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2012年9月10日 (月)

『醤油鯛』への道(後編)

中編の続き。

前編はこちら

全てプロに任せればよかったか、でも予算が…と自問自答しながら著者とやり取りを繰り返して数か月、着実に完成に向かっている、ように思えた。

企画を提示してから3年、完全原稿をもらってから2か月がたつ頃、まだまだ難はあろうが、とりあえず76種の醤油鯛の線図が完成した。高まる気分を抑えながら原稿にレイアウトしていく。そしていよいよ「図鑑の部 説明」と図に矛盾がないかどうか、照らし合わせる作業が始まった。
涙が出そうだ。わたしはまるで見えていない。とくに魚体に記された数字が見えていないのが致命的だ。「識別用の文字彫刻がある」「点彫刻がある」という記述に半信半疑で現物を見ると、本当にあるのだ。「4」と明確に記された醤油鯛、私の描いた図に数字はない。標本全体がジロリと私を見て、いっせいにブーイングをする幻覚が見えてきた。「ちゃんと見ろよ」「節穴」「能無し」「嫁かず後家」「だからお前はダメなんだ」など、人格を否定する声までが聞こえてくる。

しかしきっと、わたしだけではあるまい。人は視たいものしか視ないのだ。それ自体に良いも悪いもなく、視ているものと視ていないものを知ることは、わたしたちがモノをどうとらえているかを知ることである。知覚のクセを確かめることである。そのことは、醤油鯛自身が明確に示している。

「こういう流線型の体で、頭のへんにトサカみたいなやつがあって、ヒレっていうの? 胸のところに翼みたいなヤツがあって、シッポがあれば魚よね。あ、もちろん眼はあるよ」
たいていの人は魚にたいしてこんな感想を持っているのではと思う。複数の、匿名の彫り手によって生み出される醤油鯛は日本人がイメージするところの「ふつうの魚」(本書では「汎魚」としている)を体現しているといえる。わたしたちが「視ている」部分と「視えていない(もしくは重要でないから見なくていい、と思っている)」ところのものが如実に示されているのだ。そんな醤油鯛の分類は、私たちの中にある魚のイメージを辿っていく作業にほかならない。

本文第3章「醤油鯛の造形」には、こうある。

 先に書いたように,醤油鯛の多くは製造者やユーザーを含めた日本人全体の心のなかにある最大公約数的な魚のイメージ,つまり「汎魚」が造形として結晶したものである.しかし醤油鯛が現れて半世紀にも過ぎない間に,人々が御馳走としての魚に接する機会が激減した.内陸の街にも生簀のある料理店が出現し,遠い海でとれた魚が皿に載って回転してくるようになったかもしれない.しかし魚の形をした魚とまみえる機会がなくなった.お魚がマイ皿の上に鎮座し,骨を一つひとつほじくる,そういう対決が減ったのだ.人々の心にある「汎魚」は一筆書きで描けそうな単純なイメージにまで消耗している.
 一方で,人々の心に醤油鯛(呼び名はともかく)は定着した.遠くから見てもソレが魚型の醤油入れであると分かり,匂いを嗅がなくともソースではなく醤油だと予想できるのである.しげしげと観察して手抜きを見つけて歓んだりは,もちろんしない.
 そのような環境では,その環境に適した造形が出現する.こだわりの醤油鯛がある一方で,醤油鯛としての最低ライン,いわば60点狙いの醤油鯛も出現するのである.魚らしい醤油鯛ではなく,醤油鯛らしい醤油鯛が求められる.評価基準が変わったのである.(p.21~22)

醤油鯛への探求は、わたしたちが生み出した文化の大海への旅なのである。(奥山)

『醤油鯛』本日発売!

■沢田佳久オフィシャルサイト

http://www.gao.ne.jp/~tgs1698/ys/main.htm

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