●ホームレス自らを語る 第132回 路上生活者の矜持(前編)/山田元さん(仮名・53歳)
ホームレスをしている人には、酒やギャンブルで身を持ち崩した人が多い。ところが、今回紹介する山田元さん(仮名・53)は、酒とも、ギャンブルとも無縁だという。
「私は酒もギャンブルもやりません。ホームレスといっても上等なのから下等なのまでランクがあって、道端に寝転がっている連中と私は違うと思っています。同じホームレスでもプライドがありますからね」
そう言い切る山田さん。彼は着ているものはこまめに洗濯し、銭湯にも定期的に行って身ぎれいにし、食事もすべて自分で稼いだ金で求めたものを食べているという。非常にキチンと矜持をもって生活している人なのだ。その来歴から話してもらった。
「生まれは昭和35(1960)年、山口県美祢市の出身。美祢市は観光では秋芳台・秋芳洞が有名で、産業としては石灰岩を産出し、採掘現場から30キロ以上先の宇部興産の工場まで1本のベルトコンベアで運ばれている光景が見られます」
父親は大工。きょうだいは3人で、山田さんは末っ子である。子どもの頃の彼はおとなしい性格だったという。
「友だちと遊んでいるときなど、『おまえもいたのか』と後になって気づかれるくらい目立たない存在でした。趣味は機械いじりで、中学生の頃には農家から使わなくなった耕耘機とか草刈り機なんかをもらってきては、それを分解して遊んでいました。機械の構造が好きだったんですね」
それだけ機械好きな山田さんだったが、高校は地元の普通高校で学んだ。そして、卒業後は京都の自動車修理工場に就職したというから、ややジグザグした人生行路のスタートであった。
「自動車修理工場での仕事は楽しかったですよ。好きな機械の分解と組立てが主な仕事ですからね。工場の先輩たちもみんな親切で、ていねいに指導してくれましたしね。私も自動車整備士の資格取得を目指してがんばったんです」
山田さんは修理工場で働くようになって、その寮に入った。こうしてケースでは、寮の先輩たちから酒やギャンブルの手ほどきを受けて、それにハマって身を持ち崩す例も多い。
「そういう誘惑の少ない職場でした。真面目な先輩が多かったんですね。従業員の歓送迎会や新年会、忘年会などでは、私も出席してつき合いで酒を飲みましたが、普段は酒を飲みたいと思いませんでしたからね。いまでもそうですよ。ギャンブルに誘う悪い先輩もいませんでしたしね。愉しみは盆暮の休みに、田舎に帰ることくらいでした」
とてもうまくいっていた自動車修理工場での仕事と生活だったが、就職から6年後の24歳のときに辞めてしまう。その理由は「都会での暮らしに飽きたからです」という。そのまま出身地である美祢に帰った。
美祢に帰った山田さんは、実家に身を寄せながら市内の石材工場で働くようになる。
「その工場では建築の外壁や床材に使用する石材をつくっていました。その頃から石の切断にコンピュータが導入されるようになっていて、オレたち従業員の主な仕事は石材の表面をツルツルに磨きあげることでした。ダイヤモンド粉を塗布した砥石と、専用のフェルトを使って磨くんですが、キチンと水平に磨きあげるのがむずかしかったですね」
この細かい神経を要する仕事は山田さん向きではなかったようで、2年ほどでやめてしまう。その後も実家に身を寄せたまま、レストランの皿洗い、自動車工場の臨時工、商店店員などの職場を転々とする。どこも1年と続かないで職場を替えたのだった。
「31歳のときに首都圏に出ました。久里浜(神奈川県)の自動車工場に期間従業員で雇われたんです。その仕事は美祢のハローワークで見つけました。工場近くの寮に入って、仕事は車の組立て。半年契約で働きはじめたんですが、途中1回の契約更新があって1年間働いたところで用済みになりました」
それで工場の寮を出されたが、首都圏の地理には不案内である。とりあえず、東京の上野公園に向った。期間従業員の仲間たちが、仕事に困ったら上野公園に行けばいいと言っていたのを覚えていたからだ。
「上野公園に着いてしばらくすると、手配師から声をかけられ仕事が紹介されました。15日間契約で飯場に入って、工事現場で働く仕事です。ほかに行くアテもないし、受けるより仕方ありませんでした。15日間の契約で入った飯場でしたが、仕事ぶりが気に入られて、更新、更新を繰り返して、最初の飯場に3年間も入っていましたよ」
こうした飯場に入って働く人は、契約の15日間働くと、その日当をもらって場末のドヤ(簡易宿泊所)に移り、金がなくなるまでギャンブルや酒で遊び暮らす例が多い。しかし、山田さんはそうした怠惰な生活を好まなかったのだ。
「飯場には15日間契約で入るのが原則ですが、オレの場合は職長から『おまえはもういい』と言われるまで、2カ月でも、3カ月でも働きました。それで飯場を出ると上野公園に行って、手配師から新しい飯場を紹介してもらい、すぐにそちらに行って働くという具合でした。真面目だったですよ」
仕事はマンションや商業ビルの建設工事が多かった。そんな一つに「六本木ヒルズ」の現場もあったそうだ。
「そうやって真面目に働いても金は貯まりませんでしたね。貯まらないような搾取のシステムになっているからです。何だかんだと理屈をつけて、日当から差し引かれてしまうんです」
山田さんは48歳か、49歳くらいで飯場仕事をやめ、新宿中央公園でホームレスの暮らしをはじめることになる。(つづく)
| 固定リンク
« 『女と金』いよいよ発売です | トップページ | 池田大作より他に神はなし/第46回 民衆完全大勝利に直結する人間主義平和立法・秘密保護法制定の最大の功労者、池田名誉会長に来年こそノーベル平和賞を! その前にまずは国民栄誉賞を!!(安倍サンピン首相は枕元で土下座してでも受けていただきなさい) »
「 ホームレス自らを語る」カテゴリの記事
- ●ホームレス自らを語る 第137回 ラーメン屋台を曳いていた(前編)/若月一知さん(55歳)(2014.07.01)
- ●ホームレス自らを語る 第136回 畳の上で休みたい(後編)/馬場小夜子さん(79歳)(2014.04.30)
- ●ホームレス自らを語る 第135回 畳の上で休みたい(前編)/馬場小夜子さん(79歳)(2014.04.01)
- ●ホームレス自らを語る 第134回 夢見る52歳(後編)/香山博一さん(仮名・52歳)(2014.03.04)
- ●ホームレス自らを語る 第134回 夢見る52歳(前編)/香山博一さん(仮名・52歳)(2014.02.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント