サイテイ車掌のJR日記

2012年9月 5日 (水)

元サイテイ車掌の田舎日記/ジャズが街にやって来る

 日野皓正が酒田にやって来る。
 昨今のジャズシーンにはとんと疎いおれだが、サックスの渡辺貞夫と並び日本を代表する国際的なトランペッターだと思う。地元庄内出身のドラマー磯見博のトリオとの共演だという。そればかりか、ニューヨーク在住の超一流ギタリスト増尾好秋がこのライブのためだけに駆けつけるというのだから、ジャズファンにはたまらない。酒田に限らず、仙台や岩手県、そして東京からもファンが続々とやって来るのだろうか。
 日野皓正といえば、おれにとって忘れられない思い出がある。これまでに日野皓正を観たのはたったの一回切りだが、それが高一の時だった。とにかく日本がひっくり返るような凄まじい音を出すという噂を耳にし、ジャズには全く興味がなかったのに一度観ておかなければ気が済まなくなり、その頃は新幹線などなくて、鈍行で3時間はかかる山形まで、学校が終わってから観に行ったのだった。
 ライブは広い山形市民会館の後ろの方の席で、曲もさっぱり分からず、衝撃や感動どころか何がなんだか分からないままに、時間と共に終了した。それこそ、ただそこに行っただけだった。
 そんなことより、翌日は日曜日だったが、俺には重要な用があったのだ。その頃のおれは新聞配達のアルバイトをしていたのでした。こんな事情があるのに、いくら若気の至りとはいえ非常識で許されることではないが、泊めてもらった親戚に起こしてもらい、とにかく、初電で酒田に戻った。が、着いたのは8時を回っていたと思う。仕方がなく、配達は9時頃になった。
 たしか、60~70軒ほどの配達だったが、幸いにも? 怒られたのは当時社会党の代議士だったS・A宅だけで、変な時間に配ったせいか外に出ていた一軒の家から声をかけられ新規講読の依頼を受けたのだった。所長の大目玉を覚悟しつつ販売所に戻ると何もいわれず、逆にその新規のお客さんのことで褒められてしまったのだった。早朝から電話での問い合わせやお叱りやらで大変だったろうに。
 ちなみに、バイトをしていた理由は、好きなビートルズなどのレコードを買うためだった。ま、そんなバカげたことがあったというわけだ。
 酒田のコミュニティ新聞によれば、「(ミュージシャンは)みんな自己主張が強く、絶対に無難な演奏では終わらない。前代未聞のライブになることだけは間違いない」と。また、プロデューサーは「新しいスタイルとして見せるジャズを提案する」とも。
 これだと、とりようによっては、演奏は全く意気が合わず、自分勝手でメチャクチャになりそうだと受けとれる。こんなんじゃ、聴きに行く人がいなくなってしまいそうだが……。
 先日、畑を貸してもらっているおじさん(80才近い)の家に行ったら、何とこのライブのチケットが置いてあるではないか。聞けば、「日野ナントカは名前しか知らないが、公演などで酒田に来る人は殆ど見に行っている」と自慢していた。ん!? 何だか訳が分からないが……。でも、いいな~。おれも行きてぇ。(斎藤典雄)

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2012年5月24日 (木)

元サイテイ車掌の田舎日記/現役車掌とのひととき

○月×日
 んだ。
 とにかく来た。とっても楽しかった。
 チャリ部隊5人には無情の雨となってしまったけど。1日目は村上でチャリを組み立てて走行は雨の中。濡れ鼠で一泊したところが新潟との県境の鼠ヶ関(山形県)。こうなりゃもう「チュウ」のお湯割りしかない。
 翌日起きるとまたも雨。結構な降りだったという。隊長は起きぬけのウィスキーを半ば自棄クソ気味で呷ったそうだ。もうこれで酒田までの残り60キロを走る気は失せ、しょうがない、雨の日はしょうがない~と口ずさむと、「わが社の車(電車のこと)で行きましょう」とあっさり決まったらしい。
 それでも初参加の若い後輩2人は「僕らは走ります」という正しい選択をして別行動。いつものロートル3人はチャリを畳み、結局電車でやって来た。
 家から程近い、老舗割烹「伊豆菊」で再会を祝し、昼前からの大宴会となった。ほんとに隅から隅まで酒田を飲んで酒田を食べてくれた。海山の旬のものを旨いの連発で大喜びだった。思い出話には大笑いの花が咲いた。
 後輩らは午後2時頃に無事元気に到着して場所を我が家へと移動。家ではボブ・ディランや高田渡のCDやレコードを引っ張り出しては好きなだけ聴き、後輩は拙著を読んだりしていたようだが、おれはもう殆ど沈没状態。
 気を遣ったのだろうね。結局は泊まらずに秋の再会を約束して、酒田18時発の最終の特急「いなほ」で帰って行った。おれはこの時、入場券を買ったのだが、10円はいつ上がったのか140円になっていた。
 23時半頃に東京の自宅に着いたとそれぞれメールが入っていた。「秋の漁の手伝い、おれにもさせて下さい」「ノリさんの楽しそうな顔を見られてよかった」「癒しののりちゃんありがとう、秋にまた」と。
 しかし、なんだな。乗務員の勤務が不規則なのは仕方がないにしても、長時間連続乗務にはみんなよく耐えている。
 つい最近、中央線折り返しの東京駅ホームの車掌詰所(電話、机、椅子が各1つ。長くても数分しかいない小さな休憩所)がクソまみれになっていたのだという。トイレが間に合わなかったのだ。証拠の隠滅!? 掃除ぐらいしろってか。それは無理。だって、すぐに折り返しの発車時間なのだから。なんて気の毒なことだろう。ほんとに笑い事では済まない。こんなことは首都圏のJRではよくあることで、ただ表に出ないだけなのだ。
 昔は乗務員室でクソをしてこそ一人前などといわれていた。人間の尊厳もあったもんじゃないが、今では若い女性車掌も多い。男の世界だった国鉄の職場はJRになりすっかり様変わりした。
 おれは乗務員は若いうちに降りて事務や駅員になった方が良いといつも思っていた。実際、事務係などの試験も受けた。が、受からず、また希望も聞いてもらえなかった。同僚たちの答えは決まって「今更」だ。何十年と乗務をして「今更」新しいことなど覚えたくないのだという。それもよく分かる。でも、身体が大事だろう。
 使い捨てが当たり前の世の中だ。まるで機械のように人間が扱われている。止どまることのないコンピュータ時代。おれたちにはもうついて行けない。ただの飾り気の社会じゃないのか。人間味がどんどん薄れて、人の心も感じられない世の中に移りゆくような気がしてならない。
 そんな東京とはおれはおさらばしたけど、不平不満が渦巻く一方で、誰もが皆耐えて耐え抜いて生きている。
 感傷に浸るのもいい。夢を見るのも大事なことだ。でもね、現実をよく見ろ。頑張れ。おれは頑張った。負けるな。おれは負けたけど。挫けるなよ。おれもまだ挫けちゃいない。
 また会おう!!(斎藤典雄)

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2012年5月 6日 (日)

元サイテイ車掌の田舎日記/それは若葉だけだよ

○月×日

 んだ。
 「兎追いし」だったのだ。
 興味はないが、唱歌や童謡の数は多い。
 すぐに思い浮かぶだけでも、時期的に「春が来た」や「春の小川」、「故郷(ふるさと)」「七つの子」「背くらべ」「雀の学校」と、他にもまだある。
 学校での音楽の授業などは適当に受けていたのに、これらの歌は今でも大体は空で歌うことが出来る。
 あの頃は歌の意味も分からずにただ口ずさんでいただけだったが、「な~んだ、そうだったのか」と今頃になって漸く意味が分かったものもある。
 その中の一つが、日本では子どもからお年寄りまで最も親しまれている(と思う)「故郷」だ。故郷の山や川で遊んだ思い出を歌ったものだが、おれには「兎追いし」と「兎美味し」のどっちが正しいのかずっと分からないでいたのだった。兎は獲ったことはないが、小鮒はよく釣って美味しく食べていたので「美味し」の方だろうとも思って歌っていた。ま、おれにはどっちでもよかったんだけどね。
 それが最近になって「追いし」だと分かった。それは震災の被災地でよく歌われていたからだ。でもね、明治、大正という時代背景からして、食としての「美味し」でもいいような気がするんだけど。
 また、「チイチイパッパ」の「雀の学校」で思い出したのだが、「むちを振り振り」は先生による体罰の歌では勿論ない。むちは「教鞭をとる」の「鞭」だというのは高校の頃に分かったが、反抗的だったおれはこの歌をふざけてよく歌っていた。「無知を振り振り」と連想しながら嫌いだった先生への当てつけとしてだ。
 おバカな話はこの辺で止めよう。それにしても子どもの頃に覚えた歌は一生忘れないものだ。勉強の方は殆ど忘れているというのに。子どもの頃に衝撃を受けた歌は一生を決定するといっても過言ではないように思う。何も歌に限ったことではないが、現にそのような理由で歌手などになった人は世界中にも大勢いる。
 人々に強烈なインパクトを与える、例えば本と歌を比べれば、本は活字を追うという労力がいる。が、歌は黙っていても聴こえてくる。能動ではなく受動でいいから手っ取り早い。
 世間では驚くニュースがあったり痛ましい事故があったりと一喜一憂する毎日だが、おれの中には不正確なことや不十分なことが蔓延しているのだと気付く。最近ではそれを正していくことや新しいことを吸収するにもその力が失せてきたように思う。
 ぐんぐんと成長しているのは若葉だけだよ。不一。(斎藤典雄)

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2012年5月 1日 (火)

元サイテイ車掌の田舎日記/春らんまん

○月×日

 んだ。
 酒田もやっと春だ。
 まるで1年の半分が冬のような、天気の悪さといったら日本一ではないかと思うほどだったが、そんなことは嘘みたいに連日この上ない穏やかな日差しに包まれている。
 景色は見渡す限りウララカで、何から何までキラキラと輝いて見え、眩しく感じる。これまでのことは何もなかったことにしましょうと、桜も梅とほぼ同時にほころび、今は満開となっている。
 さぁ、これからだ。何もかも新しくスタートするんだという気持ちになれる。雪もすっかり溶けて、土が顔を出してからは暫く経ったが、おれも畑の草刈りを開始した。今年で3年目になる。丁寧に耕して、肥料もたっぷりやり、今年こそ立派な野菜に育つように成功させたい。
 スーパーにもたけのこやわらびなどの山菜が山のように並んでいるし、酒田中が春。もうどこへ行っても春なのだ。
 先日ラジオを聞いていたら「大きくなったらケーキ屋さんになりたいです」という4~5才くらいの女の子が「えんか」を歌いますというのでちょっと驚いたのだが、かわいい声で歌い出したのは「演歌」ではなく、学校でいえば校歌の「園歌」なのだった。メチャクチャほほえましいと感じちゃってね。
 感じるといえば「アイヴ・ガッタ・フィーリング」。ビートルズのゴキゲンなナンバーで、レコードの中ではジョンとポールが仲良くシャウトしている。「感じるんだ。春を感じるんだ。誰もが辛い冬を過ごし、今は誰もが気合いを入れ直した。感じるんだ。春を感じるんだ」と聴こえて来る。オー、イエイッ!!
 おふくろの施設でもどこの老人ホームも然りだが、皆して歌う歌といったら童謡や唱歌、演歌と決まっている。ビートルズなどは歌わないのか。もしおれがホームに入ったらこれだけは耐えられないといつも思う。それともおれも、入れ歯の具合などを気にしながら皆と迎合して一緒に歌っているのだろうか。いや、そんな心配をする前に死んでるか。いいのか悪いのか、やれやれだな。
 政治は相変わらずだ。ズルズルと混迷の度を深めている。問責は理解できるが、審議拒否とは国民のことをそっちのけだとしか思えない。がしかし、各党幹部がしっかり勢揃いしてテレビの日曜討論などで議論している。もうこの際だから、大所帯の国会劇場は止めにしたらどうだろう。各党が意見集約をして、幹部だけでやり合えばいいのではないか……。
「チャリの季節だよ~。典ちゃんも一緒に走ろうよ。5月にまた行くからね」と同僚から連絡があった。今回は後輩も連れて5人で来るという。村上(新潟)でチャリを組み立てて、日本海の絶景を眺めながら酒田までの約100キロ余を北上して来る。「人生、下り坂最高!」の気分はチャリをやっている人にしか分からない快感だろう。家の布団では足りないから、全員寝袋で雑魚寝の予定だ。
 その後も年中行事になってしまったかのように何人かがやって来る。おれは大歓迎で嬉しい限りだが、皆会う度に老け込んで、あの頃の若さが薄れたとしみじみ思う。
 飲み過ぎて「今日は休む」と仕方なく職場に電話した。そしたら「一生休んでていいよ。お前の席はもうとっくにないんだから」とあっさりいわれてしまった。「……そうだったな」と気付いたところで目が覚めた。夢だったのだ。
 ということで、春らんまんだね。(斎藤典雄)

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2012年3月25日 (日)

元サイテイ車掌の田舎日記/春の再会

 ○月×日
 んだ。
 春の知らせだった。
 昔の同僚(といっても歳は下だが)が遊びに来てくれた。
 年賀状以外、もう10年近く会っていなかったが、10日ほど前に、突然「連休に行きたい」というハガキが届いた。おれは「楽しみだな、ゴールデンウィーク待ってるぞ」と返事を送ったら、なんと、このお彼岸の連休なのだという。
 おいおいあと3日じゃないかと、おれは嬉しさ倍増で、当日は酒田駅に出迎えに行った。「歓迎」ののぼり旗でも用意したかったが、そんなものは勿論ない。おれは駅の隅っこでワクワクしながら待っていると、定刻に、彼は改札口から颯爽と現われた。髪こそ薄くなってはいるものの、ニコニコとした笑顔は昔のままでどこも変わってはいない。
 大きな白い手提袋にはダイヤ改正後の新しいJR時刻表や昨年の震災直前にデビューした東北新幹線「はやぶさ」の記念バスタオル、各種イベントの粗品など、重いのに山程のお土産を持って来てくれた。
「気持ちは若いんだけど、身体がついていかなくなった……」と、それはおれも同じだが、彼は国鉄分割民営化当時に早々と国労を脱退して、おれとは全く別の道を歩んで来た。
 あの頃は仲間からは「裏切り者」だのとさんざん非難され、彼にとっての職場は毎日が針のむしろだったろう。誰にもいえない辛い思いを一身に背負いながら、彼は会社のいわれるままに黙々と働いていた。暫くして現場からは離れて、あちこちの職場を転々とさせられていた。ふと思い出したようにお互いに連絡を取り合っては、何年かに一度、二人で飲んだりしていたが、だんだんと疎遠になっていったのは仕方がないことだった。
 彼は本当に穏やかで大人しい性格だから現場のリーダーなどには向かない気もするが、一つ一つ出世していき、この度見事駅長試験に合格したのだという。
 素晴らしいことだ。驚いたが、当たり前だとも思った。彼ならいつかはやってくれるだろうという気持があった。
 退職まであと数年だが、いつの日か東京のどこかの駅で真新しい駅長の帽子をかぶった彼の輝やかしい姿が目に浮かんだ。ニコニコとしたその笑顔が眩しく思えたよ。
 おめでとう。春だな。本当に良かった。春分の日は雪がちらつき今朝はまた吹雪いている。でも春は必ずやって来る。
 よく来てくれたな。また来いよ。(斎藤典雄)

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2012年3月10日 (土)

サイテイ車掌の田舎日記/飛び出せロックンロール

○月×日

 んだ。
 外へ飛び出すんだ。
 酒田もやっと春の足音が聞こえてくるようになった。
 昔ながらのふるさとの味といえば、キモドの酢みそあえがあった。酒田では何故か「キモド」という妙な呼び名だが、「アサツキ」といえばお分かりだろう。
 冬が育むささやかな野菜の一つで、雪の下にぽっこりと顔を出す。従って、農家では雪をかき分けて一つ一つ丁寧に収穫する。
 ネギに似た、独特の香りと辛味が特長だが、酒のつまみとしてもおれには足りない上品さが漂う一品となる。
 で、料理がこれまた至って簡単なのだ。さっと茹でて酢みそと和えれば出来上がり。酢みそだってすぐに出来ちゃう。みそに砂糖をすり合わせ、酢と酒を少し加えるだけなのだ。
 これでもう、おばあちゃんの昔の味があっという間に完成となる。
 さぁ、冬眠から目を覚ますんだ。ノーガキをたれる前にやってみろ。点火するんだ。70才のおじいちゃんになっても激走するローリング・ストーンズのミック・ジャガー。ロック一筋に転がり続ける男。人間の本性をむき出しにした世界最強のスーパー・スターだ。
 また、冬と共に終わる、酒田では忘れてはならない食の王者が一つあった。それはズバリ寒鱈だ。冬の日本海の極上の恵みなのだ。この丸々と太った鱈が酒田の冬を盛り上げる。吹雪の中あちこちで寒鱈祭りが催され、ドンガラ汁というタラ汁がふるまわれる。水揚げされたばかりの鱈の肝や白子を入れたみそ味のアラ煮だが、これが超絶品。この上ない至上の味といってもいい。酒田の人、嘘つかない。今では全国でも有名らしいが、ぜひ食べに来てほしい。
 あぁ、そんなそれぞれの贅沢な食も春の訪れと共に終わりを迎える。そう思うと、厳しかった冬にもやさしい目を向けてしまう。冬はいい季節ではないかとさえ思えてくる。ただぼんやりとタバコをふかし、ひねもすのたりのたりと家にこもってばかりいた怠惰な自分を恥じる。
 なんて、調子こいてんじゃねえ。まずはやってみろ。何でも始めることが肝心なんだ。おれはお前らが思っているほどサイテイ野郎なんかじゃねえんだ。行くぜ、野郎ども。外へ飛び出すんだ。用意はいいかっ!!
 ……突然どうしたのってか? ん!? 今日もよろぴく、ロックンロール!!(斎藤典雄)

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2012年3月 6日 (火)

元サイテイ車掌の田舎日記/風呂なんです

○月×日

 んだ。
 温泉にでも行くか。
 一日の疲れを癒すのは、何といってもお風呂が一番だと思う。
 いきなりだが、おれには生活保護を受けている友だちがいる。先日電話をしたら、手足が冷えてどうしようもないのだという。おれは風呂だよといった。とりあえず血行をよくすることだと。すると、もう年末から2ヶ月も入っていないという。まったく信じられないのだが、ヤツのいうことは本当なのだ。とにかく今すぐ入いれといった。そしたら、風呂に入いらないで死んだという話は聞いたことがないと、またヤツの屁理屈が始まった。風呂で死んだやつはいっぱいいるじゃないかと。それにしてもバッチィではないか。不潔すぎる。もうおれはヤツの手紙を見るのも嫌だ。封を切るのも手袋をしたくなる。
 話を戻そう。おれは風呂が好きだ。しかも長風呂だと思う。夏でもそうで、汗をかかないと気が済まないということもある。
 東京では勤務が不規則だったこともあり、朝昼晩と入いる時間がまちまちだったが、今では晩めし前の夕方と決まっている。つまり、酒を飲む前だ。飲んでから入って命を落としたという話はよく聞く。実際会社でもそうして亡くなった人が何人かいた。おれはそのような身体のことには気を遣うたちだ。
 一年程前からだが、風呂に入いると必ずやっていることがある。それは指先を揉むことだ。最近のテレビで、髪を何ヶ月も洗わないという五木寛之が爪を揉んでいるといっていたが、これに限らず、ずっと以前からいわれていたことだと思う。
 おれはゆっくりと最低でも100回ずつは揉んでいる。すると、てのひらも甲も血管が太くなったように浮き出て、気持ち悪いほど真っ青になる。気持ち悪くなってど~すんだと思われそうだが、すぐに結果が見えて、これもおれには満ち足りた気分なのだ。
 いわれるまでもなく、毛細血管や抹消神経が刺激されるのだからとてもいいことだと単純に思っているのだが。また、身体には何百ものツボがあるといわれている。そんな知識は皆無で覚えるつもりもないが、それにも当てはまっているのかなと思いながらせっせとやっているのだ。気が向けば足の指も。
 こんなことをのんびりとやりながら湯船につかっていると20分位はすぐに経ってしまう。すると、ぬるめのお湯でも頭や額からタラリンコ、腕までも汗が吹きだしていて一石二鳥なのだ。湯上がりのビールはまた格別だし、めしが旨いのもいうまでもない。
 たまには温泉にでもと思う。箱根や草津はもう遠くなったし、秋田の乳頭温泉にするかと、これらは全て入浴剤で行った気分になっている。
 ではまた。(斎藤典雄)

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2012年3月 1日 (木)

元サイテイ車掌の田舎日記/春なんです

○月×日
 んだ。
 もう春なのだ。
 今日は晴れた。素晴らしく晴れ渡った。朝から青空が広がった。
 雪が太陽に照らされてキラキラと輝いて見える。少しずつ水滴となって音もなく溶け出しているのだろう。
 気温は低く、まだぐっと冷えてはいるが、この明るい日差しが春を感じさせてくれる。
 おれは思わず外へ飛び出した。とにかくおんもに出て歩いてみたくなったのだ。あまりにも眩しすぎた。初めは景色をまともに見ることが出来ないほどだった。目が慣れるまで暫くかかった。
 積もった雪はザラザラと堅く、シャーベット状になっている。所々路面が見えるが、そこはアイスバーン状態で滑って転びそうになる。歩くのは恐る恐るだ。
 家の近くには狭いエリアなのにどういうわけか7つもの神社がある。その中の一つ「光丘神社」という入口で大発見をしてしまった。それは古ぼけた看板なのだが、そこには「定」として境内での禁止事項が箇条書されていた。驚いた。一つ、車、馬を乗り入れること。一つ、竹、木を伐ること。一つ、魚、鳥を捕ること。とある。ね、びっくりでしょ。今の時代に馬の乗り入れだなんて。でもよく見るとすぐに納得。最後に大正13年と記されてあったのだ。
 そこで思い出した。おれがまだ小学生の頃のことだった。父の生家は酒田から少し離れた米農家だった。当時は馬牛豚鶏などを飼っていたので、もう家畜と肥溜の臭いがごちゃまぜで……。今ではそれがまた懐かしかったりもするけど。そこのおじさんが家にもしょっちゅう来ていて、それがなんと、「はいしぃどうどう、はいどうどう」と今では信じられないのだが、お馬にまたがりやって来るのだった。で、家の玄関に馬を繋ぐと上がり込んでは酒をしこたま飲んだ挙げ句、再び馬に乗り「ぽっくりぽっくり歩く」と歌っていたかどうかは忘れたが、飲酒運転をこの場合は何というのか、馬の操り術の全てを駆使して何事もなかったかのように帰って行くのだった。それにしても、いくら昭和の30年代のこととはいえ町のど真ん中の道路に馬という光景は異様だった。おれも幼心に恥ずかしい思いをしたものだが、おふくろといえばシャベルを持ち出し「嫌だ嫌だ」といいながらでっかい馬糞の始末をしていたことを覚えている。
 また、あの頃は飲酒運転が許されていた。精一杯の「気をつけてね」で済んだ時代でもあった。だから馬ならなおさら、全く問題にもならなかったに違いない。あれから約50年。時代は変わった。今思うとたまらなくおかしくて、実に笑えるではありませんか。
 帰宅すると、アール・クルーの「フィンガー・ペインティング」を引っ張り出してターンテーブルに乗せた。ジャンルはフュージョンだが、スイング・ジャーナル誌で77年度のジャズ・ディスク大賞を受賞している名盤だ。このジャズらしからぬガットギターの音色は瑞々しい春にぴったりのように感じる。柔らかく暖かで、何とも気持ちがいい。「ダンス・ウィズ・ミー」は特に有名だから知っている人も多いと思う。心がほんわかと和み、ゆったり感あふれる曲ばかりが収録されている。素朴でありながらも繊細なアール・クルーのサウンド。昼下がりの寛ぎのひとときにはリラックス出来てもってこいなのだ。まるで春がそこまで来ているかのよう。
 今日はそんなホットな一日。冬よ、もういい加減にしてくれないか。とっとと失せやがれ。サラバじゃ~。(斎藤典雄)

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2012年2月26日 (日)

元サイテイ車掌の田舎日記/めかぶ到来

○月×日

 んだ。
 食感といいサイコー。待ってたんだよ。
 生めかぶがスーパーに並び始めた。この時季から春先にかけてが旬。春を告げる海の恵みだと思うと嬉しくなる。実は、震災だからと少し心配していたのだが、宮城三陸産と力強く書かれてあった。大変な状況の中で届けてくれたのだろう。今年も元気をありがとう。
 生めかぶは色が褐色でスクリューの形をしている。見た目はナニコレと思うだろうが、わかめの葉(一般的に食べている)の下の根元の部分で、葉より肉厚で固く弾力性がある。
 また、栄養価は驚くほど高いといわれ、食物繊維が多く低カロリーの健康食品だというのだから申し分がない。何より、料理するのが超簡単なのだ。
 まずよく洗ってから、沸騰したお湯にちょっと入れるだけでオーケーなのだ。入れた瞬間に褐色がそれは美しい鮮やかな緑色に激変する。もうこれだけで生めかぶという食材にいいようのない感動を覚えてしまう。それは乾燥わかめを水にもどした時に、何分もしないのにわかめはみるみる何十倍ものボリュームになり、このままだと台所中大変なことになるのではないか(ならないと分かっているけど)という、料理初心者によくあるオドロキの類とは比較にならない。とにかく、何度体験しても、ささやかだがしあわせいっぱいになる感動の一瞬なのだ。
 前置きが長くなってしまったので後は短くいく。で、水で冷やして包丁で茎を取り除き細かく刻むかそのままでもいい。それで正油かポン酢をかけてわっしわっしと豪快に食べる。鰹節やしょうがも合う。ヌルヌルネバネバの上、コリコリとした食感がまたたまらない。豆腐や長芋に添えてもいい。ごはんにかければめかぶ丼だ。また、納豆やオクラと混ぜ合わせてもいける。一度食べるとやみつきになるが、何も注意する必要はなく、どんどん食べればいい。
 めかぶの日々は当分続きそうだ。ネバネバ食品は身体に頗る良くて病気知らずともいわれている。ネバネバ食べてネバー・ギブ・アップ。
 サイトウの料理教室、本日はこれにて。(斎藤典雄)

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2012年2月21日 (火)

元サイテイ車掌の田舎日記/追悼、ホイットニー・ヒューストン

○月×日

 んだ。
 あの曲はよかったなあ。
 ホイットニー・ヒューストンが亡くなった。
 テレビのニュースでも連日破格の扱いようで、不謹慎だと思われそうだが、三崎千恵子や淡島千景はどうなったんだといいたくなってしまう。
 何はさておき、特に、90年代に発表された「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は素晴らしかった。彼女の初主演映画「ボディガード」の主題歌という相乗効果も相まってか、あの世界的な大ヒットはまるで超常現象に近い感さえした。今久しぶりに聴いてみても、なんともドラマチックで美しいバラードだと思う。改めてこの曲に対してのいいようのないいとおしさに包まれてしまう。
 実はこの曲、ドリー・パートンというカントリー歌手(後に女優)の70年代の代表作で、おれ達ロックファンにはウェストコーストの歌姫、リンダ・ロンシュタットのカバーで広く知られるようになったのだと思う。そして、さらに数年後にドリー本人の主演映画の主題歌として再びヒットし、それがリメイクされ、ホイットニーで世界中の爆発的大ヒットになったものなのだ。
 おれはリンダのバージョンがお気に入りで70年代からよく聴いていたのだった。リンダのルックスは好みでなかったが、声がキレイでサウンドがまた心地よかった。ちなみにルックスでいえばドリーもケバケバでド派手すぎておれにはペケ。
 それにしてもホイットニーがこの曲を出した時には驚いた。凄絶な熱唱。ゴージャスなサウンド。何から何まで素晴らしいと素直に感動した。女性ボーカルの新しい時代の幕開けだと思った。が、しかし。おれにはリンダだった。日本人ならごはんとみそ汁のように、シンプルで派手さのないリンダの方への思い入れが強く勝った。
 やっぱり歌も含めた全体のサウンドだろうか。人それぞれの好みの問題だが、おれの場合はスライドギターに弱い。あの弛くてまったりとした流れの音色にはこの上なくグイグイと引き込まれてしまうのだ。
 また、おれはリンダ周辺のジャクソン・ブラウン、JD・サウザー、イーグルスなどの70年代のウエストコースト・ロックの面々のサウンドが好きでどうしようもないのだ。
 ふと、ここで、おれには80年代以降の音楽がすっぽりと抜け落ちていることに気付く。ホイットニーのように超話題になったものは別として、新しいものは殆ど知らない。つまり、おれの音楽は70年代で止まっているということだ。
 その理由は簡単だ。年齢的にも仕事や家事に忙殺され、趣味の音楽どころではなくなっていたからだ。いや、好きなことだから一応一通りは聴いてはいた。が、以前のようにじっくりとは聴かず、どれも軽く聞き流すようになっていたのだ。新人のものや新しいジャンルのものは買うこともしなくなっていた。もし買うとしたら、それまでに好きだったアーティストの新譜ぐらいだった。そのアーティストだけを追い続けるようになった。もうそれで十分に満足していたのだ。
 話が随分逸れた。ホイットニーのこの曲は日本では結婚式でもよく使われたそうだ。でもこれ、愛の歌には変わりないが、別れの悲しい内容なんだけどね……。
 ホイットニー、48才。まだ若い。本当に残念だ。あまりにも早過ぎました。さようなら。合掌。(斎藤典雄)

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