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2013年4月 7日 (日)

●ホームレス自らを語る 第124回 右も左もわからない(前編)/土屋英雄さん(66歳)

1304  新宿中央公園で会った土屋英雄さん(66)は、中折れのソフト帽にロングコートというお洒落な恰好で、一見したところホームレスには見えなかった。なぜ彼がホームレスであるとわかったかというと、別のホームレスに取材中に「オレもホームレスなんだけど、オレの話も聞いてくれよ」と自ら名乗り出てくれたからだ。
 で、土屋さんの話だが、ホームレスになってまだ1週間だという。彼は長く洋食のコックをしてきた人で、一時は自分の店をもったこともあったが倒産。最後は建設現場の飯場の食堂で働いていたのだが、健康診断で高血圧(収縮血圧160Hg)と診断されて解職になりホームレスになったのだそうだ。
「ホームレスの新米だから、まだ右も左もわからなくてね」と寂しそうに笑う土屋さんだった。
13042_2   彼は北海道富良野市の出身。富良野といえば広大なラベンダー畑、テレビドラマ「北の国から」のロケ地、北海道の中央に位置することから始まった「北海へそ祭り」などで知られるが、「どれもオレが東京に出てきてから始まったものばかりで、ラベンダー畑もへそ祭りも見たことがない」とそっけない。
 彼の生家は富良野の商店街のなかで家具店を営んでいた。ただ、間口の小さな店で兄が店を継いだが、1980年代にできた郊外型ショッピングセンターに押されて倒産。その兄も亡くなって、いまの富良野には生家も親族もなく、もう何年も帰っていないという。
「オレが調理の楽しさに目覚めたのは、中学生のときだった。時々、家族のために腕を揮って料理をつくると、それが好評でね。それでプロのコックを目指すことになったんだ」
 富良野の高校を卒業すると、迷わずに上京。目黒にあったボーリング場のレストラン部に就職し、その厨房に入った。折りから第一次ボーリングブームが始まる頃で、レストラン部もなかなかの繁盛ぶりであった。
「だから仕事は忙しかったけど、辛いと思ったことはなかった。好きで入った道だし、いずれは自分の店をもつという夢もあったからね。最初は見習いで野菜の皮剥きとかばかりやらされ、水を使うことも多かった。だけど、北海道の冬の寒さにくらべたら天国みたいなものだったね」
 やがて、土屋さんも見習いから一本立ちして調理をまかされるようになる。得意としたのは、ハンバーグやシチュウなどの肉料理だという。
   
 土屋さんが上京したのは1965(昭和40)年である。高度経済成長のなか「いざなぎ景気」が始まった年だ。以後、公害問題、フーテン族、ベトナム戦争、大学紛争等が時代を賑わせていく。「妙な高揚感に包まれた不思議な時代だったよね」と、その当時を振り返る。
 そんななか土屋さんは恋に落ちる。相手は同じ店でウエートレスをしていた女性である。
「気立ての良い可愛い子でね。休みの日はよくデートをしたよ。新宿にあった若者向けのスナックで酒を飲んだり、彼女がスケートが得意だったんで高田馬場にあったスケート場に行ったり、映画もよく観に行ったね。青春を大いに謳歌したよ」
 交際開始から1年半後、ふたりは結婚する。式と披露宴は横浜の「ホテル ニューグランド」で行った。横浜を代表するクラシックホテルである。土屋さんにとっては、一世一代の晴れ舞台。28歳のときのことだ。
「結婚式と新婚旅行には金をかけたよ。新婚旅行は九州を一周した。当時は宮崎が新婚旅行のメッカだった。オレたちも宮崎から入ったが、そこから九州をグルッと一周したんだ。そこまで贅沢な新婚旅行をするカップルは少なかったはずだよ」
 ふたりは高田馬場の賃貸マンションに2DKの部屋を借りて、新婚生活を営んだ。そして、3年後には子宝に恵まれ、女の子が誕生している。
 一方、土屋さんの仕事のほうも順調であった。25歳か26歳でレストラン部の主任に昇格。つまり、レストラン部の責任者をまかされたのである。調理人としての腕もたしかなら、人の上に立つ人望も備えていたということだろう。
 さらに、29歳のときにはヘッドハンティングに遭う。
「新宿西口のデパートの最上階にあるレストランの洋食部のチーフにスカウトされたんだよ。そのレストランは和食・洋食、それに中華もやっていた。それらすべてを統括する総料理長というのがいて、その下にそれぞれのチーフがいて、オレは洋食部のチーフをまかされたわけだ。そのレストランは創業が昭和12(1937)年という老舗で、全国にチェーン展開している店だった。まあ、ボーリング場のレストラン部とは格式が違うからね」
 当然、待遇も格段に良くなり、まさに順風満帆の調理人人生であった。その順風満帆の人生のなかで、土屋さんは夢の実現を計画する。いつか自分の店をもつという夢だ。そのため一層仕事に精を出し、開業資金の蓄えも怠りなかった。開業のメドは、30代半ばと決めていた。
 ただ、この夢の実現には、水を差すものがあった。
「女房さ。女房は30代半ばで自分の店をもつの早すぎる。40代になってからでいいという意見でね。オレがいくら説得しても、意見を変えようとしないんだ。しだいに夫婦のあいだがギクシャクするようになって、寒々とした関係になってしまう」
 それでも土屋さんは夢の実現を諦めずに、それに向って邁進した。そして、34歳のときに小滝橋(新宿区)に洋食レストランを開業させる。妻の反対を押し切っての開業で、しだいに夫婦の関係は冷え切ったものになっていくのだった。(つづく)(神戸幸夫)

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