東京都内地震レポート(後編)
震災から1ヶ月。前回も書いたように、震災当日の都心は帰宅難民であふれた。2時間程度で帰宅できた人から、5時間かけて帰宅する人や、途中であきらめてマンガ喫茶で夜を明かす人などがいた。
いつもであれば、深夜12時を過ぎるとどこの企業でも看板やイルミネーションの明かりが消え暗くなる。その日は、帰宅者のために明かりがずっとともっていて明るかった。東京タワーも展望室から上の部分がついていて、目印になったのではないだろうか。都内で(特に23区のオフィス街)働くすべての人が区内に住んでいるわけではなく、東京の市内、神奈川、千葉、埼玉から出勤している人が多い。終日電車がストップしてしまうと、帰宅の足がなくなり徒歩での帰宅を余儀なくされてしまう。サラリーマンの制服といえばスーツに革靴だが、その格好で長時間歩くと足に負担がかかる。我が家でも夫が翌日あたりから足が痛いと言っていて、1週間後にとうとう歩けなくなるほど痛いと訴えたので病院へ行ったところ、「コンクリート炎症」という病名を医師から伝えられた。どうやらその病院では、地震翌日から足の痛みを訴えて訪れる人が多く、中には腫れあがっている人もいたという。革靴の場合クッションがないので、コンクリートからの衝撃を直に与えてしまうことが原因なのだろう。地震関連の書籍に、「オフィスのロッカーにスニーカーを置いておく」という記述があったが、備えあれば憂いなしということで、安いスニーカーを買って置いておくのもいいかもしれない。
さて、この一ヶ月の街の状況だが、最近は人も増えて活気が戻ってきたように感じる。
3月12日から1週間は店の半分がしまっていた。私の住んでいるところは、平日休日関係なく日本人、外国人を含めていろいろなところから観光客が来ているところなのだが、本当に人が少なかった。元旦以来の人出。
食品関係は、保存がきくというわけでもないのに食パン完売が続出。スーパーの安い菓子パン系も置いていない。ネットで空っぽの棚の写真がたくさんアップロードされていたが、本当にそのままだった。キムチは売れ残っていた。店舗によっては、桃屋の例のラー油もたくさん置いてあったそうだ。プレーンヨーグルトもぎりぎり購入できたが、それ以降はいっさいみなくなった。野菜類は問題なかったが、保存のきく食品はことごとく売り切れていた。
放射能漏れも関係あったかは定かではないが、外資系の店舗は軒並み休み。デパートは6時で閉店。夜は真っ暗。どれだけ繁華街では電力が使われていたかがわかる。このあたりは輪番停電には入っていなかったが、どこも自発的にネオンの消灯、店内の照明を暗くする、閉店時間を早めるなどの対策を行っていた。うちでも無駄な電気は消すなどの節電をした。今も継続している。
2週目も変わらず店は休みか6時閉店。デパートの閉店間際セールは、普段よりも人が少ないため選べる種類が多かった。スーパーの品ぞろえもあまりよくないけど、前の週よりはましになっていた。納豆、牛乳、卵、ヨーグルト、ミネラルウォーターはなかった。
平日はもちろんのこと、週末の歩行者天国が中止になっていたため人が少なかった。
3週目、4週目になると人出は普段通り。デパートの閉店は3週目は平日は7時、週末は6時まで。外資系メーカーも含めていつも通りにオープン。先週はもう通常営業に戻っていた。歩行者天国も再開され、4丁目~7丁目の人出はいつもとかわらず多かった。テレビ局のクルーも多数いた。
夜に歩くことも多いので、個人的には、街灯をもう少しつけて欲しいと思う。暗いとスーツのダークカラーが同化して気をつけて歩かないとぶつかってしまうし、子供が歩いてると危ないのではないかな。7時くらいまで明るい時期になるにはもう少しかかるから、そのときまで街灯がついていると安心できる。
震災から1ヶ月の4月11日。福島県が震源地の地震が数回起こり、こちらも大きく揺れた。今後も余震が半年から1年は続くようなので、本震の教訓を活かして備えていきたい。(奥津)
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