サイテイ車掌のJR日記

2009年10月 6日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/サイテイJRの車掌日記

○月×日
 JR西日本、今度は裏工作発覚、前代未聞の不祥事である。
 新聞やテレビでも連日デカデカと報道されていたJR福知山線事故の事故調による漏洩問題だ。
 JR西日本の山崎正夫前社長らは事故調に国鉄出身者で古くから付き合いのある先輩がいることをいいことに、何度かの飲食接待という形で接触を繰り返し、事故調での議論の進捗状況や最終報告書案の内容を07年6月の公表前に聞き出していたというもの。
 そればかりか、公正中立であるべき事故調の漏洩行為という守秘義務違反も大問題であることは勿論だが、あろうことか、山崎前社長は報告書案の「ATSがあれば事故は防げた」という文言の削除や日勤教育やダイヤ編成に関する部分の修正を要求していたというから、悪質きわまりないというしかない。

 で、その委員はナント、その要求に応じてしまうのである。事故調でATS部分の修正を求める発言をしたというのだ。全く聞いて呆れるが、結局は認められず、結果として報告書案は変更されることなく決議されたということだが、それで済むような問題ではない。
 調査する側と調査される側のあってはならない癒着である。これでは遺族や負傷者は浮かばれない。そればかりか今でもJRを利用せざるを得ない国民への裏切りでもある。
 洗いざらい公表してこそ事故の原因が究明され再発防止につながるのはいうまでもないが、それを隠蔽しようとするとは開いた口が塞がらない。

 あれだけ企業体質、企業風土を改革するといっていたにもかかわらず、責任逃れに終始する姿勢は未だに旧態依然なのである。大惨事よりも何よりも自己保身と我が身の行く末が重大なのであり、亡くなられた方々のことなど一切頭にないのだろう。JR西日本が生まれ変わるのは一度解体でもしない限りもはや不可能なのではないか。
 また、報道では、接待の際に事故調側は菓子や新幹線の模型などの手土産を受けとったとあったが、本当にそれだけなのか。贈収賄に当たるのではないのか。

 それにしても世の中は不正だらけだ。こんな事は氷山の一角なのかもしれない。私達はいったい何を信じていけばいいのか。

 ほんとにサイテイだな。ただただ悲しくなるばかりだ。一生懸命やってる西の社員もいい迷惑だろうよ。誰も信じないよ、もう。おまえらなんか!!(斎藤典雄)

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2009年9月 8日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/初秋親子百景

○月×日
 秋刀魚1本88円、安いからと2本買った。他には大根、かぼちゃ、人参、ごぼうにトマトといんげん。それに鳥肉、豆腐、油揚と納豆。あとは缶ビール6本入りパックなどなど、いつものスーパーで大量に買い込んだ。
 その帰りに、タバコを買い忘れたなと途中のコンビニに寄ろうと自転車を止めると、前カゴの荷物が重すぎてバランスが悪かったのだろう。いつもはそんなことにも慎重な私なのに、店に入いるのと同時にバッタンと倒れてしまったではないか。
 いやあ、もう大変であった。歩道に缶ビールはあちこちゴロゴロ転がるは、ミニトマトはパックから飛び出し一個ずつコロコロ散らばるは、なんと、秋刀魚は刀の字の如く、鋭く尖った頭がビニール袋を突き破って泳いでいる……、ん!? それはないけど、とにかく焦って、すぐに自転車を立て直したまではよかったが、しかしまぁ、いったい何から袋に入れ直したらいいのかと一瞬パニック。
 通りすがりの心ある妙齢のご婦人が「あらあら、おにいさん」と手伝ってくれたのには助かったが、何だか家の晩のおかずを全て見られてしまったようで、恥ずかしいったらなかったのだ。

 さて、乗務中の話だが、某駅を発車させ、いつものように列車とホームの前方の安全確認をしていると、お母さんに手を引かれた3才くらいの坊やのTシャツの背中の文字が目に入いり、唖然としてしまったのであった。
 それは、縦2列の大きなカタカナで、ハッキリと確認出来た右の1列には、なんと、「ステゴ」と書いてあったからだ。ナヌッ!? 「捨て子」だなんて。う、嘘だろ!! と、一瞬、そんな服を売る店も店だが、それを着せる親も親だと、そんな世の中を憤慨したものの、その親子の後ろを歩く人がじゃまで見えないもう1列にはいったい何と書かれてあるのかと気になって、電車が親子に急接近した追い越しざまにキビシク確認すると、私はガクッとこけそうになった。
 だって、「ザウルス」なんだもの。私は坊やをチラッと見ると、Tシャツの前面には大きな恐竜の絵があり、「やれやれ」と納得。ホッと一安心しながら前方確認を終え、過ぎ去った駅に身体をクルリと向き直すと、腕を一直線に伸ばし「後方オーライ」と指差喚呼。バイバイね、坊や。
 また、ある日の車内ではこんな光景を見た。1才くらいの子をお母さんがおんぶして、お父さんは吊革につかまり車窓の景色を眺めていた。その子はずっと愚図りっぱなしで、ふんぞり返るは、お母さんの髪の毛を引っ張るはで、時折激しく泣きじゃくる声は乗務員室にまで聴こえてきた。
 それを見かねたお父さんは漸くチェンジしてくれだっこしたが、収まる気配は一向にない。
 ふと、私は何か変だなと違和感を覚えた。それは、やっと解放されたはずのお母さんが、お父さんのあやすリズムに合わせてさっきまでのおんぶの動作をがに股のまま続けていたからであった。
 私は微笑ましいと思いながらしばらく様子を窺っていたのだが、お母さんは自分の不自然さにハタと気づいたのであろう。その動作をピタリと止めたかと思うと、回りを気にしながら恥ずかしそうに俯いてしまったのだった。
 分かる、分かるよお母さん。夜中だろうが1日中おんぶにだっこであやし続けて、そのリズムが身体中に染みこんでいるのだろう。すぐには抜けるはずないよね、お疲れさん。
 ところで、田舎のおふくろだが、横になったり起きたりの繰り返しで、全く元気がない。何をしてもすぐに忘れてしまうこの病気は快方に向かうということはない。
 それでも喜怒哀楽はある。だから一瞬でもいいからできるだけ喜んでくれればそれでいいと思っている。
 だから、帰省出来ない時はせっせとハガキを出したり、誕生日などの何かの記念日には花を送ったりと、思えば、私がやっていることといったらおふくろが病気になった4年前と何も変わってはいないのだ。
 こうして、つい最近になり、おふくろとの思い出を辿っていくことが多くなった。すると、何とも奇妙な事実が浮かび上がり、それには私も驚き、愕然としてしまったことが一つだけあったのだった。
 このことは、これまでには全然気にもしていないことだった。また、何とも思わなかったし、深く考えることすらなかったことだ。本当に、たった今気付いたことなのである。
 それは、一般家庭から見れば「それっておかしいよ、変だよ、そんな家族ってありかよ」ということであり、私自身も異常なことだったと(今)思っている。
 回りくどくなったが、単刀直入に申し上げる。『私はおふくろと食事をしたことがない』。厳密にいえば、世間話などをしながら一緒に食卓を囲んだ記憶が殆どないということだ。
 私自身信じられないことだから、比較的新しい時期のこと、すなわち私が田舎から東京に出て来て、たまに帰省したときでも、なるほど、そういえばやっぱり一緒には食べていないということに気付く。
 ならば、その時におふくろはいったい何をしていたのか。食卓と台所を行ったり来たりなのである。まず、じっとしていることがない。ただただ忙しそうに動き回っているのだ。もちろん私は「ゆっくり座って皆と一緒に食べようよ」という。すると、「美味しいですか? よかった、よかった」とニコニコ見ているだけで、台所に引っ込んでは私の酒や別のものを用意してくる。
 おふくろの性格だといってしまえばそれまでだが、私が子どもだった頃からずっとそれが当たり前で来たから何とも思わなかったのだと思うが、結局私は自分のことしか頭になかったのだ。「座って」とおふくろに声を掛けたのもうっとうしくて落ち着かないからであり、おふくろの幸せなどこれっぽっちも考えていなかったのだろう。
 何もかも遅すぎたが、今になって様々なことが頭を過ぎる。おれはもしかしたら捨て子だったのではないか、おんぶもだっこもされたことがなかったのではないか、そんなわけないか。
 いずれにしても、とんでもない家族だったわけだが、今さらそんなことを考えてもどうしようもないことなのだ。
 さぁ、秋刀魚だよ今晩は。秋だよな~……。(斎藤典雄)

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2009年8月25日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/青空

 過ぎ行く夏。青い夏空は何日もなかった。
 ここに来て漸く晴れの日が続いていて、やっと夏かと思っている人も多いだろうが、高校野球も幕を閉じ、夏休みが終わる頃に夏になってど~すんだ!! というわけで、今年の夏はなかったのと同じだと私は思っている。
 今日もまた日が暮れた。いつものようにホッとする静かなひとときだ。これまで、本当に長い間、暴飲暴食に耐えてきた私の胃は、いつも決まって流し込むウィスキーを、「お待ちしておりました」と何の文句もいわずにやさしく迎え入れてくれるばかりか、身体中に程好くしみじみと染みらせてくれ、「もうおれ、今日はどうなってもいいもんね」といった、何もかもがホゲ~ッ、デレ~ッという弛緩した世界へと導いてくれるのだ。
 ああ、夜の帳が今日もせつなく降りて来たよ。もう秋の虫が鳴いているというのに、一瞬蝉の声がした。月の光を昼間と勘違いしたのだろうか。それはまるで息が絶えるかのような弱々しいもので、そこにも夏の終わりが物悲しく重なっていき、胸がキュンとして、ちょっぴりたまらなくなってしまう。

 それにしても、立秋はとうに過ぎ、時折顔を覗かせる夜風が、これまでにはなかっただけに妙に心地よい。ふと、自分の年齢を感じ、気が付いたらここまで来たのかと思う。そんな過去を振り返ってみたところでいったい何になるんだとも思う。「理由なんて何もないんだ。時が休みなく流れて、ただなるようになっただけなのさ」と無責任な風のささやきが聴こえてくるようだ。
 私はいつも待っている。本当に心から待っている。荒んだ心の中を少しでもいいから洗い流してくれるような、雲一つない青空を。

 明日も広がってくれよな、青空よ。

 あぁ、酔った。今日はこれで寝る。
 おやすみ~(斎藤典雄)

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2009年8月 4日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/福知山線事故、裁かれるべきは誰?

○月×日

 JR西日本の社長である山崎正夫氏(66)が起訴された(7月8日)。
 鉄道事故で経営トップが起訴されるのは極めて異例ということだが、忘れもしない85年の夏、520名もの命が奪われた日航機墜落事故(御巣鷹山)でさえ関係者全員が不起訴となったことを思えば、一歩どころか大きな前進なのか。
 だが、この福知山線脱線事故は起こるべくして起きた事故であり、JR史上最悪の大惨事であったことからも、起訴は然るべきだと思うが、どうなのだろう。
 また、106名もの乗客を死亡させ、500名からの負傷者を出しておきながら、誰一人として刑事責任を問われないこと自体、どう考えてもおかしなことであり、あってはならないことでもある。
 山崎社長は辞任の意向を表明し、8月中には新社長が就任するという。
 さて、山崎社長が起訴された理由を一言でいえば、「ATSの設置を怠ったから」だ。これが業務上過失致死傷罪の構成要件を満たしていると判断されたわけだ。つまり、ATSを設置していればこの事故は防げたという認識があった。すなわち、事故を予測できたかという「予見可能性」があったからと断定されたのである。(ATSについてはこれまでに何度も説明してきたので詳しいことは省かせていただく)
 しかしながら、どうしても腑に落ちないのは、なぜ山崎社長のみの起訴なのかという点であろう。ちなみに、山崎社長以外に書類送検や告訴されていた他の11人については「予見可能性」がなく嫌疑不十分、その内の運転士だけは死亡のためというのがその理由で不起訴処分ということだった。
 ここで「ちょ、ちょっと待ってよ」といいたいのは、今回のこの事態は、私達下々の関係者でさえ「たった1人を起訴するとしたら、この人以外にいないでしょ」というのがみんなの一致した思いだからだ。それは、警察が送検しなかった歴代の経営トップの3人、後に遺族が告訴に踏み切ったのだが、とりわけ初代の井手正敬氏(74)である。それにしても、遺族の方々も皆よく知っているんですね、誰が一番悪いのかを。
 (この井手氏についてはこれまでに吐き気がするほど述べてきたが、これだけはまたいわせていただく)この井手氏こそ、「この事故の背景は」とマスコミ各社が一斉に指摘をされていたJR西日本の「企業体質」、それを築き上げた張本人なのである。
 少し詳しくいえば、旧国鉄の強権的な労務政策を引き継いだ、いわゆる懲罰的な日勤教育や絶対的な命令と服従など、挙げれば切りがないが、何よりも、安全より利益至上主義に暴走した人物に他ならない。いいかえれば、これまでにJR西日本をたった1人で牛耳ってきた最高責任者であるというのが一般的な見方となっているのだ。
 つい先日(7月26日)になるが、神戸地検は遺族、負傷者を対象に起訴、不起訴にいたる理由などの説明会を開催したという。こうしたことは、これまた異例中の異例なのだそうだが、これは遺族らの心情を汲み取った地検の特別な計らいなのだろう。
 会には約130名の参加があり、ここでもやはり井手氏の不起訴に不満が噴出したということだった。これに対しての地検側の回答は「刑法の限界」を繰り返すしかなく、遺族は神戸検察審査会に旧経営陣の処分不当を申し当てる見通しであると報道されていた。
 以上だが、福知山線事故は4年目にして法廷の場での刑事責任追及という新たな局面に入ったことになる。
 「それにしても…」と私がいつも思うのは、遺族や負傷者にとって、起訴される、裁かれるといったことは1つの区切りとなることは確かだが、それによって憤りや無念が消えるものでは決してないということだ。悲しみや苦しみ、それは理不尽にも一生涯襲ってくることなのだろう。
 しかし、闘わなくてはならない。目の前の不幸と向き合いながら闘い続けなくてはならないのだ。
 これらの気持ちは当事者でなければ本当に分からないことだと思う。あぁ、やっぱり、何ともやり切れないとしかいいようがないのである。(斎藤典雄)

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2009年7月21日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/猛暑の中で総選挙

 梅雨が明けた。一気に暑くなった。しかも猛暑ときたもんだ。まいった。
 例年と違っていたのは、恐怖すら覚えるような土砂降りや雷が全くなかったことだ。たとえ降ってもすぐ止むし、鳴っても遠くだから自分の腹がゴロゴロ鳴る音の方がデカイといった感じ。
 従って、自然災害による事故などはJRでも世間でも起きなかったことは大変喜ばしいことと存じます。
 それでも水不足騒動に発展しかねないかと自分勝手に心配していたのだが、先日のニュースで「ダムは問題なし」といっていたので、これも一安心である。
 しかし、油断は禁物だ。今後、雷雨がないという保証はどこにもない。そればかりか、台風が発生すれば豪雨になる可能性だってあるのだから。
 それにしても暑い。いきなりの猛暑で痛いくらいの強い日差しだ。朝から汗が吹き出してしまう。中央線や飲み屋は空調が効いて涼しいが、いつまでもいられる場所ではない。
 やっぱり、何事も無理をしないことだろう。ほどほどにがいいのだ。とにかくこの先、夏バテしないように対処しなければならない。

さて、話は変わるが、今、国民の最大の関心事といえば、何といっても政治の動きだろう。
 8月30日に総選挙が行われることが決まったが、末期症状で右往左往、異常事態に陥った自民党の終焉、すなわち、政権交代は確実な情勢となったというのが大方の見方である。
 半世紀にわたって国政を支配してきた自民党に代わって、野党第一党である民主党が政権を担い、国の舵を取る。民主党のこれまでの意欲と頑張りがいよいよ実を結ぼうとしているのだから、私もついつい応援せずにはいられなくなる。が、しかし……。
 そんな思いとは裏腹に、民主党にはそれほど大きな期待を寄せているわけではない。信用もあまりしない方がいいと思っている。世の中が良くなってほしいと願うのは勿論だが、何もかもが今すぐというわけにはいかない。政権を取ったことにより、これまで以上の強権政治になることだってないとはいえない。つまり、今の自民党の体たらくぶりを見ていると(見なくとも)、国民のことなど二の次なのだ。いつも自分たちのことが最優先なのは民主党も似たり寄ったりのはず。もうこれ以上政治に翻弄されるのは結構だといいたいのだ。
 誰もが皆、仕事も人生も与えられた時間は限られている。結局、自分を守るのは自分以外にない。また、年をとるにつれ急激な変化は好まなくなる。
 苦しいことも辛いこともいっぱいある毎日だ。つい弱気になり、心が空っぽになった時でさえ、小さな幸せを感じることもある。私にはそんな今のままが一番いいように思えるのだ。
 何はともあれ、まずはギラギラとした本格的な夏の到来に乾杯。カナ!? とりあえず。(斎藤典雄)

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2009年7月 7日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/当ってしまった人身事故

○月×日
 人身事故に当ってしまった。
 中央線はいつものことだから、私達乗務員にとっていつかは誰かに必ず当る。よって、私に当ったからといって何の不思議もないのだ。といってもね……。
 発生は6月28日の13時55分。天候は小雨。東京から中央特快高尾行きに乗務していた。通過駅である武蔵小金井に差し掛かると、突然オットットットと身体が前につんのめるような体勢になりながら、急停車した。
 「急停車して申し訳ございません。原因を調べます。少々お待ち下さい」と早速アナウンス。
 「まさかアレじゃないだろうな」と咄嗟に思った。と、やっぱりその通り、「まさかのアレ」であった。
 「さぁ困った。こりゃ大変だ。あぁ、嫌だヤダよ~」と少し焦ったが、こんな時こそ職責をこえて一致協力してやれば大丈夫なのだと、半ば開き直りなのである。といってもね……。
 運転士によると、40~50代の女性がホームから飛び込んだのだという。電車は先頭車両1両がホームからはみ出し、残りの9両がホームにかかっている状態で停止していた。乗車率は約40%、乗車人数は約700人であった。
 「お知らせいたします。只今、この電車で人身事故が発生いたしました。負傷者の救出のためにしばらく運転を見合わせます。詳しい状況は分かり次第お知らせいたします。お客様におかれましては、電車から外に出ないようにお願いいたします。どうぞこのままでお待ち下さい。お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません」と、今書けばこうなるが、私の場合は実際のところ「人身事故です。負傷者を救出します。止まります。すみません、すみません」ぐらいにしか放送はしていない。しかも、落ち着きを失っているからか、いつもより早口になり、お客さまには何をいっているのかさっぱり分からないというか、ただまくし立てているだけのような放送であったのだろう。
 東京方の後方を見ると東小金井を発車した後続の電車がすぐそこの駅間に止まっていた。運転士が発報した防護無線(併発事故防止のため、他列車を緊急停止させる無線)により、後続や隣接線等の列車は全て抑止されているのだ。
 そんなこんなで、知らせを受けた駅員3人が駆け付けてくれ、線路に降り、中腰になりながら車体下の負傷者を探すと、「いたぞ」と叫んだのは私の乗務員室からすぐ先の2両目の所だった。
 私はこの時、駅構内の事故でよかったと思った。駅間であれば、いずれ誰かが応援に来るにしても最初は運転士と2人きりなのだから。
 いずれにせよ、私も救助に行かなければならない。私は車両に搭載してある事故対応用のバッグをおもむろに取り出すと、防護服上下とマスク、ゴム手袋(いずれも細菌感染予防のため)を着用し、準備完了。
 すると、14時04分、指令から、同ホームの向かい側2番線の使用が可能のため、後続の列車から2番対応で運転を再開する旨の無線が入いる。従って、本電車のお客さま救済のため(長時間の缶詰状態を避けること)、ホームから外れている先頭車両のみを締切り扱い(ドアの開かない状態)にして、お客さまには後の車両へ移動してもらい、2番線に後続の電車が来る旨を案内して、残り9両のホーム側全ドアを開扉した。
 早くも、警察数人と消防隊員10人近くが到着。そして、私も現場へ直行。
 負傷者は、「大丈夫ですか~」と声を掛けるまでもない状態だった。更にいえば、男女の識別すら困難で、これが人間か、である。かわいそうに……。
 負傷者を安全な場所へ移動させるために車体下に潜るのはせいぜい3人位で十分。それはプロである救急隊にお任せすればいい。こんな所に10何人も必要なしと判断して、私は乗務員室に戻る。結局、私は殆ど何もしていない。見ているだけであった。
 14時25分、指令から再び無線連絡が入いる。本電車を回送にする通告だった。2番線には既に何本かの下り電車が来ているのに乗り換えないお客さま、また、車内は蒸し風呂状態で非常に暑いにもかかわらず(これは、車体下には1500ボルトもある機器類があり、救助の際に触れてしまうと死亡事故に至る危険性があるため、電車はパンタグラフを降ろし、停電状態にするので、空調もストップする)全く降りようとしないお客さま全員を降車させ、全ドアの閉扉。
 同33分、救助作業終了。
 同43分、最終的な安全確認がとれ、本電車の抑止解除。
 同49分、運転士と打ち合わせ、運転再開。現場54分延。
 あとは、警察による現場検証と駅員らによる遺留品の捜索、といっても、ズバリ、肉片などの後始末と消毒だが、発車した私が関知することではない。
 乗務を終え、事故報告書などを作成し終え、一息つくと、「それにしても」という感情が噴き出してくる。
 自殺した人への同情や憐れみなど微塵も湧いてこないのだった。それは何も知らない他人だからであろうか。ただただ気持ちが悪いだけである。人身事故は国鉄時代を含めるとこれで5度目だが、もう二度とごめんだ、見たくはない。と同時に、小さな怒りすら覚える。人に迷惑をかけて死ぬんじゃないよ、といいたい。世の中には生きたくても生きられない人も大勢いる。すぐに挫けないで頑張って生きてもらいたい。もっともっと年をとるまで生きろよ。誰だっていつかは死ぬんだから……。
 しかしながら、死体処理までする仕事というのは、私達の他にあるのだろうか。合掌。(斎藤典雄)

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2009年6月16日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/何もかもガッカリRainy Day

 ○月×日
 雨の日が続くとガッカリする。
 朝から薄暗いと気分まで滅入る。何をするにもやる気が半減してしまう。コーヒーを啜りながらぼんやりしていることが多い。思い浮かぶことも何故か前向きではない。

 ふと、子どもの頃のことを思い出した。近所の神社に紙芝居が来ていた。確か5円か10円だったと思う。私は毎日見に行った。女優の菅井きんさんを男にしたような顔のおじさんだった。雨の日もカッパ姿で来てくれた。いつもは10人近い子どもがいたが、その日は台風のような大荒れだった。外には人っ子一人いない。今日は来ないかもしれないと思いながらも私は出掛けた。案の定、私一人だった。少し待つとおじさんはやっぱり来てくれた。そしてちゃんと見せてくれた。ところが、私はだんだんと怖くなり話の途中で全速力で走って逃げた。死に物狂いで家に辿り着いたのだ。紙芝居の内容が怖かったのではない。そのおじさんにどこか知らない遠い所へ連れていかれるのではないかという思いがしたのだった。
 また、その神社では近所の子ども達とよくかくれんぼをして遊んだ。私は家に帰れば絶対に見つからないと思ったのかどうかは忘れたが、とにかく家に帰っていた。こたつに入ってお菓子などをポリポリ食べているうちに眠ってしまったらしい。気が付くと日が暮れ外は真っ暗になっていた。う~む、子どもの頃からヘンなヤツだったんだなぁ、やっぱり。などと納得して、喜んではいられないのだけど……。

 さて、先日の乗務中に、床に寝ている人がいるから何とかしてくれとお客様から申告があった。しかも、なんと上半身裸だというのである。行って見ると、靴も靴下までも脱いであった。20代男性で酔っていたようだったが、家の中と勘違いでもしているのだろうか。やれやれと思いながら「おい、こらっ、起きろ。服を着ろ。『草なぎ』ってんじゃないよ、逮捕されるぞ」などというはずはないが、重いの何のって、やっとの思いで起こして座席に座らせたが、また寝ていた。直ちに指令に無線連絡し、途中駅で駅員を手配してもらって下車させた。いろいろなことがあるが、まったく、やっていられないよな。

 このところ人身事故がまた続いている。思うに、「発車です」「新宿です」「右側です」「乗り換えです」「終点です」の、この「です」が多いのがイケナイのではないのかと、ふと思った。です=デス。つまり、「Death」。死の宣告である。今度から「です」をつけないアナウンスをしようかと思った。

 くだらない話でガッカリだね。すまなかった。

 いやはや雨の日はしょうがない。梅雨入りもしたことだし、ジトジトジメジメ憂鬱な雨は当分続きそうである。(斎藤典雄)

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2009年6月 2日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/福知山線の事故から4年

○月×日
 JR福知山線の脱線事故から4月25日で早4年が過ぎた。
 やはり他人事でしかないのか。
 あれだけの大惨事であったにも関わらず、普段の意識からはすっかり遠のいてしまっている。
 それは乗務をしていてもだ。ほんとに些細な事象による連日のダイヤ乱れなどで1日が終われば「つ~かれた」と一目散に帰宅する毎日。目先のことを1つ1つこなしていくだけで精一杯というのが実情なのである。
 でもこうして思い出すのは、あれからまた1年が…という節目を迎えた時であり、関連したニュースなどを見聞きした時にと限られてしまっているが、あの時の衝撃は今でも鮮明に蘇るのだから忘れたわけでは決してない。
 今また改めて、犠牲となった多くの方々のご冥福をお祈りすると共に、大けがをされた方々の1日も早い快方を願うばかりである。

 さて、5月ももう終わりだが大きなニュースが飛び込んで来た。「JR西、異例の再捜索、脱線事故捜査大詰め」というもの。
 詳細は、神戸地検は27と28日の2日間にわたって、業務上過失致死傷容疑でJR西日本本社や山崎正夫社長(66)の自宅などを家宅捜索したということである。
 補足すると、地検は昨年10月にも同本社の捜索を行っており、兵庫県警の方は現場カーブにATS(自動列車停止装置)があれば事故は防げたと判断して、昨年9月に同容疑(ATSを設置するなどの安全対策を怠った疑い)で山崎社長ら幹部と元幹部、死亡した高見隆二郎運転士(23)の計10人を書類送検している。また今年3月には、遺族が井手正敬氏(74)、南谷昌二郎顧問(67)、垣内剛顧問(65)の歴代経営トップ3人を告訴した。
 報道にもある通り、業務上過失致死傷罪で起訴をするには「事故の予見可能性」、すなわち、当事者が事故が起きる可能性を認識していたとする証言が必要ということで、山崎社長らはこれまでの地検の事情聴取に対しこのことは頑なに否定しているとみられる。従って、地検が起訴の可否を最終判断するには昨年10月の家宅捜索で押収した資料だけでは不十分であるとして、詰めの証拠固めのため異例の再捜索に踏み切ったものと思われる。
 以上だが、それにしても4年である。JR西の企業体質は相変わらず内向きなようだ。例えば、遺族が公開質問状などで事故の真相解明を再三求めても、事故調査や捜査をいい訳に真摯に向き合おうとはしていないのだという。さらに、被害者対策にしても補償交渉を終えたのは未だに全体の3割未満というペース。乗客に責任など何一つない。企業のトップが事故の責任を負うのは当然だろう。なぜ被害者の思いをくみ取ってやらないのか。これではただいたずらに時が過ぎて行くだけである。
 また、(記憶が曖昧で恐縮だが)事故当時、ATSかスピードの問題で「そんなにスピードを出すとは想定していなかった」という旨の発言をある幹部がしていたと思う。この運転士があれだけのスピードを出さなければならない状況を作った原因は少なからずあなた方にある。指導、教育とは名ばかりで、懲罰やみせしめ以外の何物でもなかった、歪んだ、いわゆる「日勤教育」を忘れてはならない。
 さらに付け加えれば、分割民営化の過程で200人近い国鉄職員を絶望から死に追いやったのも手段を選ばぬあなた方のやり方、国労脱退強要などの不当労働行為が端を発していた。まるで悪夢としかいいようがないが、なぜこれほどまでに犠牲を強いなければならなかったのか。
 企業の体質がどうであろうと、安全安定輸送のために日々精一杯電車を動かしているのは私達現場の運転士や車掌である。人命を預かる以上、厳しさが伴うのは当然だが、心にゆとりがなければ意味がない。仕事は楽しくなければならないというのが私は基本だと思っている。
 福知山線のような悲惨な事故は二度と起こさせないという願いが遺族の共通した思いだろう。鉄道の安全に終わりはないが、犠牲となった人達には嫌なことは一刻も早く終わらせ、深い悲しみや怒りから一歩でも前へ進めるようにしてやるべきではないのか。
 今後、誰がどう裁かれても亡くなった人は戻ってはこない。けがも一生引きずって生きていかなければならない人もいる。本当に何とも複雑でやり切れない気持ちでいることだろう。
 もう二度とごめんだ、こんなことは。まっぴらだよ。(斎藤典雄)

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2009年5月19日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/清志郎を聴きながら

○月×日
 清志郎が逝ってしまった。
 たかがロックじゃないかという人もいるだろう。そうはいっても、されどロックなのである。
 私にとって、ロックは、生活の一部であるといってよい。日々、共に暮らしているといっても過言ではなく、この世の何よりも好きだと思う瞬間すらある。
 清志郎のパフォーマンスには多くの大人が眉をひそめ呆れていたに違いない。しかし、私達ロック小僧には永遠のあこがれであり、道標でもあったのだ。また、清志郎への支持は絶大なものがあった。

 亡くなってから早半月も経つというのに、清志郎は未だに私の全身を支配している。あの派手なアクションが私の身体に乗り移っている。「オー・イェーッ」「愛しあってるかい」といった曲の合間の独特なトークが耳にこびりついて離れない。名曲「スローバラード」のフレーズが頭の中でぐるぐると駆け巡っている。それらのいずれも私がやると、どうしてもいかれたオッサンにしかならないが、それがバッチリ決まる清志郎は、今日も私から消えていかない。

 遠い昔、私は清志郎が住んでいると聞いた「たまらん坂」(国立市)まで行ったことがある。ぶらぶらしてれば、その辺の路地からひょっこり現れて来そうな気がしていた。その頃はまだ身近な存在だと思っていた。
 私は最後のお別れと、これまでの感謝の気持ちを込めて、レコードやビデオを引っぱり出し、立て続けに聴いた。観た。どれもこれも、途中何度も身体中にツーンと冷たいものが走っては、ひとり私は落ちて行くのだった。「ドカドカうるさいR&Rバンド」なのに部屋中がシーンと静まり返っているのである。死んじゃいけないだろう、清志郎。

 乗務中も国立を通る度に清志郎の顔が浮かんできて、あぁどうしようもない。

 清志郎は自由に生きてきた人だと思う。それだけに大変だったことだろう。ハチャメチャとも思える表現は誰にも真似はできない。権力に媚びることはしなかった。反骨精神、反体制を貫いたキング・オブ・ロック。だからこそ、辛いことがいっぱいだったはずだ。
 それにしても、58才。あまりにも若すぎた。「ぼくの好きな先生」、清志郎は燃え尽きてしまったのか。合掌。(斎藤典雄)

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2009年5月 5日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/若葉の頃

○月×日
 「若葉の頃」だよね。

 新緑がまぶしい。初夏の日差しを浴びながらキラキラと輝いている。穏やかな風を受けながらゆらゆらと揺れている。
 木々の緑が日に日に成長していくのが手に取るように分かる。もこもこ、ゆさゆさ、ぐんぐんと、それは無限のエネルギーに満ち溢れ、新しい何かが始まる予感さえする。
 一年で一番清々しく、私の最も好きなこの季節。身近な自然で、この時期の緑のコントラストほど心を和ませてくれるものは、他にないと思っている。

 あれは私がまだ中学に上がったばかりの、ちょうどこの頃だったと記憶する。近所の友達のお兄さんがポータブルステレオを買ったという。今でいうCDラジカセみたいなもので、当時でおそらく1万円近くはしたと思う。誰もが持っているものではないから、もうそれだけでスゴイと大騒ぎだった。だが、シングル盤なら収まるが、LP盤をターンテーブルに乗せるとその機器からはみ出してしまうという代物なのである。それでも音はちゃんと出るから問題はなく、何よりそれが所定の正しい使用方なのだから。また、そんな機器を持っているのはそれこそ贅沢という、そんな田舎の町で、そんな時代でもあったわけだ。
 そのお兄さんは、「ビートルズだけが洋楽じゃないからね」みたいなことをいいながら、その頃「マサチューセッツ」などのヒットで有名なビージーズというグループの歌を聴かせてくれたのだった。

 それからは私も、このポップで美しいサウンドとハーモニーに魅了され、ずっと追い続けてきたのだが、70年代後半に大ヒットした映画「サタディ・ナイト・フィーバー」の主題歌あたりからの作品は聴いていない。
 理由は、いくら時代の流行とはいえ、これまでのポップス路線をあまりにも大胆に転換したということに嫌悪閉口してしまったからに他ならない。つまり、ディスコサウンドには興味が持てなかったということだ。それでもビージーズにとっては売れに売れ、世界的に大成功を収めたわけだが。

 それはさて置き、この時期になると必ず思い出すのがこのビージーズなのである。中でもどうしても聴いてしまうのが初期のこの作品。
 歌詞はクリスマスツリーやリンゴが木から落ちるといった冬の記述が多いのに、タイトルは「First Of May」、邦題は「若葉の頃」。要は、子どもだった頃の恋を回想する歌なのだが、お馴染の映画「小さな恋のメロディ」の挿入歌としても有名な曲だ。
 何ともキレイな曲で、聴いているだけで新緑に包まれているかのような気分にさせてくれる。それが気だるい午後であれば、心地よい安らぎで一杯になり、いつの間にかまどろんでしまいそうに癒される。ふと、暫しのうたた寝からハッと気が付くと、不覚にもよだれを垂らしたりしている自分がいる。でも、いいんだよな、これがまた。わっかるかなぁ……。(斎藤典雄)

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2009年4月21日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/川上健一の小説に涙

○月×日
 『四月になれば彼女は』(川上健一著)を読んだ。
 まず、書店でこの新刊を目にした瞬間「これだ」と直感した。なんていかしたタイトルなんだろう。かなり強烈な衝撃でビビッときた(大袈裟にいっているのではないですから)。中身なんてどうでもいい。この背表紙(タイトル)が私の本棚に並んでいるだけでも十分な価値がある。本気でそう思った。
 ふと我れに返ると、このコーフンを自分でも驚きながら、春を待ち焦がれていた私に必要なのはこれだったんだと納得した。そうなればもう何の迷いもなくこのタイトルだけで即行レジに向かったのだった。

 変なやつだと思われるかもしれない。しかしそれは別に春だからではなく、私にはこうした突拍子もない変なところが多分にある。それでも家に帰ると、やっぱり一気に読んだ。
 で、このタイトルは、60~70年代の最強のデュオ・グループ、サイモン&ガーファンクルの佳曲として有名なのだが、知っている人も多いだろう。私も中高生の頃は夢中になって聴いたものだった。中学生の時に観た、ダスティン・ホフマンの映画「卒業」の挿入歌でもあり、「エ~イプリル♪」で始まる2分にも満たない短い曲だが、内容ははかなくも美しい恋の歌だ。
 英語はからきし苦手な私だったが、辞書を片手に悪戦苦闘、訳詞までしたことを今でも鮮明に覚えている。
「4月になれば彼女はやって来る。5月、一緒に暮らす。6月、彼女は心変わりする。7月、突然いなくなる。8月、彼女は死ぬ。9月、彼女との思い出に耽る」と、間違いだらけの訳詞をさらに要約するとこうなる。
 あぁ、4月と聞くと感慨を抱かずにはいられなくなる。どうしてだろうか。

 前置きが長くなってしまったが、私は著者である川上健一氏は青春小説の名手だと思っている。氏の小説をはじめて読んだのは『雨鱒の川』だった。これも山村の川で魚獲りをする裸の少年と、その後ろに佇む少女というノスタルジックな本の表紙に惹かれて何気なく買ったものだった。
 内容は氏の出身地である東北の田舎を舞台にした小学生の純愛小説なのだが、かなりシリアスで、思わずこの2人を応援してしまいたくなり、泣けて泣けてどうしようもない大感動作だった。
 ただ、ちょっと気になったのは言葉の壁。つまり、会話が東北弁のために全国の人に理解できるのかということだった。
 それにしても、この2人が大人になったときにどうなっているのか。もちろん結婚すると単純に思うが、続編を書いてもらいたいと期待したのは私だけではないだろう。
 いや……、このままの方がいいのか。大人になればどうしても直面せざるを得ない世の中や社会の厳しい現実。ややこしい人間関係。不純でドロドロしたものなどこの2人には似合わない。そんなものは読みたくないか。ん!? そんなことより青春小説からはみ出してしまうよな。
 それからは氏の作品を立て続けに読んだ。『ららのいた夏』『宇宙のウィンブルドン』『翼はいつまでも』などなど。どれも痛快で読み出したらもう止まらない。ユーモラスで破天荒なのだが、おやじの胸でもキュンとなるような切なさもまた絶妙だ。思わず涙が溢れ出るというのに、読後感の清清しさといったらこれまた格別な作品ばかりだったのだ。
 さて、本書『四月になれば彼女は』だが、お馴染みの青森が舞台で、何故かいまいち釈然としない日々を過ごしていた主人公の沢木圭太が高校を卒業して地元に就職するという前日24時間の話だ。
 ホンダのカブで町中を走り回り、仲間や小学校時代の初恋の人と出くわしたりと、これでもかというくらいに起きる一日の出来事が実に濃密に描かれている。で、最後は東京への旅立ちを決意するというどんでん返しの展開となる。
 それにしても、まるでハチャメチャ、ドタバタが多すぎる。しかしね、私もこの頃はこれと似たり寄ったりでおバカなことばかりやってたなぁと気恥ずかしくなってしまった次第だ。誰もが程度の差こそあれ、長い人生に於いて、少年から大人へと成長していく大事な通過点であることは間違いない。

 あの頃は確かに純粋であった。

 また、4月は出会いと別れ、そして旅立ちの季節だ。ある意味、決断のときなのかもしれない。
 この本を読んで、またしても少年時代に戻りアツクなれたのはよかったが、タイトル負けではないのかという印象が否めない。

 どれどれ、レコードでも聴こうかな。もちろん今夜は黄金のデュオ、サイモン&ガーファンクル特集だ。いいな、いいいい。透き通る歌声。春にぴったりだ。「エイプリル・カム・シー・ウィル♪」。(斎藤典雄)

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2009年4月 7日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/3月25日、JR不採用訴訟の控訴審によせて

○月×日
 3月25日、東京高裁から判決が出された。
 「国労差別を認定」「慰謝料550万円(一審より50万円増)」、それなのに「解雇は有効」などなど。
 これらの内容は一審とほぼ同じだ。これといった前進はない。一言でいえば、話にならない。
 この裁判は、国労組合員がJRに採用されなかったのは違法だとして、解雇された1047人のうちの304人が当時の鉄建公団(現鉄道・運輸機構=旧国鉄)を相手取った訴訟の控訴審。一審判決は4年前の05年、9月にあり、JR採用時に不当労働行為があったとして国労差別が初めて認められた画期的なものだったが、慰謝料の額や解雇は有効などの判断があったため双方が上告していたもの。また、これと同種の訴訟で係争中のものが5本あるが、高裁による判決は今回が初めて。
 ところで、この日の判決に先立ち、昨年の7月に「裁判外での話し合いをしたらどうか」という裁判長提案があり、当時の冬芝国土交通大臣が「誠心誠意努力する」との発言をしたことから、原告ら国労側もそれを真摯に受け入れ、裁判と並行しつつも話し合いによる解決、すなわち、政治による解決を何としてでも判決前(年度内)に実現させるという不退職の決意で精力的に挑んできたのだが、結局は機構側との意見が折り合わず、判決となった。
 しかし何よりも、政府が動くことが出来なかったことが原因ではなかったのか。つまり、首相交代などの政治の混乱が最大の壁となったからだと思うのだが。
 それにしても、判決は、不当労働行為により解雇されたというのに何故「解雇は有効」となるのか、単純な私には今一つ理解出来ないのだが、高裁でも不当労働行為が認められたことはもはや揺るぎないものとなり、これだけは大きな成果だ。このことは他の5本の審理にもプラスに影響するはずだし、政治解決にも少しは後押しする結果となったといってよい。
 また、この不当労働行為に関して機構側は「採用は公正だ」と譲らないが、国鉄改革を断行した中曽根元総理自身が「国労を潰すためにやった」と雑誌やNHKのインタビューで繰り返し発言していることなのだ。やった本人が明らかにしているのだから間違いないではないか。それも「国家的」不当労働行為なのである。
 しかしね、よくもまあ何の臆面もなくいえるものだ。権力者の驕りであろうか。れっきとした労働法違反で犯罪行為なのだよ。
 裁判長は判決後に「この判決を機に早期解決を望む」と異例のコメントを付け加えたそうだ。この意味は、司法による救済には限界があり、あとは政治で解決しなさいということであろうか。
 判決後のマスコミ各社は「今こそ政治決断する時」「機構も国交省も逃げずに解決を図る姿勢が求められる」「不採用から丸22年という長きにわたる原告たちの苦悩を思えば、一日も早い解決を願わずにはいられない」と、政治の責任で解決すべきであると一斉に報道していた。
 いずれにしても、今後また何年かかるか分からない最高裁判決までは待てない。「一人も路頭に迷わせない」の大臣答弁も「組合差別があってはならない」の国会決議も全て偽善であった。政府の約束など信じられない。いったい労働委員会以来何度目の判決(命令)になるのか。もはや一喜一憂してなどいられない。22年という歳月はあまりにも長すぎた。闘争団員の平均年齢は56才に達したという。既に52人の仲間が他界した。これでは人生が終わってしまう。おれの人生を返せといっても戻ってはこない。もう限界だ。一日も待てない。苛立ちが募る。怒りと悔しさでいっぱいになる。闘うと決めた以上はそれもこれも覚悟の上なのか。何かがおかしい。変だといつも感じて来た。だが、どうすればいいのか私には分からない。政治が動いて納得した解決が出来るのか。歩み寄りは出来るのか。それも私には分からない。
 それでも闘争団は闘うのだという。だからもう少しの支援を下さいという。
 原告団長と闘争団員の奥さんの涙を見た。
 私は微力で何も出来ないが、最後まで支援をし続けよう。そう思う。(斎藤典雄)

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2009年3月17日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/JRで出勤、JRで勤務、JRで帰る

○月×日
 もう春です。
 爽やかな風の中を今日も出勤する。家からJR八王子駅まで徒歩7分で着く。私の前を行くちょっと太ったおばさん。60才ぐらいか。やけに急いでいる。走っては歩きの繰り返しで、お尻が左右正確に揺れている。まるでアンダンテを刻むメトロノームみたいだ。結局、駅に着いたのは普通に歩いていた私の10メートル先ぐらい。なんだかな~。
 駅に一歩足を踏み入れると、まさしくそこは私の会社だ。知っている駅員も多い。なんだかもう出勤してしまったような気分になってしまう。だからこの時点から勤務時間に入れてほしいといつも思う。
 東京行きが来る。いつもの中央線だ。あぁ、見飽きた、乗り飽きたな。これこそ間違いなく私の職場だ。せめてこの時点から勤務時間にカウントすべきだ。「ナニいってんだ」と相手にしてもらえないだろうけどね。5分もしないうちに次の駅、豊田に着く。
 電車を降りてエスカレーターに乗る。私の前を行く女子高生がミニスカの尻を手で押さえている。おれがガードしているのだからその手を離せよといいたくなる。その女子高生はエスカレーターを上り切ったすぐ脇にあるトイレに入っていった。なあ~んだ、漏れそうだったのか(おいおい違うだろ)。
 尻の話が2つ出たのは偶然でタマタマだが、話が尻つぼみにならないように気をつけたい。尻上がりで行かなくちゃ。
 さて、駅を出ると目の前にド~ンと職場がある。1分で着く。客待ちのタクシー運転手が堂々とマンガ本を読んでいる。いいのかなぁと思いながら、職場手前にある交番のおまわりとはなぜか目を逸らして職場に到着する。
 職場は4階建てだが、ホーム上につくったため一階はホームだから、ない。2階が主な執務室、3階が会議室と更衣室、4階が寝室となっている。まず、玄関すぐの2階しかないエレベーターに乗る。当初は、乗ると「行き先階ボタンを押して下さい」との音声が流れていた。1階で乗れば2階(2階なら1階)と決まっているのにそれはないだろうと思っていたら、誰かが指摘したのか、最近では「上へ(下へ)まいります」のみに変わっている。ただそれだけなんだけど。
 エレベーターを出て3階に直行。整服に着替える。2階に下りて点呼などを済ませると、いざホームに出場。乗務の開始となる。今日は仕事の話は抜きだな。天気もいいし(ん!? 最近はいつもだってか~)。
 昨日までの事故など何もなかったかのように快走する中央線。しばらく行くと、とある駅のすぐ近くに煙突のあるピザレストランがある。いつも繁盛しているみたいだ。看板には「薪で焼く、石釜本格ピッツァ」とある。しかし、私は未だかつて煙突から煙が上がっているのを見たことがない。
 そして、武蔵小金井駅。発車ベルを鳴らし終えると「ドアが閉まります。ご注意下さい」と駅の自動放送が流れる。その後、絶妙のタイミングで「次の電車をご利用下さい」と。これには私達車掌も助かる。全駅にしてもらいたいが、どういうわけかこの駅だけしかやっていない。ま、駆け込む人はそんなのお構いなしなわけだけど。しかし、ふと思った。終電だったらど~すんだと。初電まで待てってか。で、注意して聞いていたら深夜帯はしっかりカットされていた。当たり前だけどね。

 あれま、ついうっかり仕事の話をしてしまったな。でも、この程度なら許せるだろう。

 ホーム上や沿線では手を振るチビッコが本当に多い。「車掌さ~ん、バイバ~イ」とやるわけだ。バスやタクシーの運転手、パイロットにだって手なんか振らないだろう。「いやあ、おれも人気者だなぁ」と勘違いを承知で、私はちょっと照れながらも白い手袋で必ず振り返す。喜ぶんだな、これが。子どもがなりたい職業に車掌がないのが不思議なくらいだ。
 そんなわけで、私は時々、普段私服で電車に乗っている時にハラハラドキドキしてしまうことがある。それは、小さな子が、大きな声で、「ほら、ママ、あの時の車掌さんだよ」といわれはしないかということだ。そうなのだ。なぜかそれは全くない。これも不思議でしようがない。
 そんなこんなで今日も無事に終了となる。

 会社も乗せてくれるよ、まったくなといつも思う。もうヘトヘトだ。でもたいしたことはない、これくらい。

 行けども行けども中央線。当たり前だが、駅、駅、駅だ。来る日も来る日も同じことの繰り返し。振り返ればあっという間の30年。乗務キロは1日約250キロ。いったいこれまでに地球を何周したことになるのだろう。くたびれちまって計算する気にもなれないよ。さぁ、帰ろう。仕事が終わってもまたJR。今夜のウィスキーが待っている。(斎藤典雄)

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2009年3月 3日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/「おくりびと」オスカー受賞に拍手!

○月×日
 「おくりびと」がオスカーを受賞した。
 私は「えっ? ナニ!? すごいじゃない!!」と舞い上がってしまった。
 実は、私が昨年劇場へ足を運んだのはこの1本だけだったのだ。それがこんなことになるとは、何だか偶然にしろ信じられなくて、もう嬉しくてたまらない。
 鑑賞後はあまりにもぐっときたものだから当ブログにも短い文章を書いた。また、サウンドトラックなどめったに買わないのにすぐさまCDを手に入れ、物悲しいチェロの音色に酔い痴れてはいつも映画の余韻に浸っていたのだった。
 内容は人の死という重いテーマだったが、随所随所でうるうるしっぱなしだったもののクスッと笑えるユーモアにも妙に納得して、あたたかい気持ちになれたことを思い出す。
 あれから約5ヶ月。この受賞は日本映画では初めてだそうで、快挙である。この日のTVはどのチャンネルも「おくりびと」一色で、日本中が沸いたといっても過言ではないだろう。
 主演のもっくんや滝田監督などは連日「出まくりびと」となっていて、この映画の舞台となった酒田の人達まで歓喜する姿が映し出されていた。
 これを機に酒田も経済効果が少なからず期待できるのではないか。地域の活性化に繋ればいいと心から願っている。また、これからも酒田の伝統ある文化と四季の素晴らしい風景をずっと守ってもらいたい。
 酒どころでもある酒田には「おくりびと」(酒田初孫)とういう日本酒まである。
 人間の原風景、私の生まれ育ったふるさとの酒田。
 風よ吹け。春よ来い。

もうこうなったら、JRも新幹線を酒田まで延ばすしかないよ、社長!!
よかったの。本当によかったの~。待ってろよ、明日また行くからな。世界デビューを果たした「おくりびと」の地、酒田へ。(斎藤典雄)

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2009年2月17日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/人身事故発生、しかし車内は…

○月×日
 立春が過ぎた。
 といっても暦の上でのことでまだ冬だ。2月にふぶくことの多い田舎ではまだまだ油断ならない。
 でも、これまではいくら暖かい日でも春の「は」の字も出てこなかったのに、この日を境に、少しでも陽気がいいと「春だなあ」と感じてしまうのだから不思議なものだ。それは、暑さが和らいでいく立秋にもいえることだ。
 こんなことを感じるのも年を取った証拠なのだと思うとちょっとさみしくなってしまうが、そういえば、私は元々、季節や気象に対する思い入れが強いのであった。ああ、腰が痛いこと。それと、右肩から腕にかけてもジワジワ痛くて、服の袖を通すのも歯を磨くことすら大変なのだ。

 閑話休題。1月の中央線の人身事故は10件を超えた。3日に一度の割合だが、首都圏で人身事故のない日はないといってよい。出勤すれば、やれ山手だ、東海道線でだと、必ずどこかしらで起きている。昨日14日もまた中央線であったから、今こうして書いているのだが。
 私達車掌は人身事故の情報が無線から流れると直ちにその旨のアナウンスをしてお客さまにお知らせするわけだ。
「ただ今、○×駅で人身事故が発生いたしました。この先、途中駅で運転を見合わせます。あらかじめご了承下さい。詳しい情報が入いり次第お知らせいたします。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」。
 お客さまの中には時間に余裕がなく移動している人、この事故で今後の予定を変更せざるを得なくなってしまった人など様々だろうが、まったくもって困った事態であることは誰もが認めることだろう。
 その上で、最近の車内事情はというと、全体的に反応が小さいということを感じるのだ。皆すっかり慣れてしまったのだろうか。「ああ、またか」といった雰囲気で、まるで他人事のようにクールで醒めている。全体的におとなしいと思うのは私だけではないはずだ。
 以前なら、もっとどよめいたものだった。驚きと動揺と困惑で車体が一瞬ぐわんぐわんと揺れたほどだった(ホントかよ)。本当です。しかし、今、それがない。
 中には、「ナヌッ~!!」とあからさまに声を上げてキョロキョロと落ち着きを失う人もいるが、ほとんどの人は無言だ。ただ静かなため息と共に隣にいる見ず知らずの人の顔をそっと盗み見てはホッと安堵しているような様子なのは、この事故による思いを共有しているということをカクニンできたからなのか。とにかくじっとしているといった具合なのだ。
 また、「どうなっているのか」「いつ動くのか」と以前は車掌にひっきりなしに聞きに来たものだが、これもチラホラでしかない。
 ま、この点は私達も気休めになっていいのだが、そんな悠長なことをいっている場合ではない。定時で帰れなくなる。食事時間がなくなる。夜勤なら寝る時間がなくなる等々。私達はこれが仕事だからと言ってしまえばそれまでだが、お客さまはもっと深刻であるということは重々承知しているのであり、何よりもお客さま第一で誠心誠意の対応を心がけておりますので、その辺のところはあしからず。
 いずれにしても、人身事故をなくさない限りは話にならない。でもなくならない。柵などの防止策では効果はなく、ホームなどの構造面からいっても現時点では無理だろう。だが、山手線の何駅だったか、試験的にホームと線路の間に仕切を設けて二重扉にする(一部の地下鉄にある)との話は聞いているが、それを首都圏に広めるとなれば大変だ。設置にあたるホーム強度などの耐久性も問題であろうし、何よりも莫大な設備投資だ。
 それとも、主要駅に限定するのだろうか。
 ん? まてよ。なんぞや、いったい。不慮の転落防止策なのであり飛び込みだけではないにしても、自殺の主要駅ってあるのかい。
 とにかく、実現には何年、何十年先かわからない話なのだ。
 命を断ちたい人の事情もあろうが、大迷惑この上ないのだよ。う~む。いい考えは思い浮かばぬが、そんな人は鉄道以外にしてほしい。他の所を選んでよ。た、頼むから……。(斎藤典雄)

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2009年2月 3日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/車掌の休日、とある昼下がり

○月×日
 ラブソングでも聴いて暖まろうか。
 寒い日は着膨れで雪ダルマのよう。外に出るのも億劫になる。だから家の中にいる時間が長くなる。1人でいるとすることがなくなる。活字はもういい。テレビもつまらない。家事も済んだ。昼間からサケなど飲んでいられない。ツ~カレた。
 こんな時は何気なく音楽を聴く。今日はラブソングだ。
 別に恋をしているわけではないが、すっかりしょぼくれたオヤジになってしまった今でも、心に染みてたまらなくなる歌。胸がえぐられてやるせなくなる歌。甘くて切ない、そんな狂おしい気持ちを代弁してくれる歌。あの頃を思い出して、思わず目頭が熱くなるような歌。
 ふと思った。おれにとってこれだというラブソングは何んなんだろうかと。名曲を挙げれば切りがない。こうして構えるとなかなか浮かんでこない。そこで普段家で掛ける歌。ふいに口ずさんでしまっているような歌をまず。

 「サルビアの花」早川義夫。(♪僕の愛の方がステキなのに)。この人の素直さがドラマチックなのだ。
 「スローバラード」RCサクセション。(♪カーラジオからスローバラード)。清志郎のかっこ悪さがスゴクかっこいい。
 「君が好き」ミスターチルドレン。(♪これ以上の意味はなくたっていい)。桜井は屈指のメロディメーカーだと思う。
 「I LOVE YOU」尾崎豊。(♪何もかも許された恋じゃないから)。尾崎は男が惚れてもおかしくない男、かも。
 「百」乙三(オッサン)。(♪働いて働いて会えない週末は辛い)。グッときた最近のバンド。パワーは絶大。

 と、とりあえず今思いついた邦楽だけを並べてみたが、どんなものか。

 ま、季節が変われば他の歌だったりするわけだが、サウンドやリズムやらの音楽性は時代と共に変化するものの、人の心情は今も昔も普遍なのだとつくづく思った。
 それにしても、人を好きになると(ならなくても)どうしても様々な音楽と自分とが重なってしまうのだ。でも、万人に共通した思いがあるからこそ受け入れられたりヒットしたりするのだろう。
 それは、あらゆる文化や芸術にもいえることだが、何も強制されるべきものではない。人それぞれの人生があっていいのだから、音楽に関していえば耳障りでない好きなものを聴いていればいいのだ。
 心に響くラブソング。胸が打たれるラブソング。いい、いい。暖かく、弛緩した、もどかしく、やわらかい、冷たく、乱れた、打ちのめされる、そんなラブソング。
 要は、いいものにはそれなりに惹きつけられるものがある。素晴らしいものは、熱狂の中でも静まり返って黙る一瞬があるのではないか。コンサートでも息を呑むとか曲が終わって拍手が沸き起こる瞬間がそれだろう。
 寛容な心を持ち、いつも穏やかに過ごし接していこうと思ってやってきた。しかし、どれをとっても私は失格だったような気がする。
 今でも前述のような歌を聴いているなんて、小僧なのかな。ちっとも大人になれない。でも、オヤジにはなっている。どうしようもないオヤジだけどね。(斎藤典雄)

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2009年1月10日 (土)

●サイテイ車掌のJR日記/年頭に寄せて

○月×日
 年が明けた。
 風もなく穏やかな日々が続いている。日陰は寒いが、日向にいれば太陽のぬくもりが感じられて暖かく、体が随分と楽だ。どこまでも澄み切った青空を見ていると、暴風雪に凍えながら泣いたり笑ったりしたふるさとを思い出す。分けてやりたいよ、この天気を。

 今年は、というと、これといった夢や希望、目標、期待などは何もない。ただ、何事も平穏無事であってほしいと願うだけだ。
 もうバカはしない。むちゃはしない。自分一人の力では何にも出来ないことはよく分かっている。
 若い人たちにもついていけない。波長がどうも合わないのだ。すっかりオヤジと化してしまったようだ。
 冬は温泉に限る。昨日は箱根で、今日は草津だ。そんな気分になれるのだから、いいね、やっぱり。入浴剤は。
 これからは、他人に迷惑だけはかけないように、隅っこで慎ましく生きていこうと思っている。
 そんな中でもいくつかの感動に出会うはずだ。それは小説だったり音楽だったり。のんびりゆったりと過ごし、時の経つのも忘れさせてくれるような夢中なひとときがほんの少しでもあればいい。本当にそれだけでいい。
 そりゃあ辛いこともあるだろう。でも大騒ぎはしない。だいたいがちょっと辛抱すれば何事もなかったかのように済んでしまうことだ。平常心で対処していけば万事オーライだと思う。

 JRは年中無休で営業している。365日フル回転だ。従って、私達にも正月休みはない。でも、そんなことはもう慣れっこで、愚痴をいうのもアホらしい。私も相変わらず東京と高尾を行ったり来たりだが、中央線は元日に八王子で、2日にも新宿で人身事故があった。元日に人身だなんてこれまでに記憶がないが、中央線だものな、こんな事もありだろう。
 乗務は乗り出したら2時間以上もトイレに行けないことはざらなので、体調だけはしっかりと整えなければならない。そして、早朝だったり夜だったりの毎日違う出勤時刻までにキビシク出勤をする。
 1秒進んでいるだの遅れているだのの時計の整正などの厳正なる点呼を終えると乗務開始となる。
 発車番線を間違えないようにホームに出場する。信号を確認して時間で電車を発車させる。次駅に着けば停止位置を確認してドアを開ける。お客さまの乗降に注意する。時間が来れば再び信号を確認して発車させるの繰り返し。
 たまには時間を間違えたりでハッとすることもあるが、そんなこんなで30年。たいしたことではないよ、何もかも。

 嫌な仕事でも我慢出来るのは、それ以上の黄昏に身を置こうが解放をも許してくれる今夜のウィスキーが待っているから。枕を並べて安らかに眠ることが出来るからだ。いくら打ちのめされても何もかも忘れさせてくれるのはこの2つだろう。
 愛があれば仕事は出来るよ。愛さえあれば何があってもへっちゃらだという時期があったでしょうよ、おぬしにも。

 しかしね、あんまりの荒模様にだけはなってほしくない。勘弁してよと心底思う。こうした平凡な毎日にこそ感謝をしつつ、本年も引き続きよろしくお願い申し上げます。
(斎藤典雄)

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2008年12月16日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/08年総括

○月×日
 「今年も終わるんだなあ」と思う。
 乗務中でも、遠くの空を眺めても、街の雑踏の中にいても、落ち葉を踏みしめても、グラスを傾けても、そればかり思う。
 悔いも未練も何もない。これといった満足感すら感じない。
 それというのも、今年こそはという目標を持たなかったからだろうか。確固たる主体性もなく、ただただ、時の流れに身を任せていただけで、世の中とも、それほど真剣に向き合ってこなかったからだろうか。あれこれ深く考えてみたところで、理由はよく分からない。
 この1年を振り返ってみると、公私共に特に変わったことは何も起こらなかったように思う。
 そりゃあ、時には、鼠色の雲が低く垂れ込めてきて、「荒れてくるな」と身構えたこともあった。が、しかし、総じて、時はたんたんと過ぎて行き、まるで何事もなかったかのように結果はオーライ。穏やかな日差しに包まれながら、のほほんと、順調に推移した1年ではなかったか。そうだと思う。
 正直にいうと、「もう何もかも関係ねえんだ、おれには」というと語弊があるが、いつの頃からか(たぶん、ここ1~2年だと思うが)、私は何事に対しても距離を置き、深く関わることはしないできた。
 それは、残り少ない仕事、残り少ない人生が、これ以上波瀾万丈だなんてまっぴらだと思うようになったからだ。私自身もあえて波風を立てるようなことはせず、ただ静かに、無事に終わってくれればそれでいいと思うようになったからだ。
 少し具体的にいうと、たとえば職場だとする。余計なことはいわない。仲間の輪の中には入るが、うんうんと聞き役に徹するというか。これまでの私は、1つ1つにいちいちこだわり、ああだこうだと人一倍一喜一憂していたものだが、最近はどうも疲れるというか、どうせ結果は分かっているのだから何も大騒ぎすることではないのではないかと。ある意味、醒めた目で見るようになったということだろうか。
 乗務中に人身事故や何かのトラブルがあっても、自分の仕事が済んでしまえばそれでいいと。勿論やることはやり、一日が無事に終わればそれでいいと思うようになったのだ。
 また、誰が遅刻しただの、ミスをしただのはまったく眼中になどなくなった。そんなことはもうどうでもいいと思うようになった。今まで張り巡らしていたアンテナは引っ込め開店休業状態にした。つまり、傍観者を決め込んだりといった具合なのだ。
 こんなことをいうと、なんてマイナス思考なんだとヒンシュクをかいそうだが、大事なことにはキチンと向き合い、やることはやっているわけで、ま、どちらかといえばそのようにしていますといった程度のことなので、まずまず、あしからず。
 なんだかしけた話になってしまったかな。
 いずれにしても、今年もまた東京と田舎を行ったり来たりの1年だった。それは昨年と変わりない。
 でもね、帰省の度に、東京よりははっきりしているふるさとの四季の美しさに触れ、十分に満喫できたこと。海や山などの旬のもの、それと地酒などなど。美味しいものばかりたらふく舌鼓を打てたことは何よりの贅沢だったように思う。少しは余裕が出てきたのだ。
 いつまでも元気でいたいよね。
 ではでは、また来年。(斎藤典雄)]

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2008年12月 7日 (日)

●サイテイ車掌のJR日記/人間ドック

○月×日

人間ドックを受診した。
 全て異常なしで本当に一安心。今年で4回目で、50を過ぎてからは毎年受けるようにしている。
 実は昨年、ポリープやらでチト大変な思いをしたので、今年もまたかと気が気でなかったのだ。
 体をいたわりたいのは山々だが、どうしても無理をせざるを得ないのが実情だ。癌などの大病はその人の運命だと言ってしまえばそれまでだが、自分で気をつければ治る(若しくはならない)のならそれにこしたことはないのだから、出来る限りのことはしたい。
 それと、もともと丈夫な人はいるし、遺伝もあると思うが、老いていくのは誰しも皆一緒で、若い時とは違い、何事も自重しなければならないのは当然なのだろう。
 それにしても、これまでの私は何事に対してもいきあたりばったりで、どちらかといえば「どうにかなるさ」と好き勝手に生きてきた方だと思う。何の計画性もなく、おもしろおかしくやり過ごしてきたのだ。これから先も長生きはしたい。悪態をつくのもほどほどにしようと思う。
 最近よく感じることの一つは、元気なお年寄りを見ると尊敬の念を抱くようになったことだ。やっぱりそういう人たちはあれこれ気をつけて当たり前の生活をしている人が多いような気がするが、私も仲間に入れるのだろうか。
 さて、ドックの結果を聞いて、私はいつも固く結ばれている?! Oさんに連絡をした。彼女は私の編集担当で、アストラで一番の美人だ(といっても、アストラには女性は一人しかいないけどね)。
「異常なしだったから、もう結ばれていなくても大丈夫かもよ、おれ」とメール。すると返事は「結ばれていないと、そんないい結果は得られなかったのでは……」と。
 ああ、ステキな人だ。しゃれていてセンスが抜群なのだ。私の冗談をいつも受け入れてくれて、さらりとかわしてくれる。ますます好きになってしまったよ。ちくしょう、こうなれば忘年会しこたま飲んで寝ちゃうぞ、おれ。ん?! 酔い潰れて、その場でおれ一人寝てしまうということなんですが……。
 いずれにしても、今後の課題は老いという人生の下り坂を、いかに登っていくかだろう。
 今夜は乾杯!!(斎藤典雄)

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2008年11月18日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/朝夕の満員電車、概観

 まるで「ドシラ」と重く沈んでいくかのように、何もかも、トーンが下がっていく。そして、しまいには、深いため息に変わっているのだ。
 ん!? 何を言っているのかさっぱりわからないよね。それはそれで、まず。
 一日の仕事を終え、家路を急ぐサラリーマンの姿も、いつもと違うような、なぜかせわしなく感じてしまう。また、家々に灯る、昨日までと同じはずのあかりですら、なぜかあったかそうに見える。さらに、日が暮れ始めて、暗くなっていくときの感じが、なぜか物悲しくてしようがない。
 それらは多分、冬が来るということを日に日に実感しているからか。そんな今日この頃だが、それは今だけで、12月になれば本当に目まぐるしくて、そんなことなど感じてはいられなくなるのだろう。
 毎年のことだが、寒いのは嫌だね。今はまだそれほどでもないが、やっぱり寒い。
 勤務中、ホームで自分が担当する電車を待つことすら、寒さが身に沁みて億劫になる。欠乗防止のために、早めのホーム出場が義務づけられているのだが、ま、3分くらい前からホームに突っ立って待っているわけだ。それだけで辛い。
 寒いから、つい、ポケットに手を入れて何でもいいから踊りたくもなるが(ならないか)、お客さまの目もあり、あまりみっともない格好はできない。背筋を凜と伸ばし、直立不動の状態で、遠くの空を見つめながら、安全と無事故だけを祈り、ただひたすら待っている、わけではないけどね。
 それにしても、中央線は遅れてばかりだ。
 朝はお客さま混雑の遅れの上に、特に多いのが急病人だ。これだけ込んでいるのだから気分が悪くなるのも分かるが、睡眠と朝食は十分だったのだろうかと思ったりする。まさか、乗車時に健康診断をするわけにもいかないし、超満員で消耗する体力は相当なものだろうが、これはどうにもならないことだ。
 そして、日中に多いのは荷物挟まりだろうか。駆け込んで無理矢理乗ろうとするからだが、ドアが閉まりかけているのに傘などを差し込むケースが目立つ。私達車掌は再び開ける手立を取るが、そのまま閉まって発車してしまったりする。で、直ちに非常停止手配をとり、急停車させるが、これも個々人のマナーの問題で、やはりどうにもならないような気がしてしまう。
 あと、夜は断然酔客絡みだ。触車や転落、線路内立入り等々。これからの忘年会シーズンを思うと先が思いやられるが、命に関わる問題だから特段の注意をしなければならない。
 しかし、昔はこんなに多くはなかったと思うのだが、情報が伝わってこなかったり、見えなかったりで、結果オーライなだけだったのだろうか。とはいっても、やはり来る日も来る日もどうにもならないことばかりだ。
 安全は他人任せではいけない。自分の身は自分で守る心構えをしなければならない。なんてね。私自身偉そうなことをいえる立場ではない。
 いずれにせよ、ため息とともにうなだれてばかりいる。「ドシラソファミレド~」というわけです。(斎藤典雄)

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2008年10月25日 (土)

●サイテイ車掌のJR日記/「おくりびと」を観た

 「おくりびと」を観た。
 いやあ、感動した。涙が止まらなかった。チェロの音色が耳から離れない。
 帰省すると必ず寄る飲み屋の女将さんから「エキストラで出てるから、観に行っての~」と昨年からいわれていたので、正直、義理で行ったのだが、観てよかった。

 人間の尊厳を一番感じるのは死んだ時なのだろうか。だとしたら悲しい。

 納棺師という職業があったのも知らなかったが、その役を演じた「もっくん」こと本木雅弘には本当にやられた。人生の最後をこれ以上はないような優しさで包んでくれる仕事ぶりには、素直に美しいと思った。
 指先にまで神経を集中させた演技。真剣で誠実で、静粛で厳かで、温かさに満ち溢れていた。これぞ愛情、これぞ仕事師だと胸がいっぱいになった。
 美人女将の神妙なアップも見ることができたが、自分のふるさと、酒田の四季の風景をこんなにキレイに撮ってくれたことも嬉しい。
 流れるチェロの旋律が厳しい冬を穏やかに、春の息吹を長閑にしてくれていた。

 本当にいい映画に出会えたと思う。

 「また会おうの~」、の!!

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2008年9月23日 (火)

サイテイ車掌のJR日記/9月18日、関東運輸局からの警告文書

○月×日

 時はどんどん過ぎて行く。9月もあっという間に終盤になってしまった。
 JRは相変わらず、そう、冴えないのだ。9月になってからも事故のオンパレードで、18日にはラッシュ時の相次ぐ輸送障害は通勤通学客に多大な影響を与えたとして、関東運輸局から警告文書が出されていた。テレビのニュースで、呼び出しを受けたJR東日本の神妙な顔付きをした幹部の面々がアップで放映されているのを見た。
 それらの目立った事故は以下の通り。
 4日19時45分頃。中央線と直通する青梅線と、接続する八高線に落雷。青梅線は約3時間ストップ。八高線は終電まで終日ストップ。
 8日18時25分頃。青梅線青梅~東青梅間の踏切でトラックと衝突。約100メートル引きずり停車。先頭車両脱線。トラックの運転手重傷。運転再開は翌朝6時30分頃。
 17日6時40分頃。中央線吉祥寺~三鷹間で信号機故障。約2時間ストップ。21万人に影響。
 18日6時35分頃。常磐線我孫子駅で架線切断。約3時間ストップ。16万人に影響。
 以上。
 他にも何件かの人身事故等もあった。こうした事故の多さに利用客は困ったを通り越して呆れているのではないかと思う。私たち乗務員も出動する度に「今日こそまともに動いて欲しい」と願うばかりだ。また、こうもしょっちゅうだと「申し訳ございません」というアナウンスもはばかられ、どうも気持ちが込められていないような気がしてしまう。
 14日には全日空でシステム障害が起き、欠航など終日混乱したとのニュースを見たが、それでも影響は5万人というからJRの混乱は桁が違っている。
 それにしても、落雷や人身事故は仕方がないとしても、設備のトラブルは100パーセントJRの責任だ。再発防止策となると、とりあえず保守点検の強化ぐらいしか思いつかないが、どうなのだろう……。

 閑話休題。私は冒頭のことを書きたかったのだ。
 今日の点呼で助役にいわれた。「斎藤さん、11月の×日と×日はハチクン(八訓)が入っているからね」。新秋津にある八王子訓練センターで行われる2年に1度の乗務員訓練がもう回ってくるのだ。けど、今はまだ9月だ。まだまだ先のことだと思われるかもしれない。11月のこの日は予定を入れないようにという会社側の計らいによるものだが、ちなみに、来月(10月)の勤務(年休申込み等も含めて)は既に確定しているため動かせないことになっている。
 それはそうと、毎回決まりきった訓練は私たちロートルはもういいから若い人たちだけでやればいいと思うのだが。とはいっても事故等の対応方は何度やっても忘れることが多く、完璧になど到底出来ない私がエラそうなことをいう資格はない。つまり、普段と違ったことをするのが煩わしく感じてしようがないのだ。ま、国交省の指示でもあるし、「はい、勉強してきます」と私は答えた。
 しかししかし、時の経つのは本当に早い。11月のこのハチクンも数日後にはやってきそうな勢いだ。10月にはクレペリン(運転適性検査)、11月には人間ドックも入っている。しかし、早いと感じさせる原因は、何よりも私達の仕事は勤務時間が毎回違うという点が1番であるように思う。
 明日は日勤、明後日は泊まりと、来る日も来る日も勤務表とニラメッコしながら追っていくから。泊まりで1度出勤すると2日が過ぎてしまうから。月末には2ヵ月先の休日が指定され、先先先と先のことばかり考えてしまうからではないのか。
 土日休みの一般サラリーマンと違うのは確かだろう。2日間の休日が終わり、明日からまた仕事だという時に、朝起きて「さあ、今日から……、出勤時間は、え~と、17時59分……」。想像してみて下され。仕事になんて行かなくていいなら休みたいけど、これってツカレルものですよ。

 話が逸れたついでに、私は天候に左右されるタチで、いつもさわやかに晴れてほしいと願うのだが、残暑も秋晴れも殆どないような今月は沈んでばかりいた。だが、9月は雨と台風の季節でもあると切り替えるものの、どうもスカッとしない。
 先日、「八王子のカラオケに来てるから出て来いよ、4人いる」と同僚から電話があった。気乗りはしなかったが、久しぶりだからと出掛けた。4人は既に酔っていて上機嫌。歌も五木ひろしや吉幾三などの演歌でみんな上手い。
 私は「おそうじオバチャン」(憂歌団)や「颱風」(はっぴいえんど)などで吠えまくった。「典はいつもみんなが知らない歌ばかり歌うんだよな」といわれたが、歌がヘタなことをそれでカバーしているというのもバレバレだった。
 いったいどこが沈んでいるのかといわれそうだが、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうということをいいたかったわけです。
 ではまた。

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2008年8月28日 (木)

サイテイ車掌のJR日記/ロッカーの土産

 同僚のロッカーの上に田舎からのお土産を置いておいた。
 手渡しすればと思われそうだが、私達は家庭内別居の夫婦さながら、同じ日に出番であっても会わないときは全然会わないのだ。
 ところが、3日経ってもそのままなので、さすがに心配になった私は彼のロッカーの真ん前まで行ってみた。で、名前を見て唖然。苗字だけが同じで全く別の人のロッカーだったのである。

 事の顛末はこうだ。仮に彼の名前を「佐藤良夫」だとしよう。そのロッカーの人は「佐藤典夫」で、良と典の一字違いだったのだ。「佐藤が2人いたなんて知らなかったよ~」。結局、私がよく確認しなかったということに尽きるわけだが。

 それにしても、最近はこうしたウッカリが多い。乗務中のミスでなくてよかったが、やっぱり年なのだろうか。 喫煙室で一服していると助役達が入ってきたのでこの話をすると皆大笑い。指導助役が「ネタが出来てよかったね、また書くんだろ」などとのたまう。私は「こんなくだらないことは書かないよ」といい返したが、ん!? やっぱりこうして書いてしまっているんですね。トホホッ。(斎藤典雄)

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2008年8月26日 (火)

サイテイ車掌のJR日記/ライブ

 告井延隆(敬称略)のライブを酒田で見た。
  「誰それ?」という人が多いと思うが、名古屋を活動拠点とする「センチメンタル・シティ・ロマンス」(以下センチとする)という名前からしてシビレてしまうバンドのリーダーで、ロックファンの間では知らない人はいないはずだ。
 結成して早30年以上、今となってはメンバー全員おっさん。でも現役バリバリバンドで、超がつくベテラン揃い。告井の担当はボーカル、ギター、ペダルスティールなどなど、卓越したテクニックに聴き惚れるファンは多い。
 私もデビュー当時からの大ファンで、日本のバンドの中では「はっぴいえんど」と共に、これまでにもっとも聴きまくった部類でもある。
 はっぴいえんどがねちっこい重厚なサウンドだとすれば、センチは飛び抜けた軽快感があり、はっぴいえんどはレールウェイ、センチはハイウェイがよく似合うと私は兼ねてから思っている。
 その告井が今年3月にビートルズの完全コピーという初のソロアルバムをリリースした。タイトルは、「SGT.TUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND」とほほえましい。

 問題の中身はなんと!! ビートルズの各パート(ギターからベース、ボーカルなど)をアコースティックギターたったの1本で、多重録音なしの一発録りで表現したという意欲作。
 その宣伝を兼ねての、これまた初のソロライブ全国ツアーの一環で東北の田舎町、酒田にも寄ってくれたというわけだ。
 で、興味津々で会場へ。「ごめんね、告井さん」、田舎のライブハウスだから、いろんな意味で勘弁してほしい。でも、観客は超満員。といっても30数人だっぺ。やはり50~60代のビートルズ世代がほとんど。そんなことより、チケット代はワンドリンク付きで2500円という安さでびっくりだよ値。お店は告井にギャラを払えば儲けなし(だと思う)で呼んでくれたマスターにも頭が下がるし、感謝だ。
 でもって、待ちに待った開演である。アコギ1本での完全コピーのからくりは、ギターのパートは勿論のこと、その曲の特徴的な部分あるいはイメージを単音やストロークなどをふんだんに駆使して取り入れていくといった手法とでもいえばいいのか。

 誰もが皆、静かにうなずきながら聴き入っていましたね。目の前に広がるのはビートルズそのもの。目を閉じても頭の中はビートルズ一色。遠い昔の青春の思いも通り過ぎていったよね。すばらしいほど幻想的で、美しい旋律には心の芯まで和み、こんなに安らいだことはあっただろうかとさえ思ってしまうのでありました。
 このように、ビートルズには知らず知らずのうちに私の文体まで穏やかなものに変えてしまう不思議な力があるのだ。そればかりか、今現在でも、芸術や文化のみならず各方面に多大な影響を与え続けていることは今や誰もが認めているといっても過言ではない。
 それでは、今何故告井はビートルズなのか。ビートルズでなければならないのか。それは告井のルーツがまぎれもなくビートルズであるからに他ならない。告井達の年代(彼は57才)でビートルズの影響を受けていないミュージシャンはまずいないといってよい。告井の身体にはビートルズが人一倍強烈に染み込んでいて、それを表現することで吐き出さずにはいられなかったからだろう。

 最後に、この記念すべきライブのラストを飾った曲は、センチの初期の作品「庄内慕情」であった。「さよならね、元気で、元気でね」という歌詞で終わる歌。なぜかしんみり。観客からのリクエストに応えてくれたのだが、この庄内とは名古屋なので悪しからず。
 さんきゅべりべり。センチ・告井はいつも2度おいしい。庄内の地、この酒田にまたきてほしいという願いを込め、改めて拍手。(斎藤典雄)

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2008年8月21日 (木)

サイテイ車掌のJR日記/トップの召喚

 葛西敬之JR東海代表取締役会長が証言台に立つ。
 来る6月2日の鉄建公団訴訟控訴審において同氏の証人尋問が行われることになったのだ。
 JRのトップが出てくることなどこれまでの長い裁判闘争の中ではなかったし、全く予想外であったことからも非常に画期的なことであり、極めて重要な意義を持つ。その衝撃は計り知れないほど大きい。

 これは、原告・弁護団が氏こそ適性証人の最たる人物であるとしてかねてから強く求めていたもので、去る2月15日の同控訴審の場で決定されたもの。
 裁判長が「葛西証人を採用します」と告げた瞬間、法定内はどよめき、歓声が沸き起こったというが、ここへ来てようやく、国労が不当労働行為の張本人だと信じてやまない氏が尋問されることを、まずは喜びたい。

 国鉄関係者であれば葛西氏を知らない人はいないが、JR東日本の松田昌士氏、西日本の井出正敬氏両元社長らとともに「国鉄改革3人組」と呼ばれた主導者の1人で、当時の国鉄本社職員局次長だった人だ。
 JRになってからは東海の役員となり、95年社長に昇格、04年から今の会長を務めている。また現在では国家公安委員、教育再生会議委員、さらには年金業務・社会保険庁監視等委員会委員長などの公職も務める政財界の要人だということだ。

 そうした人物だが、職員局次長時代は特に組合対策では最前線で主導的役割を果たし、原告ら国労組合員などの職員管理調書での格付けやJR採用者名簿を作成するなど人事選考課程に深くかかわっている。

 それらは、氏自身が書いて出版された国鉄改革をめぐる2冊の著書である「未完の国鉄改革」(01年刊)、「国鉄改革の真実」(07年刊)に当時の内幕を得々として綴っていることからも、JR採用差別事件の実態を国鉄当局から調べる上で氏ほどの現役適任者は他にはないのかもしれない。

 いずれにしても、葛西氏の尋問により、国鉄による国労嫌悪の不当労働行為意思、および、採用差別、清算事業団解雇にいたる一連の不法行為の全容を明らかにして、全面解決の実現を勝ち取るしかないわけだが、葛西氏はいかなる戦略をもって出てくるのか。おエライさんの中でもトップクラスの人だから気負いはないだろうが、被告弁護団とは相当綿密な謀議を重ねているに違いない。

 さぁ、正義は勝利できるか。事態はここに来て一気に緊迫度を増してきた。闘いにもいつかは必ず終わりが訪れる。終わりはそう遠くないのかもしれない。しかし、悔いだけは残したくない。国労はまさに総力を挙げる時だろう。奮闘するしかない。(斎藤典雄)

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2008年8月19日 (火)

サイテイ車掌のJR日記/福知山線事故

 JR福知山線脱線事故から4月25日の今日で丸3年がたった。
 忘れもしない、107人が死亡、562人が重軽傷を負うという、JR至上未曾有の大惨事だった。
 現地ではJR西日本主催の「追悼慰霊式」が行われ、犠牲となった人々の冥福を祈る大勢の姿がテレビのニュースに映っていた。
 JR西日本の山崎正夫社長は「あの日の朝、106人の平穏で幸せな毎日を私たちは突然奪い去ってしまった」と改めて謝罪し、「安全を最優先する企業風土にすることが最大の目標となっている」と述べていた。

 国交省の事故調は昨年6月に「運転士が制限速度を大幅に超えてカーブに進入したのが原因」とする最終報告書を公表していたが、その中には、ミスをした乗務員に課される懲罰的なJR西日本の「日勤教育」が要因との指摘もあった。
 それにしても、JR西日本に対する遺族や被害者の不信感や反発は依然根強いものがあるということだ。
  「なぜ事故が起きたのか、なぜ事故を防ぐことができなかったのか」「JR西日本の回答は謝罪や抽象論ばかりで真相が分からない」「極めて不誠実な姿勢をつづけてきた」などなど、十分な説明が行われていないとして、JR西日本の企業責任を問う声は収まる気配がないのだそうだ。
 また、補償交渉でも合意に至ったのは遺族の約2割、負傷者の約7割にとどまっているということで、未だに進んでいる状況とはいえない、
 一方、兵庫県警はJR西日本幹部の刑事責任の有無について今夏までに最終判断する見通しだという。

 別の話になるが、JR東日本でいえば、05年12月末に起きた、5人が死亡し33人が負傷した羽越線脱線事故の事故調最終報告書も今月の2日にあったが、「局所的な突風の予見は困難」として、速度規制や運転の見合わせをしていなかったJR東の対応に問題はなしとしていた。
 これに対しても「時間がかかりすぎる。内容はこれまで報道されたことばかりだ」「一つの区切りにはなるが、心の傷に変わりはない」と落胆や憤りの念を禁じえないでいる被害者らの多くの声があった。

 この2つの事故に共通することは、やはり一瞬にして人の命が奪われてしまったということだろう。たとえ一命は取り留めたとしても、内臓破裂や骨折、手足の切断といった、どれも想像を絶することばかりで、その人にしか分からぬ闘病生活や重度の後遺症による辛さや苦しさは一生つきまとうのである。
 またそれが最愛の人や家族であったり、これまでも、これからの人生をも全てメチャクチャに破壊されたも同然だろう。そのような状況になった人でないと分からない、それこそやり場のない悲しみや苦悩、悔しさ、怒りなどはいつになっても癒えたり消えたりするものではないはずだ。あまりにも悲惨すぎて、筆舌に尽くしがたい。
 思うに、いくら安全対策が進んでも、最終的には人だということだ。企業の体質や意識など、つまり、人間の問題が根本的に解決されない限り、忘れた頃に大事故はまた起きるといっても過言ではないだろう。

 特に福知山線の事故ではJR西日本の社長がいう「企業風土改革」は、人権侵害の限りを尽くしたおエライさん方が退職などでいなくなる前にやり遂げなければ何の意味もないのではないか。やっていない人にやるなといっても始まらないのだから。
 いずれにしても、JR西日本も被害にあわれた方々もこの苦しい現状を何としてでも克服して、明るい新たな道を切り開いてほしいと願うばかりだ。やはり、改めてご冥福を祈り、お見舞いを申し上げるしか、今の私には術がない。(斎藤典雄)

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2008年8月14日 (木)

◆新連載◆サイテイ車掌のJR日記/3・13判決

「3・13判決」について、私は「とんでもない判決」「裁判官によってこうも判断が変わってよいものなのか」と前号で書いたが、裁判にいつも携わっている弁護士ですら「手抜きの判決」「姑息な判決だ」といっているくらいだから、やはり相当に不当な判決なのだろう。

 以下はある著名人がいっていたことだが、「裁判所は親分が白といったら黒いものでも白で、ヤクザ業界と似ているところがある。先のイラク空自派兵違憲判決を下した名古屋高裁の青山邦夫裁判官は退職直前で、住基ネットで同様な判決を下した大阪高裁の竹中省吾裁判官は自殺した。職か命かを賭けない限り政府与党の口パクを繰り返すしかない。やくざゴロツキの司法だよ」と、言葉は汚いが明快だ。
 なるほどと思うが、こんなことではいけないとそれを証明するのは至難の業だろう。また、驚くことに、「私が神だ」などといい放つ裁判官もいるそうで、国に有利な判決しか出せない、国にたてつく判決は出してはいけないという暗黙の了解が蔓延しているというのがもっぱらの噂であるらしい。

 まったく、どこもかしこも似たり寄ったりの世の中で、怒りよりも情けない気持ちでいっぱいになってしまうのだが、もしこのようなことがまかり通るなら、裁判を最後の拠り所として訴えた人はたまったものではない。浮かばれないし救われない。いったい何を信じればいいのか分からなくなってしまう。これでは国民を愚弄、冒涜しているのと同じではないか。やはり許せない。私たちはただただ公正であってほしいと訴え願うしかない。
 この裁判の報告集会で、加藤晋介主任弁護士は「和解を進める方向も考えていたが、事態は変わった。判決を覆すには判決をもってするしかない。高裁勝利を目指す」と述べたという。ということは、裁判闘争が控訴審へとしっかり長引き、解決がまた先々に延びるのではないかという心配が先行する私で、実は気持ちを奮い立たせるのが一苦労だったりするのだ。

 裁判は全国でやってるが、人口が多い都会は事件が多い分、件数も多い。田舎なんてチョボチョボだろう。それにしても、裁判は時間がかかりすぎる。それと、それに費やす労力などを考えただけで気が重くなるばかりか、気が遠くなりクラクラと目眩さえ覚えてしまうのだ。
 人間のエゴ、驕り、いがみ合い、競争、いじめ、狂気、格差などなど、いざ蓋を開けてみればそのような醜さはどこにでも際限なく渦巻いている。人間同士が共生共存することなど本当は不可能なのではないかと思えてくる。所詮、人間のすることは!? なのだろうか。
 その点、田舎はまだましだ。連れてってもらおうかな、遠くまで。そう、明日にでも、おれの列車で。(斎藤典雄)

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