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2011年4月 1日 (金)

神谷巻尾の震災日記【2】

地震発生翌朝、 兄弟たちと連絡をとる。新宿で仕事の講習中だった兄は即刻中止で新宿中央公園に避難、高層ビルの揺れを直視して最悪の事態も考えたという。携帯は夜まで通じず、徒歩で練馬の自宅まで帰ったそうだ。東京郊外在住の義姉宅は停電になり電話、携帯使えず、朝になってご主人が会社に泊ったことを知ったという。彼女の家は、あの駐車スロープが崩壊したコストコに程近いエリア。現場中継の映像でも周辺が真っ暗になっていたが、あの辺りだったのかもしれない。東京も交通機関がマヒし、停電になりえる震災だということを徐々に実感していった。
 翌日は土曜日で、子ども関係の活動は次々中止になっていったが、午後からの習い事は決行とのこと。ひとりで行かせるのは少し不安で昼食がてら送っていった。街道沿いのマクドナルドはいつもどおりの込み具合だったが、材料の供給が間に合わず、限定メニューでの販売、との張り紙があった。しばらくマックも食べられないかもね、とビックマックとえびフィレオを食す。
 車で来たから買い物でも、とホームセンターに行ってみると駐車場に長い列。嫌な予感がしたが、そこにはすでに不穏な空気が漂っていた。懐中電灯、カセットボンベ、電池式の携帯充電器、水の棚が空っぽ。乾電池は単1、単2だけがなくなっていた。最後の1個を手にして「よかった」と安堵する人、店員に詰め寄る人、みんなが買い急いでいた。私はペット用品と、実は懐中電灯用に単2電池も、と思っていたのだが、恐ろしくなり何も買わずに出てきた。別のスーパーでは水、パン、カップ麺が空。夜になってコンビニに行くと、お弁当や牛乳、その他すぐに食べられるものは皆無の状態。1日にして、この東京で、スーパーの棚が空になった。
 最初は買い占めというより、買い走りだったかもしれない。しかしあの空の棚を見た衝撃が、その後の様々な行動に結びついたのだろう。入店制限をするスーパーに並ぶ列、開店前の薬局でトイレットペーパーを買う列、お得意様にしか売りませんという米屋の張り紙、リュックを背負って買い回る熟年夫婦。これが平成の東京なのか、と動揺した。そして追い討ちをかけるような現都知事のあの大失言。東京にいることを、あのとき本気で嫌悪した。
 その一方、海外や地方にいる知人からfacebook、skypeで次々に連絡が来て、あまりアクセスしていなかったソーシャルメディアに久々にコミットし始めた。それを機に、震災の現状、人々の考え、世界の動きを知り、自分なりの行動を考え始めたのが、翌週からであった。(神谷巻尾)

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