として「優勝が宿命づけられている球団だから」がある。でも宿命づけられているとの思い込みは過去の伝統に発するのだから、そこを損なっては論理矛盾である。私は密かに今の巨人軍の編成に携わる人たちに伝統への懐疑が生まれているのではないかと心配している。
そうでなければいったん伝統なり何なりをリセットして新興球団としてやり直すのだ。そのために最大の障壁は「監督は生え抜きでなければならない」という伝統だろう。初代の藤本定義監督は彼の現役中にプロ野球がなかったから生え抜きではないのは仕方ない。その後の全監督は今に至るまで現役時代は巨人一筋だった(注:監督兼選手だった中島治康はその時点まで生え抜き。辞任後に他球団でプレー)。藤田元司氏など現役こそ巨人一筋だったものの後に他球団のコーチを務め、それが監督就任の際に問題となった。それほどの純血主義である。ここを変えない限り「一から出直すぞ」とのメッセージはかけ声だけとなろう。最も効果的なのは巨人以上の伝統があるアメリカ大リーグのチームで監督を務めて実績を残した人物を招くことだ。巷間挙がっている次期監督候補は星野仙一氏を除くと一筋組ばかり。これでは何も変わらない(編集長)

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2008年4月 4日 (金)

岡ちゃんが管理サッカーだって!

 読者の皆様、すっかり更新が遅くなってすみません。いただいたコメントなどにも返せず、こちらもすみません。バタバタ走り回ってばかり……、情けないッス!

 というわけで本来なら『誰も知らない靖国神社』を世に出している出版社の者として、靖国神社の映画にも触れるべきだろうし、「弱者・少数者のための雑誌」であることを掲げる小誌として、チベットでの弾圧は許せないと拳を振り上げるべきなのだろうが、頭が回りません……。
 ということで、とっても分かりやすい問題、岡田ジャパンをひとつ。

 いやー、キリン杯の発表会見後、2時間ものスタッフ会議を開いた日本代表の岡田武史監督のコメントには驚かされた。
「これまでは、こういう時は誰が守備する、などは言ってこなかったが、これからはこういう形でと…。完ぺきには(選手に指示を)与えないが、ある程度は与える」(『日刊スポーツ』08年4月4日)
 どうやら「管理サッカー」へと完全に移行するらしい。W杯予選のバーレーン戦で完敗して、「これからは思い通りやらせてもらう」とオシム流サッカーからの離脱を宣言したと思ったら、今度は管理だと!
 
 スポーツは次に何が起きるかわからない。そのうえパターン通りの行動を繰り返していれば、敵は裏をかこうとする。サッカーのように攻守が一体となり、プレーが止まることのないスポーツは特に決まり事をつくるのは難しい。

 スポーツで決まり事の多さで有名なのは、ラグビーチーム・サントリーサンゴリアスを率いる清宮克幸監督だろう。3ケタにものぼる約束事があるのは有名だ。しかし清宮監督は「いまのサントリーには、次に決まっているプレー、シークエンス(一連の動き)はひとつもありません」と雑誌(『セオリービジネスvol1』)で発言している。また自身の提案について、「みんなの個性をいかすために、共有するベースをつくることだけ」とも語っている。
 つまり決まり事はあるが、そのベースから自由に行動するよう指導しているわけだ。これは「考える」ことを求めたオシム流に近い。
 NBAシカゴ・ブルズの名監督として6度のリーグ制覇をなしとげたフィル・ジャクソンは、システムとして非常に難しいトライアングル・オフェンスを取り入れたことで知られる。このシステムを完全に理解しているわけではないが、形こそ決まっているもののジョーダンやピッペンなど才能あふれる選手の個性は尊重している。パスを受けたプレーヤーがショット、パス、ドライブのどれを選択するかは自由なのである。つまり複雑な決まりはあるが、最後は考えて動けということだ。

 レベルの高い競争で勝ち星をあげるためには、マニュアルを越えた「自由裁量」の部分が増えてくる。これは考えてみれば当然である。スポーツ以外のマニュアルでも同じなのだから。
 カウンター越しに決められたメニューから選ばせるマクドナルドなら、マニュアルさえあればほぼ仕事をこなすことができる。しかし高級フランス料理店のサービスともなれば、客からの料理についての質問もあるし、グラスが空かないように常に注意を払う必要も出てくる。お客の行動パターンが読めない以上、マニュアルだけでは対応できない。

 もちろん完全に管理されたプレースタイルで世界のトップになったプレーヤーもいる。ピーカブースタイルを考案したボクシングのトレナーであるカス・ダマトは、ラウンドごとマイク・タイソンにパンチを当てる場所を指示していたという。全盛期のタイソンはこの指示を完璧にこなし、勝ち星を重ねていった。
 3分間ごとにインターバルのあるボクシングなら、ラウンドごとにパターンを変えることができる。ましてタイソンほどの豪腕ならパターンを見破っても相手は裏をかきにくい。こうした要素があっての「管理システム」だったといえるが、「管理」しやすいボクシングでさえ絶対に外せないことがある。それは選手からの信頼だ。タイソンはダマトを父と慕い、全幅の信頼を置いていた。だからこそ「管理」に従順だったのである。それが証拠にダマトが亡くなり、タイソンは勝てなくなった。

 さて、長々と遠回りしたが、改めて岡ちゃんである。彼は選手から絶対的な信頼を勝ち得ているだろうか。少なくとも新聞報道をみる限り、選手は不信感いっぱいのようだ。
 そりゃそうだろう。ワールドカップでは1勝もできず敗退した岡ちゃんを、世界レベルの監督だと思っている選手など誰もいない。日本代表に招集された選手の中には、レベルの高い欧州でのプレーが実現しそうな人もいるだろう。もちろん実際に欧州で活躍している選手もいる。となれば岡ちゃんは格下の監督ということになる。
 こんな状況で「管理」は機能するのだろうか?

 UEFAチャンピオンズリーグでのフェネルバフチェの活躍をみると、ジーコ流の自由なサッカーが悪かったのではなく、日本代表がそのレベルに達していなかったのかとの感慨を抱くが、といって岡ちゃんの「管理」サッカーで勝ち星あげられるほど世界は甘くない。

 国籍の問題で日本代表に外国人選手を使えないのなら、せめて監督ぐらい金にあかせてハイレベルの外国人を招けばいいのだ。オシムが倒れる前あたりから日本人監督待望論が出ていたが、勝ちたいなら別に日本人にこだわる必要もなかろう。スキルの高い監督が言語の壁を越えて機能することは、日本のプロ野球でも証明されているのだから。

 いま望むことはキリン杯で完敗し監督が交代することである。というわけで、もう監督を探し始めてもいいんじゃない?(大畑)

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