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2011年4月

2011年4月30日 (土)

「みんなでランチパックサミット!2011」ライブレポート出来

去る2月27日(ずいぶん去りましたが)に行われた、「みんなでランチパックサミット!2011」のライブレポートが完成しました!

会場の方が書いて下さいました。

来てくれた人も、行けなかった人も、会場の雰囲気をどうぞご覧下さい。

http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/2011110227-94d2.html

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2011年4月29日 (金)

OL財布事情の近年史/第26回 『日経WOMAN』『Hanako』の時代きた!88年創刊(後編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

前編はこちら

 一方『Hanako』は、モデルにっこりの表紙ではなく、オーストラリアのアーティスト、ケン・ドーンの絵というのが斬新だった。コアラがサングラスかけているイラストは、たまらなくお洒落で新しく感じたのである。誌面は大特集主義でなく、コラム的な情報が続くが、創刊号(88年6月2日号)の冒頭はもちろんファッションでもメイクでもなく、賃貸物件。「“陽当たり良好・徒歩5分だけじゃ いや。すぐ借りられます。厳選27物件」で、ウォーターフロントのマンション、建築家がデザインした部屋などを紹介している。一人暮らしも単なる憧れではなく、「だけじゃ いや。」とワガママを発揮する消費の対象となってきた。
 続くのは、なんとマネー記事。「貯蓄はゲーム、自分の力でお金持ちになる時代です。」と、思い切りマネーゲームを煽っている。萩原博子、木村佳子ら女性マネー評論家が台頭してきた頃だが、このお二人、節約や年金破綻に視点をシフトして今でも人気の萩原さんに対し、株一筋、さまざまな投資法を追求し続けた木村さんは最近お見かけしない。お金は水もの、と身を持って教えてくださっているのですね。
 『Hanako』といえば東京の街情報、というイメージだが、創刊当時は現在とも、当時の女性誌とも一線を画す。「TOKYO CHECK&CHECK 今夜はココで食べる、明日は……。」「自分の住んでいる街を愛してんだ。」「首都圏混雑エリアのマップ付き駐車テクニック」等々、おごってもらったり助手席専門だったりする女の子とは違う、自分の意思で東京を遊ぶ女性のための情報という、意図がみてとれる誌面であった。
 働き、遊び、自立した女性。WWとハナコさんのお財布を次回から分析していこう。(神谷巻尾)

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2011年4月27日 (水)

★書店様向け★POPダウンロード『原発暴走列島』

『原発暴走列島』は、もう書店様に行き届いたでしょうか・・・

原発コーナー、震災コーナーを作られている書店様が多くあるかと思います。

売り場を少しでも賑やかにしていただければと、POPを2種類ご用意しました。

PDF形式です。ご活用下さい。↓

「nucilandpop1.pdf」をダウンロード

「nucilandpop2.pdf」をダウンロード

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放射能に対する想像力

 昨日、チェルノブイリ原発事故から25年を迎えた。正直、当時のことはあまり覚えていない。ヨーロッパ中で放射能汚染に対する恐怖が高まり、子どもにヨウ素を与えていた映像ぐらいだろうか。つまり人事だったのだ。

 出版業界に入り、原発の情報に多く触れるようになっても、東京に放射性物質が飛んでくることを、自分の出来事として考えてはいなかった。それどころかコソボで劣化ウラン弾の取材を体験してもなお、放射能の恐怖を実感できてなかった。放射能の恐怖を感じている今ならわかる。
 
 私の見た高濃度の放射能汚染地帯は、緑あふれた小さな山の一角だった。日本なら里山といったところか。名も知らぬ花が咲き、黄色い蝶が飛び回っていた。劣化ウラン弾が地面から数メートルのところに残り、財政的な問題から土壌の浄化もできないことなど、とても信じられなかった。

 立ち入り禁止の山に入れたのは、その山からわき出る水の検査を地方自治体が続けており、それに同行させてもらったからだ。土地を完全に浄化することができない以上、とにかく監視するしかない。悪路をジープで駆け上がり、白い円筒形の検査機をわき出ている水に突っ込み、数値を記録する。その数メートルむこうには、白いビニールテープが張られていた。土壌の汚染が通常の1万倍を超える危険地帯だった。

 同様の光景が日本で再現される可能性があることを、やはり私は実感できていなかった。それは想像力の問題だろう。そうした貧しい想像力につけ込まれて原発の「安全神話」は生き続けてきたのだ、と遅まきながら最近悟った。

 今回の事故後、多くの外国人が日本を離れ、子どもを持つ親たちがミネラルウォーターを求めて行列をつくった。そうした現象を過剰反応だと笑う人もいたし、テレビでは安全を連呼していた。しかし、放射能に対するこうした反応は、過剰なものなのだろうか?

 今回の弊社の新刊『原発暴走列島』の中で、鎌田慧氏は原発労働者の労災認定が、10人程度しかいないことを明らかにしている。それは原発での点検や修理などで被曝した労働者が若くしてガンで亡くなっても、「因果関係が明らかではない」と電力会社も国も司法も認めてこなかったからである。

 じつは枝野幸男官房長官が語る「直ちに影響はない」安全とは、原発が原因でのガンが10人程度だと強弁する「安全」と同じなのだ。これで信じろという方が無理である。

『原発暴走列島』には、第2章に35年前の発表した福島第一原発のルポを収録した。そこには原発労働者にガンが多発していること、その子ども達に障害児が生まれていること、事故を徹底的に隠蔽しようした東京電力の姿などが克明に描かれている。
 そのルポの終わりはこうだ。

――ある日、テレビが金切り声をあげる。
「○○原発に重大な事故が発生しました。全員退避して下さい」
 が、光も、音も、臭いも、なにもない。見えない放射能だけが確実にあなたを襲う。

 35年前から鎌田氏は、原発事故を実感としてとらえていた。
 だからこそ「ずっと原発に反対していたけど、止められなかったからね」と、事故後に寂しそうに語る。人の意識が追いつく前に、大規模な事故が起こってしまったことを悔やんでいるのだろう。

 日本列島が地震活動期に入ってしまった現在、すべての原発が暴走する可能性を持ってしまった。福島第一原発で何が起こり、これまで電力会社や政府がどんなごまかしを続けてきたのか書いた本書が、何かの助けになればと思っている。(大畑)

★amazonへの注文はこちらから↓

★電子書籍版もあります。(立ち読みも出来ます)↓

http://www.shinanobook.com/genre/book/792

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2011年4月26日 (火)

アラサー財布事情/第13回 特にありません

0426 ■Hさん(29歳)女性 職業:接客業 神奈川県在住

 実家で暮らしてます。母、兄の三人暮らしで、一番上の兄は一人暮らしをしてます。最寄りの駅までバスで20分くらいの団地です。立地はいいんじゃないかな。周りもうるさくないし。住み心地はそれなりかな。快適さは求めていないので。基本的に家は寝るところだと思ってるし。実家住まいのいいところは、家事をしなくていいところ。職場までは1時間弱かかります。
 一人暮らしはしたいけど、するなら大好きな沖縄でしたい。数年前に沖縄で暮らしたことはあるけどしんどかったです。そのときは寮で暮らしてたんですが、家庭の事情で半年ぐらいしかいられませんでした。沖縄では、添乗員の仕事をしてました。こっちで仕事を見つけてからいきました。沖縄はいいところで、第二の故郷だと思ってます(笑)今でも年に1回は必ず行ってます。

 貯金は多少はあるけど、実家で暮らしてるとあんまりしないですね。

 最近買ったものは特にないかな。買い物自体あんまりしない。強いてあげるなら、洋服かな。
 買いに行く場所は海老名。人が少なくていい。
 好きなブランドも、服に対するこだわりもないです。試着してよかったら、自分が気に入ったらそれでいいと思ってます。全体的にモノトーンで、黒が多いです。本当に気が向かないと買わないけど、一度火がつくとがつんと買っちゃいます。そのときは、2~3万使いますね。昔よりも買わなくなりましたね。

 買い物以外だと、食べることに使います。胃が弱いのであんまり食べられないけど、1食1000円くらい。
 肉がだめなので、野菜、魚系が多いです。仕事がある時は毎回外食するので、週4回くらい。ないときは、週1くらいのペースで行ってます。

 今欲しいもの。扇風機が欲しいかな。部屋にエアコンがなくて、壁掛けのものしかないので。
 ほかは特にないです。買い物に行って思い浮かぶことは、電池が欲しい、とかそんなもんだし。ブランドものにも興味がないし。

 幸福度は、あまり幸せだと思うことはないけど、不幸だとも思わないから50%くらいかな。食べているときは幸せを感じます。(聞き手:奥津)

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2011年4月25日 (月)

サイトウの酒田発・大震災日記 4月25日

 先の見通しが全く見えない緊急避難。
 何の確証もない東電発表の工程表。
 自分の家なのに立ち入り禁止で罰金。などなど。住民の怒りと不安は収まることはない。
 原発は国策だが、国策に限らず国家は弱い者の意見をないがしろにする。反対意見には耳を貸さなくなる。国家がいうことは全て正しい。核をコントロールするという人間の自負。絶対に大丈夫だと見切り発車する。
 ここに資料はないが、東電は国の審議会で「1000年前に起きた大地震が再来する」という専門家のさんざんの指摘に対し真剣に取り上げなかったとの記事を3月終わり頃の毎日新聞で読んだ。だから、東電が繰り返す「想定外」は言い訳に過ぎないという説得力のあるものだった。
 国鉄の分割民営化の時も然りだ。国を二分した大議論にも関わらず国策により断行された。分民は利益追求に走り安全が脅かされると組合はさんざん指摘したが、国は聞く耳を持たなかった。その結果が今日で6年目のJR福知山線の大惨事だ。
 国は「一人も路頭に迷わせない」「組合差別はあってはならない」と約束したが、全て嘘だった。20数年間にわたり私たち関係者を苦しめ、人生を台無しにした。愚直さが仇になること自体おかしいが、うまく立ち回った強いものたちはもう忘れただろう。ひどすぎる仕打ちを受け続けた弱者は死んでも忘れない。
 最悪のレベルになったことについても、チェルノブイリのように死者は出していないなどといっていた。多くの家畜を餓死させ、広範な土壌や海を汚染して、自然をこれほどぶち壊しておきながら殺していないといえるのか。
 また一国の総理菅直人がぼろくそにいわれているが、これまで原発を推し進めてきた自民党政権の悪人たちこそまず先に引っ込んでほしい。
 被災地の人たちは支援に対してはただただありがとうと感謝の気持ちだけを述べている。復興に立ち向かっている人たちもまた、負けてはいられないと笑顔を見せながら奮起している。
 が、しかし。本当は悔しくて辛くて、皆々悲しくてどうしようもないのだろう。
 「日本は強い国」「日本の力を信じてる」とテレビでいつもやってはいるが、信じてないよ。信じていない国民はおれだけではないはずだ。きっと多いと思う。
 酒田の桜はやっと満開になりました。(斎藤典雄)

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2011年4月22日 (金)

OL財布事情の近年史/第25回 『日経WOMAN』『Hanako』の時代きた!88年創刊(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

1988年、OL 雑誌に革命を起こす2誌が相次いで創刊した。日経ホーム出版(現在は日経BP社)『日経WOMAN』と、マガジンハウス『Hanako』である。ワーキングウーマン、ワーキングマザー到来時代を見据えた『日経WOMAN』、「キャリアとケッコンだけじゃ いや」のキャッチコピーで、あらゆることにワガママになってきた若い女性を刺激する『Hanako』、どちらもこれまでの女性誌のメインテーマであるファッション・恋愛「以外」をコンセプトにして、当時のブイブイOLのハートをぐっとつかんだといえよう。
 まず『日経WOMAN』 は、1冊丸ごとどこを切っても女性の仕事に関する話題で、「働く女性」の可視化に尽力している。ワーキングウーマンを「WW」と表記し始めたのも、この雑誌だろうか。「働くことは“私”を生きること」と解釈する同誌は、キャリアや結婚の前提として、まず働き続けることを提唱しはじめた。
 創刊号 (88年5月号)巻頭特集が「働きやすい会社はどこか? 女性の活用度226社ランキング」という30ページ近くもあるリサーチ記事。雇用均等度、管理職登用度、戦力化度、母性保護度それぞれ100点満点で得点化し、総合得点でランキングしている。1位は化粧品のエイボン、以下西友、高島屋、日本航空、小田急百貨店と続く。「トップ10位のうち7社は流通 人気急上昇の金融は低迷」とあるように、当時は女子大生の就職でも銀行や証券会社が人気だったが、長く働き続けるためには勤続年数や育休の充実度もみなきゃダメ、と提言している。
 他にも「この男と一緒に仕事がしたい」「これが90年代の有望職種」「子育て助っ人をどう確保する?」と、働く意欲、向上心が満々。勢いどんなテーマも仕事がからみ、料理は「Ms Egg Eaterが疲れを知らぬ訳」、タウン情報は「ビジネス街おまかせMAP 西新宿」と、巻末保存版データファイルには「OA機器のあるホテル・喫茶店」など、攻めの姿勢を崩さない。もしや、と思って調べたら「24時間戦えますか」の「リゲイン」発売が、ちょうど同じ頃の88年6月。本当に世の中疲れ知らずであった。(後編につづく)(神谷巻尾)

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2011年4月21日 (木)

『原発暴走列島』です

『原爆暴走列島』でも、

『原発爆走列島』でも、

『原発暴走列車』でもありません。

『原発暴走列島』です。

注文の際にはお間違えなく!

26日頃から、全国書店に並びます。

立ち読みも出来る電子版はこちら↓

http://www.shinanobook.com/genre/book/792

amazonさんからの予約はこちら↓

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2011年4月20日 (水)

4月26日頃から店頭に並びます『原発暴走列島』

お待たせいたしました。

鎌田慧さんの新刊、『原発暴走列島』が

4月26日(火)頃から、店頭に並びます!

都内だと、25日の夕方から並ぶところもあるかもしれません。

置いて下さるという書店さんが次々と手を上げて下さり、嬉しい悲鳴に見舞われています。

黄色くて目立つ、こんな表紙です↓

Genpatsu120_2

見かけたらぜひ、お手にとってご覧下さい。

待ち遠しい!という方はこちら↓電子版です。立ち読みもできます!

http://www.shinanobook.com/genre/book/792

amazonさんからの予約はこちら↓

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2011年4月18日 (月)

サイトウの酒田発・大震災日記 4月16日

 毎日毎日被災地のことばかり思って来た。こんなに打ちのめされたことはこれまでになかった。それは誰もが同じだろう。
 問題は山積みだが、最優先に考えるのは未来の子どもたちと動くことの出来ないお年寄りのことだ。今現在の一番の頼りは何といっても元気な若い人たちだと思う。
 復興にこの先何年何十年かかるのかは分からない。もし私が同じ目に遭ったらもういいだろうと思うだろう。何も出来ずに何もせず再起不能に陥っているとしか考えられない。それでも今はきっと立ち直れると信じて励まし続けるしかない。これからも応援していくしかない。
 昨日は補償金の仮払いがニュースになっていた。原発で受けた精神的な苦痛などはお金では補えないが結局は金による解決しかない。全体の補償金となると法的な想定を超えた莫大な額になるのだろう。
 原発の収束は日を追って難かしくなっているといわれているが、今後私たちは不測の事態が起きかねないということを念頭に入れておくべきだろう。
 人は自然がなければ生きていけない。自然から恵みを受けるものは数知れない。その自然をぶち壊す原発などもういらない。
 私はニュースやらはパソコンで十分だと新聞は何年か前に止めた。読みたい時は図書館に行く。また、実は外飲みも止めた。こうして様々な節約をして、東京にいた時とは考えられないような生活をしている。それでも心は十分に満たされている。好きなことをする方法はいくらでもある。
 先日図書館で何気なく借りてきた忌野清志郎著「ロックで独立する方法」。今ここにある。表紙の顔がまたいいんだよ。なんとも憎めないロック野郎の顔をしている。そうだよな。短い人生、好きなように生きていくのが一番いい。本の中には「死んだと思って好きなようにやればいい」「何もないからこそやる気さえあればとんでもないエネルギーが生まれてくるかもしれない」みたいなことが書かれてあった。
 被災者は何もかも失ってしまったが、この苦しみや悲しみをいつまでも引きずっているわけにはいかない。奮い立って一歩踏み出すことだ。少しずつでいい。手と手をとり合って新しい明日を生きて行こう。
 さぁ、皆んなで!!(斎藤典雄)

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2011年4月16日 (土)

『原発暴走列島』速報!ゲラ読み【第6章】

第6章 行き詰まっていた原発政策

 福島第1原発の事故では、津波により冷却機能が停止したため自衛隊・東京消防庁による給水活動が行われた。これはテレビなどでも大々的に報道されていた。しかし、ただでさえ放射能を含む水があったところに大量の水を撒いたため、最悪の手段をとらざるをえなくなった。海への放水である。漁業関係の人間は激怒、東京電力は「申し訳ない」と涙を流して放水の実施を報告した。これは、もはや公害である。海は日本だけのものではない、各国からの批判は目に見えている。「薄まるから問題ない」という弁明で誰が納得するのだろう。風評被害で農家、畜産、漁業への影響はすでに始まっている。本章によると海への放水は、これが初めてではないというから驚きだ。07年の新潟県中越沖地震の際、まったく同じ状況が発生していた。柏崎刈羽原発の6号機の水が海にまで流れ出たという前例があったのである。同じ地震による事故なのは、管理体制が何も変わらなかったことの象徴なのではないか。

 原発関連施設で最も反対が強いのは、高レベル放射性廃棄物の最終処分地であるという。ここでもお金がからむ。まず、調査を受け入れれば年間10億円を2年間。そののちの概要調査が4年間で70億円。つまり、6年間調査に応じれば90億円の資金が国から自治体に配られる。ただでえ財政が逼迫しているのに、どこからそのお金がわき出てくるのだろうか強く疑問に思う。鎌田氏が原子力発電を「金子力」と表現するのも本作を読んで納得できる。

 1章から6章まで読んで、自分がいかに原子力発電のことを知らなかったかを痛感させられた。今回の福島第1原発の事故についてだけでなく、これまで山積みになってきた問題の両点を知ることができる1冊であることはまちがいない。

(枝元 葵)

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2011年4月15日 (金)

神谷巻尾の震災日記【4】

 「がんばれ東北、がんばろう日本」と、国民みんなが復興支援に目を向け始めたと思ったら、強い余震が頻発、福島原発事故レベル7、と事態が一向に収まらない。原発被害は本当に大丈夫なのか、日本経済が崩壊してしまうのでは、といった恐怖が被災地以外にもじわじわと広がってきたように感じる。今までの生活を脅かされつつあることへの不安が、東京でも様々な形で現れてきた。
 東京都知事選投票日の4月10日、高円寺では1万人を超える反原発デモが行われた。参加者の大半が20~30代の若者。当初は原発事故復旧に立ち向かう自衛隊や東電職員、不眠不休の枝野官房長官への礼賛が多く、原発自体を否定する意見は少数だったと思うが、ここに来て一挙にアンチの声が高まった。もしかしてその一因では、と思うのが、俳優のいしだ壱成が地震直前の3月4日に書いたブログ。話題になっていたので読んでみて驚いたが、彼は熱心な脱原子力論者で、子どもの頃母親と原発実験中止を訴える運動に四国まで行った体験をはじめ、日本の原子力発電の現状を長文で綴っていた。おそらくこの記事に共感したのは、彼と同世代の20~30代だろう。お金もなく義援金や積極的な支援はできない、だけど何かしなければと悶々としていた世代が、このような情報に触れて一気に「反原発」「デモ」に向かったのではないか。
 しかしながら、都知事選ではあっさり現職石原氏が4選を果たした。石原氏は主要候補者の中では唯一原発推進を明言していたが、そこは争点にはならなかったらしい。朝日新聞の出口調査によると、70歳以上の59%、「防災・危機管理」を重視した人の55%、「石原都政3期12年を評価する」人の56%が石原氏へ投票した。「震災も原発もかんべんしてくれ」「これまでと変わらず豊かに」「安全を守れ」というのが、高齢者の怒りの現れなのかもしれない。
 あまりに状況が日々変化するため、1週間前に書こうと思ったことも、昨日用意した資料も、すでに古くなっているこの頃。せめてその変化から退避せずにいたい。1点だけ、書こうと思っていたことについて。4月1日、新聞で雑誌『STORY』の全面広告を見た。定価を1割値上げして、その分を寄付として被災地支援に役立てるという。同誌はかの『JJ』の姉、というか4代上の姉雑誌で、現40代女性向けの女性誌。20代の頃バブル全盛期、ずっと消費意欲旺盛なまま年だけとってきた世代が対象だ。上昇志向で新しいことが大好物のこの層とチャリティというのが実にマッチしている。そして、数日後の皇太子夫妻が東京の避難所を訪問、という報道。適応障害の雅子妃の、約半年ぶりの公務復帰が避難所への訪問というのが印象深い。そこに意義を見いだし、行動されたということなのではないか。そして彼女も40代。変化を前向きに受け止められるのはこの世代の特権、ということで、そろそろ本筋の『OL財布事情の近年史』に戻りましょう。時代はそのバブル世代の、ちょうどバブル全盛期の頃。恐いもの見たさで、乞うご期待。(神谷巻尾)

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2011年4月14日 (木)

鎌田慧の現代を斬る/第149回 新刊『原発暴走列島』ダイジェスト

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、およそ3万人の死者と行方不明者をだし、一時は40万人を超える避難民を生みだした。歴史に残る大災害となったのだが、自然災害だけで済まない、「原発震災」だった。
 マグニチュード9.0の巨大地震は、38メートル以上の大津波を引き起こし、東北を中心とする太平洋岸の原発を直撃、とりわけ東京電力福島第一原発の4基に壊滅的なダメージをあたえた。津波によって、外部電源が遮断される「全交流電源喪失(ステーション・ブラックアウト)」の非常事態となり、緊急炉心冷却システムが不能となった。
 幸いなことに、5号炉、6号炉は、地震前から定期点検で停止中だった。

 1号炉、3号炉、2号炉とあたかも時限爆弾のように、日を置いて原子炉建屋が、水素爆発によって破壊され、鉄骨がむき出しになった。4月1日現在、1~3号炉は、原子炉、使用済み核燃料プールともに外部からの大量注水によって、辛うじて冷却がつづけられ、どうにか過熱が抑えられており、定期点検中のため核燃料棒が原子炉内になかった4号炉も貯蔵プールに大量の水を注いで燃料棒の過熱を防いでいる状態だ。
 つまり、4基同時に空中および海中に、高濃度の放射性物質を垂れ流す最悪のシナリオが、現在も進行中である。

 とくに1~3号炉の状態がひどい。1、3号炉は燃料棒は水から露出して溶融した疑いが強く、2号炉にいたっては炉心が熱で溶け出す炉心溶融が起きているようだ。原子炉圧力容器、その外側の格納容器、遮蔽壁、分厚いコンクリート壁の建屋の防護があっても、放射性物質が外界へ洩れ出して、地下水、海水、大気を高濃度に汚染しつづけている。米・スリーマイル島事故以上、旧ソ連・チェルノブイリ事故に匹敵する大事故である。

 3月30日、東京電力の勝俣恒久会長は、事故後、病気で倒れた清水正孝社長に代わって記者会見をおこない、1~4号機を廃炉にすると発表した。回収不能な放射能だけを残す、最悪の撤退である。

●すべては想定内

 東京電力など、電力会社にちかい原発推進派の御用学者たちは、福島原発の事故について「想定外だ」と開き直っている。想定外の津波によって非常用ディーゼル発電機が水没し、想定外にすべての冷却系の電源を失ったと。しかし、これがウソでしかない。
 反原発の常識となっていたのは、津波の引き起こす引き潮によって、取水口から水が入らなくなり、緊急炉心冷却装置が機能しなくなる、という不安である。ところが電力会社は、「安全だ」の一本槍で検討さえしなかった。

 福島第一原発とおなじゼネラル・エレクトリック(GE)の沸騰水型原子炉について、すでに30年前から、米国の研究機関、オークリッジ国立研究所が、すべての電源が失われたケースをシミュレーションしていたことを、3月31日の朝日新聞があきらかにしている。非常用バッテリーの使用可能時間こそ2時間ほど短いが、この想定では8時間後に「核燃料が露出」、10時間後に「燃料棒が溶けはじめ」、13時間半後には「格納容器損傷」となる。福島原発では、全交流電源喪失から24時間後に水素爆発が起こっていた。
 この記事には、原子力安全研究協会の松浦祥次郎理事長(元原子力安全委員長)の「何もかもダメになるといった状況は考えなくてもいいという暗黙の了解があった。隕石の直撃など、何でもかんでも対応できるかと言ったらそれは無理だ」とひらき直ったコメントが付されている。
 米国でおこなわれるシミュレーションさえ、隕石の直撃とおなじ程度の「想定」だった。この程度の「科学性」で「フェイルセーフで何重もの安全策を講じているから絶対に安全だ」と強弁してきたのだ。

 高濃度の汚染水が原子炉から吹き出し海への汚染が深刻化している。これも予想されていたことだ。原発内にはパイプが何キロとはしっている。地震で揺さぶられた配管すべてが健全だとは考えられない。地震による配管の破損は、技術者がずっと指摘しつづけてきたことだ。
 原子炉を冷やしつづけるために、大量の水をかけたため、高濃度の放射性廃棄物に汚染された水が屋内ばかりか、屋外にあふれ、ついにそれを放出することにした。海洋汚染が現実化した。

●労働者の被曝に支えられている原発

 3月24日、3人の労働者が高濃度に汚染された地下水の中で作業していて、水たまりで被曝したと報じられた。長靴を履かされていなかった。原発は労働者の被曝によって成立している産業である。事故があってもなくても、定期点検や炉心のメンテナンスなどで、大量の労働者が被曝していく。原発イコール被曝なのだ。被曝が原因でガンや白血病などに冒され、病気に斃れたり、死んでいった人たちの遺族が、たまに裁判を起こすが、因果関係がハッキリしない、と拒絶され、労災の認定すらされない。63年から原子力発電がおこなわれているのに、労災認定されたのは、これまで10人程度という少なさである。

 原発の労働環境は、きわめて差別的なことでも知られている。東京電力のエリート社員がいて、その下にIHIや東芝などのプラントメーカーが控える。その下の「協力会社」の労働者たちが、危険な末端仕事をすべて請け負っている。
 震災での被曝では、アラームが鳴ったのに、故障だと思って仕事をつづけていたとして問題になった。しかしアラームを無視するのは日常茶飯事である。個人線量計を付けていたら仕事にならないからと外す人も少なくない。だからこそ、人数分の線量計が揃っていなくても問題にならなかったのである。
 たまたま事故があったから記事になったが、原発の労働者はそうした劣悪な労働環境にずっと置かれてきた。そのあまりのひどさに、原発を辞めたあと、反対運動をはじめる人がでるようになって、内部の労働者の状況が少しずつわかるようになってきた。

 かつては名簿にない労働者が働いていたり、名前を変えて被曝線量に関係なく働いたりと、健康管理の甘さがなん度も問題になっている。原発労働者は被曝線量が多くなって管理区域内に入れなくなれば仕事を失う。だから生活のために被曝を許容してきた。
 福島の事故で労働者の被曝の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトにいきなり引き上げた。前は危険だといっておいて、今度は許容する。生身の人間が被曝する、という生命の重みがいっさい感じられない数字の操作だ。
 労働者の被曝線量を調べると、社員の数値が減っているのがわかる。また被曝労働者はどんどん増えている。これは老朽化にともなう大型機器の交換やひび割れの検査、ボルト替えなどが、頻繁におこなわれているからだ。

 11年4月現在、原発の暴発を防ぐために、必死で働いている下請労働者が英雄化され、国中が「頑張れ、頑張れ」と応援している。自分たちの健康のために、犠牲になる。特攻隊の論理だが、しかし彼らの将来の健康はどうなるのか。彼らも家族をかかえた父親であったり、将来性のある若者だったりする。原発がなければ被曝することなく、健康に生きられる人たちなのだ。

●地獄へ行く感じ

 ここで76年夏に取材し、『ガラスの檻の中で』(国際商業出版)として出版した福島第一原発のルポルタージュの一部を抜粋しておきたい。
 事故の隠蔽、労働者の被曝、障がい児の出産、原発周辺の汚染など、炉心溶融事故に至るまで、福島第一原発は、あらゆる矛盾を隠して操業しつづけてきた。その東電の体質は、このときから35年たっても、変わっていない。
 この報告を読んで下されば、どうして東電が福島原発のような大事故を引き起こしたのかわかるはずだ。また、なるべく事実を隠蔽し、住民の安全を考えることなく、自らは安全な場所で経済的な利益を追求する会社の姿勢も理解してもらえる、と思う。東電のどうしようもなさはそのころからのことである。

 ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― ※ ―― 

 科学技術の枠をつくして建造されているはずの原発が、それほど簡単に放射線を漏出するものだろうか。中で働いたことのある人たちと話してみても、信じられないような話ばかり続くのだ。いま、浪江町に建設が予定されている東北電力の原発に反対している、棚塩原発反対同盟の舛倉隆委員長は、72年9月に9日間ほど第1号炉で働いたことがある。
     ※     ※
「自然にも放射能があるというけど衣服にはつかないだろう。中で働いていると作業衣について、ポケット線量計が反応するし、床にもずいぶんたまっているんだ。坐り込んだりすると、メーターがふっきれるほど反応するんだ。便所へ行くんだっていちいち着換えて手と足を突っこむ測定器で測って、それから100メートルも離れたところまで行く。中にはシャワー室があっても、便所がないのはどういうことなのか。男は手でつまむから危いのだろうか。管理区域といったって、壁がある訳ではなし、黄色い線が引かれているだけ。そんないいかげんなもんさ。でも、働いているものは、中のことはなんにもいえないんだ。なんか話、すると、誰がその話をいったか、すぐたどられてクビにされてしまうし、やめたって、連れて行ってくれた人の迷惑になるから、やっぱりなんにもいえない」
     ※     ※
 また、ある人はこう言う。
「防護服をつけて、重い扉を引いて入ると、まるで地獄へ行くみたいでイヤだね。作業衣も、道具もなんにも外に出せない、ということはそれだけ汚染されているってことだ。あっちこっちでは蒸気が漏れているし、体内放射線がふえると、“もうこなくていい”といわれてクビになる。あとの補償はなんにもない。白血球がふえたり減ったりするのも、気持ちが悪いもんだ。前は温排水口の堤防で釣りさせていたのが、最近禁止したのもやはり怪しいとにらんでいるんだ」
     ※     ※
 ある孫請け業者だった人はこう言う。パイプ工事で入っていたのだが、作業員を掃除などに強制的に引っぱられるので、もう数年前にやめている。働いている人が、嫌がって行かないからだ、と言う。
「パイプの工事には、普通、伸縮自在の継ぎ手をつかうもんだ。熱によってパイプが膨張するからね。鉄道の線路に隙間があるのと同じことだ。ところが、原発内のパイプにはこれを使わないんだよね。継ぎ手がないから、亀裂が入って当り前だよ。検査だって長いパイプを全部通してやると、かならずどっからか洩れるもんだから、一部分だけに抑えてやってしまうんだ。初めはうるさくて大変だろうと思ったけど、行ってみたらどうってことはない、ばったりばったり(行きあたりばったり)でいいんだ。蒸気洩れなんかある訳だよ。設計ミスなのか、配管しているとパイプ同士がぶつかったりする。そのたびに、設計変更してエレべーション(高低)をつけるんだ、こっちはパイプの量が増えてカネになるからいいけれど。原発のことはよく知らないけど、付帯工事の様子を見るとなんかおかしいから、このへんで逃げようってんで、やめたんだ。50~60人の溶接屋の会社で、2人の子供が歯が飛び出てしまって、会社のカネで治療に行ってるという話も聞いたしね。働いている奴はモルモット代わりなのさ」

●奇形児出産の噂

 歩き回っているうちに、東電で働いている労働者の家庭に小頭症の赤子が生まれた、という話をきいた。3年ほど前にひとり、そして76年2月にひとり。両方ともに、脳が欠落していて死産だった、という。私は、なにかの本で見た広島での、ホルマリンづけの胎児の写真を思い浮かべた。もしそれが本当だとしたら、放射線汚染による遺伝の証拠になる。福島第一原発第1号炉が運転開始されてすでに5年になる。やがてこの辺り一帯に14基もの原発が軒をならべるようにして稼働することに対する、自然からの重大な警告なのかも知れない。
 私は、まず、ある人の紹介で病院の事務長に会った。さきに様子を探ってみることにしたのである。が、その人は底抜けの好人物なのかどうか、私が電話するとすぐ、東電に対して、こういう人が取材に行くからよろしく、と電話を入れてくれていたのだった。
     ※     ※
 病院へ訪ねて行くこと自体、私はかなりこだわっていた。あとからなにか迷惑がかかっては、と思ったのだが、彼は全然かまわない、と強く言った。院長が留守だったためか、院長室に通され、応接セットで向かい合って私はたずねた。
「この病院では、かなりの数の奇形児が生まれているとのことですが」
「いいえ、そんなことは聞いたこともありません」
 私は小頭症以外にも、いろんな症状の奇形児出産の噂を聞いてきていた。産婦人科の医者を紹介してもらうことにした。ちょうど昼前で、診療は一段落ついているようだった。
 私が聞いたのは、単なるうわさというより、かなり確かな情報だったのだ。が、それ以上深くは突っ込めないのである。岩本議員が議会でつるし上げられたように、否定されれば、証明する手段は、情報提供者を表面に出すしかないのである。それに因果関係の証明、という難問題も残る。

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2011年4月13日 (水)

鎌田慧新刊『原発暴走列島』電子書籍版出来!

原発問題を問い続けて30年以上。鎌田慧さんの新刊が待望の電子書籍で登場です。http://www.shinanobook.com/genre/book/792

『原発列島を歩く』『六ヶ所村の記録』など名ルポルタージュを著した筆者が今回の東日本大震災を踏まえての緊急出版。内容は既に当ブログで紹介している通り。

第1章   大震災が切り裂いた安全神話
第2章   FUKUSHIMA'76 夏
第3章 悪魔の選択プルサーマル
第4章 生かされなかったJCO臨界の教訓
第5章 東電の発表はウソだらけ
第6章 すでに破綻していた原発政策

読み応え十分ななか、とくに驚かされるのが2章。今から30年以上前に福島第一原発を取材した内容が載っています。そこで筆者が見聞きした内容はまさに今の黙示録。1976年の原稿の最後は

 ある日、テレビが金切り声をあげる。
「○○原発に重大な事故が発生しました。全員退避して下さい」
 が、光も、音も、臭いも、なにもない。見えない放射能だけが確実にあなたを襲う。

だ。ぜひご一読下さい

URL    http://www.shinanobook.com/genre/book/792

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2011年4月12日 (火)

サイトウの酒田発・大震災日記 4月12日

 今朝のニュースを見て驚いた。一瞬固まってしまった。動けなくなったのだ。
 原子力安全保安院は原発の事故評価をチェルノブイリと同じ最悪の「レベル7」に引き上げたと発表した。
 ほとんどの人はチェルノブイリがどんなものなのか知らないのだろう。ただチェルノブイリのようになると大変だという認識ぐらいで、どのような状態なのか、どうすればいいのかはわからないで騒いでいるだけのように思える。実際、そういう私もそうなのだが……。
 しかし、地震や火事なら実感できる。だから行動に移せる。だが、放射能は目に見えない災害だ。だから恐い。不安と恐怖だけでどう行動したらいいのか分からなくなる。でも今はまず冷静に。
 昨日はまた、国は「計画的避難区域」の指示を出した。これまでの単なる距離による同心円状の地域ではなく、20キロ圏外の具体的な市町村名を挙げていた。
 国によれば、放射線の年間積算量が高水準になる恐れのある地域は、国と自治体が調整を済ませた上でこの先一ヶ月をめどに避難するというものだった。
 今現在、屋内待避自主避難となっている20~30キロ圏内は、今後放射線放出の悪化が否定できないとして長期にいる人たちの健康上のリスクを考えた上での処置だという。
 遅いんだよな、今頃。子どもの学校だってあるだろう。年度内に出来なかったのか。田畑や家畜はどうする。一ヶ月で出来るのか。
 予想外の拡散だとしても、同心円状の対応もバカげていた。地形や風向きで均等にならないのはちょっと考えれば私にも分かる。
 住民はただただ翻弄されっぱなしだ。復興どころの話ではない。住民にはどんな危険があるのか最悪の事態を想定して示すべきだと前から何度もいってきたことだ。
 この国は何でもそうだと思う。事故が起こらない対策はするが起きた後の対策はあまりにも疎そかだ。お粗末すぎるのだ。何もかも後手後手に見える対応には、怒りを通り越してやるせなくなるばかりだ。
 長く険しい道のりになるだろう。地元の人たちには何をどういえばいいのか分からない。これまで数え切れないほどいった「頑張って」という言葉で励ますしか、今の私には出来ません。(斎藤典雄)

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東京都内地震レポート(後編)

 震災から1ヶ月。前回も書いたように、震災当日の都心は帰宅難民であふれた。2時間程度で帰宅できた人から、5時間かけて帰宅する人や、途中であきらめてマンガ喫茶で夜を明かす人などがいた。
 いつもであれば、深夜12時を過ぎるとどこの企業でも看板やイルミネーションの明かりが消え暗くなる。その日は、帰宅者のために明かりがずっとともっていて明るかった。東京タワーも展望室から上の部分がついていて、目印になったのではないだろうか。都内で(特に23区のオフィス街)働くすべての人が区内に住んでいるわけではなく、東京の市内、神奈川、千葉、埼玉から出勤している人が多い。終日電車がストップしてしまうと、帰宅の足がなくなり徒歩での帰宅を余儀なくされてしまう。サラリーマンの制服といえばスーツに革靴だが、その格好で長時間歩くと足に負担がかかる。我が家でも夫が翌日あたりから足が痛いと言っていて、1週間後にとうとう歩けなくなるほど痛いと訴えたので病院へ行ったところ、「コンクリート炎症」という病名を医師から伝えられた。どうやらその病院では、地震翌日から足の痛みを訴えて訪れる人が多く、中には腫れあがっている人もいたという。革靴の場合クッションがないので、コンクリートからの衝撃を直に与えてしまうことが原因なのだろう。地震関連の書籍に、「オフィスのロッカーにスニーカーを置いておく」という記述があったが、備えあれば憂いなしということで、安いスニーカーを買って置いておくのもいいかもしれない。

 さて、この一ヶ月の街の状況だが、最近は人も増えて活気が戻ってきたように感じる。
 3月12日から1週間は店の半分がしまっていた。私の住んでいるところは、平日休日関係なく日本人、外国人を含めていろいろなところから観光客が来ているところなのだが、本当に人が少なかった。元旦以来の人出。
 食品関係は、保存がきくというわけでもないのに食パン完売が続出。スーパーの安い菓子パン系も置いていない。ネットで空っぽの棚の写真がたくさんアップロードされていたが、本当にそのままだった。キムチは売れ残っていた。店舗によっては、桃屋の例のラー油もたくさん置いてあったそうだ。プレーンヨーグルトもぎりぎり購入できたが、それ以降はいっさいみなくなった。野菜類は問題なかったが、保存のきく食品はことごとく売り切れていた。
 放射能漏れも関係あったかは定かではないが、外資系の店舗は軒並み休み。デパートは6時で閉店。夜は真っ暗。どれだけ繁華街では電力が使われていたかがわかる。このあたりは輪番停電には入っていなかったが、どこも自発的にネオンの消灯、店内の照明を暗くする、閉店時間を早めるなどの対策を行っていた。うちでも無駄な電気は消すなどの節電をした。今も継続している。

 2週目も変わらず店は休みか6時閉店。デパートの閉店間際セールは、普段よりも人が少ないため選べる種類が多かった。スーパーの品ぞろえもあまりよくないけど、前の週よりはましになっていた。納豆、牛乳、卵、ヨーグルト、ミネラルウォーターはなかった。
 平日はもちろんのこと、週末の歩行者天国が中止になっていたため人が少なかった。

 3週目、4週目になると人出は普段通り。デパートの閉店は3週目は平日は7時、週末は6時まで。外資系メーカーも含めていつも通りにオープン。先週はもう通常営業に戻っていた。歩行者天国も再開され、4丁目~7丁目の人出はいつもとかわらず多かった。テレビ局のクルーも多数いた。
 夜に歩くことも多いので、個人的には、街灯をもう少しつけて欲しいと思う。暗いとスーツのダークカラーが同化して気をつけて歩かないとぶつかってしまうし、子供が歩いてると危ないのではないかな。7時くらいまで明るい時期になるにはもう少しかかるから、そのときまで街灯がついていると安心できる。

 震災から1ヶ月の4月11日。福島県が震源地の地震が数回起こり、こちらも大きく揺れた。今後も余震が半年から1年は続くようなので、本震の教訓を活かして備えていきたい。(奥津)

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2011年4月11日 (月)

サイトウの酒田発・大震災日記 4月11日

 昨日、菅首相が3度目の被災地を視察したとのニュースを見た(2度目じゃなかったか!?)。
 被災者は「いうだけ無駄だ。何かいっても別に変わる訳じゃない」「今頃来ても遅い」と前回同様冷やかで、政府への批判は相変わらずだった。
 また、首相は「復興は単に前に戻すのではなく、新たな創造、未来へ向かってのスタートだ」と述べたのに対し、「理念は素晴しいが、今をどう生き延びていくかで、まず目先のことを何とかしてほしい」と市民は訴えていた。
 いずれも全くその通りだと思う。今はまず目先のことだろう。スタートどころかゼロにも達していない。スタート地点はまだずっと遙か先だったんだね。私ももう掛ける言葉がない。
 それにしても、菅首相のやることなすことが批判される。全てが裏目に出る。
 振り返れば、普天間基地移設問題から始まり、この時は日米関係に発展。次に尖閣諸島海保船追突の日中関係。更にメドべージェフ国後島訪問の日ロ関係へと。そして今の原発では全世界の大問題となっている。
 '09年9月に政権交代をして、まだ1年半。よちよち歩きの赤ん坊にはあまりにも荷が重すぎたようだ。支持するわけではないが、気の毒に思う。同情してしまう。挫けないで頑張ってほしいよ。
 民主党は昨日の統一地方選挙でも大敗した。大方の予想通りだった。
 東京では石原前都知事の圧勝に終わった。曰く、「贅沢を捨てなきゃダメだ」「生活様式を改めないといけない」「パチンコや自販機はいらない」など、なんとも日本のおじいちゃん的発想だと私には思えるが、いつも大威張りで存在感がある。これまでの数多い失言すらどこ吹く風だ。
 まるで「貫禄」が違うものね。菅首相には「かんろく」でなしといわれないように日本をリードしてほしい。(斎藤典雄)

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『原発暴走列島』速報!ゲラ読み【第5章】

第5章 東電の発表はウソだらけ

 今回の原発事故を受けて、私が印象的に感じているのは情報の多さである。記者会見を挙げてみると、枝野官房長官、原子力安全保安院、東京電力の3つがそれぞれ別に行っている。今はTwitterYouTube等での発信も勢いを上げ、テレビでは生中継しない会見を配信していることは日常的になっている。情報を知っている人と知らない人の差が大きくなっていると強く感じる。もちろん、それを正しく判断するリテラシーがなければ意味がないのだけれど。爆発が連鎖的に発生し、日が経つにつれて明らかされる事実を聞いて、小出しにしていると私は感じた。本当に必要な情報が公開されているとは思えない。

 東京電力の隠蔽体質を世間にさらけ出したのは、02年の原発破損隠しであったと鎌田氏が書いている。発端は内部告発だが、この中の情報には炉心隔壁(シュラウド)のひび割れを取り替え、シートで隠したこと。緊急炉心冷却システムで見つかった損傷の兆候には金属部品を取りつけた後の周辺を色まで塗ってごまかしたという。この後に続く話も、読んでいて悲しくなるくらいであるが、事実なのである。

 東京電力は、この一連の事故の責任を追及されるだろう。被曝した人への補償問題はもちろんだが、首都圏の3分の1の電力をこれからどうするのかも早急に考えなければならない。責任を取るのは、一企業だけではないはずだ。経済産業省の管理下にある原子力安全・保安院を、一機関として権力を持たせるようにしなければ隠蔽体質を打開することはできないと私は考える。

(枝元 葵)

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2011年4月 9日 (土)

東京都内地震レポート(前編)

 3月11日の東日本大震災から1ヵ月が経とうとしているが、一昨日、M7.4、震度6強の地震が宮城県であった。今回の地震は夜11時半と遅い時間に起こった。
 ちょうどそのとき風呂からあがろうとしていたのだが、ゴトゴトと揺れる音に食器が落ちやしないかと不安になり、素っ裸で台所へ行き、食器立てを床に置いてテレビをつけた。
 翌日、書店で『緊急地震速報』という書籍を目にしたので立ち読みしたところ、どうやら揺れている最中に入浴しているときは、慌てて出ずに風呂場にいるのがいいと書いてあった。風呂場には怪我をするような落下物が置いてあるわけではないので、やり過ごすにはちょうどよい場所らしい。今後は気をつけたい。

 地震当日はたまたま家にいた。花粉症を発症していたので、近所の耳鼻科に行こうと準備をするためにパソコンの電源を落とした直後、揺れた。
 数日前に揺れたばかりだったので、いつものことかと気にせずにいたら違った。震度5の揺れなんて体験したことなかったから知らなかったけど、ゴゴゴって音がするんだね。我が家は高層階にあるのだが、さすがに折れるんじゃないかと心配になった。
 その時の私の行動はというと、1回目の揺れの時は壊れて閉まらなくなっていた台所の棚の扉を押さえていた。高いところにあったことと、コップなどが入っていたので割れたら最悪だった。お気に入りのコップがたくさんあったし、もう買えないものもある。長い揺れの中必死に押さえていた。
 揺れが収まり一息ついたところで余震の危険性を感じ、「もう一度同じものが来る」ということで急いで壊れた扉にガムテープを貼り、テーブルの上に神田明神で買った将門さんのお札を置き、落ちたものはそのままにして床に待機した。
 その間、実家に電話するも携帯電話が通じず誰にも無事だと言うことが伝えられなかったが、主人の実家から電話がかかってきたので実家に連絡してもらえるよう頼んだ。緊急時には通話をするためのツールとして携帯電話はあまり役に立たないということがわかった。その日の20時頃、8通ほどまとまってメールが受信されたが、メールツールとしても完璧というわけではないということか。
 家電がない我が家で役にたったのがインターネットだった。とりあえずGメールを送り無事を伝えることができた。ただ、今回は震度5で済んだからインターネットが使えたのかもしれない。関東大震災のような首都直下型の震災が起こった場合、インターネットなどのケーブルが断線するかもしれないことを考えると、171の緊急伝言ダイヤルがあるのでそれの利用やドコモの伝言板(ファミリー割引に入っていると全員に一括して無事であることを伝えられる)を利用するのもありだ。いずれにしろ、家族間で連絡方法をどうしておくのか相談が必要だ。

 地震の影響で電車がストップし、多くの帰宅困難者が出た。私が住んでいるところは、オフィス街に近いためスーツを着ている人がたくさん歩いているところがベランダから見えた。いつもは人通りの少ない自宅前の通りを歩く人や、不況で乗る人の少ないタクシーが渋滞を作っていたりといつもと違う雰囲気が当たり前だがその日はあった。
 当日の状況について何人かに話をきいてみた。
 豊島区の職場から2時間かけて帰宅した主人に聞いたところ、「道にたくさんの人があふれてて、中にはこのまま歩いていても時間がかかるからと道ばたで酒盛りをはじめる人がいたり、飯田橋の歩道橋は人の多さで落下しそうだった」
 大手町に勤める友人は、「成城学園まで歩いたら電車が動いたからそれに乗って帰った。自宅は低層階にあるから全く被害はなかた」
 中華街に勤める友人は、「帰宅するのにタクシーを拾ったらちょうどガソリンを満タンに入れた直後だったみたいでそれで帰れた。でも普段なら4000円くらいで帰れるのに、渋滞で倍の料金がかかった」
 いつも行くショップの女の子は、「家に帰ったら部屋の中がぐちゃぐちゃで、香水の瓶が全部割れてて物凄いにおいになってて泣きそうでしたよー!」
 バイト先の事務の子は、「たまたまその日は家にいて歯を磨いてた最中に地震がきたんですけど、洗面所のものがバシバシ落ちてきて大変でした!」と言って写真を見せてくれた。

 完全なる被災地ではないものの、かつて体験したことのない状況に震災から1週間ほど東京はパニック状態に陥っていた。
 次回は、1ヵ月間の街の様子についてレポートしたい。(奥津)

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『原発暴走列島』速報!ゲラ読み【第4章】

4月下旬発売の新刊『原発暴走列島』速報!ゲラ読み

(枝元 葵)

・第4章 生かされなかったJCO臨界の教訓

  原子力発電による事故の悲惨さは、読んでいて悲しくなるほどである。1999930日に発生した「JCO東海事業所」の臨海事故は、2人の労働者が放射線被曝の犠牲となった。このうちの1人である大内久さんは、被曝から83日目に多臓器不全で亡くなった。原子力の被曝者として、各国の医師による世界規模の治療が行われたという。他にも慢性被曝で下請労働者が大量に被曝し、その因果関係を明確にできないまま死亡している。この本に書かれている以上のことが、現場では起こっているのは明らかである。実際に、JCOの事故の際に臨界事故を防いだのは、核物質の基本的な知識すら知らない社員33名だったという。防護服もなく、被曝覚悟の行為によってくいとめられた事故であったと書かれている。

 今回もそうではないだろうか。建屋内で作業をしていた下請作業員3名が足元に溜まっていた強い放射能を含む水に触れて病院に搬送された。この3人は基準値を大きく上まわる数値が観測されたため大きく報道されたが、水素爆発により除染が必要なレベルの被曝をした住民もいる。テレビの報道に偏りがあることを、今回の事件で私は実感している。

 原発を受け入れる地域には、電源三法によって決められた原発立地交付金が支給される。しかし、このお金は7年間だけであるため、その期間を過ぎればこれまで入ってきたお金は入らない。だから、新たな原発開発を受容せざるを得ないというスパイラルがあるという。地域活性化、地元の雇用増大を売り文句に、これまで推進してきた人もいるだろう。今この福島第1原発の事故を受けて、その流れは大きく変わることは目に見えている。鎌田さんも述べているが、今後原子力に変わる代替エネルギーについて議論をしなければいけない。

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2011年4月 8日 (金)

サイトウの酒田発・大震災日記 4月7日

 今日は息抜き、一休みする。
 という訳で、改めて自己紹介をしたらどうなのかという声があった。「おれは何者なのか」みたいなことをかいつまんで書こうと思う。
 私はJRで中央線の車掌をしていたが、会社にある55才の早期退職制度に応じて昨年の1月に退職。東京からふるさとの酒田へ戻って来たら、気の遠くなるような猛暑、48年ぶりという大雪、そしてこの度の大震災と、まるで信じられないようなことばかりに見舞われつつ今日に至っている。
 退職を決めた理由はいくつかあったが、どれも決定的なものがあったわけではない。
 50になった頃だった。もういいかなと漠然と思った。その途端にその思いが日ごとに膨らみ、何日もしないうちにもういいだろう55で辞めようと固く決心した。
 職場の人間関係に長い間馴染めないものがあった。出勤するたびに吐き気を催すような人がたくさんいて、いつももう沢山だと思っていた。不規則な勤務も辛くなっていた。だが、これらは誰もが抱える問題であり、皆我慢して60の定年まで頑張っている。
 一人暮らしのおふくろが認知症になった。施設に入れるしかなかった。月に何度か帰省しなければならなくなった。しかし、これもこのような状況に置かれている人は私一人ではない。
 長い間関わってきた「1047名問題」が55までには解決するだろうという機運があった。連載の「記録」も一つの区切りだと思った。
 国鉄時代は55で退職だった。その後は隠居で、誰もがおじいさんをやっていた。等々。
 以上、こじつけもあるがだいたいこんなところだ。
 55までの約5年間は退職後の綿密な計画を立て、その準備に当たった。また、このことは会社にも親しい同僚たちにも誰一人として退職ギリギリまでいっさいいわないできた。
 さて、私の趣味について話そう。
 まず、音楽全般で特にビートルズが好きだということに尽きる。今でも毎日のように聴いては新しい発見に「やられたぁ」と震えたりしている。
 次に料理だ。何でも作る。和食中心で特に魚が好き。もちろん酒は欠かせない。何でも飲む。
 そして掃除。趣味だなんて変だが、毎日しないと気が済まない。潔癖性なところがある。
 性格はといえば、このように自己顕示欲が強い。だが、人前に出るのと目立つことが大嫌いという矛盾だらけ。だからこうして見えないところでチマチマと書いている。影で何をやっているか分からないったらありゃしない。
 特技は、自分に都合の悪いことはすぐに忘れる。しかしこれは、物事を割り切り、切り替えるという努力が必要。
 あとは、これまでにお世話になった人は大勢いるが、中でも一番嬉しかったと思える人は、名前をいっても知っている人はいないに等しいが、某出版社の編集長をしている荻太氏だと一応挙げておく。
 おふくろのことだが、昔のことはハッキリとはいかないまでもよく覚えているが、最近のこととなると1分もしないうちにすぐに忘れてしまう。だから、あれだけ揺れた地震のことも何も覚えていない。
 そんなおふくろと先日桜の話をした。私はちょっと試して、「桜の花の色は」と聞いた。おふくろは暫く考えて「さくら色」といった。私は「う~む」と唸り、「桃の花は」と聞いた。すると「もも色」だと。当たってはいるが、「じゃあ、バラは」と、「バラ色」……。もうおかしくて久しぶりに大笑いしてしまった。いつまでも元気でいてほしい。
 震災の翌日、酒田中が停電した中で夜が明け始めた。私は静まりかえった早朝に、雪でガチンガチンに凍った道を一人トボトボと1時間以上歩いておふくろの施設に向かった。携帯ラジオは震災の物々しさを伝えていたが、「ここで一曲」といった。いったいこんな時に何をかけるのかと何ともフシギな気持に陥った。かける曲などあるはずがないと思ったのだ。するとリチャード・グレイダーマンのピアノ曲だった。キレイだった。涙が零れた。納得した。
 また、今問題となっている相撲の八百長についてだが、昨日20余名の処分が決定した。私は、八百長は心に誓ってやっていないという力士には徹底的に闘ってほしいと思った。連日幹部宅に押しかけて、玄関先でしこを踏み、家の壁を突き押すなどの練習を重ねる。しまいには家を倒してしまうくらいの怪力を身につける。そして、将来の相撲界のトップになることを期待したのだが。
 ま、そういうことばかり考えてしまうヘンな親父だということで、そろそろ終わる。
 最近、毎日聴いている歌が2つある。詞の内容といい、曲のテンポといい、とても美しく、これほど今にふさわしい曲はないとさえ思える。私が中学の時から聴き続けている斉藤哲夫の「悩み多き者よ」と友部正人の「一本道」だ。近年リメイクしたCDだが、機会があったらぜひ聴いてほしい。
 原発で命がけで作業をしている人たち、被災地で身を粉にして支援をしている人たち、本当に心から敬服している。被災された皆さんも一歩でも前へ進んでほしい。
 今日は私も自粛から一時避難してしまったことをお許し願いたい。
 それでは、また。(斎藤典雄)

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神谷巻尾の震災日記【3】

震災日記・3
 震災からちょうど1ヶ月。東京の町は停電もなくなり、スーパーに品物はほぼ揃い、自粛ムードも落ち着いてきた。テレビや新聞の報道も、被害の甚大さや原発事故の危機感を煽ったり、悲劇と感動ばかりを謳うようなものは、明らかに減ってきた。ともすれば不安や恐怖が蔓延しそうになる状況なのに、この短期間に沈静化したのは、やはりネットメディアの影響だろう。節電には「ヤシマ作戦」、買いだめ防止には「ウエシマ作戦」といった提案があっというまに波及し、ガスマスクのアップを表紙にした雑誌を罵倒し、被災者に密着したドキュメントを避難しテレビ局に抗議する動きが起こった。原発被害で行政もマスコミも近づかず孤立した地域の首長がYoutubeで直接支援を訴え、新聞がそれを翌日掲載という状態に、メディアの役割の変化を実感する。 
 
 当然、ネットを通してデマや風評、詐欺まがいの情報も多かった。あの“製油所火災で薬品まじりの雨”というデマも、地震翌日に二人の子どもがメール、mixiで受け取っていた。「友だちの友だちのお父さんが石油会社に勤めてて」「友人がみんな話題にしてる」など、不安な状況の中ではいかにも信じてしまいそうな情報だった。Twittterでも、避難状況、SOSを伝えるツイートが当初は多数拡散されていたが、やがてむやみなリツイートを諌める機運が現れ、情報の真偽を確認する機関もできていた。どれも数時間、数日といった短期間で浸透していくのを目の当たりにした。

 このスピード感覚は、被災地以外にいても災害を共有している、という実感につながっていくのではないか。あらゆる支援活動が次々に立ち上がっているが、そうやって今動けるのは、その感覚を持っている人たちだろう。
 逆に今までの生活、情報から離れられない人々が、買いだめ行動から離れられないのではと思う。買いだめ中心層は、オイルショックを経験した現在60〜70代くらいの世代、というのが多くの人の認識だと思うが、案の定その世代の「実家の母」は要注意であった。「お兄ちゃん(息子・50代)は納豆ないと生きていけないから朝買いにいくの。だからいっぱいあるわよ」「私は毎朝ヨーグルトだったのに、なんでないのかしらねえ」「スーパー行くと『奥さん今水あるわよ』って言われてなんとなく買っちゃう」等々、耳を覆うようなことをつい先日聞かされた。見ていないテレビ、使っていないホットカーペットもつけっぱなしである。当初はパニックも起こさず、停電でも慌ておらず、戦争体験者はさすが、と思っていただけにがっかりである。
 世代や意識によって明らかに違う震災。次回そこに言及して,通常の連載に戻りたいと思います。(神谷巻尾)

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『原発暴走列島』速報!ゲラ読み【第3章】

4月下旬発売の新刊『原発暴走列島』速報!ゲラ読み

3章 悪魔の選択プルサーマル

 福島第1原発事故で何が一番危険だったのか。それは、3号機で使われているMOX燃料と呼ばれる物質である。強調して報道されてはいないが、政府の対応で3号機への給水活動が優先して行われていたのはその理由である。本章では、その「福島原発3号機の危機は95年から始まっていた」という書き出しから始まる。

 MOX燃料とはプルトニウムとウランが含まれた物質で、それを軽水炉で燃やすことで発電する。このプルサーマル発電は、安全性に関する保障が全くない。事故が発生すれば被害は通常の原子炉事故の数十倍、数百倍に上るという。今ここに私が書いたことを、一体国民のどこまで知っているのだろうか。テレビニュースの報道を聞いているだけでは、知ることのない事実である。

そして、このMOX燃料を使用することになった原因が、9512月に発生した福井県の高速増殖炉「もんじゅ」の事故なのだという。この事故によって大量に余り続けることになってしまったプルトニウムの対策として、プルサーマル計画が生まれたという。これでは、事故から教訓を得たわけではなく、事故が事故を引き起こしたといえるのではないか。文部科学省の公式ページにある、「エネルギー資源に乏しい我が国において、高速増殖炉開発を進めることは必要であり、「もんじゅ」はその中核となる重要な施設です。」今、私はこの言葉を全く信じることができない。赤字で強調してある文字も、あがいているようにしか感じられない。

(枝元 葵)

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2011年4月 7日 (木)

池田大作より他に神はなし/第20回 炉心溶融の福島原発も名誉会長の行動力と言葉の前では、敗北の日顕一派同様に陽炎のように朽ち果てる。

 大震災への義援金詐欺が、各地で頻発との報道。エリート(自称)が原発のようなヤバい施設を、絶対安全だからと白面で主張(ゴロツキ機動隊をはべらせ)、平然と地震大国で稼動させる国だから、下々の者の中にそういう人間が出るのは仕方ない。本当に問題なのは、犯罪者としての自覚がある一部小悪党ではなく、善人面して義援金詐欺に等しい悪行を、白昼公然とする巨悪連中どもだ。筆頭がJR東日本と東京メトロ。エスカレーターを片っ端休止させてるが、年寄りや身障者、カートを引きずった者はどうしろと?4月1日に乗った山手線など、東京駅からしばらく車内停電で真っ暗(昼間)。本も読めねえぞ馬鹿野郎!(停電対策期間、運賃を値下げするなら文句は言わない)

 両社の腹黒い“便乗詐欺商法”には伝統が。エイペック等での、裏金警察の原資用行事の違法過剰警備にも即対応し、ゴミ箱を全面閉鎖。「テロ防止のため(?)ゴミは自宅に持ち帰って!」と、いけ図々しい車内放送まで。おい、そのゴミはどこから出てる? 厳戒下平然と営業中の、KIOSKと地下鉄の売店なのだ(素人店員だらけで、すぐ長蛇の列で不便な「NEW DAYS」とか)。“ゴミの元販売”でチャッカリ普段通りの利益を上げる一方、ゴミ回収廃止で莫大な経費を浮かせ、お客さまを産廃業者扱い。両社は盗人猛々しいを絵に描いたような、反社会的詐欺師公共機関だ(経済テロ企業)。

 互いの利益に合致するから、厚顔労使結託で腐臭プンプカプン!(枝野“安全でございます”2枚舌官房長官の大スポンサー筋、革マル系労組のみが悪い訳ではない)。公共機関だが、インフラ関連は役所と異なり情報公開もほとんどなされてない。公務員と違い匿名だし無責任でいいと、馬鹿学生の就職希望殺到というから、日本の未来は明るい。東京電力の次に“大爆発・炉心溶融”するのは、両社やガス関連と予測する俺。天下り役人を大量に受け入れ、必然性のない広告の大量出稿元なのも共通(官僚とマスコミを地位と金で黙らせる、東京電力モデル?)。電力会社や鉄道や地下鉄、ガスは、そもそも使用者が選択出来ない。広報費など本来不用だ。

 “名誉会長は、震災で亡(な)くなられた方々の冥福(めいふく)と被災地の一日も早い復興を深く祈念。全功労者の方々、さらに、広宣流布の全同志の先祖(せんぞ)代々の諸精霊(しょしょうりょう)の追善回向(えこう)を行い、メッセージを贈った”。(『聖教新聞』3月22日付け)

 菅直人“暗愚”総理は周囲の反対を押し切り、“福島原発ヘリコプターお気楽遊覧飛行”を強行、復旧作業を妨害、大爆発の大きな原因に。名誉会長の冷静かつ沈着な行動と比べ、まるで笑えない4流芸人並の軽挙妄動。おどおどしたニヤケ顔を見せられるだけで、心底情けなくなる。枝野“ただちに害はない”官房長官は、逆に真相を知りながら、深刻顔でごまかそうとの思惑が露骨。軽薄愛想笑いと豚足風深刻顔面演技、加えて新品作業着コスプレで放射能が消えるなら、俺も放射能ふりかけで飯3杯だ!

B  “片毒為薬(へんどくいやく)、宿命転換(しゅくめいてんかん)の仏法である。断(だん)じて乗り越えられぬ苦難(くなん)などない。打(う)ち破(やぶ)れぬ闇(やみ)などない。今こそ無量広大(むりょうこうだい)な仏力(ぶつりき)・法力(ほうりき)を現(あらわ)わす時である。/大変であればあるほど、まず、強盛(ごうじょう)なる祈(いの)りから一歩(いっぽ)を踏(ふ)み出すことだ。勇気ある信心こそ日蓮仏法の真髄だ(しんずい)。”(同・「御書とともに・名誉会長が指針を贈る」〈2〉より)

 心強い生命力溢れる言葉であり、永遠不滅の哲学を感じさせる。特に“打ち破(やぶ)れぬ闇(やみ)などない”の一節には涙が。一般マスコミもどうかしている。菅&枝野のペテン師コンビは勿論、原子力安全・保安院の西山英彦審議官の、60~70年代の人気漫才コンビ、獅子てんや瀬戸わんやのわんや似のお笑い顔を見てる視聴者が、更に不安を増幅させてるのが理解出来ないのか?(瀬戸わんやの、”ピ~ピ~ピヨコちゃんが~♪”というアホ踊りと、それを見て冷たく突き放す、獅子てんやの鬼畜残酷芸は懐かしいが)

 うっとうしい地デジ広報でテレビ画面の一角を汚すより、名誉会長の“打ち破(やぶ)れぬ~”の力強いお言葉を黒枠部分に記し、なぜ24時間全局で放送しないのか? 人心の平安は一瞬で回復されよう。世界の叡智(名誉会長の元には全世界から300以上の栄誉賞が)はそんな事にも気付かない、管総理以下のデタラメ振りに呆れ返っている。“東北で厳しい冷(ひ)え込(こ)み。毛布、カイロなど防寒(ぼうかん)対策しっかり。健康第一で”(同・「寸鉄」3月22日付け)“師弟不二”に生きる同志の言葉であろう。被災者に役立つ名言であると同時に、宮沢賢治を思わせる詩心が。教えの力恐るべし。名誉会長の行動力と言葉の前では、炉心溶融した複数の原発も、敗北の日顕一派同様に陽炎のように朽ち果てる。

 「相変わらずイカれてんな。お前がパソコンに向かってる間に、『聖教新聞』(3月22日付け)見せてもらったぜ。変じゃねえのこの記事?何で回向した名誉会長の写真が掲載されてねえの。あんなに出たがりなのに。寝たっきりでさ、惚けてよだれ垂れ流しで何も出来ねえから、部下がメッセージも書いてんだヨ。でもいい時に痴呆になったもん。日本沈没なんぞ見たかなかったろうしな、放射能も消滅させちゃう名誉会長だって!」

A  例の友人の元フリー編集者が久々に顔を。出版業界から締め出され、今は警備員のバイトをしてると。今日は近所の工事現場勤務だったので、帰りに顔を出したらしい。相変わらず無教養で下品極まる男だが、名誉会長のお写真がないのは変…との点だけでは意見が一致。こういう非常時だからこそ、全国、いや全世界の弟子は、師のお顔を拝見したいと熱烈に希求を。少々覇気を欠く表情だとしても、弟子には誰1人として“師弟共戦”の思いを減じさせる者などいない。『聖教新聞』の記者の皆様、ご一考を願いたい。(つづく)(塩山芳明)

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2011年4月 6日 (水)

サイトウの酒田発・大震災日記 4月6日

 国は分かっていないんだと思う。いや、分かってはいる。が、対応や説明の仕方が悪いからか、国民を小馬鹿にしているとさえ思えてくる。皆さんは納得していますか?
 こういう事故が起きると専門用語が出てくる。私たちの日常にはない言葉だ。毎日だから覚えてしまう。シーベルト、ベクレル、ヨウ素、セシウムと。だが他にもいっぱいあり、次から次へと出てくるものだから、最近ではごっちゃになってしまって何がなんだか分からなくなってきている。
 私には放射線と放射性物質の区別すらよく分かっていない。ひっくるめて放射能にしたら違う意味になるのかイケナイのかとイライラしたりする。
 それは数値にもいえる。何倍、何百倍ならまだしも、何万、何百万となると私には想像すらできなくなる。同じとも思えるし分からなくなる。ハッキリいって私たちに数値は関係ない。
 だから、会見や報道する場合、「放射能が非常に高い数値になった。危険だからテレビを消して逃げて下さい」、あるいは「この数値は全く問題ない。大丈夫だからゆっくり寛いで下さい」でいいのではないかと本気で思う。安全かそうでないかのどちらかなのだ。
 また、コウナゴから規制値を超えるセシウムが検出されたとニュースになっていた。「コウナゴ」って何? と分からない人もいるのではないかと思う。殆どの人はアジ、サバ、マグロ位しか思いつかないのではないか。鯛や鰯、鰹など漢字ですぐに書ける人なら「小女子」も知っているかもしれないが、結局は魚でしょ。「魚から高い放射能が検出された」でいいのではないかということだ。
 「いや、違う。魚の名前を一つ一つ挙げてもらわないと困る」と強く異を唱える人もいるだろう。しかし、よく考えてほしい。いま、茨城沖でとれた魚が、銚子漁港から水揚げを拒否されたと問題になっていたが、それはコウナゴ以外の魚だった。海は広くどこまでも続いているのは誰だって分かる。小売店も消費者も万が一と大事をとって敬遠するのは賢明な心理であろう。海産物への影響は計り知れない事態になりつつある。もはや風評を越えた切実で真剣な問題だと思う。魚の名前を特定しただけでは済まない。いくら国が安全だと弁明しても、既に、国がいう原発20~30キロ圏内の問題ではなくなっているのではないか。
 こうした波紋は隣国の韓国にも広がっていた。汚染水を海に放出することをなぜ事前に伝えてくれなかったのかと、海の汚染を懸念して日本政府を批判していた。
 いずれにしても、原発近海に止どまらず、南北を含めた広範囲にわたる詳細な調査が求められると思う。(斎藤典雄)

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『原発暴走列島』速報!ゲラ読み【第2章】

4月下旬発売の新刊『原発暴走列島』速報!ゲラ読み

第2章 福島原発'76

原子力発電所の労災問題を中心に扱った第2章。ここでは、ずさんな管理状況を証言する労働者とひた隠しにする企業が浮き彫りとなっている。中でも本文中にある751月の全国電力労働組合連合会の、「原子力開発に対する第五次提言」に対する反応はひどい。「従業員の被曝量は青天井に増える」と発言した稲垣電労連会長は追放され、2ヵ月後に新執行部が誕生したのである。そんなに事実を伝えるのがいけないことなのか。実際、原発現場で働く下請け会社の労働者のなかで、ガンや白血病で亡くなった方はいるのである。しかし放射線被曝との因果関係は立証できない。その原因の1つに、労働者が携帯するべき被曝手帳が渡されていない点があるという。今奇形児の誕生、海から見つかる奇形魚。確実に原子力発電所の周辺では、異常が起き始めているのである。以上のことは、今回東日本大震災が発生し、マスコミの報道が原子力発電所に集中する前から鎌田慧さんが言及してきたことである。今回の事故で東電の下請け会社の3名も被曝し、病院に搬送された。そこで、放射能の測定を怠っていたことや放射能の危険性を作業員が認識していなかったことでずさんな管理体制が問題となった。以前と何も変わっていないのだ。そのことを今日まで国民が問題として認識してこなかったことは、非常に大きな問題なのではないかと私は感じた。(枝元 葵)

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2011年4月 5日 (火)

サイトウの酒田発・大震災日記 4月5日

放射性物質が大気や土壌、更には海にまで、ジワリジワリと拡散している。おれにはさっぱり分からねぇ。
 世界中の英知を結集した対応がとられているが、何一つとしてことごとく功を奏してはいない。おれには難しくて分からねぇ。
 試行錯誤の繰り返しで、事態の打開策は全く見えてこない。おれには何だか分からねぇ。
 このような、復旧どころか現状維持すら危ぶまれている中で、東電は4日、遂に、汚染水を海に放出すると決断した。
「非常に申し訳なく思っております」と、会見では涙を浮かべ断腸の思いを滲ませていたが、まさに東電自らが放射能を撒き散らすという禁じ手である。
 追い詰められた挙句の苦渋の選択を強いられた、止むに止まれぬ措置だというのはよく分かる。
 それにしても、まるで映画か小説でも読んでいるかのような信じられない事態だが、夢ではない。これが現実だ。
 究極の安全策がとられていなかったことに対しては、あまりにもお粗末で情けない。あれだけ安全だとしておきながら、何よりも無責任すぎる。
 しかし、私たち国民にはなす術が何もない。全てを専門家に委ねて、ただ黙って推移を見守るしかない。
 何度でもいうが、東電は想定外だったと天災を主張していたが、これは国の原子力政策が招いた人災であるとだけいっておく。
 危ないこと以外、おれにはさっぱり分からねぇ。ああ、分からねぇ

(斎藤典雄)

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『原発暴走列島』速報!ゲラ読み【第1章】

発売が4月下旬に迫った鎌田慧さんの新刊『原発暴走列島』(本体1429円+税)。

只今、鋭意執筆中ですが、

少しでも早く本の雰囲気を皆様にお伝えしたく、

ひとまずはできあがっている第1章から!

ゲラ読みの感想をおつたえします。

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『原発暴走列島』

第1章 “原発は地域に何を残したのか?”

 311日、東北関東大地震の発生によって毎日ニュースで報道されている「福島第一原子力発電所」。震災から3週間以上が経過し、都心では何事もなかったかのような日常が戻ってきている。人々の足となる電車は、節電のため臨時ダイヤでの運行、私の利用した井の頭線や山手線が「まっくら」という通常ならあり得ない状況に遭遇することが多々あった。

 おそらく、今回の地震によって津波被害が起こらなければ、今頃マスコミの報道も薄れていただろう。それに伴い、視聴者の意識も同様に薄らいでいたと思う。しかし、震災によって関東で供給される電気の3分の1を賄っていたものがなくなった。計画停電、臨時ダイヤ等で改めて今の生活がどれだけ過剰な電気を使っているか1人1人が認識したことだろう。これからもこの生活は続いていく。一過性の笑い話ではない。だからこそ、「原子力発電」について国民が考える必要があるのではないか。

 『原発暴走列島』の第一章、“原発は地域に何を残したのか”。ここでは、今回の事故について東京電力、原子力安全保安院、政府の反応やそれに関連する海外メディアの動向を書いている。私自身、メディアの中でも特にテレビからの情報を受けていたが、ころころと変わる判断や溢れる情報に対して何を信じていいのかわからなくなっていた。1つの情報源からだとわかりにくいが、複数からの視点によってわかることは非常に多い。普段自分が得ていた情報にはないこと、つまり本を読みながら初めて知る事実に驚きを隠せなかった。この章から感じたことは、「いかに自分がこれまで原子力発電に関心を持っていなかったか」である。発電所が自分の町に建設されることはないから、関心は薄かった。しかし、現在都心にまで放射能が恐怖をもたらしているのである。なぜ1010月から第3号機でMOX燃料の使用が始まってしまったのだろうか……。あと半年遅ければと悔やまれてならない。(枝元 葵)

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2011年4月 4日 (月)

●ホームレス自らを語る 第100回 100回も死にはぐった(前編)/高橋善春さん(71歳)

1104  日比谷公園(東京・千代田区)で会った高橋善春さん(71歳)は、これまでの生涯で100回は「死にはぐっている」(死にそうになった)という。
「一番最初に死にはぐったのは、小学生の遠足で銚子ヶ滝という滝を見に行ったときだ。高さが50メートルもあって、自殺の名所として有名なところでね。その滝口を上から覗き込んでいて、苔に足を滑らせ滝壺に転落しそうになった。傍の岩にしがみついて難を逃れたが、落ちていたらお陀仏だったな」
 高橋さんは福島県郡山市の出身。同市には常磐熱海という温泉郷があるが、その熱海地区の生まれである。銚子ヶ滝も同じ地区内にある観光名所だ。
「郡山は東北のシカゴとか、東北ギャングの街とかいわれていたんだ。対立する2つの暴力団があって、その抗争が絶え間なくてね。本格的な抗争になると、警察も手を出せないほど激しかったんだから」
 のちに高橋さん一家は東京に出てくることになるが、彼の話は郡山時代と東京時代を脈脈絡なく行ったり来たりで、その整合性を整えるのが大変である。
その頃、父親は近くの高玉鉱山で鉱山作業員として働き、金や銀を掘り出していたようだ。「高玉鉱山といえば日本三大鉱山の一つで、東北一の鉱山だったんだよ」と高橋さん。その高橋さんが2度目に死にはぐったのは、やはり郡山時代のことだが、年齢の記憶はないという。
「猪苗代湖畔に立ち入り禁止の洞窟があって、面白半分にどんどん入ってみたんだ。そうしたら出てこられなくなってさ。その洞窟は奥に向かって下り坂になっていて、いざ戻ろうとしたら登り坂になるだろう。足元の岩がツルツル滑って、思うように登れないいんだ。そのまま出られなくなって死ぬかと思ったよ」
 また、郡山時代には結核も患っている。肺門リンパ腺結核症という子どもが罹る結核症で、肺に穴が開いて1年近い療養生活を送ったそうだ。
 やがて高橋さんの父親は鉱山での仕事をやめ、しばらく炭焼きの仕事をしてから、一家を挙げて東京に出てくる。昭和27(1952)年の秋、高橋さんが中学2年生のときのことだ。
「東京は中野(杉並区)が住まいだった。オヤジは電話線の修理工をして働くようになった。オレは中野の中学校に転校したが、ズーズー弁の訛りがひどかったから、クラスのみんなからからかわれたよ」
 それでも深刻なイジメにはつながらなかったという。高橋さんは小柄で、どこか人懐っこく剽軽なところがあり、それがクラスの人気者への道を開いたようだ。

 中学校を卒業した高橋さんは、中野にあった味噌の醸造工場に就職する。
「オレの仕事は、味噌の出荷係。その頃の味噌は樽詰めにして出荷していた。5貫樽(18.75㎏)、10貫樽、20貫樽とあって、それを転がしながら運ぶんだ。転がすのはコツがあって、それを掴めば苦にならない。それにリアカーに似た運搬用の道具もあったしね」
 その味噌工場では7~8年働いてやめる。はじめのうちは軽作業が多かったが、年数を重ねるうちに力仕事が増えていき、それが辛くなったからというのがやめた理由だ。
 時期ははっきりしないが、高橋さんは東京に出てきて、また結核を罹病している。あるいはそれが離職と関係あるか。
「頸部リンパ腺結核(結核性リンパ腺炎)といって、首の後ろにコブができる結核なんだ。そのコブを手術で切り取ってもらって治った。ホントにそういう結核があるんだよ。というか、結核菌がリンパ腺に溜まってコブになる病気らしい。いまでも体調の悪いときは、その手術跡が疼くからね」
 高橋さんによれば、このときの結核罹病も、前の郡山時代の罹病も、ともに「死にはぐった」ことになるようだ。
 味噌工場をやめてから以後は、定職に就くこともなく、日雇い作業で日々の糊口をしのぐようになる。
「いろいろな仕事をやったよ。それこそ数えきれないくらいだ。一番多かったのは、建築現場の雑役の仕事だろうな。手配師から仕事をもらっては、関東一円を股にかけて働いた。深夜、翌日の作業資材を現場に運び入れる仕事も多かった。建築の仕事では、飯場に入ることもあったよ」
 次に多かったのが、トラックの上乗り。運転手の助手の仕事である。トラックの荷物の積み下ろしを手伝う仕事だが、現在では見られなくなった職種だ。
「印刷工場の日払いアルバイトで働くこともあった。夜勤の仕事で、朝、電話を入れて空きがあると働かせてもらえた。この仕事をしているときにも、一度死にはぐったことがある。業務用エレベーターに荷物をいっぱい積んで昇降していたら、過積載だったんだろうな。モーターが焼け出したらしくて、エレベーターが階と階の途中で止まってしまった。ドアをこじ開けようとしても開かないし、そのうちに箱の中に煙が充満してきて死ぬかと思ったよ」
 そのときはエレベーターの外にいた作業員が煙に気づき、大声でドア越しに緊急脱出の方法を教えてくれた。高橋さんはその指示に従って、ドアを開けて何とか脱出できた。
「ビルの外窓のガラス拭きの仕事をしていたときは、急な突風に吹かれて作業用ゴンドラから落っこちそうになった。そうかと思うと、製本工場で作業をしていたときには、ロボットの吊り荷が落下して、オレの目の前に落っこちてきた。危機一髪だった。そうやって幾度も死にはぐっているんだよ」
 そんなめに遭いながらも、71歳の今日まで生をまっとうしている高橋さんだ。(聞き手:神戸幸夫)(この項つづく)

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2011年4月 1日 (金)

神谷巻尾の震災日記【2】

地震発生翌朝、 兄弟たちと連絡をとる。新宿で仕事の講習中だった兄は即刻中止で新宿中央公園に避難、高層ビルの揺れを直視して最悪の事態も考えたという。携帯は夜まで通じず、徒歩で練馬の自宅まで帰ったそうだ。東京郊外在住の義姉宅は停電になり電話、携帯使えず、朝になってご主人が会社に泊ったことを知ったという。彼女の家は、あの駐車スロープが崩壊したコストコに程近いエリア。現場中継の映像でも周辺が真っ暗になっていたが、あの辺りだったのかもしれない。東京も交通機関がマヒし、停電になりえる震災だということを徐々に実感していった。
 翌日は土曜日で、子ども関係の活動は次々中止になっていったが、午後からの習い事は決行とのこと。ひとりで行かせるのは少し不安で昼食がてら送っていった。街道沿いのマクドナルドはいつもどおりの込み具合だったが、材料の供給が間に合わず、限定メニューでの販売、との張り紙があった。しばらくマックも食べられないかもね、とビックマックとえびフィレオを食す。
 車で来たから買い物でも、とホームセンターに行ってみると駐車場に長い列。嫌な予感がしたが、そこにはすでに不穏な空気が漂っていた。懐中電灯、カセットボンベ、電池式の携帯充電器、水の棚が空っぽ。乾電池は単1、単2だけがなくなっていた。最後の1個を手にして「よかった」と安堵する人、店員に詰め寄る人、みんなが買い急いでいた。私はペット用品と、実は懐中電灯用に単2電池も、と思っていたのだが、恐ろしくなり何も買わずに出てきた。別のスーパーでは水、パン、カップ麺が空。夜になってコンビニに行くと、お弁当や牛乳、その他すぐに食べられるものは皆無の状態。1日にして、この東京で、スーパーの棚が空になった。
 最初は買い占めというより、買い走りだったかもしれない。しかしあの空の棚を見た衝撃が、その後の様々な行動に結びついたのだろう。入店制限をするスーパーに並ぶ列、開店前の薬局でトイレットペーパーを買う列、お得意様にしか売りませんという米屋の張り紙、リュックを背負って買い回る熟年夫婦。これが平成の東京なのか、と動揺した。そして追い討ちをかけるような現都知事のあの大失言。東京にいることを、あのとき本気で嫌悪した。
 その一方、海外や地方にいる知人からfacebook、skypeで次々に連絡が来て、あまりアクセスしていなかったソーシャルメディアに久々にコミットし始めた。それを機に、震災の現状、人々の考え、世界の動きを知り、自分なりの行動を考え始めたのが、翌週からであった。(神谷巻尾)

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