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2011年12月

2011年12月27日 (火)

東京みくじ巡り/浅草神社

 浅草の有名観光スポットといえば雷門、仲見世通り、浅草寺ですが、浅草寺本堂横に浅草神社があるのはご存じでしょうか。
 ここの祭神は土師真中知命(はじのまつち)、檜前浜成命(ひのくまのはまなり)、檜前武成命(ひのくまのたけなり)で、もとは漁師だったらしい。浅草神社のホームページ(トップページはフラッシュが使われていたり、内容も充実している)に詳細があるので興味のある方はみてください。

Asakusajinja1_2   ここのみくじは100円で両面印刷。この形式はデジャヴだけれど気にしない。御神籤と書かれている面に運勢が書かれていて、神の教の面にはなんと説教が!
 最近の気になることといえば、旅行。行きたい場所はあるものの情勢不安定だったり、旅行代金より燃油サーチャージのが高いで条件の折り合いがつかず悶々としていたが、どうやら「旅行 利なし ひかえよ」とでたので納得。神様はなんでもお見通しなのか。

Asakusajinja2  今まではおみくじを引くと個別の運勢と吉凶にばかり目に行ってしまってたけれど、最近は上部(みくじによって場所は違うけれど)にある総合運のような部分と説教のが大切なのではないかと思うことがしばしば。今後の指針として参考になることが多く、今回も「何事にも心動かず常業を守れば幸があり、心迷うときは人にたぶらかされ身のおき所に苦しむ」って、移ろいやすい私の心に対して警告を与えてくれている。
 言っていることは至極まっとうで正論なので、かえってずっしり重く心に響く。大量生産だからといって馬鹿にしてはいけない。占いもいいけど、道に迷ったときは利害の関係ないみくじにすがってみるのもいいかもしれない。価格は占いの10分の1。(月島めぐる)

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2011年12月26日 (月)

『ホームレス自らを語る』電子書籍配信

本ブログでもお馴染みの連載「ホームレス自らを語る」。

のちに『新・ホームレス自らを語る』『転落』と、2冊の続刊を出すことになる『ホームレス自らを語る』は

1999年に発刊されました。

月刊『記録』と共に歩んできた長寿連載の単行本化第1弾が、電子書籍として再登場。

立ち読みだけでも是非!

ホームレス自らを語る

電子版 500円(税込)

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2011年12月25日 (日)

元・サイテイ車掌の田舎日記/映画三昧

○月×日
 んだ。
 娯楽だと思う。
 映画を2日間続けて観てしまった。月曜日から金曜日までの毎日、午後1時からやっているNHKのBSシネマだ。
 「スティング」(70年代作品)と「黒い罠」(50年代)の2本。約2時間、どちらも息もつかせず釘づけとなってしまった。
 「明日に向かって撃て」(60年代)で有名なダンディで知的な大スターのポール・ニューマン。ニッカウイスキーの髭のおじさんでも知られる、これまた大スターのオーソン・ウェルズ。他、往年の女優たちも皆美しく、懐かしいスターばかりだった。また、2作品とも、ハラハラドキドキの連続で、これほどの緊迫感を味わったのは久しぶりだと後でいえても、映画を観ている最中は雑念などの入り込む余地はない。結局は悪が滅びて正義が勝つというメデタシメデタシの結末だったが、それにしても面白かった。
 おれは普段は映画は殆ど観ないし、全く知らない。知っているものといったら、20代までに観た昔のものばかりだ。世の中には映画好きの人は多いはずだ。それは音楽や読書も然りで、何でもいいから夢中になれる趣味を持つことはとてもいいことなのだろう。
 好きな者同志で語り合うのもいい。それこそ楽しい。また、講釈を垂れるのも御託を並べるのも一向に構わない。もはや芸術だ、とか、あれはいただけない、カスだ、論外だとエラソーに知ったかぶりでもいいから、したり顔でどんどん大いに論じてほしい。
 だけどね。おれには娯楽だ。ただの娯楽でしかない。音楽も読書もみ~んな娯楽だと思う。エンターテイメントに難しいことはいらない。誰にも分かりやすい、強いていうなら単純なものがいい。人は誰にでも、何でもいいから自分だけの娯楽があればいい。

○月×日
 んだ。
 そういえば、あったのだ。
 図書館で何気なく借りてきた「もぎりよ今夜も有難う」を何気なく読んでいると、酒田の映画館のことが書かれていたのでビックリした。
 著者は「片桐はいり」。あのえらの張った四角い顔の個性的な女優さんだ。彼女がアルバイトをしていたもぎり時代のことや当時の映画館のことなどのエッセイ集だ。
 この人もどうしようもないほど映画が好きで好きで生きてきたんだなぁと、感心しながら読んでいた。すると、昨年仕事で酒田へ来たことが書かれてあった。そこには今はない懐かしい映画館「グリーン・ハウス」のことが。しかも、「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」という本のことまで書かれていたから二度ビックリ。というのは、この本は昨年おれが酒田に来た時に何気なく本屋さんに行ったら、平積みされていて、長すぎるこのタイトルに惹かれて何気なく買ってしまった文庫本だったからだ。
 内容は「グリーン・ハウス」の支配人だった故佐藤久一氏の人となりについてだったが、この人が酒田では一番有名な酒造会社「初孫」の御曹司であったことはおれも知っていた。当時、酒田と東京を行き来していた国鉄の列車の車掌に賄賂?を渡した話などを面白く読んだが、おれと文通している出版社の人がまた大の映画好きで、差し上げてしまったので今はもう手元にはない。
 この「グリーン・ハウス」が世界一だという噂は中学生の頃から耳にしていたが、映画にはとんと興味がなかった田舎者のおれにはそんなことはどうでも良かった。ちなみに、中高生の時にここで観たという記憶があるのは「卒業」「白い恋人たち」「ある愛の詩」「ウッドストック」「レット・イット・ビー」ぐらいだ。懐かしいね、どれも。
 それにしてもこの映画館にまつわる話は多い。まず、昭和51年(76年)。この映画館が火元で、酒田はおりからの強風で中心部がそっくり丸焼けとなった。日本では戦後4番目という大火となってしまったが、実に2年半という短期間で復興を遂げ、後の阪神淡路大震災復興のモデルともなった。これほどの大火にもかかわらず死者は消防長ただ一人だった。焼け野原の中に本間様の邸宅だけが何故か無傷で残った。あちこち親戚知人宅に手伝いに行き、帰ったら自分の家が焼けてなくなっていた。おふくろ一人暮らしだった実家の家財一式運び出されて空っぽになっていた。以上、話は多いといいながら火事のことだけで終わるが、おれが国鉄に入社してちょうど1年目の出来事だった。
 では、何故この映画館が世界一なのかは佐藤さんのこの本をぜひお読み下さい。
 いろいろあったなあ。何だか片桐はいりが好きになったよ。今度は「かもめ食堂」のDVDでも借りて観てみようかな。

○月×日
 んだ。
 また思い出したよ。
 映画で思い出したが、中学の時に生徒会長と二人で観に行った時のことだ。確か、「白い恋人たち」だったと思う。今思えば本当にばか気ているのだが、この頃は学校指定の映画というものがあり、それ以外は観てはいけない決まりになっていた。ビートルズでさえも不良の音楽だから聴かないようにという社会の風潮があった時代だ。
 そしたらその映画館に生徒指導の先生がいて、この映画は学校指定ではないと注意されたのだった。しかも、生徒会長がこれでは困ると、結局、無かったことにするからすぐに帰宅しなさいというのだった。おれは生徒会長と一緒で助かった、運が良かったとは思わなかった。もし、おれ一人だったらどうなっていたのかと怒り心頭だったのをよく覚えている。先生に従い一人外に出たおれは(生徒会長は先生と話をしていたのかも)電信柱に蹴りを入れ、傍らにあったゴミのポリバケツをコナゴナに出来るはずはないが、ま、そのようにしてウップンを晴らしていたのだった。大人のいうことに論理的に反抗できるような子どもではなかったおれが、学校も教育委員会も大人も信じられなくなったのは多分この辺りからだったように思う。
 そんなおれだから、父がいなかったおふくろは一人でずいぶんと心配したはずだ。その証拠に家には親戚のおじさんがよく来て、ビートルズを聴くなとまではいわなかったが、いつも説教をされていたことを思い出す。
 昨年おれは酒田に戻り、担任の先生たちが相次いで亡くなっていることを友人から知らされた。おれは今この時期を逃すと先生たちは皆死んでしまって一生会えなくなると、早速担任を訪ねて行ったのだった。
 約40年振りの再会だった。担任は目をパチクリさせながら発した第一声は、「あ、あのビートルズの典雄君か?」であった。覚えていてくれて本当に嬉しかった。懐かしい話で盛り上がり一時を過ごした。担任はおっしゃった。おふくろはおれのことを心配してしょっちゅう学校へ来ていたと。おれのおふくろほど来た人はいなかったと。
 あぁ、やっぱりそうだったのかとおれは思った。おれの出席日数が足りない分を、担任はおふくろの分を加算してくれたから卒業できたんだと・・・・。
 思い出すと恥ずかしいことばかりだが、いつもビートルズに夢中だったおかげで大したグレもせずにここまでやってこれたんだと、今でもそう思う。おふくろも担任もビートルズも皆ありがとうなのだった。(斎藤典雄)

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2011年12月23日 (金)

OL財布事情の近年史/第60回 これじゃあ自活出来ません! 1997年、不況の影?(後編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

前回のつづき。

『週刊女性』は、「“不況”に負けないオンナはここが違う!! OL100人の財布の中身を徹底調査」、(98年7月7日号)、「隣の会社の給与明細 100社緊急アンケート」(98年9月8日号)と、立て続けに財布調査を実施している。

 「“不況”に負けない~」では、「みんな意外と地味な生活を送っていることに驚かされるはず」という。その根拠が「洋服代が月に5万円超えるのは9人だけ」というのはいいとして(ただし3万円以上で数えると39人)、「だからといって貯金に燃えているわけでもない。財形積み立てをやっている人でも、月に5万円未満が9割」とか、「現金を持ち歩かないこと。(略)ほとんどの人がクレジットカードを持つことで、急な出費にも備えている」って、それ地味なの? なんで? あと「時節柄か、W杯フランス大会のツアーに大枚はたいた人も7人いた」が、「チケットに払えるのは10万円までかな」というコメントに、「シッカリ締めているあたりはさすが。そんな堅実なOLだから…」と続くのはどうなのよ。

 「隣の会社の~」の方も、年収が減った人は100人中13人、逆に増えたのが57人と、不況の余波はOLの元まで到達していない模様。「あなたの会社はこの不況を乗り越えられそうですか?」という質問にも、「大丈夫。大企業だから」(生命保険・27歳・年収500万円)、「ウチがつぶれたら、この国ごとダメでしょう」(都市銀行・28歳・年収379万円)「乗り越えられると思う。気力で」(家具製造販売・28歳・年収300万円)など、危機感が希薄な回答が目立つ。しかし、「ノーコメント」回答者を見ていくと、判で押したようにシステムエンジニアと、プログラマー。これは業種的に切実な状況にあるのか、同じ会社で箝口令が敷かれてるのか。不況は実際にどんな影響が出ているか、との問いには「会社が暗いので、自分まで落ち込みがちになる」(自動車販売・25歳・年収300万円)、「備品のチェックが厳しくなって、“お持ち帰り”ができなくなった」(特許事務所・24歳・430万円)とか、小さっ! 「日本が不況だと、私たちは幸せになれないの?」って、なれないんですよ!おーい!
 つまり、日々の細かなやりくりと、社内の半径3メートルくらいを気にするだけで、不況をやりすごすことができた。それが当時の「OLの賢さ」だった。だがそのミクロ視点に甘んじているうちに、世の中は派遣時代に移行、OL自体が解体されてしまうのは、もうまもなくのことのようである。(神谷巻尾)

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2011年12月20日 (火)

元・サイテイ車掌の田舎日記/逞しい男、今年最後の漁、鮭のゆく道

○月×日

 んだ。
 逞しい男なんだよ。
 もう何度も見たが、日本海という大海原にひとり悠然と立ち向かっていく、漁師さんが船で港から出ていく姿というのは実に惚れ惚れとしてしまう。これぞ男の仕事だという頼もしさが大きく膨らんでいくばかりだった。
 広大な青い海は、いくら穏やかでキラキラと輝く波が大勢の人の心を癒してくれる奥深さがあっても、3・11の大津波のように何もかも一瞬にして呑み込んでしまう、人間には太刀討ち出来ない悪魔の凶器に一変する一面もあるというのに、それでも男は海に憧れる。それは男にしか分からない、海だって恋をしているからだよ。なんてね、でも本当に素晴らしいことだ。
 人はいくら辛く苦しいことがあっても、やっぱり楽しいことがあるからこそ生きていけるのではないのかとも思う。
 それにしても漁師さんの話はいつも面白い。2メートル近いシイラを釣り上げた時だ。船上で大暴れするシイラを押さえつけ、針を外そうと格闘していたら不意に一撃を食らい暫く気絶していたのだという。気がついた時には海へ逃げていなくなっていたそうだ。もう残念で「おら知いらね」とふて腐れるしかなかったそうな。
 そんな漁師さんでも大きな蟹を網から取り外す時はすごく手際よい。おれは鋏に挟まれないようにビクビクしながら苦闘しているというのに、あっという間に太いゴムで縛り上げて一丁上がりとくる。いくら漁師さんとはいえ勇気がいると思うが、初めはこうでなかったはずだけどね。
 また、鮭が生まれた川に戻るのは嘘なんだとか。初めて聞いたが、先頭を行く鮭が時には間違い別の川に入ってしまうと、後ろの鮭が釣られてゾロゾロ付いていくというのだ。鮭も人間と同じで、いい女がいればあっちにこっちにと、オスはメスを追いかけて間違った人生(この場合は魚生か?)を送ってしまうという。ホンマかいな。
 おれのように手伝いに来た人も多くいたそうだ。中にはそれこそ卑しくて、魚をやるといってもいないのに勝手に持ち帰ったり、船のシートなどに隠していたりとあまりにも図々しいから即刻クビにしたとか。ま、おれと同じで魚を貰えるのが楽しみで来ているのだろうが、非常識にも程がある。そんなこんなでいつまで聞いていても飽きることがない。
 先日、おれは漁師さんへのお礼の意味で東京から極上の和菓子を送らせた。また、友だちからは漁師さんにやってくれと旨そうな煎餅が送られて来た。早速それを届けに行くと、漁師さんはいきなり「オレを殺す気か~」と大笑いしながら喜んでくれた。何やら糖尿と高血圧で甘いのしょっぱいのどちらもダメなのだそうだ。で、酒もやらないと。
 おれは沖へ出たことはないが、網をたった一人で引き上げたりする醍醐味はやった漁師さんじゃないと分からないことだろう。これからも様々な武勇伝を聞かせてほしい。
 もはや海の怖さも漁師さんは皆知り尽くしている。だから潮の匂いの染み込んだ顔であんなに豪快に笑えるのだし、酒飲みのおれにもあたたかくてやさしく接してくれるのだと思う。
 違うよね、やっぱり。逞しい海の男は。

○月×日
 んだ。
 あぁ、おしまいか。
 今年最後の漁だった。
 「明日来れるか~」。漁師さんからの予期せぬ電話だった。このところ時化が一向に収まる気配がなく、この日も2メートルから1.5メートルの波予報だったので、「今日も明日もダメだな」という落胆より今年はもう漁には出られないと半ば諦めかけていたところだった。だからなおさら嬉しかった。日本の将来を、いや、まるでおれの明日を決定するかのようにウキウキしてしょうがなかったのだ。港で船を待つ気持ちはまず無事を願うことはもちろんだが、おれには大漁しかなかった。
 漁師さんはいつものように船着き場に勇ましくも慎重に船をつけた。「波高(た)げけ~」「魚あんまりいねけんども、まずまずだの」と地元の方言だが、おれには分かるからそれでいい。それでも船内には期待通り鮭がゴロゴロしていた。
 作業をしていると、「大漁だったか~」と船の傍を通る他の漁師さんが声を掛けてくる。漁師さんはやっぱり「ホレ、持てげ~」で、その漁師さんは「塩引きにでもするか」と大きな箱に6本ももらって行ったのだった。おれはいつものように3本もらい、イクラもどっさり持たされた。
 あぁ、おしまいか。そんな感慨でいっぱいになった。遠くを見上げると雪の鳥海山がデンと構えていた。湾内はウミネコだけが鳴いている静かな海だった。明日も出来そうに思ったが、もうこれで終わりだ。本当に楽しかった。毎日がお祭り騒ぎだった。こんな思いをさせてもらって、漁師さんにはどんなお礼も感謝もしようがない。
 家に帰ると早速宅急便で送った。これで友人との約束も果たせた。あとは、これは年越し、これは正月用といつもより丁寧に、そして、しみじみと捌いた。
 あぁ、おしまいか。沈むのが早い冬の太陽のように、一日が思い切りよく、日々は駆け足で過ぎて行く。

○月×日

 んだ。
 定だよ。
 鮭の生涯についてチト考えさせられてしまった。
 鮭は川で生まれて海を何年か回遊すると70~80センチくらいまで成長して再び母川へ戻る。そしてこの生まれた所で産卵と放精して数日で死んでしまう。これはよく知られていることだ。
 今回捕れた鮭はこれまでの銀色とは違い殆どが薄い黄色に変色し、赤っぽい縞模様がついていた。今まさに川に遡上する寸前なのだと漁師さんが教えてくれた。
 酒田ではこのような鮭は弱っているからあまり美味しくないと敬遠されているのだとか。そんなことはないよ、という人もいるから食べてみないことには分からない。
 でもテレビでは村上(新潟県)の三面川に遡上した鮭のことが暮れになるとよく放映されている。ここでは家の軒下などに塩引きした鮭1本そのままを干してあるのが冬の風物詩として有名で、年越しの大御馳走だといっていた。だから広く食べられているのだと思う。
 漁師さんはこいつらはもう死ぬだけだよと何の疑いもなく力強くいい放ったが、鮭はそれこそ最後の力を振り絞ってゴール間近の母川へ行く最中だったのだ。そう思ったら、ちょっぴり感慨にひたっちゃってね。それなのにおれってば、家で風呂に入いると一日の疲れがふうっと抜けたのと同時に、さっきまでのことなどケロッと忘れてしまったのかさてさてやるかと食べてしまったのでした。とても美味しかったけどね、おれは。
 しかし、こういうことは考えると切りがない。かわいそうだなんて思ったら食べるものがなくなってしまう。これは生き物全てにいえることで、割り切るしかないのだ。命の連鎖として、鮭が人間に食べられてしまうことはしあわせだと思うしかない。鮭もサケては通れない定だと思い諦めてほしい。人間の勝手な思い込みで悪いけど。(斎藤典雄)

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2011年12月18日 (日)

元・サイテイ車掌の田舎日記/「何やってんの?」「なんなんだよ」「東京だよ、おとっつあん」

○月×日

 んだ。
 何やってんの?なのだ。
 おれがよく聞かれることは、お前いつも何やってんの? だ。おれは何もやっていないと答える。また、55で会社を辞めてお母さんのことは分かるけど何やってんの? だ。おふくろとはいつも一緒にいるわけではない。誰だってそうだろ、何もやっていないと答える。そしてまた、そんなに早く起きて何やってんの? だ。明るくなるのを待っているだけだ。何もやっていないと答える。
 とにかくおれは何もやっていないことになっている。だから時には白い目で見られて軽蔑されたりする。でもそんなことは構わない。人がどう思おうと勝手だ。全然気にしない。おれは音楽を聴いたり本を読んだり好きなことばかりやっているが、もちろんそれだけでは一日は終わらない。
 会社で退職後の研修みたいなものがあり、時間が余るほどあって暇になるから、趣味を持てだの人や地域と関われだのボランティアでもしろだの、どこかで聞いたようなことばかり説教された気がする。
 いいではないか。何もしなくても暇でも。それもその人の生き方だろう。やることがないと思えば悲しめばいい。面白くないと思えば落ち込めばいい。お金がないと思えば働けばいい。ノイローゼだけは困るが、いい大人がそうなったら自業自得だとおれは思う。誰のせいでもない。冷たいようだがそんな人の面倒まで見ていられない。診てくれるのは医者だけだ。
 これまで長い間仕事をして来た。いつも何かに縛られて来た。それが社会なのは分かる。でももう嫌なやつとは会わなければいい。自分の好きなようにやればいい。社会のルールは守り、自由に生きればいい。ただそれだけのことだ。先のことは分からないが、おれはいつもそう思う。何やってんの? なんだけど……。

○月×日
 んだ。
なんなんだよ~、なのだった。
 いつもの床屋さんが何日経っても開かないので、仕方なく近所の別の床屋さんに行った。理容師さんがおばあちゃんだったが、今さら髪型なんてどうでもいいし、おれにとっては十分だった。今度からはここにする。だって、これまでより1200円も安かったのだ。なんなんだよ~。
 魚を送る発泡スチロールの箱が欲しいのなら市場の隣の焼却処理場に行ってみぃ、と漁師さんにいわれた。顔見知りになればタダでもらえるよと。行ってみたらナント30円だった。使用済みでも用が足せればいい。いつも400いくらかで買っていたのに。なんなんだよ~。
 おふくろのところにバスで行くと片道320円かかる。お客はいつも2~3人しか乗っていない。いや、人数の問題ではない。最近では市が運営している福祉バスとやらを利用している。こっちの方だと、どこまで乗っても料金は100円なのだった。なんなんだよ~。
 タッパーなどのちょっとしたキッチン用品が必要な時は近所のデパートの一階で買っていた。最近知ったのだが、四階に100円ショップがあったのだった。なんなんだよ~。
 夏のことだが、オクラが1袋なんと30円で売っていた。値札をよく見ると3袋なら100円と書いてあった。ん!?。超暑い日だったが、これが酒田だと思った。意味は違うが、なんなんだよ~。
 おふくろの冬用の靴下が足りないので用意しておいて下さいといわれた。近くのツルハ(ドラッグストア)にありますからと。行くと、2足で398円とバカ安だった。これまではスーパーなどで2足980円で買っていたのに。なんなんだよ~。
 おれはこのようなことが本当に多い。だからドッと疲れてしまうのだが、色々と工夫をすればずいぶんと倹約になるのだと改めて知った。今度からは魚も冷凍にするだけではなく、干物にすれば保存ももっと効くだろうと、ベランダに干してもカラスやハエなどから守る本格的な筒状の網を買ってきた。それなのに高波で海が荒れ、漁に出られない日が2週間以上も続いていて、魚はまだ手に入らない。これもまた、なんなんだよ~、なのだった。

○月×日
 んだ。
 東京だよ、おとっつあん。
 東京にいる息子から電話があった。久しぶりだった。何やら、パスポートの期限が切れたので戸籍謄本が必要だという。大至急送ってほしいと慌てていた。明日中に届くかどうかと気が気でない様子だった。「なら、今から飛行機で取りに来なさい」とおれはいった。どうせ日帰りできるのだから。そうしようかと一瞬迷っていたが、結局書留速達で送った。
 タイに出張なのだという。アパレル関係の仕事をしているのだが、何年か前も転勤で1年ほど上海で暮らしたことがあり、驚きもしなかったし心配もしていない。
 ただね。いつもギリギリにならないと動かない。今日できることでも明日でもいいなら明日しないで明後日でもいいかと考えている。いつも土壇場になってバタバタするのだ。弛くて甘いというかのんびりしすぎなのか、そんな性格は相変わらずだ。一人で気楽にやっているようだが、もう少ししっかりしてほしい。
 また、東京にいる末の息子の嫁さんは、実はナント、酒田の人なのだ。これには驚いた。東京で知り合ったそうだが、相手は全国どこの人か分からないではないか。それがあまりにも偶然な出来事だった。しかもこの子はおれが帰省しなくなって実家に連れてきたこともなく、酒田のことなど殆ど知らないからだ。人の縁とは本当に不思議だとしかいいようがなかった。
 そんなわけで、おれがこっちに戻ったら酒田の親戚が一つ増えてしまったのだ。色々とお世話になっているが、とっても明るい家庭だった。明るすぎるのだ。いや、それもそのはず、家業が今は少ない、地域の電気屋さんだったのだ。この通り驚きの連続だったが、本当に良かったと思っている。
 子どもたちは東京で楽しく暮らしてくれれば、それでいいよ。じゃあね、また。(斎藤典雄)

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2011年12月16日 (金)

OL財布事情の近年史/第59回 これじゃあ自活出来ません! 1997年、不況の影?(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 最近報道された「単身女性の3人に1人が貧困」というニュースに、衝撃を受けた。「貧困」とは、国民の平均可処分所得の半分未満で、07年調査をもとにすると年収114万円に満たない人ということになる。勤労世代(20~64歳)の一人暮らし女性の3割が、月収10万円以下で生活している、21世紀の日本。これは未曾有の不況だから仕方がないことなのか。いや、OLのお財布とともに日本女性の働き方を振り返っている今、問題の萌芽が過去にチラチラ見えてきて、心が痛むのである。

 さて1997年、山一ショックを機にOLは大きく変化、見渡せば女性誌も現実路線のお財布記事があふれていた。翌98年、女性週刊誌ではこぞって読者の財布調査を行っていた。それぞれ100人の女性に調査し、給料の使いみちや最近の大きな買物、前年との年収比較、あるいは会社の状況など、切り込んだ質問をしている。
 『女性自身』98年4月28日号「自活できないOLというお仕事 揺れる20代OL100人お金と働きがい全調査!」では、月給平均22万5千円、貯蓄平均243万円という調査結果。しかし「自活できない」というわりに100人のうち一人暮らしが3人のみと、親と同居の既存タイプOLが多数派である。年額賞与平均も79万円と高額で、「最近買った高価な物」には50万円のブルガリの時計、60万円の補正下着、80万円のお琴、20万円の化粧セットなど、バブル期と見まごう消費欲。コメントにも、「クレジットの返済と携帯電話で月5万円」(運送会社派遣社員・27歳・年収360万円)、「全部遊んで使い切っちゃう」(冷蔵倉庫管理会社事務・23歳・年収300万円)など、80年代感覚が未だ健在だ。一方、「給料は満足だが、この先これが限界」(医療関係契約秘書・26歳・年収344万円)、「昇給は1年千円」(歯科助手・27歳・年収320万円)、「社内規定で残業が減り、給料が減った」(大手食品会社・30歳・年収342万円)など、これから来る不況の影が、不気味に忍び寄ってもいる。

 『週刊女性』は、「“不況”に負けないオンナはここが違う!! OL100人の財布の中身を徹底調査」、(98年7月7日号)、「隣の会社の給与明細 100社緊急アンケート」(98年9月8日号)と、立て続けに財布調査を実施している。どちらも給料や使い方を聞いているのだが、こちらは「どうやってこの不景気を乗り切るか、答えは身近なOLが知っていた!」(7月7日号)「日本経済を支えるのは私たちOLという気持ちでいたいよね!」(9月8日号)と、“いかに私たちはうまくやりくりして生き抜いているか”というOLリスペクト視点が濃厚。それが少々変である。(つづく)(神谷巻尾)

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2011年12月13日 (火)

東京みくじ巡り/浅草寺

Sensouji1  他に類を見ない凶の量産地、浅草寺へ行ってきました。ここは凄いですよ! 今まで10回くらい行きましたけど、1度だけ吉を引いただけで、残りは全て凶。やっちゃいけないことだけど、みくじを取ったとき、ついでに下数枚を見たら凶しかなかった。驚愕の事実ですよ。もしかして吉を引くのは宝くじで1億円当たるくらいの幸運とか? 大吉とか見たことないし、存在するかさえもわからないけど、それ引いた人は間違いなく年末ジャンボ宝くじで3億当たるね。
 大吉が存在するかわからない、と書いたけれど、「浅草寺観音籤」の由来と心得という説明書きの中に、『観音籤には一番から百番まであり、その吉凶判断には“凶・吉・末吉・半吉・小吉・末小吉・大吉の7種類があり”ます』とあった。どうやら存在はする模様。いつの日か出会いたいものです。

Sensouji2  さて、みくじの内容ですが、日本語と英語の2言語で表記されています。「凶」もなんか悪そうな感じ(漢字)だけど、「BAD FORTUNE」(futureに見えていた……)の「BAD」もくるものがあります。内容は言わずもがな。ここでも「邪な欲望をもつな。人として間違ったことはするな。有言実行しろ。信仰しろ(要約)」と。そんなに邪悪なのかしら、私の心は。悲しくなってくるよ。

 このみくじで感じたことがひとつ。日本語の運勢欄を見ると、「良くない」という単語が使われている。実際のところ凶が出た時点で「悪い」のだから、「良くない」なんてマイルドな表現を使わず、大胆に「結婚・付き合い 悪い結果が待っています」とか「旅行 間が悪い」ってなかんじではっきり言ってくれればいいのに、と。英文のほうを見ると、「Marriage and employment are both bad.」とあって、「付き合い」って「仕事」のことだったのかい!と驚くと同時に、「both bad」とあっさりと「どっちも悪いよ」おっしゃってくれている。私だけなのかもしれないけど、みくじにおいて「良くない」という表現がどうしても気持ち悪く感じるのはなぜなのだろうか。
 この件を考え出すとみくじ巡りではなくなるので置いておくとして、浅草寺のみくじの凶率は驚くほど高いので訪れた方はぜひ一度引いてみてください!そして、大吉が出た方がいたらコメント下さい……。(月島めぐる)

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2011年12月12日 (月)

池田大作より他に神はなし/第26回 ゲーテ・黒澤明・池田大作。天才のみが到達した栄光とその孤独の中身に、凡人が浅はかにも想像を駆使してみたが…!?

  世の中、訳のわからない事が多すぎる。民主党政権になってその傾向がより極端に。その1。福島県の双葉町他の8町村が、原発事故で“世界最大の被害者”を自称するギャグ(12月3日にいわき市で総決起集会が)。今まで補助金漬けでウハウハだった連中が一転、レイプ被害に遭った処女並の振る舞い。鉄面皮!(ブリキの処女膜?)住民移転も積極的に推進せず、徴税権確保と自らの年収維持第一だった、ゴロツキ公務員どもの画策?良く納税者を前にシラフで寝言が吐ける(業者贈答の焼酎でもあおってた?)。

 その2。東電社員への賞与の支給。中国戦線での細菌戦で有名な、石井四郎中将率いる731部隊員へ、国民栄誉賞を授けるがごとし(池田名誉会長への世界からの、300を超える崇高な栄誉に比べれば天国と地獄!)。その3。NHKの受信料(正しくは”職員年収1000万円台維持税”)未払い者への訴訟。”電波の送りつけ商法”で、平均年収1000万以上を確保している、背広姿の地回り組織の狂乱行為。年収200~300万で生活する庶民への恫喝行為が、司法の御墨付きでなされる異常性(一時の武富士そっくり!)。日本は世界一の放射能テロ国家だが、国民は東電やNHK幹部への容赦のない復讐テロを実行しない限り、世界人民の笑い者だ。両社のガラス窓1つ割られないのは、国辱的光景だ。

1  そんな心がすさんだ時は、名誉会長の詩集のページをめくる。『詩集 広宣抄』(聖教新聞社’87)は、”日本のゲーテ”としてあまねく世界に知られる名誉会長が、フランス・イタリア・イギリス・ドイツ・カナダ、そして福岡の同志・一般の人々に向けて発した、20世紀後半を代表する世界水準の詩集だ(谷川俊太郎や荒川洋治レベルの、島国規模の詩人と混同しないで欲しい)。巻末には「母の詩集」までが収録。総アート紙・ハードカバーで保存性も抜群。森山大道と並ぶ日本を代表するカメラマンとして、欧州各地でもカリスマ的人気の、名誉会長の前衛的写真技術にも幾度も酔える(総カラー)。

 一行一行がすべて素晴らしいが、中でも名誉会長がその地に立ち、感動の余り発したであろう、次のような部分が特に好きだ。“おお 福岡!/火の国公布の源流にして…”(10ページ)“おお マロニエの/白き花咲く文化の国・フランス…”(35ページ)“ルネサンス!/おお ルネサンス!”(62ページ)“おお 女王の国を走りゆく/澄んだ瞳(ひとみ)の広宣の勇者たちよ…”(112ページ)“おお ゲーテ!/光線のごとき直観(ちょっかん)の響(ひび)き…”(122ページ)“おお ナイアガラよ!/偉大なる瀑布(ばくふ)よ!…”(140ページ)”おお カナダの友よ/新しき時代の…”(157ページ)

 現代詩にありがちな小手先の観念的テクニック、安っぽい絵葉書風の自己陶酔じみた押し売り、安易な重複表現がここには一切ない。細菌、いや最近惜しくも亡くなられた、公明党の元幹事長・冬柴鉄三先生がいみじくも喝破されたように、“20世紀の天才”のみが到達した、人類の叡智が素朴にゴロリと横たわっている。凡人はダイヤモンドの光沢のような言語魔術に、ただ翻弄されるしか術がない。中でも“時代を超えた詩友”、ゲーテと現世で対話するかのような構成の、次の部分には文豪同士で同時代を生きられなかった、名誉会長の無念と孤独感が漂っている。

 “彼は 万象(ばんしょう)の奥に目を向ける/究極(きゅうきょく)の運動原因を /人間の生命と生命の根底で/統(す)べている何ものかを/凝視(ぎょうし)し続けたのだ”(123ページ)

 文豪ゲーテを“彼”呼ばわりして、これほど自然な説得力を持つ人間が世界に何人いようか? かつて金権政治家・田中角栄は名誉会長を陰で、ハレンチにも“法華経を唱えるヒトラー”呼ばわりしたと。ゲーテのゲの字も知らない、成り上がり政治家の無知をあざ笑うのはたやすい。けれどこれは田中角栄個人の問題であろうか?嫉妬地獄に陥り易い、日本人全体の問題ではなかろうか。

2_2  だから逆に、海外では圧倒的な評価を名誉会長は受けている。多分、黒澤明監督の孤独を日本で一番深く理解した1人は、名誉会長である。写真芸術において圧倒的に評価されている名誉会長。退院したら是非、映画監督にもチャレンジして欲しい。無論作品は『新・人間革命』だ。主演の山本伸一役は、その風貌・知性からしてハリウッドスターでもある、渡辺謙以外はあり得ない(木村拓哉でも外貌がそっくりなので良いが、長髪を切らない主義らしいのでさすがに…)。(つづく)(塩山芳明)

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2011年12月11日 (日)

寺門興隆を読む/2011年12月号

 年の瀬。今年もそのうち「見出しアワード」をやりたいが、その前に12月号をしっかり読もうと思う。
 12月号の見出しは以下の通り。

僧侶妻帯訴訟/墓地事業と暴力団/原発被害賠償/福島の寺院幼稚園/教科書の仏教/在家出身住職/安否確認法/サンスクリット住職/お布施消費者問題/永平寺シンポ

 のっけからすごいのがある。「僧侶妻帯訴訟」。まさかと思いつつ記事を読むと、曹洞宗の僧侶を名乗る男が永平寺を相手取って「僧侶の妻帯は犯戒だ」と訴えたというのだ。すでに福井地裁が請求を却下したことで解決した案件だが、この記事では「もし貴宗派がこのような提訴を受けたらどう対応するか?」「壇信徒から『僧侶は妻帯していいのですか』と聞かれたら?」と、各宗派にアンケートを採っている。浄土真宗は開祖からして妻帯者であり、肉食妻帯を認めているのでこの質問は馴染まないが、他の宗派はどうか。アンケート結果で目立ったのが「寺の運営は女性字族の双肩にかかっているといっても過言ではない」といった言葉である。キビシイ不況を乗り切り、地域縁者へ心を配って寺を切り盛りしていくには、求道者の力だけでは足りないということか。僧侶・寺族あわせて7人からの真摯な回答もあり、かなり読み応えのある記事だ。

 そしてやっぱりまだまだ「原発問題」。寺院賠償請求の実際、福島の仏教圏の窮状を今号も伝えている。国の言うことが信じられず、「自分達でやるしかない」と独自に除染を始めたり、ガイガーカウンターを入手してこまめに線量を計ったりと、放射能との闘いは始まったばかりのようだ。

 毎度ためになる「法律相談」では、「ボケた母親が納めた戒名料は間違いなので返してほしいと言われた」という事態。喪主である母親が父親の葬儀の時に払った戒名料を、「母はボケているので間違った額を渡してしまった」と長男が申し出たらしい。これに対して弁護士は「お布施は寄付と捉えることができる」とし、寄付返還の必要性があるケースについて回答。でも最初に渡した額が200万円で、150万円を返してほしいと言われた事を思うと、「返してあげようよ」と思ってしまうけれど……。庶民にとって200万円はとにかく大金だ。

 気になるのが「つっぱり和尚の骨山日記」。病気のほうはいかに、と心配しつつ読み進めると、とうとう入院・手術らしい。祈るような気持ちで次号を待つ。(小松)

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2011年12月10日 (土)

元・サイテイ車掌の田舎日記/手紙好き、ゴマ日記、音楽でこころの旅

○月×日
 んだ。
 おれは手紙を書く。
 ハガキもだが、よく書く。一週間に2通は書く。手帳を見ると、先月が15通、先々月が12通だった。もう何年も前からのことだ。
 電話やメールで済むのにいちいち書く。そりゃあ電話もメールももちろんするが、緊急性がないからなのか、手紙を書く。で、書いたからといって、ちゃんと伝わらずにわけが分からなくなったりすることもあるが、手紙を書く。
 相手に届くまでの間がいいのかもしれない。だから返事が来るまでの間が、また良い。でも返事がない方が多い。それでも全然構わない。
 また、あんまり書きすぎて、誰にどんなことを書いたのか分からなくなってしまうことが良くある。が、同じようなことばかり書いているはずだから、それも構わない。
 読み返すことが出来るのも、好きな切手を貼れるのも、天気がどんなに悪くても届くのもいい。
 とある出版社の人だが、もう10年近くやりとりをしている人がいる。音楽の話が多くて楽しいことと、最近では親の介護で東京と実家のある高知へ行ったり来たりしているそうで、おれとの共通点もあり親近感を覚えたりしている。でも会ったことは一度もないのだ。また、おれのおばさんでもう90才近いのだが、いつも丁寧に必ず返事をくれる。おふくろのことを気遣ってくれてとてもありがたい。いつまでも元気でいてほしい。
 外で用を済まして、今日はもう何もないなと帰ったときに、手紙が来ているのは嬉しい。
 何もない日も、何かある。それがおれの手紙なのかもしれない。

○月×日
 んだ。
 ゴマとミョウガなのだ。
 おれは毎日食べている。ないと気が済まないわけではないが、癖になっているのかなんとなく心細くて物足りない。
 何でも美味しいから食べるというのが基本だが、ゴマは身体にも相当良いらしい。おれがうどんや納豆、豆腐などに使うのはすりゴマの方だ。ゴマは皮が堅くて噛んでもそのまま消化してしまうのだとか。ならばいりゴマの方は香ばしいだけだ。ゴマ本来の栄養が発揮されないではないか。そんなこともあり、おれはすりゴマにしている。
 また、おれはしないが、昔からゴマはするものだという世の中の教えもあったよね。
 ミョウガもまた美味しい。納豆やみそ汁などで毎日使う。スーパーでは10センチ近い立派なものが3個で130円もする。高知県産とあるが高いと思う。それが地元庄内産だと産直で一袋、両手いっぱいあって100円は安い。味は一緒だが、量こそ多いものの粒が小さくて見た目がよくないけど。
 このように、見た目がものをいう時代のようだ。柿や梨でも1個何百円もしたり、メロンやサクランボなどは何千円からとなっている。いったい誰が買うのだろうといつも思う。でも売れてなくなっている。だからどこが不況なのかとも思う。とんでもない世の中だな。
 あれ!?何を話しているのか分からなくなってしまった。ミョウガは食べると物忘れをするという言い伝えもあったよね。ということで…。

○月×日
 んだ。
 音楽だよね、やっぱり。
 懐かしい曲を聴くと、あの頃にタイムスリップしてしまう。
 幸せだったあの頃の記憶が一気に甦ってくる。無垢で純粋だったあの頃。何もかも新鮮に感じられたあの頃。流れに任せていればよかったあの頃。寒さも暑さもへっちゃらだったあの頃。夢だけで生きていられたあの頃。辛いことがあっても次の日にはケロリとしていたあの頃。不幸だなんて一度も感じたことがなかったあの頃。初めての体験全てが胸に深く刻み込まれてしまったからこそ、あの頃のことは忘れようとしても決して忘れることが出来ないのだと思う。そんなあの頃が、おれの目の前に果てしなく続く爽やかな青空のように広がるのだ。
 自然の風景や色彩はもちろんのこと、ニオイや味までもハッキリと感じ取ることが出来る。今なら許せるのに、どうしても我慢出来なかった、畑の肥溜や銀杏の臭い。酸っぱかった柘榴や苦かった蕗のとうの味。皆々、鮮やかに甦ってくる。
 過ぎ去ってしまった遠い昔へなど戻れるはずはないのに、こうして遙かずっと彼方へと連れて行ってくれる。日々の煩わしさやすさんだ心をキレイさっぱりと洗い流してくれ、安らぎと開放感でいっぱいになる。
 「待ってろよ、今すぐおれも行くからな」と、軽やかに小踊りでもしたくなるように、気持ちが優しくなれる、そんな曲。皆も聞いてみるといいよ、カモン、カモン~、カモン、カモン~。(斎藤典雄)

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2011年12月 9日 (金)

OL財布事情の近年史/第58回 オトコオンナ登場か?雇均法は新しい時代の夜明けか?真実の1997年(後編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
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前回のつづき。

『コスモポリタン』1997年9月号を読んでいる。

 記事では「2042人の給料、ウラとオモテ」として、収入額の裏に潜む、仕事の背景を探っている。回答者最高額、年収1002万円のテレビ局制作部26歳は、基本給は20万5000円だが、「時間外就業手当だけで70万円を超える月もあり、その際の残業時間は250時間」という超過剰勤務である。70万の残業代が出るのもすごいが、それ以前にその勤務時間は労働基準法に抵触しないのか。万一のことがあったら、確実に労災認定であろう。
 平均年収が高いのはテレビ関係、広告、医療関係、出版は、軒並み仕事がハードで長時間労働なのが特徴だが、記事ではこれらの業種にある格差にも注目している。テレビ関係の年収は平均615.2万円だが、番組制作の実務を担当する子会社の社員は、260万円、ボーナスも年額16万円。出版関係は、出版社が980万円から280万円と開きがあり、編集プロダクションはさらに下がって、最小額が260万円。業界内のピラミッド構造が、OLの財布にも直結している。
 また前掲のスチュワーデスも、JALで契約制が始まったのが1995年。同社では96年には1200名の契約社員が在籍する一方、プロパーの客室乗務員を含む社員の特別早期退職優遇制度が実施されたという。スチュワーデスが憧れの職業だった時代も、ここまでだった。

 女子保護規定が外れて労働時間も増えたうえに、契約、派遣などの雇用形態も増え、多様化がマイナス方面でも進行してきたといえよう。OLも食うために働くようになったと以前述べたが、満足に食えるまでに至らない層も生まれてきた。同調査では、副収入がある人が23.7%、4人に1人がダブルワークをしている。27歳貨物輸送会社事務の女性は、会社の寮を出てから家賃の支払が大変になり、勤務している会社で夜の時間にアルバイト。「時給1500円、月に約8万円」の副収入を家賃と光熱費にあてる。「会社の給料が安くて、バイトしないとやっていけない」という編集プロダクション23歳女性は、給料月収21万円。土日に居酒屋の店員で4〜5万円稼ぐ。このせつなさは、ここ最近の、未曾有の不況下のお財布記事と大差ない。
 さらに「金銭感覚、その理想と実際」では回答の統計がまとめられているが、注目は貯蓄の目的。なんと1位が「マンションを買う」で38%。2位結婚資金24%、3位海外旅行19%を大きく引き離して、自分の根城を手に入れたい、26歳女性。これをどう読み解くべきなのか、わからなくなってきたが、とにかくパラダイムはシフトした、ということは間違いない。(神谷巻尾)

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2011年12月 8日 (木)

鎌田慧の現代を斬る/第154回 オウム事件と原発事故がしめす教養の必要性

 11月21日、オウム真理教・元教団幹部の遠藤誠一被告の上告が棄却され、死刑判決がだされた。これで麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚以下、教団関係者13人の死刑が確定。さっそく次のような意見が出てきた。
「今後、法務省は松本死刑囚らの刑執行の検討を迫られよう。共犯者の公判が継続している間は執行を見送るのが通例だが、裁判終結により、執行の環境が整ったとも言えるからだ」(『読売新聞』2011年11月23日 社説)
「執行の順序については通常、判決の確定時期などが考慮されるが、別の法務省幹部は『絶対的な存在として教団に君臨し、犯行を指図したという事件の構図からいっても、まず首謀者の松本死刑囚について検討するのが筋だろう』との見方を示した」(『読売新聞』2011年11月22日)

 読売をはじめとするマスコミは、「首謀者」の死刑を早めるよう、うながす論調である。松本死刑囚は再審請求をおこなっているのに、死刑を強行するのは、あまりにも乱暴だ。
 また彼の精神状態で死刑執行できるかという問題もある。松本死刑囚の状況については、2011年11月22日の『毎日新聞』に次のように書いている。
「最近はほとんど言葉を発せず時折小声でなにかをつぶやく程度。日中はほぼ正座かあぐら姿で身動きしない。拘置所職員が食事を手伝うこともあったが、今は自分で食べている。家族が拘禁反応の治療が不十分として起こした訴訟の確定記録などによると、01年3月から失禁し、トイレを使ったのは07年に1度あるだけだという。逮捕時の長髪は短く切られ、ひげも落とした。風呂や運動を促せば反応がみられるが、家族らの面会には応じていない」
 彼が詐病だという説はあり、精神障害を主張する弁護士との争いになっている。しかしトイレを使うことなく失禁を繰り返し、身動きするしない状態を「詐病」だと断じるのにはムリがある。

 国連人権委員会は、いかなる形態であれ精神障害を抱えている人に死刑を言い渡したり執行すべきではないとしている。死刑そのものも認められるものではないが、精神に異常をきたしている人物に死刑を科すのはさらに残虐な行為といえる。
 死刑論者の急速な増加は、オウム真理教問題が端緒になった。事件前は、死刑を求める世論はこれほどまで強くはなかったからだ。
 鳩山邦夫議員が1年の法務大臣在籍中に4回もの死刑を実行、計13人を処刑したのも、オウム真理教問題からつづく世論の高まりがあった。政府の実施した09年の世論調査では、死刑「容認」が85%を超えた。世界的な死刑廃止の流れからみると、惨憺たる状態である。
 こうした世論を背景に、最近では未執行の死刑囚が過去最多の125人になったと報じる記事もでてきた。現在の法務大臣である平岡秀夫議員は、死刑執行について「慎重に判断する」との見解をしめしており、そうした姿勢にたいする圧力にもなる。

 一方、松本サリン事件で妻が意識不明の重体となり、警察とメディアから犯人扱いを受けた河野義行さんは、トレランス(寛容)に満ちた姿勢を表明している。
「事件は、必ず風化するものだ。教団、メディア、警察に対し、誰かを恨む気持ちはない。報道姿勢や被害者支援の在り方、住民票不受理といった行政の過剰な教団バッシングなど、事件で得た教訓を生かしてほしい。教団は観察処分となって11年が経過したが、果たして今でも無差別大量殺人を起こす危険性があるのか。そろそろ普通の生活に戻してあげたいとすら思う」(『読売新聞』2011年11月22日)

 14年間にもおよぶ寝たきりの生活をへて、妻は3年前に亡くなったという。それでもオウム真理教を受け継いだ宗教団体の人々にたいして、「普通の生活に戻してあげたい」との思いを抱くのはなかなか大変なことである。
 この記事の終わりが、また素晴らしい。
「妻が亡くなり、昨年、三回忌を終えた。これが私にとってオウム事件の区切りだ。だから、遠く離れた鹿児島に移住してきた。もちろん命日には妻を思うが、これからは自分のための人生を楽しみ、幸せになる」
 報復に取り憑かれたかのような死刑好きのマスコミとは、まったく異る思想である。

 オウム事件で本当にすべきなのは、被害者の救済を考えることだ。どう補償していくのか、それを解決すべきであり、被害者の生活を安定させるよう方策を講じる必要がある。被害者の救済に動かず、死刑だけが一方的に進んでも被害者感情は報われない。(談)

全文は→「1112.pdf」をダウンロード



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元・サイテイ車掌の田舎日記/ビートルズ、ビートルズ、ビートルズ

○月×日

 んだ。
 ジョン・レノンのあの声なんだよ。
 ビートルズによってカバーされた曲と、その原曲を聞き比べてみるのもまた楽しい。
 初期のビートルズは他人の曲をずいぶんと取り上げていたのだ。有名な曲からあまり知られていない曲まで、ビートルズがカバーしたことにより、もちろんビートルズもヒットさせたが、原曲の方が再びスターダムに上がったという例も実に多い。そればかりか、その曲自体がビートルズのモノのように定着してしまい、ファンの中でもビートルズの曲だと思っている人も大勢いたりする。ま、好きで聴いていればいいわけで、それはそれで構わないんだけどね。
 家にビートルズがカバーした原曲ばかりが収録されたCDがある。それは、主に50年代に活躍したアーティストのオリジナルが30曲収められている。例えば、ロックンロールの神様と絶賛されているチャック・ベリーの「ロック・アンド・ロール・ミュージック」や強烈な熱唱でロックンロールの王様といわれたリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」などだ。この2人は既に80歳を超えている大御所で、「あれはわしの曲じゃよ」「元祖はオレ様さ」と一笑に付され、相手になどしてもらえそうもないが、無礼承知でいわせてもらえば、軍配は断然ビートルズのカバーに上がるのだ、悪いけど。もはや、ビートルズ以上のカバーはない。それは、アレンジの上手さやサウンド面の良さもあるが、それだけでは決してない。ズバリ、ジョンのあの声によるものだと断言してよい。
 その当時、軟派少年だったジョンは「おれならもっと上手く歌えるぜ」とでもいわんばかりに、大人の色気たっぷりで、男の哀愁さえ漂わせ、うるわしいと思えるほどのあの声で、天性の実力なのか、それこそ縦横無尽に歌いまくっていたのだ。二十歳そこそこの小僧がだよ。
 おれは前にも何度か書いたが、ビートルズの魅力の殆どはジョンのあの声で占められているといっても過言ではないと思っている。「ミスター・ムーンライト」、あのやるせない声には誰だって一発でまいるさ。「ツイスト・アンド・シャウト」、あの掠れたハスキーな声はシャウトするのにぴったりだろ。「ベイビー・イッツ・ユー」、あのたたみかけるような説得力のある声にはどんな娘だってイチコロだよ。
 どの曲も挙げれば切りがない。さあ、頼むぜジョン。今日もおれをぶっ飛ばして、打ちのめしてくれ~!!

○月×日
 んだ。
 短すぎるんだ。
 「ヘルプ!」。今年も終わってしまうよ。「ジ・エンド」だなんていわせない。一日は長いが、そう、いくら「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」でも、一月が経つのはあっという間だ。一年のうちで12月ほど短かく感じる月はない。「エイト・デイズ・ア・ウィーク」ではないが、12月だけ31日以上に増やせないか。こうして12月は、ビートルズに思いを馳せる人も多いはずだ。
 そんなわけで、ビートルズを聴きながら冬のコートを着る。ビートルズを聴きながら北風に吹かれる。ビートルズを聴きながら電車に乗る。ビートルズを聴きながらプレゼンを選ぶ。ビートルズを聴きながらコーヒーを飲む。ビートルズを聴きながら本を読む。ビートルズを聴きながらイルミネーションを見る。ビートルズを聴きながら石焼き芋を買う。ビートルズを聴きながら夕暮れ時に佇む。ビートルズを聴きながらケーキを食べる。ビートルズを聴きながらワインを飲む。ビートルズを聴きながらクリスマスを祝う。ビートルズを聴きながら星空を見上げる。ビートルズを聴きながら眠りにつく。
 どうですか? これでリンゴの甘酸っぱい匂いでいっぱいになったと思うが、そう、ビートルズを聴きながらの12月は「恋する二人」には短かすぎる。NHKの紅白のスタッフにも、被災地で苦労している人たちにも、総理大臣にだって短かいと思うノダ。
 「イン・マイ・ライフ」で一年を、そして「イエスタディ」を静かに振り返るにはあまりにも短かすぎる。「レット・イット・ビー」だなんていわないでほしい。「家に帰れば」「ひとりぼっちのあいつ」に必要なのは「サムシング」?。それは「愛のことば」だ。「ア・ハード・ディズ・ナイト」はもうこりごり。「愛こそすべて」なんだから。「ヒア・カムズ・ザ・サン」で「レディ・マドンナ」と出会ったばかりなのに、どうして「ハロー・グッバイ」なのか。「涙の乗車券」などおれにはいらない。誰だって「恋に落ちたら」「抱きしめたい」。「フール・オン・ザ・ヒル」かもしれない。でももう一度「アイ・コール・ユア・ネーム」。「オー! ダーリン」、「アイ・ニード・ユー」「アイ・ウォント・ユー」。それにしても「君はいずこへ」。「アイム・ソー・タイアード」。誰かおれに「恋のアドバイス」を。「悲しみはぶっとばせ」、そして「恋を抱きしめよう」。そうさ、今日も「グッド・ディ・サンシャイン」。
 ちなみに、「」は全てビートルズの歌のタイトルです。12月分31曲あります。1日1曲、みなさんもどうぞ。それでは。

○月×日
 んだ。
 「あのヨーコ」なのだよ。
 おれは長い間、オノ・ヨーコさんのことをあのヨーコと呼んでいたんですよ。日本人女性で彼女ほど世界中に名前を知られている人はいませんよね。誰かいる? 挙げてみて下さい。ね、いないでしょ。瀬戸内寂聴だって美空ひばりだって、日本ではいくら偉大で有名でも、よその国の人に聞けば「誰それ?」といわれるでしょうよ。あのヨーコはジョン・レノンの奥さんだったからこそ知られるようになったわけです。
 で、おれにとってはまったくもって嫌な女性で仕方がなかったのでした。いや、おれに限らず、あの当時のビートルズのファンであれば世界中の殆どの人がそう思ったに違いありません。
 あの当時のおれといえば、まだ青い小僧の高校生でした。何よりも夢中になっていたビートルズの解散はそれはもうショックで堪りませんでした。おれのビートルズがあのヨーコによってぶち壊されたのだと彼女を心の底から憎んだものです。
 解散して一人になったジョンはすぐにソロアルバムを発表しました。その時のジョンは30才。その中に「ゴッド」(神)という曲があり、高校生のおれにも訳せた詩には解散以上の衝撃を受けたことを今でもはっきりと覚えています。ジョンはまるでゲームでもしているかのように世界中の著名人の名を挙げ、誰それを信じない、信じないと長々と歌い、最後に辿り着いたのは「ビートルズを信じない」とまでいい切り、おれの目の前を真っ暗にして、まっさかさまに突き落としたではありませんか。それはファンの誰もがそう感じとったと思います。そして、「ヨーコと自分だけを信じる。夢は終ったのだ」といってその歌は終わるのでした。
 もうね、それからというもの、ジョンとヨーコのいくら仲睦まじい写真やフィルムを見せられてもあのヨーコへの憎しみは増すばかりで、その怒りは沸騰点のまま冷めることは決してないのでした。
 解散の原因はもちろんあのヨーコだったわけですが、結局はジョンがヨーコとの恋に落ちてしまったからです。今思えばよくあることなんですよ。例えば、思春期の頃を思い出してみて下さい。何人でもいいから男女仲良しのグループがあったとします。その中で誰かが誰かを好きになってしまって二人は恋に落ちてしまったとします。どうなりますか。
 それまではなんの気兼ねもなくつき合えていた者同士だったのが、二人に気を遣ったり、何かしっくりいかなくなる。いつの間にかこのグループは空中分解していく。気がついた時には自然消滅していた。これですよ。これが拡大した全世界版がビートルズの解散だったのです。ただこれだけのことなんですよね。
 今ではあのヨーコのことを許せるようになって、オノ・ヨーコさんと呼んでいます。なぜ許せるようになったかといえば、もうそんなゴタゴタはどうでもよくなったから、ではありません。ジョンとヨーコの二人が本当に愛し合っていたのだと理解できるようになったからです。時間はかかりましたが、ただこれだけのことなんですよね。
 さぁ、ジョンとヨーコが世界中を暖かく包んでくれる曲。皆をやさしくしてくれる曲。そう、クリスマスの曲、「ハッピー・クリスマス」でも聴くとしましょう。きっといいことがあると思いますよ。そんな予感がします、文体まで変わってしまったのですから。お~しまい。(斎藤典雄)

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2011年12月 7日 (水)

元・サイテイ車掌の田舎日記/酒日記、おふくろ日記、捨てる!決意

○月×日
 んだ。
 杜氏さんに興味があったのだ。
 ここからすぐの所に蔵元がある。黒塗りの立派な塀に囲まれた、酒田では老舗の一つだ。町へ出るときはいつも通る。
 酒田へ越して来た頃のおれは、ここで何か手伝いをさせてもらえないかなぁと考えていた。もちろん無償でいい。つまり、ナンチャッテ杜氏をやってみたかったのだ。
 どういうわけか、酒田は人に物をくれることが本当に多いと思う。お国柄なのだろうか。とにかくごこかへ行く度に「ホレ、持てげ~」と菓子や野菜やらをくれるのだ。ない時は「ちょっと待で」と家の中をちょっとでは済まないくらい探し回ったりしている。それは飲み屋などでもそうだ。「家さ帰ったら食べれの」と果物や料理などをくれる。そういえばおふくろもそうだった。来る人来る人にくれていた。おれは家の物がなくなるのではないかと幼な心に心配したものだ。長くなったが要するに、杜氏さんの手伝いをすれば搾りたての酒を「ホレ、持てげ~」になるのではないかという期待があったのだ。まったく、ビンボー根性でどうしようもないが、おれはこの蔵元の前を通る度に数秒は立ち止まっていた。何か切っ掛けをつかむことは出来ないものかと、怪しいオッサン承知で中の様子をコッソリと窺っていたのだ。狭い酒田のことだ。「なんかヘンなやつがウロウロしてるぞ」と、もう既に蔵元の人に気付かれていたのかもしれないな。
 でも今は思いもしなかった漁の方を手伝っている。杜氏さんの件はひとまず脇へ置いておくしかない。暫くはこの蔵元の吟醸酒でも味わいながら今後のことをじっくり吟味しようと、早速1本買って来た。テーブルの前にドーンと置く。これさえあればいつも上機嫌なのだ。で、蔵元の名は、これがまた「上喜元」というのだから。ああ、まいった。

○月×日
 んだ。
 おふくろは施設に入っている。
 今の所でもう5年になる。週に2回は行くようにしているが、ちょっと遠いので1回の時もある。
 おふくろが好きな和菓子や旬の果物を持っていく。最近は家で蒸かしたさつま芋を続けて持っていったが、そんなに食べられないので少しだけだ。
 甘いものが大好きで、今年の七夕の短冊に「最中を腹いっぱい食べたい」などと子どもみたいなことを書いていたので笑ってしまった。後で聞くと、そんなことは書いていないというけどね。
 おれが行ってもベッドに横になったり、自分からはほとんど喋らないようになってしまった。おれは「食べたいものはあるか」「今度持ってくるから」と話すことは食べ物のことが多い。
 何でも「旨め、旨めごど~」と美味しそうに食べてくれるが、2~3分も経つと「このお菓子はどうしたの」と、おれが持ってきたことも、たった今食べたことすら忘れている。
 そんな状態だから、おれが行くと「よく来たね」とニコニコしながら最初は喜ぶのだが、その後の言葉は「ずっと来なかったね」で、まるで1年も来なかったみたいなことをいうのだ。その時以外のことはみんな忘れてしまっている。もはや、おれが何をやってあげてもダメというのか、しまいには、おれが若かった頃の親不孝ぶりを思い出すのか、「あんたのような人はいないものだ、それじゃダメだよ」と嘆いたり悔しがったりするのだ。つまり、ここ10年位のことは自分の記憶の中からすっぽりと抜け落ちていて、それ以前、昔のことは意外とよく覚えていたりするというわけだ。
 今となっては全てがどうしようもない。病状の回復は有りえない。全て仕方のないことだが、おれはおふくろが今を喜んだり笑ったり、そして安心したりで、今このときが大事なのだと思いながら生活が出来ればそれでいいと思う。おれの方も、おふくろがそう思いそう出来るように手助けをしてやっていくしかないのだと思う。
 さて、どういうわけか、おれは今年の4月から施設の利用者代表として役員にされてしまっている。酒田に来てまで二度とこのようなことはやりたくなかったのに、おふくろは本当に5年間も献身的なお世話をしていただいているので断り切れなかった。市の介護課の職員、地域の自治会長さん、施設の管理者ら2名とで当面の問題などを話し合う「運営推進会議」とやらが2ヶ月に一度ある。
 さっきもいったように、おふくろが気持ちよく生活できればそれでいいのだ。望むことはなにもない。

○月×日
 んだ。
 実家は荒れ放題だ。
 もう何年も住んでいないからカビ臭いばかりか、3・11地震では家の中の白い土壁が崩れ落ちてしまっていた。
 おふくろも既に高齢だったし、一人では掃除にしろ隅々まで行き届かなかったのも無理はないが、おれも帰省する度に「汚れているなぁ」と閉口したが、時間的にも掃除までは手が回らなかったし、老人一人暮らしの家なんてどこもこんなものだろうと諦めていたせいもある。
 いずれにせよ、昨年からは本当に少しずつだが整理して要らないものを捨てまくっている。大事な物はとりあえず運んだが、気が遠くなるようなゴミの山なのだ。
 もう二度と使うことはないと思ったり、迷ったりした物は即捨てる。そうしないといつまでたっても片付かない。馬の小便みたいにジョロジョロ長くてダラダラ続くような作業なんてまっぴら、早く抜け出したいのだ。こうして物はだんだんとなくなってはいるものの、隙間だらけの家だから埃だけは相変わらず増えている。
 また、いくらおふくろが住んでいたとはいえ、なんと雨漏りまでしていて、もう古いし使い勝手は悪いしでこの安いマンションにしたのだが、とにかく家の中を片付けて、キレイからっぽにするしかない。
 それにしても、懐かしい物が次から次へと出てきてしょうがない。遠い昔を思い出すばかりで、シゴトがちっとも捗らない。おれが幼稚園や小学校だった頃の物までしっかり大事にしまってある。でも捨てる。皆捨てるのだ。
 そうこうしているうちに、おれはなんて罰当たりなことをやっているのかといった、罪の意識に襲われるような嫌な気分になってきた。おれに罪は無いよ。いったいどうしろというのだ。
 バカヤローと弱く呟いている。誰にいうのでもなく、ただバカヤローと。チクショーと唇を強く噛んでいる。自分に対してだろう、ただチクショーと。もうバカヤローとチクショーしか浮かんでこない。一人でやけっぱちになっている。バカヤロー。チクショー。(斎藤典雄)

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2011年12月 5日 (月)

●ホームレス自らを語る 第108回 トビの頭(かしら)をやっていた(前編)/西川広志さん(67歳)

1112 西川広志さんは静かな口調で語る落ち着いた雰囲気の人であった。会ったのは隅田公園(東京・台東区)の吾妻橋近くである。
「生まれたのは青森県弘前市。昭和19(1944)年の生まれ。5人きょうだいの下から2番目です。家は貧乏でした。父親は近所の農家の仕事を手伝って、その手間賃だけで一家7人の生計を立てていたんですから、その貧しさたるや相当なものでしたね」
 かつては西川家も田畑を所有し、普通の暮らしができていたのだという。それが母親がガンを患い入退院を繰り返していて、その入院費や治療費を捻出するために田畑を売り払ってしまったのであった。
「ただ、貧乏だったといっても、当時の私はまだ幼くて、自分の家が貧しいという実感はなかったですね。それに戦争直後のことで、日本中が貧しくて飢えていた時代でしたからね。同じような家が、周りにもいっぱいありましたよ」
 学用品などをどうしていたのか記憶にないと語る。市などからの生活困窮家庭への学用品支給は、まだ始まっていなかったはずだと言い、教科書は上の兄か姉のお下がりで、ノートはなかったかもしれないという。それに西川さんは中学校を2年でやめて働きに出た。やはり、それだけ貧しかったのだ。
「父親がもう学校には行かなくていいから、東京に行って働けと言うんで、それに従ったんです。上の兄や姉も、そうしてましたからね。まあ、体のいい口減らしですね。2年生を終えた春休みに、青森から一人で夜行列車に乗って東京に出てきました。故郷を離れる寂しさより、心配のほうが大きかったですね。何しろ就職先も、泊まるところも決めないで出てきましたから、それが心配でした」
 ずいぶん無鉄砲な上京である。そんな不安を抱えた14歳での上京だったが、終着駅の上野で列車を降りると、そこで同じ中学校の2年先輩の人にバッタリ出会ったのだという。まったくの偶然だというから、案外、良い運の持ち主なのかもしれない。
「その先輩に事情を話すと、だったら彼が働いている工場で働けばいいということになりましてね。先輩が働いている下町の町工場に連れていかれ、社長のOKも簡単に出て、そこで住み込みで働くことになりました。従業員7~8人の典型的な町工場で、鉄工業だったと思います。月給は4000円くらいでしたかね」
 東京の街の記憶もあまりないが、東京タワーが建設途中だったのを覚えているという。ただ、その町工場は半年でやめることになる。
「賄いの食事が、あまりにもひどかったんです。食事は社長の奥さんが作っていましたが、八百屋に行って、その辺に捨ててあるキャベツの外側の皮とかを拾ってきて、それでオカズをつくるから食べられたものじゃなかったんです。従業員全員が地方出身者でしたから、田舎者と見下してバカにしていたんですね。私が入る前から社長夫婦と従業員のあいだで揉めていて、いくら交渉しても改善要求が通らないので、従業員全員でやめることになり私も同調してやめることにしたわけです」

それからの西川さんは弘前と東京を行ったり来たりしながら、アルバイトで働いたり、ブラブラ遊んだりの生活をしばらく続ける。
「そんな生活を19歳まで続けましたが、そろそろ落ち着かないといけないと思いましてね。東京に出て、ちゃんとした工場に就職して働こうと決心したんです。それで募集広告が出ていた、墨田区の納豆工場に就職しました」
 納豆工場は朝が早い。早朝5時には大豆の仕込みが始まる。ただ、朝が早い分、作業は昼前には終わってしまう。それで午後は毎日のように町に遊びに出た。
「納豆工場があったのは業平橋でしたから、遊ぶのは浅草(台東区)が多かったですね。午後は映画かパチンコですごすことが多くて、映画は大映や東映の時代劇が好きで、長谷川一夫のファンでした。夜は居酒屋に繰り出して、よく飲みました。こんなのを毎日のように繰り返していたんです」
こんな生活をしていたんでは、いつまでたってもカネは貯まらなかった。それにいくら若いからといって、しだいに肉体的にも辛くなっていた。西川さんは納豆工場をやめる。24歳のときのことだ。
「それで次は新聞の募集広告を見て、建設現場の作業員になりました。最初は手元という雑役の仕事についたんですが、一番下っ端の仕事で日当も最低でした。で、いい日当を稼ぐにはトビ(職)になったほうがいいと教わり、あるトビのチームに見習いで入れてもらいます。半年間の見習い修行があってから、チームの一員として認められ、一人前の日当がもらえるようになりました。トビのチームというのは一人の頭(かしら)を中心に、若い衆が5~6人で構成されるのが普通ですね」
 ときに昭和43(1968)年のことで、この年は明治100年にあたり、GNP(国民総生産)が西ドイツを抜いて世界第2位に躍進した年である。日本の高度経済成長が最高潮に達しようというときで、建設業界も好況に沸き、西川さんらのトビのチームも、マンション建設の現場を中心に休む間もないほどの忙しさに巻き込まれていく。
 ちなみに、この年に起こったことをさらに挙げてみると、海外ではベトナム戦争で南ベトナム軍のテト攻勢が始まり、ソ連軍がチェコに侵攻し、パリでは5月革命が起こっている。国内的には東大紛争に端を発した大学紛争が全国に広がり、成田空港阻止集会で警官隊と反対派の乱闘が起き、東京府中で3億円強奪事件が発生した。この年の流行語は「昭和元禄」に「ハレンチ」である。
 混沌とした時代相のなか、西川さんは以後40年におよぶトビ職人の仕事をスタートさせたのだ。(この項つづく)(神戸幸夫)

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2011年12月 4日 (日)

元・サイテイ車掌の田舎日記/もいちど魚日記、漁に出たい、一年を振り返って

○月×日
 んだ。
 すまん、また魚の話なのだ。
 ホントにいろんな魚が捕れる。まず驚いたのはエイ。丸い座布団のようなデカイやつで1メートルもある。真ん中を切り取って、食べる所は外側だけなんだとか。酒のつまみでエイヒレは定番だが、知らなかった。
 また、なんじゃこりゃあ、とグロテスクだったのがカジカだった。顔はケーシー高峰にほんとよく似ている(ケーシーさん、ごめんなさい)。顔の話ついでに、今では俺も鮭のオス・メスを顔を見ただけで見分けられるようになった。詳しくは省くが、オスは険しく、メスは穏やかな顔付きなんですよ。びっくりしました。
 閑話休題、カジカは魚偏に秋と書くのだそうだ。どことなく文学的なニオイがする。味はクセがなく淡白で、汁ものにしたらとっても上品で抜群だった。
 今はカツオが捕れている。太ってコロコロしたやつが、バンバン捕れる。オ~シ、今夜は刺身だ。わしわし食うぞと家に帰って捌いてみたら、血合が多くて4枚にするのが骨な上に、実がぐちゃぐちゃになり大失敗。やわらかすぎるのだ。カツオは魚偏に堅いと書くのに、堅いのは皮だけだった。
 ちなみに、この辺で捕れるのはソーダカツオというのだソーダ。高知沖や太平洋の本ガツオとは違うのだソーダ。でも旨いよ。(もう一回いわせてね)そりゃソーダ。
 漁師さんに聞いたら、塩を振って一日置くか干物にするといいという。で、早速両方を。それを焼いて食べたら絶妙な味だった。魚なのに肉みたいに濃厚で、思わずマイウ~と。料理のやり方は漁師さんのいう通りにすれば間違いはない。
 うちのおふくろは鮭が大好きなので、施設にはもう4本も届けている。献立を変更してくれて、入居者と職員皆で食べているという。おふくろの美味しがってる笑顔が浮かんでくる。これも全て漁師さんのお陰だが、皆さんに喜んでもらって本当に嬉しいです。

○月×日
 んだ。
 もう丸1週間も漁に出ていない。酒田もいよいよ「北国」という美しい言葉で呼ばれ始める季節となった。それに相応しいように朝晩は冷え、日中も10度前後の日々が続いている。窓から空の色を眺めるだけで初冬の寒さが伝わってきそうだ。
 いや、そんなことは関係がない。寒かろうが雪が降ろうがどしゃ降りだろうが鼻水をジョロショロさせながら漁に出るのだ。その出る出ないの問題は波なのだが、陸が晴れて穏やかなのに海は波が高いということがよくあった。波のせいで漁に出られず、おれがこれまで手伝いに行けたのは週に3日ぐらいしかなかったのだ。おれは楽でいいのだが、漁師さんにすれば切実な問題で困るわけだ。
 このところは高波続きでいつも2~4メートルはあり、どうしようもない日ばかりだった。出る出ないは1メートルで決めると漁師さんはいっている。
 これだから漁業は大変だ。辛いところがある。安定した職業だとは決していい難い。大漁だと活気づいている時こそ一見華やかだが、現実はこの通り厳しい。
 おれは高波の日に漁師さんに電話をする。すると奥さんが出る。ズーズー弁で分かりづらいのだが、いろいろ話をすると何やら「こうかい」はしていないという。おれは航海と後悔のどっちなのか分からなくなる。…そんなわけないか。
 いずれにせよ、波が早く収まってもらわないと話にならない。重い沈黙の日々だ。じっと待つしかない。

○月×日
 んだ。
 先が見えてきたようだ。一年を振り返るにはまだ早いが、酒田へ来て春から夏までは畑をやった。やったといっても午前中の3時間ぐらいでなんだかなぁ~なんだけど、秋以降はど~すんだというのが当面の課題でもあったのだ。ところが今年からは思いもよらずに漁師さんの手伝いをするようになった。それは本当に良かったが、最近では海が荒れて魚はずっと休んでいる。
 冬の酒田といえば寒鱈なのだが、漁師さんに聞いたら、12月から2月までの間は網を仕掛けることが禁じられていて、漁は休むのだという。鱈漁は大型船だけなんだとか。また、冬は今より海がもっと荒れるから命を落としに行くようなものだと。お~、恐~。でも、そうなんだ。お休みなんですね。残念だが、仕方ない。
 となると、おれの一年を大雑把にいえば、春と秋は畑と漁、夏と冬は休みということになる。半年働いて半年は休むか。う~む。なんだかなぁ~だな、やっぱり。ま、夏は友人たちが押し寄せてくるだろうから、畑で取れたトマトでもかじりながら遊びまくる。で、冬は冬眠でもないが鮭の塩引きでも食べながらひっそりと沈黙を守る。まあ、こんな感じなわけだ。
 先日、親戚のおばさんからすごく心配されてしまった。「海は本当に危ないから気をつけなさいよ」と。あのね、皆それは勘違いだよ。おれの伝え方も悪かったがおれは沖へは出ていない。港へ戻ってきた船で魚を網から取り外しているだけなのだ。だからナンチャッテ漁師だといったのだが、そのうち沖へも連れて行ってもらいたいけどね。また、この手伝いは畑と同じで午前中の3時間程で終わってしまうのだ。こんなに気楽なことはないだろうが、おれはこんなもんでホント十分だと思っているのです。(斎藤典雄)

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2011年12月 3日 (土)

『悲しきアフガンの美しい人々』電子書籍配信●カラー写真豊富●

本年9月に出版された『悲しきアフガンの美しい人々』。

電子書籍で配信を開始しました。

価格は、税込800円。

書籍ではモノクロだった写真を、

全編フルカラーにして再登場させています。

ぜひご一読を!

悲しきアフガンの美しい人々(白川 徹 著)

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2011年12月 2日 (金)

OL財布事情の近年史/第57回 オトコオンナ登場か?雇均法は新しい時代の夜明けか?真実の1997年(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 OLパラダイムシフトの年、1997年から目が離せずにいる。
 前2回はセクハラに執着してしまったが、それはつまり、同年の改正男女雇用機会均等法で、セクシャルハラスメント防止措置が義務づけられたことによるものだった。この改正では、OLの生活を変えるもうひとつのトピックがあった。労働基準法の一部改正による、「女性の深夜労働・残業や休日労働の制限(女子保護規定)」の撤廃である。深夜残業、休日出勤が、OLの生活にも組み込まれていったわけだ。これで男女平等だ、たくさん仕事ができる、わーい、と当時の女性は喜んだだろうか。世の中は不況まっただ中、初任給頭打ち、昇給もままならない状況で、OLの生活に、どういうかたちで波及したのか。
 ということがかんじられるお財布記事が、『コスモポリタン』1997年9月号、「やっぱり気になる! 隣の彼女のおサイフ事情」である。2042人へのアンケートによると、平均年齢26.1歳で、年収平均327万2000円。数字だけ見れば、まあ平均的なOL像ととれるが、決して平均像が多数派というわけではない。もうOLと総称できないような、多様化が進行している。
 個別に紹介している表を見ると、総合商社事務職27歳、年収460万円(残業月約5万円)、スチューワーデス25歳、年収270万円(契約)、派遣社員事務職25歳、年収210万円(ボーナスなし)、レコード会社宣伝29歳、年収550万円(休日手当月2万円)など、職種も給与も雇用形態も、さまざまである。カッコ内は気になるポイントを抜き出してみたが、年収は高いが残業や休日出勤も込み、人気職種でも契約、派遣で安定なしなど、ワケありな働き方も目立つ。第4回で1980年の記事をとりあげたとき、職業はほとんど事務、給料も幅がなかったのだが、均等法、キャリア志向、バブルとその崩壊を経て、自然とOLが解体されてきたといえよう。(つづく)(神谷巻尾)

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2011年12月 1日 (木)

元・サイテイ車掌の田舎日記/海賊日記

○月×日
 んだ。
 か、か、海賊なのか!?
 網が盗まれた。命の網がだ。それも横幅が240メートル、縦60メートルもある大きな網がだ(60×60の一枚の網を4枚繋ぎ合わせているという)。
 沖に仕掛けておいた網がブイやオモリごとそのままそっくり。もちろん掛かっている魚も全部だ。
 網は海にしっかり固定してあるから、いくら海が荒れていても流されることはないのだという。夜中の犯行らしいが、第一その日は月夜で穏やかだったそうだ。
 この刺し網漁はだいたいが前日に仕掛けて翌朝取りに行く。行ったら無かった。といっても、刺し網漁とはどんなものか分からない人のために、チト。
 シーツでも物干し竿に干してあるのを思い浮かべてほしい。その横長の四角形が網だと思えばよい。物干し竿が海面でシーツが海の中。これでお分かりだろうか。魚が通る場所に網を張っておき、網目に刺さって絡ませる漁法をいう。
 魚だって岩などの障害物があればぶつからずに避ける。魚に聞いてみないと分からないが、この網はよく見えないらしい。だから引っ掛かる。そんなのズルイよと魚は思っているかもしれないが、そういうモンダイではない。
 ここ、漁師さんたちの船着き場は酒田にいくつかある中の一つなのだが、30隻ぐらいが停泊している。その中でも、この漁師さんが使っている網は何人も持っていない、とってもいい代物なのだそうだ。実際、おれが作業をしているときに、「いい網使っているなぁ」と通りがかった他の漁師さんからいわれたのを何度か耳にしている。それが盗まれた。
 漁師さんは人と会う度に「盗まれた~」と悔しそうに話して気を紛らわしているみたいだが、本当に怒りのやり場がないのだと思う。酒田の漁師さんが盗んだとは信じたくないが、おれは警察に届けないんですかと聞いた。すると、陸でのことならまだしも、海の上のことだから分かりっこないのだと。全く悪いやつがいるものだ。おれはもう掛ける言葉がなかった。
 それにしても許せない。今頃海賊たちは海の宝石のようなイクラで酒盛りをしているに違いない。腹立つよな~。
 網はもう、新しいのを買いそろえるしかないっぺな。(斎藤典雄)

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