残る女子大、残らぬ女子大/第2回 聖心女子大学
「聖心女子」・・・いわずと知れたお嬢様学校である。「一人ひとりの人間をかけがいのない存在として愛するキリストの聖心に学ぶ人格教育」を基礎に創設された聖心女子大学は、美智子皇后陛下、緒形貞子氏など日本が誇る女性を輩出してきた。
創立当時から聖心キャンパスの象徴である広尾。そこには隣接する渋谷駅とかけ離れている空気が漂う。都内有数の高級住宅地の品格を持ち、緑と共に静かに在るその街をしばらく歩くと、街角からまさに「華の女子大生」といった集団とすれ違った。ピンク色やクリーム色の雰囲気を身に纏い、4,5人で楽しそうに歩く姿は、ファッションや流行が移り変われど1948年の創立時から変わらない光景に違いない。
聖心女子大学は日本で最初の女子大学の一つである。良家の子女が通うという事はあまりにも有名で、お見合い結婚を考える男子達に大学の卒業アルバムが高値で取引されたそうだ。現在でも有名女性誌に多数の読者モデルを輩出しながらも、大学名は必ず「S女子大学」と名を伏せる決まりなど、その深窓の令嬢ぶりは平成の世でも健在である。
学部構成は文学部のみの1学部制ということだが、人文学だけでなく、社会科学や自然科学も学べる5学科9専攻からなりたっている。外国語教育機関や大学院も充実し、研究者やグローバル化社会で生き抜く女性を育てることに力を注ぐ。「女は勉強があまりできすぎてもだめ。結婚のために家事裁縫を」というような昔の日本特有の女性への考えには、女子教育の最先端を走り、英語教育の重要性をいち早く説いた創立以来から敏感なのかもしれない。
華やかなイメージがつきまとうが、大半の生徒は「真面目」と語るのは、大学に通う4年生のTさんだ。「良家の子女というイメージは昔特有のもの。意外とサラリーマン家庭の子が殆どです。お金持ちの子は確かに居るとしても隠れセレブって感じで、あからさまにお金持ちオーラを出してる子は少ないですよ」と語る。
服装はCanCam系が8割、ViVi系が1割、non-no系が1割。バックのブランドは揃ってLOUIS VUITTONやCOACHが規定バックのようになっているそう。たまにHERMESのガーデンパーティなども見かけるらしい。Cam-Can系のカーディガンにパステルカラーの膝丈スカートにガーデンパーティを持たれて、「意外と皆普通の家庭」と言われても下界の人間は戸惑うだけなのだが・・・。そこはやんごとなき聖心、地上とは異なる物の見方なのかもしれない。
「プライドは確かに高いかも。就職先は金融の一般職だったり、エアラインだったりが圧倒的に多いですね」とTさん。就職氷河期の中でも聖心の就職率の高さは保たれているようだ。面接をする40,50代世代といったら、聖心、白百合などの名前が大好物なのは言わずと知れたところ。付属の聖心女子高校の生徒では、下手に大学受験をして2流の大学に行くよりは、○年聖心育ちという年数を稼ぐ選択をしたほうが将来のためには良いという話は生徒同士でもなされるらしい。大学在学中には、留学や秘書検定のような資格受検など、聖心ブランドを支える何かを見つける生徒も多いようだ。
キャンパスに通じる門には必ず警備員が常駐。生徒1人1人が警備員と挨拶を交わす。笑顔で挨拶をし、去っていく女子大生の後姿をまるでわが娘のように愛しんで見つめる警備員の方々が印象的であった。スタートから共学の無法地帯に通う筆者にはカルチャーショックな光景であったが、マリアンホールと呼ばれる大ホールや聳え立つ聖堂などがますます筆者が持つ聖心のイメージを増長させてくれた。
校舎の中に入ると、廊下には一面茶色の木製ロッカーがある。建物の雰囲気も重なってチャペルに居るような気持ちになる。ぐるりと庭に囲まれた1号館は、静かな空気が流れ、時折生徒たちの挨拶が聞こえる。年の瀬ということもあり、「良いお年を」という声を聞きながらマリア像のある中庭に出ると、やはり自分は下界とは違うところに来たという感じがする。
元々は久邇宮邸だったというキャンパスの中には、ミッション系女子大学のイメージとは少し違う伝統的日本建築も見る事が出来る。寺社の門を髣髴とさせる正門に加えパレスと呼ばれる立派な日本家屋は、久邇宮家の御常御殿として1922年に起工され、文化庁の登録有形文化財に指定されている。ふすまや引き戸は横山大観などの絵画で彩られており、現在ではここで華道や茶道などの古き日本の美徳を聖心生は日々学んでいるらしい。
今も昔もこれだけ普遍的なブランド力を持つ学校はそうないだろう。友達の聖心生は揃って学校のイメージだけでお嬢様扱いされることを嫌がるが、「私達はふつうの女子大生」と主張しながらもやはり下界では大学名に喝采をあびる。聖心生はいつでも世の空間からは少しはずれた場所に居る。
「UBI CARITAS, IBI DEUS・・・愛といつくしみのあるところに神います」という聖心でしか真面目に語ることが許されないような清らか過ぎるモットー。目まぐるしく変わる時代に生きる人間たちが、ある種の聖域のように聖心を扱うことに繋がっているのであろう。いつの時代にも変わらぬ花園をつかの間に体感したような気がした。そして正門を出、下界の有象無象の象徴である渋谷駅へと帰路についた。(三条あゆみ)
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