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2015年4月

2015年4月10日 (金)

「初老男の旧式映画館徘徊~シネコンに背を向けて~」第12回/「ラピュタ阿佐ヶ谷」

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 デザインセンスのいいチラシ・ポスター類と、代表・才谷遼(川邉龍雄)の汲めども尽きぬハレンチスキャンダルで超有名な映画館デス。


 その業界が衰退期を迎えると、古き良き時代を知る関係者の回顧談や自伝、評論集の出版が続出するのはどの世界も同じ。底を脱した言われる日本映画界でも、まだその勢いは止まらない(スターや名脇役、監督や撮影者他のスタッフはともかく、業界人御用達の旅館経営者や、単なる知り合いまでが参戦するのには恐れ入るが)。遂にはそれで飯を喰って来た出版”ハイエナ”業界自体が、70年代の邦画界以上の再生なきどん底に転落。対岸の火事どころの騒ぎではないのに、懲りずにポコポコ出ますね、いい思いをした死に損ない編集者どもの自慢話本が。今世紀に入って業界人になった、甘い体験ゼロ世代からすれば、実に苦々しい景色だろう(客観的に語れる立場か!!)。


 割とハズレが少ないのが役者の自伝。それも大スターではなく、個性的脇役クラスの物が特にいい。最近ではテレビドラマ『夕日と拳銃』(’64TBS)で知られた、工藤堅太郎の『役者ひとすじ』(風詠社)が読ませた。例えば仲代達矢クラスの大物だと、余り同業者の悪口は書かない。しかし峠を越えた老脇役は、えてしてそういうヤボな遠慮はしない(『映画論叢』誌に連載された、三上真一郎の自伝も半端じゃなかった)。今だと60~70年代に活躍した役者本が多いが、何種類か読んでると分かるのが役者の人格と評判。誰の本でも最悪なのが鶴田浩二、そして杉良太郎。もうケチョケチョケチョン!(前者は身内からも告発が)。杉はまだ生きてるうちからの人間のクズ扱い。お亡くなりになられた後が益々楽しみ(逆が高倉健と吉永小百合)。これが出版業界本だと、嵐山光三郎と松田哲夫が双璧か。幸いお2人共にまだまだお元気。杉良太郎的期待で胸が一杯!(やはり生きてるうちは多少の遠慮があるでしょうし)


 「ラピュタ阿佐ヶ谷」に関しては、定員が48名で入場料が1200円(老人・学生1000円)。定員になると入れない。3回券だと2700円…だというようなデータで、行数埋めしてても落ち着かない。場所柄筆者は何年も入場してないし(中央線は通勤圏外)。まずいので外観撮影の際に久々にと思ったが、上映時間と合わなくて…。48名という定員は「神保町シアター」の約半分。行きつけの「シネマテークたかさき」とほぼ同じ(同館は1回が58名、2階が64名)。ここは下品な「神保町シアター」と言うか、同じ60~70年代の邦画を上映しても、エロ・グロ・暴力系に特化。前回入場は7~8年 。中島貞夫監督特集に数度通った(『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』他)。よりによって娘と行ったせいか、実に落ち着かなかった。狭いので周囲の客の息づかいや脚の組み換え、椅子のきしみ等がストレートに伝わる。エロ・グロ・暴力映画は、せめて定員100人以上の空いた映画館で鑑賞したい(親子連れでなくても)。


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 最近は映画監督業にも進出した才谷遼、元々出版業界の人。『COMIC BOX』で知られたひゅーじょんぷろだくと代表。当時から既に金銭面を主に空前の悪評。出版業界の中曽根康弘と言うか、刑務所の壁の上でツイスト踊ってた感じだった(今も)。出版社の経営者は大手も中小もロクな奴はいないが、才谷は表面的には左翼面をしてたから余計に憎悪・罵倒された(「言う事とやる事が全然違うじゃん!」と)。それは『天空の城ラピュタ』本で大儲け後に建てた、「ラピュタ阿佐ヶ谷」のオーナーになっても以降も変わらない模様(参考サイトhttp://www.ei-en.net/freeuni/la_100125_yobikake.html)。


 実際まともな左翼ならとっくに、転び裏金公安どもに痴漢冤罪でパクられてる水準(次期総理就任直前の豪腕,小沢一郎でさえハメられる、日本のデタラメな司法制度だ)。左翼面をした才谷が、次々にスキャンダルを起こしてくれるのは、官憲にはありがたいのかも。「反原発運動なんて、全部こんな糞連中がしてるんだ。信じる奴は馬鹿だ!」的な効用はあるから。野放しにしておく価値がある男、なのかも。その才谷が初監督した『セシウムと少女』、評判は散々だが、彼が”世間をしのぐ楯”には充分になる。ちなみに各種書籍中、映画監督で悪評高いのは女性コンビ。自作小説『雨が好き』を自ら映画化した高橋洋子(たった1本の監督なのに既に伝説化)、やたらおフランスでのみ評価の高い河瀬直美。才谷遼監督が高橋洋子を蹴落として、新たな伝説になる日も近いと思われる。(塩山芳明)

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2015年4月 3日 (金)

【書評】『ルポ 刑期なき収容―医療観察法という社会防衛体制』浅野詠子著(現代書館

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 大阪教育大学付属池田小学校事件を機にマスコミで議論が起きた医療観察法。この法律のことを憶えている者は少なくなった。


 刑法39条では、傷害・殺人などを犯しても、心神喪失の場合、責任能力なしとして不起訴や無罪となる事実はよく知られている。しかし、池田小事件の大々的な報道の嵐により、不起訴・無罪であっても触法精神病者は再犯の恐れがあり、強制入院させるべきではないかとの世論が形成され、出来上がったのがこの法律である。


 本書では、この法律は池田小事件が「きっかけ」ではなく「引き金」であったとして同法成立の背後に民間精神病院協会の都合があった事実や、管轄することになる法務省と厚労省のせめぎ合い等、ピラミッド社会の上層部の動きの検証はもとより、末端の現場の当事者の声まで「問題の上流から下流まで」(中島岳志氏評)、塗り絵を染め上げるようにくまなく取材がなされている。


 現代の日本社会では「ココロの病」が蔓延し、ひと昔前とくらべて精神科クリニックの門をくぐる敷居は低くなった。しかし、池田小事件の宅間守のような人物となるともはや他人事で、自分とは別世界の話と認識している市民が圧倒的だ。だが本書を読まれれば、医療観察法は「きわめて例外的な人物」だけに網をかけられたものではなく、誰にとっても切実な、大げさでなくかつての治安維持法(「予防拘禁」が盛り込まれていた)にも通じる事実を実感するだろう。


 取材方法としては広範囲に及ぶ緻密で丹念な元新聞記者らしいプロの技が、取り上げた内容としては皆が取り組もうとしない埋もれがちなテーマに精力を注ぐ著者の志が光る。



(柳田勝英・ルポライター)

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