冠婚葬祭ビジネスへの視線/「戒名料」という名前がダメなのかも
「僕は戒名なんていらないよ」
と、知り合いの40代男性が言ったので
「それでは、葬儀は仏式でなくてよいということですか?」
と質問すると、
「いや、べつに葬儀は仏式でいいんだけどね」
という答えが返ってきた。
にわかには意味が分からず、色々と話してみると、どうやら戒名がいらないわけではなく戒名料を払いたくないということのようだった。
仏式葬儀のお布施は「戒名料」と言われることが多い。自らは自覚することのできない死後の名前を買うのに、高額とうわさの料金を支払うのは納得がいかない、というわけだ。(だったら生きてるうちにつけて貰っては、という話もあるが)
ただ、お経をあげてもらうから、お経のぶんの料金は払うよ、と、知り合いはさらに言った。
なるほど、この人の頭の中では
<葬儀時に僧侶に支払う料金の内訳>
読経料…●●%
戒名料…●●%(読経料よりかなり高い)
ということになっているようだ。
きっと同じように考える人は多いだろう、と思い当たったところで、「葬式仏教」の暗い姿が見えた気がした。つまり、すでに私たちは、お経を葬儀のBGMとしか思っていないのである。仏教を葬儀の中だけに閉じこめたのは、私たちといっても過言ではないのだ。
戒名は仏弟子になったら授かるもの。葬儀時に読まれるお経の最初の部分は、宗派にもよるけれど、仏弟子になるための準備段階のようなもの。そんなに簡単な説明で済ますなと宗教者からは怒られそうだけれど、ざっくりと説明するにはこれで十分じゃないかと思う。だから、「戒名料」と「読経料」は切っても切れない。戒名を授けない宗派でもお布施の目安はそうそう変わらないことを考え合わせると、いらないから戒名の分だけ削る、というのは、とても乱暴な話なのだ、本来なら。
私は宗教者ではないが、布施を「戒名料」とか「読経料」とか「支払う」「料金」などと捉えること自体、俗っぽくて目を覆いたくなるくらい恥ずかしい。「布施」は「布施」でいいし、目安を気にすることなく信心の大きさによってお渡しすればよいと思うのだが、そうはいかないのが今の世だろうか。人目を気にしないのなんてお前だけだと言われそうだが。(小松)
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コメント
戒名料について....。仰るとおりで、この責任(お布施を料金化してしまったこと)はマスコミにあると思う。お寺だってお布施がいいに決まってる。人の顔色見て、今回の戒名料、読経料、車代あわせて百万円...なんて。
ただ、最近は核家族化が思う以上に加速して、年寄りと生活しなくなった。お寺へも参らなくなった。顔も知らないお寺に、葬式だけお願いして、いくらです。って言われればはらいたくないですよねぇ。でもお寺を維持していくにはお金が必要です。葬儀にしか会えない檀家には、今までの分をあわせていただきましょう・・・。ってことでお宅はいくら・・。なんてことになったのだろうとおもいますよ。どんどんこの記事広めてください。ご友人のような方、たくさんいらっしゃるでしょうね。
投稿: umezho | 2012年5月13日 (日) 21時41分