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2013年10月 5日 (土)

●ホームレス自らを語る 第130回 希望のない人生だった・(前編)/小山さん(62歳)

1310  今回取材したホームレスの小山さん(62)には、JR上野駅近くの上野広小路(中央通り)の路傍で話を聞いた。緊張するタイプだという彼は、取材の途中で緊張が嵩じて言葉が発せられなくなることがあった。そんなときは取材を中断して、彼の緊張が解けるのを待って行い、時間のかかる取材になった。
「生まれは白神山地の秋田県側の麓の村で、昭和26(1951)年の出生。父親は営林署の請負いで白神山地に入り、国有林の営林、枝打ちや下草刈り、間伐材の伐採などを仕事にしていた。それに家には田畑があって、そちらは母親が耕作していた。といっても、家族で食べる米と野菜が収穫できる程度の小さな田と畑だったけどね。きょうだいは6人。オレは3番目で上に姉と兄がいた」
 楽とはいえないまでも、慎ましく平穏な山里での一家の暮らし。その平穏が破られるのは、小山さんが小学3年生のときのことだ。
「父親が山で営林作業中に大ケガをしたんだ。伐採した間伐材にワイヤーを巻いて集積作業をしていたら、ワイヤーが切れて近くの立ち木に絡みついてしまった。それで父親がその木に登ってワイヤーを外そうとしたら、突然、ワイヤーが跳ねて父親の身体を打ち、父親は下の切り株に思いきり叩きつけられたということだった」
 ただちに仲間の車で病院に運び込まれた父親だったが、その身体の肉は裂け、何箇所も複雑骨折し、傷ついた内臓もあった。診断した医師も「これでは助からないだろう」と思たという。だが、治療の甲斐あってか、父親は奇跡的に一命を取り留めた。
「九死に一生を得た父親は、それから17年間も生き延びた。ただ、それから亡くなるまで、病院のベッドから離れられなかったけどね。父親の入院治療費は労災保険から支払われたと思う。大変だったのは母親の方で、6人もの子どもを抱えて途方にくれたんじゃないのかな」
 その子どもも学齢期か、就学前の子ばかりの6人である。彼らに食べさせて生計を立てるために、母親は自分たちの田畑の耕作に加え、近隣の農家の仕事を積極的に手伝って現金収入を得たのだという。そうはいっても、その貧窮ぶりは、想像してもあまりあるものがある。
 そこで当時の暮らしぶりについて、小山さんに聞いてみた。すると彼は急に押し黙ってしまい、顔面を紅潮させて、呼吸を荒くしていくのだった。やがて、瞳を潤ませたかと思うと、両手で顔を覆ってしまった。当時のことを思い出して、緊張感を高ぶらせてしまったようだ。
 この質問が辛いようであったら、答えなくてよい旨を伝えると、彼は両手で顔を覆ったままで、二度「うん。うん」と頷いた。母親の労苦や貧窮の様子は想像するしかない。

 中学を終えた小山さんは、地元の大工の棟梁に弟子入りした。気分を落ち着けた小山さんが語る。
「仕事は住宅建築や増改築が多かった。ただ、田舎だから住宅関係の仕事だけでは食えないから、暇なときには土木作業をすることもあった。道路工事とか、河川の堤防工事とかだね。住宅建築のときも土地の造成から、基礎工事まで、全部棟梁が指揮して、自分たちでやったんだよ。それでオレは建築から、土木のことまで一通りのことはできるからね」
 そのころ家を継いだ長兄から、「古くなった家を新築して、母親にプレゼントしたいから、おまえも一口のってくれ」と相談され、小山さんは大工見習いの少ない給料から月々いくばくかの金を提供するようになる。家族思いの真面目な青年だったのだ。
 小山さんが弟子入りした棟梁には一人息子がいて、いずれは棟梁の跡を継ぐことになる彼も、いっしょの現場で働いていた。小山さんが働くようになって2年目に、住宅建築の現場で事故が発生する。
「天井スラブの型枠をバラしているとき、そのスラブが崩落して、棟梁の息子がその下敷きになって死亡してしまったんだ」
 天井スラブとは天井構造の基礎になるコンクリートのことで、現場で生コンクリートを打設して構築する。
「棟梁だとかいっても、田舎の棟梁だからね。構造設計の知識があるわけじゃない。すべて現場での経験と勘だけで仕事をしているわけだからさ。コンクリート内部の配筋の量が足りなかったのか、養生期間が短かすぎたのか、理由はよくわからないが、とにかく天井スラブが全部崩れて落ちてしまったんだ」
 コンクリートの養生というのは、施工後、コンクリートが硬化するまで、一定の水分量と温度で保つことをいい、外気温によって養生期間が変わってくる。
「まあ、運が悪くというか、たまたま棟梁の息子だけが下にいて、その犠牲になってしまった。事故で跡取り息子を失うことになった棟梁の、それからの落ち込み方はひどいもんで、仕事どころじゃなくなちゃってね。そんな棟梁の下についていても仕方ないんで、オレもそこから離れることになった」
 以後、小山さんは夏は北海道、冬は首都圏で働く出稼ぎ人生を送ることになる。それから2年後、彼が19歳のときに、母親を病で失うアクシデントに遭遇する。
「母親が亡くなったのは、乳ガンが原因だった。ガンの発見が遅れて、あっという間に逝ってしまった。オレが小学生のときに、山で大ケガをした父親は、まだ病院に入院している状態だったのにね。この両親のことといい。棟梁の息子のこともそうだが、どうしてオレの周りでは不幸ばかりが続くんだろうと思った。生きる希望を失うようなできごとばかりだからね」
 それから小山さんは、しばらく口を噤んだ。その両肩が小刻みに震えていた。(つづく)(聞き手:神戸幸夫)

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