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2014年3月

2014年3月19日 (水)

文学少女が出現しています

『文学少女図鑑』では、文学少女を随時募集しています。

今日も新たな文学少女の出現がありました。

吉田美里さん『だれも知らない小さな国』

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2014年3月 6日 (木)

池田大作より他に神はなし/第49回 私は消防署、いや国連本部の方角からやって参りました。遂に『聖教新聞』も日顕一派の魔手に落ちたのか!?

 昔、消火器のインチキセールスマンの常套句に、「消防署の方から来た」との名台詞が。消防関係者と誤解させて、ベラボーな値段の粗悪消火器を売り付けるのだ。この手口は日本官憲も盛んに悪用。典型的なのが所轄署の戸籍調査。警察手帳も示さずに「交番の方から来た」とほざき(飯田橋3丁目での経験談)、任意に過ぎない行為をあたかも義務のように錯覚させ、個人情報を漁りまくる。果てはハイエナ公安や退職OBが勤務する調査会社に流し、組織的に薄汚い裏金稼ぎ。筆者は常に違法な本プライバシー侵害商売を断固拒否。だが拒否された事案を上にあげると、これはこれで担当者(犬)の得点になると(反社会的分子の事前摘発との名目で)。21世紀になっても益々強化される、天皇制共産主義国家の面目躍如たるものが。いや、現天皇の護憲発言までNHKが検閲・削除報道してるところを見れば(安倍極右在特会内閣へのご奉仕!)、安倍家共産主義国家日本と言うべきか? 筋を通す真正右翼がなぜ天誅を下さない? 営業右翼ばかりとは思いたくないが、天皇制即刻廃止論者の俺から見ても、実に寒々しい景色だ(新右翼、一水会代表までがブローカーに堕してたのには驚愕!)。

 日々世界で孤立化する一方で、“独り三国同盟状態”の極右政権国家・ニッポン。この危機に平和への指針を明確に示せるのは、もちろん池田名誉会長だけだ。だがなぜ未だに“ナチスの手法の安倍内閣”を、創価学会・公明党が支えているのか、多くの同志は疑問を抱いてる。名誉会長がご病気なのをいい事に、周辺や公明党が好き勝手してるとの噂も多い。ここ数年、『聖教新聞』に掲載されるお写真は大昔の物ばかり(初老の魅力と色気に満ち溢れてるのは事実だが)。人々(弟子)の前に神々しいお姿を現わさない。サンピン週刊誌が名誉会長の死亡デマを流すのも、絶対に許せないが隙を与えてる面も。地獄を這いずり回る一握りの日顕一派の残党が、名誉会長の意を受けたと擬装、我々まで地獄へと導く可能性もゼロとは言えない。未熟者の妄想と信じたいが、昨今の『聖教新聞』には怪しい記事が多い。

1  “SGI会長の国連提言選集「平和のためのフォーラム」 国連本部で出版シンポジウム テーマ 世界市民と国連の未来”(2月26日付1面)。中央の福々しくかつ若々しい名誉会長のお写真の両側には、左上に国連本部のロングショット。右下には会議をリードした国連関係者の重鎮3名と、会議の模様の写真が2枚。3枚共に構図も鋭く参加者の表情にも熱意が横溢、凡百の会議でなかったことをビジュアルに裏付けている。とうとう国連も、名誉会長のお知恵を仰ぐしかないと悟ったのだ。遅~い! 余りにも遅すぎる! もう3年早ければ名誉会長御自ら国連本部入り、圧倒的な歓呼の中でエジプト・イラク・北朝鮮・ウクライナ・中東他の難問を、一挙に解決する思想・哲学を惜しみなく開陳したであろう。孝行したい時に親はなしと昔から言うが、国連の官僚主義のお陰で、いかなる数の無辜の人々が命を落としたか…。“世界平和の大魔人”の活躍を阻んで来た連中が許せない!(あるいはここにも日顕一派の策動が!?)
 
 とはいえこれを機に、名誉会長が待望のノーベル平和賞を受賞すれば、チベットでもチェチェンでも流血の事態が避けられる(インディアン、いや名誉会長は絶対に嘘つかない!)。まずははめでたい。同紙をハッピー気分で再読すると、気にかかる下りが…。“会場は国連本部内の会議室”(つ……つまりお金を払って部屋を借りただけらしい。国連の公式行事でも何でもなく。考えればこれだけの大ニュース、いくら日本の大マスコミがデタラメでも、外伝経由で伝えるはずだ)。議長を務めたアンワルル・チョウドリなる人物は、“元”国連事務次長(課長よりは偉いのか?)。記念スピーチをしたベティ・ウィリアムズ博士は確かにノーベル賞受賞者らしいが、国連とは無関係な模様。国連「文明の同盟」のナセル・アブドゥルアジズ・アルセルナ上級代表、ジョン・アッシュ国連総会議長代理のポール・ベセル代表も登壇したとあるが(名前の校正力には自信ゼロ)、大会社の平の結婚式に寄せられた、社長の電報の様で物悲しい。一体この下っ端共は、本当に名誉会長の偉大さを噛み締めた事があるのか!?

 それより何より一番悪いのは、『聖教新聞』の記者どもだ。これじゃまるで名誉会長が、インチキ消火器のセールスマンだ(あんな立派な押し出しのセールスマン存在しないが……)。必要以上に自分だけが目立つ事や、金銭、名誉ヘの執着を最も唾棄する鷹揚で淡白な名誉会長。それを知らないニセ弟子が、『聖教新聞』にこんなにも居るとは呆れ果てる。燈台下暗しどころか、日顕一派に編集を外注してるようなもの。弟子仲間が、安倍独裁極右政権の添え木にされ捨てられるとの噂は、信憑性を帯びる一方だ。何とかして下さい偉大なる名誉会長!(塩山芳明)

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2014年3月 4日 (火)

●ホームレス自らを語る 第134回 夢見る52歳(後編)/香山博一さん(仮名・52歳)

1403 「東池袋公園」(東京・豊島区)で会った香山博一さん(仮名・52)は、それまでの自身の人生を饒舌に語ってくれた。
 1962年東京の生まれで、大学中退後、営業職などを転々としたこと。サラリーマンを定年退職した父親が個人営業の運送会社を設立し、それを手伝うようになったこと。設立当初はバブル経済の追い風もあって順調だったが、2年後、バブル経済の崩壊とともに経営は窮地に追い込まれ倒産に至ったことなどが早口に語られた。
「ちょうどその頃、母親が不慮の死を遂げる。自殺だった。うちの父親と母親は不仲で、それがずっと続いていたんだ」
 それまで饒舌に語っていた香山さんだったが、この話題はそれだけ語って口を噤んだ。この話題にはあまりふれたくない感じである。
 父親が経営していた運送会社が倒産になり、香山さんは別の配送会社に雇われる。ときに彼が33歳のときのことだ。
「印刷所で刷り上った通信販売やデパートのカタログを軽トラックに積んで、通販会社やデパートに配達するのが仕事だった」
 しかし、世の中はやがてインターネット隆盛の時代を迎え、カタログの需要は減少の途をたどることになる。しかも、長引く不況でカタログ配送のような隙間産業にも、大手運送会社が参入してくるなどもあって、香山さんが働いていた配送会社は2002年に閉鎖を余儀なくされる。そのとき彼は40歳になっていた。
「それから職探しをしたんだけど、不況の真っ只中だから、なかなか見つからなくてね。ハローワークに行ったこともあるけど、報告義務がいろいろあって、とても面倒臭いんだ。それに募集条件に一つでも合わないところがあると、即ダメ。募集企業の面接も受けさせてもらえない。典型的なお役所仕事でイライラするばかりだから、すぐに行かなくなった」
 それに香山さんの場合、働けるなら仕事の内容は構わないというわけではないのも、就職の機会を狭めているようだ。
「オレの場合、人の下で働くこととか、現場作業は苦手だからね。できれば、人を指示して動かすような仕事が向いていると思う。理想的には学校の先生や学習塾の講師などの仕事に就けるといいんだけどね」
 不況の時代ならずとも、教職の資格もない彼には、高望みとしかいいようのない希望である。あるいは、20代の頃にわずかな期間だったが塾講師の仕事に就いたことがあり、それが尾を曳いているのかもしれない。
 いずれにしても就職するあてのない香山さんは、父親が暮らしている実家に身を寄せ、その年金生活に寄生したパラサイトシングルの生活をすることになる。

 2012年。香山さんが実家に身を寄せて10年目、父親が倒れた。病院に救急搬送され、そのまま入院し手術を受けた。退院して家に帰ってきた父親は、半身不随で介護が必要な身体になっていた。病名ははきりしないが、父親の様子から脳梗塞かクモ膜下出血などの病気のようである。
「父親が退院してからは、その介護と二人の生活を、オレ一人でやらなくちゃならなくなったけど、どちらも経験したことがなかったから大変だったよ」
 口はめっぽう達者だが生活力には乏しく、それまでの生活は、すっかり父親まかせだったという香山さん。それからの父親の介護と、二人の生活には悪戦苦闘だったようだが想像に難くない。
「半年ほど一人で何とかがんばったけど、お金の遣い方というか配分がうまくできなくてね。次の年金の支給日まで何日もあるというのに、金が1円もなくなったりして……買い置きしてあったインスタント食品も食べ尽くして、父親とふたりで飢えた腹を抱えてすごしたこともあった」
 裁量がうまくできずに、しだいに追い込まれていった香山さんは、別に暮らしていた弟をよび寄せた。弟の方が自分より目端が利いて、生活力が旺盛だったからだ。
「それで弟に実家で暮らす権利と、父親の年金を自由に遣っていい権利を譲り、その代わり父親の介護と生活の面倒をみることを条件にして相談したところ、弟は二つ返事でOKだった。それでオレは仕事を見つけて働きながら、アパートにでも入って暮らすからと言って家を出た」
 香山さんが家を出たのは、13年7月のこと。いまの労働市場は非正規労働者が全労働者の3分の1を占める。こんな状況のなかで仕事の選り好みをし、しかも50歳を超えた香山さんに仕事のあろうはずもない。
「家を出たその日から即ホームレスだった。はじめ吉祥寺の街で始め、それから荻窪、池袋、川口(埼玉県)、新宿と移って、最終的に池袋に落ち着いた。池袋は高校と大学に通うのに使った街で、街に馴染みがあるのと、街の雰囲気が好きなんだ。夜は駅や公園、ビルの間など、毎晩適当なところに寝ている。警官や警備員に注意されたら、違う場所に移るだけだ」
 食べ物は炊き出しとスーパーマーケットなどの試食、それに賞味期限切れ間近のコンビニ弁当などを時々入手して賄っている。香山さんは就職への意欲を失ったわけではないという。
「仕事探しは続けている。仕事が見つかったら、結婚して、行くゆくは独立したい。夫婦でコンビニでも始められたらと思う。よくテレビの番組で脱サラして独立し夫婦で働いている人が紹介されるけど、どの夫婦も生きいきとして良い表情をしているよね。それに憧れ、できたらオレもそんな人生を送りたいと思っているんだ」
 まだこの先の人生を諦めたわけではない、52歳の夢見るホームレスだ。 (この項了)(聞き手:神戸幸夫)

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