●ホームレス自らを語る 第109回 トビの頭(かしら)をやっていた(後編)/西川広志さん(67歳)
青森県弘前市出身で、最貧窮の家庭に育った西川広志さん(67歳)は、中学校を中退して東京に出て働いたという人だ。はじめのうちは鉄工所や納豆製造工場で働いたり、ときにはブラブラして暮らしたりと、あまり仕事にも身が入らなかったようだ。
それが24歳のときに一念発起して、建設現場で働くトビのチームに入る。これが性に合っていたようで、以後、40年間にわたってトビ職人ひと筋に働いてきた。
ときに昭和43(1968)年のことで、国民総生産(GNP)が西ドイツを抜き、米国に次いで第2位に躍進した年だ。
「好景気が続いたときでね。マンションが続続と建設され、私の入ったトビのチームもマンション建設の現場が主な仕事場でした。一つの現場が終わると、休みなしで次ぎの現場に移って働くという具合で、仕事が途切れることがなかったですからね」
途中、石油ショックによる経済の減速が数年続いたことがあったが、それもすぐに盛り返して右肩上がりの伸張が続いた。そんななかで西川さんも独立してチームの頭(かしら)になる。
「トビのチームというのは、一人の頭を中心にして、その下に若い衆5、6人つくのが標準的なチームになります。私のチームもそうでした。私が頭になってからの仕事は、マンション外壁のペンキ塗り替えを専門にしている塗装のチームと組んで、彼らの仕事場にビティー(足場)を組み立てる仕事を中心にやりました」
西川さんに会ったとき、静かな口調で話す落ち着いた雰囲気の人だという印象をもったが、やはり人の上に立つ仕事を経験した人だったのだ。トビの仕事は高所作業など危険が伴う作業が多い。少しオーバーにいえば、若い衆たちは頭(かしら)に命を預けて作業しているのだ。それだけに頭になる人には、人望と仕事の段取りや指示の的確さが求められる。西川さんの話ぶりから、若い衆に慕われる良い頭だったろうことが窺われた。
「普通ですよ。普通の頭です。私が特別に良かったわけじゃない。時々は若い衆全員を引き連れて飲み屋に繰り出したりもしました。トビの若い衆っていうのは、遠慮がなくて豪快ですからね。ひと晩で10万円も払わされたことがありますよ」と西川さんは懐かしそうに語るのだった。
マンションの壁の塗り替え費用は、塗装面積によって決まるのだそうだ。それに付随する足場組み立ての費用も、それに準じて決められ業界でも特異な料金体系だという。
「足場の組み立てに関しては、塗装1㎡あたり××円という相場があり、それぞれの現場の塗装面積に相場単価を乗じたものが、私らの収入になりました。そこからビティのレンタル料金や若い衆の日当などの経費を支払い、残りが私の取り分ということになります」
昭和60年代に入り、その足場組み立ての相場が急騰した。バブル経済の到来である。
「いや、儲かりましたね。仕事の依頼が次々にきて休む暇なし、高度経済成長のときも忙しかったけど、それとはくらべようもなく忙しかったですよ。夕方仕事を終えると、全員で飲み屋に直行して朝まで飲むなんてこともしました。もちろん費用は私もちです。そういうことで頭(かしら)の器量が問われますね。超人手不足の状態が続いていましたから、そうやって若い衆をつなぎ止めなければならない事情もありました」
そのバブル経済の好況は長くは続かなかった。平成に入って間もなく、バブル経済は崩壊。深刻な長期不況の時代が始まる。
「ただ、私たちの現場はバブル崩壊の影響は、すぐには現れませんでした。多くのマンションがちょうどペンキ塗り替えの時期だったのが幸いして、そのあと3、4年ほどは何とかトビのチームを維持できました。それから仕事の発注量がガクンと減り、単価もどんどん下がっていくダブルパンチで、若い衆を抱えていけなくなって、チームは解散。まあ、いつの間にか自然消滅していましたね」
それからの西川さんは一介のトビ職人に戻り、旧知のトビの頭に頼み込んで働かせてもらうようになった。
「そうやって働けたのも63歳まででしたね。60歳をすぎると、どこでもいい顔をして使ってくれません。まあ、トビの現場で働けたのも、63歳が肉体的に限界でした」
西川さんはアパートの部屋を引き払うと、隅田川べりに段ボールで小屋をつくって住むようになった。何の蓄えもなかったから、ホームレスの生活への移行に躊躇はなかったという。その西川さんが述懐する。
「トビの頭(かしら)をして絶好調だった頃は、月に100万円近く稼いだこともあります。いまにして思えば、そこからいくらかずつでも蓄えていたら、段ボールの小屋で寝るような生活はしなくてすんだかもしれません。だけどね、バブルの好況期には、その生活がずっと続くもんだと思っていましたからね。こんなに長い不況の時代が来るなんて、誰も予想しなかったんですから」
いまはアルミ缶拾いをして、それを現金に換えて酒とタバコ代に充てている。食事は上野公園を中心に、毎日どこかで行われている炊き出しに行ってしのいでいる。生活保護を受けるのは嫌いだから、身体が動くうちはこのスタイルを続けるつもりだという。
「戦争直後にも不況の時代はありました。あの頃は人情があって温かかったですよ。長屋暮らしをしていても、隣り同士で助け合って交流がありました。味噌、醤油を貸し借りしたりしてね。いまはマンションの隣りの部屋に、どんな人が住んでいるのかさえ知らないんですから。いつから日本はこんなふうになってしまったのか……」
西川さんは最後にそう結んだ。(この項了)
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