●ホームレス自らを語る 第102回 施設で育った(前編)/Y・Sさん(54歳)
新宿中央公園の芝生の上で休んでいたY・Sさん(54)は、北海道の児童擁護施設で育ったという。
「生まれは昭和32(1957)年、北海道の札幌。まだオレが幼い頃に両親が離婚して、物心がついたときには、もう擁護施設に入っていたからね。だから、普通の家庭の生活というのは、ほとんど知らないんだ。両親が離婚したのは、オヤジが酒乱だったからのようだ」
両親の離婚は、正式な手続きを踏んだ離婚というより、母親が酒乱の父親に愛想を尽かして家を出て行ったというほうが正確なようだ。家には酒乱の父親とY・Sさんら幼い兄弟姉妹が残された。
「施設に入る前のかすかな記憶で残っているのは、2、3歳の頃だろうか、昼間オヤジの仕事場に連れていかれたり、小学校に通う姉の学校に連れていかれたのを覚えている。それに酒を飲んで暴れているオヤジの姿が、記憶に残っっているような、いないような……」
そんな父親に育てられている子どもたちのことを見かねて、近所の人が施設への入所を手配してくれたようだ。兄弟姉妹はバラバラにされて、別々の施設に預けられた。Y・Sさんが預けられたのは、幼児から中学生まで40人ほどの子どもが共同生活を送っている擁護施設だった。
「施設の生活に不満はなかった。というより、施設以外の生活を知らないから、くらべようもないしね。両親がそろっている家庭の子どもを見ても、特に羨ましく感じたことはない。ただ、オレが大人になったら、ちゃんとした家庭をつくって子どもを施設に入れるようなことはしないとは思っていたね」
彼はその養護施設から小学校、さらに中学校に通った。
「じつは、その小学生のときの記憶が、ほとんど消えているんだ。特に小学2~4年生の記憶はまったくない。自分でも、よほど辛いことがあったんだろうと思うけどね」
Y・Sさんはそう言って、遠くを見やるような目をした。人はあまりに過酷な運命に晒されると、そのことを記憶から消してしまうことがあるというが、そんな運命が小学生の彼を襲ったのだ。いまとなっては、何があったのか確かめる術もないのだが……。
「中学生になると、隠れてタバコを喫ったり、シンナーを吸ったりした。といっても、悪ぶってみせただけで、本気で悪の道に入るつもりはなかったからね。根は真面目なんだ(笑)」
現在では施設から高校にも通えるようになっているが、当時は義務教育の中学校を終えると施設を退所しなければならなかった。
「オレの場合は頭が悪くて、勉強はできなかったからね。通信簿の成績も1と2ばかりでさ。はじめから高校へ行く気はなかったし、行きたいとも思わなかった」
そう語るY・Sさん。だが、彼は筋の通った話し方をする論理的な人で、本質的には頭の良い人のようだ。
中学を卒業したY・Sさんは、施設を出て働くことになる。
「岐阜の紡績工場に集団就職をして働くようになった。その工場には、オレのいた養護施設から毎年何人かが就職していて、施設の職員が勧めるから就職したんだ。だから、岐阜とか、紡績工場に特別な思いがあったわけじゃない」
Y・Sさんが就職した昭和47(1972)年は、浅間山荘事件はじめ、冬季札幌オリンピック、沖縄の本土復帰、日中国交樹立、日本列島改造論ブームなど、何かと騒がしい年であった。
「オレが就職した工場には、何百人もの従業員が働いていた。工場内には糸を紡ぐ自動紡績機がズラッと並んでいて、オレたち工員はその紡績機の幾台かを受け持ち、それがちゃんと糸を紡いでいるかをチェックするのが仕事だった」
Y・Sさんはその工場で恋に落ちた。相手は同じ北海道出身で、同じ年の女子工員である。
「彼女のほうもオレのことを好いてくれて、ふたりで結婚の約束もできた。彼女の両親も、ふたりの結婚を認めてくれた。認めてはくれたんだが、それには一つの条件があった。結婚したら北海道に帰って、両親の家の近くに住むというのが条件だった」
ふたりは紡績工場を辞めて、彼女の故郷の岩見沢に帰って結婚した。19歳の若いカップルによる夫婦の誕生である。
「岩見沢では彼女の両親が住んでいる実家の近くに借家を借りて、新婚生活をスタートさせた。そこで新しい仕事に就いたが、仕事の内容は勘弁してほしい。田舎町にはめずらしい特殊な仕事だから、それを話したらオレの身元がバレてしまうからね」
ともあれ、夫婦のあいだには男の子が二人生まれ、結婚生活は順調だった。Y・Sさんが子どもの頃から願っていた「ちゃんとした家庭をつくりたい」という夢は叶っているように見えたのだが……。
「ヨメさんとの関係はともかく、頻繁に訪ねてくる彼女の両親との関係が、しだいに悪くなっていったんだ。これはオレに問題があっったんだと思う。施設育ちで家族のあり方を知らなかったから、どう付き合っていいのかわからなかったんだ。“おとうさん”“おかあさん”とさえ呼べなかったからね」
それに両親と妻は某新興宗教の熱心な信者で、毎週のように開かれる集会に連れていかれるのだった。
「はじめのうちはオレもそれに馴染もうとして努力したんだけど、元々無宗教で信仰心なんてないから無理だった。しだいに理由をつけてサボるようになり、両親から“熱心さが足りない”となじられるようになった。それで衝突を繰り返すようになる」
やがてY・Sさん夫婦の結婚生活は、破局に向かうことになる。 (この項つづく)(聞き手;神戸幸夫)
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