ロシアの横暴

2009年11月29日 (日)

ロシアの横暴/第29回 メディアが取り上げないゴルバチョフの実像(下)

 このインタビュー記事は最後にとてもわかりにくい氏の発言でしめくくってある。「ロシアと欧州の対立を許してはならない。その対立はすべて悪い方向に向かわせる」とある。うがった見方をすれば現在西欧がロシアに対して抱いている何か――人権問題が一番おおきい――を呑み込んで、ことを荒立てるな、というわけだ。たとえば2年近く前、コソボ自治州の独立をEUが認めたことで、ロシアが殺気立ったことがある。このように今のロシアはゴルバチョフのソ連とちがうから、刺激しないほうがいいよ、ともとれる。
 とどのつまり、欧州を安全にしておきたかったらロシアのうろこを逆さになでるようなことはせず、持ち上げておけ、ということだ。
 このインタビュー記事をどう解釈しようとそれは読者の勝手である。だが、アメリカのイラクやアフガン介入などにうんざりしている平和主義者が(平和主義でなくとも)「不介入」の3文字を見ただけで躍り上がってはならないことも暗示している。
 ゴルバチョフは昨年8月のグルジア戦争のとき、グルジアなど徹底的にやっつけろ、と言った張本人だからだ。(川上なつ) 

 ソ連の政権交代は常に前政権の批判で始まる。スターリンが死んでフルシチョフに交代すると「スターリン批判」、そのフルシチョフが失脚すると「フルシチョフ批判」。ブレジネフが死ぬと「停滞批判」でゴルバチョフが登場した。停滞批判のついでに「覇権主義批判」も持ち出して、それを「今後は干渉しない」宣言にして人気とりをしつつ責任逃れをしたことになる。前任者のだれもがみんな「民族自決」と看板に掲げながら東欧を支配してきたが、ゴルバチョフのソ連はちがう、というわけだ。
 聞こえはいいが、ゴルバチョフは「民族自決」を表看板にして冷戦終結後の混乱に巻き込まれた人々を見殺しにしたのである。もっとも欧州は欧州でゴルバチョフを持ち上げ、「民主化」の美名に隠れて西欧圏拡大のために流血を黙認してきた。東欧の民主化は民主化とは程遠い形態をとってなされたことになる。
 実はゴルバチョフ改革にはいいこともあった。グラスノスチという情報公開だ。このおかげでスターリンの粛清で行方不明になっていた人々の情報が明らかになった。シベリア抑留日本軍捕虜の詳細がわかったのもこのころである。だがこうした評価もバルト地方やカフカス地方への軍事介入でチャラになってしまった。

 自国の民族紛争には介入するが、東欧の民族紛争は「自分たちの運命は自分たちで」と何があっても不干渉の立場をとった。そのせいかどうかは知らないが、ルーマニアのチュウシェスク大統領夫妻は暴徒化した民衆に銃殺された。撃ち合いに巻き込まれたのではなく、暴徒による公開処刑だった。ユーゴスラビアはその後長い間「東西熱戦」の戦場になり、多くの血が流されることとなった。
 これを「長い間おこなわれてきたことのプロセスの一部」というのなら、そして「一度も介入しなかったのが誇り」というのならもう何をかいわんやである。東欧からの報復が怖かったのか、西欧での人気を維持したかったのか、はたまた「自分はいつでも正しい主義」なのか、すべてを「前任者のやったこと」で片づけてしまったのだ。

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2009年11月21日 (土)

ロシアの横暴/第28回 メディアが取り上げないゴルバチョフの実像(上)

 ドイツを東西に分断していたベルリンの壁が崩壊して20年になる。さきごろ、ベルリンの壁崩壊、東西冷戦終結に功績があったという、元ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏が日本の新聞に登場した(『東京新聞』11月15日)。
 氏の話の主題は「東欧民主化不介入『われわれの誇り』」である。
 いわく「89年の10月、東独建国40周年式典に参加するために東独を訪問すると街は政府への抗議デモで緊迫していた。その様子を見た段階で、東ドイツの社会が動き始めていること感知していた、しかもそれは突然起こったものではなく、長い間行われてきたプロセスの一部だ」と。

 ひどくまわりくどい言い方だが(氏の演説はわかりにくいことで有名である)、近々東ドイツは崩壊すること、そしてソ連の支配が東欧の国民に嫌われていることを思い知ったわけだ。はたしてその1ヶ月後、ベルリンの壁は崩壊するのだが、そのときはモスクワの自宅で就寝中だった、と別の新聞のインタビュー記事にはある。
 氏は1985年、自身の前任であるチェルネンコ書記長の葬儀に集まった東欧諸国の指導者たちに「今後は自分の責任で自分の運命を決めなさい、私は(ソ連は)干渉しない」と伝えたそうだ。当時の東欧といえばどの国の首都はモスクワ、といわれるほどの同化政策がとられていたから画期的な方向転換である。ソ連国内ではこの「干渉しない」政策に非難が集中したようだが、それでも結局一度も干渉しなかった、それがわれわれの誇りである、と語っている。従来のソ連指導者のように介入(ソ連の場合、介入とは軍事介入のことである)はしなかったのが誇りというわけだ。

 余談だが、一ヶ月前に東ドイツでなみなみならぬうねりを感じ取っていたはずのゴルバチョフが壁崩壊の当日、モスクワの自宅で就寝中だったとは不思議である。事態が緊迫しているとき、それまで東独に深くかかわってきたソ連の指導者らしく毎日毎日東独をウオッチングするべきだろうに、何も知らなかったとは呆れる。これでは不介入ではなく、ただの無関心にすぎない。ほんとうは布団をかぶって震えてたんじゃないの、と半ばお笑いの推測だって出てきそうだ。

 そもそも東欧の民主化とは何なのか。そのころは社会主義体制を否定すれば民主化みたいな風潮があり、世界中が熱に浮かされたように「民主化」「改革」を唱和していた。先の「不介入発言」で東欧諸国はソ連をいくら罵倒してもおとがめなし、というので舞い上がっていたようである。冷戦が終わる、というよりドンパチ撃ち合う熱い戦争になったから冷戦が終わったのだが、例によって「民主化といえば何でもあり」の時代に突入してしまった。
 ゴルバチョフが東欧の民主化にソ連が介入しなかったのならひとまず結構な話であるが、なぜ介入しなかったのか、という疑問が持ち上がる。
 というのもゴルバチョフは東欧の「民主化」には介入しなかったが、ソ連国内の民主化には軍事介入をしたからだ。バルト三国は東欧同様、第二次大戦後にソ連に併合されたいきさつから、東欧民主化の波に乗って真っ先にソ連離脱気運が高まったが、それを武力で押さえつけようとしたのはゴルバチョフである。バルト諸国に対する武力弾圧計画は当時のソ連空軍の将軍だったドゥダーエフ(チェチェン人、初代チェチェン大統領、1996年殺害)の攻撃命令拒否で未然に終わり、流血は免れた。

 アルメニアとアゼルバイジャンの領土紛争であるナゴルノ・カラバフ紛争のときにアルメニアに肩入れして、バクー(アゼルバイジャンの首都)の市街地に戦車を出したのもゴルバチョフである。この紛争の口火を切ったのはアゼルバイジャン側らしい。だがその報復になぜかロシア正規軍がバクーの市街で無差別攻撃をおこない多数の一般市民が犠牲になった。バクーの公立学校のホールにゴルバチョフの頭のシミを「ナゴルノ・カラバフ地方」の地図になぞらえて「ゴルバチョフは悪魔」を表現している小学生の絵が展示してあるのを見た。バレエ「くるみ割り人形」は「ロシアの踊り」を抜いた版で上演されるほどアゼルバイジャンのロシア嫌いは強烈なものになった。(川上なつ) 

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2009年11月 8日 (日)

ロシアの横暴/第27回 ロシア的泥棒物語(下)

 ペレストロイカに始まる経済改革の混乱の上に世界規模の経済危機のあおりをまともに受け、瀕死の状態にあるロシアに「正統派・本物」と名のつくものが存在しているというのは結構いい話に聞こえる。日本でいえば「ねずみ小僧次郎吉」かと思いきや、そこはロシア、きれいごとでは終わらない。たしかに「本物」は「かたぎの衆」には手をださないのが原則らしい。ただし仕事の対象として依頼がなければ、である。

 正統派泥棒の収入源はいわゆる「用心棒」、ロシアではこれも広義で「暗い森の中」でやるべき仕事全般を請け負っている。ソ連解体・経済改革でなんでもかんでも民営化のどさくさに紛れて甘い汁をたっぷり吸った新興財閥といわれる経営者たちが、引き続き暴利をむさぼるには法律に則って会社運営をやっていては間に合わない。敵対企業・競争相手企業を陥れたりたたきつぶしたりすることが必要だ。そこに雇われるのが正統派泥棒たちである。彼らは企業間のいざこざを解決するのに、白昼堂々と市内の目抜き通りで撃ち合うこともする。彼らにとってはそこも本物の仕事場「暗い森」だからだ。

 もちろん対象は企業人ばかりではない。ジャーナリスト、人権活動家など政権に邪魔な人物を消すことも大事な「仕事」である。殺し方が正統であれば、対象が悪人でなくても問題ないらしい。

 この20年近くのロシアの経済改革歴史のなかでいったい何百人が殺されたか、見当もつかない。最近では2006年10月のアンナ・ポリトコフスカヤ殺害がある。一時期「容疑者逮捕」の報道があったようだが真犯人は今もって検挙されていない。正統派大物泥棒は捕まらないのだ。時々は捕まるが、「警察署長のおともだち」だからすぐに釈放される。治安対策と銘打って警察官を大幅に増員しても捕まるのは「素人にでも捕まえられる」コソドロ程度である。

 ここに数年前ロシアを追っ払われたある新興財閥のボスの近況話がある。
 新興財閥は法律を大事にするユダヤ系だから一応起業も「法に沿ったやりかた」でやっていた。あるとき、ひょんなことからプーチンの逆鱗に触れることになり、ヨーロッパのどこかに追放された、というより逃げた。ところがヨーロッパでは先進資本主義とやらで「ロシア的新資本主義」は通用しない。甘い汁もなかなか吸えない。頼みの用心棒、本物の泥棒もみつからず、よほど居心地が悪かったようでプーチンに詫びをいれて帰国しようとしているそうだ。(川上なつ)

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2009年10月31日 (土)

ロシアの横暴/第26回 ロシア的泥棒物語(上)

「ほんものの泥棒」というものがかつての日本にいたようだが、現在のロシアにも存在する。ただし、普通泥棒とは盗みを生業とするが、ロシアではもっと広義に「殺人」なども含んでいる。「盗賊」といったほうがわかりやすいかも知れない。
 最近、「ヤポーネツ(=日本人)」と呼ばれていた大物泥棒がギャング団同士の抗争の果てに死んだ。この大泥棒「日本人」は、自分たちが「法律に沿った泥棒=ほんものの泥棒」であることを強調していたそうだ。
 この大泥棒「日本人」の物語はロシア革命(1917年)後のころに遡る。当時活躍した伝説の大泥棒に「ヤポンチク=(日本人ちゃん)」という者がいた。今回死んだのはその伝説を彷彿させる大泥棒だったというわけだ。

 なぜ「日本人ちゃん」なのかわからない。現在ならば「仕事がきわめて正確」「交通信号に至るまで法律をよく守る国民」とか「サムライ・ブシドウ」となりそうだが、日露戦争直後の対日感情を考え合わせればやや無理がある。「小柄でやることが半端でない」あたりが妥当と思われる。ひょっとしたら「小ずるい」かもしれないが、ロシアで「ケチとズル」のやり玉にあげられるのはドイツ人とユダヤ人だからこの解釈もあたらないだろう。
 ではこの最近死んだ「日本人」は、ロシア泥棒史上最後の大物かといえば、この程度の泥棒を擁するギャング団などいくらもあるというから、驚きである。
大泥棒たちが「法律に沿った」ことを強調して自称するくらいだから、当然「ほかの泥棒とはちがう」ことを意味する。では法に沿わないほかの泥棒とはどんな仕事をしているのだろう?

 文豪プーシキンの代表作に、1700年代の後半、エカテリーナ女帝の統治時代にロシアを震撼させた農民一揆を題材にした『大尉の娘』がある。女帝エカテリーナに忠誠を誓った中流の地方貴族たちが主人公だから、ソ連とは相いれないはずだが、「独裁者エカテリーナ女帝に刃向かった勇敢な農民一揆の首謀者、英雄エメリアン・プガチョフ(ドン・コサック出身の貧農で、やっていたことは盗賊)」の物語として半ばこじつけで学校教科書にもとりあげられていた。ソ連の都市のややはずれた地区のどこかに必ず「プガチョフ通り」というのがあるのはその名残である。ソ連政府としては、プーシキンの素晴らしい作品を「皇帝賛歌」だからとして切り捨てるのは「ソ連(ロシア)の損失になる」ことがわかっていたと思われる。ちなみにプーシキン広場は必ず市の中心部にある。ロシア・ソ連にとってプーシキンは「マルクス・レーニン」並に偉大なのだ。
 話が横道にそれてしまったが、その英雄プガチョフが「皇帝ピョートル三世(妃エカテリーナの腹心に暗殺された)」を僭称して君臨していたときの将軍、盗賊流にいえば子分の二人が口げんかをする場面がある。

 子分Ⅰ「どうもこの客人も吊したほうがよさそうですぜ」
 子分Ⅱ「おめえは二言目には絞めるだの斬るだの、人を殺すことばっかりだな。まったく、血も涙もないやつだ」 
 子分Ⅰ「ほう、そういうおめえはどんな聖人かい?」
 子分Ⅱ「そりゃ俺だって罪深いさ。この手で異教徒の血をたっぷり浴びたからな。だが、俺は暗い森の中でやったよ。おめえみたいに、ペチカにあたりながらやってはいないね。斧の峯ではやったが、女みてえに口先ではやらなかったぞ」

 子分Ⅱが本物の盗賊魂というわけだ。ペチカにあたりながらやる殺人は本物の盗賊のやることではない。
 従って『大尉の娘』から導く「本物の泥棒」論からみればエリツィンが1994年末に始めたチェチェン戦争はまさしくペチカにあたりながらやった「法に沿わない」殺人である。皇帝を僭称した盗賊プガチョフとは逆に、大統領エリツィンが泥棒・盗賊をやっていることになり、泥棒の風上に置けない。本物流なら改革だの民主主義だの議会だの言わず、黙って誰にも知られないように暗い森の中でやるべきなのだ。(川上なつ)

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2009年9月28日 (月)

ロシアの横暴/第25回 ロシアがチェチェンのわがままを許すワケ(下)

 では経済危機に苦しむロシアが、細いスネだけはしっかりかじって言うことは全然聞かない、放蕩息子みたいなチェチェンのわがままを聞き入れるのは何故か?
 自らの失策で踏んだり蹴ったりのように見えるロシアにも実は大いに実入りがある。
 ロシアのチェチェン侵略の直接の言いがかりは「独立阻止」だった。ならず者チェチェンを独立させるわけにはいかない、と。挑発を繰り返し、チェチェン全体を無法地帯に仕立て上げ、侵略戦争の大義名分とした。
 長い戦争の結果、チェチェンは本物の無法地帯となった。かつてカディロフ親衛隊として怖れられた私兵軍団が現在はチェチェン正規軍として堂々とチェチェン領内を闊歩している。独立派のレッテルが貼られれば、情け容赦のない弾圧が襲う。すると反カディロフ勢力があちこちで暴動をおこしたり、自爆テロに走ったりする。ちなみに最近のチェチェン報道はテロばっかりである。
(いろいろな派閥が複雑に絡んでいるので反カディロフ勢力、すなわち武装勢力とひとくくりにはできない)
 このようにチェチェン人同士が殺し合ってくれたほうがロシアはチェチェン侵略を正当化できる。「チェチェン戦線異状なし」にしておいたのをこれからは「チェチェン戦線異状あり」にできる。いくらかの維持費用――それはロシアにとって決して軽い額ではないが、年金とか公務員の給与さえ払っておけば、あとはチェチェン人同士で殺し合いをしてロシアが掲げた侵略の大義名分が正しかったことを証明してくれる。その上ならず者に地方交付税交付金まで払ってあげる寛容なロシア、というプラスポイントまでついてくる。ロシアにとって「横暴な大国」の汚名を返上できるのは何ものにも代えがたい宝物なのである。駐留費用がないから撤退かと思えば、ほんとうはチェチェン人同士の争い温存が目的だったりする。

 それにひきかえチェチェン側の思惑は不気味だ。
人々の往来を自由にし、チェチェンを活性化する国際空港計画は国外に逃れた反カディロフ派を探し出す計画を含んでいた。武装勢力が暴れたので国際空港計画はとん挫したが、今回の代表部開設計画はチェチェン国内の不安定さに関係なく実現可能である。
 国外に逃れたチェチェン人の多くはロシアの弾圧を怖れて領事館に出頭せずこっそりと暮らしてきた。彼らはチェチェン政府代表部が開設されても出頭はして来ないだろう。しかし「けものみち」がある。何気なく「ふるさと談義」で代表部にやってくる一部のチェチェン人、密偵ではなく悪気もない、ごく普通のチェチェン人を経由して芋蔓式に隠れチェチェン人が発見できるようになる。隠れチェチェン人はほぼ全員反カディロフである。
 穏やかなロシア南部とカフカス周辺地域は目に見えない緊張が高まっている。独立への一歩と見える政策が、さらなる争乱を呼ぶほどチェンチェン国内は難しい情勢にある。(川上なつ)

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2009年9月22日 (火)

ロシアの横暴/第24回 ロシアがチェチェンのわがままを許すワケ(上)

 2014年冬季オリンピック開催地のソチで夏休みを過ごしてきた人の話を聞いた。それによると、となりに火薬庫といわれるカフカスがあるのにテロの影は全く見えず、経済危機などみじんも感じられず、ゆったりと休暇を過ごしたそうだ。
この手のみやげ話は外国からの観光客によくある。彼らは観光コースに従って表だけしか見られないから当然のことだ。だがこの人は現在日本に暮らしている黒海沿岸地方出身のロシア人女性である。ロシア政府のプロパガンダ要員ではないから多少の誇張はあるとしてもウソではないだろう。
 実はロシアはソ連時代から素顔が見えにくい国である。いいところだけを見せたがる「ソ連式プロパガンダ」のせいだけではない。ロシア人の思考回路を表現するのに「ロシア人はあることを考え、それについて語るときには別のことを言い、さらに実際の行動はまた別」というのがある。どれが本音なのかわからないが、ロシア人同士だと不思議と分かり合えるようだ。

 さてソチをはじめとするロシア各地が潤っているかどうかの前置きは別として、インターネットニュースではまた別のうわさ話が流れてきた。
「カディロフ・チェチェン大統領がヨーロッパのいくつかの国に、チェチェン政府代表部を開設する意向」
 ロシアとチェチェン対立の歴史からみれば度肝を抜くような話である。
 政府代表部というのは国家規模でいえば領事館のようなもので、国外で暮らす自国民の保護や便宜をはかることを主な仕事とする。チェチェン政府代表部が開設されればチェチェン人の出入国関連業務がここで行われるので独立国家とほぼ同等の扱いになる。
 奇想天外なことを言うのはカディロフのいつもの癖としても、独立宣言も同然の新提案をロシア政府が容認するはずがない。
 しかしロシア側はこのまさかの話を認める方向だという。
 この類の噂話といえば今年4月、ロシア軍撤退に伴ってひょっこり現れた国際空港開港がある。この計画案はすぐに消滅したから今回の代表部開設話も同じ道をたどるかも知れないが、火のないところに煙は立たない。何かありそうだ。

 そこで煙の源である「国際空港開港」にさかのぼってみよう。
ロシア軍撤退の理由は「武装勢力はほぼ撲滅したのでロシア軍の駐留は必要がなくなった」となっていた。これはロシア側・チェチェン側双方の一致した見解で、特にカディロフ大統領は「武装勢力は山岳部に70人ほどを残すだけだから4月いっぱいには全部片づける、片づけたのちには国際空港を開き、諸外国との交易を進め、若者に仕事と夢を与える、と意気込んでいた。
 ところが両隣のイングーシ・ダゲスタンで撲滅したはずの武装勢力が大暴れをし始めた。そんな物騒なところに就航するエアラインなどなく国際空港話は立ち消えになった。
消えた煙のなかから今度は「チェチェン政府代表部開設話」が立ちのぼってきた。ロシアはチェチェンに手を焼き、振り回され、消耗しきってもはや統治できないところまできていることを伺わせる。
 戦争が始まって15年、ロシアがどうやってもチェチェンの独立を認めたくないのは石油資源もさることながら、もし独立を認めればそのほかの共和国も片っ端から独立してかつてのソ連崩壊のようにロシアは分解してしまうからだ。ここで独立同然の「政府代表部開設」を認めれば他の共和国も雪崩を打って「代表部開設」を言い出すのは目に見えているのに容認するのは何故だろうか。

 チェチェン政府には他の共和国にない「強み」がある。それは戦争で国外に逃れた膨大な数の避難民である。正確な数は不明だがヨーロッパだけでも20万人はくだらないと思われる。彼ら避難民は故国となんらかのコンタクトを取りたければ、「いやなロシア大使館」の窓口に出頭しなければならない。ロシアからの弾圧を怖れて偽装パスポートを使って移住してきた者は当然出頭しない。チェチェン避難民は野放し状態になっている。
(偽装パスポートについて補足すると、実際には正式のパスポートである。おかしな言い回しだが、パスポート発給窓口が「別料金」で発給を請け負ったものである。正式な窓口で発給されたものだから偽装パスポートとは言えない)
 この「強み」は他の共和国の追随を許さない。チェチェン以外の自治共和国――たとえばタタールスタン、バシキールスタンなどからの避難民はいないからだ。「戦争で離散し、ロシア領事館に出頭できずにいるチェチェン人の保護」がこの提案のウリである。このことだけでも他の共和国からの代表部開設要求は却下できる。
 だがチェチェン側の提案は奇妙なことに「チェチェンはロシアに留まったまま、ヨーロッパに代表部を開設する」となっている。これでは独立志願の他の共和国は追随できまい。ここでチェチェンの「強み」をさらに上乗せするのは隣接する「ロシアが独立させたロシア丸抱え独立国家」の南オセチア、アプハジアの存在である。ロシアはチェチェン共和国に対し、「代表部を出すならもう独立と同じだから年金も公務員給与も自分でやれ」とは言えなくなる。ロシアはいままでどおりロシアの年金法にしたがって年金を払い、公務員の給料を払い続けなければならない。(川上なつ)

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2009年9月11日 (金)

ロシアの横暴/第23回 ロシア水力発電所爆発のウラ側(下)

 3番目のイスラム系の団体が起こしたテロ説はほとんど無意味である。プーチンは犯行声明が出ていても、以前のようにすんなり認めることが出来ない立場にある。「チェチェンテロリストは撲滅した」からだ。撲滅したチェチェンテロリストがチェチェンから遠く離れた東シベリアで水力発電所を爆破させた、となったらいい恥さらしだ。「テロリストは撲滅したからソチでオリンピックを開こう」と言ったのはなんだったのか、と国際的にも非難をあびることになる。

 これらの仮説のなかで一番まるく収まりそうなのが「補償金目当ての偽造爆破事故」である。どのみち真偽のほどは検証不可能だから、さっさと見舞金を払ってふたを閉めればあとはどうにかなるからだ。と言ってもこんな「ウソー」みたいな話が公式発表になることはない。現在の公式発表は「人為的なものではないが、何かわからない」である。

 ところで犯行声明はプーチンが「否定」したほか、別の角度からみてもたぶん違う、といえる。2006年にロシアから最大のテロリストと指名手配されていたシャミーリ・バサエフという野戦司令官が自らの不注意で起こした爆発事故で死んだ。彼はやることなすことあぶなっかしい跳ね上がりだったので、起こるべくして起こった事故だった。しばらくするとロシア政府が「我が内務省軍は極悪テロリストを殺害した」、と発表した。この発表は公式なので日本外務省のホームページに「チェチェン情勢」として載っている。
 カフカスセンターもこのやり方を踏襲している。彼らの思考回路はお互いによく似ている。常々からテロ予告をやっているが、このたび恰好の事故が起きたから「犯行声明」を出したのだろう。
  そうこうするうちに今度は石油貯蔵タンクで火災が発生した。原因は落雷とあったが、仮にそれがほんとなら、老朽化した設備をほったらかしにしていたことが丸見えである。雷はなにも今年はじめて発生したわけでもないからだ。ただ、今回は人的被害が少なかったので、いろいろ詮索されることもなく、落雷で落ち着いたようだ。
 そのうちにちょっとした事故なら報道されなくなるかも知れない。中央アジアの草原でも似たような事故が起きたらしいが、今のところ日本の新聞には載っていない。

 あっちでもこっちでも火の手があがるのをロシアはどうやって乗り切るのか。もぐら叩きレベルも超えてしまった。
 ある日の新聞に「ロシアでは原油高に甘んじて何もしてこなかったことへの反省がちらほら出てきている」とあった。だが米国初の経済危機が永久に続くことはなく、どんな形であれ回復していくはずだから、その時になれば地下資源の需要も高まってくる、とにかく今ここを乗り切ればまた黄金時代がくる、と相変わらずのユスリ・タカリ精神を全開させているむきも相当あるらしい。
 一方ロシアの有識者は、今更反省したって手遅れだとい出した。反省心に水を差すつもりはないとしても、事実は事実である。(川上なつ)

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2009年8月29日 (土)

ロシアの横暴/第22回 ロシア水力発電所爆発のウラ側(上)

 近ごろロシア発のニュース、それもいわゆる三面記事が多くなっている。
 水力発電所の大事故。ウラル地方のどこかで石油貯蔵タンクで火災が発生。カフカスからは来る日も来る日もテロ、それも自爆テロのニュース。グルジアが正式にCIS(独立国家共同体・旧ソ連構成国の一部で構成)を脱退。
 去年夏のグルジア戦争直後に独立を宣言し、直ちにロシアが承認したアブハジアと南オセチヤをEU加盟国はどこも認めようとしない。西の方ばかり見ていても仕方がないから東方のモンゴルや北朝鮮など近隣のアジアに秋波を送ることも始めた。
 セルビアからコソボが独立したときにEU諸国はすぐに承認したのに、アプハジアと南オセチアを承認しないのはけしからん、とののしったり、エネルギー供給パイプラインを前倒しで開通させるなど、あてこすりをしたりしている。
 このようにロシア全体は危険水域にあるから、ソチ・オリンピックどころではないのでは、と思いたくなる。皮肉なことにイギリスかフランスかがソチは雪が少なく、近くに火薬庫のカフカスがあるから、シベリア地方に会場を変更したらどうか、などと言い出した矢先にそのシベリアで大事故である。

 さて、この水力発電所の事故は不思議な事故だった。
 最初の報道は死者数人だったのがいつの間にか60人を越えた。60人発表の前には「あとかたもなく60人前後が行方不明」という報道も流れた。政府発表と前後して過激なことで有名なインターネットサイト「カフカスセンター」を通して犯行声明が流れた。どれもこれもいい加減な情報でほんとうのことはわからない。そのうちに消えてしまった60人の一部と思われる「肉片」が見つかり、神隠しに遭ったのではなく木っ端みじんになったことがわかった。プーチン首相は現場に駆けつけたが、原因はわからないという。水力発電会社は「原因は不明だが人為的なものではない」とあんまり説得力のない見解を出している。

 現時点で取りざたされている原因は3つ。
1.例によってメンテナンス不備による事故。
2.内部のものが補償金目当てにわざと起こした事故。
3.カフカスセンターの犯行声明どおり、イスラム関連のテロ。
 ほかにプーチンのパーフォーマンス用自作自演説もなきにしもあらずだが(事故後割と早くに駆けつけたから)、チェチェン戦争進行中ならいざ知らず、今ごろ自作自演の事故を起こしても得るものは何もないから、この仮説は成り立ちにくい。

 さて、現場に駆けつけた首相は「何もわからない」と言い、遺族には十分な補償をすることを約束して帰った。挙がっている3つの原因のどれをとってもプーチン・ロシアの恥になることばかりだから今は「黙」の一字しかないようだ。
 ロシアはこの10年、原油高に浮かれて生産活動を軽んじた。どんなに立派な発電所でも老朽化はさけられない。常々のメンテナンスをしっかりやることが不可欠である。でも何もやってこなかった政府の無策があぶり出されるからとても「そうだ」とは言えない。だがプーチンがいくら「わからない」と言っても原因はこれ、と確定したようなものだ。
 次に内部説だが、これは素っ頓狂な発想とはいえ、結構真実味がある。ロシアの事故に対する補償金や見舞金の支払い方には決まりがないが、基本的にはそんなに高額ではない。明らかにチェチェンがらみのテロのときにはびっくりするほどの補償をする。しかしすべてのチェチェンがらみ事件にではないのが異様である。例えば第一次チェチェン戦争のとき、ロシア南部のブジョーノフスクで病院占拠事件が起きた。チェチェンからのロシア軍撤退要求を突きつけた事件の犯人はシャミーリ・バサーエフだった。このときの被災者には至れり尽くせりの補償をし、事件に巻き込まれた子どもらにヨーロッパへのバス旅行までプレゼントした。元祖ロシア流バラマキである。そのあとでチェチェンのとなりダゲスタンで起こったチェチェン人による暴動を鎮圧する際、被害をうけた住民には家一軒を買えるほどの見舞金と車をプレゼントした。ところが2003年のモスクワ劇場占拠事件や2004年の北オセチア学校占拠事件など、犯人は独立は武装勢力だ、と騒いだだけで巻き添えになった人々には大した補償はしなかった。なぜならばロシア政府が企画したテロだからさ、と穿った見方も出てきて当然である。
 さて、手厚い見舞金をもらった被災者は日本流にいえば焼け太りになった。その災難に羨望のまなざしを向けたかった国民は多い。だから、この説もかなり有力である。あんまりにも素っ頓狂なのでギャグと言われそうだが、プーチンが示した政府補償額は100万ルーブル(約300万円)に目が点になった遺族は、会社に対しても補償金を要求し始めた(それは当然のことだが)。500万ルーブル(1500万円)が妥当だと言っている。300万円はロシアの労働者からみれば天文学的数字だが、わかりきった原因を「わからない」と逃げざるを得ない政府の弱みにつけこんで天井知らずの金額を要求しているのだ。(川上なつ)

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2009年8月 1日 (土)

ロシアの横暴/第21回 賄賂で買った!?ソチ・オリンピックにテロの危険(下)

 ロシアが天然ガスや石油の地下資源「エネルギー」をちらつかせて諸外国のチェチェン戦争への干渉を締め出したのは疑う余地のない事実である。別の言い方をすれば、世界はエネルギー欲しさにチェチェンで行われている人権侵害を黙認したわけだ。
 人権を重要視しているはずのIOCもチェチェンの人権侵害を黙認したから、そこに「何か」があることは確かである。
 ロシアはオリンピック開催地立候補にあたって膨大な建設予算を提示したと言われている。近年、IOCは人権問題重視とともに「ハデ大会」をいましめる傾向にあるらしいが、ロシアはここでも逆行している。
 撲滅したはずの社会主義・共産主義の亡霊の出現である。亡霊でなく本物だと指摘するむきもあるように国内が不安定な時こそ派手なことをやって、国民をだますソ連的手法だ。だますのにIOCも一役買ったというわけだ。

 思えば1980年、停滞のさなかにあるソ連がなぜかオリンピック開催国に選ばれた。当時は後進国の経済活性化というIOCのサブタイトルがあったので、おそらくこちらのポイントであろう、インフラ整備とかスタジアム建設に国民を総動員して獲得した大会である。
 やや、主題からそれるが、その国民総動員オリンピックも「ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する」という米国に同調した西側諸国の参加ボイコットというパンチを喰らった。平和の祭典に政治を持ち込んだというので、その4年後のオリンピックはソ連を中心とした東側諸国が報復ボイコットをするというおまけまでついた。幸運にも?開催地は米国ロサンジェルスだったのである。(その後の歴史の展開をみればどちらもただの言いがかりにすぎない。)
 そのあと東西冷戦はゴルバチョフのペレストロイカとやらで一旦停戦となるのだが、その停戦後初のオリンピックがソチというわけだ。大会のスリム化がポイントになっているというのにロシアは巨額のリゾート開発をぶちあげて開催を獲得した。IOCは方針とちがう決定を下したことになるが、おそらく今回に限りロシアは経済活性化が必要な後進国、という流れになったものと思われる。大風呂敷を広げても中身は後進国、と本質を見抜いているとしても、より早くより高い賄賂が決め手になったことを伺わせる場面だ。

 さて、「より早く、より高く」各ポイントを乗り越えたロシアだが、開催決定の一年後、2008年8月にはソチのおとなり、グルジアで戦争が始まった。平和が戻ってきたはずのチェチェンでは引き続きテロ・暗殺の嵐が吹き荒れている。そこに米国発の経済危機が襲った。立ちこめる暗雲を武力で吹き飛ばそうと「カフカス2009」と名付けた大規模な軍事演習をおこなったりしている。ロシアにはカネも戦車もたっぷりあるよ、オリンピックを妨害する者はネズミの子一匹だって殲滅するぞ、と言いたげだ。
 演習以外にも至るところで経済パーフォマンスを見せているが、ロシアの経済事情が深刻なのはもはや隠しようのないところにきている。キルギスタンには米国のアフガン攻撃用基地使用料の倍額にあたる資金提供を申し出て味方につけたはずだったのに簡単に寝返られた。約束したら直ちに現ナマを動かさなければ負けである。資金繰りをしている最中、アフガン攻撃を強める米国がキルギスの要塞を確保するのに「より早くより高い」使用料を払ったからだ。
 もともと原油高に乗っただけの脆弱な経済基盤である。無能な社長はクビ、国産車を保護しない知事は更迭、と大統領令を乱発しても解決にはならない。オリンピックも建設予算の大幅削減を余儀なくされ、黒海沿岸の保養地開発をあてこんだ観光資本も撤退してしまった。

 1980年のようなボイコットが起きる可能性はなくとも、またIOCの方針通りにスリム化(予算縮小)しても、となりに火薬庫があることには変わりがない。流れ弾が飛んで来そうなオリンピックスタジアムに観戦に行こうという人は少ないだろう。自国の選手に流れ弾を当てるわけにはいかない、と参加を自粛する国が出てくるかも知れない。その上カフカスの反ロシア勢力がオリンピックに照準を合わせて「支度」をしていることも周知の事実である。
 参加自粛、あるいは観衆のいない大会といった簡単な問題ではなく、オリンピックそのものの開催が中止になるかもしれない。だからこそカフカスの反政府テロ集団はどんな手をつかってでも押さえ込むべく派手な軍事演習をおこない、「ソチの安全のためにこんなに頑張っている」ことをアピールしているのだ。
 しかしいくらアピールしたところでこの軍事演習がプラスポイントになる可能性は薄い。逆にロシアの不安定さを浮き彫りにして不安をあおることになってしまっている。

  あるチェチェン人がソチの近くに土地を買った。この地方はチェチェン嫌いで有名で、住み心地はあんまり良くないがオリンピックが来るので土地が値上がりする、という計算があった。ある程度値上がりしたら転売してひと儲けしようと思っていた。ところが値上がりしないばかりか最近は値下がりしているそうだ。この人はこうなったら何でもいいから早く売り飛ばしてチェチェンに帰りたいと言っている。(川上なつ)

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2009年7月31日 (金)

ロシアの横暴/第20回 賄賂で買った!?ソチ・オリンピックにテロの危険(上)

 より速く、より高くはスポーツの祭典オリンピックのキャッチであるが、これをもじった「より早く、より高く」というキャッチがある。どこの国が他よりも高い金額をより早く届けたかでオリンピック開催都市を決めるというIOCの体質を揶揄したものだ。

 2014年のオリンピック開催地がソチと決まったとき、少なからぬ人が驚いたはずだ。冬季オリンピックというよりは海辺のパラソルが似合いそうな温暖な土地という印象のほか、目と鼻の先にロシアの火薬庫といわれる「カフカス地方」があり、そこに世界中の人が集まるとなれば、テロの標的になることは目に見えているのにソチが選ばれたからだ。
 ソチは保養地としてソ連時代から有名な土地ではある。だからといっていわゆる「平和の祭典」オリンピックを開催する条件はほとんど整っていない。ある情報によると開催地決定総会に乗り込んでアピールする立候補国の大統領のなかで、いちばんウケがよかったのはロシアのプーチン大統領だったそうだ。2007年当時といえば原油高の波にのって金持ちロシアの印象を世界中に振りまいていたころである。

 各国の人権団体は「チェチェンなどで重大な人権侵害を行っているロシアでオリンピックが開催されないよう」呼びかける運動を起こした。世界人権宣言以来、その国の国民の人権が守られているかどうかもオリンピック開催地選定の重要ポイントになった。重要ポイントといいながら実際にはかなり曖昧な、つかみどころのないポイントである。
 2008年の中国北京大会が決まった時からこのポイントは宿題ポイントとなった。つまり「貴地で開催しますから、人権侵害については改善をしてくださいね」というものだ。ダメ母親が手のつけられない不良息子に「これでおしまいよ」とか、「あしたからちゃんとやるのよ」と言いながら小遣いをやるのと同じく、何の拘束力もないドロボーに追い銭宿題である。チベットやウィグルのその後を見るまでもなくわかりきったことだから、北京大会開催の前にソチ大会を決めておいたのだろう、と言いたくなる。その重要ポイントもロシアに限っては言及すらされないまま決定された。もうなにをか言わんや、である。

 それでもソチが開催地に決まることはないだろうとおおかたの人は思っていた。開催が決まったとき、ロシアの実状を知らない人々ならば「なるほど、ロシアはオリンピックが開催できるほど安定しているのか」と思い、知っている人々、およびロシア国民は「ほう、で、賄賂はいくら?」と思ったことだろう。
 ロシアは「賄賂がなければ何も動かない国」である。だからほとんどの国民がオリンピックは「買うもの」と認めているし、それが不正なこととも思っていない。ただ金額については知りたがる。そんなものがわかるはずもないからてんでに思いを巡らせ、なみなみならぬ額を「決定」したうえで「俺たちはこんなに苦しいのにオリンピックかよ」と思う少数グループと、「俺たちは苦しいけどオリンピックを開けるロシアは偉大だ」と思う大多数グループに分かれるのがロシアである。(川上なつ)

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