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2014年2月

2014年2月24日 (月)

文学少女が出現しています

『文学少女図鑑』では、文学少女を随時募集しています。

今日も新たな文学少女の出現がありました。

サラさん『GOTH』ほか

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2014年2月17日 (月)

文学少女が出現しています

『文学少女図鑑』では、文学少女を随時募集しています。

今日も新たな文学少女の出現がありました。

綾乃さん『ホリー・ガーデン』

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2014年2月10日 (月)

池田大作より他に神はなし/第48回 発見! 日本共産党こそが日本赤色化阻止の最大の防波堤なのだ。安倍ハイル総統(首相?)は志位和夫委員長に国民栄誉賞を授けよ!

 注目の都知事選挙、投票を数日後に控えても、舛添要一候補の圧倒的優位は動かないと。一部マスコミは、組織選挙を展開する自公の側が、浮動票頼りの細川護煕陣営を牽制する為に(投票率アップ阻止目的で)、そういう宣伝を繰り広げてるとも批判。街頭でのケタ外れの動員力に比べ、支持が広がってないと囁かれる、細川&小泉側の焦りがありあり。正直なトコ筆者は、舛添なるエロ男が好きになれない。というか大々っ嫌い! 人を見下した尊大さに加え(石原慎太郎ソックリ)、行っちゃった感じの極端で異様な寄り眼。インチキ投資話のセールスマンならともかく、首都東京の顔にはヤバすぎる。無論、創価学会の政治部門たる公明党が(建て前上はともかく)、独断で選択しようはずがない。池田大作SGI名誉会長以下の高潔な方々の、高度な政治判断の結果のはずだ。地獄を這いずり回る一握りの日顕一派のスパイとて、まさか本件にまでは関知出来まい。しかし…。群馬住まいで選挙権がなく内心は安堵。申し訳ありせん! 尊敬する偉大な名誉会長!! フレンド票の獲得、身銭を切って徹底的にやり抜く覚悟です(空手形かも…)。アルゼンチン国はオバケのQ太郎、い…いや、バ…バケロス市の、名誉市民称号授与おめでとうございます(何言ってんだバカヤロ!)。

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 今回の都知事選挙で気付かされたのが、反面教師としての日本共産党の偉大さ。正直なトコ、例のアル中崩れの元フリー編集者で、現派遣警備員の古い友人のため、昔からの社会主義(赤)嫌い。日顕一派と並ぶ日本堕落の元凶と確信して来た。ところが今回は正義・救国の行動に打って出た。あの傲慢不遜さに加え、女性・老人蔑視発言を繰り返してきた“寄り眼ネズミエロ男”。小泉をバックに細川護煕が立候補したら、落選間違いなしと(バンザイ!)。汲み取り便所の半壊便器みたいなゲス男が、落選後にどうなろうが構わない。ただ名誉会長のカリスマ性に傷が付きかねない。それだけが心配だった。無論その段階では、当然名護市市長選挙のように、反原発の旗印の元、宇都宮健児候補は立候補を辞退すると考えていた。と…ところがご覧の通り。更には『赤旗』が今頃、佐川急便問題を連日取り上げ、自民党以上に細川候補をガンガン攻撃(既存大手記者クラブマスコミと仲良しタッグで)。す…素晴らしい! 2本の矢は束ねると、3本分以上の強靱さを発揮する場合もある。が、1本ずつなら順番に折ればグリコのポッキーだ。しかも官憲は我が陣営の味方。日本共産党万歳!

 「何を今さら。日本共産の根本的体質。自分達だけが絶対的正義と信じ込んでる。その特権・選民意識が、他の人々と同等視されるの許さない。隙あらば自分達が支配・指導したくて腹の中はグッツグツ。機関紙類も強引に拡張するから、運動は必ず分裂状態に。そこらの手口、天敵の裏金公安警察とソックリ」例の元アル中の友人が、勝手に入り込んでソファにデン。「お前との絶交関係、見直したつもりないヨ」「まあまあ。舛添ドブネズミが学会員に人気あるたぁ思えん。なのに圧倒的に有利と。末端の支持者の考えを知りたくてよ。ンな酔狂な奴、俺の周囲じゃお前だけだし」「大きなお世話だ。それより今日は俺が、日本共産党についてお前に尋ねたい」「ま、分かる事なら答えるヨ」(エラソ-!) 

 彼によれば、住民・組合運動なども、共産党が乗り出すと混乱する場合が多いと。末端の党員や支持者は善良で熱心な人が多い。が、いちいち上の指示を仰がないと物事の判断が出来ない(民主集中制という名の独裁システムのせい。一種の恐怖管理教育)。土壇場でかたくなに原則論を振り回したりも。「政治は結果が全て。全面勝利が無理なら、より良い条件で妥協するのは少しも恥ずかしくない。芸術は絶対的で白か黒かの世界だけど、政治はベター。グラデーションだよ」ふむふむ。政治はベターでグラデーションの世界か。元赤&アル中の割にはシャレた事を。奴も寒風吹きすさぶ工事現場での警備で、ようやく本当の人生を学んだか? それが買い被りだったのはすぐ明らかに(馬鹿は死んでも治らないと痛感)。

 「共産党だけじゃねえよ。独裁的カルト組織って、グルと組織の利益のためなら何でもあり。思想・信条・節操糞喰らえ。第三帝国のヒトラー、大日本帝国の天皇裕仁は、今考えるとその走りだな。極端な形で暴走した金日成の北朝鮮や麻原彰晃のオウムもだけど、国労を平気で裏切った黒田寛一率いる革マル派、あんたが崇める池田大作命の創価学会も同じケツの穴のムジナ。平和主義・民衆勝利を標榜する学会が、何で在特会と同じ考えの安倍総理を支える? 日本共産党が、端から勝つ気のねえ選挙やる以上にムチャクチャ。昔の自民党も含めて、普通の組織はそういう場合内部抗争になる。どんな路線変更してもケンカにならないのは、カルトの証拠。安倍のような人種差別主義極右と同衾してるから、エロドブネズミ男を差し出されても異様に感じない。名誉会長はガンジーやキングではなく(ましてやマンデラなどではなく)、体格・実積から言っても血分けの儀式の統一教会のグル、文鮮明に…」

 無論、最後まで喋らせずに叩き出したのは言うまでもない。で、予想通りエロドブネズミ、いや舛添候補が都知事に。正直なトコはかなり心配だ。無論、名誉会長の御判断に間違いがあるはずがない。とは思いますが、御用心なさいませ。一方で日本共産党、いい仕事しましたね!(塩山芳明)

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2014年2月 1日 (土)

●ホームレス自らを語る 第134回 夢見る52歳(前編)/香山博一さん(仮名・52歳)

1402  豊島区の「東池袋公園」で会った香山博一さん(仮名・52歳)は、よく話す人で、話の内容がこちらの質問を超えて展開し、軌道修正するのが大変なほどよく話してくれた。その生い立ちから聞いていこう。
「生まれは東京・杉並区。昭和37年、西暦では1962年。3人きょうだいの長男で、下に弟と妹がいる。父親はサラリーマンで、あるメーカーの電算機室の室長をしていた」
 電算機と言うのはコンピュータのことで、当時、その室長の地位にあったというのはエリート社員である。経済的にも恵まれ、香山家の暮らし向きは良かったようだ。
「父親以下、家族の全員が理数系に強い家系だったんだけど、なぜかボクだけは理数系がさっぱりで、社会科を中心にした文系が得意だった。勉強をするのは好きで、教科書や偉人の伝記をよく読んでいた。小学生の頃は学校帰りに、一人で区立図書館や博物館などに行ってたね。
 それに子どもの頃から、目立つこと、人の上に立つことが大好きで、中学では演劇部に入って演出をやっていた。大きくなったらテレビタレントになりたいと思っていた時期もあった。漠然とだけどね」
 いまは茫々の髭で顔の半分が覆われているが、よく見ると彼は鼻筋の通ったイケメン顔である。
 香山さんは区立の小学校、中学校を出て、高校はD大学附属高校で学び、さらに埼玉県にあるJ大学経済学部に進学する。どこの大学でも経済学部は文系学部ということになっているが、経済学は夥しい数式を使って計算する学問分野で、どちらかといえば理系要素が強い。
「ボクは理系のことは、さっぱりわからないからさ。2年生の途中で授業についていけなくなって、大学に行かなくなった。そのうちに除籍になっていた。まあ、挫折したわけだよね」
 J大を除籍になった香山さんは、あるロウソクメーカーの営業に職を得る。ロウソクの営業といえば結婚式場、葬儀場、仏具店、寺院、神社など限られた得意先を回るルート営業である。
 その営業職の傍ら、彼はまた大学での勉学に挑む。こんどはK大学経済学部の通信教育を履修したのだ。懲りたはずの経済学に再度の挑戦をしたのである。
「K大の通信教育を受けることにしたのは、父親から『これからの時代は、大学卒の履歴があったほうがいい』とアドバイスされたからなんだ。でもK大の通信教育はすごかったよ。レポート提出の数と量が半端じゃないんだ。とてもルート営業の片手間にできるようなものではなかった。1年ももたずに投げ出していたね」
 その後、香山さんは仕事のほうも、ロウソクメーカーの営業から、某ミシンメーカーの営業所勤務の仕事(駅前でのカタログ配布)に替え、さらに某照明器具メーカーの営業へと替えている。彼の23歳から27歳にあたる時期で、ときあたかもバブル経済が沸騰していた頃である。完全な売り手市場の時代で、仕事はいくらでもあったときだ。香山さんが勤務したという3つのメーカーは、いずもわが国を代表する一流メーカーである。

 一時だが、香山さんは学習塾の講師を務めたことがある。
「笹塚(渋谷区)の先にあった高校受験のための学習塾で、社会科を教える講師になった。じつは、オレは人に使われて働くより、人の上に立って働く方が好きで、学校の先生になるのが子どもの頃からの夢の一つだったんだ。その意味で、塾の講師は理想的な職業だったから、はりきって教えたんだけどね……」
 その学習塾は開業からわずか10カ月ほどで、閉鎖に追い込まれたのだ。
「笹塚の駅から遠くて立地が悪かったこと、個人経営の塾だったから十分な宣伝がかけられないことなどが重なって、生徒が集まらなかったんだ。はりきっていただけに、閉鎖のショックは大きかった」
 当時を思い出すのか、いまでも無念そうに語る香山さんだ。
 そのときの彼は27歳。いわゆる結婚適齢期だったが……。
「結婚はできなかったね。結婚願望は強かったんだけど、周りに深くつき合うような女性がいなかったのと、うちは父親と母親がとても不仲で、ケンカの絶えない夫婦だった。そんなのを見て育ったから、結婚生活に幻滅を感じていたところもあったんだな。ボクが結婚できなかった原因は、多分それだと思うよね」
 香山さんが学習塾講師の職を失った頃、ちょうど父親がメーカーを定年退職する。そして、退職金を元手にして運送会社を始める。
「といっても、軽トラック1台だけの小さな運送会社だけどね。大手運送会社の下請けで、都内の営業センターから別の営業センターに荷物を運ぶのが仕事だった。それをオレと弟で手伝うことになった」
 はじめのうちはバブル経済の絶頂期とあって、配送の仕事はいくらでもあり面白いように稼げた。しかし、会社設立から2年後にバブル経済は崩壊。一転してきびしい不況時代に突入する。
「それまで120円だった配送単価が、バブル崩壊からジリジリと下がって60円にまでなった。もう仕事をすれば、するだけ赤字になるという状態だよ。それで会社を畳むことになった。オレが33歳のときのことだね」
 さらに、追い打ちをかけるように香山家に不幸が襲った。母親が不慮の死を遂げたのである。自殺であった。それまで饒舌すぎるほどに語っていた香山さんだったが、このときばかりはしばらく口を閉ざして黙するのだった。(つづく)(聞き手:神戸幸夫)

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