●ホームレス自らを語る 第134回 夢見る52歳(後編)/香山博一さん(仮名・52歳)
「東池袋公園」(東京・豊島区)で会った香山博一さん(仮名・52)は、それまでの自身の人生を饒舌に語ってくれた。
1962年東京の生まれで、大学中退後、営業職などを転々としたこと。サラリーマンを定年退職した父親が個人営業の運送会社を設立し、それを手伝うようになったこと。設立当初はバブル経済の追い風もあって順調だったが、2年後、バブル経済の崩壊とともに経営は窮地に追い込まれ倒産に至ったことなどが早口に語られた。
「ちょうどその頃、母親が不慮の死を遂げる。自殺だった。うちの父親と母親は不仲で、それがずっと続いていたんだ」
それまで饒舌に語っていた香山さんだったが、この話題はそれだけ語って口を噤んだ。この話題にはあまりふれたくない感じである。
父親が経営していた運送会社が倒産になり、香山さんは別の配送会社に雇われる。ときに彼が33歳のときのことだ。
「印刷所で刷り上った通信販売やデパートのカタログを軽トラックに積んで、通販会社やデパートに配達するのが仕事だった」
しかし、世の中はやがてインターネット隆盛の時代を迎え、カタログの需要は減少の途をたどることになる。しかも、長引く不況でカタログ配送のような隙間産業にも、大手運送会社が参入してくるなどもあって、香山さんが働いていた配送会社は2002年に閉鎖を余儀なくされる。そのとき彼は40歳になっていた。
「それから職探しをしたんだけど、不況の真っ只中だから、なかなか見つからなくてね。ハローワークに行ったこともあるけど、報告義務がいろいろあって、とても面倒臭いんだ。それに募集条件に一つでも合わないところがあると、即ダメ。募集企業の面接も受けさせてもらえない。典型的なお役所仕事でイライラするばかりだから、すぐに行かなくなった」
それに香山さんの場合、働けるなら仕事の内容は構わないというわけではないのも、就職の機会を狭めているようだ。
「オレの場合、人の下で働くこととか、現場作業は苦手だからね。できれば、人を指示して動かすような仕事が向いていると思う。理想的には学校の先生や学習塾の講師などの仕事に就けるといいんだけどね」
不況の時代ならずとも、教職の資格もない彼には、高望みとしかいいようのない希望である。あるいは、20代の頃にわずかな期間だったが塾講師の仕事に就いたことがあり、それが尾を曳いているのかもしれない。
いずれにしても就職するあてのない香山さんは、父親が暮らしている実家に身を寄せ、その年金生活に寄生したパラサイトシングルの生活をすることになる。
2012年。香山さんが実家に身を寄せて10年目、父親が倒れた。病院に救急搬送され、そのまま入院し手術を受けた。退院して家に帰ってきた父親は、半身不随で介護が必要な身体になっていた。病名ははきりしないが、父親の様子から脳梗塞かクモ膜下出血などの病気のようである。
「父親が退院してからは、その介護と二人の生活を、オレ一人でやらなくちゃならなくなったけど、どちらも経験したことがなかったから大変だったよ」
口はめっぽう達者だが生活力には乏しく、それまでの生活は、すっかり父親まかせだったという香山さん。それからの父親の介護と、二人の生活には悪戦苦闘だったようだが想像に難くない。
「半年ほど一人で何とかがんばったけど、お金の遣い方というか配分がうまくできなくてね。次の年金の支給日まで何日もあるというのに、金が1円もなくなったりして……買い置きしてあったインスタント食品も食べ尽くして、父親とふたりで飢えた腹を抱えてすごしたこともあった」
裁量がうまくできずに、しだいに追い込まれていった香山さんは、別に暮らしていた弟をよび寄せた。弟の方が自分より目端が利いて、生活力が旺盛だったからだ。
「それで弟に実家で暮らす権利と、父親の年金を自由に遣っていい権利を譲り、その代わり父親の介護と生活の面倒をみることを条件にして相談したところ、弟は二つ返事でOKだった。それでオレは仕事を見つけて働きながら、アパートにでも入って暮らすからと言って家を出た」
香山さんが家を出たのは、13年7月のこと。いまの労働市場は非正規労働者が全労働者の3分の1を占める。こんな状況のなかで仕事の選り好みをし、しかも50歳を超えた香山さんに仕事のあろうはずもない。
「家を出たその日から即ホームレスだった。はじめ吉祥寺の街で始め、それから荻窪、池袋、川口(埼玉県)、新宿と移って、最終的に池袋に落ち着いた。池袋は高校と大学に通うのに使った街で、街に馴染みがあるのと、街の雰囲気が好きなんだ。夜は駅や公園、ビルの間など、毎晩適当なところに寝ている。警官や警備員に注意されたら、違う場所に移るだけだ」
食べ物は炊き出しとスーパーマーケットなどの試食、それに賞味期限切れ間近のコンビニ弁当などを時々入手して賄っている。香山さんは就職への意欲を失ったわけではないという。
「仕事探しは続けている。仕事が見つかったら、結婚して、行くゆくは独立したい。夫婦でコンビニでも始められたらと思う。よくテレビの番組で脱サラして独立し夫婦で働いている人が紹介されるけど、どの夫婦も生きいきとして良い表情をしているよね。それに憧れ、できたらオレもそんな人生を送りたいと思っているんだ」
まだこの先の人生を諦めたわけではない、52歳の夢見るホームレスだ。 (この項了)(聞き手:神戸幸夫)
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