●ホームレス自らを語る 第125回 右も左もわからない(後編)/土屋英雄さん(66歳)
北海道富良野市出身の土屋英雄さん(66)は、高校卒業と同時に上京。洋食の調理人としての道を歩み始め、西新宿の百貨店に出店していたレストランの洋食部チーフまで昇る。私生活のほうでも、28歳のときに結婚。3年後に一女をもうけた。公私ともに順調な人生行路を歩んでいるといえた。
さらに人生を開くべく34歳のときに、小滝橋(新宿区)に自らがオーナーの洋食レストランをオープンさせる。
「自分の店をもつのは、長年の夢だったから嬉しかったね。店は6つのテーブル席と6人用カウンター席のしつらえで、開店費用は450万円かかった。そのために貯めていた預金を崩し、不足分は親に出してもらった」
当時の小滝橋周辺は小さなオフィスビルが集まる街で、昼どきともなれば、店はそこに働くビジネスマンやOLで賑わった。
「こうした街のレストランはランチが勝負になる。損益の分岐点は、昼どきに20人以上集客できるかどうかだが、オレの店は30人を下らなかったから、まあ儲かったね。日替わりランチをA、Bの2種類出したのが受けたようだ」
順調なレストラン経営だったが、その足を引っ張るようにするのが妻であった。彼女は30代で店をもつのは早すぎると反対で、本来なら店に出て手伝うべきところを一切関与しようとしなかった。そのため土屋さんはアルバイトのウエートレスを一人雇わなければならなかった。
「それからも女房との関係は冷え切っていくばかりでね。しだいに口もきかなくなっていて、それで別れることになった。レストランの開店から2年目の36歳のときのことだ。ふたりの結婚生活は8年間だった。5歳になる娘は、女房が引き取った」
ただ、夫婦の離婚後もレストラン経営は順調だった。変調をきたすのは、2年ほどしたころからだ。
「レストランの売り上げは、日に6万円以上になったが、それだけ稼いでも独り身には何の張り合いにもならないんだよね。それで毎日6万円からの現金が入ってきて、それが貯まっていくのを見ていると、つい悪い出来心を起こしてしまってね」
店の金に手をつけるようになっていたのだ。土屋さんは店のオーナー・シェフであり、店の金をどう遣おうが勝手なように思われようが、毎月末には材料費はじめ、テナント料、光熱費、アルバイトの子のバイト代などを支払わなければならない。そうした分の金にも、手をつけるようになっていたのだ。
「月末に支払いがあることは頭ではわかっているんだが、目の前にある現金を見ていると、つい手を伸ばしてポケットにねじ込んじゃうんだな。それで店が休みの日は、ギャンブル場に通うようになっていた。京王閣、西武園の競輪や、船橋、大井の競馬なんかによく行ったよ。酒にも溺れ、毎晩のように飲み歩いてね」
しだいに月末の支払いが滞るようになり、それをサラ金からの借金で賄うようになっていた。借金は雪ダルマ式に膨れあがり、やがてにっちもさっちもいかなくなっていた。
「そういう雰囲気は客にも伝わるんだろうね。客足が遠のくようになって、売り上げはみるみる落ちていった。一度傾きかけると、何をやってもうまくいかない。チラシを打とうにも、その金もないしね。それで店は倒産した。なるべくしてなった感じだったな。オレが39歳のときのことだ」
それから先、土屋さんは給食センター、社員食堂、飯場の食堂などを転々として働くようになる。
この取材をした一週間前の3月上旬のことだ。土屋さんは新たな飯場の食堂への就職を希望し、そのために健康診断を受けた。すると血圧が引っかかった。
「オレの血圧は160Hg(収縮血圧)あって、140Hg以上あると採用しないということで雇ってもらえなかった。現場で作業中に倒れられたら困るということのようだ。いまはどこでも健康診断があるから、別の職場を探しても結果は同じだろう? 金は持ってないし、そのままホームレスになるより仕方なかった」
ホームレスになるのなら新宿だろうと、新宿に出てきた。西口の地下通路に、夜間だけホームレスに開放されている場所があって、そこに寝る場所を確保した。
「それで周りのホームレスを真似て、段ボールを敷いて寝てみたんだがね。とても眠れないんだ。3月といっても夜の寒さは半端じゃない、段ボールの下はコンクリートだから、そこからも寒気がシンシンと伝わってきて眠るどころじゃないんだ。仕方ないんで脇の壁にもたれて、朝まで両膝を抱えたまま一睡もできなかったよ」
2日目からは一晩中街を歩き回って、昼間の公園でベンチに寝るようにした。夜間、うっかり寝入ったら凍死しかねないからだ。東京の夜でもあなどれない。
「それより辛いのは、食べるものが手に入らないことだよ。この1週間は公園の水道で水を飲むだけで、ほとんど食べていない。夜の寒さとひもじさで、死んでしまいたいと思うくらいだった。でも、いざとなるとなかなか死ねないけどね」
そこまで追い込まれる前に、周りにいるホームレスに何でも尋ねればいいのだが、このプライド高い元料理人にはできないようであった。そこで筆者が知っている炊き出しやホームレス支援の情報について伝えた。
「じゃあ、つぎの炊き出しのときに支援団体の人を訪ねてみるよ。オレ自身の希望としては、生活保護を受けてアパートに入りたいんだけどね。虫が良すぎるかな?」
そう言って、寂しげな笑みを浮かべる土屋さんであった。(この項了)
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