« 「醤油鯛展」茶房高円寺書林で2/3~2/9 | トップページ | 仏像彼氏★オラオラ系が好きなあなたにぴったりな3体 »

2013年2月 3日 (日)

●ホームレス自らを語る 第122回 経験してみないとわからない(前編)/宇野吾郎さん(仮名・62歳)

1302  横浜市寿町(中区)近くのビルの根方で日向ぼっこをしていた宇野吾郎さん(仮名・62)は、寿町のドヤ(簡易宿泊所)で暮らすようになって、5~6年になるという。
「ドヤの部屋は2.5~3畳ほどの広さで、布団とテレビがついている。トイレ、台所、シャワーは共同。シャワーはコインシャワーで、200円で7分間使えるが少しせわしないんで、オレはいつも300円で11分間のコースを利用している。宿泊料金は1泊2200円で前払い。支払い方法は当日払い、5日払い、10日払い、1ヵ月払いとある。ただ、1ヵ月分先払いしても割引きがあるわけじゃないけどな」
 宇野さんもなるべく1ヶ月払いをしていると語る。こうしたドヤ街で暮らしていくには、先々まで寝起きする場所が確保されている安心感が大きいようだ。
 さて、その宇野さんの来歴を聞いていこう。生まれは福岡県柳川市。柳川といえば掘割の発達した水郷の町、北原白秋を生んだ町として知られる。
「古い建物も多く残っていて、なかなかきれいな町だよ。オレが生まれたのは、昭和25(1950)年。男ばかり5人兄弟の末っ子に生まれた。末っ子だったから、みんなに可愛いがられて育ったのを覚えている。あの頃の子どもは勉強なんかしないで、仲間と遊びまわるばかりだったな」
 宇野さんの父親は駄菓子の仲卸し業を営んでいた。といっても、店舗を構えるのではなく、卸し業者から仕入れた駄菓子を自転車に積んで、近在の駄菓子屋に卸してまわる仕事である。決して裕福とはいえない生活環境だったようだ。
「地元の小学校から中学校を出て、高校は県立の商業高校に進んだ。そこで商業簿記3級と珠算(ソロバン)2級の資格を取った。高校を卒業して、大手楽器メーカーの営業所に就職した」
 ところが、宇野さんは人生初の職場を、1ヵ月あまりで辞めてしまう。
「仕事が営業だったんだ。17、18歳のガキが飛び込みでいって、いきなり『楽器を買ってください』とやっても売れるわけがないよね。楽器は安くないだろう。とてもオレ向きの職場じゃないと思って辞めたわけだ」
 その就職に応じたとき営業職の募集であることはわかっていたはずだが、社会経験のない少年にはそれがどんな内容の仕事なのか思いが及ばなかったようだ。
「まあ、どんな仕事も中に入って経験してみないと、本当のところはわからないよ。その仕事がやれるかやれないか、できるかできないか、外から見てたってわからない。やってみてはじめてわかるんだ」
 その後、いくつも仕事を替えて得た宇野さんの仕事観である。

 楽器メーカーの営業職を辞めた宇野さんは、心機一転して陸上自衛隊に入隊する。
「自衛隊に入ったのは、自分の肉体がきびしい訓練にどこまで耐えられるのか試してみたかったんだ。これも経験してみないとわからないからね。陸上自衛隊の大村駐屯地(長崎県)の普通科連隊に入隊した。昔の陸軍の歩兵になったわけだ。訓練はきびしかったよ。半端じゃない。重装備での行軍とか、深夜、非常呼集で叩き起こされたりとかね。でも、オレはそれに耐えた」
 宇野さんは2年間の訓練に耐えて満期除隊をした。きびしい訓練に耐えたことで、大きな自信になったという。
 除隊後、四国に渡り高松市(香川県)の讃岐うどん店に就職する。うどんの出前が仕事であった。
「その出前の仕事をしながら、自衛隊でも普通科連隊よりもっときびしい訓練に耐えられるだろうかと考えるようになったんだ。それで関東の部隊で揉まれてみようと、四街道(千葉県)にあった陸上自衛隊下志津駐屯地に入隊した」
 宇野さんが配属になったのは、高射隊という高射砲を扱う部隊だった。ときに22歳のときのことだ。
「高射隊でオレが担当したのはコンピュータ係だった。敵機の飛行高度、方位、速度などを入力して、我が方の高射砲の方位、角度を計算して、砲弾発射のタイミングを決めるのが仕事だ。結構むずかしい仕事だった。入隊して最初の3ヵ月は横須賀(神奈川県)、さらに善通寺(香川県)で3ヵ月の教育を受けて、下志津に配属になった」
 この間、宇野さんはこの仕事に疑問をもつうになったという。
「こんな仕事がほんとうに必要なんだろうか、これはオレがやるべき仕事なのだろうか。そんなことを考えるようになった。敵を殺すか、敵に殺されるかの世界だからさ。徐々に怖くなるというか、とてもやっていられないような気がしてきてね。それで除隊を申し出て辞めてしまった。二度目の自衛隊は9ヵ月間いただけだったね」
 自衛隊を辞めた宇野さんは東京に出て、警備会社でガードマンの仕事に就く。しかし、この仕事も水に合わなかったようで、数ヵ月でやめてしまう。
「次に就職したのが、同じ都内の運送会社。仕事は事務職で、経理担当になった。高校時代に取った商業簿記と珠算の資格が生かせたわけだ。だから、この会社では30代まで長く働くことになる。会社の近くのアパートの部屋を借りて、毎日真面目に通ったんだ」
 折りから、結婚適齢期を迎えた宇野さんだったが、結婚はしなかった。結婚はしなかったが、生涯つき合う女性には事欠かなかったそうだ。
「結婚を考えた女もいなくはなかったけど、養っていく自信がなくてね。どうしても踏ん切りがつけられなかったんだ」
そう述懐する宇野さんだ。(つづく)(神戸幸夫)

|

« 「醤油鯛展」茶房高円寺書林で2/3~2/9 | トップページ | 仏像彼氏★オラオラ系が好きなあなたにぴったりな3体 »

ホームレス自らを語る」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ●ホームレス自らを語る 第122回 経験してみないとわからない(前編)/宇野吾郎さん(仮名・62歳):

« 「醤油鯛展」茶房高円寺書林で2/3~2/9 | トップページ | 仏像彼氏★オラオラ系が好きなあなたにぴったりな3体 »