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2011年12月25日 (日)

元・サイテイ車掌の田舎日記/映画三昧

○月×日
 んだ。
 娯楽だと思う。
 映画を2日間続けて観てしまった。月曜日から金曜日までの毎日、午後1時からやっているNHKのBSシネマだ。
 「スティング」(70年代作品)と「黒い罠」(50年代)の2本。約2時間、どちらも息もつかせず釘づけとなってしまった。
 「明日に向かって撃て」(60年代)で有名なダンディで知的な大スターのポール・ニューマン。ニッカウイスキーの髭のおじさんでも知られる、これまた大スターのオーソン・ウェルズ。他、往年の女優たちも皆美しく、懐かしいスターばかりだった。また、2作品とも、ハラハラドキドキの連続で、これほどの緊迫感を味わったのは久しぶりだと後でいえても、映画を観ている最中は雑念などの入り込む余地はない。結局は悪が滅びて正義が勝つというメデタシメデタシの結末だったが、それにしても面白かった。
 おれは普段は映画は殆ど観ないし、全く知らない。知っているものといったら、20代までに観た昔のものばかりだ。世の中には映画好きの人は多いはずだ。それは音楽や読書も然りで、何でもいいから夢中になれる趣味を持つことはとてもいいことなのだろう。
 好きな者同志で語り合うのもいい。それこそ楽しい。また、講釈を垂れるのも御託を並べるのも一向に構わない。もはや芸術だ、とか、あれはいただけない、カスだ、論外だとエラソーに知ったかぶりでもいいから、したり顔でどんどん大いに論じてほしい。
 だけどね。おれには娯楽だ。ただの娯楽でしかない。音楽も読書もみ~んな娯楽だと思う。エンターテイメントに難しいことはいらない。誰にも分かりやすい、強いていうなら単純なものがいい。人は誰にでも、何でもいいから自分だけの娯楽があればいい。

○月×日
 んだ。
 そういえば、あったのだ。
 図書館で何気なく借りてきた「もぎりよ今夜も有難う」を何気なく読んでいると、酒田の映画館のことが書かれていたのでビックリした。
 著者は「片桐はいり」。あのえらの張った四角い顔の個性的な女優さんだ。彼女がアルバイトをしていたもぎり時代のことや当時の映画館のことなどのエッセイ集だ。
 この人もどうしようもないほど映画が好きで好きで生きてきたんだなぁと、感心しながら読んでいた。すると、昨年仕事で酒田へ来たことが書かれてあった。そこには今はない懐かしい映画館「グリーン・ハウス」のことが。しかも、「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」という本のことまで書かれていたから二度ビックリ。というのは、この本は昨年おれが酒田に来た時に何気なく本屋さんに行ったら、平積みされていて、長すぎるこのタイトルに惹かれて何気なく買ってしまった文庫本だったからだ。
 内容は「グリーン・ハウス」の支配人だった故佐藤久一氏の人となりについてだったが、この人が酒田では一番有名な酒造会社「初孫」の御曹司であったことはおれも知っていた。当時、酒田と東京を行き来していた国鉄の列車の車掌に賄賂?を渡した話などを面白く読んだが、おれと文通している出版社の人がまた大の映画好きで、差し上げてしまったので今はもう手元にはない。
 この「グリーン・ハウス」が世界一だという噂は中学生の頃から耳にしていたが、映画にはとんと興味がなかった田舎者のおれにはそんなことはどうでも良かった。ちなみに、中高生の時にここで観たという記憶があるのは「卒業」「白い恋人たち」「ある愛の詩」「ウッドストック」「レット・イット・ビー」ぐらいだ。懐かしいね、どれも。
 それにしてもこの映画館にまつわる話は多い。まず、昭和51年(76年)。この映画館が火元で、酒田はおりからの強風で中心部がそっくり丸焼けとなった。日本では戦後4番目という大火となってしまったが、実に2年半という短期間で復興を遂げ、後の阪神淡路大震災復興のモデルともなった。これほどの大火にもかかわらず死者は消防長ただ一人だった。焼け野原の中に本間様の邸宅だけが何故か無傷で残った。あちこち親戚知人宅に手伝いに行き、帰ったら自分の家が焼けてなくなっていた。おふくろ一人暮らしだった実家の家財一式運び出されて空っぽになっていた。以上、話は多いといいながら火事のことだけで終わるが、おれが国鉄に入社してちょうど1年目の出来事だった。
 では、何故この映画館が世界一なのかは佐藤さんのこの本をぜひお読み下さい。
 いろいろあったなあ。何だか片桐はいりが好きになったよ。今度は「かもめ食堂」のDVDでも借りて観てみようかな。

○月×日
 んだ。
 また思い出したよ。
 映画で思い出したが、中学の時に生徒会長と二人で観に行った時のことだ。確か、「白い恋人たち」だったと思う。今思えば本当にばか気ているのだが、この頃は学校指定の映画というものがあり、それ以外は観てはいけない決まりになっていた。ビートルズでさえも不良の音楽だから聴かないようにという社会の風潮があった時代だ。
 そしたらその映画館に生徒指導の先生がいて、この映画は学校指定ではないと注意されたのだった。しかも、生徒会長がこれでは困ると、結局、無かったことにするからすぐに帰宅しなさいというのだった。おれは生徒会長と一緒で助かった、運が良かったとは思わなかった。もし、おれ一人だったらどうなっていたのかと怒り心頭だったのをよく覚えている。先生に従い一人外に出たおれは(生徒会長は先生と話をしていたのかも)電信柱に蹴りを入れ、傍らにあったゴミのポリバケツをコナゴナに出来るはずはないが、ま、そのようにしてウップンを晴らしていたのだった。大人のいうことに論理的に反抗できるような子どもではなかったおれが、学校も教育委員会も大人も信じられなくなったのは多分この辺りからだったように思う。
 そんなおれだから、父がいなかったおふくろは一人でずいぶんと心配したはずだ。その証拠に家には親戚のおじさんがよく来て、ビートルズを聴くなとまではいわなかったが、いつも説教をされていたことを思い出す。
 昨年おれは酒田に戻り、担任の先生たちが相次いで亡くなっていることを友人から知らされた。おれは今この時期を逃すと先生たちは皆死んでしまって一生会えなくなると、早速担任を訪ねて行ったのだった。
 約40年振りの再会だった。担任は目をパチクリさせながら発した第一声は、「あ、あのビートルズの典雄君か?」であった。覚えていてくれて本当に嬉しかった。懐かしい話で盛り上がり一時を過ごした。担任はおっしゃった。おふくろはおれのことを心配してしょっちゅう学校へ来ていたと。おれのおふくろほど来た人はいなかったと。
 あぁ、やっぱりそうだったのかとおれは思った。おれの出席日数が足りない分を、担任はおふくろの分を加算してくれたから卒業できたんだと・・・・。
 思い出すと恥ずかしいことばかりだが、いつもビートルズに夢中だったおかげで大したグレもせずにここまでやってこれたんだと、今でもそう思う。おふくろも担任もビートルズも皆ありがとうなのだった。(斎藤典雄)

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