「初老男の旧式映画館徘徊~シネコンに背を向けて~」第12回/「ラピュタ阿佐ヶ谷」
デザインセンスのいいチラシ・ポスター類と、代表・才谷遼(川邉龍雄)の汲めども尽きぬハレンチスキャンダルで超有名な映画館デス。
その業界が衰退期を迎えると、古き良き時代を知る関係者の回顧談や自伝、評論集の出版が続出するのはどの世界も同じ。底を脱した言われる日本映画界でも、まだその勢いは止まらない(スターや名脇役、監督や撮影者他のスタッフはともかく、業界人御用達の旅館経営者や、単なる知り合いまでが参戦するのには恐れ入るが)。遂にはそれで飯を喰って来た出版”ハイエナ”業界自体が、70年代の邦画界以上の再生なきどん底に転落。対岸の火事どころの騒ぎではないのに、懲りずにポコポコ出ますね、いい思いをした死に損ない編集者どもの自慢話本が。今世紀に入って業界人になった、甘い体験ゼロ世代からすれば、実に苦々しい景色だろう(客観的に語れる立場か!!)。
割とハズレが少ないのが役者の自伝。それも大スターではなく、個性的脇役クラスの物が特にいい。最近ではテレビドラマ『夕日と拳銃』(’64TBS)で知られた、工藤堅太郎の『役者ひとすじ』(風詠社)が読ませた。例えば仲代達矢クラスの大物だと、余り同業者の悪口は書かない。しかし峠を越えた老脇役は、えてしてそういうヤボな遠慮はしない(『映画論叢』誌に連載された、三上真一郎の自伝も半端じゃなかった)。今だと60~70年代に活躍した役者本が多いが、何種類か読んでると分かるのが役者の人格と評判。誰の本でも最悪なのが鶴田浩二、そして杉良太郎。もうケチョケチョケチョン!(前者は身内からも告発が)。杉はまだ生きてるうちからの人間のクズ扱い。お亡くなりになられた後が益々楽しみ(逆が高倉健と吉永小百合)。これが出版業界本だと、嵐山光三郎と松田哲夫が双璧か。幸いお2人共にまだまだお元気。杉良太郎的期待で胸が一杯!(やはり生きてるうちは多少の遠慮があるでしょうし)
「ラピュタ阿佐ヶ谷」に関しては、定員が48名で入場料が1200円(老人・学生1000円)。定員になると入れない。3回券だと2700円…だというようなデータで、行数埋めしてても落ち着かない。場所柄筆者は何年も入場してないし(中央線は通勤圏外)。まずいので外観撮影の際に久々にと思ったが、上映時間と合わなくて…。48名という定員は「神保町シアター」の約半分。行きつけの「シネマテークたかさき」とほぼ同じ(同館は1回が58名、2階が64名)。ここは下品な「神保町シアター」と言うか、同じ60~70年代の邦画を上映しても、エロ・グロ・暴力系に特化。前回入場は7~8年 。中島貞夫監督特集に数度通った(『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』他)。よりによって娘と行ったせいか、実に落ち着かなかった。狭いので周囲の客の息づかいや脚の組み換え、椅子のきしみ等がストレートに伝わる。エロ・グロ・暴力映画は、せめて定員100人以上の空いた映画館で鑑賞したい(親子連れでなくても)。
最近は映画監督業にも進出した才谷遼、元々出版業界の人。『COMIC BOX』で知られたひゅーじょんぷろだくと代表。当時から既に金銭面を主に空前の悪評。出版業界の中曽根康弘と言うか、刑務所の壁の上でツイスト踊ってた感じだった(今も)。出版社の経営者は大手も中小もロクな奴はいないが、才谷は表面的には左翼面をしてたから余計に憎悪・罵倒された(「言う事とやる事が全然違うじゃん!」と)。それは『天空の城ラピュタ』本で大儲け後に建てた、「ラピュタ阿佐ヶ谷」のオーナーになっても以降も変わらない模様(参考サイトhttp://www.ei-en.net/freeuni/la_100125_yobikake.html)。
実際まともな左翼ならとっくに、転び裏金公安どもに痴漢冤罪でパクられてる水準(次期総理就任直前の豪腕,小沢一郎でさえハメられる、日本のデタラメな司法制度だ)。左翼面をした才谷が、次々にスキャンダルを起こしてくれるのは、官憲にはありがたいのかも。「反原発運動なんて、全部こんな糞連中がしてるんだ。信じる奴は馬鹿だ!」的な効用はあるから。野放しにしておく価値がある男、なのかも。その才谷が初監督した『セシウムと少女』、評判は散々だが、彼が”世間をしのぐ楯”には充分になる。ちなみに各種書籍中、映画監督で悪評高いのは女性コンビ。自作小説『雨が好き』を自ら映画化した高橋洋子(たった1本の監督なのに既に伝説化)、やたらおフランスでのみ評価の高い河瀬直美。才谷遼監督が高橋洋子を蹴落として、新たな伝説になる日も近いと思われる。(塩山芳明)
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