チェルノブイリを超えた福島原発事故
重版となった『原発暴走列島』(アストラ刊)には、鎌田慧さんの35年前のルポを掲載した。反原発運動が盛んになったのは、1979年3月のスリーマイル島事故によってだった。それから3年も前に原発反対の立ち位置から福島第一原発を取材し、放射能が日本中に拡散することを予言していたのだからすごい。
では、鎌田さんはどうして原発に反対したのだろうか?
それは原発の労働者が次々と亡くなり、労災さえ認められないこと、あるいは原発労働者の家に放射能被曝が原因と疑われる障害児が生まれたことを知り、義憤を感じたからだ。自身、高校卒業後に工場労働者として働いた経験があるだけに、危険すら知らされず、捨てゴマのごとく扱われ亡くなっていく弱者の姿に居ても立ってもいられなかったのだろう。
ネットの情報を見ていると、原発推進派の意見は聞きたくないが、昔からの反原発の人たちの主張はもっとイヤだといった論調を目にする。過激な「運動家」だと言いたいのかもしれない。
かつて反原発集会などでは、公安が張り付き参加者を見張っていた。集会場の入り口が見渡せる喫茶店で、双眼鏡片手に参加者をチェックしている公安御一行様を見かけたこともある。そうやって「反原発の人たちは非科学的な過激派だ」といった論調を、国や電力会社や御用学者たちがつくっていった。
ところが「科学的」なはずの原発推進派は、事故が起こってもいっこうにまともな情報を出さず、科学的な議論さえしなかった。事故レベルが7だと発表したときも、放射能の排出はチェルノブイリの10分の1だと喧伝した。ところが先日発表された米国と文科相協同の調査で、すでにチェルノブイリを超える汚染だったことが明らかになった。
しかもチェルノブイリで「強制移住ゾーン」に指定された値の地域が、計画避難区域にすら入っていないケースがあった。また福島市の一部にも同事故で「希望すれば移住が認められるゾーン」に指定されたレベルに近い地域があり、調査した原発から80キロ県内のほぼ全部が、同事故で「放射能管理が必要なゾーン」だった。米国が「80キロ圏内から避難しろ」と自国民に呼びかけたのは、やはり正解だったのだ。
ビックリしたことに、「おそロシア」などとも揶揄される彼の地ですら、日本より住民の健康に気を配っていたことになる。
鎌田さんが『原発暴走列島』で明らかにしたように、原発労働者は政府からも、司法からも、電力会社からも、生命の安全を補償されてこなかった。亡くなれば関係ないと、実験動物のように棄てられた。そして事故が起きたら、地域住民まで棄てゴマ扱いとなった。これから被曝による体調不良が問題になっても、政府も電力会社も事故との「因果関係」を容易には認めないだろう。
そんなことがわかっていたから、鎌田さんは原発に反対してきた。そして今、事故を防げなかった自身の不明を本気で恥じている。その生き様は、原発マネーに踊り、美味しい思いをしてきたメディアの人々と正反対だ。どちらの話が信じられるのかは、言うまでもない。(大畑)
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