新連サイテイ車掌のJR日記

2009年1月20日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/染みついてしまった4時間睡眠

○月×日

 私は毎朝4時から5時には起床する。それは休みの日でもだ。従って、寝るのも早い。普段は9時頃には床の中だ。深夜の1時2時まで起きているのは夜勤の時だけで、例えば、1時頃の終点の高尾で「東京行きの上りある?」と、眠りこけて乗り過ごした酔っぱらいから呂律の回らぬサケ臭い息を吹きかけられると、自分も以前はそうだったくせに、「いったい今何時だと思っているんだ、バーロー」と蹴りを入れてやりたくなってしまうが、今回はそういう話ではない。そう、私は早寝早起きなのだ。
 このパターンになって、もうかれこれ10年以上になると思う。ま、早寝の方は夕方頃から飲み出せば8時か9時頃にはダウンしてしまうわけだが、そうではなくて、早寝早起きに切り替えたのは一念発起してのことであった。
 というのは、日勤の中でも早朝出勤の勤務の時だが、いつも目覚しで叩き起こされ、すっきりしない頭で出勤し、寝不足で仕事にならないことには閉口していた。というと、いかにも仕事を第一に考えているみたいだが、全くそうではない。まるで夜勤明けのようなぼんやりした状態で乗務をしているのが嫌だという以上に、勤務が早い分、終わりの時間も当然早いわけで、オフの自分の時間を有意義に使いたいという気持ちの方が大きかったからだといってよい。夜遅くまで起きて好きなことをしていたいのは山々だったが、それなら思い切って早寝早起きにしようという、理由はいたって単純なのだ。

 で、このパターンが定着していつも思うのは、早朝はいい、ベリベリグゥだということだ。

 今の時期は6時が過ぎてもまだ真っ暗だが、静寂に包まれ、清々しくて凛とするのは、1日のうちで空気がもっとも澄んでいる時間帯だからだろう。
 同じ事をするにしても朝と夜では全然違う。朝の方が断然捗どる。それは、朝は十分な睡眠をとったからで、夜は一日の蓄積疲労の影響だというのはいうまでもないが、「人の身体はそういうふうに出来ているもんだ」と、私がまだ子供だった頃に田舎のジイさまがよくいっていたものだ。私は何よりも早朝は雑音がないのがいいと思っている。何をするにもとにかく集中できるのだ。
 また、私は飲兵衛だから夜は飲んでホゲーッとしている以外は何もしたくない。何でも受け身になってしまい、頭を使うことはダメ、向いていないということもある。

 ところで、今に始ったことではないが、最近また困っているのは夜中に目が覚めてしまうということだ。別にトイレに行きたいわけではない。
 「ん!? またかな。た、頼むから5時頃であってほしい。せめて4時で」と思いながら手探りで枕元の時計を見ると、なんとまだ1時だったり2時だったりするのだ。また眠ればいいのだが、1度目が覚めた私はどういうわけかそれが出来ない。寝返りを打ったり、寝よう寝ようと試みるのだがどうしてもダメ。
「ああ、また今日も寝不足の1日か。でも4時間(もしくは5時間)は寝たのだし、こんちくしょう」と弱々しく呟きながら、ガックリとうなだれて、もぞもぞと起き出すのだ。
 これっていったいどうしてなんだろうと思う。それはどうも仕事のせいだとしか思えない。夜勤の仮眠ではだいたいが4時間位で起きなければならない。それが身体に染みついているからではないのか。きっとそうだ。そうに違いない。

 だが、しかし。そのまた逆もあるのである。6時か7時頃まで寝ていられる夜勤もあるのだが、そのような時は決まって5時頃には目が覚めてしまう。これっていつも早起きをしているせいなのか。
 どちらもすごく損をした気分になってしまう。本当にうまくいかない。イライラしてしまう。頭にくるったらない。今日こそちゃんと眠りたい。
 ん!? ただそれだけのことなんだけどね。(斎藤典雄)

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2008年11月 4日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/10・24中央大集会

○月×日
 「今こそ政治決断を! JR採用差別問題の解決要求実現をめざす10・24中央大集会」が大成功裡に終了した。
 会場となった日比谷野音はどよめくほどの熱気に包まれ超満員となった。主催者発表によれば、全国から1万1000人という過去最高の参加だったという。
 真摯な挨拶。分かりやすい経過報告。力強い決意表明。切実な訴え。心温まる激励などなど。どれもこれも素晴らしい発言だったが、今のところは「動き」がないので、私達関係者には真新しいことは何もない。
 だが、1047名問題の現状を内外にアピールするという目的は十二分に果たされたはずである。
 以下の発言は後日に知ったことだが、当事者である闘争団員のある家族は「この集会を最後にしたい」と語ったという。
 私は「これこそ本音だろう」と胸が痛んでどうしようもなかった。
 考えてもみよ!! 22年間という長い間、事あるごとに北海道や九州からと、それこそ遠くから大変な思いで上京し、いったいどれほどのご苦労をされてきたことか。
 正念場だ、山場だ、今こそ、今年こそはという場面は幾度となくあった。しかし、その度に、まるで裏切りにでも合ったかのように全てが実を結ぶことはなかった。
 誤解を恐れずにいうが、どんなに覚悟をしていたとはいえ、自分の意志とは逆に翻弄され続けた人生だったといってもいいだろう。それは、国からもJRからも。そして、いっちゃ悪いが、国労本部からもだ。
 こうした人権侵害は、国策のもとに強行された結果なのだから政府が責任を取るのは当然だが、国労指導部もしっかりと後始末をしてもらいたいと考えるのである。
 というのは、もし仮りに、解決に至ったとしよう。大勝利解決に水を差すつもりは毛頭ないが、万が一、闘争団の人達が解決金などの解決内容にどうしても納得がいかないものであるのなら、国労は全財産をなげうってでも彼らに当てて、償う義務があると思うからだ。
 国労の最重要課題と位置づけられたこの問題は、国労運動史の実に三分の一以上を費やした闘いとなった。人間の尊厳を賭けた闘いだといっても過言ではないだろう。労働運動史上未だかつてない空前で壮大な闘いであったことは誰もが認めるはずだ。
 国労は結成されて60何年か経つ。人間でいえば定年である。この問題解決と共に国労は解散してもいいのではないかと思う。財産はキレイさっぱり闘争団に分配して、そこからまた新しくスタートすればよい。
 微力ながらも私達現場(JR本体)も闘争団を支え続けてきた。国労というだけで、理不尽な扱いを受け、差別のされ通しだった。闘いの真只中にいた先輩達も闘い抜いただけで、結果を得ずに次々と退職していなくなっているのが実情だ。
 残された私達とて、あと僅かな歳月しかない。もういいだろう。十分じゃないか、これまでで。甘ちゃんの私は本気でそう思う。ん!? 何か異論があるかい?(斎藤典雄)

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2008年10月13日 (月)

●サイテイ車掌のJR日記/「10・24中央大集会」へ行こう

○月×日

 「裁判外での話し合い解決を」という高裁からの提案があったのは7月14日。あれから3ヶ月が過ぎたが、進捗状況はいかに。
 機関紙等を見ると、4者4団体は解決のための交渉テーブル設置に向けて精力的に動いてはいるものの、相手側弁護士は「裁判外では話さない、水準はマイナスαだ」との主張で、頑なな態度を終始一貫させているということだ。つまり、鉄道運輸機構は話し合いに応ずる気配にはほど遠く、膠着状態に陥っているということらしい。

 それはそうと、政治の方が大混乱となっている。ご存知、阿倍に続き、福田首相までが突然の無責任辞任という有様で、麻生新政権が発足するも、中山新国交相が暴言により何日もしないうちに、これまた辞任というお粗末さだ。それに加え、解散総選挙はいつなのか、あるのかないのかと、政局が安定していないことからも、関係議員たちもこの問題どころではないというのが本音だろう。
 従って、政治解決は当面ないと見るのが妥当と思われるが、どうなのだろう。

 ここで、若干の整理をしてみたい。原告である当事者の要求はあくまでも「雇用」「年金」「解決金」であり、裁判闘争を軸に政治解決を目指す方針だったことからも、高裁の提案も即受け入れ、応じると表明。翌日には冬柴国交相(当時)も「お受けして、その努力はすべき」と政治解決の必要があることに言及していた。
 また、本訴訟の加藤主任弁護士によれば、過去の例からも裁判の到達点は一部の解決金であり、雇用と年金は厳しい。裁判闘争には限界があることからも、解雇者を救済するためには話し合い解決が一番の手法であり、そのために弁護団としても全力を挙げるとのことであった。
 というわけだが、原告と被告側の考えには相当な乖離がある。今後もかなりの紆余曲折が予想されるが、原告は裁判は裁判として粛粛と判決を求めるとしている。また、万が一、話し合いが決裂した場合でも、納得のいく判決を勝ち取るために最後まで闘い抜く決意だとも。

 「う~む」と様々な思いが交錯してしまうが、かつての「四党合意」の時期の国側の言い分は「国労はまとまっていないから話し合いは出来ない」「JRに法的責任はないと認め、裁判は下ろせ」などであった。だが今は4者4団体でがっちりまとまっているし、まさか機構側が裁判を下ろすとはいえまい(逆に控訴しているのだからね)。なんだか当時と立場が逆転した感もなくはないが、つまり、国側の理屈はもう通らないということだ。
 そんなことより、この問題は国策でなされた差別であり、政治行政の責任で解決するのは当然のことである。同じことの繰り返しになるが、何度でもいう。あれから22年目という、あまりにも長い時間が経過しすぎている。もはや、人道的にもこれ以上の先送りは許されない。一日も早く人間らしい生活を取り戻せるように、政府は早急に決断し、強い指導力を発揮してもらいたい。

 最後に、来たる24日には、日比谷野音で「今こそ政治決断を! JR採用差別問題の解決要求実現をめざす」という大スローガンを掲げて「10・24中央大集会」が大開催される。
 今はとりあえず、この大集会の圧倒的な大成功を勝ち取るしかない。ぜひ、ご参加を!!(斎藤典雄)

「10・24中央大集会」についてはこちら↓

http://www7b.biglobe.ne.jp/~tomonigo/osirase/1024syukaiosirase.htm

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2008年10月 7日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/モノ捨てまくる晩夏

○月×日
 捨てた、捨てた。捨てて捨てて、捨てまくっている。まるで引越しでもするかのように、要らないものを次から次へと処分しているのだ。
 実は、8月に入ってから、ゴミだらけのような部屋の中の整理をしているわけです。どうしてそんなに時間がかかるのかって? ま、それは後で記すことにして、まずは本とレコード類から片付け開始。
 とにかくある。狭い部屋にこれでもか!! というくらいある。もっとたくさんある人はごまんといるだろうが、20年、30年と手にしたことがないもの、それも100パーセント手にしたことがないとくる。これからもそうであろうと思うものがやたらと多い。
 ここに越してきて10年が過ぎたが、その際も随分と処分はした。しかし、思い入れのあるものは大切なものだからと、もちろん捨てずに持って来ている。だが、再びどんどん増え続け、ゴミではないが、飾りものでしかなくなっている。このように、不要なもので溢れているという現実を見て、やっぱり未来永劫手にすることはないのだと思い、一大決心、捨てることにした。
 でも、思い出なんだからとっておけばいいじゃないか、何も捨てることはないと慫慂してくれる声も聴こえてくるが、捨てるといったら捨てる。そう、固い決意なのだ。
 で、本は、世間ではどうでもいいようなものでも、自分で読んで面白いと思ったもの、また、お世話になった出版社やその関係の比の本などは残しておいて、若い頃はたいして真剣に読まなかった純文学など、これからも無縁であろうと思うものは全部捨てた。
 それと、雑誌などは、音楽関係でいえば、ビートルズ関連以外のものは捨てた。あと、組合(国労)関係の冊子や資料、子ども関係で自分が書いた父母会ニュースなども。そして、自分の原稿。ゲラやボツになったものも含めて数千枚はあっただろうか。こんなものとっておいてど~すんの、誰が見るんだ、おれは二度と見ないと捨てた。
 あとは、モンダイ!? のレコードやテープ類。ジャズはクロスオーバー系の比較的新しいものは殆ど捨てた。日本のジャズではナベサダや山下洋輔を残して、その関連以外は捨てた。それと、ポールモーリアなどのストリングス。映画のサウンドトラック。クラシック。レゲエ。音源の悪いロックの海賊版。日本の歌謡曲。全く聴かないもんなと、ざっと300枚は捨てた。
 残した主なものは、一般的な!? ジャズ、ロック、ブルース。日本のフォーク、ロック、ブルースなどで、厳選したつもりだが、まだ700枚からある。
 ビートルズは殆どCDに買い替えたが、レコードを残したのは無意識で、いくら擦り切れてボロボロになったものでもやっぱり捨てられない。
 つまり、大袈裟かもしれないが、おれの人生はこれだ!! というもの以外は全部捨てたといってよい。
 それにしても、流行だからと買ったもの。また、衝動買いだったもの。せっかく買ったのに、ろくに読まなかったり聴きもしなかったものもかなりあった。
 それらの捨てたものの中にはいいものも山ほどある。が、「ごめんね、偉大なアーティスト達よ」と一人言を呟きながらポイポイ捨てたのだった。

 しかしながら、困ったものだなと思った。こんなものまで買っていたのか。そうだな、確かに買ったよな。なんだかポリシーがないというか、まとまりがない。ほんとにちゃらんぽらんなヤツだ。呆れたヤツだなと赤面しつつも捨てたのだ。
 もちろん、ゴミとしてではなく、フリマやリサイクル、古本屋、古レコード屋と有効利用も考えたが、私はそこまで暇ではない。面倒なことも然ることながら、どうせ二束三文でしかないのだから。

 最後に、前段のどうしてそんなに時間がかかるのかの理由だが、なんと私は、本でもレコードでもカバーからジャケット、ケースまで、一冊一枚ずつ全部丁寧に拭いて綺麗にしているからなのだ。ん!? やっぱり暇なんじゃないかって? いや。なら思い出に浸っているかってか? 違う、違うって。そう、ちと異常なんでしょうよ。いや、相当かもね。
 いずれにせよ、私は案外、熱しやすく冷めやすい性格なのかもしれない。それは何事に対してもだ。そんなことを思うと、むしろ捨ててしまったものこそおれの人生だったのではないのかという気がしてきた。ああ、なんて優柔不断なヤツなんだ。もはや後の祭りだが、片付けは当分終わりそうにない。そうだな、きっと何事ももっと慎重にしないとダメだという暗示なのだろう。
 秋だな、すっかり。(斎藤典雄)

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2008年9月 9日 (火)

サイテイ車掌のJR日記/8月28日、深夜の豪雨

○月×日

 寝たかと思ったら大音響の雷だった。28日、11時頃だったろうか。まるですぐそこで何かが爆発でもしたかのような、これまでに聴いたことがない、ホント凄まじい音だった。
 9時頃からどしゃ降りになっていた。それはいつもとは訳が違う超強烈なヤツで、「今夜トマ(泊まり勤務のこと)の連中は大変だろうな。これじゃただじゃ済まないよな」と同僚にメールして寝たくらいだ。
 出番ではなかった私は、寝入端をくじかれた悔しさも手伝い「荒れろ、もっと荒れ狂え。雷よ、おれに落ちてみろ。おれの身体を直撃してお前の電気ショックでおれの腰痛も五十肩もみんな治してみろよ。それが出来るんなら、ちょっとの安眠妨害や痛さも、大災害だって許してやろうじゃないか。えっ、どうなんだ」などと、ほんとは恐いくせに強がってみたりと自分自身もゴロゴロしていたら、いつの間にかまた深い眠りに落ちたのだろう。

 すると、今度は深夜の2時頃だったか。とにかくもの凄い音だった。それも何度鳴っても遠のく気配は一向にない。家の窓はガタガタと音を立て、地響きでマンション自体が何度も揺れた。
 こんなことはこれまでなかったことだ。いつもの雷なら、遠くでゴロゴロという低い音で鳴っているか、上空から急降下するみたいなバリバリという金属的な音かのどっちかだが、この時ときたら地上から突き上げるようなドドーンという「ン」にも濁点をつけたくなる巨大で重量感のある大爆音とでもいうのか、実はそんなことを分析している場合ではなく、「頼むから早くあっちへ行ってくれよ」と、もうただ寝かせてほしいだけなのでありました。

 で、5時半頃に寝不足のまま起き出して、カーテンを開ければいつもの朝。雨はすっかり上がっていて、青空まで覗いていたのにテレビをつけるとびっくり仰天。
 外の眺めは何の変てつもないというのに、ここ東京多摩では1時間に100ミリを超す記録的な豪雨ということだった。しかも、テレビのニュースは八王子のオンパレード。中央線の高尾駅では近くの川が氾濫して駅構内が浸水していた。水は中央線の車輪の半分くらいまで達したのだという。車輪の直径は約90センチと聞いているから、人でいえば膝の辺りまで水浸しになったということになる。信じられないが、泥沼と化したわけだ。高尾の一つ先が相模湖という駅だが、本日の高尾は高尾湖という駅に改名、というのは冗談にしても、これでは電車は動かない。
 また、高尾に隣接する京王線は崩れた土砂に乗り上げて脱線するという大事故。さらに、周辺には避難勧告が出され、住民が深夜に避難するなど、まさに大災害であったのだ。
 中央線は前夜から八王子以西はストップしていて、この日は始発から八王子~大月間が運転見合わせ。東京~八王子間の折り返し運転とし、本数は通常の半分程度。全面復旧は13時頃を見込んでいるとニュースでは言っていた。従って、朝のラッシュは大混雑。誰もがウンザリ、朝から疲れ切ったことだろう。

 私は夕方からの泊まり勤務だったが、信号トラブルや速度規制があったり、夜にはまたも雷雨となり、結局終日乱れに乱れ、通常ダイヤに戻ることなくヘトヘトで幕を閉じた。
 人間は大気などの自然を操作することは不可能だろう。自然は受け入れ、うまく利用するか、被害が出ればそれをいかに最小限にするかしか対策はないと思うが。
 いずれにしても、8月は雨が多かった。終盤はほとんどの日が雨に見舞われたような気がする。しかも降り出すと半端ではない。中央線の輸送が安定していたのは中旬の何日かで、気象の影響以外にも何かしらの事故でしょっ中乱れていた。
 また、中旬頃からはいきなり涼しくなった感じだ。たまに太陽が顔を出しても、真夏の鋭い日差しが戻ることはなく、夏と秋のはざまにしてはすっかり秋の気配が漂い始めていた。

 私は先日も東京を3日ほど留守にした。いつもの帰省だが、夜に戻ってちょっと驚いたのは、窓の外では秋の虫が一斉に鳴いていたことだ。もうそれだけで「ああ、夏は終わったのだな」と、何故かしんみりとしてしまっていたのだった。
 これといって特別なことは何一つしない夏だった。旅行やレジャーの休暇も取らなかった。今や仕事の一つとなった施設にいるおふくろの様子を見に行くための帰省を2度しただけで、毎月と何も変わりない。
 そんな夏、8月も今日で終わる。どうであれ、まずは無事に乗り越えられたのだからそれでいい。日中は晴れ間もあったが夕方からまた雨だ。テレビでは多摩地方は大雨洪水警報だといっている。またかよ…。
 さあ、明日から9月だ。時はどんどん過ぎて行くだけだが、実り多き秋であってほしいと心から願っている。(斎藤典雄 9/1記)

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2008年9月 2日 (火)

サイテイ車掌のJR日記/証人尋問

 JR東海会長の葛西敬之氏が鉄建公団訴訟の控訴審に証人として出廷した。
 労働問題の訴訟で企業のトップが出てくるというのは極めて異例なことだそうで、1047名不採用問題を巡るこれまでの裁判でも勿論これが初めてのことである。
 繰り返しになるが、氏は当時の国鉄職員局次長で労務政策を担当。分割民営化を強力に推進した中心人物の一人だ。
 当日の高裁前には傍聴券を求める人で長蛇の列だったという。翌日の新聞各紙も尋問の中身をこぞって報道していた。また、ネットや機関紙等でも既に明らかにされているが、改めて氏の興味深い発言を記してみたい。
 まず、この訴訟の争点は「所属組合による採用差別があったか」だが、氏は「組合によって差別はしていない」と述べている。そんな嘘っぱちはどうでもよろしい。もう私達は聞き飽きている。それではその概略を。

 組合との関係は――
 56('81)年までははまず国労に提示し、妥結できる水準まで落としてから他の組合にもっていくというスタイルだったが、57('82)年以降は各組合に同時に提示した。
 合理化については――
 管理運営事項については事前に誠心誠意説明するが、合意が得られなくてもある時期が来たら実施するという姿勢だった。生産計画は経営事項であり、組合との合意は要らない。
 組合のいい分など聞かなくていいということか?――
 国鉄改革は国策だったからそれしか方法がなかった。 仁杉国鉄総裁更迭('85)まで分割民営化反対が多数だったが――
 そう考えて間違いない。私達(改革派)以外皆(当局の主流派)反対だった。
 85年6月から分割民営化の準備が始まったのか――
 62('87)年4月1日までという政府の方針に合わせて準備をした。
 国鉄改革反対は誤った方針だと思っていたのか――
 もちろんです。
 労使共同宣言については――
 時代はどんどん進んでいる。国労がそれを乗り越えなければならなかった。鉄産労に移った人達(国労脱退者)は分割民営化しかないと理解し、民営化後の企業への順応性が高い人達だと思う。
 職員の評価は――
 分割民営化に賛成すればプラスに評価されるということだ。
 人活センターの認識は――
 職場規律の維持、安全、安定輸送の確保のために必要だったと理解している。
 新会社への採用基準は――
 処分歴だけだが、本人の知識、適性、技能等のデータを参考にした。
 国労の採用率は40%、他労組は100%。本当にこれほどの差になると思っているのか――
 そう思っている。
 国労の処分が多くなる時期を狙っての採用基準作りという見方が成り立つと思うが――
 第2臨調、三塚委員会の方針にのっとったもので、国労排除の意図はなかった。
 「国労を潰せば総評も潰れるということを意識してやった」という中曽根発言を知っているか――

 知っているが、それが目的とはいささか物事の本質を取り違えている。私は鉄道の再生のため、また、真面目にやる者が報われるようにやってきただけであり、「子の心、親知らず」の典型だと思っている。
 概ね以上だが、誌面の都合で改革法23条等については割愛した。
 全体を通して、「おれのいうことを黙って聞いていればいいんだ」みたいな強権的な印象を受けたが、私も感情的になっているからだろうか。
 いずれにせよ、採用の判断基準は分割民営化に賛成か否かだったのである。賛否に最もウエイトが置かれたといって間違いない。

 氏がいくら勤務成績が云々といっても、実際は成績不良であっても国労を抜けさえすれば採用されたという事実。当時の当局による「国労にいたら採用されない」という凄まじいほどの恫喝。国労は、配属、昇進、賃金とあらゆる面で差別され続けたのだ。
 いくら躍起になっても事実は消せない。事実だけが真実なのである。(斎藤典雄)

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