サイテイ車掌のJR日記

2009年12月 9日 (水)

●サイテイ車掌のJR日記/また会う日まで

○月×日
 あぁ、早いこと。
 時は確実に流れ、今年も残りあと僅かとなった。
 これまでにお世話になった大勢の方々にお礼をいいたい。
 仕事でいえば、いくら乗務は一人でも、職場内の人間関係を抜きには成り立たない。
 ここまでやってこれたのは、同僚らの心ある支えがあったからに他ならない。
 ある時は励まされ、またある時は勇気をもらい、その節々で仲間のぬくもりを感じることが出来た。
 つまり、私は一人では生きていけないのだと痛感した。
 振り返れば、私は仕事一筋人間ではなかった。公私は出来る限り割り切った。どちらかといえば「私」の方に一生懸命だったかもしれない。自分の趣味の方が忙しかったように思う。
 いずれにせよ、大企業の小さな歯車となり、貢献も少しはして35年。もうこれで十分だと思っている。
 先日、退職願を出した。55才の早期退職だが、国鉄時代は皆55才で退職だったのだ。
 一足お先に失礼する。
 これから先もまだ長い。今後のことは暫く休んでゆっくり考えたい。
 ありがとう、ありがとう。皆さん、本当にありがとうございました。(斎藤典雄)

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2009年11月22日 (日)

●サイテイ車掌のJR日記/ファン到来

 その中学生は私が発車の準備をしているときから乗務員室の前に立っていて、乗務員室を見ているのではなく、明らかに私の様子をチラチラと窺っていた。
 制服姿で、見るからにおっとりとした利発そうな少年だった。私と目だけは合わせないようにして、ずうっと見ていた。
 できればそんなに見ないでほしい。席が空いているんだから着席してほしい。向こうへ行ってほしい。が、見られるのも仕事だと割り切っている。もう慣れっこで何とも思わない。どうぞ好きなようにという気持ちでいる。

 電車は東京を発車して、四ツ谷を過ぎ新宿に着いた。
 ホームに降り、旅客の乗降を確認しながら発車ベルを押そうとしたその時、「あのぉ、お仕事中に悪いんですけど、本を書かれた車掌さんですか」ときたもんだ。
 私は「読んでくれたの!? ありがと、ありがとう」と頷くと、「すごく面白かったです」と神妙だったそれまでの顔に笑みが零れ、おじぎをしたかと思うと人波に消えて行った。

 こういうことは度々ある。といっても年に数えるほどだが、今でもまだある。それは中高生が多く、たまにおっさんだったりだ。その人たちは私のネームプレートと顔を忙しそうに2~3回見て、「斎藤さんって」「あなたかね」で始まり、最後には「頑張って…」と激励してくれる。乗務中だからその場限りの一瞬だが、みんな鉄道ファンなのだろう。

 ま、こんな時は実に照れる。でも、ことの外嬉しい。仕事を忘れてしまいそうになる。見慣れた景色が華やいで見える。何気ないのに美しく見える。何故か踊って見える。長い乗務が短く感じられる。苦痛がとれる。こうした自分だけの喜びをそっと胸にしまい込み、また乗務を続ける。

 あれは今年の夏だったか。国立でドアを閉めようとすると、目の前で慌てて降りて行った高校生がいた。制服が水色の半袖だったことが印象に残っているから、そう、やっぱり夏なのだろう。
 で、なんと、その高校生が手に持っていたのは『車掌の本音』、拙著であったのだ。私は感激のあまり、「ちょ、ちょっとそこの君、待ちなさい」と思わず声を掛けそうになったほどだ。
 また、当ブログにコメントを寄せてくれる豊田在住という高校生とも近々会うことを約束している。
 それにしても、さっきの中学生は私に声を掛けるだけでも相当な勇気が要る行動だったのではないかと推察するのだが、どうだろう。これは私の驕りでも何でもないが、こうしたちょっとしたことが、案外、彼にとって生涯忘れられない気恥ずかしい思い出の1つになることだと思うのだ。後で思えば全然大したことでも何でもないのに、ちょっとした勇気やドキドキした気持ちを伴ってみんな大人になっていくのだと思う。
 私が彼にどのように映ったのかは分からない。見ての通りのはずだが、私はシャキッとはしていない。キビキビとテキパキとした模範的な態度とはほど遠い。どちらかといえば、いつもダラダラしている。見るからにやる気がなさそうで、弛緩しきった、全身スキだらけだと自分では思っている。
 それでも、いわゆる「ふつう」にやっている。乗客の目もあるが、本を読んでくれた少年たちの夢を壊してはいけないという思いもある。何事もヘマは出来ない。書いたことによって自らが厳しく律せられていることが多い。いずれにしても、本で感じられた私のイメージに少しでも近いことを願いたい。

 さて、話は変わるが、先日、中野駅で20年以上も前に他職場へ転勤していった後輩のT君から声を掛けられた。本当に久しぶりだった。彼は「あれあれ!? 典さん、顔中しわしわになっちゃって~」とハッキリ言われた。「もうすぐ僕も50才の大台ですよ」といっていた彼の肌はツルツルのパンパンで、ドモホルンリンクルでも使っているのかと、私は目を疑うほど若々しくて、昔のままだったのだ。
 私もすっかり年を取ってしまった。あの頃は次から次へと溢れ出たのに、今では中高生に受けるようなダジャレすらもとんと浮かばなくなった。といって大人になったわけでもない。
 あぁ、寄る年波には勝てないのだなと、つくづく思う今日この頃である。でも、頑張らねば……(斎藤典雄)

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2009年10月 6日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/サイテイJRの車掌日記

○月×日
 JR西日本、今度は裏工作発覚、前代未聞の不祥事である。
 新聞やテレビでも連日デカデカと報道されていたJR福知山線事故の事故調による漏洩問題だ。
 JR西日本の山崎正夫前社長らは事故調に国鉄出身者で古くから付き合いのある先輩がいることをいいことに、何度かの飲食接待という形で接触を繰り返し、事故調での議論の進捗状況や最終報告書案の内容を07年6月の公表前に聞き出していたというもの。
 そればかりか、公正中立であるべき事故調の漏洩行為という守秘義務違反も大問題であることは勿論だが、あろうことか、山崎前社長は報告書案の「ATSがあれば事故は防げた」という文言の削除や日勤教育やダイヤ編成に関する部分の修正を要求していたというから、悪質きわまりないというしかない。

 で、その委員はナント、その要求に応じてしまうのである。事故調でATS部分の修正を求める発言をしたというのだ。全く聞いて呆れるが、結局は認められず、結果として報告書案は変更されることなく決議されたということだが、それで済むような問題ではない。
 調査する側と調査される側のあってはならない癒着である。これでは遺族や負傷者は浮かばれない。そればかりか今でもJRを利用せざるを得ない国民への裏切りでもある。
 洗いざらい公表してこそ事故の原因が究明され再発防止につながるのはいうまでもないが、それを隠蔽しようとするとは開いた口が塞がらない。

 あれだけ企業体質、企業風土を改革するといっていたにもかかわらず、責任逃れに終始する姿勢は未だに旧態依然なのである。大惨事よりも何よりも自己保身と我が身の行く末が重大なのであり、亡くなられた方々のことなど一切頭にないのだろう。JR西日本が生まれ変わるのは一度解体でもしない限りもはや不可能なのではないか。
 また、報道では、接待の際に事故調側は菓子や新幹線の模型などの手土産を受けとったとあったが、本当にそれだけなのか。贈収賄に当たるのではないのか。

 それにしても世の中は不正だらけだ。こんな事は氷山の一角なのかもしれない。私達はいったい何を信じていけばいいのか。

 ほんとにサイテイだな。ただただ悲しくなるばかりだ。一生懸命やってる西の社員もいい迷惑だろうよ。誰も信じないよ、もう。おまえらなんか!!(斎藤典雄)

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2009年9月 8日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/初秋親子百景

○月×日
 秋刀魚1本88円、安いからと2本買った。他には大根、かぼちゃ、人参、ごぼうにトマトといんげん。それに鳥肉、豆腐、油揚と納豆。あとは缶ビール6本入りパックなどなど、いつものスーパーで大量に買い込んだ。
 その帰りに、タバコを買い忘れたなと途中のコンビニに寄ろうと自転車を止めると、前カゴの荷物が重すぎてバランスが悪かったのだろう。いつもはそんなことにも慎重な私なのに、店に入いるのと同時にバッタンと倒れてしまったではないか。
 いやあ、もう大変であった。歩道に缶ビールはあちこちゴロゴロ転がるは、ミニトマトはパックから飛び出し一個ずつコロコロ散らばるは、なんと、秋刀魚は刀の字の如く、鋭く尖った頭がビニール袋を突き破って泳いでいる……、ん!? それはないけど、とにかく焦って、すぐに自転車を立て直したまではよかったが、しかしまぁ、いったい何から袋に入れ直したらいいのかと一瞬パニック。
 通りすがりの心ある妙齢のご婦人が「あらあら、おにいさん」と手伝ってくれたのには助かったが、何だか家の晩のおかずを全て見られてしまったようで、恥ずかしいったらなかったのだ。

 さて、乗務中の話だが、某駅を発車させ、いつものように列車とホームの前方の安全確認をしていると、お母さんに手を引かれた3才くらいの坊やのTシャツの背中の文字が目に入いり、唖然としてしまったのであった。
 それは、縦2列の大きなカタカナで、ハッキリと確認出来た右の1列には、なんと、「ステゴ」と書いてあったからだ。ナヌッ!? 「捨て子」だなんて。う、嘘だろ!! と、一瞬、そんな服を売る店も店だが、それを着せる親も親だと、そんな世の中を憤慨したものの、その親子の後ろを歩く人がじゃまで見えないもう1列にはいったい何と書かれてあるのかと気になって、電車が親子に急接近した追い越しざまにキビシク確認すると、私はガクッとこけそうになった。
 だって、「ザウルス」なんだもの。私は坊やをチラッと見ると、Tシャツの前面には大きな恐竜の絵があり、「やれやれ」と納得。ホッと一安心しながら前方確認を終え、過ぎ去った駅に身体をクルリと向き直すと、腕を一直線に伸ばし「後方オーライ」と指差喚呼。バイバイね、坊や。
 また、ある日の車内ではこんな光景を見た。1才くらいの子をお母さんがおんぶして、お父さんは吊革につかまり車窓の景色を眺めていた。その子はずっと愚図りっぱなしで、ふんぞり返るは、お母さんの髪の毛を引っ張るはで、時折激しく泣きじゃくる声は乗務員室にまで聴こえてきた。
 それを見かねたお父さんは漸くチェンジしてくれだっこしたが、収まる気配は一向にない。
 ふと、私は何か変だなと違和感を覚えた。それは、やっと解放されたはずのお母さんが、お父さんのあやすリズムに合わせてさっきまでのおんぶの動作をがに股のまま続けていたからであった。
 私は微笑ましいと思いながらしばらく様子を窺っていたのだが、お母さんは自分の不自然さにハタと気づいたのであろう。その動作をピタリと止めたかと思うと、回りを気にしながら恥ずかしそうに俯いてしまったのだった。
 分かる、分かるよお母さん。夜中だろうが1日中おんぶにだっこであやし続けて、そのリズムが身体中に染みこんでいるのだろう。すぐには抜けるはずないよね、お疲れさん。
 ところで、田舎のおふくろだが、横になったり起きたりの繰り返しで、全く元気がない。何をしてもすぐに忘れてしまうこの病気は快方に向かうということはない。
 それでも喜怒哀楽はある。だから一瞬でもいいからできるだけ喜んでくれればそれでいいと思っている。
 だから、帰省出来ない時はせっせとハガキを出したり、誕生日などの何かの記念日には花を送ったりと、思えば、私がやっていることといったらおふくろが病気になった4年前と何も変わってはいないのだ。
 こうして、つい最近になり、おふくろとの思い出を辿っていくことが多くなった。すると、何とも奇妙な事実が浮かび上がり、それには私も驚き、愕然としてしまったことが一つだけあったのだった。
 このことは、これまでには全然気にもしていないことだった。また、何とも思わなかったし、深く考えることすらなかったことだ。本当に、たった今気付いたことなのである。
 それは、一般家庭から見れば「それっておかしいよ、変だよ、そんな家族ってありかよ」ということであり、私自身も異常なことだったと(今)思っている。
 回りくどくなったが、単刀直入に申し上げる。『私はおふくろと食事をしたことがない』。厳密にいえば、世間話などをしながら一緒に食卓を囲んだ記憶が殆どないということだ。
 私自身信じられないことだから、比較的新しい時期のこと、すなわち私が田舎から東京に出て来て、たまに帰省したときでも、なるほど、そういえばやっぱり一緒には食べていないということに気付く。
 ならば、その時におふくろはいったい何をしていたのか。食卓と台所を行ったり来たりなのである。まず、じっとしていることがない。ただただ忙しそうに動き回っているのだ。もちろん私は「ゆっくり座って皆と一緒に食べようよ」という。すると、「美味しいですか? よかった、よかった」とニコニコ見ているだけで、台所に引っ込んでは私の酒や別のものを用意してくる。
 おふくろの性格だといってしまえばそれまでだが、私が子どもだった頃からずっとそれが当たり前で来たから何とも思わなかったのだと思うが、結局私は自分のことしか頭になかったのだ。「座って」とおふくろに声を掛けたのもうっとうしくて落ち着かないからであり、おふくろの幸せなどこれっぽっちも考えていなかったのだろう。
 何もかも遅すぎたが、今になって様々なことが頭を過ぎる。おれはもしかしたら捨て子だったのではないか、おんぶもだっこもされたことがなかったのではないか、そんなわけないか。
 いずれにしても、とんでもない家族だったわけだが、今さらそんなことを考えてもどうしようもないことなのだ。
 さぁ、秋刀魚だよ今晩は。秋だよな~……。(斎藤典雄)

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2009年8月25日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/青空

 過ぎ行く夏。青い夏空は何日もなかった。
 ここに来て漸く晴れの日が続いていて、やっと夏かと思っている人も多いだろうが、高校野球も幕を閉じ、夏休みが終わる頃に夏になってど~すんだ!! というわけで、今年の夏はなかったのと同じだと私は思っている。
 今日もまた日が暮れた。いつものようにホッとする静かなひとときだ。これまで、本当に長い間、暴飲暴食に耐えてきた私の胃は、いつも決まって流し込むウィスキーを、「お待ちしておりました」と何の文句もいわずにやさしく迎え入れてくれるばかりか、身体中に程好くしみじみと染みらせてくれ、「もうおれ、今日はどうなってもいいもんね」といった、何もかもがホゲ~ッ、デレ~ッという弛緩した世界へと導いてくれるのだ。
 ああ、夜の帳が今日もせつなく降りて来たよ。もう秋の虫が鳴いているというのに、一瞬蝉の声がした。月の光を昼間と勘違いしたのだろうか。それはまるで息が絶えるかのような弱々しいもので、そこにも夏の終わりが物悲しく重なっていき、胸がキュンとして、ちょっぴりたまらなくなってしまう。

 それにしても、立秋はとうに過ぎ、時折顔を覗かせる夜風が、これまでにはなかっただけに妙に心地よい。ふと、自分の年齢を感じ、気が付いたらここまで来たのかと思う。そんな過去を振り返ってみたところでいったい何になるんだとも思う。「理由なんて何もないんだ。時が休みなく流れて、ただなるようになっただけなのさ」と無責任な風のささやきが聴こえてくるようだ。
 私はいつも待っている。本当に心から待っている。荒んだ心の中を少しでもいいから洗い流してくれるような、雲一つない青空を。

 明日も広がってくれよな、青空よ。

 あぁ、酔った。今日はこれで寝る。
 おやすみ~(斎藤典雄)

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2009年8月 4日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/福知山線事故、裁かれるべきは誰?

○月×日

 JR西日本の社長である山崎正夫氏(66)が起訴された(7月8日)。
 鉄道事故で経営トップが起訴されるのは極めて異例ということだが、忘れもしない85年の夏、520名もの命が奪われた日航機墜落事故(御巣鷹山)でさえ関係者全員が不起訴となったことを思えば、一歩どころか大きな前進なのか。
 だが、この福知山線脱線事故は起こるべくして起きた事故であり、JR史上最悪の大惨事であったことからも、起訴は然るべきだと思うが、どうなのだろう。
 また、106名もの乗客を死亡させ、500名からの負傷者を出しておきながら、誰一人として刑事責任を問われないこと自体、どう考えてもおかしなことであり、あってはならないことでもある。
 山崎社長は辞任の意向を表明し、8月中には新社長が就任するという。
 さて、山崎社長が起訴された理由を一言でいえば、「ATSの設置を怠ったから」だ。これが業務上過失致死傷罪の構成要件を満たしていると判断されたわけだ。つまり、ATSを設置していればこの事故は防げたという認識があった。すなわち、事故を予測できたかという「予見可能性」があったからと断定されたのである。(ATSについてはこれまでに何度も説明してきたので詳しいことは省かせていただく)
 しかしながら、どうしても腑に落ちないのは、なぜ山崎社長のみの起訴なのかという点であろう。ちなみに、山崎社長以外に書類送検や告訴されていた他の11人については「予見可能性」がなく嫌疑不十分、その内の運転士だけは死亡のためというのがその理由で不起訴処分ということだった。
 ここで「ちょ、ちょっと待ってよ」といいたいのは、今回のこの事態は、私達下々の関係者でさえ「たった1人を起訴するとしたら、この人以外にいないでしょ」というのがみんなの一致した思いだからだ。それは、警察が送検しなかった歴代の経営トップの3人、後に遺族が告訴に踏み切ったのだが、とりわけ初代の井手正敬氏(74)である。それにしても、遺族の方々も皆よく知っているんですね、誰が一番悪いのかを。
 (この井手氏についてはこれまでに吐き気がするほど述べてきたが、これだけはまたいわせていただく)この井手氏こそ、「この事故の背景は」とマスコミ各社が一斉に指摘をされていたJR西日本の「企業体質」、それを築き上げた張本人なのである。
 少し詳しくいえば、旧国鉄の強権的な労務政策を引き継いだ、いわゆる懲罰的な日勤教育や絶対的な命令と服従など、挙げれば切りがないが、何よりも、安全より利益至上主義に暴走した人物に他ならない。いいかえれば、これまでにJR西日本をたった1人で牛耳ってきた最高責任者であるというのが一般的な見方となっているのだ。
 つい先日(7月26日)になるが、神戸地検は遺族、負傷者を対象に起訴、不起訴にいたる理由などの説明会を開催したという。こうしたことは、これまた異例中の異例なのだそうだが、これは遺族らの心情を汲み取った地検の特別な計らいなのだろう。
 会には約130名の参加があり、ここでもやはり井手氏の不起訴に不満が噴出したということだった。これに対しての地検側の回答は「刑法の限界」を繰り返すしかなく、遺族は神戸検察審査会に旧経営陣の処分不当を申し当てる見通しであると報道されていた。
 以上だが、福知山線事故は4年目にして法廷の場での刑事責任追及という新たな局面に入ったことになる。
 「それにしても…」と私がいつも思うのは、遺族や負傷者にとって、起訴される、裁かれるといったことは1つの区切りとなることは確かだが、それによって憤りや無念が消えるものでは決してないということだ。悲しみや苦しみ、それは理不尽にも一生涯襲ってくることなのだろう。
 しかし、闘わなくてはならない。目の前の不幸と向き合いながら闘い続けなくてはならないのだ。
 これらの気持ちは当事者でなければ本当に分からないことだと思う。あぁ、やっぱり、何ともやり切れないとしかいいようがないのである。(斎藤典雄)

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2009年7月21日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/猛暑の中で総選挙

 梅雨が明けた。一気に暑くなった。しかも猛暑ときたもんだ。まいった。
 例年と違っていたのは、恐怖すら覚えるような土砂降りや雷が全くなかったことだ。たとえ降ってもすぐ止むし、鳴っても遠くだから自分の腹がゴロゴロ鳴る音の方がデカイといった感じ。
 従って、自然災害による事故などはJRでも世間でも起きなかったことは大変喜ばしいことと存じます。
 それでも水不足騒動に発展しかねないかと自分勝手に心配していたのだが、先日のニュースで「ダムは問題なし」といっていたので、これも一安心である。
 しかし、油断は禁物だ。今後、雷雨がないという保証はどこにもない。そればかりか、台風が発生すれば豪雨になる可能性だってあるのだから。
 それにしても暑い。いきなりの猛暑で痛いくらいの強い日差しだ。朝から汗が吹き出してしまう。中央線や飲み屋は空調が効いて涼しいが、いつまでもいられる場所ではない。
 やっぱり、何事も無理をしないことだろう。ほどほどにがいいのだ。とにかくこの先、夏バテしないように対処しなければならない。

さて、話は変わるが、今、国民の最大の関心事といえば、何といっても政治の動きだろう。
 8月30日に総選挙が行われることが決まったが、末期症状で右往左往、異常事態に陥った自民党の終焉、すなわち、政権交代は確実な情勢となったというのが大方の見方である。
 半世紀にわたって国政を支配してきた自民党に代わって、野党第一党である民主党が政権を担い、国の舵を取る。民主党のこれまでの意欲と頑張りがいよいよ実を結ぼうとしているのだから、私もついつい応援せずにはいられなくなる。が、しかし……。
 そんな思いとは裏腹に、民主党にはそれほど大きな期待を寄せているわけではない。信用もあまりしない方がいいと思っている。世の中が良くなってほしいと願うのは勿論だが、何もかもが今すぐというわけにはいかない。政権を取ったことにより、これまで以上の強権政治になることだってないとはいえない。つまり、今の自民党の体たらくぶりを見ていると(見なくとも)、国民のことなど二の次なのだ。いつも自分たちのことが最優先なのは民主党も似たり寄ったりのはず。もうこれ以上政治に翻弄されるのは結構だといいたいのだ。
 誰もが皆、仕事も人生も与えられた時間は限られている。結局、自分を守るのは自分以外にない。また、年をとるにつれ急激な変化は好まなくなる。
 苦しいことも辛いこともいっぱいある毎日だ。つい弱気になり、心が空っぽになった時でさえ、小さな幸せを感じることもある。私にはそんな今のままが一番いいように思えるのだ。
 何はともあれ、まずはギラギラとした本格的な夏の到来に乾杯。カナ!? とりあえず。(斎藤典雄)

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2009年7月 7日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/当ってしまった人身事故

○月×日
 人身事故に当ってしまった。
 中央線はいつものことだから、私達乗務員にとっていつかは誰かに必ず当る。よって、私に当ったからといって何の不思議もないのだ。といってもね……。
 発生は6月28日の13時55分。天候は小雨。東京から中央特快高尾行きに乗務していた。通過駅である武蔵小金井に差し掛かると、突然オットットットと身体が前につんのめるような体勢になりながら、急停車した。
 「急停車して申し訳ございません。原因を調べます。少々お待ち下さい」と早速アナウンス。
 「まさかアレじゃないだろうな」と咄嗟に思った。と、やっぱりその通り、「まさかのアレ」であった。
 「さぁ困った。こりゃ大変だ。あぁ、嫌だヤダよ~」と少し焦ったが、こんな時こそ職責をこえて一致協力してやれば大丈夫なのだと、半ば開き直りなのである。といってもね……。
 運転士によると、40~50代の女性がホームから飛び込んだのだという。電車は先頭車両1両がホームからはみ出し、残りの9両がホームにかかっている状態で停止していた。乗車率は約40%、乗車人数は約700人であった。
 「お知らせいたします。只今、この電車で人身事故が発生いたしました。負傷者の救出のためにしばらく運転を見合わせます。詳しい状況は分かり次第お知らせいたします。お客様におかれましては、電車から外に出ないようにお願いいたします。どうぞこのままでお待ち下さい。お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません」と、今書けばこうなるが、私の場合は実際のところ「人身事故です。負傷者を救出します。止まります。すみません、すみません」ぐらいにしか放送はしていない。しかも、落ち着きを失っているからか、いつもより早口になり、お客さまには何をいっているのかさっぱり分からないというか、ただまくし立てているだけのような放送であったのだろう。
 東京方の後方を見ると東小金井を発車した後続の電車がすぐそこの駅間に止まっていた。運転士が発報した防護無線(併発事故防止のため、他列車を緊急停止させる無線)により、後続や隣接線等の列車は全て抑止されているのだ。
 そんなこんなで、知らせを受けた駅員3人が駆け付けてくれ、線路に降り、中腰になりながら車体下の負傷者を探すと、「いたぞ」と叫んだのは私の乗務員室からすぐ先の2両目の所だった。
 私はこの時、駅構内の事故でよかったと思った。駅間であれば、いずれ誰かが応援に来るにしても最初は運転士と2人きりなのだから。
 いずれにせよ、私も救助に行かなければならない。私は車両に搭載してある事故対応用のバッグをおもむろに取り出すと、防護服上下とマスク、ゴム手袋(いずれも細菌感染予防のため)を着用し、準備完了。
 すると、14時04分、指令から、同ホームの向かい側2番線の使用が可能のため、後続の列車から2番対応で運転を再開する旨の無線が入いる。従って、本電車のお客さま救済のため(長時間の缶詰状態を避けること)、ホームから外れている先頭車両のみを締切り扱い(ドアの開かない状態)にして、お客さまには後の車両へ移動してもらい、2番線に後続の電車が来る旨を案内して、残り9両のホーム側全ドアを開扉した。
 早くも、警察数人と消防隊員10人近くが到着。そして、私も現場へ直行。
 負傷者は、「大丈夫ですか~」と声を掛けるまでもない状態だった。更にいえば、男女の識別すら困難で、これが人間か、である。かわいそうに……。
 負傷者を安全な場所へ移動させるために車体下に潜るのはせいぜい3人位で十分。それはプロである救急隊にお任せすればいい。こんな所に10何人も必要なしと判断して、私は乗務員室に戻る。結局、私は殆ど何もしていない。見ているだけであった。
 14時25分、指令から再び無線連絡が入いる。本電車を回送にする通告だった。2番線には既に何本かの下り電車が来ているのに乗り換えないお客さま、また、車内は蒸し風呂状態で非常に暑いにもかかわらず(これは、車体下には1500ボルトもある機器類があり、救助の際に触れてしまうと死亡事故に至る危険性があるため、電車はパンタグラフを降ろし、停電状態にするので、空調もストップする)全く降りようとしないお客さま全員を降車させ、全ドアの閉扉。
 同33分、救助作業終了。
 同43分、最終的な安全確認がとれ、本電車の抑止解除。
 同49分、運転士と打ち合わせ、運転再開。現場54分延。
 あとは、警察による現場検証と駅員らによる遺留品の捜索、といっても、ズバリ、肉片などの後始末と消毒だが、発車した私が関知することではない。
 乗務を終え、事故報告書などを作成し終え、一息つくと、「それにしても」という感情が噴き出してくる。
 自殺した人への同情や憐れみなど微塵も湧いてこないのだった。それは何も知らない他人だからであろうか。ただただ気持ちが悪いだけである。人身事故は国鉄時代を含めるとこれで5度目だが、もう二度とごめんだ、見たくはない。と同時に、小さな怒りすら覚える。人に迷惑をかけて死ぬんじゃないよ、といいたい。世の中には生きたくても生きられない人も大勢いる。すぐに挫けないで頑張って生きてもらいたい。もっともっと年をとるまで生きろよ。誰だっていつかは死ぬんだから……。
 しかしながら、死体処理までする仕事というのは、私達の他にあるのだろうか。合掌。(斎藤典雄)

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2009年6月16日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/何もかもガッカリRainy Day

 ○月×日
 雨の日が続くとガッカリする。
 朝から薄暗いと気分まで滅入る。何をするにもやる気が半減してしまう。コーヒーを啜りながらぼんやりしていることが多い。思い浮かぶことも何故か前向きではない。

 ふと、子どもの頃のことを思い出した。近所の神社に紙芝居が来ていた。確か5円か10円だったと思う。私は毎日見に行った。女優の菅井きんさんを男にしたような顔のおじさんだった。雨の日もカッパ姿で来てくれた。いつもは10人近い子どもがいたが、その日は台風のような大荒れだった。外には人っ子一人いない。今日は来ないかもしれないと思いながらも私は出掛けた。案の定、私一人だった。少し待つとおじさんはやっぱり来てくれた。そしてちゃんと見せてくれた。ところが、私はだんだんと怖くなり話の途中で全速力で走って逃げた。死に物狂いで家に辿り着いたのだ。紙芝居の内容が怖かったのではない。そのおじさんにどこか知らない遠い所へ連れていかれるのではないかという思いがしたのだった。
 また、その神社では近所の子ども達とよくかくれんぼをして遊んだ。私は家に帰れば絶対に見つからないと思ったのかどうかは忘れたが、とにかく家に帰っていた。こたつに入ってお菓子などをポリポリ食べているうちに眠ってしまったらしい。気が付くと日が暮れ外は真っ暗になっていた。う~む、子どもの頃からヘンなヤツだったんだなぁ、やっぱり。などと納得して、喜んではいられないのだけど……。

 さて、先日の乗務中に、床に寝ている人がいるから何とかしてくれとお客様から申告があった。しかも、なんと上半身裸だというのである。行って見ると、靴も靴下までも脱いであった。20代男性で酔っていたようだったが、家の中と勘違いでもしているのだろうか。やれやれと思いながら「おい、こらっ、起きろ。服を着ろ。『草なぎ』ってんじゃないよ、逮捕されるぞ」などというはずはないが、重いの何のって、やっとの思いで起こして座席に座らせたが、また寝ていた。直ちに指令に無線連絡し、途中駅で駅員を手配してもらって下車させた。いろいろなことがあるが、まったく、やっていられないよな。

 このところ人身事故がまた続いている。思うに、「発車です」「新宿です」「右側です」「乗り換えです」「終点です」の、この「です」が多いのがイケナイのではないのかと、ふと思った。です=デス。つまり、「Death」。死の宣告である。今度から「です」をつけないアナウンスをしようかと思った。

 くだらない話でガッカリだね。すまなかった。

 いやはや雨の日はしょうがない。梅雨入りもしたことだし、ジトジトジメジメ憂鬱な雨は当分続きそうである。(斎藤典雄)

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2009年6月 2日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/福知山線の事故から4年

○月×日
 JR福知山線の脱線事故から4月25日で早4年が過ぎた。
 やはり他人事でしかないのか。
 あれだけの大惨事であったにも関わらず、普段の意識からはすっかり遠のいてしまっている。
 それは乗務をしていてもだ。ほんとに些細な事象による連日のダイヤ乱れなどで1日が終われば「つ~かれた」と一目散に帰宅する毎日。目先のことを1つ1つこなしていくだけで精一杯というのが実情なのである。
 でもこうして思い出すのは、あれからまた1年が…という節目を迎えた時であり、関連したニュースなどを見聞きした時にと限られてしまっているが、あの時の衝撃は今でも鮮明に蘇るのだから忘れたわけでは決してない。
 今また改めて、犠牲となった多くの方々のご冥福をお祈りすると共に、大けがをされた方々の1日も早い快方を願うばかりである。

 さて、5月ももう終わりだが大きなニュースが飛び込んで来た。「JR西、異例の再捜索、脱線事故捜査大詰め」というもの。
 詳細は、神戸地検は27と28日の2日間にわたって、業務上過失致死傷容疑でJR西日本本社や山崎正夫社長(66)の自宅などを家宅捜索したということである。
 補足すると、地検は昨年10月にも同本社の捜索を行っており、兵庫県警の方は現場カーブにATS(自動列車停止装置)があれば事故は防げたと判断して、昨年9月に同容疑(ATSを設置するなどの安全対策を怠った疑い)で山崎社長ら幹部と元幹部、死亡した高見隆二郎運転士(23)の計10人を書類送検している。また今年3月には、遺族が井手正敬氏(74)、南谷昌二郎顧問(67)、垣内剛顧問(65)の歴代経営トップ3人を告訴した。
 報道にもある通り、業務上過失致死傷罪で起訴をするには「事故の予見可能性」、すなわち、当事者が事故が起きる可能性を認識していたとする証言が必要ということで、山崎社長らはこれまでの地検の事情聴取に対しこのことは頑なに否定しているとみられる。従って、地検が起訴の可否を最終判断するには昨年10月の家宅捜索で押収した資料だけでは不十分であるとして、詰めの証拠固めのため異例の再捜索に踏み切ったものと思われる。
 以上だが、それにしても4年である。JR西の企業体質は相変わらず内向きなようだ。例えば、遺族が公開質問状などで事故の真相解明を再三求めても、事故調査や捜査をいい訳に真摯に向き合おうとはしていないのだという。さらに、被害者対策にしても補償交渉を終えたのは未だに全体の3割未満というペース。乗客に責任など何一つない。企業のトップが事故の責任を負うのは当然だろう。なぜ被害者の思いをくみ取ってやらないのか。これではただいたずらに時が過ぎて行くだけである。
 また、(記憶が曖昧で恐縮だが)事故当時、ATSかスピードの問題で「そんなにスピードを出すとは想定していなかった」という旨の発言をある幹部がしていたと思う。この運転士があれだけのスピードを出さなければならない状況を作った原因は少なからずあなた方にある。指導、教育とは名ばかりで、懲罰やみせしめ以外の何物でもなかった、歪んだ、いわゆる「日勤教育」を忘れてはならない。
 さらに付け加えれば、分割民営化の過程で200人近い国鉄職員を絶望から死に追いやったのも手段を選ばぬあなた方のやり方、国労脱退強要などの不当労働行為が端を発していた。まるで悪夢としかいいようがないが、なぜこれほどまでに犠牲を強いなければならなかったのか。
 企業の体質がどうであろうと、安全安定輸送のために日々精一杯電車を動かしているのは私達現場の運転士や車掌である。人命を預かる以上、厳しさが伴うのは当然だが、心にゆとりがなければ意味がない。仕事は楽しくなければならないというのが私は基本だと思っている。
 福知山線のような悲惨な事故は二度と起こさせないという願いが遺族の共通した思いだろう。鉄道の安全に終わりはないが、犠牲となった人達には嫌なことは一刻も早く終わらせ、深い悲しみや怒りから一歩でも前へ進めるようにしてやるべきではないのか。
 今後、誰がどう裁かれても亡くなった人は戻ってはこない。けがも一生引きずって生きていかなければならない人もいる。本当に何とも複雑でやり切れない気持ちでいることだろう。
 もう二度とごめんだ、こんなことは。まっぴらだよ。(斎藤典雄)

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