原発の町、双葉町の国道6号線は完全に外界から隔絶されていた。音が無い。
道路沿いのパチンコ屋が傾いている。経営が、ではない。閉店してからずいぶん経つのだろう。人の手が入らなくなり久しいその建物は、海風を受け赤茶け、その上地震で揺さぶられたおかげで15度は傾むいている。自動販売機も倒れている。周りを見ると、同じように傾いている建物がいくつもある。歩を進めるたびに私の影はへこみ、ゆがみ、ちぎれた。道路をひしゃげてしまっているからだ。アスファルトには穴があき、ガードレールはちぎれ、橋は落ちていた。私の心にも穴。地震が起きた3月11日のまま時が止まっている。こんな前衛芸術があったような気もする。ヒッチコックの映画の一シーンの様でもある。世界は滅び、私一人が生きのびた。陳腐だが苦労した舞台設定。でも聴衆は一人もいない。わたしと同僚の他には誰一人としていない。そう話すと同僚は少し笑ったが、苦笑いにしかならなかった。
窓が空きっぱなしになった2階建てのアパートがあった。覗いてみると子供向けのキャラクターの刺繍の入ったハンカチとパジャマが干してある。だれかいませんかああ、と叫んでみる。澄み切った青空の中に声が吸い込まれてきて、返ってきたのは犬の遠吠えだった。犬の声を頼りに歩いて行くと、黒い大きな犬が犬小屋の前で鎖に繋がれたままの状態で置き去りにされていた。小屋の周りには大量の糞が散乱し、犬はそれを踏まないように身を縮め、わたしに向かって吠えている。テリトリーに侵入者があらわれたので、家を守ろうとしているのだろうか。それとも、飼い主に自分が生きていることを伝えてほしいのだろうか。
前日、原発20キロ圏内に行くとアフガニスタンの友人に話すと、彼は私を必死に電話口で引き止めた。彼の理解の中では原発と原子力爆弾がイコールであり、福島全域が明日にも吹き飛ぶと考えていた。実際のところ、少し前まで私だってそれくらいの理解しか持ち合わせていなかった。アフガニスタン人に安全を心配される日が来るとは夢にも思わなかった。今回の津波の受けて、カブールの街中では募金活動まで行われたのだ。私はアフガニスタンを心配する側から、心配される側になってしまった。
「原発20キロ圏内」
それは距離の単位というよりも、その地域を意味する固有名詞のようだ。それは東京タワーから20キロなのでもなければ、平等院鳳凰堂から20キロでもない。20キロと言えば福島第一原発から、と誰もがそう考える。日本がそうなってしまったのだ。
双葉町の駅から続くアーケードの終点には巨大なアーチがあり、こんなスローガンが書かれていた。
「原子力正しい理解で豊かな暮らし」
今となっては皮肉にしか見えない。何が原子力に対する「正しい理解」なのかは私には分からない。分かるのはそれが冗談にしろ本気にしろかなり出来の悪い皮肉だということだけだ。
アーチの下では犬の夫婦があてども無くうろうろとしていた。二匹とも痩せているようには見えない。近くには山盛りに盛られたドッグフードと、舐めるとペットボトルから水が滴る仕組みのペット用の水飲み機が置かれていた。きっと飼い主がたまに補充に来ているのだろう。30キロ圏内は後に完全立ち入り禁止区域に指定されるが、私が入った時はまだ警察は立ち入りを拒否できなかった。愛するペットには放射能入りの水を飲ませたくないのだろう。
原発から数キロしか離れていないこの場所では毎時15マイクロ・シーベルトの数値を持参したガイガーカウンターが示していた。決して低い数字ではない。双葉町でも風向きによって局所的な爆撃みたいに、場所によっては50マイクロ・シーベルトに達し、低いところでは5マイクロ・シーベルトまで落ちた。目には見えない、臭いもない放射能が町を気まぐれに爆撃している。爆撃ならまだ戦闘機の音や炎で自分がどれくらい危ないかが分かる。放射能はそうではない。私も体を揺さぶるような危険は何も感じない。アフガニスタンの戦場とここ。どちらが危険だろうか。空には呆れるくらい青い空が広がり、海から心地良い潮風が吹いている。しかし、私は自らの肉体を破壊しかねない物質が舞う空間に立っている。
ここに犬たちを置いていかざるをえなかった飼い主は、けれど戻ってきている。私も一度だけここの住人とすれ違った。見えない爆撃をかいくぐろうと、正確には「かいくぐれてればという希望を持って」、住民は双葉町に入ってきている。犬に放射能に汚染されていない水を与えるために。川の水は危ない。だから、このペットボトルの水を飲みなさい。これなら汚染されていない。放射性物質は入っていない。
車を街中から原発正門に向けた。ガイガーカウンターの数値は目的地に近づくにつれ上がっていき、正門前に到着すると70マイクロ・シーベルトに達した。ガイガーカウンターは初期設定で10マイクロ・シーベルトに達すると最も危険度が高いアラームが鳴るようになっていたが、うるさいので途中で50に変更した。それでもここでは上限を振りきれてしまっている。ピーピーピーと電子音がけたたましく鳴っている。
正門の職員からはすぐに退去を要求され、顔写真撮られた。ここを訪れているのは私たちだけじゃないのだろう、メディアにピリピリしているのが分かる。同僚は「報道の自由があります」と少しやりあっていたが、私も同僚もさっさとこんなろくでもない場所からは退去したかった。
「放射能を浴びてますよおおお。危険ですよおおおお」
「それはあなたも同じでしょう」
黄色い防護服を着た守衛の一人は一日20時間もここに立っていると話した。原発事故が起きてから週の半分はここに立っていると言う。途中で警察を呼ぶぞ、と別のセキュリティが怒鳴ってきたのであまり話は聞けなかったが、こんな所で働くというのはどういう気持ちなのだろうか。ご苦労様です、と頭を下げたい気分だった。
福島第一原子力発電所の周辺では、危機感を煽ってくれない風景と、極めて高い放射能が支配するアンバランスな空間が広がっていた。たぶん世界中探してもこんな場所は無い。頭では危険だと分かっているが、本能的な部分では体が危機感を感じてくれない。全てが私の理解の範疇を超えていた。
原発事故が起こると予想していた側も、安全だと信じていた側も、単純に関心が無かった人たちも、この事故で誰もが理解を超える空間に放り込まれてしまったのだ。
私が原発周辺にいた5時間、平均して50マイクロ・シーベルトとして、浴びた量は250マイクロ・シーベルト。一時期テレビに毎日のように映っていた「放射能の人体への影響グラフ」に照らし合わせれば何の問題もない。福島の多くの農作物も人体には影響が無いことになる。安心するために政府の「大丈夫」を信じるか。それとも、いかなるリスクも許容しないと政府の発表を無意味と断じるか。私には判断がつかない。前者の側に立てば楽観論者と言われ、後者になれば「非科学的」と烙印を押される。原子力発電を続けるかどうかという議論はこれから否応なしに高まるだろう。しかし、原発のように、公共性が高いにも拘わらず、事業者や専門家と一般人との知識量の差が大きい問題は、反対の声が、「非現実的」、「無知」と一蹴されてしまい がちだ。それでも、嫌なことは嫌だと、感じたことを主張すべきだ。
私はこんなものは嫌だ。
そうひとりごちた。(白川徹)
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