●ホームレス自らを語る 第105回 飽きっぽい性格で(後編)/岡田信彦さん(57歳)
いまから15年前、平成8(1996)年の冬の朝。岡田信彦さん(57)は東武鉄道「業平橋駅」(東京・墨田区)近くのアパートの部屋から散歩に出た。朝の散歩は彼の日課だった。
「アパートを出て、まっすぐ隅田川に向かうと、川の土手に登り、その土手の上の道を歩くのがオレの散歩コースだった。その朝もいつも通りのコースを散歩していたんだ」
いつもと違ったことといえば、前の晩、東京にはめずらしい積雪があって、その雪が土手の上の道路の両側にまだ残っていたことだ。
「雪の積もった上は歩きにくいだろう。車道てのほうは雪が消えていたから、車道を歩いていたんだ。すると、大手製パンメーカーの配送トラックが、前方から走ってくるのに気づいた。オレは慌てて車道を外れて、脇の雪のほうに逃れた。ところが、急ブレーキをかけたトラックがスリップして、車体を斜にしたままオレのほうに滑ってきたんだ」
スリップしたトラックが、自分に向かって迫ってくる。しかし、岡田さんは金縛りにでもなったように、雪のなかに立ち尽くすばかりであった。間もなく、ガーンという鈍い音ともに、岡田さんの身体はトラックに跳ね飛ばされ、道路脇に転がされていた。
「すぐに救急車が呼ばれ、墨田区内の救急病院に運ばれて治療を受けた。右脚の膝から下を骨折し、20針縫う大ケガだった。そのままリハビリも含めて、1ヵ月間の入院になったからな」
岡田さんはズボンを捲り上げると、改めて右脚の膝から足首あたりに残る傷跡を見せてくれた。
「1ヵ月間の入院費用や休業補償は、トラックが加入していた保険で支払われたから問題はなかった。ただ、その頃は業平橋駅近くのラーメン屋で働いていたんだが、1ヵ月も働けないんじゃ困るという理由でクビになってしまった。1ヵ月後、病院を退院してが、この歩けない脚で再就職するのは無理だから、隅田川の川べりのホームレスの仲間に入って路上生活をするようになったんだ」
以来、15年間ホームレスの生活を続けているという。
「15年間ものあいだ1日も働いていないんですか?」と問うと、彼は詰問されているとでも思ったのか「だって、脚が痛くて歩けないんだから仕方ないだろう」と少し鼻白んだように言うのだった。
事故の後遺症で脚が痛むというのは、その程度がどんなものかは本人にしか分からない。ただ、岡田さんの場合、杖や松葉杖にすがって歩行しているわけでも、ましてや車椅子を使用しているわけでもない。勝手な憶測だが、歩行が困難なほど脚が痛いというのは、働かないための方便のような気がしてならない。
以前に取材したホームレスの一人に、現場での作業中に足場から墜落して大ケガを負ったという人がいた。彼は病院に入院中に遊びクセがついてしまい、退院後も働く気にならずに、そのままホームレスになったと言っていた。岡田さんもこれとよく似たケースのような気がする。
「いや、仕事をする気はあるんだよ。ずっと仕事を探してもいるんだ。だが、この不自由な身体で働ける仕事はなかなかなくてね」
岡田さんは必死に抗弁したが、抗弁すればするほど怪しい。
ただ、当方としては彼がホームレスをしていることや、15年間1日も働いていないことを非難しているわけではない。彼がどういう生き方を選ぼうと自由であり、それをもって何ら貶めるつもりはない。
岡田さんは昭和29(1954)年に広島県呉市で生まれた。中学卒業後、大阪に出て割烹で板前修業に入る。ただ、この割烹での修業というのも本人の申告によるもので、実際には割烹というよりは大きな大衆食堂で働いていたというほうが正確なようだ。その食堂では7年間働いてやめ、呉に帰って左官になるが、これも5年でやめてしまう。以後、東京に出てきて、アスファルト舗装の会社に3年、居酒屋に3年、さらにカレー専門店、ラーメン店と移った。「飽きっぽい性格で、どこも長続きしなかった。辛抱できない性格なんだ」と述懐する。
この最後のラーメン店で働いていたときに、トラックに跳ねられるという事故に遭遇したわけだ。42歳のときのことである。
隅田川の川べりでホームレス生活をはじめた岡田さんは、その後大阪に場所を移している。大阪の街で暮らすのは、人によって好悪がはっきり分かれるようだ。どうやら岡田さんには大阪の水は彼には合わなかったらしくて、すぐに東京に戻っている。それで元の隅田川べりや、池袋などを経て、いまいる渋谷に移ったという。
「夜は渋谷駅の裏にあるビルとビルのあいだに、段ボールを敷いて寝ている。寝る場所は、その日の気分によって適当だね。いまは夏だから楽だけど、寒い冬の野宿は辛い。最近は東京でも冬の寒さは半端じゃないからね。食べるものは、ある飲食店が残り物を出してくれるんで、それをもらって食べている」
渋谷ではコンビのゴミ箱を漁ろうにも、ゴミ箱に鍵が掛けてある店が多いのだという。岡田さんのように食べもの入手のルートを持っていないと、この街でホームレスの生活をするのはむずかしいようだ。
「いまでも仕事は探しているんだ。できたら、飲食店の料理関係の仕事がいいんだけどね。いまは仕事があっても、土木関係の日雇いばかりでさ。この身体で肉体労働をするのは無理だからね。料理関係の仕事だったらアルバイトでもいいと思っているんだけど、それすらないんだからね」
また、弁解でもするように、一人ごちる岡田さんであった。(この項了)
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