ドーマン法

2010年8月 6日 (金)

らぶの夢は果てしなく!!

最近、講演会や福祉のイベントなどに参加させて頂く機会に恵まれ、あたかも脳性まひ者・あるいは身障者の代表として様々なご質問にお答えする場面が多々あります。
思えばワタクシ、年間おそらく、今までは335日ほどは自分が障害者(児)だってことを、意識上、完全に忘れて、ただアッチャコッチャ不良個所が目立つカラダやね~というぐらいにしか捉えておらず、福祉にアツイ人たちが「バリアフリー」がどうだとか、「ノーマライゼーション」とは何なのか?「生きにくい世の中だよね~」なんて言われても、まるで他人事みたいに、そんなの障害者自身の心意気の問題で

ほっときゃ~いいのよ

そりゃ環境や社会がイイに越したことはナイけど、周りに文句言う暇があったら、自分のせいだと思えば、自分を変えればいいだけなんだし、みんながそうしていけば、

いつの間にか社会だって変わっているハズ なのに…

それをしようとしないで、とりあえず文句ばっかり言ってるから「障害者はワガママ」だとささやかれちゃうんだわよっ

と、自分も思いっきり障害者と呼ばれる側の人間であるというのにずいぶんと醒めた目で傍観していたワタクシなのでした。
勝手に育っていってちょうだいね~ といわんばかりの非情とも言えるクールなこのワタクシが…
自信を持てないで消極的にしか生きられないハンディを抱えた人たちや子ども達にこそ、ワタクシの持っている特殊ともいえる強烈なウィルスを、繁殖させていかなくてはならないのではと、思い始め…
そう考えると、次から次へと疑問点が浮かび上がってくる今日この頃。

その中の一つに、小児の通所施設や、訓練・リハビリを受けられる施設は沢山あっても、障害児の子ども達が日常的な遊びや生活の中で自信が培われように誘導していく専門家がなぜイナイ

おかしいではありませんか????? 

機能回復訓練も、もちろん大事だけれど、リハビリですべてを取り戻すことは、はっきりいって不可能なことです。ハンディを抱えてしまった以上、一生モンと考えなくてはいけません。
ならばリハビリの前に、外見も中身もひっくるめた自分のすべてを好きになり、誰になんと言われようが、自分だけは自分を愛せるという自己のアイデンティティを確立することが先決なのではと思うのです。
これは障害児に限ったことではなく、健常児にも言えることだと思いますが、健常の子より、肉体的ハンディを抱えた子の方が自己肯定が育ちにくい環境で過ごさなければならないのが問題なのです。
自分の幼少期を振り返ってみても、家庭でも、学校でも、訓練所でも自分のカラダをそのままに受け入れられない状況に追い込められて常に、周りの大人からは『障害児がそのままでは、不十分であり、フルに機能することに、少しでも近づくために、訓練あるのみ』と態度や言動すべてに、無意識のうちに、至る所にこのメッセージは流され、障害児からすれば常に健常児に、その水準や速度は合わせられており、社会で認められるには、このパターンの中の尺度に当てはまらなければならないと、無意識のうちに思い込んでいくのです。

こういう環境で、無理せず、のびのびと、その子らしさが育つ訳がありません 思いません

それなのに、それをサポートする専門家がイナイってちょっと、おかしいのではございません?

たとえば、ですよ

車椅子に乗るときと、そうじゃない時のトータルファッションは当然違ってきます。決して同じでは映えないのです。このことをもし、自然と幼少期から身につけていたならば、曲がった手足が何ともならなくたって、車椅子が手放せなかったとしても、思春期を堂々と迎えられると思うのです。

思春期は誰にとっても痛みなくしては、通り過ぎることができない人生の大事な通過点なのでしょうが、障害者の場合は、普通の痛みにプラスアルファがどうしたって付くのですから、その痛みの逃がし方ぐらいは、早いうちから身につけておいた方がいいと思うのです。

この術を身につけておくか、おかないかで思春期の悲惨さが変わってくると思いますし、思春期の乗り越え方で、その後の人生の充実度合いも全然違ってくると思うのです。
特に身障者の場合は、思春期の乗り切り方が、その後のカギを握るのではないかと。

この術を教えるスペシャリストは、障害の有無は関係なく他の専門職と同等に、あくまで向き不向きの問題が大きいかと思いますが、やはり、障害を持った本人が身を持って、子ども達に伝えていくことは、とても大きな意味を持つと感じます。
養護学校や、病院などに、そういうスタッフを常備しておくのもいいでしょうし、また、お稽古事のように、障害児たちを集めて遊びの中で、自信が持てるような言葉掛けや接し方をしていくサークルや、遊びの学校のような場があればいいのに…と切実に思うのはワタクシだけなのでしょうか。

Office-楽歩で新たな事業を展開しようかしら

その名も親子で育む『LOVE塾』 (*^ー^)ノ

Office-楽歩のオンナ社長の夢は広がるばかりなのでしたっ!

幻想をいくら抱いてもニーズがないとねぇ( ´艸`)

真夏の夜の夢に終わらせないためにも、今できることをしっかりとしていかなきゃ! ですね。

大畑楽歩さんのブログはこちら→http://ameblo.jp/rabu-snoopy/

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2010年6月11日 (金)

大畑楽歩さんのブログから/私…障害者は苦手です。。。

ずいぶんと挑戦的なタイトルじゃないの、と思われることでしょう!

「障害者のクセに障害者が苦手」。。。

こんな障害者は珍しいと思います。

あなた何様?とお叱りを受けるかもしれません。

でも、私はこれまで、接してきた障害者の方はみな

往々にして… 「社会に対して被害者意識が強く、

障害者は何も悪くないのに、差別する健常者に

問題がある。国が社会が悪い…」 と、わめき

差別する側にのみ、環境や人に問題を押しつける…

私は自分もおもいっきり障害がある人間の側だからこそ、

この甘え心を大目に見ることができないのです。

断じて目をつぶるわけにはいかない。

それを許すというのは、『24時間テレビ』の安っぽい同情に

感動するのと同じぐらい障害者をバカにすることだから…

まがりなりにも障害者として生きてきた私のプライドが許さない。

この(楽歩さんの)ブログをこよなく愛して下さっている皆様には

今更…説明するまでもありませんが、

私が“脳性まひ児”で、“障害”という運命を背負って

生きてきたという障害者ストーリーのみならず、

朝から晩まで、義務教育もけっちらかして

ひたすら健常者になるために、オリンピック選手なみの…

と言えば随分カッコイイけれど、トドのつまりが

開けても暮れてもリハビリに励んできた。。。

という特殊な体験故に?!

障害者らしくない、でも見た目は思いっきり“障害者”という

今の私の一端を作り出したのだと思います…

若干7歳の少女が、学校も行かず、友達とも遊べず、

ただ障害を克服するのがあなたの仕事だと言われ、

冬場は未だ夜が明けていない5時半から起床し

延々、黙々とこなし続けて、夕暮れがせまっても、

まだ運動プログラムは消化できていない…という過酷な毎日の中、

幼心に、どれだけ運動したって、血がにじむようなトレーニングに

耐えても、脳性まひがきれいさっぱり治るなんて、あり得ない…と

確証しつつも、親の期待に逆らい切れず、特殊な幼少期を

歩んできた私は、幼少の頃から真剣に

“生きる”とは何なのか?

“健常者”だったならば幸せなのか?

“障害者”はなぜ卑屈に生きなければ叩かれるのか?

親や世間から発せられる様々な矛盾と戦って「私」という

人格が形成されてきたのだと思います。

健常者と障害者… いくら同じ人間だと言ったって、

生活環境が違えば理解しきれない部分も

当然生じてくるもんです。

ましてや障害者と呼ばれる人間に、

多くの健常者の人たちは、「障害者」という言葉は

知っていても実際に、(遠巻きにでも)見たり、触れ合ったことなど

ない人がほとんどなんだから、理解できなくて当然

たまに、見かけたら、そんなに悪気はなくてもジロッと見てしまう

ことだってあるはず

見てもらわないと、観察できないし、観察してもらわないと

違いがわからない。違いがわかって、はじめて同じ部分が

見つけられるんですから

その為に、障害者と健常者の接する機会が増え、

距離が近づくことは非常に嬉しいことではあるのですが…

これで、スカッと解決に、至らないのが、

今の日本の現実なんです

障害を抱えて生きていく以上、障害に応じて、他人さまの手を

借りなければ生きてはいけません。

所詮、人間なんて五体満足であっても一人じゃ生きていけないの

だから、障害者に限ったことではない…とスネてみたところで

日常的に他人さまの手を煩わすのは“障害者”なんですから

重度も軽度も大差ありません

しかし、やってもらわなければならないから、

卑屈になることもなければ、大人びた行動を振舞ってはいけないという

ことではないんです。

障害の克服に励むことも大事ですが、もっとも障害者が磨かなければ

ならないスキルは、社会性を身につけること

そうしなければ、

(悪意はなくとも)介助者のなすがままになってしまいますし、

ノーマライゼーション社会を目指すには、先ほども言ったように

健常者と障害者の距離が縮まなくては実現不可能だと

思いますが、今の現状だと、距離が近くなって困るのは

現状に甘えて努力を怠っている障害者側なのでは?と思っちゃうほどです。

自分も障害者なのに“障害者”は苦手だと、一種の“近親憎悪”に

近い状態で生きてき、障害者問題を見てみぬフリして生きてきた

紛れもない障害者≪脳性まひ者≫一種一級のワタクシ。。。

出版を機に毎日、様々な障害者の方から人生相談を受ける中、

同じ障害者として、この問題を他人事にしていてはならない

いま、私の中で新たな戦いが始まろうとしています。

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2010年4月18日 (日)

読売テレビ「かんさい情報ネットten!」で大畑楽歩『三重苦楽』紹介2!

特集で(http://www.ytv.co.jp/ten/sp/index.html)にて取り上げられました

「2010年4月7日放送」をクリックしてご覧下さい!!

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2010年4月10日 (土)

読売テレビ「かんさい情報ネットten!」で大畑楽歩『三重苦楽』紹介!

特集で(http://www.ytv.co.jp/ten/sp/index.html)にて取り上げられました

「2010年4月7日放送」をクリックしてご覧下さい!!

 さて、4月6日、京都万華鏡ミュージアムで開催された大畑楽歩さんの『三重苦楽』出版記念写真展はおかげさまで大好評です!

P1000154  写真展に先立ち、3日には楽歩さんの自宅で写真展の準備が行われました。本の構成合わせて楽歩さんの写真を時系列に並べる本格的な写真展のため、けっこう準備も大がかりなものとなりました。額に写真を入れるのはもちろん、台紙を切り写真を貼り付けたりするのも重要な作業です。楽歩さんのお友達が集まり、和気あいあいと進められたのでした。

P1000155_2   写真の処理が終わったら展示構成の検討です。赤ちゃんから現在まで楽歩さんの写真をズラリと並べて、1グループずつ検討しました。居間にズラリと写真が並ぶ絵はかなりのインパクトでした!

P1000160  6日の午前中から始まった展示は、糸で水平のラインを示し、それに合わせて貼っていくかなり難しい作業の連続! しかし、なんと専門家の助けが!! 京都で「ハウスオブアートギャラリー」というギャラリーを経営する西村夫妻と、プロカメラマン大西さんが先頭に立ち、どんどん進めてくれました。
 ちなみに平行の感覚がいまいち悪い私は、台紙に両面テープを貼る作業などをしながらお手伝いに来た皆さんと楽しく話していたのでした。全然、役に立っていませんが……。

P1000162  開演してからは讀賣テレビとKBS京都、2局のテレビ取材も入り、2つのカメラが楽歩さんの姿を追うという「芸能人」状態に!

 うーん、まさか我が社で芸能人本を出すことになるとは!!
 いや、初めての経験、すっかり楽しんでしまいました。ありがとうございました。(大畑)

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2010年3月 5日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/番外編 本を書きました!

 私は夢見るユメコのように持ち切れないほどの夢を抱えて生きてきました。私にとってそれらの夢たちは努力したら叶うかもしれないという現実味を帯びたものではなく、あくまでも非現実的で楽しいものばかりを集めたコレクションボックスのようなもの!!(笑) 私はいつも心の中で、そっとコレクションボックスを広げては空想の世界へと旅立ち、はちきれそうになっているストレス玉を一つ一つ発散していくのでした。

 甲子園の高校野球の決勝戦……9回裏2アウト満塁、打順はもちろんワタクシの番。2ストライクと追い込まれるも、ボール気味の球をカキーン!と快音を轟かせて逆転サヨナラホームランで見事優勝!! を果たすのだけれども、空想の中でも私はあくまで脳性まひ者のままなのでホームベースに辿り着くまで時間が恐ろしくかかっちゃうんですね(笑)「ホームラン打ったんだから一塁までで勘弁してよ~」と冷や汗かきながら塁審に泣きついても「規則は規則ですから!」とハンディ交渉にとりあってもらえず、ホームベースを踏むころには観客もチームメイトも引き上げ…「せっかくなのに校歌は歌わないの? ちょっとォ閉会式は?? 優勝旗やメダルの授与はどうすんのよっ!!!」

 と、いつもこんな空想の世界に浸りつつ、ただただ地味に地面を這いつくばう腹這いや高這いプログラムをこなしていたのです。
そんな風変りな子が真面目に将来の夢を語ったところで誰も相手にしてくれるはずがありません。幼稚園の頃から一貫して持ち続けてきた夢は「お嫁さんになって、お母さんになること」。まぁ他にもパイロットやコックさん、花屋さんに電車の運転手、アイドルに雑誌の編集長など、よりどりみどりの発言を繰り広げてきたので、聞かされる側は「また増えたのね~」ぐらいで、お嫁さんも憧れの職種の一つと捉えられていたようです(笑)
私の中では「お嫁さんになる」というのは他の何よりも現実的でなんとか努力して勝ち取りたい夢だったのです。幼き頃から自分が脳性まひ者として生きてきた経験とこの奇妙な環境で生き延びてきた生活をフルに活かせる道は「母親」という職以外他にないと思っていました。どうしてまだ何もわからない子どもの頃から、そう確信できたのか私自身も不思議でなりませんが、自分がしてきた経験を自分の中だけに閉じ込めておくのはもったいないという思いからなのでしょうか。

 ワタクシの念願は叶い、小学2年になる息子を抱える一児の母です。実際に母になってみると、子どもを一人育てるのも並大抵の意気込みでは挫折しちゃう、という思いと、親はなくとも子は育つ、この2つの相反する気持ちが去来します。望んで手に入れた親業も時としてその責任が重く重くのしかかりしんどく感じることも正直あります。でも、子育てにおいて一番、親の手腕が問われるのはきょうだい関係をどう育んでいけるか、ここが最も難しい腕の見せどころであり、親の仕事なのではないだろうか?と最近思います。
実際問題ワタクシに親としてそのような器量があるかどうかはさておき、困難なことに立ち向かいたい質としては、この難事業に加わってみたい!ユニークな息子を一人、育て上げたぐらいでは母親なんぞ語れない!!(注:まだ育て上げておりません!!)とこれまで幾度となく奮起したものの、やっぱり踏みきれないんです。(貧乏子沢山アコガレマス)
 それはあまりにも、妊婦生活の10ヶ月間とお産が悲惨だったことにあります(笑)どう悲惨だったのか? それを詳しく知りたい方は…フフフ… 今月の29日にアストラからワタクシの著『三重苦楽』が出版されますので、是非こちらをお読みくださいね♪
 ワタクシが手塩にかけて育ててきた?! ユニーク息子が書いた作文も見ごたえアリです!!
 みなさ~ん、どうぞよろしくお願いします☆彡 (大畑 楽歩)

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2010年2月26日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第23回 「ドーマン法」世間の評価は

 医師や専門家と呼ばれる人たちの大半は、ドーマン法に対して批判的なご意見をお持ちのようです。理由としては、非科学的であり、膨大な費用が必要なことに加え、過激すぎるリハビリ法であるという点に尽きるみたいです。またドーマン法が生まれてから50年もの歳月が経過しているにもかかわらず、未だに同じ症例でドーマン法を施した場合とそうでない場合の回復率や、それにまつわるデータが存在しないという点においても、いかがわしいとみなされている所以なのでしょう。しかしながら一方で、極めて少数派ではあるけれども、一部の専門家たちの中には「ドーマン法」を研究し、ドーマン博士の理念に賛同しドーマン法を日本でも広めたいと活動なさっておられる方もいらっしゃるようです。私は自分自身も変わり者であることを棚に上げ、変わった人をお見かけすると注意深くウォッチングしたくなるクセがあります!(でもまぁ、このヘンな性分が幸いして今の主人とも結ばれたといっても過言ではないので、こういう性格もアリ!!ということにしておきましょう。ちなみに主人はドーマン法賛成派ではないのですが、私がウォッチングしたくなる程の変わり者だというコトです。ウフフ)

 話がそれてしまいましたが、「ドーマン法」について興味を持ち、研究しようとなさる専門家たちはいったいどんな方なのか? 私はものすごく興味をそそられてしまいます。もっともそんな方とは滅多にお見受けできませんけれど…。でも忘れた頃にテレビやネットで拝見するんですよ、モノ好きな研究者のお姿を!! そういう研究者の方たちの共通点は「非科学的な方法であり、また様々なデメリットがクローズアップされるけれども、これほどまでに詳しい説明が親になされ、親が十分に理解出来て、そして納得して“一丁やったろか!”というやる気を湧かせるリハビリ法が他にあるでしょうか?」ということと、あともう一つは「子どもの自主性を重んじているリハビリ法が他にありますか? やはりドーマン法はスバラしいんです!」といって称賛なさっています。私は「なるほど~。研究者の人からは、こういう風にも見えるのね~」と妙に感心する一方で、体験者だったチョウの本人に言わせれば、親にものすごく詳しい説明がなされるのは、正しい知識を与える為にではなく、親の一番弱い部分に揺さぶりかけ、保険適応外のリハビリ法に取り組んでもらう為の博士が率いる研究所スタッフの“話術”にすぎないんじゃない?! かと。 少なくともウチの親は何時間ものレクチャーを受け、熱心にノートを取り、朝から暗くなる夕方まで一週間クールの講義を年に二回も受け、母は新しいプログラムを処方してもらう為に、しぶしぶ受けてたところがありましたが、父はいつだって熱心に博士の言葉に耳を傾け、我が子の障害に関しては「スペシャリスト」って感じで、かなり自信ありげでしたけれど、実際のところは…脳性麻痺にもいろいろなタイプが存在することすらわかっていなかったのですから!!(笑) まぁウチの親がおまぬけなだけだとも言えなくはないでしょうけれども、やはり…研究所のレクチャーに問題があるように感じます。

隔りのある知識の詰め込み作業だったのでは?
その目的は訓練に立ち向かわすためであり、つまりマインドコントロールに過ぎなかったのでは?
と思ってしまいます。次に「自主性」という言葉にも反応してしまいました。「自主性」と聞いて反射的に「おいおい、好き好んで子どもがドーマン法に取り組むわけないじゃない! やらされてるんだってばぁ」と思った私でしたが、どうやら「自主性」の捉え方に違いがあったようです。一般的に障害児の場合、自主性を育むことが育児の上で一番難しいと言われています。というのは、障害が重くなればなるほど、つまり重度の障害児ほど、何をするにも介助人の手を借りなければならない故に、生活全般に渡って、やってもらって当たり前で、その環境に慣れてしまえば、いわゆる「イエスマン」(あなたまかせ)に陥ってしまうのです。いま障害児教育の現場では、このことが一つの大きな課題となっているようで、子どもの自主性を引き出して育んでいく為には、自分で身体をいろいろと、まず動かしてみて、それで初めて、ああしてみたい、こうしてみたいという欲求が湧いてくるらしく、このことをドーマン推進派の研究者たちは「自主性を重んじるリハビリ法」だと高く評価されているという訳でした。<おーぉ!! なるほどなぁ~>と唸らざるを得ない私。。。 でも、それも程度問題だよね~。と思ってしまうのでした。ドーマン法の内情を知っているだけに……あのメチャクチャ過激な訓練法は「自主性を育む」メリット以上にカラダに与えるデメリットが潜んでいるかもしれないと。正しい筋肉を使うことができない脳性麻痺児に根性だけで腕立て伏せや腹筋だの背筋だの、1日に100回以上も課すって!?  やっぱり、ちょっとそれは…“非科学的”過ぎますョ~ドーマン博士!! なんだか戸塚ヨットスクールを彷彿とさせてしまうのですが… そこに結び付けてしまうのは私だけ? あら?! あまりにも古臭さ過ぎたでしょうか? オバサンなもんでスンマセン。許してちょんまげ!! (大畑 楽歩)

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2010年2月19日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第22回 再診は愛嬌、度胸で乗り切る

 年に2回、都内のホテルで行われる再診。約一週間のホテル滞在期間は、私にとって一秒たりとも無駄には過ごせない貴重な時間。訓練を免れるだけでなく外の空気は吸えて、まともな服を着て、女の子らしい髪を結ってもらえ、おまけに沢山の刺激を受けられる! なんという人間らしい生活なのか!!!! と感動モノなわけですよ。
まるで囚人が久々に塀の外へと出るみたいな感じですかね?! 刑務所に入ったことがないのでわかりませんが…(笑)

 再診の際には、日ごろ使っている訓練用具から知性プログラムの教材から、この期間に読んだ本を一式、課題で書き上げた油絵や粘土工作品に至るまで、そりゃものごい荷物になります。再診の直前・直後のリビングは、誰か引っ越すの? というぐらいの段ボールの山が出来上がります。それプラス衣服などが親子三人分…いくらコンパクトにまとめても一週間分ですから、毎度かなりの荷物になっていました。遠方から公共機関で遥々再診に来られる方は、これらの荷物をすべて宅急便で送りこまれるわけです。(遠方だから、大変だから、運賃が高くつくから…という理由で免れる程、研究所は甘くはありません。)ウチはいつでも、片道6時間程かけて東京まで車で行っていました。荷物はギューギューめいっぱいトランクに押し詰めて!
 私はまだ子どもだったので、もちろん免許なんか持ってませんし、母はペーパーだったので毎回、父一人でハンドルを握っておりました。仕事でも父は車で出張に出掛けることが多かったので長距離運転に慣れているとはいえ、子ども心に「かなりしんどいだろうなぁ~」と思ってみてました。が、それ以上父に想いを馳せている暇はなかったのです! とにかく移動時間中である“6時間”ほどの車内も私にとっては自由に使える貴重な時間なんですから無駄にはできません!
 後部座席を占領し、居心地のいい空間にするべく、計画的に持ち込んだタオルケットやクッションで仕上げると、鞄の中からウォークマンを取り出し、くだらない雑音(両親の会話)はシャッターアウト!! ボーーとただ外を眺めているだけでも新鮮だったし、居心地いい空間に設えた後部座席にゴロ~ンと横になり、将来のことについてアレコレ空想するのも好きでした。それにあきたら、今度は本を取り出して読んだり、サービスエリアでガムやちょっとした小物を買ったりするのもメチャクチャ楽しみなことの一つでした。
「うわぁ~い!! 私は生きてるんだぁーーー」と実感できる年に2度しかない貴重な時間だったのです。
 でも、手放しに喜んでばかりもいられませんでした。
 なぜならば再診の期間には、全スタッフや集中治療を受けている50組ほどの家族の前でデモンストレーションと呼ばれる発表をしなくてはならず、結構そのことが気がかりで気重になっちゃうんです。これでも根はまじめな性格なもので…。(笑)

 発表する内容はその時々によって様々です。知性プログラムの一環で講義の時もありますし、唄やバイオリン、エレクトーンなどの音楽を奏でるデモンストレーションや、ルーティンと呼ばれる床体操やクラシックバレエなんかもあります。
 どれか一つのみの時もありましたが、私は結構すべて総ナメ出演が多かったですね~。どちらかというと表舞台に立つのは嫌いではありませんが、脳性麻痺者の場合、得手不得手の問題じゃないように思います。なぜなら脳性麻痺者の為、緊張するといつもより激しく不随意運動が出て、普段以上に体のコントロールが利きにくくなる状態の中で、さらに普通の人が感じるアガルという症状が加わる感じ。といったらおわかりいただけるでしょうか?講義ならば原稿は一語一句すべて暗記の状態。もちろん音楽ならば楽譜は暗記というか、頭が真っ白になっても指が覚えているまで達しておかなければ話になりません。それでも不随意運動によって予期せぬ事態や様々なアクシデントは避けられません。それに対応できる度胸とアドリブを身につけておかなければ目も当てられない悲惨な状態で終わってしまいます。表舞台に立つとそれだけで不随意運動が炸裂し、いつも以上に見苦しい醜態をさらけ出しているのですから! それに対抗できるのは、愛嬌と度胸だけ!!

 うーん、私のこの度胸の良さはドーマンで鍛え上げられたものだったのか!?
鍛えたかったところが違うような……でもまぁ、これもドーマン法の成果の一つだったということにしておきましょうか(笑) (大畑 楽歩)

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2010年2月12日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第21回 ヘレンケラーを見習いなさい

 まだ薄暗い早朝から、日が暮れる頃まで延々ただただ訓練を消化していくだけの毎日。   遊びたい盛りの子どもにとってドーマン法はあまりにも残酷すぎます。その上さらに、トレーナー役である親からは『もっと真面目にしなさい』だの『質が悪い!』だの『もっとタイムを縮めろ』などと言われて、おしんのように健気に『はい』と黙々と頑張り続けられるわけがありません!こんな時、たいていは『ちゃんとやっているのに、うるさい!』などと水掛け論になり、果てには収拾がつかない程の親子けんかに発展することもしばしばでした。
そして極めつけは『あんたはそんなんだからダメだっていうのよ! ヘレンケラー見習いなさいっ。三重苦を見事に乗り越えて…(ウンヌンカンヌン)…』とグチグチと言われた日にゃ~、秘かに尊敬して何度も何度も伝記を読んでいても『ヘレンケラーがなんじゃい!!』と罵倒したこともありました(笑)

  これほど過酷な訓練法であるにもかかわらず、賛否両論がある中でもドーマン法を支持する家族が絶えないのは「脳障害も治る」という画期的な言葉の裏に潜む未来への光が見出せるからではないでしょうか? うちの両親のように、本当に信じ切って始める家族は少ないと思います(笑)。多くの家族は「たとえ完全には治らなくても…少しでも良くなるのだったら…」という気持から取り組まれるのではないでしょうか。つまり障害児を抱える親御さんに共通すること、それは「我が子のいく末…このままでこの子の未来はあるのか?」という不安で押しつぶされそうになってしまう。なんとかしなければ…ともがけど、助けを借りたいお医者さんや専門家の口から出る言葉は『障害は治らない』という絶望的な言葉だけ。きちんと障害を受け入れられていたならば、この言葉から次のステップへと踏み出せるのですが、受け入れられてないとたちまち、この言葉で奈落の底へと突き落とされてしまうのです。つまり「障害があっては生きていけない」という思い込みの元で『治らない』と言われると、お先真っ暗になっちゃうんですね。

  日本人の特性なのか、日本では『とりあえず頑張りましょう!』と明確な表現を避けたがる傾向にあるようで、これは不安な親の気持をさらに不安に。受け入れられないでいる親をさらに受け入れにくくさせているように感じます。
うちの親なんかも、まさに、そんな障害児の親代表!のような両親でしたもの。

ドーマン法にのめり込むパターンとしては…

①とにかく我が子の障害を受け入れられない
②だけど周りからは“どこかおかしいわよ”と言われる
③意を決して病院へ行くが…(診断名がつく)
④治る方法はないと医師や専門家から宣告
⑤ますますどうしていいのか途方に暮れる
⑥この子の将来が不安
⑦やっぱり受け入れられない
⑧治る!と先に希望を見出してくれるドーマン法にすがりつく
⑨でも、完全には治らないのだと思い始める
⑩けれど、やっぱり受け入れられない
⑪だから、一度はじめたら、なかなか足を洗えない(辞められない)

とこのようになるのだと思われます。ちなみにうちの親をモデルに箇条書きで表したものですので、最も多いパターンは、おそらく④と⑤の間に、必死になって治療法を探し宇宙の果てまでも!!という意気込みで日本中を翻弄されてからドーマン法に辿りつかれるのだと思いますけれど。

  ヘレンケラーにしても、それから見ず知らずのたまたま公園で出くわせたおっちゃん(何かの職人さんだと思われる中年男性。ビッコをひき片足のみが不自由そうでした)名前も知らなければ何も知らない全く赤の他人であるおっちゃんのことを、さも全てを知っているかのように母は『ほら楽歩ちゃん。あの人、歩行の形は悪いけれど、あれだけのスピードで歩けるからこそ仕事ができるのよ! わかる? あなたにはそこのところの努力が足りないのよ!しっかりしなさいっ。あの人だって昔、血のにじむような努力をなさったから今があるのよ!』と。全くたまったもんじゃありませんョ! こちらは只今、ドーマン研究所からの指示で「質の良い歩行をするように」命じられていた時期だったのですから(笑)本当に無茶苦茶ですわ~!!
  目玉焼きとプレーンオムレツを比較し「どうして同じタマゴなのに、プレーンオムレツのように白身と黄身を上手く調和できないのよっ!それはあなたの努力が足りないからなのよ!」と言われてるようなものです。
  偉人であれ、通りすがりのおっちゃんであれ、母の目から見て“人生の安泰”をつかんだ障害者を目の前にした時、おそらく無意識にワケノワカラナイ叱責を始めざるを得なかったというのは、それだけ先の不安というものが想像を絶するぐらい大きなものだったということなのでしょうね!
  うーん、それにしても、この手の叱責は辛かったっす(笑!) (大畑 楽歩)

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2010年2月 5日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第20回 “障害児”の内訳

 ドーマン法をきっかけに、ようやく我が子を“障害児”として受け入れられた両親でしたが、それまで頑なに「この子は健常児です!」と虚勢を張ってやり過ごしてきたヤワな両親のこと…。“障害児”と一口に括られるこの単語の中には、おびただしい数の障害が含まれることをよく理解できていなかったのだと思われます。ドーマン研究所では、ダウン症の子も多動障害の子も、もちろん脳性麻痺もすべて“脳障害児”と診断され、さらに、主に運動機能に問題を抱える子は“中脳障害”と呼ばれ、知性に問題がある子は“大脳障害”と呼ばれていました。つまり、研究所内では、ダウン症も脳性麻痺も同じ運動機能障害として(中脳障害)扱われるのです。そもそも「脳性麻痺」の中にも<痙直型・アテトーゼ型・混合型>と大きく分けて3タイプ、専門的には5種類にも分類され、それぞれの型によって、障害のあらわれ方に特徴があります。もちろん同じ型であったとしても、障害の度合いによって「できること・できないこと」の差は大きく異なります。たとえば私の場合はアテトーゼ型なので、自分の意志と反して絶え間なく体が揺れ動く、不随意運動や言語障害が伴います。それでもまがりなりにも一人で歩けますし、聞き取りにくいとは言えなんとかコミュニケーションは図れています(?)。また同じ障害レベルの脳性麻痺者の方でも型が違えば…印象もずいぶんかわってくることでしょう。(言語障害や不随意運動を伴わないだけでも、えらい違いです)なので知識がなければきっと「この二人は本当に同じ名称の障害者なの?」と首をかしげてしまうと思います。

 このように障害の種類だけでも沢山あるのです。しかしドーマン理論では、障害の種類や現れ方が違えど“脳”の損傷が原因であり、また多くの障害名は混乱を生むだけなので“脳障害”と一括りにし、さらに治療の仕方も同じというのがドーマン博士の基本理念なのです。私は一障害者であって、医師や専門家ではありませんので詳しいことはわかりませんが、あまりにもこの理論は大雑把すぎるのではないでしょうか?
しかも脳という部位は最も緻密で繊細な器官なんですから、理学療法士としても、もう少し繊細さが求められてもしかるべきなのではないでしょうか。

 無知な両親に育てられた私は、しなくてもいい苦労をいっぱいさせられましたョ~(笑)
ドーマン法をやる前から、つまりまだ私のことを健常児だと思い込んでいたい時期に、テレビのドキュメント番組などでサリドマイドの障害の方や、交通事故などで片腕、片足になり義足を使いこなし陸上などに打ち込んでおられる姿がブラウン管に映る度、両親は『ほら見てごらんなさい。努力がなんだって可能にするのよ!! この人たちはね、血のにじむような努力をして今のこの姿があるんだよ。』とか『あの人は車椅子に乗らなければいけないぐらい重い障害なのに、普通にしゃべったはるじゃないの!それに比べて楽歩は努力が足りん!!』と言われる始末。まだ自分自身でも自分が障害児なのか、はたまたそれはどんな種類の障害で、テレビの人たちと何がどう違うのか?皆目わかっていない状態の中でも「私だって努力してるっちゅーねん! それに車椅子というアイテムを意地でも使いたくないパパとママであって…それでも私は文句も言わず、心もとない歩行で頑張ってるのに…。なんでこんな屈辱受けなあかんねん!!!!」と毎回いいようのない理不尽さを感じずにはいられませんでした。これがドーマン法によって娘が“脳障害児”だとわかってからは、もっと顕著に現れはじめました。同じ集中治療を受けていて、たまたま年齢も近く女の子で、歩き方に問題をかかえているという共通点だけで“同じ障害”だと信じて疑わず(その障害の種類も程度なんて全くおかまいなし!)元から言語障害がないその子と比べては『努力が足りないからよ!』と叱責を受けなければならなかったのですから!! たまったもんじゃありません(笑)

 まぁもっと頑張って今より少しでも良くなってほしいという親心がわからなくもありませんが、障害児から救い出す前に、一人の子どもとして最も大切な“こころ”を育む育児を優先して欲しかったですけどねぇ…。だから私は捻くれ者になっちゃったのでしょうけれど!!
身体障害者手帳に書かれた障害名のうろ覚えでなく、せめてムスメの障害のことぐらい知識として仕入れてから“ドーマン法”に臨んでほしかったですね!! (大畑 楽歩)

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2010年1月29日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第19回 現実逃避は何も生まない

 どうもうちの親は、両親ともに現実を逃避するクセがあるようです。
 というのも、私がドーマン法を始めたのは7歳。つまりうちの親がドーマン法と出会うまでの7年間の間、私が脳性マヒだということすら気がつかずに過ごしていたというのですから!!
そんなバカな! とお思いでしょうが、これは紛れもない事実なんです。私が両親にとって第一子であったならば、まだわからなくもありませんが、しかし明らかにヨタヨタした歩き方でろれつは回らず体はフニャフニャしていれば、やっぱり疑うのが普通だと思います。ましてや私は両親にとって3人目の子どもだったのですから。
うちの両親の目が余程の節穴だったというより、現実を受け入れたくなかった、あるいは受け入れられなかったのでしょう。それほどに両親の中に「障害児」に対する深い偏見が住み着いていたともいえるのではないでしょうか。

 ドーマン法のことを知ったのは、日本の連絡窓口が神戸に開設されたというテレビのニュースがきっかけでした。翌日には新聞にも掲載されており、報道の仕方が「障害児」という嫌悪感を抱かせる前に「障害児も治る」が前面に押し出されており、おそらく両親は、わらをもすがる思いで、とっさに無理矢理OFFにしていたスイッチをONに切り替えたのでしょう。
 すぐに開設したばかりの事務所へ問合せ、ドーマン法を受けたいと申し出ましたが、受け入れ数はオーバーしており、すぐに申し込んでも2,3年は待たなくてはなりませんでした。本当にやるかどうか、申し込む前にドーマン博士が書かれた「親こそ最良の医師」という本を読むように言われ父は早速、最短で手に入る方法で必死になってその本を入手。むさぼるように一心不乱に読んでいた父の姿を私は覚えています。
知識は本で吸収しろ!というぐらい無二の本好きである父は、私が7歳のときまで、たった一度たりともその手の本を手に取ったことがなかったのです。

 後年ドーマン法での回復が「めざましい」「奇跡だ」「驚異だ」と騒がれ、私が脚光を浴びる中で、様々なメディアの取材にたいして父は『治る方法がないのに娘が脳性まひだと診断されたところで、僕たちの生活は良くならないし、娘の障害が良くなる訳でもない。だったら知って落ち込んで暗い生活を送るぐらいなら知らない方がいい』と語っていました…。
 心底、父の弱さを垣間見てしまったインタビューでした。
 治る方法がたとえ無くとも、私が脳性まひを抱えちゃっていることに変わりはないのですから「逃げず」に、現実を「受け止めなくちゃ」なりません。逃げていて、なにか一つでもいいことがあるのでしょうか? いくら辛かろうが私の命ある限りそれを受け入れることでしか未来は切り開けないと私は思うのです。現実逃避したままでも、時間と言うのは確実に未来へと誘ってはくれますが、それは本当の意味で“生きている”ことになるのでしょうか? ドーマン法によって、ようやく娘が脳性まひであることを受け入れられた両親でしたが、結果として、私は正真正銘未だに脳性まひ者なのです!!

 父のものさしでは果たして今、この矛盾とどのように付き合っているのでしょうか?

 えっ!? とっくにもう闇に葬られてしまったのか!!(笑) (大畑 楽歩)

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