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2012年1月

2012年1月30日 (月)

『鏡を見るのが楽しくなる!』出版記念サイン会

『鏡を見るのが楽しくなる!』発売から3日ほど経ちました。

みなさんの近くのお店には、届いていますでしょうか?

さて、岡本静香さんのサイン会が今週末に行われます!

詳しくは・・・

「静香のメイク日記」

↓↓にて公開しています↓↓

【鏡楽本 出版記念サイン会】@ニッポン放送imagineスタジオ 2月4日土曜日

ニッポン放送の正面入口ではなく、そのすぐ脇にあるimagineスタジオの入口から入っていただくことになりますので

↑の記事をよくお読みになり、

寒いのでお気をつけていらしてください!

当日は、定価1890円(税込)のところ

消費税を抜いた1800円にて販売いたします。

(奥山)

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2012年1月27日 (金)

『鏡を見るのが楽しくなる!』発売

新刊、『鏡を見るのが楽しくなる!』(岡本 静香 著)が発売になりました。

有隣堂アトレ恵比寿店さんでは、

サイン本も置いて下さっています!

数が限られていますので、お早めに入手下さい。

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OL財布事情の近年史/第63回 企業を抜け出し始めた女たち!ハケンの時給に惑わされ(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 ドラマを見ていたら、スーツ姿の要潤が派遣で働いていた。前クールでも大島優子がパワハラで契約切られていたが、主役クラスも「苦労する派遣社員」になる昨今である。派遣のドラマといえば「ハケンの品格」(2007年)が代表的だが、スーパーハケンが活躍するという設定を楽しむ余裕は、今はない。ついでにいえば、本稿で振り返っている1998年は、左遷されたOLたちが奮闘する「ショムニ」がヒット。すでにOL界も、普通の社内恋愛や結婚がテーマにはなるような呑気な世界ではなく、5年後仕事がなくなるかも、という不穏な環境。「ショムニ」は正社員OLの存在意義を破天荒さと笑いを強調して、普通に会社でOLをしていたかった女性の願望に寄り添っていたことが、人気の要因だったのではないだろうか。

 実社会では、この頃のトレンドは派遣であった。『女性セブン』98年1月1日号「〈派遣OL〉の極意」では、「即戦力は引く手あまた」「わずらわしい組織から解放」と、全面的に奨励。「派遣社員の落とし穴」で突然の解雇、セクハラなどの問題点もあげているが、メリットを列挙して「派遣社員は平成大不況を乗り切る一つの賢い選択肢なのかもしれない」とまとめている。「派遣社員・職種別賃金データ」(1997年5月労働省調べ)では、ソフトウェア開発2833円、秘書2213円、ファイリング1754円などの数字を並べ、注釈に「企業が派遣会社に支払っている金額の平均です。実際に派遣社員が受け取る金額とは異なります」とあるものの、ぱっと見高賃金に映るというものだ。さらに気になるのが月刊『人材ビジネス』編集主幹氏の談話。
「女性の場合、学校を卒業して3~4年働くと、企業で働く意味がわかってくる。その段階でクールに判断して、自分から積極的に派遣社員となる人が増えているんです。」
これ、つまり「企業は女性を3~4年しか雇うつもりがない」って言っちゃってる? えーとー、どっかで見たような……ああ、仕事は結婚までの腰掛け、家庭に入ったらパート、って80年代以前の常識か。おや、均等法ってもうないことになってます? という環境のもと、「派遣社員──結構面白い仕事かもしれない」と女性誌は派遣へと背中を押している。(つづく)(神谷巻尾)

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2012年1月25日 (水)

元サイテイ車掌の田舎日記/新年明けて、友を想う

○月×日

 んだ。
 友だちがいないのだ。
 年賀状が元日に届くのは日本の古くからの習わしなのか、自分でも元日に貰えば嬉しいくせに、おれが殆どの年賀状を書き始めるのは元日からなのだ。
 それは、前年から「明けまして……」と書く気にはどうしてもなれないからで、元日に届かない失礼を承知の上で年が明けてから正しく書いている。だいたいが鏡開き辺りに書き終えるのだが、そんなに長くかかるのは、印刷はしないで一枚一枚をヘタクソな字で結構長々と書くのがおれの習わしだからだ。
 その内容といえば、やはり冬の近況などになってしまうのだが、止むことのない雪だの、猛吹雪だのは、酒田に戻りもう丸二年近くにもなったので、すっかり慣れてしまい、これが当たり前だと思うようになってしまったので、近況といってもなぁ~と、今年はちょっと困ってしまったが、「もう何もかも慣れました」と書いて一件落着。
 酒田の人は朝起きるとまず玄関の雪かきをする。で、出勤すると今度はまた会社の雪かきがあり本当にご苦労様で大変だと思う。おれといったら、雪かきとは無縁で、食っちゃ寝の冬眠状態のためか、実は、あれよあれよと体重が5キロも増えてしまっていた。だからかコートを着れば雪だるまのようにコロコロパンパンで、鏡を見れば、顔も最近とみに老けたような気がしてウンザリしているのだ。といいつつ、しょっちゅう鏡ばかり見ているのは、こうした老化もそのうち慣れるだろうし、見飽きる前に見たところでどうにもならないことに気付くはずだと思っているからだ。と書いておきながら、今はまだ気付きたくないのだ!? ナニ、健康でありさえすれば顔や体型などもうどうでもいいよと自分では思うが、皆はどう考えているのだろう。
 今日はいきなりいってしまうが、そんなことを話せる友だちがいない。おれの身近な人といったら親戚のじいさんばあさんぐらいで、人との交流は酒田に来てずっとそうしてきた。おれには同年代の友だちが本当にいないのだ。
 高校の担任も嘆かれていたが、二百数十人いる学年で若死した人が30人近くいるというのは聞いたことがないと。
 そうなのだ。おれの親しい同級生や幼馴染は6人も亡くなってしまっているのだ。トミオ、三弥、ぜんじ、ジロー、はるき、こういち。6人の名前を今呼んでも誰一人と応えてくれない。いつか会えると楽しみにしていたのに。
 そのいつかとは退職して田舎に戻ってきた今に他ならない。おれの友だちはもう酒田を後にして東京などに出て行ってしまった何人かしかいない。このことは来る前から分かってはいたが、実際直面すると、やっぱりさみしい。辛く感じる。ふるさとに酒を酌み交わす同級生や会いたいと思う幼馴染みが誰一人といないなんて、そんなのありか? 信じられないよ、それはないよな。
 それにしても、あまりにも不条理すぎる。皆若くして逝ってしまって。慢心になっていたからか。人間ドックもやっていなかったのかもしれない。おれも会社でやらされたのが切っ掛けで毎年受診するようになったのだからエラソーにはいえないが、今は大丈夫でもいつ何時どうなるかは分からない。
 さて、昨日までは大相撲ばかり見ていた。中継は3時からなので、その前に風呂を済ませたりと変な生活だった。5時を過ぎた後半戦は晩酌をしながらとチト優雅に。
 12日目に早々と優勝を決めた杷瑠都は良かった。インタビューの最後にカメラ目線でちゃめっ気たっぷりにアイコンタクトをとったユーモアといい、盤石なパワーもさることながら、千秋楽では負けたがその笑顔は実にさわやかだった。
 ちなみに、おれのひいきは雅山、鶴竜、隆の山だが、今から大阪での春場所が待ち遠しい。
 話がそれたが、こんな日常を語り合える友だちがいないのはさみしいということで。
 今年もよろしくお願いします。では、また。(斎藤典雄)

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2012年1月24日 (火)

東京みくじ巡り/神田明神

神田明神の祭神の一人が間接的に関連があるということで何回か行っているが、おみくじは引いたことがなかったので引きに行ってきた。

Myoujin 年が明けて1週間たっているというのに参拝客がまだ多い。普段の神社の状態をみていると、初詣は日本人のデフォルトなのだろうか、といつも思うんだけどどうなのでしょうか。
ここには獅子舞がみくじを引いてくれる機械があるので、こっちで引きたかったけど、小銭がなかったのでみくじ棒のほうにした。それにしてもああいった変わり種みくじって心惹かれるのだろうか。喫茶店においてある占いポット然り。

浅草寺で凶を引いてきたばかりなので、できればいいものを・・・・・・と思っていたら吉。なかなか大当たりがこないけど仕方ない。まだそういう時期ではなのだろう。
説教なんだけど、邪に続き、「井の中の蛙大海を知らず。たとえ人よりも優れたところがあっても決して自慢してはならぬ」と、どうやら神様は私のことを驕り高ぶる邪悪な奴だとどうしても決めつけたいらしい。たまに言うくらいならいうことを聞こうと思うけど、いつもだと反発したくもなるので、どこかで何かを自慢してこようと思う。

 個別運勢は、方角「西と北ならば吉」。これ「西と東ならば吉」じゃなくてよかった。御利益のために東奔西走するのは気が引けるというかめんどくさい。このみくじに従うならば、北西に行けばいいだけなので楽だし。
 縁談「心かわらねば後必ず調う」。神様に諭されなくても、心変わりしたらそりゃうまくいかないよね。男女の仲はある程度「粘り強く」いかないとだめです。

 最後に、このみくじ巡りの連載といえば、出産の項を忘れてはいけません。
 神田明神のみくじにも「出産」があって、鷲神社では「安産。胎児は男」と明快に予言してくれたけれど、こちらではなんと「軽し。女」と大胆な予言が。神様同士の染色体バトル勃発! たぶん、この連載が終わるころ集計して多かった性別に軍配があがるかもしれないので、今後の神様の予言動向を見守っていこうと思う。ちなみに、今現在、私は妊娠していません。(月島めぐる)

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2012年1月23日 (月)

編集部の女の子/歌舞伎を観に行きました

 先日、1月15日は「国立劇場開場四十五周年記念 平成二十四年初春歌舞伎公演」に出掛けました。演目は、「通し狂言 三人吉佐巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)」と「奴凧廓春風(やっこだこさとのはるかぜ)」。どちらも「江戸演劇の大問屋」との異名を持つ河竹黙阿弥の作です。松本幸四郎、中村福助、市川染五郎、松本金太郎らが華やかに舞台を彩りました。

 「三人吉佐巴白浪」は「三人吉佐廓初買(くるわのはつがい)」から派生した河竹黙阿弥の代表作です。黙阿弥が得意とした「白波物(盗賊を主人公にした作品)」で、同じ「吉佐」の名を持つ三人の盗賊が、百両の金と刀をめぐる因果応報の故に散るというストーリー。因果の綾が巧みに絡まった奥深い作品です。作中のあちらこちらに散りばめられた伏線が見事に回収されていく様には、舌を巻きました。福助演じるお嬢吉佐の「月も朧に白魚の…」から始まる名ゼリフも聞けて大満足。まさに「こいつァ春から縁起がいいわえ」という気分です。三人の吉佐は正真正銘のヒーローではなく、むしろ社会のモラルや常識からは逸脱した存在なのですが、随所での振る舞いがとても粋で人情に溢れており、彼らのすがすがしい生き様が面白く描かれていました。雪の舞う大詰、「本郷火の見櫓の場」での幕引きは、とても「黙阿弥らしい」そう。下手のみならず上手にも設置された両花道が作品にさらなる華やかさを加え、デフォルメされた派手なアクションも大迫力。「大向う」という客席からの掛け声が方々から飛び、圧巻でした。


 世阿弥の絶筆となった「奴凧廓春風」は、初春狂言お決まりの「曽我物」にお正月に飛ばす奴凧を組み合わせた作品。実に105年ぶりの全段通し上演だそうで、日本舞踊松本流三世家元(七代目 市川染五郎)が振付を担当していました。両花道を使った渡りせりふも粋で福助と染め五郎の掛け合いも見応えがありました。衣装の着物も素晴らしかった。染五郎さんの着物は浅葱色の地に翼を広げた鳥が舞い、金糸の刺繍がなされていました。福助さんの花魁衣装も帯が見事。高麗屋三代(幸四郎、染五郎、金太郎)の親子三代がそろって登場し、会場は和やかなムードになりました。特に、幸四郎と金太郎の二人が、凧を上げる上げないでもめる場面は、やんちゃな孫とそれをなだめる祖父の姿が微笑ましかった。染五郎演じる凧と金太郎の掛け合いで舞うシーンは、貫禄ある父の舞とまだまだ可愛らしい息子の舞を同時に楽しめて、観ていてとても幸せでした。金太郎が可愛い。とにかく可愛い。これからの成長がとても楽しみです。一人三役をこなした染五郎が二役目で演じた凧では見事な宙乗りも観ることができ、とても面白く、こちらも見応えのある作品でした。時間が経つのも忘れ、見入ってしまいました。

 どちらの演目も、新春公演にはお誂え向き。幕の内弁当も美味しく頂き、大満足。できたての豆大福と、美味しい緑茶も頂きました。私のところにも福がやってきたかな?

 会場にはお着物でいらしている方が多く、次回は私もお着物を着ていきたいなと思いました。みなさんとても華やかで、帯の結い方や髪型など、細部までこだわっているようでした。

 今回は午前中からワークショップに参加し、河竹黙阿弥の来歴や演目のあらすじ、登場人物紹介やことばの解説を大方聞いた上で観ました。さらに、音声ガイドもつけていたので、お話にもきちんとついて行けたし屋号も分かって面白かった。着物の文様なども解説してもらいました。日本の慣習や言葉の来歴も一緒に勉強。例えば、「双子」は世間ではどんなふうに捉えられたのか、「土左衛門」や「目貫通り」の由来などです。日常のあちらこちらに垣間見られる日本文化を学べました。

 歌舞伎や能など、ともすると堅くてつまらないように思えてしれないし、内容や意味が分からないと面白くないかもしれないけれど、ワークショップに参加したり、講座に参加したり、本などであらかじめ勉強していけば、すごく面白いです。

 日本には洗練された文化があるにもかかわらず、それらに触れる機会が限られているのが現状。文化的後進国だと言われるのはここに起因するのではないでしょうか。門戸は開かれていても、実際にアクセスする人も少ないように思えます。私の知人からも、歌舞伎や能を観に行きたいものの、なかなか踏み出せない、機会がない、どうして良いか分からないという話を良く聞きます。せっかく素晴らしい伝統芸能があるのだから、小さい頃から本物に触れることのできるよう教育制度を整えたり、実際に触れる機会を作る必要がありそうですね。

 元々興味のあった歌舞伎ですが、とても好きになった、そんな一日でした。皆さんも歌舞伎や能の舞台にぜひ足を運んでみてください。
(雨宮)

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2012年1月20日 (金)

OL財布事情の近年史/第62回 派遣OL誕生!激動の90年代後半(後編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 『CREA』1998年7月号の大特集「今そこにある〈転機〉」では、山一證券、北海道拓殖銀行など、会社が倒産してまさに不況を体感したOLをとりあげた記事「勤め先が経営破綻! あなたならどうする? 消えた会社のOLたち」がある。「人間関係に恵まれて居心地はとってもよかった」「人情味にあふれている社風も大好き」という山一證券OLたちは、「山一という看板のおかげで」「山一の国際部門にいたから、と正社員も派遣社員も同じ条件で」、登場する3人が都市銀行に正社員として採用されている。「いちばん心配だったのは、お給料どうなるかってこと」といいつつ、「結局、給料も退職金もキチンともらえたから良かった」って、実は山一バブル? 大企業は結局優遇されるんじゃん。ちっ。
 だが大手以外はそうはいかず、21歳北海道拓銀OLは『とらばーゆ』を見て精密機器販売会社に就職。だが「女性の力を生かすとか、給料は高く休日も多いとか、いいこといっぱい書いてあったわりには(苦笑)」と微妙な模様だ。中堅ゼネコン東海興業で設計部門に所属していたがリストラにあった25歳の就職活動は「思っていたよりキツかった。(略)次も絶対にこの業界だと決めていたので」と、不況のあおりをくらって難航。あげく「会社に運命を左右されるなんてもうイヤ」と、派遣社員としてCADの技術を生かすことにした。「好きな仕事を貫きたい私に、派遣は向いているような気がします」というこの感覚、この頃の女性は普通に持っていたと思う。しかし、正社員ルートからこぼれていったあげく、会社に縛られない自由な働き方「派遣」を自分で選んだ、という構造が作られていったとはいえまいか。

 実際派遣の環境は、この数年で大きく変わっていた。1996年には派遣労働法改正で、対象業種が26業種に広がった。添乗、企画立案、インテリアコーディネーター、OAインストラクション、広告デザインなど、いかにも女性が活躍できそうな職種が加わったのだ。派遣労働者数をみると、改正翌年の1997年は前年より18.3%増の約85万人、99年には約106万人と、100万人の大台を超えた。ちなみにその後上昇し続け2008年には398万人にのぼり、年越し派遣村を挟んだ09年には大幅減の267万人。たかだか10年で派遣でさえ働けない時代になっていた。そう思ってかつてを振り返るのもむなしいが、ここに至るまでの検証は大事である。次回、まだ選んで派遣をしていた当時の女性誌をみていこう。『With』97年8月号「派遣OLってそんなにアレなの?」、『女性セブン』98年1月1日号「〈派遣OL〉の極意」って、アレだの極意だの、ネタ感が否めない、この余裕さよ。(神谷巻尾)

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2012年1月16日 (月)

書店の風格/勝木書店本店

 北陸を拠点とし、首都圏にも展開している勝木書店の本店を訪問した。本店は福井駅から続く商店街内、西武福井の目の前にある。奥に長い設計のため間口からの印象よりもずっと広く、3階建てでジャンルも豊富だ。地域資料や政府刊行物も豊富に取り扱っていて、まさに福井の老舗一番店だ。
 お店に入ると、すぐ右側がレジ、左が雑誌のラック。ラックの一番目立つところに福井情報誌「月刊URARA」が置かれているのがいい。このとき買った10月号は、まだ「うらら姫23」候補100余名が可愛らしくエントリーされているところであった。すでに最終的に23名が選ばれたらしいが、どうもインターネットだけでは情報が集まらない。センターは一体誰なんだ。個人的には巫女姿の少女がとっても気になるのだが、最終選考まで残っているのだろうか。前記事を読んでしまったからには気になるが、東京には売っていない「月刊URARA」……。
 雑誌棚は奥まで続いていて、どん詰まりにエレベーターと階段がある。エレベーターで3階へのぼると、学習参考書やコミックのフロアであった。若い人にこそ高層まで登ってもらうお店づくりは本屋のキホンのキ。二階へ下りると、ビジネス書や人文書がずらっと並ぶ。アストラの新刊『悲しきアフガンの美しい人々』も棚差しになっていて、思わず感動した。全くの妄想だが、何だか歓迎されているような気分になった。
 そして注目すべきは宗教書のコーナー。福井には曹洞宗の大本山、永平寺があるうえに、浄土真宗の中興の祖、蓮如が布教をして歩いた場所。どんな棚構成になっているのか、とわくわくしながら拝見すると、なんと「正信偈」(浄土真宗の讃歌)と書かれた棚仕切が! 日本広しといえども、「正信偈」が一つのカテゴリーになって棚を形成している本屋さんは他にないだろうと思う。それほど需要があるということだろう。仏事をきちんと後世に伝え、継続していこうという地元の確かな意志が感じられる。
 店を出ると、隣の西武敷地内にあるベンチに群がり、いっしんに「ジャンプ」を読んでいる男の子3人組が目に入った。みんな漫画が、本が好きな子に育ちますように。(奥山)

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2012年1月13日 (金)

OL財布事情の近年史/第61回 派遣OL誕生!激動の90年代後半(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 新年明けて気になったお財布エピソードといえば、「人が一生に食べられる量は限りがあるし、1人で抱えられるお金の量も決まってるからそれ以上必要ない。しいていえば、食べたいものができたときに、我慢せずに払えるくらいのお金があるのが理想」といったビートたけしの談話。これくらい達観していれば、億単位のお金を、ギャンブルに使ったり現金で金庫にしまっておく「私どもの感覚」は生まれないのでは。今年もよろしくお願いします。

 さて、15年前のOL財布に戻ろう。「日本が不況だと幸せになれないの?」と小首かしげていたOLの、その後である。
 『日経ウーマン』1997年11月号では「消えるOL 笑うOL」で50ページ程の大特集を組んでいる。「一般事務職は消える?」「20代リストラの現実」「年収300万円で打ち止め?」などを「OLをめぐるこわ〜いお話」として紹介、今となってはどれも常識になったことが、かつては衝撃だったことが伺える。企業への調査では40.1%が「一般職の数を減らす」と回答している(日経新聞96年「転機の一般職」)のに対し、ウーマン誌読者20代の一般職女性へのアンケートで「一般職という仕事のままで危機感を感じますか?」と聞くと、「感じない」が76%と圧倒的。一般職OLの平均年収は370万円、少ないと感じるのは314万円、いくらなら妥当かには469万円と、未だ高望みのままである。制服OLが給湯室でポテチ食べながら「5年後には私たちの仕事なくなってるってー」「ふーん 毎日会社でどーやってヒマつぶそかなぁ」と話してるイラストが、危機といってもまだ笑いとばせる余裕があったことを感じさせる。
 「OLビッグバンを起こした企業」として、社員全員年俸制の日本オラクル、事務補助が全員派遣社員のマイクロソフト、減給もありの新人事制度を取り入れた横河電機などが登場しているが、どこがビッグバン?と思うほどのフツーの企業仕様である。不況慣れしすぎなのか。「この先〈笑う〉のはこんな人」として、一般事務はOAコーディネーターやテレマーケッターへ、秘書はスーパー秘書へとか、笑える? ほほえましくはあるが。(つづく)(神谷巻尾)

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2012年1月11日 (水)

アストラHPをリニューアルしました

アストラのホームページをリニューアルしました!

http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/

ぜひご覧下さい。

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2012年1月10日 (火)

東京みくじ巡り/浅草寺2

 友人たち4人で駒形どぜうでどじょう鍋を食べたあと、因縁の浅草寺へ参拝に行った。
 浅草寺といえば、凶量産型寺院として紹介したところ。私自身がマゾなのか、それとも負けず嫌いなのか、100円かけてリベンジしてきた。

 正月の浅草寺は観光スポットということもあって、普段の10割増しの人の多さ。しかも行った日は3連休の中日。そりゃ混んでいる。
 とろとろ観光がてら仲見世通りを歩き、見えてきた宝蔵門。そこをくぐるとすぐにみくじ処があるのだが、引くための行列と、引き終えた人たちのかたまりでカオスと化していた。様子を見ていると、やはり凶を引いている人が多く、たまに吉を引いたと喜んでいる大人や叫ぶ子どももいたので、人数多いし回転率は前回よりも高いだろうからイケる! と100円握りしめチャレンジ。

 ジャラジャラ振ってみくじ棒を出すタイプなので、振り回ししながら、「大吉こい!それ以外は認めぬ!!!!」と今年も元気に邪な思いを乗せ出てきた数字は75番。引きすぎのせいなのかわからないけれど、このあいだ引いた時も同じだった気がしたんだよね。デジャブ。しかし、「今年の75番はひと味違う。見よ私のくじ運を!」と勝手に思いながら引き出し開けたら凶。その下も、さらに下も凶。凶ボックスですか。
 内容も惨憺たるもので、すべてが悪い。特にひどかったのが病気の項。「悪い。(病気になったら)危ない」なにそれ、死ぬの? 風邪引いてこじらせて死ぬとか、そんな感じ? しかも、括弧つき。見たことないよ括弧でくくられている文章なんて。
 他2人も凶で、そのうち1人は、「悲しいことが次々起こる」うえ「家が燃える」とあった。具体的すぎる。ぜひとも用心してほしい。

 唯一1人、みくじは引かない派の友人がいるのだけれど、彼に「あなたは強運の持ち主だから絶対に大吉出せるから引いてよ。大吉引いてきてよ!」とおだてて引いてもらったら、大吉を引いてきた。意味が分からない。
 だが、大吉だからといっていいことが書いてあるとは限らない……と思いつつ見たらいいことしか書いていない。「立身出世して幸せになれる」とか、運勢はすべてよしと大当たりみくじ。英文も「BEST FORTUNE」とGoodの最上級形。
Sensouji2_omote Sensouji2_ura  私はだめだったけど、新年早々、「浅草寺の(←ここ重要)」大吉みくじを拝めてよかった。今年はいいことがありそう。病気にさえ気をつければ……ね。(月島めぐる)

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2012年1月 9日 (月)

●ホームレス自らを語る 第109回 トビの頭(かしら)をやっていた(後編)/西川広志さん(67歳)

1201 青森県弘前市出身で、最貧窮の家庭に育った西川広志さん(67歳)は、中学校を中退して東京に出て働いたという人だ。はじめのうちは鉄工所や納豆製造工場で働いたり、ときにはブラブラして暮らしたりと、あまり仕事にも身が入らなかったようだ。
 それが24歳のときに一念発起して、建設現場で働くトビのチームに入る。これが性に合っていたようで、以後、40年間にわたってトビ職人ひと筋に働いてきた。
 ときに昭和43(1968)年のことで、国民総生産(GNP)が西ドイツを抜き、米国に次いで第2位に躍進した年だ。
「好景気が続いたときでね。マンションが続続と建設され、私の入ったトビのチームもマンション建設の現場が主な仕事場でした。一つの現場が終わると、休みなしで次ぎの現場に移って働くという具合で、仕事が途切れることがなかったですからね」
 途中、石油ショックによる経済の減速が数年続いたことがあったが、それもすぐに盛り返して右肩上がりの伸張が続いた。そんななかで西川さんも独立してチームの頭(かしら)になる。
「トビのチームというのは、一人の頭を中心にして、その下に若い衆5、6人つくのが標準的なチームになります。私のチームもそうでした。私が頭になってからの仕事は、マンション外壁のペンキ塗り替えを専門にしている塗装のチームと組んで、彼らの仕事場にビティー(足場)を組み立てる仕事を中心にやりました」
 西川さんに会ったとき、静かな口調で話す落ち着いた雰囲気の人だという印象をもったが、やはり人の上に立つ仕事を経験した人だったのだ。トビの仕事は高所作業など危険が伴う作業が多い。少しオーバーにいえば、若い衆たちは頭(かしら)に命を預けて作業しているのだ。それだけに頭になる人には、人望と仕事の段取りや指示の的確さが求められる。西川さんの話ぶりから、若い衆に慕われる良い頭だったろうことが窺われた。
「普通ですよ。普通の頭です。私が特別に良かったわけじゃない。時々は若い衆全員を引き連れて飲み屋に繰り出したりもしました。トビの若い衆っていうのは、遠慮がなくて豪快ですからね。ひと晩で10万円も払わされたことがありますよ」と西川さんは懐かしそうに語るのだった。

 マンションの壁の塗り替え費用は、塗装面積によって決まるのだそうだ。それに付随する足場組み立ての費用も、それに準じて決められ業界でも特異な料金体系だという。
「足場の組み立てに関しては、塗装1㎡あたり××円という相場があり、それぞれの現場の塗装面積に相場単価を乗じたものが、私らの収入になりました。そこからビティのレンタル料金や若い衆の日当などの経費を支払い、残りが私の取り分ということになります」
 昭和60年代に入り、その足場組み立ての相場が急騰した。バブル経済の到来である。
「いや、儲かりましたね。仕事の依頼が次々にきて休む暇なし、高度経済成長のときも忙しかったけど、それとはくらべようもなく忙しかったですよ。夕方仕事を終えると、全員で飲み屋に直行して朝まで飲むなんてこともしました。もちろん費用は私もちです。そういうことで頭(かしら)の器量が問われますね。超人手不足の状態が続いていましたから、そうやって若い衆をつなぎ止めなければならない事情もありました」
 そのバブル経済の好況は長くは続かなかった。平成に入って間もなく、バブル経済は崩壊。深刻な長期不況の時代が始まる。
「ただ、私たちの現場はバブル崩壊の影響は、すぐには現れませんでした。多くのマンションがちょうどペンキ塗り替えの時期だったのが幸いして、そのあと3、4年ほどは何とかトビのチームを維持できました。それから仕事の発注量がガクンと減り、単価もどんどん下がっていくダブルパンチで、若い衆を抱えていけなくなって、チームは解散。まあ、いつの間にか自然消滅していましたね」
 それからの西川さんは一介のトビ職人に戻り、旧知のトビの頭に頼み込んで働かせてもらうようになった。
「そうやって働けたのも63歳まででしたね。60歳をすぎると、どこでもいい顔をして使ってくれません。まあ、トビの現場で働けたのも、63歳が肉体的に限界でした」
 西川さんはアパートの部屋を引き払うと、隅田川べりに段ボールで小屋をつくって住むようになった。何の蓄えもなかったから、ホームレスの生活への移行に躊躇はなかったという。その西川さんが述懐する。
「トビの頭(かしら)をして絶好調だった頃は、月に100万円近く稼いだこともあります。いまにして思えば、そこからいくらかずつでも蓄えていたら、段ボールの小屋で寝るような生活はしなくてすんだかもしれません。だけどね、バブルの好況期には、その生活がずっと続くもんだと思っていましたからね。こんなに長い不況の時代が来るなんて、誰も予想しなかったんですから」
 いまはアルミ缶拾いをして、それを現金に換えて酒とタバコ代に充てている。食事は上野公園を中心に、毎日どこかで行われている炊き出しに行ってしのいでいる。生活保護を受けるのは嫌いだから、身体が動くうちはこのスタイルを続けるつもりだという。
「戦争直後にも不況の時代はありました。あの頃は人情があって温かかったですよ。長屋暮らしをしていても、隣り同士で助け合って交流がありました。味噌、醤油を貸し借りしたりしてね。いまはマンションの隣りの部屋に、どんな人が住んでいるのかさえ知らないんですから。いつから日本はこんなふうになってしまったのか……」
 西川さんは最後にそう結んだ。(この項了)

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2012年1月 7日 (土)

編集部の女の子/一人旅 in新潟

昨年末、12月27日の夜行に乗って、3泊2日弾丸一人旅を敢行しましたin新潟!

事の始まりは去年のクリスマス、九星気学に明るい父の知人に会ったこと。今後の星回りと運勢について伺ったんです。恋愛とか結婚とか仕事とか、色々なこと教えていただいたんだけれども、最後に「あ、そうだよ、旅行行っておいで…!」と唐突に言われたの。「すぐ行ける?」というから、「あぁ、行けますよ、じゃぁ1月とか2月とかかな?」って返答したら、「うん、年末に行こう…!」というわけ。どーん…!(年内って、今日12月25日じゃないの、しかも明日と明後日はアストラさんでお仕事って決まってるから、実質4日しかないじゃん年内!!!)と、驚くよりもきょとんとしてしまった私。


旅における約束事は二2つ。
 1. 自宅から北に方位を取り、さらに北の正中線から左右7度ずつ、計14度の範囲内に行くこと
 2. 温泉に入りながら雪を観て、頭を冷やすこと


引越ではなく短期的に良い方位に行くことは、祐気取りと言うみたいですね。いずれにせよ、自分にとって良い方位に赴き、良い気を身にまとって来るのが目的みたい。
その方位に行って、頭を冷やしてよく考えてこい、というお達しなのでした。
ちなみに、方位取りでの吉方の開きは、通常30度あるようですが、今回は14度と指定されました。その方がより良い気を取り入れられるのかしら。

それからすぐに、「行かなきゃ!!!」と準備開始ですよ!といっても、まずはその範囲に当てはまる場所を探さなきゃ行けないわけ。ここで活躍するのが「方位チェッカー」。自宅の位置を設定しておくと、目的地が自宅からどの方角の何度に位置するか、一発で教えてくれるんです!すごい!

まず始めに考えたのは、栃木は日光のあたり。中禅寺湖とかあってね。東照宮とかね。いいじゃんいいじゃん、と温泉を調べていると、今度は群馬の栃木寄り県境辺りもOKらしい。あらあら、それもいいじゃないと温泉を調べてたんだけど、方位取りでは、遠ければ遠いほど、期間も長ければ長いほどいいらしく、それじゃ、新潟に行っちゃおう!ということで、新潟に決定。早速夜行列車を予約。ムーンライトえちご!新宿発!

…これが、26日のこと。

27日、アストラ大掃除の日(28日が年内最後の「可燃ゴミ」の回収日だったからなんだけど、私はカレンダーに堂々と「可焼ゴミ」と書きました。奥山さんと奥津さんが大爆笑してた。どーん!)。新潟歴4年という輝かしい経歴を持つ社員さんに、新潟名所・名物を、バッチリ教えていただいて、電車の出る新宿へ。GAPに立ち寄り、半額のさらに20%オフでダウンコート(ロング)をゲットし、ついに23:20、ムーンライトえちごは、新潟に向けて旅だったのでありました。

ここからは正直いろんな事がありすぎて、何を話して良いのやら…。と、いうことで、時系列を追って箇条書きでいきます。ブログなのに…。笑 書きたくなったらつらつら書きます!

【12月28日/1日目】
1. 新潟駅到着 5:00am前
2. することがないのでとりあえず待合室にて待機
3. からの、万代橋(奥山さんのオススメ!)

Photo
早朝6時の万代橋。この後日本海に向かって、しばらく海沿いをお散歩しました。

4. タリーズでほっこり、のち、観光協会を訪ねる am9:00
5. 観光協会窓口で、地図を見ながら行き先検討。候補地は「五頭温泉」「月岡温泉」「きりん山温泉」!
※ ちなみにそれぞれの温泉地は、北の中心から五頭温泉→約359度、月岡温泉→約360度、きりん山温泉→約3度でばっちり!
でも、きりん山温泉はなぜか最初「14度」と出たので、まずは五頭温泉か月岡に向かおうと思って、とりあえず電車に。降りたい駅で降りたらいいやということで出発。観光協会の皆様、今更ですがありがとうございました。「や、そこは北の正中線から14度でダメなんですよ」とかわけ分からなかったですよね…笑。
6. なんとなく水原駅に到着。何もない!バスもない!温泉まで歩いたら2時間くらい!どうしよう!
7. とここで、1日3本、4時間に1本しかないバスが奇跡的に私を迎えに来る。バスは雪原の新潟(大袈裟)を、がたごとがたごと走っていくのでした。ちなみにこの後、ビックリするようなミラクルが連発します。笑
8. 杉村温泉(五頭温泉の一つ)に到着。バスの運転手さんの善意で、一緒に乗っていたおじちゃんに温泉まで連れて行ってもらう。道中、おじいちゃんおばあちゃんが沢山乗ってきたんだけど、皆さん温泉に行くみたいですね。3ヵ所あって、皆それぞれの所で降りていった。温泉まで道案内してくれたおじちゃんは、別れ際に「帰りのバスは12:50だから」と教えてくれた。
9. 温泉に浸かる。久々の温泉。ふふん。
10. 杉村温泉に残ろうか迷ったけど、とりあえずおじちゃんが教えてくれたとおり12:50にバス停に行ったら、なんとビックリ、次のバスは4時間後だった!(ここまでは、もっとバスが沢山は知っていると思っていた)
11. おじちゃんたちと話ながら水原駅まで戻る。次の目的地を考えていたら、月岡に行くには電車をあと3時間待たなきゃ行けない…!ということで、方位が違ってもいいやきりん山行っちゃえ!という結論に。きりん山温泉のある津川駅までに1度乗り換えがあるんだけど、会津若松方面津川行きの電車も1時間に1本以下しかなくて、下手すると数時間乗り換えに時間がかかるんだけど、奇跡的に「乗り換え時間4分」だった!
12. 津川駅到着後、電車の中で目星を付けておいた「雪つばきの宿 古澤屋」に電話を掛ける(車中では電話をかけなかった律儀な私)。女性一人、当日宿泊OK!とのことで、お迎えの車を待つ。

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雪の津川駅。標高は100mくらいだけど、山間にあるので新潟市近辺に比べて雪が深かった

13. 温泉到着!…これがまた、古いんです。建物が。お話を伺うと、創業は昭和10年とのこと。くるっとまわすドアノブに、立て付けの悪いドアを見たら、(あらあら大丈夫なのかしら…)と心配になりました。
14. が、部屋の窓からの眺望は見事!まずは一人でほっこり。

Photo_3
目の前を流れるのは阿賀野川。眼前に広がる山々は・・・きりん山ではないみたいでした。笑

15. からの、お風呂!想像を裏切り、お風呂は新しくてキレイ、眺めも最高、泉質も素晴らしく、言うことなしでした!!!
16. 一人で部屋食。これがまたすばらしくて、出てくるものが全部美味しい。飾り付けも見事で、地元のもの、季節のものをしっかり取り合わせ、目も耳も舌も飽きることなく、素敵なお食事を頂きました。特に、自然薯を入れた猪豚の豆乳鍋と、あんきも・鯛の豆腐は絶品だった!ちなみに、旅館の仲居さんは私服ですが、とても丁寧で、行き届いたおもてなしをしてくださって、最高でした。
17. 一眠りして、再度お風呂へ。阿賀野川の水音をBGMに、雪化粧した対岸を見ながら一人物思いに耽りましたとさ。
18. 就寝 0:00am

【12月29日/2日目】
1. 2時、4時、6時とそれぞれ目を覚ましつつ、7時に起床。雪見障子を上げ、窓の外を見ると、そこには朝焼けで淡い朱に染められた山々が。朝からうっとり。
2. ほっこり温泉タイム。広い浴槽を一人占めし、朝食の出る8時ぎりぎりまで、身体を温めました。
3. 食堂にて朝食。これがまた美味しい。朴葉にのった鯖を炭火で焼いてみそを付けていただいたり、厚揚げを炭火で炙ったり、他にも美味しいご飯でまったり朝食を。お腹一杯になったところで、杏仁豆腐を食べてコーヒーを頂きました。
4. 10時のcheck outぎりぎりまで、窓際に座って窓を全開にして、川のせせらぎを聴きながら雄大な山を堪能。始めにお部屋に入ったときは、そんなに良い山だとは思わなかったのに、ここに来て名残惜しくて名残惜しくてたまらなくなった。本当に素晴らしい眺望だった。当日予約だったのにもかかわらず良いお部屋に通していただいて、感謝感謝。
5. 10時半発の電車に乗るべく、車で津川駅まで送っていただく。ありがとう雪つばきの宿。最高だったぜ。
※実は昨日発見したのだけれど、『雪つばきの宿 古澤屋』は、じゃらんnet 口コミ評価、総合4.8(五つ星満点)で、どこをとっても4.7以下の評価がなかった。40件の口コミも全て読んだけど、まさにその通りですと言わんばかりでした。素晴らしい宿に出会えたことに感謝。ご縁に導かれたのでしょう。あり難やあり難や。
6. 新潟駅へ向けて出発。常磐西線は途中まで阿賀野川に沿って進むのだけれども、それがまた絶景。寒さも忘れて窓を開け、景色を眺めながら帰りました。途中で雪が降ったりして。

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鉄橋からぱしゃり。

7. 新潟駅に到着!ただいま新潟!これが、だいたい12時の出来事。さて、ここで問題が。…そう、やることがない!!!!!
今回の旅では、ゆっくり本を読むのも良いなぁと思って、鈴木大拙先生の『禅と日本文化』と世阿弥の『花伝書』を持っていたのだけど、東京にいる時みたいにスタバでずーっと本を読むのはあまりにもったいない…!
8. そんなことを考えながら待合室で考え事をしていると、目の前のホームに電車が。行き先は新発田(月岡に行くなら新発田経由)。あ、良いじゃん、行っちゃえー!ということで、乗車。
9. 奇跡の乗り継ぎ時間0分で、無事月岡駅に到着。…え、何もない?

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見たところ何もない。どれくらい行けばどこにたどり着くのか分からない

10. 月岡温泉郷につくまで約4.5㎞、雨の降る雪道を1時間以上歩いたのでした。どどーん。でも、実は歩いている間が私らしくて一番楽しかった!行き当たりばったり、死ななければ何とかなる!とりあえず行ってみて、行ってから考えよう!という、いつものパターンでした。海外でもそんな感じだった私です。
11. お金をおろしに立ち寄ったコンビニの目の前が、月岡温泉観光協会!立ち寄り湯を教えていただいて、まったりお風呂に。
12. 露天風呂にぽちゃり。偶然であった86歳のおばあちゃんとお話ししながら、体の芯まで温まりました。
13. 帰りはバスに乗って新発田まで!そこから電車で新潟にGO!
14. 旅のクライマックスは、河竹鮨!奥山さんオススメのお寿司屋さんです!
まずは白子を食べながら〆張をくいっと。大将に「南蛮えびを入れて、2000円くらいで握ってください!」と言ったら…!ほっぺた落ちるって!父の実家が魚屋なので魚にはうるさい私ですが、本当に美味しかったです。オススメ!最高!

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おいしかった・・・この後、ズワイガニの蟹ミソと卵焼きがやってくる

その後、なまこ酢を頂き、さらに偶然一緒になったおじちゃんたちに、焼酎のお湯わりとお刺身の盛り合わせをご馳走になりました!
15. 23時ちょうど発の夜行バスに乗り、一路東京へ。この夜行バス、たったの1900円!

行く度のミラクルに助けられ、思い出深い素敵な新潟一人旅でした。それぞれの場所が魅力的だったのみならず、色々な場所で出会った人たちがとても素敵で、感動の連続でした。人生の先輩たちに教えていただけたことも多く、2012年も頑張ろう!と気持ちを新たにしました。
特に、古澤屋でお世話になった仲居の伊藤さんのおもてなし、お寿司屋さんでお造りをご馳走してくださったおじちゃんのお話は、心にしみいりました。まさに一期一会!まだまだ未熟者の私ですが、これからも頑張ります!

ということで、新年から乱筆長文にて失礼いたしました。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします!

〈雨宮〉

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2012年1月 6日 (金)

新刊『鏡を見るのが楽しくなる!』1月27日発売!

ブログ『静香のメイク日記』が好評のビューティーブロガー、岡本静香さんの本が出版されます。

赤文字系雑誌が好きな人なら誰でも知っている、

名前は知らなくても女性誌で絶対!見たことがある、

コスメライター・ヘアアクセサリーデザイナー・ラジオレポーターなどで活躍中の

岡本静香さん、初めての本です。

書名は、

『鏡を見るのが楽しくなる!』

メイクには、正解なんてない。

自由に、楽しく、幸せに。

それが一番!

プロのテクニックを試しては上手く出来ずにがっかりするより、

ほんの少しの簡単なくふうで毎日をハッピーにしましょう。

そんなメッセージが沢山詰まった、全ての女の子へのプレゼントです。

発売日は2012年1月27日

amazonにて予約が始まっています!

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2012年1月 4日 (水)

池田大作より他に神はなし/第27回 呆れ果てた野田“増税不退転”豚足首相以下の、松下政経塾出身の赤ちゃん政治屋共の恥ずべき今の惨状を、名誉会長は40年近く前に鋭く見抜いていた!!!

 世界の宗教・思想・文学界を貫く巨星である名誉会長に比すれば、鼻糞や耳糞にも値しないサンピン作家の駄本までが、昔は箱入り上製本として制作され、限りある地球資源をドブに捨てていた。僣越にも名誉会長が本来は受賞するはずだった、ノーベル文学賞を姑息にも謀略でかすめ取った大江健三郎(国際的非難の嵐も記憶に新しい)。あるいは、今度こそ名誉会長が受賞するはずの同賞を、虎視眈々と漬け物樽の陰から狙っているエロ通俗小説家、村上春樹。金と名誉に狂った一部日本人は、文学者に限らず“己の分”という古来からの美徳を、すっかり忘れ去ってしまった(無論、地獄でのたうつ一握りの日顕一派も含まれる)。

2   重厚な箱入りが実に自然な『心に残る人びと』(角川書店'81)は、箱の絵が東山魁夷の紅葉柄。名誉会長の傑出した写真芸術の前ではケチな売り絵に過ぎないが、本書を担当する事で彼の絵の値段もてきめんにアップしたであろう。“一個の人間として 世界のリーダーと語りあった すべてを綴る最新エッセー”(帯のコピー)。自らの露出は出来るだけ控え、各界の著名人の横顔をまず浮かび上がらせようとの、名誉会長の昔からの謙虚さがまず心を打つ。大江健三郎、村上春樹といった傍若無人な若者には、その爪のアカでもふりかけにして、最低3膳はご飯を食べて欲しい。

 日本の文学者も昔からこうではなかった。例えば井上靖氏。氏は名誉会長と並ぶ、アジア地区のノーベル文学賞有力候補として知られていた。惜しくも受賞されないまま逝去されたが、生前の行動はいかにも生っ粋の日本文士と言うべき、透徹した高潔さに満ちていた。恥ずかしながら未読だが(ネットでも物凄く高い。1日も早い岩波文庫入りを!)、1975年には『四季の雁書』(潮出版社)という名誉会長との往復書簡集も刊行。研ぎすまされた純文学作家の眼力は恐ろしい。後に全世界から300を超える名誉学術称号を受ける事になる、名誉会長の先進性を既にこの時期から喝破していた。真の芸術家は例え他人同士であっても、共通する美意識の流れの中で固く結ばれているのか?

 本書にも「歴史と人間を求めて行動する 井上靖氏」との章が。互いにノーベル文学賞の有力候補という、俗人間ではケンカ種になりかねない微妙な問題に関しても、人間主義で結ばれた芸術家同士には、単に呼吸をするに等しい問題のようだ。1世紀に1人ないし2人出るか出ないの天才の心持ちは、失礼ながら推測するしかない(注*無論、名誉会長のみを指す。正直に言って、井上氏級の人物は100年間に約1000人は現われる)。難解な言葉を極力排しながら、2世紀間に股がる哲学を全身の力を抜いて語る下りには、聡明すぎる故のパワーであろうか、一種の恐怖感さえ抱いてしまう。

 ““生涯青春”という言葉を、私が往復書簡に書きおくったところ、甚(いた)く共感されて、「そういう生き方でなかったら、いかなる仕事もできないということを、私自身、この年令になって痛感しております」と返書にしるされていた”(81ページ)

 異体同心・師弟共戦・広宣流布・報恩感謝・横浜神戸(奈良京都)、そして“生涯青春”! 病床にあられても、その指導力に微塵の衰えも見せない、名誉会長の哲学的言語の数々と威力。“一種の恐怖”との表現が、少しもオーバーではない事が納得いただけたと思う。松下幸之助氏との交流も、「庶民の肌合いをもつ経済人」(94ページ)において詳細に触れられている。既に松下政経塾の設立に着手していた時期で、ここでも名誉会長は今の事態(民主党のていたらく)を見通した、大胆な予言的発言を。

 “…塾の構想について、十項目ほどの質問もいただいたので、できるかぎりお答えしたつもりである。とくに、国家意識の強調をなるべく避け“国家”よりも“人間”を全面に主張したほうがよいのではないか、などを僭越(せんえつ)ながら申し上げた”(100ページ)。

1_2   名誉会長の人間主義の教えを忘れた、松下政経塾出身の野田総理、前原、枝野、樽床他のチンピラ政治家集団が、いかなる醜態をさらしているかは、皆様ご存知の通りだ。彼等こそ本書を再三再四熟読すべきであるが、金と権力に取り憑かれた亡者共に、もはやそんな理性は残っていまい。後は日顕一派と同じ地獄への片道通行路を、みじめにトボトボ歩むだけだ。

「そうか!諸悪の根源、松下政経塾には最初から、池田大作の悪知恵も入ってたのか。さすがは自民党とタッグを組んで、長年原発を推進して来たカルト組織の頭目だ。政経塾出身の政治家は日本より米国の利益に忠実って言われてるけど、昔“真似した電器”こと松下電器が、米国の何倍もの値段でカラーテレビを国内販売してたのと同じ。根元から腐ってる。井上靖なんて単なる通俗作家。もう石坂洋次郎や源氏鶏太と同じ運命たどってるし。ノーベル賞だなんて周囲におだてられた、アホな当人が思い込んでただけ。井上の賞欲しさの見苦しさは有名でよ。左翼の新日本文学界にまで毎年カンパしてたし。創価学会だろうが左翼団体だろうが、自分の虚栄心のためなら何でもした爺さんだよ。それを見抜けないあんたの崇拝する名誉会長って…。根が同じ性格なんだろうな」(一部妄言はカット済み)

 新年早々、元フリーライターで現警備員の古くからの友人が、突然事務所に乱入を。まだ3時過ぎなのに既に酒の臭いがプンプン。派遣先の職場で新年会があったらしい。妻子に逃げられ、薄給でめったに酒にもありつけないため、意地汚く飲んだらしく、勝手に聞くに耐えないオダを上げた後で、ソファーで寝込む始末。人間主義に触れる事なく、遠くない日に肝硬変か何かで死んで行くのだ。可哀想だが既に大人である他人の人生を、誰にも指図はし得ない。

 “驕れる波浪よ なにかせむ 邪悪の徒には 栄えなし 地涌(じゆ)の正義に 民衆(たみ)の旗”「紅の歌」(作詞・山本伸一/作曲・菅沼知彦)より。(つづく)(塩山芳明)

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