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2014年4月30日 (水)

●ホームレス自らを語る 第136回 畳の上で休みたい(後編)/馬場小夜子さん(79歳)

1405  東京・上野公園(台東区)で会った馬場小夜子さんは、79歳という年齢を感じさせない矍鑠とした女性だ。長くキャバレーやスナックのホステスをしてきたという。
「生まれは新潟県。親の事情によって、物心がつく前に養女に出されました。養家では中学校を出るまで育ててもらい、卒業と同時に一人で上京してホステスをして働きました。それで得た収入の一部を養父母に仕送りしました。育ててくれたお礼の意味を込めてです」
 その仕送りは養父母が亡くなるまで続けられたというから、律儀な性格であるようだ。
 上京して10年した頃、馬場さんは上野のキャバレーで働いていた。その仕事帰りに寄るラーメン店があって、彼女はそこで働いている店員の一人に惹かれた。やがて、二人は恋に陥ち、肉体関係が結ばれ、彼女は妊娠した。
「それで結婚することになりました。といっても、二人で神社に行って、お参りしただけの結婚式です。上野で借りたアパートは、4畳半一間に小さな台所がついているだけで、トイレは共同、お風呂は外の銭湯に通うというものでした。それでも好きな人といっしょに暮らせるんで、毎日が楽しかったですね」
 妊娠していた馬場さんは、身重の身体がバレるようになるまでホステスの仕事を続け、そして男の子を出産。産後の健康が回復すると、すぐにホステスの仕事に復帰した。何より客商売が好きなのだ。
「結婚して2年後、主人が独立して、品川に中華料理の店を出しました。費用はすべて私が出してあげました。ホステスをして稼いだお金です。その店にはお客もついて、結構な繁盛ぶりでしたよ」
 何もかもがうまくいって順風満帆にみえた生活だったが、しだいに夫婦のあいだに齟齬をきたすようになってくる。
「表立っては子どもの育児方法について意見が対立し、ぶつかり合うようになっていました。でも、ほんとうのところは主人は中華料理店の経営に夢中で、私はホステス稼業が楽しくて、おたがいのことに関心がなくなっていたんです」
 もうすぐ30歳になるというある日、馬場さんは夫と子どもに黙って、一人でアパートを出た。後腐れのない離婚劇であった。彼らふたりの結婚生活は5年間だった。彼女はそれからも店を替えホステスをつづけた。母親として気になったのは、その後の息子の消息だったが、長じて地方のお寺の僧侶になったらしいと風の便りで聞いた。元気でいてくれさえすれば何よりだ。
「40歳のときに、また結婚したんですよ。そのときもまだホステスをしていて、お客さんに見初められて結婚することになったんです。その人は西那須野(栃木県那須塩原市)に家があって、そちらに引っ込むことになって、ホステス稼業から足を洗うことになりました。15歳でこの世界に入って、25年間つづいたホステス生活でした」
 馬場さんが2度目の結婚の相手に選んだ男性は、暴力団の組員であった。
「暴力団員の妻になったわけですが、だからといって私が怖い思いをしたということはありませんでした。主人には危険なこともがあったのかもしれませんが、私にはそんな面は見せませんでした。西那須野での専業主婦としての暮らしが、私の人生で一番平穏でのんびりできた時代でした」
 その平穏でのんびりした暮らしが破られるときがくる。夫に若い愛人ができて、その愛人に子どものできたことがわかったのだ。
「私自身が養子の育ちで、両親の愛情というのを知りません。ですから、新しく生まれてくる子は、両親の愛情に包まれて育つべきだと思いましてね。私が身を引くことにしたんです」
 馬場さんが60歳のときのことで、約20年間の結婚生活であった。別れた夫とはケンカ別れをしたわけではなく、いまでも電話で話す仲だという。
 2度目の結婚に終止符を打った馬場さんは、東京に出てくると、そのまま上野公園でホームレスの生活に入った。
「バブル経済が弾けたあとで、60歳の女が働けるようなところはありませんでしたらね。ホームレスの生活をはじめるのに、恥ずかしいだとか、嫌だという気持ちはなかったです。わりとサバサバとした気持ちでしたよ」
 当時はまだ女性としての魅力があったから、言い寄ってくる男性ホームレスもあった。
「そういうときは『バカなことをするんじゃないよ』と大声で怒鳴り返して、ド突き返してやりました。15歳からひとりで生きてますからね。こう見えても気性は激しいんです。でも、女のホームレスに悪さをしようなんて、ほんの一握りの人だけ。あとはみんな親切なホームレスばかりです」
 弁当やサンドイッチを差し入れてくれる人、寝る場所を確保してくれる人、なかには公園に散歩に来た一般の人が「これで何か買って食べなさい」とお金を置いていくこともあるという。そうした人々の親切に支えられての、馬場さんの20年に及ぶホームレス生活なのであった。
 最後に、いま望むことについて聞いてみた。
「20年も土やコンクリートの上で寝てますからね。畳の上で思い切り手足を伸ばして、ゆっくり休んでみたいですね」という。
 そんな望みなら簡単に叶えられそうである。女性のホームレスで、しかも79歳であれば、何より優先して援助の手が差し伸べられるからだ。炊き出し支援にくるボランティアのメンバーに相談してもいいし、区役所の福祉の窓口に行ってもいい。必ず望みの道は開けるはずだ。そう筆者は伝えた。
「じゃあ、近いうちに相談に行ってみます」
馬場さんは少しはにかんだような表情を浮かべて言うのだった。(この項了)(聞き手:神戸幸夫)

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