●ホームレス自らを語る 第129回 兄の借金1億5000万円が(後編)/市川明さん(60歳)
市川明さん(60)は都内を流れる一級河川の橋の下に、テントを張って暮らしている。
彼の生まれは名古屋市。高校を卒業して上京し、新宿の輸入レコード専門店で働いた。
「その店で働くようになって、2、3年もした頃かな? オレのところに借金取りが押しかけてくるようになってね。何でも名古屋で飲食店を経営していた兄が商売に失敗して、総額で1億5000万円にもなる借金をつくったというんだ。家族には連帯責任があるから、弟のおまえも返済金を支払えという。『そんな支払い義務はない』とオレは突っぱねた。だが、借金取りは毎日のようにやってきてね」
やがて借金取りは市川さんが働いている店にまで現れて、執拗な督促を繰り返すようになる。
「それでは客商売の店に迷惑がかかるばかりだから、オレが身を隠すしかないというわけで、店を辞めて日雇いの作業員になったんだ。飯場から飯場を渡り歩く日雇いの生活。さすがの借金取りも、オレの居場所を追えなくなったらしくて、それで執拗を極めた借金の督促もやんだ」
市川さんの日雇い作業員の生活は6年間に及んだ。その間に兄の借金騒動にもケリがついたという。
それから市川さんは捕鯨船に乗って南氷洋に行き、捕鯨の仕事に従事する。ただ、当時の日本の捕鯨は世界中から顰蹙を買っていて、彼が捕鯨船に乗るようになって数年後には、商業捕鯨は中止になり陸に上がることになる。ときに32歳のことだ。
「それからはいろんな仕事をやったよ。ペンキ屋、パチンコ店、洋品店……数え切れないくらい仕事を替えたね。生きていくためには、仕事を選ばないで何でもやる覚悟だった」
市川さんは結婚もしなかった。
「日雇い作業をしたり、捕鯨船に乗っていたんで、女の人と知り合う機会がなかったからね。それに兄の借金問題で、名古屋の家屋敷を売り払ってしまっていたから、一家は離散状態で結婚どころではなかった」
そんななか彼は名古屋にいた母親を呼び寄せて、東京・杉並のアパートでいっしょに暮らすようになる。
「母親は軽度の認知症を患っていてね。その介護をしながら、仕事にも行かなければならんし結構大変だったね。昼間、オレが仕事に行っている間に、アパートを抜け出して町内を徘徊することがたびたびあった。そのたびに交番に呼び出されて注意されてね」
母親といっしょに暮らすようになって10年後、市川さんが45歳のとき、その母親が亡くなる。
「母親は前から心臓が悪くてね。夏の暑い日に発作を起こして、救急車で搬送したんだが間に合わなかった。葬儀はオレが出した」
母親の享年は80歳だった。
10年間ともに暮らしてきた母親の死は、市川さんに少なからぬショックを与えた。
「身体のなかに大きな穴でも開いたような感じで、何もする気が起きなくなってしまったんだ。母親の死がこんなに大きなショックをもたらすとは思わなかった。すっかり、気力が萎えて、仕事にも行く気がしなくなってね」
その頃の市川さんは新宿の輸入レコード専門店で働いていた。その店は、彼が高校を卒業して最初に就職した店である。いくつもの職業遍歴を重ねた彼だったが、最終的には最初に働いていた店に回帰していたのである。なかなかに面白い話だ。母親の死後、彼はそのレコード店にほとんど出勤しなくなり、自然消滅のかたちで辞めることになる。
「それからは腑抜けのようになって、ただボンヤリして暮らすようになっていた。そして、気が向けば日雇いに出て働いたりしていたが、そんなことをしていたら多少の蓄えは、たちまちなくなってしまうからね。それで50歳のときにアパートを引き払って、この橋の下にテントを張って暮らすようになった。もう10年になる」
小川さんは橋の下でテント暮らしをしながら、現金が必要になると日雇い作業に出て日銭を稼ぐという生活をしばらく続けた。
「でも、それができたのもリーマン・ショックによる金融危機(08年)が起きるまでだったね。あれ以来、日雇い作業は回してもらえなくなった。年齢も50代半ばになっていたしね。それで以後はアルミ缶拾いをしている。リーマン・ショック当時は、アルミ缶の買取価格も暴落してキロあたり40円を切っていたが、いまは持ち直して100円くらいになっている。助かるよ」
小川さんの生活はこのアルミ缶回収で得る現金に加え、地元ボランティア、キリスト教教会、それに自治体などの援助によって、何とか賄われているという。
「じつはね……」市川さんはそう言って口を噤んでから、やがて意を決したようにして言葉を続けた。「いま女の人といっしょに住んでいるんだよ。もう2年半ほどになる。彼女のことについては、これ以上は話せないけどね」
そういえば市川さんへの取材中、テントのほうから我々の様子を窺うようにしている女性の姿があった。彼女がそのパートナーのようで、スレンダーな肢体の背の高い人だ。
若い頃、異性に恵まれなかった市川さんだが、人生後半になって摑んだ春。微笑ましさを感じるエピソードで、市川さんも満更ではない顔をしている。
その彼が最後にこんなふうに話した。
「何はともあれ、兄がこしらえた1億5000万円の借金だよね。あれがすべての元凶だ。そのおかげで、オレは働いていたレコード店を辞めて、日雇い作業員になって身を隠さなければならなかった。あれで、その後の人生がすっかり狂ってしまった。兄が借金をこさえてなかったら、オレの人生もずいぶん違ったものになっていたと思うよ」 (この項了)(聞き手:神戸幸夫)
| 固定リンク
« 池田大作より他に神はなし/第42回 言論・表現の自由を率先して崩壊させようとしている、悪徳外国人・銭ゲバ出版人・無責任大手取次、職務怠慢の警察・検察・司法の全関係者は目を覚ませ!『人間革命』を最低5巻は読破して!! | トップページ | 池田大作より他に神はなし/第43回 対話を忘れた瞬間に人間は暴力に走る。国家間だと即戦争だ。それをはるか昔から見抜いていた名誉会長が、宗教哲学聖人と全世界の民衆から慕われるのは実に自然 »
「 ホームレス自らを語る」カテゴリの記事
- ●ホームレス自らを語る 第137回 ラーメン屋台を曳いていた(前編)/若月一知さん(55歳)(2014.07.01)
- ●ホームレス自らを語る 第136回 畳の上で休みたい(後編)/馬場小夜子さん(79歳)(2014.04.30)
- ●ホームレス自らを語る 第135回 畳の上で休みたい(前編)/馬場小夜子さん(79歳)(2014.04.01)
- ●ホームレス自らを語る 第134回 夢見る52歳(後編)/香山博一さん(仮名・52歳)(2014.03.04)
- ●ホームレス自らを語る 第134回 夢見る52歳(前編)/香山博一さん(仮名・52歳)(2014.02.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント