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2011年3月25日 (金)

神谷巻尾の震災日記【1】

■■■いつもは連載『OL財布事情の近年史』を書いて下さっている神谷さんに、震災日記を寄せていただきました。■■■

 いつもどおりお財布記事を…と思ったが、それどころではないことが起こった。誰もが明るい未来しかないと思っていた1980年代についてなど、とても書けるとは思えず担当さんに泣きついたところ「日本中が「震災の時、誰がどう行動したか。そして今どこにいて、何を思っているか」を知りたいと感じているのでは」との提案をいただいた。冷静な判断の担当編集どのに敬服しつつ、一個人としての行動、感じたことなどを、ありのままに綴っていこうと思います。あらためて、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々ご遺族の皆様に深くお悔やみ申し上げます。

 3月11日、この日は締切が迫っていて、終日自宅で原稿作成作業をしていた。夜外出の予定があったので、夕食のカレーを煮込みながら机に向かっていたところで、地震発生。すぐにガスは止めたが、横揺れがだんだん大きくなって机の下にもぐってからはしばらく立ち上がれなかった。別の部屋にいた高校生の息子には「ストーブ消して!」「本棚から離れて!」と声をかけるのが精一杯。自宅は世田谷の西の端、鉄筋造の2階で、物も落ちずに被害はなかったのだが、初めて感じる揺れの大きさ、長さに、いつもとは違う、嫌なものを感じた。テレビをつけると、宮城沖で起きたこと、大きな津波があと何分で到達するということを切迫した様子でくり返していた。この時点では、設置カメラで撮影したテレビ局内の映像くらいで、わかったのは「大地震が起きた」ということ。津波も火災も原発事故も、知るのはずっと後のことだ。
 小学校から緊急メールでお迎えの要請が来て娘を迎えに行き、親が間に合わなそうにない近所の子も連れて一緒に帰った。ここ数年、小学校では月に一度の避難訓練、学校からの緊急メールなど災害対策が強化されていたが、それが機能していた。しかし今思うと電話もメールもすでに繋がりにくくなっていて、連絡が来なかったりしたら、あんなに落ち着いていられなかっただろう。息子の学校では試験休みで部活の生徒だけが登校していたが、帰宅できず100人以上が学校に泊まったという。HPやメーリングリストで「遠征中の生徒は徒歩で学校につきました」「夕食を食べています」など情報がまめに更新されていた。
 とりあえず家族は揃い、義母、実家、仕事関係、学校や地域関係など、近しい人と連絡はついた。テレビを見れば、各地の津波や火事の甚大な被害の映像が流され始めている。余震も頻繁にあり、これから大変になるのは間違いない、ひとり親なので私が子2人と犬猫を守らねば、という焦りも出てきた。そういえば大丈夫だったかな、と非常持出袋を確認して「水は買っておこう」と買物に出た。近所の人から「あそこのスーパーはすぐ閉めてたよ」と聞き、比較的いつもすいている店に行き、水1本と、ついでに切れていたパン、カップ麺数個を買った。思えばこれ、買いだめの一歩だったのは…と動揺しているのだが、あのときの判断能力はこれが精一杯だった。これ以降買物がストレスになり、そこから震災への視点も変化してゆき、それは今も続いている。(神谷巻尾)

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