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2012年10月21日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/自由に弔われる時代がやってくる

 念のため最初にお断りすると、今回は「ビジネス」寄りの記事ではない。
 遺灰を海や山に還す「自然葬」を弔いの一つの形として提案する「葬送の自由をすすめる会」が、去る10月1日に「葬送基本法推進懇談会」を行った。
 「葬送基本法」とは同会が制定を求めるべく草案を作っているもので、現行の「墓地、埋葬等に関する法律」よりも死者を弔う方法の自由を前面にうたった法律を目指すという。
 懇談会に参加し、法案執筆者である中村裕二弁護士、宗教学者の山折哲雄氏、島田裕巳氏、そして会代表である安田睦彦会長の話を拝聴した。

 「『葬送の自由』といっても、最近は散骨も認められてるっていうじゃない。違法じゃないのであれば、どうして今更法律を作る必要があるの?」
 そう考える向きも多いかもしれない。
 確かに同会が1991年に海洋散骨を行った際、当時の法務省と厚生省は「葬送のために節度のある方法で行われる限り」認められるという見解を示した。しかし「本来、葬送の自由は公共の福祉に反しない限り自由に認められる基本権の一つである」というのが、中村弁護士の見解である。基本的人権となれば、国や行政がみだりに妨害したり干渉したりすることができない。「節度のある方法で」という、そのままの表現であれば、いつか限界がきてしまう。その人が考えうる限りでのしめやかな態度で散骨をしたとしても「節度がない」と言われたら最後、その周辺で散骨が禁止されかねない。そこにノンというのが中村弁護士だ。「節度」という言葉はとても曖昧な表現であり、とても法律の場で使えるようなものではない、というのである。

 奥山自身、自然葬を「3ステップで誰も文句のない散骨」として紹介することがある。
1、場所を見つける…無難なのは海。
2、粉骨する…そのままでは見かけた人が驚きます。
3、「弔い」として「撒く」…心を込めて、決して埋めてはなりません。

 この3番目が、我ながら引っかかるのである。「弔い」として「撒く」というのは、「節度をもって、弔いとして」「墓地じゃないところに埋めると法律に引っかかるので、あくまでも撒きましょう」ということで、現行ならこの説明でOKのはず。
 でも、と違う自分が肩をポンとたたく。
 「弔いの気持ちで散骨してるか否かって、誰がどう決めるの?」
ーー手を合わせているだけで、ただ骨が邪魔で遺棄したいだけかもしれないのだ。
 「海なら埋められないのは当然だけど、山で散骨するときも、ちょっと土で覆うことすらできないわけ?」
ーーちょっとでも土をかけたらその時点でアウト、っていうのも、なんだかヘンな気がするよね……

 そう、この「葬送のために節度のある方法で行われる限り」という表現、きわめてアバウトなのだ。客観性の全く感じられない言い方なのである。これでは散骨したくて勉強する人も「えっ、結局のところ具体的にどうすればいいの?」と頭がこんがらがってしまうに違いない。誰かに「あなたは葬送のために散骨したのではない(つまり供養ではなくただの遺棄である)」とか「全く節度のない散骨の仕方である」と責められたときに有効な反論が持てないのだ。今のままでは、自由な弔いが法で守られているとはいえないのである。

 「葬送基本法」は葬送の自由が守られるべき基本的人権であることをうたうのが目的の一つだ。かつて犯罪被害者の人権の発見により「犯罪被害者等基本法」ができたように、人権は「発見の歴史」を持っている。今また新しく、一つの人権が発見されつつある。それを見届けたい。(奥山晶子)

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