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2011年8月

2011年8月29日 (月)

『悲しきアフガンの美しい人々』8/31発売!

本ブログに連載されてきた「アフガン 終わりなき戦争」が、本になりました。

8月31日発売です。

『悲しきアフガンの美しい人々』(白川 徹)

どんな本なのか知りたい、そんなときは

やはり、こちらをどうぞ。

もっと知りたい、と思ったなら

ぜひ、書籍を手にとって下さい。

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2011年8月26日 (金)

OL財布事情の近年史/第43回 気楽すぎるサラリーウーマン、世にはばかる★90年代前半

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 1990年入社の新入社員は、史上最高の待遇だった。豪華福利厚生と両輪で、高い初任給もこの頃がピーク。90年の大卒初任給は、男子17万9400円で前年比5.6%増、女子17万2300円で同5.8%増。この伸び率は91年4%台、その後1%台、さらにマイナス、と急減してゆく。そんなバブル期最後の恩寵は、熟れすぎてほのかに腐臭が漂うごとく、表出していた。
 
 『週刊現代』1990年7月7日号「初任給20万円以上!〈社員を優遇する〉会社40」では、福音館書店34万円、ダイヤモンド社27万円、大阪佐川急便27万円、日本IBM22万円(自宅外通勤)、など景気のいい数字が並ぶ。が、リストには、ワケあり企業がちらほら。佐川急便といえば、92年ヤミ献金で揺れた東京佐川急便事件があり、88年に贈賄事件が発覚していたリクルートコスモス29位、リクルート30位、90年代末に経営破綻した三喜(じゅわいよくちゅーる・マキでおなじみ)などのほか、合併、買収などで社名が変わったり、もはや消えてしまった企業もランクインしていた。
 『週刊読売』91年4月28日号「至れり尽くせり新入社員は神サマなのか」では、前年の人気企業初任給ランキングを掲載しているが、1位博報堂、2位電通が19万円台、5位に18万5570円という全く同額で損保4社が、同様に12位に東電と大阪ガス18万円、15位にトヨタと日産17万9000円、32位に商社6社、42位に都銀9行など、業界で横並びになっている。それに対して「特にコメントはございません。あえて言えば結果的に同じになったということです」って安田火災海上保険広報課の回答。むかつく。高給なはずなのに16万1千円と全国平均より低い都銀だが、ある都銀行員のコメントとして「給料の高額批判をかわすため低めに設定しています。二年目に三、四万円上がり、すぐにメーカーを追い越し、入行八年目くらいに役職が付くと一挙に月にして十万、年収でも二百万円くらい増えますね」だってさ。やらしーな、この頃の企業倫理は。

そんなやらしい倫理観渦巻く会社環境下、OLも少し変だった。データを見れば、91年、大卒女子の就職率は81.8%で男子を抜き史上最高になった。「社会人3年生 OL意識調査」(太陽神戸総合研究所・90年)では、「給料分は働いている」72.8%、「給料を超える働きをしている」19.6%と9割以上が仕事に相当な自信を持つ。かといってキャリアをめざすわけではなく、仕事を続けたい期間は「結婚するまで」44.0%、30歳の自分を想像すると「結婚してアルバイターをやっていると思う」43.8%と、主婦志向である(サンスター「20代独身OLの生活観と歯の健康」90年)。お金も自信もあるが、夢はない。ないっていうか、自分が叶えなくてもよし。希有な状況であった。(つづく)(神谷巻尾)

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2011年8月19日 (金)

OL財布事情の近年史/第42回 あんな会社のこんな「役得」。ゴージャス福利厚生時代へようこそ(後編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
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 前回のつづき。

 さて、そんな快適空間をモリモリ用意されていたおかげで、若い女性社員が会社を大いに活用していたことがわかるのが、『MORE』1991年2月号「えっ、本当!? うらやましい! こんな役得がある、この会社」。役得ですよ、会社が。「海外旅行に金一封、バーゲンetc。世の中には、そこにいるだけで、おいしいことが待っている――そんなうらやましい会社が結構、あったりして。」 あったりしてじゃねぇ!との怒りはごもっともではあるが、確かに現実であった証言を紹介しよう。

「年に一度の社員旅行は、海外旅行が当たり前。業績によって課ごとに予算が決められるのですが(略)うまくすればおこづかいまで与えられた予算から捻出することだってできるわけ」(情報産業)
「女性にとっては、なんといっても毎日開かれるバーゲンが魅力でしょう(略)11時30分からの開店ですが、みんな11時頃には会場へ行って、並んでますよ」(商社)
「二親等まで自社便は無料。他社便も最高90%引きで乗れる。長距離フライトだと間に必ず滞在日が入って、ホテル代は当然会社が負担します。食事代として1泊60〜70ドルを現金で」(航空会社)
「直接仕事に関係のない人が相手でも飲食代はすべて経費として認めてもらえます。「だから学生時代の友人ともどんどん会いなさい」、と」(出版社)

 おそろしいのでコメントもしますまい。この特集には併せて〈有名企業50社の役得表〉というものが載っており、「福利・厚生施設」「住宅手当など」「休暇・育児休暇」のほかに「その他のおいしい役得」という項目がある。「社会保険料は100%会社が負担」「自己啓発手当が3ヶ月に一度支給」「食料品を除いたすべての商品が15%引き」「社有のヘリコプターや飛行機、クルーザーを社員が福利厚生目的で無料利用」「社員食堂、昼夕食とも無料。自社の全雑誌が全員に毎号無料配布」等々、大変なことになっていた。というか、してくれてた、会社が。
 しかしながらあまりにも当然のように行われていたので(だってアメニティですから)、それを大して恩恵とも思わなかったのも事実。先日、当時同期入社した友人にこのバブルぶりを興奮気味に語ったが、「え、そうだったの?」とマジに無意識。テレビではあの頃世代のタレントYOUが、「私たちって危機感がまったくない世代なのよね」とのんびり語っていたが、その無防備ぶりも、あの渦中のなせるわざなのでは、と踏んでいる。(神谷巻尾)

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2011年8月17日 (水)

人気連載「アフガン 終わりなき戦争」が本になります●amazon予約受付中!●

本ブログで人気連載中の「アフガン 終わりなき戦争」

8月末日、満を持しての出版です。

著者・白川徹氏は20代の若きフォトジャーナリスト。

米軍の従軍取材で見た「支援」の実態、

米軍兵士のさりげない日常、

難民の悲しくも美しい姿、

NGO活動の困難さ。

視た者にしか書けない現実を、沢山の写真が彩ります。

書名:『悲しきアフガンの美しい人々』

著者:白川 徹

発売:2011年8月末

アストラ

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2011年8月12日 (金)

OL財布事情の近年史/第41回 あんな会社のこんな「役得」。ゴージャス福利厚生時代へようこそ(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
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 企業の福利厚生の充実に拍車がかかったのは、1980年代末のことである。当時の雑誌はこぞって豪華保養所や社員厚遇制度を特集していた。
 『FLASH』1990年4月3日号では「我が社自慢の福利・厚生施設」で、一流企業18社の各種社員施設を紹介。 冒頭「世をあげてのアメニティ(快適な環境)化時代。(略)快適で充実したビジネス・ライフを送るため、各社の福利・厚生への早急な対応策が、いま問われている」と謳う。アメニティ、というと今やホテルの消耗品、アメニティグッズを想像してしまうが、当時は本来の快適さ、心地よさの意で、最先端の感覚として扱われていたことがわかるというものだ。
 1986年時点で5千人以上の大企業の保養所完備率99.0%、社員クラブ・バー施設が16.7%(9年前の3倍)といった調査、「5年間で1千200億円を投資、社員の生活面への整備にあてます」(富士通)といったコメントなどから、企業の急速な動きが伺える。円高、好景気で人材不足、しかも金余り。「週休2日制時代の重要課題は余暇の過ごし方」「若者の会社選択の基準は、〈モーレツ〉から〈ゆとり〉へ」という論理から、リゾート施設やスポーツクラブ、豪華な社宅はどうしたって正義だったのである。

 『SPA』1989年9月20日号「リゾートホテルなんて目じゃない 海外に“豪華”保養所を持つ〈会社〉」は、保養所の海外進出ラッシュについての記事。リゾートマンションの区分所有のほか、土地を購入して直営保養所を作る会社も増えている、ということで紹介されているのがこんなところ。

・ 日興證券…オーストラリア・ゴールドコースト/敷地35万坪、鉄筋2階建て/スパ付きプール、ゴルフコース3コース等/購入価格11億5500万円(87年)/1泊2食付き2500円くらい
・ 大和証券…オーストラリア・ナルダラーク/敷地308万坪、建物5棟/敷地内に羊4000頭、牛150頭、野生のコアラ、カンガルーなど/購入価格5億円(85年)/1泊3食付きで4400円
・ 大同生命…オーストラリア・ゴールドコースト/テラスハウス5棟、1棟130平米/近隣に人工ビーチ、マリーナ等/購入価格1億5千万円(88年)/1泊2000円、会社から補助あり

 証券会社、生命保険会社が競って海外進出している。海外リゾート投資、そしてその崩壊、という図式が容易に想像できるが、しかしこの時点で「20年前の証券不況のとき、保養施設を全部売り払って、なんとかしのいだ歴史もある。含み資産にもなる」(日興證券)、と福利厚生以外の狙いを盛り込み済み。確かに上記3社は現在も存続しているが、この資産も役立ったのだろうか。それじゃあ山一は、山一は、と探してみると前述『FLASH』に発見。「海外はオーストラリア、ニュージーランド、タヒチ、フィジーなどに35ヵ所あり、海外保養所の場合宿泊料は無料」って、35ヵ所も! 行き過ぎたアメニティの恐ろしさよ。(つづく)(神谷巻尾)

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2011年8月11日 (木)

アラサー財布事情/第16回 通信制大学に通っています

0811 Yさん(27歳)男性 職業:塾講師 三鷹市在住

 一人暮らしをしています。1DKで家賃は58000円です。数か月前まで杉並区に住んでいたんですが、ワンルームだったので広さを求めて引越しました。すごく快適です。前のところは木造だったんですけど、今は鉄筋なのですきま風とかが入ってこなくてビックリしました。
 立地は、駅から離れてます。だいたい2㎞くらいかな、歩くと20分くらいなので自転車が必須ですね。住宅地から少し離れたところにあって川沿いなので、夜は静かだけど、朝はトラックが走ってうるさいです。最初の1ヵ月くらいはうるさく感じていたけどすぐに慣れました。広さを条件に探していたけど、杉並は高いし、職場が西の方ばかりだったから来年もそうかと思って決めました。家に満足はしてるんですが、引越し後に千葉よりの教室に異動が決まってしまって。もう少し東にすればよかったな、と。

 貯金は実家で暮らしていたときに貯めた定期預金があります。それは手をつけずにそのままにしています。今は、余ったお金を翌月に繰り越して、というかんじですね。積立などはしてないです。

 最近買ったものはパソコンです。レノボので70000円くらい。その前もIBMを使っていたのと、Windows XPで4年使ったのでいい機会だと思って買い換えました。オフィスソフトを使うことが多いですね。あとはネットを見たり。

 買ったとかではないですけど、バンドを組んでいるのでたまにスタジオに行きます。高校時代からやっていて、パンクバンドのドラムをやっています。

 あとは、教員免許をとるために通信の大学に通っているのでその学費ですね。今は2年半目です。単位が取れ次第卒業で、1年で12万円程度です。今年はそれよりも多いですけど。スクーリングがあって、それが1単位5000円の追加料金が必要でちょいちょいお金がかかるんですが、でもそれに行くと早めに単位が取れます。

 他はお金は使ってないですね。趣味にお金がかからないので。むしゃくしゃしたら自転車に乗って遠くへ行ったり、自転車もって電車に乗ってどこかへ行くくらいなので電車代くらいだし。

 幸福度は70%ですかね。今は耐えるときだと思ってるけど、特に不満はないです。変化は欲しいですけど。彼女ができればいいな。(聞き手:奥津)

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2011年8月 5日 (金)

OL財布事情の近年史/第40回 お気楽OLはアッパラパーでベルサッサ、でした(後編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
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前回の続き。 『週間現代』1989年10月14日号「くたばれ! 会社にはびこるアホバカOL 平成ギャルズにブーイングの嵐」を見てきた。雇均法に加え空前の売り手市場、新人OLもお客様扱いの時代だったが、現場で直接接する年上男性には耐えがたく映ったのだろう、この記事は反響を呼んで連載となった。翌10月21日号では「本誌”OL対策委員会“の電話鳴りっ放し! くたばれ! 会社を滅ぼすアホバカOL第2弾!」とより過激になり、「本誌に押しよせたサラリーマンの声、声、声。怒りと涙なくして読めまセン!」と盛り上がりをみせている。
 「入社して1週間目の朝『この会社、私に合わないから辞めます』と電話をかけてきて、翌日から来なくなった」(リース会社・27歳)、「5時半の退社のベルが鳴ったら、書いていた文字の途中でパタッとペンを置いて席を立ってベルサッサ」(アパレルメーカー総務・30歳)、「生理休暇は必ず金曜日から月曜日だから、いつも3連休」(化学製品販売・28歳)等々、上司の困り顔が目に浮かぶような、トホホなOLたちである。
 といっても会社は滅ぼされるわけでもなく、OLもリストラされるでもなく、会社生活が成り立っていたのが当時である。今度は女性と会社の関係性をみていこう。

  『週刊女性』1990年4月10日号「あなたの給料はよその会社より高い?安い?」では、人気企業の給料予測とともにOLたちの給与や支出についての個別事例を紹介している。記事によると、主要企業の賃上げ率、前年は5.17%。この年は8〜9%を要求している強気ぶり。登場する20代半ばの女性たちも、勤続2〜3年で年収300万円を軽く超えている。そして給料もさることながら、目を引くのが彼女たちのめぐまれた職場環境だ。
「社内に銀行、ブックセンター、医療機関がそろっている/お店もいろいろあって、オーディオや化粧品、洋服、貴金属類が市価の20〜50%で買えるんですよ」(24歳・三井物産・年収350万円)
「年に3回、網代の保養所に社員旅行に/保養所は信州にもあって、冬はスキーを楽しみます/屋上にゴルフの練習場があるので昼休みに練習します」(24歳・カルピス・年収260万円)
「会社のクラブで草月流の生け花を習っている/夏は、葉山マリーナにある会社のヨットで、セーリングを楽しみます」(28歳・安田生命保険・年収450万円)
「1万円で約8帖のワンルームマンションが借りられている/寮の近くに、会社の健康保険組合が持っているスポーツジムがあり、格安で使える」(24歳・味の素・年収350万円)
 ショッピングもレジャーも住宅も、みんな会社が用意してくれている。なんという至れり尽くせりの福利厚生。しかしこれは社員第一主義と呼ばれていた。結果、アホバカOLを招いたという気もするが。とにかく、「会社」そのものがOLの財布を潤す一翼を担っていた。次回は、この時代急速に膨張した会社の福利厚生とOLの関連についてみていく。(神谷巻尾)

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2011年8月 4日 (木)

鎌田慧の現代を斬る/第151回 国民を殺してもカネもうけしたい経団連

 菅直人首相は脱原発という方向性を示した。日本の歴代の首相で初めての快挙といえる。官僚、財界、野党はもちろん与党内からも激しい反発を受け、7月29日に発表した新エネルギー政策の中間整理では、基本政策を「減原発」とかなり後退させたが、電力各社の地域独占体制の見直しや電力会社から送電部門を切り離す発送電分離は残した。この方針には原発の推進の旗振り役である経済産業省が強く反対したとも報道されている。
 菅首相はとりあえず浜岡原発を止め、福島第一原発4基の廃炉も決めた。自然エネルギーを活用していく方向性も、首相として初めて打ちだした。これらのことは評価すべきだ。
 とはいえ具体的な道筋をハッキリとつけない。さまざまな抵抗を跳ね返して突き進むのではなく、曖昧にしながら妥協を重ねている。それが国民からの批判になっているのだろう。脱原発を「首相個人の考え」といいわけしたことなどは、その典型だ。
 ただ、国家が財界や官僚、マスコミ、司法とともに進めてきた「原発絶対体制」を破壊するのは容易ではない。それは巨大な権限をもつ首相も例外ではないのだ。
 たとえば経団連の米倉弘昌会長は、首相が脱原発を打ち出したことを、何度も非難している。7月14日の経済同友会の夏季セミナーでは、「(原発から)再生可能エネルギーへの転換が、あたかも短期間でできるような誤解を招きかねない形で説明、発表すること自体、極めて不見識」(『朝日新聞』2011年7月15日)と、首相の方針に怒りをあらわにした。
 さらには19日の毎日新聞のインタビューでは、「原発に一定程度依存しないと(電力不足で)国内産業がどんどん海外に逃げ、雇用が守られず、経済成長が落ちる」と国民に脅しをかけた。そればかりか第一原発の事故のあと、電力会社が凍結している原発新設についても、「安全基準を見直し、対策を施したうえで(自治体が認めれば)新設の可能性もありうる」といい放った。
 これは今度の事故をまったく反省してないことをしめしている。原発メーカーと原発ゼネコンと電力会社の利益を代弁しているにすぎない。経済人が日本人の将来をまったく考えない、その根本的な思想の貧困をこの発言は物語っている。
 共同通信が23、24日に行った全国電話世論調査でも、「脱原発」には7割以上の人が賛成している。国民から選ばれた政治家が、民意に添って決めた方針を、一財界人が勝手に覆すことなど許されるはずがない。

 脱原発につづいた首相の「原発輸出の見直し」発言についても、財界や官僚は露骨に不満をしめしている。
 “経済産業省の幹部は”「国益を無視した発言だ」(『産経新聞』11年7月22日)と語り、原子力の大手メーカーの関係者は「福島の事故と輸出は別次元の話。国内事情で対外的な約束をほごにすれば信用を失う」(『産経新聞』11年7月22日)と語っている。
 いったいなにが「国益」で、どこが「別次元の話」なのか。原発事故の危険性を世界に押しつけてもうけるのが「国益」で、海外で起こる事故は「別次元」だというつもりか。
 中国で起きた新幹線事故にたいして、米倉経団連会長は「利用者の不安が募ると思う。もっと慎重に対応した方が良いのではないか」などと発言しているのに、まだ事故の収拾さえ完了していない原発建設も輸出も推進というのだから常軌を逸している。
 結局、財界人と経済産業省がいいつづけているのは、「人間の命よりもカネもうけ」ということだ。こうした思想は、さまざまな形で目にする。
「原発の代わりに化石燃料を使えば法人税を3割増税したのと同じコスト増が発生する」(『朝日新聞』11年7月14日)という与謝野馨経済財政相の発言も、その一例だ。
 彼の頭では、安全はコスト増でしかない。
 原発のコストを本当に計算するならば、事故が起こった際の賠償金なども発電コストに加わる。その途端、電力会社の利益など簡単に吹っ飛んでしまう。

 避難住民に対する補償だけではない。牛肉をはじめとする食品や土地の除染、あるいは事故による健康被害など、さまざまな賠償請求がずっとつづいていく。
 また、現在のコストには、いま稼働している原発の廃棄物や事故を起こしたものの廃棄物の始末の値段が計算されていない。それどころか事故の廃棄物を、どのように処理するのかさえ、明確に決まっていない。すでに福島原発の瓦礫と汚泥が青森県のむつ市に運ばれたという情報もある。事故後の処理によって、さらに日本が汚染されていく恐怖が広がっている。加えて問題は国内だけにとどまらない。海外からも放射能汚染に対する賠償金を請求される可能性があるのだ。
 まともに考えれば、人命を企業のもうけのために危険にさらすことは許されないし、コスト計算の間違いにも気付く。こんなデタラメな主張がまかり通るところに、利権渦巻く原発問題の闇がある。
 原発がなくなると日本経済が悪くなるという発想は、核の抑止力と似ている。「核の抑止力」とは、核の破壊力が激しすぎるから、実際の戦争が起きなくなるという思想である。こうした妄想により、米国やソ連をはじめとする核保有国は、人類を何十回殺すかもわからないほどの核の保有競争に入った。結局、核の保有が平和の推進力にならなかったばかりか、現在の核保有国以外の国々やテロ組織に核兵器が広がることに大国は神経をすり減らすことになったのだ。
 人を大量に殺す兵器で平和をつくりだせるわけがなく、通常の運転時から大量の被曝労働者を生みだし、ひとたび事故が起きればコントロールの利かない原発が長期的に経済を支えられるはずがない。
 原爆は「抑止力」というフィクションでさらに危険を抱えこみ、原発は経済性というフィクションで人命を危険にさらしている。原発がなければコストがかさむ、といういい方は古いかたちの恫喝といえる。
 原発に絡む恫喝はコストだけではない。7月14日の『毎日新聞』に掲載された“大手電機幹部”は、次のように発言している。
「安定的に電力を確保できなければ、韓国や中国との競争には勝てない。海外移転に拍車をかけることになる」
 経団連も電力が安定しないと、産業が空洞化し、雇用機会が失われかねない、と緊急アピールをおこなっている。
 しかし、そもそも中国などの電力が、それほど安定してるわけではない。海外進出は海外のマーケットと、労働者の低賃金を狙っておこなわれるもので、節電だけで空洞化が加速するわけではない。
 こうしたアピールは、意識的なデマゴギーである。原発が安全で事故がないといった「安全神話」など、嘘のキャンペーンの延長である。
「雇用を守り、経済成長を実現していくには電力の安定供給が必要。少なくとも5年先の電力の安定性を示してもらわないと、日本企業は海外移転してしまう」(『毎日新聞』2011年7月12日)という米倉経団連会長のコメントにいたっては呆れるほかない。
 これまでも経団連は積極的に雇用を守ろうとしてこなかった。しかも原発は電力の安定につながらないことはあきらかになのに、まだ認めていない。現在でも福島ではギリギリの調整が日々続いている。原発労働者の被曝量が増えているため、人員をどのように確保するのかも大きな問題になっている。
 出力が100万キロワットを超える巨大原発が、国内にはいくつもある。これは巨大な技術によって生産性をあげ、コストをさげるという古い経営思想に基づいた計画だからだ。送電塔と送電線を全国に張り巡らせて、巨大原発から全国に供給するという発想が、すでに破綻している。いまは地域にあった電力生産が求められている。そうすれば送電時の電力のロスもなくなり、過剰な発電も防げる。
 財界はいまだに原発生産で経済の活性化を図ろうとしているが、巨大な技術をつかって大量生産するのは、一発の原爆で皆殺しにしようとした戦略兵器の思想と同じである。時代に合わない「大艦巨砲主義」は棄てるべきだ。

 原発がらみで大きな問題となっているのが、電力会社の「やらせ」である。
 6月末の経済産業省が主催する玄海原発の緊急安全対策を巡る県民説明番組で、九州電力が組織的にやらせメールを集めていたことが発覚。副社長と本部長が賛成の参加者を増やすため、原発本部の部長に指示を出したとされる。
 結局、やらせメールの要請を受けた2935人のうち141人が投票。番組での「賛成票」が、反対を123票上回っていたことから、「やらせ」がなければ結果が逆転していたことも明らかになった。文例までしめしてヤラセを募っていたというから、かなり悪質である。
 これでも各地で原発をめぐって実施された公聴会やヒアリングでは、賛成派が電力会社によって動員されてきた。その意味では、これまで何十年も続いてきた慣例が、やっと明らかになったともいえる。
 しかしやらせ事件は、これだにとどまらなかった。原発を規制する立場であるはずの原子力安全・保安院がやらせに関与していたことがあきらかになったからだ。
 わたしは以前より、原子力推進の最右翼である経産省の安全・保安院が原子力を規制するナンセンスを訴えてきた。審判とピッチャーが同じ人間で、公正な試合など成立するわけないからだ。
 日本は政官財・マスコミ・司法による「原発絶対体制」の中にある。原発に大量に税金がつぎ込まれ、そのカネが権力者を潤してきた。利益誘導のために最も危険な原発が利用されてきたし、危険だからこそ金を膨大に使えたのである。こういう非民主主義的で犯罪的なことが行われてきたのが原発であり、安全・保安院の規制はその典型例である。

 いま、やっと脱原発ムードが本格化している。
 今年の広島・長崎の核廃絶運動では被爆者同士の連帯がテーマになっている。これまで核廃絶運動は反原発運動と結びついてこなかった。しかし、戦争利用であれ平和利用であれ核は重大な被害が発生するという認識で、被害者たちが連帯し核廃絶にむかっていく。そういう運動が、今年からはじまった。
 わたしも脱原発の大衆運動を盛り上げていく。ムードで終わらないよう、しっかりと脱原発を実体化していくよう頑張りたい。
 前回もお伝えしたが、「さよなら原発1000万人アクション」の署名運動も盛り上がってきている。9月8日には、日本青年館で、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、澤地久枝と私の講演会をおこない、9月19日には「さようなら原発集会」が明治公園で開かる。ぜひ、集会に参加して、脱原発の意思をしめしてほしい。(談)

全文は→「1108.pdf」をダウンロード

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2011年8月 1日 (月)

●ホームレス自らを語る 第104回 飽きっぽい性格で(前編)/岡田信彦さん(57歳)

1108 JR渋谷駅の駅前広場。その樹木の陰で涼をとっていた岡田信彦さん(57)は、取材が始まると、いきなり右脚のズボンを捲り上げるのだった。見せてくれた膝から足首までに、太い傷跡が走っている。
「15年前、トラックにぶつけられてな。骨折して20針も縫う大ケガだった。それから歩くのが不自由になって働けないし、ホームレスになるしかなかったわけだ」
 そう説明する岡田さん。だが、ホームレスになる直接的なきっかけが、その交通事故だったとしても、彼は事故に遭わなくても、いずれはホームレスになる運命にあったような気がしないでもなかった。
 岡田さんが生を享けたのは昭和29(1954)年、広島県呉市である。6人きょうだいの末っ子で、上に姉が3人、兄が3人いた。
「家は農家で畑作を中心に、ジャガイモやニンジン、大豆なんかをつくっていたんじゃないかな。耕作面積? さあ、どうだったかな? だいぶ手広くやっていたよ。オヤジとオフクロ、それに一人の姉が専業でやっていた。ほかのきょうだいたちも小学校に上がると、みんな手伝わされた。だけど、農業収入だけでは、生活は苦しかった。一家8人が食べていくのは、やっとのことだったと思うよ」
 信彦少年は子どもの頃から、料理をつくるのが得意であった。で、将来の道は自ずと決まっていた。
「中学を終えて大阪に出て、割烹で料理人の見習いになった。料理人だけで15人もいる大きな割烹だった。料理の修行は厳しかったよ。毎朝6時から仕込みが始まり、刺身のツマをつくり、ニンニクを擦りおろし、肉を切って、魚を三枚に下ろす……真冬でも裸足に下駄履きだったからな」
 初任給は9000円で、そこから食事代3000円が引かれて、手取り6000円だったという。岡田さんが就職した昭和44(1969)年当時の初任給としはては、中卒で住み込みという条件を考慮しても安すぎる気がする。彼の記憶違いだろう。
 さらに、彼の得意とした料理を聞くと、カレーライス、牛丼、オムライス、野菜炒め、玉子焼きを挙げた。これを割烹メニューというには難がある。これも和・洋・中華の何でもありの大衆食堂の大きな店だったということだろうか。
「その店には、7年間いてやめた。常日頃から理屈に合わないことで叱り飛ばしてくる料理長がいて、それが我慢できずに殴りつけてしまったんだ。暴力を振るうからには、店をやめる覚悟のうえでのことだった」
 食堂(?)をやめた岡田さんは田舎の呉に帰る。それで父親の知人の左官の親方に預けられ、左官の見習いになった。
「見習い期間の3年間で、ひと通りの仕事は覚えた。バイブ(レーター)やコテを使わせたら、いまでもちょっとしたもんだぜ。水糸1本をたよりに、コテだけで水平面も垂直面もビシッと出せるからね。ただ、左官の仕事は水を使うだろう、冬は辛かった。夏は瀬戸内の炎天に灼かれるしね。それにセメントやモルタルを捏ねる力仕事も身体にこたえた。それでだんだん嫌気が差してきてやめちゃった。左官の仕事は、5年くらいやっていたことになるのかな」
 岡田さん、27歳のときのことだ。

 それで東京へ出てきた。呉では新聞配達くらいの仕事しかなかったからだという。実際に彼も新聞配達に挑んだようだが、長くは続かなかったようだ。
「東京ではアスコン(アスファルト)舗装の会社に就職した。道路や駐車場の舗装工事が多かった。オレの主な仕事は、転圧ローラーや転圧タンパーを使って、舗装前の路盤を締め固めたり、舗装したアスコンを締め固めるのが仕事だった。ローラーやタンパーで均等に転圧していくのは、結構むずかしいんだぜ。コツを掴むまでが大変だった」
 東京ではアパートの部屋を借りて一人暮らしを始めた。岡田さんはその仕事で、月9000円ほどの収入を得ていたというが、これも間違いだろう。世は1980年代に入っており、この年の大学卒の初任給が平均で12万5000円である。あるいは9000円というのは、彼らの日当であったかもしれない。
「結婚? 結婚はしなかった。というより、そんなこと考えたこともなかったよ。6畳ひと間のアパート暮らしで、アスコン舗装で働く男のところへ、嫁に来る女がいると思うかい? 結婚なんて考えたこともなかったな」
 岡田さんはこのアスコン舗装の仕事を3年ほどでやめてしまう。次いで就いたのが、世田谷・成城学園前の居酒屋の板前である。包丁を握るのは8年ぶりになる。
「このときは住み込みで3食賄い付きだったから、日当で7000円くらいもらってたんじゃないかな。それに店に住み込みで働いていると、ますます結婚とは縁遠くなっていくよね」
 この店も3年ほどでやめて、同じ成城学園前の小さなカレー専門店に移り、さらに墨田区の業平橋駅近くのラーメン店に移る。
「仕事はいろいろやったよね。だんだんに長続きしなくなっていくんだな。辛抱が足らないというか、飽きっぽい性格なんだね。自分で選んだ道だから、誰にも文句はいえない。仕方ないよな」
 42歳のとき、岡田さんは交通事故に遭遇して、右脚骨折の大ケガをする。冒頭で見せてくれた傷跡は、この事故が原因である。以来、仕事を離れてホームレスの生活を送るようになる……。
 ちなみに、業平橋駅は東武伊勢崎線の駅だが、東京の新しい観光スポット「東京スカイツリー」の最寄り駅で、2012年5月のツリーの開業に合わせて「とうきょうスカイツリー駅」に改称される予定である。いまの岡田さんには、何の関係もないことだが。(つづく)(聞き手:神戸幸夫)

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