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2013年12月

2013年12月 9日 (月)

池田大作より他に神はなし/第46回 民衆完全大勝利に直結する人間主義平和立法・秘密保護法制定の最大の功労者、池田名誉会長に来年こそノーベル平和賞を! その前にまずは国民栄誉賞を!!(安倍サンピン首相は枕元で土下座してでも受けていただきなさい)

 拙宅では安いので昔から『東京新聞』を購読。同紙の「こちら特報部」は、難しい問題を分かりやすく解説してくれて親しみが。だが最近は偏向記事が目立つ。先般も秘密保護法をめぐり、公明党の姿勢への口汚いののしりを大きく掲載。平和の党が変節したの、創設者への戦前の弾圧を忘れたか云々。秘密保護法があそこまで修整され、民主的で立派な法案になったのも(何が秘密かは秘密で役人が秘密に決定した秘密は永遠に秘密で非公開。シンプルで凄く分かりやすい……と思う)、我が公明党の妥協を許さない戦闘的姿勢のたまもの(師弟共戦!異体同心!)。

 やくざのインネン並の同紙の口調には、怒りと共に鼻をつまみたくなる悪臭を強く感じた。そう。地獄の底を這いずり回る、一握りの日顕一派のみが放つあの腐臭だ。大手各紙大幅部数減の中、唯一伸ばしてると言われる『東京新聞』。噂を聞き付けたド畜生共が潜入、デマ記事を書かせてる可能性は高い。畜生は一匹だけではないらしく、投書欄・芸能欄まで使ってのデマの波状攻撃(下手人の中には『潮』の常連執筆者Kまで。恥知らずな忘恩の徒が!)。『週刊新潮』と『週刊文春』は裁判に連戦連敗で反省の色が見える。だが『日刊ゲンダイ』に加え、新たに『東京新聞』が日顕一派の機関紙に成り下がってる様は、民主主義国家の大いなる恥辱だ。

 「恥辱なのは公明党・創価学会。平和主義だ民衆勝利だ、フダン口当たりのいい言葉ばっか並べやがって、いざとなりゃあ安倍在特会内閣の提灯持ち。どうせ陰で宗教法人の減税措置を撤廃するとか、ドーカツされたのさ。大新聞が消費税の対象外にして欲しくて、安倍のケツをバター犬みてえにレロレロしてるんと同じ」出入り禁止にしたはずの、元フリー編集者で今は警備員のKが、またも悪びれもせずに勝手に侵入、ソファにどっかと尻を。即叩き出したいのは山々だが、肉体労働者には物理的にかなわない。加えて年のせいか、立ち寄ってくれる友人も激減。つい甘やかして茶のみ話の相手に。

 「また近所の工事現場で仕事か?」「違うよ。地下鉄で国会前に行って来たのさ」「そう! 遂に君も目覚めたね。なるほど、公明党議員団に感謝の陳情にねえ。秘密保護法じゃ自民党の邪悪な野望を、完全に粉砕したからねえ。僕の説教も無駄じゃなかった訳だ。冷蔵庫のカンビール飲みねえ、亀田の柿の種喰いねえ、神田の生まれだってねえ?」「いや上州は甘楽郡よ。磨いたドスの刃ような空っ風が日々吹きすさぶ……じゃなかった。お前、この糞ヨタ連載45回も続けてるうちに、完全に頭イカれたな。俺が行ったのは秘密保護法反対デモだよ。そこに途中まで打ってある、“何が秘密かは秘密で役人が秘密に決定した秘密は永遠に秘密で非公開”の、どこが分かりやすくてシンプルなんだ? 国民は納税義務だけ負った役人の奴隷か? 大作の野郎、昔から希代のペテン師だと分かっちゃいたが、今回の件で文鮮明と同じ、いや統一教会以下のド畜生だってはっきりした。お前らはド畜生にわいたウジ虫だ!!」「!!」

 温厚な筆者も、さすがに原爆級暴言に耐え得る忍耐力はなかった。瞬時にKを蹴り上げ叩き出す。ここまで肉体的闘争力があったとは我ながら驚き。各種著作を通じて全身に叩き込まれた名誉会長の、民衆絶対勝利の平和哲学が、国会周辺の“赤いテロリスト”に一分の付け入る隙も与えなかった。秀でた宗教・思想・哲学は姿なき武器でもあるのだと初めて気付く。ただこれは民主主義を否定する、“赤いテロリスト”にのみ許された最後の手段。人間主義の基本はあくまで対話が基本。“SGI会長の対話は非暴力の精神を社会に広げる旅路”(マレーシア公開大学アヌワ-ル・アリ学長・『聖教新聞』11月20日)との分析、さすがは慧眼だと思う。

 同時に思う。対話とは互いの虚飾を脱ぎ捨て、腹を割って交わす精神のキャッチボールだと。日本がそんなに秘密だらけの国になって、果たして今後もそれが可能なのか? 名誉会長のお陰で成立した素晴らしい秘密保護法(テロリストは新治安維持法と呼ぶとか)。その先進的内容には、国連高等弁務官も驚愕したと伝えられる。が、役人に悪用されて名誉会長の対話運動までが、官憲の妨害に遭うのではと少しだけ心配に。もちろん、下々の者の杞憂に過ぎないと承知してますが。尚、今回のカットには、遁走するKが事務所に置き忘れて行った、赤いテロリスト達のビラを使用。心底恐ろしい連中だ。1日も早く牢屋に!(塩山芳明)

AbenokudetaNanndemohimituSaninsaitaku

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2013年12月 7日 (土)

●ホームレス自らを語る 第132回 路上生活者の矜持(前編)/山田元さん(仮名・53歳)


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 ホームレスをしている人には、酒やギャンブルで身を持ち崩した人が多い。ところが、今回紹介する山田元さん(仮名・53)は、酒とも、ギャンブルとも無縁だという。

「私は酒もギャンブルもやりません。ホームレスといっても上等なのから下等なのまでランクがあって、道端に寝転がっている連中と私は違うと思っています。同じホームレスでもプライドがありますからね」

 そう言い切る山田さん。彼は着ているものはこまめに洗濯し、銭湯にも定期的に行って身ぎれいにし、食事もすべて自分で稼いだ金で求めたものを食べているという。非常にキチンと矜持をもって生活している人なのだ。その来歴から話してもらった。

「生まれは昭和35(1960)年、山口県美祢市の出身。美祢市は観光では秋芳台・秋芳洞が有名で、産業としては石灰岩を産出し、採掘現場から30キロ以上先の宇部興産の工場まで1本のベルトコンベアで運ばれている光景が見られます」

 父親は大工。きょうだいは3人で、山田さんは末っ子である。子どもの頃の彼はおとなしい性格だったという。

「友だちと遊んでいるときなど、『おまえもいたのか』と後になって気づかれるくらい目立たない存在でした。趣味は機械いじりで、中学生の頃には農家から使わなくなった耕耘機とか草刈り機なんかをもらってきては、それを分解して遊んでいました。機械の構造が好きだったんですね」

 それだけ機械好きな山田さんだったが、高校は地元の普通高校で学んだ。そして、卒業後は京都の自動車修理工場に就職したというから、ややジグザグした人生行路のスタートであった。

「自動車修理工場での仕事は楽しかったですよ。好きな機械の分解と組立てが主な仕事ですからね。工場の先輩たちもみんな親切で、ていねいに指導してくれましたしね。私も自動車整備士の資格取得を目指してがんばったんです」

 山田さんは修理工場で働くようになって、その寮に入った。こうしてケースでは、寮の先輩たちから酒やギャンブルの手ほどきを受けて、それにハマって身を持ち崩す例も多い。

「そういう誘惑の少ない職場でした。真面目な先輩が多かったんですね。従業員の歓送迎会や新年会、忘年会などでは、私も出席してつき合いで酒を飲みましたが、普段は酒を飲みたいと思いませんでしたからね。いまでもそうですよ。ギャンブルに誘う悪い先輩もいませんでしたしね。愉しみは盆暮の休みに、田舎に帰ることくらいでした」

 とてもうまくいっていた自動車修理工場での仕事と生活だったが、就職から6年後の24歳のときに辞めてしまう。その理由は「都会での暮らしに飽きたからです」という。そのまま出身地である美祢に帰った。

 美祢に帰った山田さんは、実家に身を寄せながら市内の石材工場で働くようになる。

「その工場では建築の外壁や床材に使用する石材をつくっていました。その頃から石の切断にコンピュータが導入されるようになっていて、オレたち従業員の主な仕事は石材の表面をツルツルに磨きあげることでした。ダイヤモンド粉を塗布した砥石と、専用のフェルトを使って磨くんですが、キチンと水平に磨きあげるのがむずかしかったですね」

 この細かい神経を要する仕事は山田さん向きではなかったようで、2年ほどでやめてしまう。その後も実家に身を寄せたまま、レストランの皿洗い、自動車工場の臨時工、商店店員などの職場を転々とする。どこも1年と続かないで職場を替えたのだった。

「31歳のときに首都圏に出ました。久里浜(神奈川県)の自動車工場に期間従業員で雇われたんです。その仕事は美祢のハローワークで見つけました。工場近くの寮に入って、仕事は車の組立て。半年契約で働きはじめたんですが、途中1回の契約更新があって1年間働いたところで用済みになりました」

 それで工場の寮を出されたが、首都圏の地理には不案内である。とりあえず、東京の上野公園に向った。期間従業員の仲間たちが、仕事に困ったら上野公園に行けばいいと言っていたのを覚えていたからだ。

「上野公園に着いてしばらくすると、手配師から声をかけられ仕事が紹介されました。15日間契約で飯場に入って、工事現場で働く仕事です。ほかに行くアテもないし、受けるより仕方ありませんでした。15日間の契約で入った飯場でしたが、仕事ぶりが気に入られて、更新、更新を繰り返して、最初の飯場に3年間も入っていましたよ」

 こうした飯場に入って働く人は、契約の15日間働くと、その日当をもらって場末のドヤ(簡易宿泊所)に移り、金がなくなるまでギャンブルや酒で遊び暮らす例が多い。しかし、山田さんはそうした怠惰な生活を好まなかったのだ。

「飯場には15日間契約で入るのが原則ですが、オレの場合は職長から『おまえはもういい』と言われるまで、2カ月でも、3カ月でも働きました。それで飯場を出ると上野公園に行って、手配師から新しい飯場を紹介してもらい、すぐにそちらに行って働くという具合でした。真面目だったですよ」

 仕事はマンションや商業ビルの建設工事が多かった。そんな一つに「六本木ヒルズ」の現場もあったそうだ。

「そうやって真面目に働いても金は貯まりませんでしたね。貯まらないような搾取のシステムになっているからです。何だかんだと理屈をつけて、日当から差し引かれてしまうんです」

 山田さんは48歳か、49歳くらいで飯場仕事をやめ、新宿中央公園でホームレスの暮らしをはじめることになる。(つづく)

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2013年12月 6日 (金)

『女と金』いよいよ発売です

大変長らくお待たせしました!

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『女と金』が12月12日より店頭に並び始めます!

★お住まいの地域により発売日が遅れる場合がございます★

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