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2012年11月 4日 (日)

●ホームレス自らを語る 第119回 死ぬことを思えば何でもできる(後編)/吉田久人さん(仮名・62歳)

1211  吉田久人さん(仮名・62)は自ら経営する自動車修理工場で身を粉にして働き、家にあっては3人の男の子の良き父親であった。
 その吉田さんが40代になって、突然、パチンコに熱狂するようになる。
「ちょうど90年代のパチンコブームのときで、そのブームにハマってしまったんだ。もう夢中でね。時間があるとパチンコ屋に入り浸るようになっていた。自動車修理で稼いだ金は、みんなパチンコに注ぎ込んでいたよ」
 吉田さんには修理工場を始めたときの借金が残っていたが、そんなのはおかまいなし。それどころか家に入れるべき生活費も、パチンコに注ぎ込んでしまう熱狂ぶりだったのだ。
 やがて、妻や子に見放され、債権者らの激しい督促に遭うようになって、ようやくギャンブルの熱狂から目が覚めた。目の前に残っていたのは膨大な借金の山であった。
 このとき吉田さんは、本気で死ぬことを考えたのではないだろうか。「死ぬことを思えば何でもできる」彼が口癖のように繰り返しているこの言葉が、それを示唆しているように思えるのだ。
 だが、彼が選んだのは死ではなく逃亡であった。生まれ故郷の栃木を捨てて、東京へ逃げのだ。48歳のときのことである。
「逃げたのはものの弾みだったが、家族はバラバラで、借金だけ残して……こんな悪い父親、悪い男はいないと思うよ」と述懐する。
 東京に逃げて上野公園で野宿するようになった吉田さんだが、早々にカバン泥棒に遭う。
「そのカバンには、オレの全財産が入っていたかね。たちまち無一文になってしまった。食わなきゃならないから働くことにしたよ。山谷(いまの台東区清川のあたり)に行って手配師から仕事をもらって、日雇い仕事で日銭を稼ぐようになったんだ。死ぬことを思えば何だってできるからね」
 吉田さんは日雇いの建設現場で本気で働いた。彼が本気になると仕事の手は一切抜かない働きぶりになる。そのうえ目端が利いて段取りがいいから仕事が速い。朝は誰よりも早く現場に入って、トイレ掃除からやってしまう。栃木でパチンコに熱狂する前の働きぶりに戻ったのである。
「現場には“手元”という、一番下っ端の雑用係りで雇われるんだが、見様見真似でいろんな仕事を覚えた。コンクリート工、型枠大工、防水処理の手元、フローリング、ハツリ作業(コンクリート工事での余分なところを削り取る作業)。何でもやったよ。だから、ずいぶん重宝がられたよね」
 それに吉田さんは日曜日だろうが、仕事さえあれば休まずに働いた。その日の気分で働くことの多い日雇い労働者たちのなかにあって、それは際立って目立ったし、現場からの信用も厚かった。バブル経済崩壊後の不況で、都内のホームレスが4000人を超えたというときにあって、彼は途切れることなく連日現場に出て働けたのだ。その働きぶりが認められて、埼玉県川口市のSKIPシティの現場では表彰状までもらったという。

 その吉田さんだが山谷のドヤ(簡易宿泊所)に泊まることはしなかった。
「ドヤなんかに泊まっていたら、人間がダメになるからね。半月契約で飯場に入って稼ぎ、その金でドヤに泊まって遊び暮らす。それで金がなくなったら、また飯場に入ってと……その繰り返しで人間としての発展性がないだろう。そういうのはダメなんだよ」
 吉田さんの哲学である。で、その彼はどこに住んだのかというと、隅田川に架かる白髭橋近くの河畔(台東区橋場)にビニールシートの小屋をつくって住んだ。その小屋から毎日きちんと現場に通ったのだ。いまも同じ小屋に住んでいて、もう14年になる。
 その小屋で吉田さんの話を聞いたのだが、小屋の内部はきちんと整理され、掃除も行き届いて、小屋の主の几帳面さが窺えた。9月下旬の暑い日だったが、小屋の中には川から涼風が吹き入って快適だった。
「オレももう62歳だからね。60歳をすぎた頃から、日雇いの肉体労働は身体にこたえるようになってきた。ちょうどその頃、ある工務店から5年契約で働かないかという話をもらったんだけど断った。オレは現場に出ると、手を抜かないでがんばってしまうタイプだからさ。良い話だったけど、65歳まで働ける自信がなかったから断ったんだ」
 それで60歳すぎからは、しだいに日雇いの仕事を離れ、東京都の公園清掃やアルミ缶収集の仕事で糊口をしのいでいる。目下の愉しみは、65歳から支給になる年金である。
「じつはホームレスには年金は支給されないんだ。住所が不定であること、年金を振り込む銀行口座が開設できないことが理由だよ。だけど、オレだけは特例でもらえることになっているんだ」
 数年前、ホームレスには年金が支給されないことを知った吉田さんは、役所に支給を求めて掛け合いに行った。栃木にいた頃、自動車修理工場で働いたり、工場を経営していたときに納めた分の支給を受ける権利があるから、65歳になったら払う約束をしろという論法で迫ったのだ。その掛け合いは連日続き、その執拗さに役所の担当者のほうが根負けして、「吉田さんには特例として支給します」という念書を書いてくれたのだそうだ。いかにも吉田さんならではのエピソードだ。
 もう一つ。隅田川河畔に並んでいるホームレスのビニールシート小屋群だが、今年5月の東京スカイツリー開業までに撤去するというのが、役所との前々からの約束だったそうだ。
「それが去年の3月に東日本大震災が起こっただろう。それで小屋の撤去移動はしなくてよくなったんだ」
 何やら好展開の吉田さんの後半生である。(この項了)(神戸幸夫)

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