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2013年9月

2013年9月 9日 (月)

池田大作より他に神はなし/第43回 対話を忘れた瞬間に人間は暴力に走る。国家間だと即戦争だ。それをはるか昔から見抜いていた名誉会長が、宗教哲学聖人と全世界の民衆から慕われるのは実に自然

 やったあ! またもや名誉会長に世界的栄誉が授与されたぞ。“世界平和と福祉を促進、社会貢献の青年を育成した”偉業を讃えるものだ。世界の良識ある人々は色眼鏡で人間を判断しない。万物をすべてをあるがままに評価する大陸的率直さを、いつの日か日本人全部が身に付けたいものだ。深く学ぶべき先進的都市は、南米はアルゼンチンのコモドロ・リバタビア市議会だ。名誉会長のご健康が優れず本当に残念。本来なら自ら授与式に、這ってでも訪れたかったろうに(大平洋は這えないか…)。同市17万市民とて落胆の極致のはず。風光明美な湾岸都市だ。『聖教新聞』8月19日付けに掲載されたカラー写真は、名誉会長の手になるほどは芸術性に欠けるものの(“信濃町のふくよかな森山大道”と呼ぶ識者も多い)、同市の雰囲気を良く伝えている。

 はつらつ対話・拡大月間に汗を流す弟子の1人として、南米アルゼンチンのコ、コモドロ…「なまむぎなまごめなまたまご なまむぎなまごめなまたまご」、師弟共戦の心意気で日顕一派と闘う弟子の1人として…「となりにきゃくはよくかきくうきゃくだ となりのきゃくはよくかきくう…」「うるさい!」 例の元フリーライターで現警備員の旧友だ。「お前、他人の事務所に入る時はノックくらいしろ!」「まあまあ。コ、コ、コ、モ、モ、モ、ド、ド、ド…」「コモドロ・リバタビア市議会!」「ちゃんと言えるじゃん。偉いねえ! 今日はちゃんとカンビール持参したよ。派遣先の工事現場が麹町でさ。間違って早く出勤しすぎちゃって。1時間だけボロソファで眠らせてもらうぜ。これ一気飲みしたらすぐ寝ちゃうから!」「………」反論する間もなく高いびき。名誉会長の崇高な教えに青春時代に出会えぬまま、赤色思想に染まった人間の哀れな老後だ(妻子はとっくに逃亡)。

1  かく失格人間を1人でも育てまいと、同志は種々の出版物を刊行、誰もが名誉会長の宗教・哲学・思想に邂逅出来るようにと地道な努力を継続中だ。『輝くこどもと人間教育ー「教育のための社会」へ』(創価学会教育本部・鳳書院・本体476円)もその1冊。開くなり、名誉会長がトインビー博士と談笑、握手してるカラー写真が眼に飛び込む。博士が赤児のような笑みを浮かべているのが印象的だ。命あるうちにやっと東洋の生ける叡智と出会えた……笑顔は率直にそう語っている(生涯の願望を成就した人間特有の満足感でもある)。一方の名誉会長は、「買いかぶりです!」と言った風に照れた微笑みで応じ、先人を立てている。実るほど穂は垂れるというが、私は名誉会長のこういう謙虚さが大好きだ(天才特有のチャーミングさ!)。

 「楽しい食事は心のごちそう」「早寝・早起き!寝る子は育つ」「遊びは子どもの活力源」等、一見はありふれてるようで、つい見逃しがちな重要発見項目が続く。が、やはりハイライトは39ページからの「人類の未来を照らす創価教育の光」だ。牧口常三郎・戸田城聖・池田大作(“地球の3聖人”と呼ぶ人も多い)の扉のお言葉が胸に響くが、スペースの関係で引用は失礼ながら省略、中をご紹介したい。

2_2 1_2  片っ端素晴らしいが、中でも心を打つのが「対話を!未来のための対話を!」だ(60ページ)。極右の安倍総理はどこの国からも相手にされず、立ち話を“会談”と言いくるめて世界に恥をさらしてる。一体、馬鹿坊っちゃん総理は名誉会長(及び他の2聖人)のご本を、1度でも熟読した経験があるのか? 人生に関する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは他人事にしか感じないものだ(牧口)。 これからは、対話の時代になる。人と語るということは、戦うということであり、また結び合うということだ(戸田)。 「語る」ことが、人間の人間たる証です。民衆が充実の生命を躍動させながら、生き生きと声を発していく。その生命力を取り戻していかなければ21世紀の日本はない(池田)。

 「そのページの引用、他の2聖人は2行なのに、池田のふぐ野郎だけ何で3行なの? 聖人にもランクあるの? 前座とか真打ちとか。この本じゃどこでも野郎が真打ち扱いだな。先人をないがしろにする奴は、昔からロクなもんじゃねえよ」「何て言いぐさだ! それは名誉会長がまだご存命だからで…」「まだ生きてんのかよ本当に?」「我慢ならん。もう出てけ!」「そろそろそう来ると思った。じゃまたな!」「2度と来るな気違い!」

 奴も元左翼なら、創価学会と公明党がいかに自民党の極右路線の防波堤になってるか、分かっても良さそうなのに。貧しさが脳にまで来たか? 「馬鹿言ってんじゃねえ。本当にそう思ってるなら連立解消しろ。悪事だけ自民党にやらせて、陰で甘い汁吸ってるカルト集団め!」たった1人残った友達の独白に、ドアの陰から悪罵を放って逃げ去る初老男。民衆完全勝利の日までの道のりはまだ長い。(つづく)(塩山芳明)

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2013年9月 7日 (土)

●ホームレス自らを語る 第129回 兄の借金1億5000万円が(後編)/市川明さん(60歳)

1309  市川明さん(60)は都内を流れる一級河川の橋の下に、テントを張って暮らしている。
 彼の生まれは名古屋市。高校を卒業して上京し、新宿の輸入レコード専門店で働いた。
「その店で働くようになって、2、3年もした頃かな? オレのところに借金取りが押しかけてくるようになってね。何でも名古屋で飲食店を経営していた兄が商売に失敗して、総額で1億5000万円にもなる借金をつくったというんだ。家族には連帯責任があるから、弟のおまえも返済金を支払えという。『そんな支払い義務はない』とオレは突っぱねた。だが、借金取りは毎日のようにやってきてね」
 やがて借金取りは市川さんが働いている店にまで現れて、執拗な督促を繰り返すようになる。
「それでは客商売の店に迷惑がかかるばかりだから、オレが身を隠すしかないというわけで、店を辞めて日雇いの作業員になったんだ。飯場から飯場を渡り歩く日雇いの生活。さすがの借金取りも、オレの居場所を追えなくなったらしくて、それで執拗を極めた借金の督促もやんだ」
 市川さんの日雇い作業員の生活は6年間に及んだ。その間に兄の借金騒動にもケリがついたという。
 それから市川さんは捕鯨船に乗って南氷洋に行き、捕鯨の仕事に従事する。ただ、当時の日本の捕鯨は世界中から顰蹙を買っていて、彼が捕鯨船に乗るようになって数年後には、商業捕鯨は中止になり陸に上がることになる。ときに32歳のことだ。
「それからはいろんな仕事をやったよ。ペンキ屋、パチンコ店、洋品店……数え切れないくらい仕事を替えたね。生きていくためには、仕事を選ばないで何でもやる覚悟だった」
 市川さんは結婚もしなかった。
「日雇い作業をしたり、捕鯨船に乗っていたんで、女の人と知り合う機会がなかったからね。それに兄の借金問題で、名古屋の家屋敷を売り払ってしまっていたから、一家は離散状態で結婚どころではなかった」
 そんななか彼は名古屋にいた母親を呼び寄せて、東京・杉並のアパートでいっしょに暮らすようになる。
「母親は軽度の認知症を患っていてね。その介護をしながら、仕事にも行かなければならんし結構大変だったね。昼間、オレが仕事に行っている間に、アパートを抜け出して町内を徘徊することがたびたびあった。そのたびに交番に呼び出されて注意されてね」
 母親といっしょに暮らすようになって10年後、市川さんが45歳のとき、その母親が亡くなる。
「母親は前から心臓が悪くてね。夏の暑い日に発作を起こして、救急車で搬送したんだが間に合わなかった。葬儀はオレが出した」
 母親の享年は80歳だった。

 10年間ともに暮らしてきた母親の死は、市川さんに少なからぬショックを与えた。
「身体のなかに大きな穴でも開いたような感じで、何もする気が起きなくなってしまったんだ。母親の死がこんなに大きなショックをもたらすとは思わなかった。すっかり、気力が萎えて、仕事にも行く気がしなくなってね」
 その頃の市川さんは新宿の輸入レコード専門店で働いていた。その店は、彼が高校を卒業して最初に就職した店である。いくつもの職業遍歴を重ねた彼だったが、最終的には最初に働いていた店に回帰していたのである。なかなかに面白い話だ。母親の死後、彼はそのレコード店にほとんど出勤しなくなり、自然消滅のかたちで辞めることになる。
「それからは腑抜けのようになって、ただボンヤリして暮らすようになっていた。そして、気が向けば日雇いに出て働いたりしていたが、そんなことをしていたら多少の蓄えは、たちまちなくなってしまうからね。それで50歳のときにアパートを引き払って、この橋の下にテントを張って暮らすようになった。もう10年になる」
 小川さんは橋の下でテント暮らしをしながら、現金が必要になると日雇い作業に出て日銭を稼ぐという生活をしばらく続けた。
「でも、それができたのもリーマン・ショックによる金融危機(08年)が起きるまでだったね。あれ以来、日雇い作業は回してもらえなくなった。年齢も50代半ばになっていたしね。それで以後はアルミ缶拾いをしている。リーマン・ショック当時は、アルミ缶の買取価格も暴落してキロあたり40円を切っていたが、いまは持ち直して100円くらいになっている。助かるよ」
 小川さんの生活はこのアルミ缶回収で得る現金に加え、地元ボランティア、キリスト教教会、それに自治体などの援助によって、何とか賄われているという。
「じつはね……」市川さんはそう言って口を噤んでから、やがて意を決したようにして言葉を続けた。「いま女の人といっしょに住んでいるんだよ。もう2年半ほどになる。彼女のことについては、これ以上は話せないけどね」
 そういえば市川さんへの取材中、テントのほうから我々の様子を窺うようにしている女性の姿があった。彼女がそのパートナーのようで、スレンダーな肢体の背の高い人だ。
 若い頃、異性に恵まれなかった市川さんだが、人生後半になって摑んだ春。微笑ましさを感じるエピソードで、市川さんも満更ではない顔をしている。
 その彼が最後にこんなふうに話した。
「何はともあれ、兄がこしらえた1億5000万円の借金だよね。あれがすべての元凶だ。そのおかげで、オレは働いていたレコード店を辞めて、日雇い作業員になって身を隠さなければならなかった。あれで、その後の人生がすっかり狂ってしまった。兄が借金をこさえてなかったら、オレの人生もずいぶん違ったものになっていたと思うよ」  (この項了)(聞き手:神戸幸夫)

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