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2012年5月

2012年5月25日 (金)

OL財布事情の近年史/第79回 遂に力尽きた!OL系雑誌大量廃刊の06年(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 極貧、ポジ貧でOLが笑いを取るようになってきた2003年、日経平均株価が1982年以来の底値を記録し、SARSや鳥インフルエンザが猛威をふるい、宮城県沖や十勝沖で大地震が起き、世界ではイラク戦争が勃発した。「プロジェクトX」や「千と千尋の神隠し」「世界に一つだけの花」がヒットし、六本木ヒルズがオープンした。なんというか、“社会不安が増大/人気のあるものに一極集中”という今の世相は、このころから形成されてきたのかもしれないと思う。

 ただしそれは今から思えば、なのである。大卒女子の就職率が58.8%と00年以降の底を打ち、25〜34歳女性の非正規雇用者が3年間で30万人以上増えて初めて200万人を超える、などしても働く若い女性はOLとみなされ、当事者たちもまだその気分はなくしていなかった。女性誌にはマネー記事が花盛り、「楽してトクしてお金を貯める!」(『Caz』2003年1月27日号)、「目標額別 みるみる貯まるマネーノート」(『With』2003年12月号)、「収入と満足度のベストバランス」(『日経ウーマン』2003年5月号)と、まあ余裕のあるというか、上から目線のコンテンツである。特に『Caz』は、なぜかこの頃から数十ページを費やす大規模な家計簿調査を始め、それがウケたのか定期的に特集している。これはいいネタつかまえた、とホクホクしていたのだが、実はこれからほどなくして、2006年に休刊してしまった。調べてみると2006年は、この連載でもずいぶんお世話になった『コスモポリタン』と『エフ』も休刊していた。OLに寄り添った雑誌が次々脱落、OLも、女性誌という存在も、実質的に価値が崩壊したのがそのころだったのだろうか。

 と、過去を振り返り、その近い未来を想像してむなしくなってみたりしたが、とりあえず2003年に突如現れた『Caz』のマネー特集を見ていこう。(つづく)(神谷巻尾)

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2012年5月24日 (木)

元サイテイ車掌の田舎日記/現役車掌とのひととき

○月×日
 んだ。
 とにかく来た。とっても楽しかった。
 チャリ部隊5人には無情の雨となってしまったけど。1日目は村上でチャリを組み立てて走行は雨の中。濡れ鼠で一泊したところが新潟との県境の鼠ヶ関(山形県)。こうなりゃもう「チュウ」のお湯割りしかない。
 翌日起きるとまたも雨。結構な降りだったという。隊長は起きぬけのウィスキーを半ば自棄クソ気味で呷ったそうだ。もうこれで酒田までの残り60キロを走る気は失せ、しょうがない、雨の日はしょうがない~と口ずさむと、「わが社の車(電車のこと)で行きましょう」とあっさり決まったらしい。
 それでも初参加の若い後輩2人は「僕らは走ります」という正しい選択をして別行動。いつものロートル3人はチャリを畳み、結局電車でやって来た。
 家から程近い、老舗割烹「伊豆菊」で再会を祝し、昼前からの大宴会となった。ほんとに隅から隅まで酒田を飲んで酒田を食べてくれた。海山の旬のものを旨いの連発で大喜びだった。思い出話には大笑いの花が咲いた。
 後輩らは午後2時頃に無事元気に到着して場所を我が家へと移動。家ではボブ・ディランや高田渡のCDやレコードを引っ張り出しては好きなだけ聴き、後輩は拙著を読んだりしていたようだが、おれはもう殆ど沈没状態。
 気を遣ったのだろうね。結局は泊まらずに秋の再会を約束して、酒田18時発の最終の特急「いなほ」で帰って行った。おれはこの時、入場券を買ったのだが、10円はいつ上がったのか140円になっていた。
 23時半頃に東京の自宅に着いたとそれぞれメールが入っていた。「秋の漁の手伝い、おれにもさせて下さい」「ノリさんの楽しそうな顔を見られてよかった」「癒しののりちゃんありがとう、秋にまた」と。
 しかし、なんだな。乗務員の勤務が不規則なのは仕方がないにしても、長時間連続乗務にはみんなよく耐えている。
 つい最近、中央線折り返しの東京駅ホームの車掌詰所(電話、机、椅子が各1つ。長くても数分しかいない小さな休憩所)がクソまみれになっていたのだという。トイレが間に合わなかったのだ。証拠の隠滅!? 掃除ぐらいしろってか。それは無理。だって、すぐに折り返しの発車時間なのだから。なんて気の毒なことだろう。ほんとに笑い事では済まない。こんなことは首都圏のJRではよくあることで、ただ表に出ないだけなのだ。
 昔は乗務員室でクソをしてこそ一人前などといわれていた。人間の尊厳もあったもんじゃないが、今では若い女性車掌も多い。男の世界だった国鉄の職場はJRになりすっかり様変わりした。
 おれは乗務員は若いうちに降りて事務や駅員になった方が良いといつも思っていた。実際、事務係などの試験も受けた。が、受からず、また希望も聞いてもらえなかった。同僚たちの答えは決まって「今更」だ。何十年と乗務をして「今更」新しいことなど覚えたくないのだという。それもよく分かる。でも、身体が大事だろう。
 使い捨てが当たり前の世の中だ。まるで機械のように人間が扱われている。止どまることのないコンピュータ時代。おれたちにはもうついて行けない。ただの飾り気の社会じゃないのか。人間味がどんどん薄れて、人の心も感じられない世の中に移りゆくような気がしてならない。
 そんな東京とはおれはおさらばしたけど、不平不満が渦巻く一方で、誰もが皆耐えて耐え抜いて生きている。
 感傷に浸るのもいい。夢を見るのも大事なことだ。でもね、現実をよく見ろ。頑張れ。おれは頑張った。負けるな。おれは負けたけど。挫けるなよ。おれもまだ挫けちゃいない。
 また会おう!!(斎藤典雄)

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2012年5月22日 (火)

東京みくじ巡り/八幡八雲神社

 今回は編集部の女の子に引いてきてもらいました。「八王子にある八幡八雲神社です」とのこと。ありがとうございます。
 神社の由来を見ると、どうやら八幡神社と八雲神社が合祀されてひとつの神社になったそうで、祭神はそれぞれにあり、八幡神社は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、八雲神社は素盞鳴尊(すさのおのみこと)となっている。スサノオさんといえば日本古来の神様だけれど、日本書紀と古事記では生誕に差があって、古事記だと伊弉諾尊が黄泉から戻って鼻を濯いだら出てきたってロマンのかけらもない生まれ方をしている。まぁ、ギリシャ神話に出てくる神も出典によってユニークな出自だったりするからそんなものなのかもしれない(美と愛の女神アフロディーテは男性器にまとわりついた泡から生まれたという説もある)。
 ホンダワケさんこと八幡様(どちらも応神天皇のことを指す)は、平安時代中期以降から武人の守り神として祀られたそうだが、神徳を見ると開運厄よけ、家内安全、交通安全、安産、学業成就と普通。スサノオさんは国土安全、身体健全、商売繁盛(これにが疑問が沸くぞ)といかにもなのだけれど、もとは天皇でもあるのだからこちらにも国土安全を入れてほしい。家内だけだとなんとなくスケールダウンしている気がしないでもない。

Hachimanyakumo  今回は私が引いたのではないので、書かれていることが直接降りかかってこないから読んでいてとても気楽。
 まず目についたのが、ルビ《ふりがな》がふってある。「些か《わずか》」「連人《つれびと》」「我儘」「勿れ《なかれ》」などにふってあるのはわかるけど、「色」「酒」「利益」「注意」には必要ないかと。さすがに読めるでしょ。このルビをふる漢字には何か理由があるのかと眺めてみるもわからない。「特に気をつけなさい」が共通項なのかと思ったものの、いいことが書いてある項目にもふってある……かと思ったら「幸」にはふられていなかったりする。あまのじゃくなルビ指定だ。

 中吉ということで個別項目は可もなく不可もなしで特段おもしろい内容はない。
 それでもやっぱり運勢欄はおもしろい。前半は「する事なすこと幸せにつながってラッキー。仕事に励むとなおよし」と、一言でいえば「今はいい調子!」と幸せを煽ってくれているのに、後半に「我が儘を(たくさん)起こして色(情事のことだろうね!)や酒に溺れるな」と釘を刺してくる。
 わかってますよ。ツイてるからといって調子に乗ったら痛い目みるって。私もよく他のみくじで言われているし。でも、いいじゃないですか……少しぐらいはしゃいでも。心配してくれるのが神様のいいところだけど、いいことがあったならお祝いの一杯ぐらい飲むし、合コンでタイプの男性がきたらお持ち帰りされてしまいますよ(いや、この場合は、連絡先交換だけにしておくほうが印象がいいね)。程度の問題なのだからそんなに心配しなくても大丈夫だよ!
 考えてみたら、これを引いたのは編集部の彼女なので、注意喚起をしておきたいと思う。気をつけてね!

 浅草寺以外ではだいたい中吉以上を引いていて、とりあえず「ラッキー」と喜ぶけれど、なんとなくすっきりしない気持ちが残っていた。どんなにいいみくじを引いても、ただ「いいことだけ」が書いてあるのでなく、かならずたしなめ(忠告)もセットになっているのが原因なのかもしれない。
 まるでお母さんだよ。お母さんていつまでも子どもは子どもだと思っているから、こっちはもう三十路だというのに、「体に気をつけてね」「きちんとご飯食べるのよ」と心配する。そういう気遣いは嬉しいしありがたいけど、たまにうんざりもする。まさにそれ。
 さすがに素戔嗚尊や天照大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊あたりが祀られている神社で引いたみくじだと、えらい神様であるとか、日本作った偉大なる父母だからということで忠告には無条件で従うけど、それ以外の神様のところで引いたみくじの忠告にはなぜだか反抗したくなる。スケールが違うからかな。なんだか偉大かそうじゃないかでいうことを聞くって思春期の子どものようで恥ずかしい。(月島めぐる)

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2012年5月18日 (金)

OL財布事情の近年史/第78回 「全OL節約時代」の始まりか?(後編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
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前回の続き。

「節約」をキーワードにした番組や貧乏ネタを売りにする芸人が出始めた、2000年初頭の女性誌を見ていた。その頃の貧乏アイドルや芸人が今何をしているのかと調べてみたら、けっこうみんなきちんと地に足をつけて仕事をしておられる。何だかキュンとしてしまった。

 いやしかし、そんなキュンキュンしていられない現実も見逃すまい。前出「極貧OL  年収250万円以下OLたちのお部屋拝見!」には「人が来るとき以外トイレの水を流さない」「髪は石けんとお酢で洗う」「小学生の頃から着ている服も」など、極貧ぶりが面白おかしく書かれているが、その当人達は実はかなり悲惨。正社員時代に一人暮らしを始めたがその後派遣社員になって給料が激減した27歳(年収200万円)、実家暮らしで給料を丸ごと小遣いにしていたがリストラ、資格を取って上京した35歳(年収204万円)、両親を海外旅行に招待するためキャッシングしたら経営悪化でボーナスを打ち切られて借金が返せない27歳(年収170万円)など、笑えない状態にあるOLが並ぶ。
 ほかにも、03年に『年収300万円時代を生き抜く経済学』で一躍人気者になった森永卓郎とビンボーOLの緊急座談会があるが、「食べてくだけで精いっぱい」「週末はチラシ配りのバイト」「キャバクラのバイトしたらお客にストーカーされた」などの話題に、終始「......」と絶句する森永氏。著書のノウハウでも対応不可のOLの実態に唖然としていた模様。「タチの悪い男と悪徳金融にだけは気をつけてください(笑)」と笑って済まそうとするのがなんかムカつくが。
 とにもかくにも、OL消費は危機に弱い。なんと教訓の多い時代のことよ。(神谷巻尾)

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2012年5月15日 (火)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/安置難民を救う「死者のホテル」りすセンター・新木場

 病院で臨終を告げられてから霊安室に移動し搬送するまで、どのくらい時間の余裕があるかご存じだろうか。
 一般的には、遺体の処置時間を含めても2時間程度。霊安室には1時間程度しかいることができない。なぜか。病院に用意されている霊安室の数が少ないためだ。中規模病院でも1~2体程度、5体以上置ける病院などほとんどない。
 だからこそ各病院では葬儀社との迅速な連絡体制を整えているのだが、そうするとどうしても葬儀社の選定は病院主導になる。古くから付き合いがあって間違いのないところ、いつでもすぐに駆けつけてくれるところ……しかしその葬儀社は、本当にどんな遺族にとってもベストな葬儀社といえるだろうか。
 いったん自宅に連れて帰り、ゆっくり相談することができる人は、葬儀社には「自宅への搬送」だけをお願いすればよいだろう。でも、誰もがそうできるわけではない。一度ある葬儀社の安置室へ運んだ遺体を別の葬儀社へ移動するのは精神的にも経済的にもたやすいことではない。
 そんな「安置難民」の悩みを払拭するのが、りすセンター・新木場。遺体の冷蔵安置を行う施設であり、30名ほどまでの葬儀であれば十分に可能な会場も整っている。今回、センター長の花田さんと職員の近藤さんにご案内いただいた。

 りすセンター・新木場は、新木場駅から車で7分程の立地にある3階建ての建物だ。1階が安置室になっており、37体を収容可能。依頼すると白い搬送車で迎えに来てくれる。遺体は吸水シーツに取り付けるバーコードで管理し、室温5℃・湿度80%に保たれた保冷室に安置される。室内には滅菌灯がついていて、マイナスイオンを発生させる装置で空気を清浄に保っていた。
 そして安置室の手前は「陰圧室」になっている。「インアツシツ」という聞き慣れない言葉に首をかしげていると、近藤さんが何かのスイッチを押した。「ゴー」という音とともに、排気口から部屋の空気が出ていくのが分かる。室内の気圧を低くすることによって排気がなされ、フィルター処理を経て外へと排出されるしくみになっているとのこと。万一、何かの菌に空気が侵されたとしても安心だ。
「温度、湿度、滅菌管理がここまでしっかりしているのは、日本では大変珍しいのではないでしょうか」と近藤さんが言う。確かにそう思う。いろんな斎場を取材してみたが、ここまでハイテクな安置室は見たことがない。
Photo  2階はお別れ会などのための会場で、パーテーションで区切られた小ぶりの部屋が3つある。パーテーションを外せば30名程度は収容できるとのことだ。部屋の手前は受付や故人の思い出コーナーなどを設けるスペースで、要望があればスクリーンを配置し、ビデオなどを流すことも可能だ。
 3階もお別れ会などの会場だが、こちらは畳。20名程度の会葬が可能だ。故人に一晩中付き添いたいという人は、この部屋で見守りができるとのこと。寝具などを使いたい場合はレンタルとなる。
「例えばご安置のあと、ご遺族はこの3階のお部屋でゆっくりと葬儀について話し合っていただく。葬儀社に見積もりを依頼する場合は、それが妥当な金額なのかということもアドバイスします」と花田さん。つまり葬儀の相談員が脇についていながら葬儀社をじっくり選べるわけで、こんな心強いことはない。これが葬儀社の安置施設だったら、自社の案内しかしないのだから。
「ご利用は私共の母体である『りすシステム』で生前契約をし、ご自分で葬儀をプロデュースして逝った方のご要望通りに祭壇や棺を手配して葬儀を執り行う、というものがほとんどです。しかし喪主となる立場の方にも、故人との最後の時間を作り出すためにこういった施設があることを知っていただきたい」と近藤さん。
 お2人とも穏やかで、こちらの質問にしっかりと答えて下さるのはもちろん、記者の感想などにも頷きながら真剣に耳を傾けて下さり、聞き上手な男性方でした。「毎月12日にはセンター内の見学会もあります。ぜひ施設内を確認するとともに、実際にお手伝いをする私たちの顔を見ていただきたいです」とのこと。自分の死後、確実にこの2人が葬儀の手伝いをしてくれると知っておけば、確かに安心だろう。

 遺体保管は一泊7,350円、面会が一回につき1,050円。会場は規模により1時間2,000円(10名程度)、3,000円(15名程度)、5,000円(30名程度)。葬儀なら準備時間を含めて3時間ほどあれば施行できる。
 遺体保管の料金は相場かやや低めなくらい、ということだが、こちらに保管ができれば最先端の設備で見守りをしてもらえる上、葬儀社社員ではないスタッフに心おきなく相談ができる。そんなところは、日本にここだけと言っていいだろう。(小松)

■連絡先…りすセンター・新木場 TEL 0120-373-959

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2012年5月11日 (金)

OL財布事情の近年史/第77回 「全OL節約時代」の始まりか?(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

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 こうして中身はともかく、テクニックとしての「節約主婦」への抵抗はぐっと減ったかに見える、ゼロ年代OLである。そうなると、「節約」「貧乏」はエンターテインメントになり始める。バラエティ番組「いきなり!黄金伝説」が2000年にスタート、「無人島で0円生活」「節約バトル」などの貧乏ネタが人気となった。“1ヶ月1万円で生活するアイドル”中嶋ミチヨが「㊙超節約メニューを大公開」(『女性自身』2000年6月13日号)など、女性誌でも注目されていた。1ヶ月1万円の節約バトルは現在でもたびたび放送されているが、競争の激しいゴールデンタイムで10年以上飽きられない企画とは、まったく節約の力はものすごいものである。

 雑誌の扱いも「ポジ貧のイカす知恵袋」(『女性自身』2001年11月20日号)、「極貧OL 年収250万円以下OLたちのお部屋拝見!」(『SPA!』2003年4月15日号)など、貧乏OLはもはやネタになっている。
 『an・an』2000年12月1日号「生活節約レシピ」では、「笑いと涙の超ケチケチ生活・完全ルポ」として、芸人やミュージシャンの下積み生活を紹介している。本業の収入ゼロ、アルバイト6万円、食費は弁当の余りなどでほぼゼロ、移動はすべて自転車で交通費ゼロ、風呂はコインシャワーだが「お金がない時はプラスチックの衣装ケースをバスタブ代わりにして入浴」というのはWAHAHA本舗の星川桂さん。今どうしているのか思わず検索してみたら、この当時と同じコンビで活動中、よかったねー、と思ったらなんと最近『貧乏セレブ入門』という本を出していた! 12年貧乏をあたためていれば、芸も出版にもなるのかと感慨深い。そうなると他の人たちの現在も気になります。「収入は喫茶店のアルバイトとパチンコ?」「唯一の照明が壊れて、テレビの明かりのみ」の劇団員藤田美歌子さんは、現在も劇団所属の女優のようだ。芝居のほかに声優としてもプリキュアなど大きな作品に出演している。原宿の裏通りに住みながら「部屋の中のものはほとんどが拾ったもの」「パンの耳をタダでもらう」「暖房器具は湯たんぽのみ」というミュージシャンの中川奈緒美さんは、この後本格的なゴスペルの道に進み、教会に所属して歌っているようだ。みんなきちんと地に足をつけて仕事をしておられる。なんだかキュンとしてしまったな。若いときの貧乏は資産になる、という教訓のようである。(つづく)(神谷巻尾)

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2012年5月 9日 (水)

池田大作より他に神はなし/第31回 幸徳秋水&管野スガ→大杉栄&伊藤野枝→アストラの郵便ポスト。血まみれの白昼テロ断固許すまじ!!

 いや驚きました。我が漫画屋(飯田橋2丁目)の事務所と、アストラ編集部(神保町3丁目)は徒歩約10分の距離。文章こそ世間並にデータ送信ですが、カット類は神保町古本屋街の散歩ついでに、筆者自ら持参するのが常。時間に余裕がある際は、挨拶がてらにアバタ面を出しますが、普段は郵便ポストに挿入して失礼を。先月も近所でひときわド汚ない、敗戦直後の闇市の臭気さえ漂う建物(木造)に寄り、郵便ポストに入れようとすると、な…何とポストが閉鎖されている!「?」挿入場所が良く分からず、動転した童貞時代の感傷的混乱が甦る(下から上に這わせれば簡単だったのね。今さら遅いけど)。が、今は唾を付けたりとか、コンドームはどうしたとかの問題ではない。と、「!!!」な…何とビル備え付けポストの下に、アストラ専用の特製スチール制ポストが「ババーン!!」。威容を誇る強固な頑丈さは、戦争映画の傑作『ナバロンの要塞』('61米)も顔負けだ。瀕死の弱小版元が、今なぜこんな無駄遣いを? 忙しかったが2階の小便臭い編集部のドアをノック。

 男女2名の編集部員への事情聴取(任意)の結果は以下だ。「郵便物がいたずらされたんですヨ。何度か破かれた物が付近に散乱してて…」(中年シャブ中毒風男性編集部員)「ウチに来る郵便物なんて、盗んでも得になりっこないのに。変な方いますよネ」(美人営業兼編集部員)あきれ果てる。2人共に長年の極貧生活で、編集的感性が鈍り切って腐食している。君達は筆者の連載の題名を忘れたのか!? 郵便物廃棄の犯人は決まっている。“地獄を這いずり回る一握りの日顕一派の残党”以外に一体どこに? 民主主義の基本たる言論・表現の自由を、暴力で破壊せんと画策するテロリストが、彼等をおいて存在する訳がない(小沢一郎冤罪裁判で、登石郁朗裁判官が公認済みの“推認判決”)。「そ…そうなんですか?」(シャブ中男)「あり得るかも、言われてみればぁ」(お気楽女)駄目だこりゃ。紙物系出版業界は内部崩壊しているとの見本景色。今後は“師弟共戦・師弟不二・民衆勝利”の精神で警戒を怠るなと、諄々と説教したのであった(世話のやける奴らだ)。

 日頃は後半に酔って乱入、心ある人々のヒンシュクを買っている、古い友人で元フリーライター、失職後は警備員の例のアル中男(元盲目的赤色分子)。彼からとんでもない貢ぎ物を。それを紹介するのは、地球規模での池田名誉会長の、2世紀間に渡る永久不滅の業績・栄光を訴え願う、本欄の主旨からは逸脱する。ただ前出のポスト襲撃テロ事件のような蛮行に走る(関東大震災下の、甘粕雅彦による大杉栄・伊藤野枝他の虐殺事件を連想)、あさましい鬼畜共の危険性に、警鐘を鳴らす意味はある。地獄模様に眼を閉じる我々の寛容な精神が、愚かな市民・編集者を生みかねないのは、アストラ編集部コンビの醜態を見れば一目瞭然だ(失礼!)。

1_2  正直な所、最初は意味不明だった。名誉会長のカラーお写真も掲載されているし、私と同じ弟子仲間の発行する出版物かと思った程だ。ただ気を静めて読むと、題名からしてどうもおかしい。『創価学会を折伏する!』。すぐ下に“第二の坂本弁護士事件!! 東村山市議殺人事件徹底糾弾”。呆然唖然。目次に至っては狂人の裸踊り状態だ。“東村山警察署に潜む重大疑惑 もし、「創価学会に買収」されているとしたら!”“完全図解!! 朝霞市議殺人事件相関図 死の六日前、朝霞市議が明かした創価学会の野望”“創価学会が関係する「怪死事件」を追う”“創価学会の教義に潜む「殺人思想」”“創価学会に解散の鉄槌を!”等々。

 造本はオールグラビアでカラー写真も多く、飢え死に寸前でやせ細った、日顕“畜生”一派にしては豪華すぎる(B5判90ページ)。だが奥付を見て納得。例の幸福の科学出版から、1995年に発行されていたのだ。一級のいかさま新興宗教団体らしい、ヘドの出るような誹謗・中傷の冊子である。素直に名誉会長の偉業を理解しようとしないハレンチ漢は、往々にしてこういう地獄への道を辿る。矮小な銭儲けや名誉心のために跋扈する、この種の腹黒ペテン師はいつの時代にも存在する(悲しい事だが…)。貧苦の果てに狂い死にする運命にある当人はともかく、だまされている善良な人々が哀れでならない。

 “仏法の根幹(こんかん)は 「師弟の誓(ちか)い」だ。 自ら立てた誓願(せいがん)を 生涯(しょうがい)、貫(つらぬ)き通(とお)す人が 永遠(えいえん)の勝利者なり!”(4月24日付け『聖教新聞』、「わが友に贈る」より)

 邪教のマインドコントロール下、平常心を失った人々も、こういうお言葉を眼にすれば即真人間に戻るのは必定。しかし彼等はその機会さえ奪われている。世界や日本の知識人・大衆がまったく相手にしないトンデモ本を、大金出して買わされては、更なる闇夜を彷徨する結果に。こういう気の毒な人々を、1日も早く悪魔の手から救出する。これも民衆勝利の精神を胸に、日々歌声高らかに前進する我々弟子の義務だろう。“勇気は戦いの中で磨かれる”(画家・ゴッホ)。“諸天善神を動かしめる広宣流布の大願”を口先だけに終わらせては、名誉会長のおっしゃられる大賢人には、永遠になれはしないのだ。(つづく)(塩山芳明)

 (資料)当時、幸福の科学出版はその他にも以下のような、数々のハレンチ出版物を刊行していた。『創価学会亡国論』『創価学会負け犬論』『創価学会ドラキュラ論』『あなたにもできる!選挙違反完全撃退マニュアル 創価学会による選挙違反の手口を全公開!』『これが池田創価学会の実態だ!!』

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2012年5月 7日 (月)

●ホームレス自らを語る 第113回 高血圧で路上生活に(前編)/藤川健次さん(60歳)

1205 新宿中央公園で会った藤川健次さん(60)は、路上生活を始めてまだ1ヵ月半だという。彼はこちらからの質問の一つひとつに、じつにていねいに答えてくれ、しかも笑みを絶やさないのだ。非常に好感のもてる人柄である。その来歴から聞いた。
「生まれは昭和26(1951)年で、鳥取県倉吉市の出身です。倉吉は鳥取県の中央に位置し、山あり、川あり、それに海も近かったですからね。子どもの頃は野や山を駆けまわり、川では水遊びをし、海では泳いでと、それこそ思い切り遊びまわりましたね。おかげで勉強のほうは、からきしダメでしたがね(笑い)」
 藤川さんの家は農家だった。稲作を5町歩(約5ヘクタール)以上耕作し、鳥取の名産品である二十世紀梨を栽培する梨畑ももっていた。結構な大規模農家である。
「それでも生活は楽ではなかったですよ。その頃の農業は儲からなかったですね。私も小学生の高学年になると、農作業の手伝いをさせられました。辛かったのは稲刈りですね。まだ鎌を使った手刈りの時代でしたから」
 中学を終えた藤川さんは、大阪に働きに出る。畳店に住み込んで、一人前の畳職人になるべく修行に励むことになった。
「私は長男でしたが、親から『農業は継がなくていい。手に職をつけて、食いっぱくれないようにしたほうがいい』と言われて畳店に就職したんです。親が農業に見切りをつけるほど、その将来は暗かったわけです」
 それから数年後、国は稲作の減反政策を始めることになる……。
 大阪の畳店は親方と40代の兄弟子、それに藤川さんの3人だけの職場だった。
「3人だけですから、きびしい修行などなくて和気藹々とした職場でした。畳店の近くに父方の親戚の家があって、休みの日にはよく遊びに行って夕飯をごちそうになりました。だから、ホームシックにかかることもなくて、大阪での暮らしは快適でした」
 藤川さんはその快適な暮らしを、わずか1年で終えることになる。
「同じ鳥取から大阪に出ていて、女性の下着メーカーで働いている従兄がいたんです。あるとき2人で飲む機会があって、『給料はいくらもらっているんだ?』と聞かれ、1万円だと答えると、『今日び1万円の月給で働いているやつなんていないぜ。中卒の初任給の相場は2万円だよ。オレが話をつけてやるから、オレの働いている工場に来て働け』ということになったんです」
 その従兄の勧めに従って、藤川さんは畳店をやめ、下着メーカーの工場に再就職した。約束通り2万円の給料が支払われたが、その工場は2ヵ月ほどで辞めてしまう。
「例の従兄が、もっと給料のいい働き口を探してきたんですよ。当時は高度経済成長の真っ只中で、どこも人手不足で、我々は『金の卵』なんて呼ばれていましたから、働き口はいくらでもあったんです」

 2人が移った新しい職場は、名古屋のパチンコ店である。店の寮に住み込んで、ホール係として働くようになった。給料は4万円に跳ね上がったという。まさに倍々ゲームで、当時の人手不足事情をよく物語っている。それからしばらくして、従兄はまた新しい職場を求めて移っていった。しかし、藤川さんはそのパチンコ店に残った。
「店で働いている人たちの雰囲気がよかったんです。12、3人のスタッフがみんな良い人たちで、とくにマネジャーが私のことを気に入ってくれ、いろいろ目をかけてくれたんで残ることにしたんです。それから20年間パチンコ店で働くことになります」
 藤川さんがパチンコ店で働くようになった頃から、パチンコはそれまでの手打ち式から、射出機による自動打ちに替わっていった。そして、20年後にやめるときが大フィーバーブームの最中であった。ただ、藤川さんはその20年間を同じ店にいたわけではない。
「店は4回替わりました。私の都合じゃありません。マネジャーが都合で店を替わることになると、私にも声をかけて誘ってくれるんで、いっしょについていったんです。このマネジャーには、生活のアドバイスをしてもらったり、ホントに世話になりました」
 そこまで目をかけてもらえたのも、藤川さんに実直さと人の良さがあったからだろう。その一方で、彼は酒の味を覚え、パチンコの魔力にハマるようになっていた。
「自分の店の定休日には、よそのパチンコ店に打ちに行きました。それも朝の開店前から行列に並んで、夜の閉店まで打つというのめり込みようでした。酒もよく飲んで、給料の大半は酒とパチンコ代に消えました。ときには給料の前借をすることもありましたから」
 この取材の途中からも、藤川さんは「ちょっと失礼して」と内ポケットから焼酎の瓶を取り出すと、チビチビとやりはじめた。アルコール依存に近い状態のようだ。
 30歳のときに、ある女性と同棲を始める。
「彼女は同じ店で働く女性店員でした。ゆくゆくは結婚を前提にした同棲で、2人の毎月の給料から結婚資金を貯める予定でした。でも、思うように貯まりませんでね。2年しても貯金はゼロの状態で、私の飲み代とパチンコ代に消えてしまうんですね。それで同棲も、結婚の話も解消になり、彼女とは別れることになったんです」
 ちょうど2年間の同棲生活であった。
 藤川さんはそれからもパチンコ店勤務を続けるが、30代後半にやめることになる。
「いつの間にか、周りの店員が20代前半の若い人ばかりになっていましてね。客との応対とか、ホールの運営とか、私のやり方にみんなが反発してくるんですね。私一人が浮いたような状態になっていて、もうやめるしかなくなっていたんです」(つづく)(聞き手:神戸幸夫)

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2012年5月 6日 (日)

元サイテイ車掌の田舎日記/それは若葉だけだよ

○月×日

 んだ。
 「兎追いし」だったのだ。
 興味はないが、唱歌や童謡の数は多い。
 すぐに思い浮かぶだけでも、時期的に「春が来た」や「春の小川」、「故郷(ふるさと)」「七つの子」「背くらべ」「雀の学校」と、他にもまだある。
 学校での音楽の授業などは適当に受けていたのに、これらの歌は今でも大体は空で歌うことが出来る。
 あの頃は歌の意味も分からずにただ口ずさんでいただけだったが、「な~んだ、そうだったのか」と今頃になって漸く意味が分かったものもある。
 その中の一つが、日本では子どもからお年寄りまで最も親しまれている(と思う)「故郷」だ。故郷の山や川で遊んだ思い出を歌ったものだが、おれには「兎追いし」と「兎美味し」のどっちが正しいのかずっと分からないでいたのだった。兎は獲ったことはないが、小鮒はよく釣って美味しく食べていたので「美味し」の方だろうとも思って歌っていた。ま、おれにはどっちでもよかったんだけどね。
 それが最近になって「追いし」だと分かった。それは震災の被災地でよく歌われていたからだ。でもね、明治、大正という時代背景からして、食としての「美味し」でもいいような気がするんだけど。
 また、「チイチイパッパ」の「雀の学校」で思い出したのだが、「むちを振り振り」は先生による体罰の歌では勿論ない。むちは「教鞭をとる」の「鞭」だというのは高校の頃に分かったが、反抗的だったおれはこの歌をふざけてよく歌っていた。「無知を振り振り」と連想しながら嫌いだった先生への当てつけとしてだ。
 おバカな話はこの辺で止めよう。それにしても子どもの頃に覚えた歌は一生忘れないものだ。勉強の方は殆ど忘れているというのに。子どもの頃に衝撃を受けた歌は一生を決定するといっても過言ではないように思う。何も歌に限ったことではないが、現にそのような理由で歌手などになった人は世界中にも大勢いる。
 人々に強烈なインパクトを与える、例えば本と歌を比べれば、本は活字を追うという労力がいる。が、歌は黙っていても聴こえてくる。能動ではなく受動でいいから手っ取り早い。
 世間では驚くニュースがあったり痛ましい事故があったりと一喜一憂する毎日だが、おれの中には不正確なことや不十分なことが蔓延しているのだと気付く。最近ではそれを正していくことや新しいことを吸収するにもその力が失せてきたように思う。
 ぐんぐんと成長しているのは若葉だけだよ。不一。(斎藤典雄)

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2012年5月 5日 (土)

元乙女のゲーム日記/ときめきメモリアルGirl's Side Premium 3rd Story ②

 2回目の今回は、3月15日に発売されたPSP版についてきちんとレビュー。
 PSP版といっても移植であって基本システムや内容は変わりません。だけど、恒例の新キャラ、新スチル、新要素が入っています。新キャラは2ndにでてきた羽ヶ崎学園の生徒さん。魅力を爆上げするとでてくる子で、隠しに近いのでタイミングがずれたり、条件を満たさないと出てこないで終わる可能性も。女慣れしてない感じで新鮮さを感じました。モデルのバイトをする設定はまたか……だけど、この際もういいです。最後の告白場所も灯台出てくるし、珊瑚礁見えるし、許す。

 実はこれがでるまで、おさらいと称してDS版をずっとやっていた。PSP版が出てすぐに鞍替えしけど、ストーリーやイベントは同じ(新規イベント、スチル、キャラ、新システム搭載は恒例なのであるものの)なので、飽きたというかまったりとした気持ちでやっている。そのため、以前と同じテンションでプレイするのは難しい。どんなに好きなキャラでも10周したらマンネリ化するだろ。
彼氏も長く付き合ってるとそうなるじゃない。
 どうやってテンションを保とうかと思ったとき、ふとひらめいたのが「数字」。数字といっても801ではない。ときメモの基本は、デートして好感度あげて、ついでに対応するパラメーターもあげる、である。
 恋愛って両思いになりたいと追いかけてる最中は楽しいけど、追われるようになるとつまんなくなるでしょ。それと同じで、ゲームでもはじめは「よしやるぞ!」って感じなのに慣れるとうんざりしてしまう。そうなると萌えもときめきもなくなるわけです。
 しかし、ときメモにはもう一つパラ萌えというおもしろいシステムがあって、特にデートしなくてもパラメーターが一定を越えると好感度がじわじわ上がってくるわけです。全体的に150オーバーで出歩きイベントをこなしてポイントを稼ぐと、普通だった人も友好に。さらに一緒にバイトしたり、気まぐれにチョコあげたり、部活やってると好きになったりするわけですよ。
 隠しキャラ狙い(先生がベストかな)で女友達のみよちゃんに電話をかけて評価を聞いたときに、男子の状態を見てニヤニヤ。現実世界でもハイスペックな異性ってよく知らなくても惹かれちゃうでしょ。それとかよく会って視界に入る異性にもね。それと同じでゲーム内でも追体験できるのです。
 男と付き合いたいなら容姿磨いてある程度賢くなるのも大事だけど、視界に入って印象を残すことも大事。存在を知ってもらって、サブリミナル効果で脳裏に焼き付けさせ、じわじわ仲良くなる。デートに誘えたらさらにポイントを稼ぐ。古典的な方法だけど効くんじゃないかな。男は単純だから。

 2ndと3rd通して気になるんだけど、異性とデートしてあんなに積極的にお触りしていいのだろうか、と。
 様子見て少しずつ距離を縮めるどころか、かなり大胆に接触するんだよ。痴女すぎる。PSPバージョンではさらにデートコミュというのがあって、デート終了間際に大接近とは違うお触り無双が発動されるんだけど、興奮度MAXになって終了した後のバンビの台詞が、「こっちまで興奮してきちゃった」(うろ覚えだけど)だからね。そりゃ、あんだけいろんなとこ触ったら興奮するよ。
 あれを現実でマネしたら痴女要注意評価になるのか、それとも仲が3歩くらい深まるのだろうか。機会があったら試してみたいものだ。
 1stはまだタッチしたときの主人公の反応はウブでかわいかったんだけど、男子が手を出せないのをいいことにだんだん大胆過激に、肉食女子化しているわけです。時代に即しているとはやるな(笑)

 3rdはぶっ飛んだキャラ設定もほとんどないし、PSPに移植されてスチル2分割が解消されたから本当に嬉しい。絵がキレイだからイヤだったけど、1枚絵でバーンと見られるようになったおかげで、最萌えキャラのお気に入りイベントの時なんて思わず舐めてしまいそうになって、自分の気持ち悪さに改めて驚愕してしまったし♪キラッ★
2ndを押しのけてベストソフトになってしまった。
 とてもオススメしたいゲームだけど、舞台が1stと同じはばたき市で、そちらを攻略していないと細かいところまで楽しめないので、そちらを未プレイの人はまず1stからどうぞ。(奥津)

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2012年5月 4日 (金)

「OL財布事情の近年史」今日はお休みします

毎週金曜日アップの「OL財布事情の近年史」ですが、

GWのため、お休みします。

みなさん、すてきな連休を。

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2012年5月 1日 (火)

元サイテイ車掌の田舎日記/春らんまん

○月×日

 んだ。
 酒田もやっと春だ。
 まるで1年の半分が冬のような、天気の悪さといったら日本一ではないかと思うほどだったが、そんなことは嘘みたいに連日この上ない穏やかな日差しに包まれている。
 景色は見渡す限りウララカで、何から何までキラキラと輝いて見え、眩しく感じる。これまでのことは何もなかったことにしましょうと、桜も梅とほぼ同時にほころび、今は満開となっている。
 さぁ、これからだ。何もかも新しくスタートするんだという気持ちになれる。雪もすっかり溶けて、土が顔を出してからは暫く経ったが、おれも畑の草刈りを開始した。今年で3年目になる。丁寧に耕して、肥料もたっぷりやり、今年こそ立派な野菜に育つように成功させたい。
 スーパーにもたけのこやわらびなどの山菜が山のように並んでいるし、酒田中が春。もうどこへ行っても春なのだ。
 先日ラジオを聞いていたら「大きくなったらケーキ屋さんになりたいです」という4~5才くらいの女の子が「えんか」を歌いますというのでちょっと驚いたのだが、かわいい声で歌い出したのは「演歌」ではなく、学校でいえば校歌の「園歌」なのだった。メチャクチャほほえましいと感じちゃってね。
 感じるといえば「アイヴ・ガッタ・フィーリング」。ビートルズのゴキゲンなナンバーで、レコードの中ではジョンとポールが仲良くシャウトしている。「感じるんだ。春を感じるんだ。誰もが辛い冬を過ごし、今は誰もが気合いを入れ直した。感じるんだ。春を感じるんだ」と聴こえて来る。オー、イエイッ!!
 おふくろの施設でもどこの老人ホームも然りだが、皆して歌う歌といったら童謡や唱歌、演歌と決まっている。ビートルズなどは歌わないのか。もしおれがホームに入ったらこれだけは耐えられないといつも思う。それともおれも、入れ歯の具合などを気にしながら皆と迎合して一緒に歌っているのだろうか。いや、そんな心配をする前に死んでるか。いいのか悪いのか、やれやれだな。
 政治は相変わらずだ。ズルズルと混迷の度を深めている。問責は理解できるが、審議拒否とは国民のことをそっちのけだとしか思えない。がしかし、各党幹部がしっかり勢揃いしてテレビの日曜討論などで議論している。もうこの際だから、大所帯の国会劇場は止めにしたらどうだろう。各党が意見集約をして、幹部だけでやり合えばいいのではないか……。
「チャリの季節だよ~。典ちゃんも一緒に走ろうよ。5月にまた行くからね」と同僚から連絡があった。今回は後輩も連れて5人で来るという。村上(新潟)でチャリを組み立てて、日本海の絶景を眺めながら酒田までの約100キロ余を北上して来る。「人生、下り坂最高!」の気分はチャリをやっている人にしか分からない快感だろう。家の布団では足りないから、全員寝袋で雑魚寝の予定だ。
 その後も年中行事になってしまったかのように何人かがやって来る。おれは大歓迎で嬉しい限りだが、皆会う度に老け込んで、あの頃の若さが薄れたとしみじみ思う。
 飲み過ぎて「今日は休む」と仕方なく職場に電話した。そしたら「一生休んでていいよ。お前の席はもうとっくにないんだから」とあっさりいわれてしまった。「……そうだったな」と気付いたところで目が覚めた。夢だったのだ。
 ということで、春らんまんだね。(斎藤典雄)

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