鎌田慧の現代を斬る

2013年8月 1日 (木)

鎌田慧の現代を斬る/第160回 再稼働にむかう原発を止めろ(2)

●地元の反対で再稼働延期
 再稼働に対する抑止力の1つとなっているのが、地元公共団体首長たちの反対だ。危険施設原発にたいする住民の不安を、カネをばらまいて抑え込んできたのだ。三村申吾青森県知事に代表されるように、カネ稼ぎのため危ない施設をどんどん受け入れてきた自治体のトップも少ない。
 しかし福島原発の事故によって、住民の命をカネと交換していいのかという意見が強まってきている。電力会社と政府の思い通りに動かない自治体もでてきた。
 今回の再稼働に関しては、泉田裕彦新潟県知事と広瀬直己東京電力社長のやりとりが注目を集めた。

知事 地元に説明もなく審査を決断したのは。
社長 地元軽視と受け取られかねず、反省しないといけ
   ない。
知事 端的に聞く。申請をなぜ急いだのか。
社長 もう少しやり方があったと思う。
知事 もっと聞きましょうか。年度内の黒字化を意識し
   たか。
社長 絶えず意識している。3期連続の赤字は避けたい。
知事 昨年、安全と金とどちらが大切か聞いた際、「安
   全」と答えて頂いたのはうそだったのか。
社長 いえいえ。
知事 東電は約束を守る会社か。
社長 そういう会社でありたいし、そう毎日やっている
   つもり。
知事 安全協定は県と東電との約束。事前了解なしに申
   請はしませんね。
社長 (申請と)並行してチェックしてもらうのも可能
   なのでは。
知事 事前了解とみなせない。約束を破るのか。
社長 同時並行的に進めて頂くのは。
知事 信頼できない。
社長 規制委員会に審査頂くのも、安全を確保するため。
知事 事前了解をとってください。
社長 ですので。
知事 話がかみ合わないなら、どうぞお引き取り下さい。
   約束を守る。これがスタートライン。
社長 今回の状況を鑑み、相談させて頂きたい。
知事 相談できる相手になってください。
(『朝日新聞』2013年7月6日)

 地元の了解を得ず、強引に再稼働にむけて動いた東電側が知事に平謝りしている様子がわかる。結局、再稼働は申請することを見送ったという。
●再稼働2つの問題

 再稼働の基本的な矛盾は、大きく2つあげられる。
「廃棄物の処理問題」と「労働者の被曝の問題」である。
 廃棄物の処理については、どうするのか未解決のまま推移している。原発の敷地内でも8割以上が満タン状態であり、六ヶ所村も満タンまで長くはない。原発を稼働すればするほど、行き詰まっていくのが現状だ。
 そうした廃棄物を再処理して無理やりもんじゅに使おうというプランを政府は捨てていないが、もんじゅの稼働は事実上不可能で破綻は見えている。

 労働者の被曝については、原発が稼働する限り止めることができない。事故が起これば、さらに高い被曝での労働を求められる。労働者の健康を奪ってまで原発を維持する必要性はない。

 また被曝限度を超えて労働者を働かせようとする不正も、原発では日常的に起こっている。7月には作業員の線量計を鉛のカバーで覆い、労働者の被曝量を少なくみせかけようとした経営者が略式起訴された。この社長は、「線量の高い現場だったので、警報が鳴るのを遅らせ作業員の不安を和らげるためにやった」(『朝日新聞』2013年7月3日)。数値をごまかして、労働者を働かせる。残念ながら労働者もそれに従うしかない。生活のため線量の高い場所に派遣される。
 また労働者の内部被曝について、479人の被曝量が不適切に算定されていたことも、7月にあきらかになった。そのうち6人は5年で100ミリシーベルトという限度を超えていたことがわかったという。最大で48.9ミリシーベルトも超えていたというから大問題だ。内部被曝量を算定する手法が間違っていたことが原因と報道されているが、あきらかな被曝隠しだ。

 被曝労働者はなかなか労災認定されない。100ミリシーベルト以下でも、ガンなどで亡くなった被曝労働者も多い。彼らの健康をどう守っていくのか。吉田福島第一原発部長のガン死は、暗示的だ。
は、非常に重要な問題だ。

 9月になれば、またすべての原発が停止する。年内いっぱいは原発ゼロの状態がつづくだろう。こうした状態を継続させたくない政府と電力会社が、再稼働を焦っている。
 これからの運動課題は、再稼働反対の闘争をどうやって盛り上げ、原発ゼロにたもっていくか、である。それは安倍政権の方針とまっこうから対立する。憲法改悪と原発再稼働をもくろむ安倍政権に立ち向かっていかなければ、日本の未来はない。とにかく声をあげることからはじめよう。(談)

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2013年7月29日 (月)

鎌田慧の現代を斬る/第159回 再稼働にむかう原発を止めろ(1)

7月9日、原発再稼働にむけた安全審査に、電力会社4社が5原発10基を申請した。関西電力の大飯原発と高浜原発、四国電力の伊方原発、北海道電力の泊原発、九州電力の川内原発が、少しでも早く再稼働をして儲けようする電力会社の欲望が露骨にあらわれている。

 安倍政権も規制委員会がOKすれば、すぐに再稼働にゴーサインをだすと構えている。「安くて安定的なエネルギーを供給していく責任がある。規制委が安全と判断したものは再稼働していきたい」と、7月5日のテレビ番組で発言している。9日には、「今(原発を)動かしていなくても大丈夫だ、という考え方は間違ってる」とも語った。
 さらに彼は再稼働どころか原発の新規増設まで視野に入れた発言までしている。野田政権で建設を認めなかった中国電力上関原発について、記者から質問され、「新設についてどう考えていくかはこれから検討していきたい」とボカしているのだ。
 また1万件の点検不備がみつかった「高速増殖炉もんじゅ」についても、継続していく意向を国会でしめした。実現の可能性が薄く、さらにばく大なカネがかかり、危険な事故を何度も起こしているのに、撤退する気がない。
 彼の頭の中には、福島原発事故の教訓がまったく残っていない。そのうえ7月末の参議院選挙で自民党が大勝するという結果予測が、彼をより傲慢にしている。

 その一方では、福島県での子どもへの健康被害が報告されている。県がおこなった甲状腺検査で、甲状腺がんと診断された子どもが12人、甲状腺がんの疑いのある子どもが15人もいたという。17万5000人を対象にした検査で27人という数字は、およそ100万人に1~2人という通常の発生率を大きく上回っている。

 動植物への影響も無視できない。福島市のニホンザルの調査では、体内にセシウムを蓄積していたサルがみつかったばかりではなく、被曝したニホンザルの白血球と赤血球の両方が減少していることが確認されたという。とくに白血球の減少は深刻だと『東洋経済オンライン』(2013年4月3日)に報じられている。
 また、福島県内のヤマトシジミという蝶を調査しところ「羽が小さい」かったり、「目が陥没」したりという奇形が全体の12%にのぼったという報道もある。さらに恐ろしいことには、世代が新しくなるほど奇形の割合が増えていることだ。もちろん植物の奇形も数多く報告されている。
 これだけ多様な生物に悪影響を引き起こしている原発事故からなにも学ばず、ヤミクモに原発を推進するのは、人が死んでも儲け、という犯罪行為だ。

●原発村の住民が安全審査

 今回の事故ではっきりしているのは、膨大な規模の被害を発生している原発事故の責任を、誰も取っていないということだ。
 原発を推進してきた政治家はもちろん、原発の安全性をチェックするはずだった原子力安全・保安院はなにもしなかった。電力会社は補償金すらまともに払おうとしていない。

 再稼働についても、この図式は変わることはない。
 原発推進の経済産業省内に、原発の安全を司る部署があるのはおかしいということで安全・保安院は解体され、環境省に原子力規制委員会が発足した。省庁の利益からも政治家の圧力からも自由な組織になるとの期待もあったが、すでに再稼働にむけた安全審査が始まる前から、日程の短縮を発表している。
 先月末には、自民党の衆参両院議員でつくる「電力安定供給推進議員連盟」が提言を発表。原子力規制委員会に圧力をかける、国会の監督強化を掲げている。
 原発の推進圧力の激しさは、眼に余る。福島原発の事故以来、原発推進に国民から厳しい目が注がれていながらも野田政権時は、大井原発の再稼働を認めた。机上の空論であり、ただのシミュレーションでしかないストレステストを実施して、「安全だ」と保安院が太鼓判を押して、強引に再稼働させた。電力会社をはじめとする原発推進陰謀集団の圧力に、野田政権が抗しきれなかったのだ。

 原子力規制委員会のいびつさは、委員の人選にも表れている。5人の委員のうち3人が原子力村の人間である。田中俊一委員長は、福島原発事故直後、記者会見で反省の弁を述べた原子力村の住民の1人ではあった。
「原子力の平和利用を進めて、まさかこういう事態、これほど国民に迷惑をかけるような事態は予測していなかった。結果的にこういうことになっていることについて、原子力を進めてきた人間として、国民に謝らなくてはならない」(JCASTニュース 2011年4月16日)との心境を語った。
 が、その一方で、「100ミリシーベルト以下なら健康への影響は大きくない」「一番のリスクは被ばくを怖れるストレス」とも発言した無神経人間でもあった。
 つまり原発の危険性を訴える嫌悪する市民感覚の持ち主ではなく、原子力産業の利益の代弁者である。このような人たちが、原発業界からの圧力を受けながら、客観的な安全の審査をできるはずがない。

 また、新しい安全審査基準そのものにも大きな問題がある。それは事故対策が中心だということだ。たしかに「安全神話」に彩られ、事故はまったく起こらないという過去の姿勢よりは少しは進歩したが、事故が起きたら制御しようがない原発に、どんな安全基準があるというのか。
 実際、福島第一原発は事故から2年半近くたっているのに、メルトスルーした核燃料はどこにいったのかわらかず、高濃度の汚染水が地下を通って海に垂れ流している状態だ。
 新しい安全基準の1つの目玉である「フィルター付きベント(排気)設備」についても、たしかに緊急時に原子炉内の蒸気に含まれた放射性物質を取り除くフィルターがあれば、放射性物質の飛散は抑えられる。しかし福島原発の事故では、ベントが水素爆発の原因になった可能性も指摘されている。
 フィルターによって排気時の放射性物質を取り除いても、その後に爆発が起こって放射性物質が飛散するようでは安全とはいえない。

 もし、核燃料プールの冷却がうまくいかなければ、東日本一帯が避難地域になる可能性があった。プールの冷却についても偶然の幸運が重なって救われた状況を考えれば、小手先の安全審査基準がどれほど滑稽かがわかる。制御できないほどの危険な技術は廃棄すべきだ。(談)

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2013年7月11日 (木)

鎌田慧の現代を斬る/第158回 安倍政権の「悪霊」がばっこする(2)

●情報の集中は管理の強化
 しかも集中した情報は必ず外に流れてしまうため、いろんな犯罪に使われることが予想される。1936年に社会保障番号を導入した米国は、インターネットの普及にともない番号を盗んでの「なりすまし」が横行。政府の給付金を不正受給したり、銀行口座を不正にに利用する犯罪が激増した。
 2006~08年のなりすまし犯罪の被害者は1000万人を超え、年間の被害総額は500万ドルに達したという。その結果、共通番号とは別の番号で管理し、情報漏洩を防ぐ方策も採られている。また、イギリスでも「国民IDカード制」が2008年に導入されたものの、すでに廃止されている。

 一方、日本では3年後に規模を拡大し、民間活用へも門戸を開こうとしている。それでも当初計画にあげられていた民間医療での活用は、危険性が高すぎるとして先送りとなった。このような危険な法律にたいして、マスメディアは反対の声をあげない。
 朝日新聞の5月26日の社説にいたっては、「自分の共通番号を安易に他人に示したりしないなど、国民の側にも自衛が求められる」などと書いている。ドロボウを行動しやすくしておいて、個人に気をつけろというのはおかしい。
 少しでも危ないことがなくないよう国民の安全を守るのが政治だ。朝日新聞の論調は、狂犬を放し飼いを認めておいて「気をつけろ」と怒鳴りつけているようなものだ。
 こうした「歓迎ムード」の裏には、産業界の待望がある。初期投資だけで2700億円。維持費に年間何百億円もかかる。コンピュータメーカーやカードを印刷する大印刷会社など関連業界が手ぐすね引いて待っている。

 しかも安倍晋三首相は、マイナンバー制度で国民の基本的人権を危うくしながら、国の機密事項を漏らした人を厳しく処罰する「秘密保全法」の導入を狙っている。これはかつて廃案になった「国家機密法」の生まれ変わりである。国の情報は国民に公開せず、国民の情報は権力側がすべて吸収する。それは強権国家であって民主主義国家ではない。
 マイナンバー制度を考える上で、住基ネットへの接続を全国で唯一拒否している福島県矢祭町の決断は参考になる。6400人の町民を代表する町長が、村民の個人情報が流出するおそれがあるとして反対を貫き、抵抗をつづけているのは画期的なことだ。
 古張充村長は毎日新聞のインタビューに「お年寄りがカードを落としたら、預金も何もなくなってしまうのではないかと不安に思っている」(2013年5月18日)と答えている。当然の不安だ。さらに町が住基ネットを利用すると、5年間で1700万円の出費がかかることもあきらかにしている。

 国民に番号を付けて管理するのは、牛などのトレーサビリティとおなじだ。生まれたら耳に番号をつけて、店頭で販売される肉になるまで番号で管理される。人間が安全な肉を食べるために開発システムだ。マイナンバーは政府が国民を「食べる」ために、お墓の中まで管理するようなものである。トレーサビリティが牛のためではないように、マイナンバーも国民のためではない。これは自明のことである。
 またマイナンバーがICカードとして広く普及すると、個人を特定するためのIDカードにもなりうる。いつも所持していなければならなくなれば、それは恐怖政治である。

●安倍首相による「ガマの油売り」
 さまざまなウソの大義名分で政策を進める、安倍首相の「妄言」の中でも、最悪なのが原発にかんするものだ。彼は事故を経験したから日本の原発は他国より安全だと主張して、原発輸出を進めているのだ。
 わたしはこれを「ガマの油売り」と呼んでいる。刀で腕を傷つけたりして、効果のないインチキ商品を売りつける香具師の口上と、おなじようなものだからだ。
 現在、日本は南アフリカやアジア首長国連邦、トルコ、インド、ベトナムへの輸出を進めている。中でもトルコは地震国である。地震を発端にした原発事故が終息しないのに、危険をそのまま横流しするモラルが問われている。
 インドは原爆保有国であり、核拡防止散条約を締結していない。しかもパキスタンとの緊張関係のなかで、核開発が進んでいる。原発についてはインドより日本が進んでいるため、その技術が原爆に使われる危険性がある。

 現在、米国・フランス・ロシア・韓国などがインドへの原発輸出商戦を狙っており、それに日本が加わった形だ。安倍首相は首脳会談で「核実験全面禁止条約(CTBT)に署名・批准を促した」というが、シン首相は核実験凍結をつづける意向をしめしたもののCTBTの締結を約束していない。被爆国である日本が、インドの核拡散に協力していいのか。被爆者の傷に塩を塗るやり方である。
 また、インドに原発を売ることは、中国とインドの緊張関係に影響を及ぼしかねない。大局的には、日本と中国は協調していくしかない。米国と一緒に中国と対立しようと願っても、米国は中国と商売しようと思っている。結果として日本はアジアの孤児になってしまう。中国嫌い・韓国嫌いの安倍政権が、核技術を振り回すのは危険だ。
 フクシマでは、原発の被害で故郷にも帰れないし人がおり、子どもの内部被爆を心配する親がいて、原発周辺で被爆しながら働いている労働者がいる。そんな状況の国が、他国と争ってまで、原発輸出に力を注ぐべきか。

 また原発製造メーカーの製造物責任という問題もある。日立製作所を中心とする企業連合は、イギリスで原発建設を計画する会社を買収した。事故によって製造物責任を被る可能性があるとして、やがて保有株式は50%に下げる意向である。原発は売り込みたいが、事故の責任は取りたくない。日立は廃炉を決定した米国原発会社から、損害賠償を請求されそうだ。

●解雇を簡単にする限定正社員
 「限定正社員」制度は、正社員の雇用を、企業に有利なように改悪したいという財界の悲願が込められている。
 すでに忘れさられているが、2005年には、「ホワイトカラーエグゼンプション」を経団連が提言した。労働基準法により、労働時間は1日8時間、週40時間以内と定められている。こうした制約を外そうとしたのが、ホワイトカラーエグゼンプションだった。採用労働にしていく労基法の歯止め取りさる露骨な法律案は、「過労死促進法案」として反対運動も盛りあがり廃案となった。
 今回、問題となっている限定正社員は、勤務地や仕事内容、労働時間が限定された労働者を指す。この限定正社員の解雇の基準を緩くするのが狙いとなる。
 労働者派遣法の改悪により、派遣できる範囲は大幅に広がった。しかし業務を派遣に任せるのは最長3年という法律的な歯止めがある。それを突破しようとしているのが、この制度といえる。

 労働基準法は解雇の要件を厳しく定めている。そのため正社員を雇った場合、仕事がなくなっても、内部的柔軟性ともいわれる、配置転換による雇用の維持を目指す。そうやって大企業は生涯雇用を守ってきた歴史がある。ところが限定正社員の導入により、仕事がなくなったら解雇ができる仕組みができあがる。
 しかも制度ができれば、本当の正社員を限定社員に格下げする可能性が高い。正社員を限定社員にして、仕事がなくなったらクビ。「名ばかり社員」である。労基法に守られた正社員をクビにするために、限定正社員制は使われることになる。

 西欧諸国では、年間数十万の解雇紛争が労働裁判所で扱われる。しかし日本では年間1600件程度でしかない。労働局への相談件数は10万程あっても、あっせんの申し込みは4000ぐらいだという。しかも金銭解決は、平均17万円である。クビにして17万円はひどすぎる。つまり現状でさえ日本の中小企業は解雇自由なのだ。それを大企業まで広げるのが限定正社員の制度である。これは大企業をブラック企業化する法律だ。
 しかし政府の規制改革会議は「非正規社員を社員化をうながすのが狙いだ」、あるいは「限定正社員は正社員にする」などと宣伝する。しかし、それは本当の意味で「限定」された人だけの幸運である。

 社会を安定させなければ消費はふえない。少子化にも歯止めがかからないだろう。社会を安定させるためには、非正規社員を社員化するしかない。しかし経営者は自分の地位の維持と自分の利益しか考えず、社会の安定など考慮しない。
 マイカーも買えない、マイホームも買えない、マイナンバーの監視体制だけが残る。アベノミクス崩壊の裏で、日本はそんな社会にむかっている。(談)

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2013年6月28日 (金)

鎌田慧の現代を斬る/第157回 安倍政権の「悪霊」がばっこする(1)

 安倍政権になって半年以上がたったが、まるでパンドラの箱を開けたように、さまざまな「悪霊」が飛びだしている。
 電力会社は、性懲りもなく原発再稼働にむけて動いている。原子力規制委員会の新規制基準が施行されるのを、GOサインにするつもりなのだ。福島原発の事故はさっぱり収束しておらず、毎日400トンもの汚染水は溜まる一方だ。そのなかでの蛮行だ。
 沖縄の米軍辺野古基地建設問題も、沖縄県民が全県あげて反対しているにもかかわらず、安倍政権はゴリ押ししようとしている。来年1月に予定される名護市長選挙にむけて、反対派の市長を追い落とそうとする裏工作もはじまっている。都議選で自公政権が全勝したことも、安倍に自信を与えている。
 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)も、どんな影響があらわれるのかわからないうちに、議論もなく、なし崩し的に交渉参加を決めた。自民党内ですら多数の議員が反対していたのに、それさえ無視しての財界と米国への従属である。
 共通番号(マイナンバー)法も国会でほとんど議論することなく、5月24日に参議院本会議を通過・成立。2016年1月から実施となる。さらに「成長戦略」として、労働者の解雇を自由にする「限定正社員」の制度の導入ももくろんでいる。
 原発の再稼働やTPPは経済の活性化を看板に、辺野古基地の建設はアジアの平和という美名によって推し進めようとしている。マイナンバー制度は社会保障の充実をうたい、限定正社員の制度は雇用の拡大を大義名分としている。
 しかし、どれだけ美辞麗句を並べても、国民の生活のために実施されるものはない。強権国家、財界優遇のための方策である。しかも、この先には安倍政権あるいは自民党の悲願というべき平和憲法の壌憲がある。9条第2項に書かれた「戦力の不保持」や、集団的自衛権を含めた「交戦権の否認」の撤廃である。安倍政権は国内の支配体制を強化し、大企業が国際競争力を強めるために労働者に犠牲を押しつけ、軍備強化にむかう、露骨な超反動政治を一挙にすすめようとしている。

●「マイカー、マイホーム、マイナンバー」
 所得や納税実績、社会保障に関する個人情報を1つの番号で管理するマイナンバー制度は、自民党が導入しようとした国民総背番号制に源流がある。70年代はじめ中山太郎という自民党の政治家が中心人物だったが、プライバシー保護の問題から反対が強く、もう40年近く実施できないでいた。
 この反対運動の一端を崩したのが、都道府県が主体となる「住基本台帳ネットワーク」の導入だった。氏名・生年月日・性別・住所の4情報と住民票コード、これらの変更情報がまとめられたものだ。もちろん住民のために導入したもではない。それが証拠に住基カードの普及率が約5%にとどまっている。
 今回のマイナンバーは、自治体レベルだった住基ネットを国の管理としたものだ。しかも住基ネットと別に番号を付けるため、個人の番号が二重になる制度設計の不備がすでに指摘されている。
 もともとは国の一元管理が進むことで脱税を補足できるなどと説明されていたが、いつの間にか社会保障を円滑にする、災害支援にするなどと説明されるようになった。震災や不景気を利用した火事場泥棒的なやり方だ。
 このような国家による個人情報の一元化については、かつては労働組合が反対していた。電力会社の労組である全電通や郵便局の全逓などの通信産業、あるいは日教組や自治労の公務員労組が、国民総背番号反対を掲げて、プライバシーを守った。
 しかし総評が解体して連合となり、個人情報の管理により、電機メーカーやコンピュータ関連メーカーなどに膨大な需要がでるとわかって、労組の反対は弱まった。労組の支援を受けた民主党政権によってマイナンバー制度の導入が進められたのは、歴史的経緯を考えれば皮肉だ。
 マイナンバーがけしからんのは、「マイカー、マイホーム」を連想させて、いいイメージをつくったことだ。マイカーやマイホームは、かつて庶民の暮らしの希望だった。景気がよかった60年代後半から70年代前半、中産階級が増えるなかでの憧れを具現化したマイカーやマイホームに連なるかのように「マイ」が使われた。「マイカー、マイホーム、マイナンバー」と並べれば、まるで新しい「三種の神器」のようなイメージを与える。しかしそれは、2つの幸福に悪魔の手を紛れ込ませたシロモノだ。
 そもそも個人情報は一点に集約しないほうがいい。政府は、集約すれば行政が効率化できると主張する。しかし国民にとっては、危険性に比べて効率性のメリットはない。行政を効率化したいなら、縦割り行政を改めた方がよほど効果がある。
 一方、国にとっての利益は計り知れない。所得などの財産や病歴の情報は、個人を管理するときにいかようにも使えるからだ。これは国民のためではなく、あくまでも国家による国民支配を強めるためのものだ。(談)

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2013年5月21日 (火)

鎌田慧の現代を斬る/第156回 強靱化に奔走する安倍政権とユニクロ(1)

 4月中旬、米・マサチューセッツ州のボストンマラソンでの爆破テロ事件の事後、ボストン郊外のウォータータウンで2人組の犯人と警官隊が銃撃戦を繰りひろげたのは、いまだに記憶に新しい。チェチェン難民の息子、タルメラン・ツァルナエフ容疑者が銃で撃たれるなどして死亡、その弟である19歳のジョハル・ツァルナエフ容疑者は重傷を負って警察に身柄を拘束された。ワシントンポスト紙によれば、弟は事件現場となったマラソンのゴール近くに爆弾を置いたことを認めたという。しかし、これは警察発表なので、真実かどうかはわからない。

 注目すべきは、この兄弟とも2001年から米国で暮らしていたことだ。2人はロシアの迫害によって故郷を追われたチェチェン人であり、難民認定を受けて米国に移住、数年前に両親はダゲスタンに戻っている。兄弟は数年前からFBIに監視され、いやがらせを受けていたが、チェチェンのテロリストとしての証拠はない。複数の米国メディアによれば、弟ジョハルは犯行動機について、「アフガニスタンやイラクでの米国の戦争への反対がテロにつながった」と供述しているという。それは本当かどうかはわからないが、チェチェンでのテロリストをつくったのが、ほかならぬロシア政府への反乱をつくりだした、米国のCIAだ。それがいま、テロリスト対策として、国内での弾圧体制を強めている。

 米国のイラク攻撃は歴史的な犯罪である。大量破壊兵器があるという「デッチあげ」によって、2代目ブッシュ大統領はイラクを空爆。イラク政府は解体され、フセインは縛り首となり、石油利権を米国のメジャー資本が握るという、きわめて悪質な収奪がなされ現在もつづいている。ちなみに父ブッシュが役員を務めており、軍需産業への投資に力を入れていたカーライルグループは、ビン・ラディン一族とも親しかった。こうした時代錯誤な帝国主義的侵略にたいする批判は世界中で起こっている。テロは憎むべきものだが、事件の背景をどう解決していくかという長期的な行動が、犯罪事件対策には必要だ。核軍縮を提起して、ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領は、軍事力で世界を支配する政策を転換していくべきだ。

 しかし米国政府は、昨年10~12月に未臨界爆発という方法で2回も核実験をおこなった。実際に爆発させないとはいえ、核兵器を維持しようという方針に揺らぎがない。就任当時、オバマ大統領は「核なき世界」を目指す、と発言した。世界の期待を裏切る行為だ。

 米国は世界最大の軍隊と軍需産業と軍事予算を持ち、世界を軍事的にも経済的にも支配している。いま問題となっているTPPも、アジアでの経済支配を強めるためだ。その結果として99対1の富者対貧者の対立が始まり、生活が圧迫され、平和が脅かされている。

 米国は監視カメラを張り巡らせることによって、テロを防止しようとしている。これはテロの原因を拡大させながら防衛だけを強化する対策だ。今回のボストンテロ事件を持ちだすまでもなく、監視カメラでテロを防げるはずがない。一般市民のプライバシーが脅かされるだけとなる。監視する必要のない社会をどうつくるのか、オバマ政権が問われている。(談)

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2013年4月29日 (月)

鎌田慧公式ブログが始まっています

鎌田慧さんの公式ブログがはじまっています。

http://nomorewar77.blog.fc2.com/

様々なところでご活躍する鎌田さんですが

何と今までは、公式のHPがありませんでした。

2月下旬からアップされているこちらのブログで

活動の告知、記事や連載について、新刊案内

などなどが、すぐに情報提供されることに!

鎌田慧 公式ブログ

現代日本の深部を読み解く(原発、労働、司法制度etc.)

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2012年4月16日 (月)

鎌田慧の現代を斬る/第155回 大飯原発再稼働の野望と震災復興に見る野田政権のゴリ押し

 3.11東日本大震災から1年がたった。それでも被災地の復興どころか復旧さえも進んでいない。あまりにも被害地域が広大だからだ。そのうえ未曽有の原発事故が被災地の救済を困難にしている。がれきをどうするのかについても、汚染の恐怖から受け入れ先住民の反対も強く、大きな社会問題となっている。
 さらに福島第一原発に近い地域では、避難すべきか除染して残るのかも重要な課題だ。飯館村などでは住民帰還にむけた除染もはじまっている。ただ、低レベル被曝といっても、人体にどんな影響がでるのか予測できない部分も多い。汚染の度合いによっても大きく変わってくるが、除染すれば安心という話ではない。
 除染の方法の問題もある。飯館村は放射線量の低いところから除染するという国の指針ではなく、標高の高いところから着手すると発表した。標高の高い地域から低い場所へと、雨水などで放射性物質が流れでるのを抑えたいとの思いがあるという。誰もが暗中模索だ。
 菅野典雄村長は「やってみなければ結果も分からないが、汚染された故郷を置き去りにすることはできない」(『毎日新聞』2012年3月5日)と語っているが、どれだけの住民が帰ってくるのだろうか。
 1月末、帰還宣言をだした川内村は、3月から行政機関を元の役場に戻した。しかし村が実施した全村民へのアンケートによれば、「帰村済み」「帰村する」は計38%にすぎず、「帰村しない」が28%、「分らない」36%と、ほぼ村を三分する結果となった。
 おなじ地域でも意見が割れているため、被災地域への補助金をどのように活用するのかも、今後、争点となっていくことだろう。
 いま現在稼働してるの原発は、54基中1基だけだ。北海道の泊原発の1基である。しかも5月上旬には定期検査のため停止が決まっている。
 日本の全原発が操業停止という東日本大震災以前には予想できなかった状況となっている。このまま夏を迎えれば、原発が稼働しなくてもなんら電力不足にならないという事実が白日の下にさらされる。
 それをなんとか阻止しようと、政府や電力会社が運転再開をゴリ押ししている。関西電力はストレステストの1次評価に合格したとして、大飯原発3、4号機が運転可能だという報告書を作成。野田政権も安全性を確認したとして、暫定的な安全基準に「おおむね適合している」と判断した。
 班目春樹内閣府原子力安全委員会委員長でさえ、「(1次評価は)再稼働とは関係ない。2次評価まで終わらなければ、安全性の判断はできない。1次評価は安全委が要求している(安全性の)レベルに達していない」(『東京新聞』2012年2月18日)と語っているほどなのにだ。
 また、大飯原発の1次評価を「妥当」と判断した保安員の意見聴取会メンバーである井野博満・東京大名誉教授と後藤政志・芝浦工大非常勤講師は「住民の安全性の判断に必要な2次評価が未提出で、再稼働ありきの見切り発車」(『毎日新聞』2012年3月1日)と抗議文で批判した。
 炉心損傷までの余裕を測るのが1次評価だとされているが、これまで1次評価を実施した原発は地震の揺れについては想定の1.29~2倍、津波の高さについては1.5~6.2倍の高さになっても炉心損傷は起こらない、外部電源を失っても10.7~104日は安全に原子炉を冷やすことができると結論付けている。しかし、その想定が正しいかどうかは検討されていない。そもそも原発推進派の決めた想定で安全だと思える人がいるのだろうか。
 佐藤栄佐久前副知事は、経済産業省と安全保安院の関係は「泥棒と警官」だと評した。その両者が同居して原発を推進している。悪名高い不安全・保安院の認定する「安全性」など、茶番でしかない。
 現在、政府は原子力安全・保安院と内閣府の原子力安全委員会を一体化した原子力規制庁を設置しようとしている。4月発足の予定だったが、関連法案が通らず、いつ発足になるのかは不明だという。
 環境省の下に置くことで現在の保安院より独立性は保てるといわれているが、その内実はお寒いものだ。まず、新組織の7割が保安院からの出向になると予想されている。しかも経済産業省から出向したものが、元の組織に戻らないようにする「片道出向」の規制は、課長・参事官級の12ポストのみ。それも「当人が望む場合は戻れる」という例外規定まで設ける。あくまでも「泥棒と警察」を一緒の組織に置きたいらしい。目先を変えただけの「改革」が、政府と経産省のお手盛りで進んでいる。

 政府は大飯原発を突破口に原発の再開を強引に推しすすめようとしている。とりあえず大飯の2基さえ動かせば、大飯を前例として他も動かせると踏んでいるのだろう。
 福島第一原発の4基は「冷温停止状態」といわれているが、肝心の燃料棒がどこにあるのか分からない。温度も上がったりしているおり、安定しているわけではない。福島原発の事故すら収束しておらず、その原因すらハッキリしないのに、どうして大飯原発が安全だといえるのだろうか。まして大地震がいつくるか分からない状態で、しゃにむに原発を再開させようとするのは、金儲けのための無理心中させよう、という反正行為だ。
 事故から1年をへてやっと当時どのような状況だったのかがあきらかになってきた。そのなかには事故発生当時に、東電がすべての職員を原発から避難させようとしていたという疑惑まである。もし全員が避難していたら冷却作業などが止まり、4基すべてが暴走してしまった可能性が高い。そのような大事故が起きたとき、政府が住民を助けないことは、今回の事故でハッキリした。パニックを起こさないためだ。放射性物質の飛び方を予測するSPEEDIの結果を公開しなかったのは、その証拠の1つである。
 運転の安全も確保できない。事故が起こっても情報がなく避難さえできない。事故後に汚染された土地が大量の発生する。こうした状況があきらかとなり、原発に反対する人は確実に多くなっている。
 今年の3月11日には郡山で大規模な反対集会がひらかれた。わたしもそれと前後する各地の反対集会に参加している。どこも大盛況で、脱原発の勢いが弱まってはいない。こうした民意を政府は、きちんとくみ上げる必要がある。(談)

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2011年12月 8日 (木)

鎌田慧の現代を斬る/第154回 オウム事件と原発事故がしめす教養の必要性

 11月21日、オウム真理教・元教団幹部の遠藤誠一被告の上告が棄却され、死刑判決がだされた。これで麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚以下、教団関係者13人の死刑が確定。さっそく次のような意見が出てきた。
「今後、法務省は松本死刑囚らの刑執行の検討を迫られよう。共犯者の公判が継続している間は執行を見送るのが通例だが、裁判終結により、執行の環境が整ったとも言えるからだ」(『読売新聞』2011年11月23日 社説)
「執行の順序については通常、判決の確定時期などが考慮されるが、別の法務省幹部は『絶対的な存在として教団に君臨し、犯行を指図したという事件の構図からいっても、まず首謀者の松本死刑囚について検討するのが筋だろう』との見方を示した」(『読売新聞』2011年11月22日)

 読売をはじめとするマスコミは、「首謀者」の死刑を早めるよう、うながす論調である。松本死刑囚は再審請求をおこなっているのに、死刑を強行するのは、あまりにも乱暴だ。
 また彼の精神状態で死刑執行できるかという問題もある。松本死刑囚の状況については、2011年11月22日の『毎日新聞』に次のように書いている。
「最近はほとんど言葉を発せず時折小声でなにかをつぶやく程度。日中はほぼ正座かあぐら姿で身動きしない。拘置所職員が食事を手伝うこともあったが、今は自分で食べている。家族が拘禁反応の治療が不十分として起こした訴訟の確定記録などによると、01年3月から失禁し、トイレを使ったのは07年に1度あるだけだという。逮捕時の長髪は短く切られ、ひげも落とした。風呂や運動を促せば反応がみられるが、家族らの面会には応じていない」
 彼が詐病だという説はあり、精神障害を主張する弁護士との争いになっている。しかしトイレを使うことなく失禁を繰り返し、身動きするしない状態を「詐病」だと断じるのにはムリがある。

 国連人権委員会は、いかなる形態であれ精神障害を抱えている人に死刑を言い渡したり執行すべきではないとしている。死刑そのものも認められるものではないが、精神に異常をきたしている人物に死刑を科すのはさらに残虐な行為といえる。
 死刑論者の急速な増加は、オウム真理教問題が端緒になった。事件前は、死刑を求める世論はこれほどまで強くはなかったからだ。
 鳩山邦夫議員が1年の法務大臣在籍中に4回もの死刑を実行、計13人を処刑したのも、オウム真理教問題からつづく世論の高まりがあった。政府の実施した09年の世論調査では、死刑「容認」が85%を超えた。世界的な死刑廃止の流れからみると、惨憺たる状態である。
 こうした世論を背景に、最近では未執行の死刑囚が過去最多の125人になったと報じる記事もでてきた。現在の法務大臣である平岡秀夫議員は、死刑執行について「慎重に判断する」との見解をしめしており、そうした姿勢にたいする圧力にもなる。

 一方、松本サリン事件で妻が意識不明の重体となり、警察とメディアから犯人扱いを受けた河野義行さんは、トレランス(寛容)に満ちた姿勢を表明している。
「事件は、必ず風化するものだ。教団、メディア、警察に対し、誰かを恨む気持ちはない。報道姿勢や被害者支援の在り方、住民票不受理といった行政の過剰な教団バッシングなど、事件で得た教訓を生かしてほしい。教団は観察処分となって11年が経過したが、果たして今でも無差別大量殺人を起こす危険性があるのか。そろそろ普通の生活に戻してあげたいとすら思う」(『読売新聞』2011年11月22日)

 14年間にもおよぶ寝たきりの生活をへて、妻は3年前に亡くなったという。それでもオウム真理教を受け継いだ宗教団体の人々にたいして、「普通の生活に戻してあげたい」との思いを抱くのはなかなか大変なことである。
 この記事の終わりが、また素晴らしい。
「妻が亡くなり、昨年、三回忌を終えた。これが私にとってオウム事件の区切りだ。だから、遠く離れた鹿児島に移住してきた。もちろん命日には妻を思うが、これからは自分のための人生を楽しみ、幸せになる」
 報復に取り憑かれたかのような死刑好きのマスコミとは、まったく異る思想である。

 オウム事件で本当にすべきなのは、被害者の救済を考えることだ。どう補償していくのか、それを解決すべきであり、被害者の生活を安定させるよう方策を講じる必要がある。被害者の救済に動かず、死刑だけが一方的に進んでも被害者感情は報われない。(談)

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2011年11月 5日 (土)

鎌田慧の現代を斬る/第153回 TPPで進む日本の植民地化

 野田内閣は、11月12日からハワイでひらかれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の参加前に、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加を決めようとしている。しかし民主党内にも反対論が強い。社会・共産はもちろん自民・公明にも批判が根強い。それでも野田政権はTPP参加を強行しようとしている。

 民主党政権は、鳩山・菅と2回の短期政権を経て野田佳彦首相に引き継がれたが、ますます自民党政治と変わらない財界寄りの政権となっている。いまだに事故が収束しないのに、九州電力などの原発で稼働再開のチャンスをうかがっており、国民総背番号制度は共通番号制度と名を変えて強行されようとしており、沖縄県民の反対が強まるなかで辺野古への強制着陸まで狙っている。さらにTPP参加である。
 これは自民党に代わる新政権のどん詰まりであり、新しい時代を期待した民意を真っ向から踏みにじる愚かさの出発である。

 TPPへの参加については、「仮に(TPP)交渉に参加した場合、交渉の中で新しい事実が出てきた。それが日本にとっては到底受け入れることのできないものであれば、その上で交渉から抜ける選択肢は私は当然持っておくべきと思う」(日テレニュース)と、前原誠司政調会長は語っている。しかし一端、国策として方針を決めたのち、不都合だから止めるなど外交上の失政であり、できるはずもない。とにかく参加させようという甘言は、まるで子どもをだます誘拐犯のようだ。
 さすがに最大の旗振り役である経団連の米倉弘昌会長も、「離脱とは不穏当な表現だ。交渉入り後に途中離脱することはありえない」(『産経新聞』2011年10月24日)と批判している。
 しかしTPPに参加させたい意向は2人ともに一致している。前原政調会長は「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)の慎重論、反対論の中には、事実に基づいた不安感と同時に、事実に基づかない議論もある。これを私は『TPPおばけ』と言っている」(『毎日新聞』2011年10月14日)と反対論を切り捨て、米倉会長は「怪情報が飛び交って国民の不安をかきたてている。非常にまずい」と語った。
 「おばけ」や「怪情報」といった決めつけは、初めから参加ありきの姿勢をあらわわしたものだ。

 1978~1979年にかけて第1次牛肉・オレンジ自由化交渉がおこなわれ、日本は農産物の自由化へと踏みだした。そのため、せっかく植えたミカンの木を農業者が伐採する破目になった。もちろん温州みかんが買えなくなったわけではない。ただみかん果汁では、輸入オレンジの10分の1以下シェアしか確保できなくなっている。
 これまで米国は、工業製品の輸入で一定程度譲歩しながら、主力産業である農産物の輸出について圧力をかけつづけてきた。それにたいして日本はなすすべなく門戸をひらき、対抗策として農業の大規模化という方針を打ちだした。しかし日本の地形・風土を無視した大量生産計画など蟷螂の斧というべきものだ。大規模化を目指した畜産や酪農が撤退し、荒れ果てた牧草地が全国に出現している。
 米国の農業に日本が対抗しようなど、客観的に分析すれば笑い話でしかない。ところが真珠湾攻撃以来、まったく見通しを欠いた精神論だけで戦争突入、退却に次ぐ退却といった「日本の伝統芸」が戦後も繰り返されてきた。

 そもそも農業は商品をつくっているのではなく、食料を生産しているのである。農業の国際競争力を高めるといった発想は、食料を商品としてしか考えない財界人特有の誤りだ。
 しかも今回のTPPは、農業ばかりか医療やサービス、金融などあらゆる分野の自由化を目指すものだ。国内の体制が大きく変化するといわれているが、その詳細はいまだに明らかにされていないのである。外務省は「外交上の機密だからいえない」と、小出しにしか情報を開示しない。これは目隠ししてスタートラインに着けというに等しい。
 そもそもTPPは自由貿易協定(FTA)の1つである。FTAは関税ルールを二国間で決めるが、TPPは日本を除くと9ヵ国が交渉に参加している。しかし日本を加えた10ヵ国のGDPを比較すると、全体の90%以上を日米が占めるという。つまり実質的には日米のFTAなのである。「属国」日本を狙い撃ちした協定なのだ。

 この議論で不思議なのはメディアの動きだ。テレビはもちろん新聞社もこぞって賛成を表明している。経団連ベッタリの日本経済新聞はもちろんのこと、読売新聞や毎日新聞、朝日新聞も強行派である。
 朝日新聞などは10月14日の社説で、「TPPへの参加は、経済連携戦略での遅れを取り戻す、またとない機会だ」などと書いている。
 しかしTPPによってダメージを受けるのは、農産物ばかりではない。日本政府が守ってきた安全性さえも保証できなくなる。
 遺伝子組み換え食品などは、その最も顕著な例だろう。遺伝子組換え食品であるとの表示を必要ないとする米国の主張は、すでにTPPで大きな問題となっている。しかもTPPでは、投資家が投資先の国の政策で被害を受けた場合、日本以外の国で裁判がひらかれるという。

 米国の司法は、遺伝子組換え作物についてとんでもない判決だしている。遺伝子組換え作物を育てている企業が、遺伝子組換え作物ではない花粉が飛んできて不利益を被った隣の農家を訴えた裁判で、企業側の主張を認めたのだ。このような判決がだされるなら、遺伝子組換え作物の畑をつくっては、隣接する農家を訴えて規模を拡大することも可能となる。すでに米国とFTAを結んだ韓国でも、この訴訟制度について大もめとなっている。
 このような不平等条約を、朝日新聞は「TPP議論 大局的視点を忘れるな」と参加を煽っているのである。「日本がもたつく間も、世界は動いている。自動車や電機といった日本の主力産業でライバルとなった韓国が典型だ」とは、「バスに乗り遅れるな」というアジだ。しかし、そのバスは「地獄行き」なのだ。

 TPPによる悪影響について、日本医師会は医療の産業化が進むとして、次のような見解をしめしている。
「医療の効率化が優先され、安全性が失 われます。営利企業は、高収益を見込むことができる私的医療費にシフトし、公的医療保険の患者が切り捨てられます。社会保障は平時の国家安全保障であり、営利産業化させ、市場で競争させるべきものではありません」
 米国では、民間保険会社の提供する健康保険プランを個人や各企業が加入する形式を取っている。そのため保険加入や保険金の支払いを拒否される例が相次いでいる。結果として数百万円という高額な医療費を払うことができず、医療を受けずに死んでいく人が後を絶たない。

 こうした問題をマイケル・ムーア監督は『シッコ』というドキュメンタリー映画にまとめている。そこには医者に行くお金がなく、自分で傷を縫う人が紹介されていた。国民皆保険制度が崩され、米国の保険会社が参入するようになれば、日本でも同様の事態が起こる。
 日本医師会は、国際医療交流による外国人患者・従事者の受け入れについても、「診察や治療は、人体に侵襲を及ぼす行為です」という表現で反対を表明している。健康にかかわることを簡単に改革すべきではないという現場の主張に、私たちは耳を傾ける必要がある。
 貧乏人は病院に行けなくなる一方で、高額な医療は充実する。こうした二分化は、TPPにより進むだろう。そんな社会はつくってはいけない。平準化や平等を求めて進むのが政治だが、米国や日本は一部の利益のために多数を苦しめる政治を進める。

 自民党は野党になったが、民主党の政治もその延長線上にある。それは民主党政権を支えているのが、連合だからだ。連合は労働組合といっても御用組合だ。自社の利益を追求する会社の内側にある大企業擁護の労働組合だから、中小企業の労働者や派遣労働者、日雇い労働者にまったく無関心であり、彼らにたいするシンパシーがほとんどない。
 結局、日本社会が変わるには、連合に所属する大企業の労働組合が変わらなければならない。大企業の組合が変われば、大企業の横暴をチェックできるからだ。

 60年安保のとき、造船会社は軍艦や潜水艦など造る軍需産業でもあるため、日米安保に賛成の立場だった。ところが造船会社の労働者たちは、デモや集会に参加した。それにショックを受けた財界人は、60年安保以降、徹底的な組合つぶしを展開した。カネそだして第二労働組合をつくらせ、御用組合化を進めたのである。そののち総評が潰されて連合が結成されてしまう。
 こうした歴史を引きずって今がある。労働者は産業利益のためにだけに働く「産業戦士」として使い捨てにされているのも、日本の労組運動史と密接な関わりがある。(談)

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2011年8月 4日 (木)

鎌田慧の現代を斬る/第151回 国民を殺してもカネもうけしたい経団連

 菅直人首相は脱原発という方向性を示した。日本の歴代の首相で初めての快挙といえる。官僚、財界、野党はもちろん与党内からも激しい反発を受け、7月29日に発表した新エネルギー政策の中間整理では、基本政策を「減原発」とかなり後退させたが、電力各社の地域独占体制の見直しや電力会社から送電部門を切り離す発送電分離は残した。この方針には原発の推進の旗振り役である経済産業省が強く反対したとも報道されている。
 菅首相はとりあえず浜岡原発を止め、福島第一原発4基の廃炉も決めた。自然エネルギーを活用していく方向性も、首相として初めて打ちだした。これらのことは評価すべきだ。
 とはいえ具体的な道筋をハッキリとつけない。さまざまな抵抗を跳ね返して突き進むのではなく、曖昧にしながら妥協を重ねている。それが国民からの批判になっているのだろう。脱原発を「首相個人の考え」といいわけしたことなどは、その典型だ。
 ただ、国家が財界や官僚、マスコミ、司法とともに進めてきた「原発絶対体制」を破壊するのは容易ではない。それは巨大な権限をもつ首相も例外ではないのだ。
 たとえば経団連の米倉弘昌会長は、首相が脱原発を打ち出したことを、何度も非難している。7月14日の経済同友会の夏季セミナーでは、「(原発から)再生可能エネルギーへの転換が、あたかも短期間でできるような誤解を招きかねない形で説明、発表すること自体、極めて不見識」(『朝日新聞』2011年7月15日)と、首相の方針に怒りをあらわにした。
 さらには19日の毎日新聞のインタビューでは、「原発に一定程度依存しないと(電力不足で)国内産業がどんどん海外に逃げ、雇用が守られず、経済成長が落ちる」と国民に脅しをかけた。そればかりか第一原発の事故のあと、電力会社が凍結している原発新設についても、「安全基準を見直し、対策を施したうえで(自治体が認めれば)新設の可能性もありうる」といい放った。
 これは今度の事故をまったく反省してないことをしめしている。原発メーカーと原発ゼネコンと電力会社の利益を代弁しているにすぎない。経済人が日本人の将来をまったく考えない、その根本的な思想の貧困をこの発言は物語っている。
 共同通信が23、24日に行った全国電話世論調査でも、「脱原発」には7割以上の人が賛成している。国民から選ばれた政治家が、民意に添って決めた方針を、一財界人が勝手に覆すことなど許されるはずがない。

 脱原発につづいた首相の「原発輸出の見直し」発言についても、財界や官僚は露骨に不満をしめしている。
 “経済産業省の幹部は”「国益を無視した発言だ」(『産経新聞』11年7月22日)と語り、原子力の大手メーカーの関係者は「福島の事故と輸出は別次元の話。国内事情で対外的な約束をほごにすれば信用を失う」(『産経新聞』11年7月22日)と語っている。
 いったいなにが「国益」で、どこが「別次元の話」なのか。原発事故の危険性を世界に押しつけてもうけるのが「国益」で、海外で起こる事故は「別次元」だというつもりか。
 中国で起きた新幹線事故にたいして、米倉経団連会長は「利用者の不安が募ると思う。もっと慎重に対応した方が良いのではないか」などと発言しているのに、まだ事故の収拾さえ完了していない原発建設も輸出も推進というのだから常軌を逸している。
 結局、財界人と経済産業省がいいつづけているのは、「人間の命よりもカネもうけ」ということだ。こうした思想は、さまざまな形で目にする。
「原発の代わりに化石燃料を使えば法人税を3割増税したのと同じコスト増が発生する」(『朝日新聞』11年7月14日)という与謝野馨経済財政相の発言も、その一例だ。
 彼の頭では、安全はコスト増でしかない。
 原発のコストを本当に計算するならば、事故が起こった際の賠償金なども発電コストに加わる。その途端、電力会社の利益など簡単に吹っ飛んでしまう。

 避難住民に対する補償だけではない。牛肉をはじめとする食品や土地の除染、あるいは事故による健康被害など、さまざまな賠償請求がずっとつづいていく。
 また、現在のコストには、いま稼働している原発の廃棄物や事故を起こしたものの廃棄物の始末の値段が計算されていない。それどころか事故の廃棄物を、どのように処理するのかさえ、明確に決まっていない。すでに福島原発の瓦礫と汚泥が青森県のむつ市に運ばれたという情報もある。事故後の処理によって、さらに日本が汚染されていく恐怖が広がっている。加えて問題は国内だけにとどまらない。海外からも放射能汚染に対する賠償金を請求される可能性があるのだ。
 まともに考えれば、人命を企業のもうけのために危険にさらすことは許されないし、コスト計算の間違いにも気付く。こんなデタラメな主張がまかり通るところに、利権渦巻く原発問題の闇がある。
 原発がなくなると日本経済が悪くなるという発想は、核の抑止力と似ている。「核の抑止力」とは、核の破壊力が激しすぎるから、実際の戦争が起きなくなるという思想である。こうした妄想により、米国やソ連をはじめとする核保有国は、人類を何十回殺すかもわからないほどの核の保有競争に入った。結局、核の保有が平和の推進力にならなかったばかりか、現在の核保有国以外の国々やテロ組織に核兵器が広がることに大国は神経をすり減らすことになったのだ。
 人を大量に殺す兵器で平和をつくりだせるわけがなく、通常の運転時から大量の被曝労働者を生みだし、ひとたび事故が起きればコントロールの利かない原発が長期的に経済を支えられるはずがない。
 原爆は「抑止力」というフィクションでさらに危険を抱えこみ、原発は経済性というフィクションで人命を危険にさらしている。原発がなければコストがかさむ、といういい方は古いかたちの恫喝といえる。
 原発に絡む恫喝はコストだけではない。7月14日の『毎日新聞』に掲載された“大手電機幹部”は、次のように発言している。
「安定的に電力を確保できなければ、韓国や中国との競争には勝てない。海外移転に拍車をかけることになる」
 経団連も電力が安定しないと、産業が空洞化し、雇用機会が失われかねない、と緊急アピールをおこなっている。
 しかし、そもそも中国などの電力が、それほど安定してるわけではない。海外進出は海外のマーケットと、労働者の低賃金を狙っておこなわれるもので、節電だけで空洞化が加速するわけではない。
 こうしたアピールは、意識的なデマゴギーである。原発が安全で事故がないといった「安全神話」など、嘘のキャンペーンの延長である。
「雇用を守り、経済成長を実現していくには電力の安定供給が必要。少なくとも5年先の電力の安定性を示してもらわないと、日本企業は海外移転してしまう」(『毎日新聞』2011年7月12日)という米倉経団連会長のコメントにいたっては呆れるほかない。
 これまでも経団連は積極的に雇用を守ろうとしてこなかった。しかも原発は電力の安定につながらないことはあきらかになのに、まだ認めていない。現在でも福島ではギリギリの調整が日々続いている。原発労働者の被曝量が増えているため、人員をどのように確保するのかも大きな問題になっている。
 出力が100万キロワットを超える巨大原発が、国内にはいくつもある。これは巨大な技術によって生産性をあげ、コストをさげるという古い経営思想に基づいた計画だからだ。送電塔と送電線を全国に張り巡らせて、巨大原発から全国に供給するという発想が、すでに破綻している。いまは地域にあった電力生産が求められている。そうすれば送電時の電力のロスもなくなり、過剰な発電も防げる。
 財界はいまだに原発生産で経済の活性化を図ろうとしているが、巨大な技術をつかって大量生産するのは、一発の原爆で皆殺しにしようとした戦略兵器の思想と同じである。時代に合わない「大艦巨砲主義」は棄てるべきだ。

 原発がらみで大きな問題となっているのが、電力会社の「やらせ」である。
 6月末の経済産業省が主催する玄海原発の緊急安全対策を巡る県民説明番組で、九州電力が組織的にやらせメールを集めていたことが発覚。副社長と本部長が賛成の参加者を増やすため、原発本部の部長に指示を出したとされる。
 結局、やらせメールの要請を受けた2935人のうち141人が投票。番組での「賛成票」が、反対を123票上回っていたことから、「やらせ」がなければ結果が逆転していたことも明らかになった。文例までしめしてヤラセを募っていたというから、かなり悪質である。
 これでも各地で原発をめぐって実施された公聴会やヒアリングでは、賛成派が電力会社によって動員されてきた。その意味では、これまで何十年も続いてきた慣例が、やっと明らかになったともいえる。
 しかしやらせ事件は、これだにとどまらなかった。原発を規制する立場であるはずの原子力安全・保安院がやらせに関与していたことがあきらかになったからだ。
 わたしは以前より、原子力推進の最右翼である経産省の安全・保安院が原子力を規制するナンセンスを訴えてきた。審判とピッチャーが同じ人間で、公正な試合など成立するわけないからだ。
 日本は政官財・マスコミ・司法による「原発絶対体制」の中にある。原発に大量に税金がつぎ込まれ、そのカネが権力者を潤してきた。利益誘導のために最も危険な原発が利用されてきたし、危険だからこそ金を膨大に使えたのである。こういう非民主主義的で犯罪的なことが行われてきたのが原発であり、安全・保安院の規制はその典型例である。

 いま、やっと脱原発ムードが本格化している。
 今年の広島・長崎の核廃絶運動では被爆者同士の連帯がテーマになっている。これまで核廃絶運動は反原発運動と結びついてこなかった。しかし、戦争利用であれ平和利用であれ核は重大な被害が発生するという認識で、被害者たちが連帯し核廃絶にむかっていく。そういう運動が、今年からはじまった。
 わたしも脱原発の大衆運動を盛り上げていく。ムードで終わらないよう、しっかりと脱原発を実体化していくよう頑張りたい。
 前回もお伝えしたが、「さよなら原発1000万人アクション」の署名運動も盛り上がってきている。9月8日には、日本青年館で、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、澤地久枝と私の講演会をおこない、9月19日には「さようなら原発集会」が明治公園で開かる。ぜひ、集会に参加して、脱原発の意思をしめしてほしい。(談)

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