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2011年3月20日 (日)

元・サイテイ車掌のあの頃日記

■■■『車掌の本音』『JRの秘密』『車掌に裁かれるJR』と、3冊の著書がある元・JR東日本車掌の斎藤典雄さん。今だからこそ書ける、自著に対しての思いを寄せてくれました。■■■

 今日は拙著について、これまでにあまり書いてこなかったことを書こうと思う。
 といっても、3冊についての解説や言い訳などではない。これまでに読者からよく聞かれてきたこと、すなわち、会社や組合などの反応についてである。
 といっても、と、ここで「といっても」とまたいってしまったが、のっけからうまく書けずに、この先が心配される。でも、途中で脱線しても、それはいつものご愛嬌としてお許し願いたい。
 それでは始めます。
 まず、私が書いてきたことは、組合の主張をおうむ返しにいっていただけである。それと、殆どが新聞やテレビでおおやけになったことばかりであり、それらについての私の意見や思想を述べてきたにすぎない。あとは、職場での人間関係や情けなくてアホバカな日常を吐露したものである。
 従って、一部でいわれてきた「内部告発」などという仰々しいものでは決してないし、現場一労働者であるヒラ社員の日々のぼやきの類なのである。
 その読者といえば、職場の人間、また、鉄道マニア、あとは中高生が多かったように思う。その人たちの反応はといえば、単純に「おもしろかった」というのが殆どで、本のメイン(だと思う)である「闘い」についての意見や感想は皆無に等しかったといっても過言ではなかった。
 その内容は次のようなものだ。
 会社や組合の実情を知らない人たちからは「こんなことまで書いていいのか」「おいおい、大丈夫なのか」といった心配してくれる声が多かったが、その渦中にいた私たちですら信じられないような出来事ばかりだったから、そういった忠告は当たり前のことだと思っていた。また、「もう書かないほうがいいぞ」「止めたほうがいい」というのも多かったが、「次(の作品)からは、会社や組合のことは書かないほうがいいと思いますよ」という、それなら書くことがなくなってしまうではないかと笑ってしまいたくなるような、田舎のおばさんからの手紙には心が和んだものです。あとは、「新聞を丸写しにしたような貴兄の論調には辟易する」「あなたの組合は時代遅れ。文句ばかりいっているのだから差別されて当然」というものやら、「会社からは相当な圧力があると思いますが……」という力強い激励まで、それぞれ様々な意見があるものだと思ったが、どれに対しても冷静に耳を傾けることが出来たし、腹が立つことよりも素直に全部が嬉しくて楽しかったと思い出す。それは、ある意味、全てにとはいかないが、覚悟を決めた部分があって、どこかが覚めていたからだと思う。そうでなければ、何よりも常にリスクが伴っていたのだから書いてなどいられるはずがない。
 さて、あくまでも推測になるが、会社からは要注意人物として目をつけられたのはいうまでもないことだろう。私は、いつか何かが必ず起きると踏んでいたので、どちらが先にシッポを出すかのせめぎ合いだとも思っていた。何かあったら書いてやると。ところが、いつになっても私には何もいって来ない。あの頃横行していたお咎めも処分も一切なかった。それでも、気が抜けたなどとは思ってはいられなかった。仕事上のミスは絶対に起こしてはならない。もちろん酒にまつわる不祥事もである。
 そんな中でおもしろかったこともある。それは、管理者の態度が一変したことだった。私に対しては、以前のような高飛車な態度はとらなくなったし、私以上に構えているのがありありだった。また、「書かれるからな~」とか「書かないでよ」という管理者もいたが、余計なことは一切喋らなくなったと思う。
 それで、肝心要の組合の方だが、あろうことか私は煙たがられ、白い目で見られるようになった。それは私が途中から組合方針を批判するようになったことが一因であろうが、「責任とれるのか」「評論家なら誰でもできるんだ」「組織でやるのならいいが、個人プレーは許されない」などと、訳の分からないことをいい出す始末だった。おそらく読んでなどいないのだろう。
 また、1047名問題では、意見を異にする仲間に対しては統制処分をちらつかせてみせたり、闘争団の仲間へのカンパは凍結だのとさんざんいじめ抜いた挙句、謝罪することもなしに、結局は筋を通した批判勢力の戦術に乗っかる格好で解決に至ったのである。
 さらに、信じていた社民党までも政府と一緒になり、四党合意という裏切りを見せた。最低だと思った。もう、何もかも信じられなかった。今でも思い出すと吐きそうになる。何十年と組合という泥沼に引きずり込まれたことを後悔している。でも、これは誰のせいでもない。原因は全て、自分の至らなさと愚かさによるものである。
 何事も乗り越える時は自分一人なのかもしれない。最後はやっぱり人間は一人なのかもしれませんね。不一。
(斎藤典雄)

*この原稿は、震災前にいただいたものです。

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サイテイ車掌のJR日記」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

たまたま日記を開いたら、書かれてたのでじっくりと読ませていただきました。

私は、学生時代JR東日本で尻押しのアルバイトをしていました。
バイトを始めたとき、鉄道に関する知識は低かった私に優しく、時には厳しく指導していただいたのは国鉄労働組合の社員の方々でした。
国労の方々は、社員とバイトの関係なく公私共に面倒を見て頂きました。

サイトウさんのご著書をたまたま本屋で見つけ、国労の方と知って読ませて頂いたとき、JRの複雑な労働組合の仕組みを知りました。
そこから、私は国労の事や他労組の事について調べるようにしました。

いつの間にか、卒論も国鉄の経営と労組密接な部分を書かせていただきました。
そこで、ご著書の「JRの秘密」と「車掌に裁かれるJR」を参考文献として何十回と熟読させて頂きました。また、自分の駅の国労の社員さんにインタビューまでさせて頂きました。

国労は、昔は凄かったと聞きますが、私は平成生まれの国鉄を知らない世代なので、サイトウさんのご著書が新鮮に感じました。

今では、私の人生の中で一番大切なご著書です。

そして、国鉄労働組合が大好きです。

長々と書いてしまいました。申し訳ありませんでした。


ここら辺で失礼させて頂きます。

ありがとうございました。

投稿: HR | 2011年4月 1日 (金) 10時40分

HRさん、コメントありがとうございます。以前もいただいたのにパソコンが故障してしまい発信できずにいました。今後とも頑張って下さい。

投稿: 斎藤 | 2011年4月 5日 (火) 11時38分

こんにちは、初めて投稿します。

たまたまこのサイトを見つけて読ませて頂きました。
覚えていらっしゃるでしょうか?僕は2年前に新宿駅の12番線で斎藤さんに話しかけたあの中学生です。

あの日、学校帰りに東京駅で電車を見た後、家に帰ろうと中央線に乗った時に車掌さんのネームプレートに(車掌、豊田運輸区、斎藤)と書いてあったので「もしや本を書かれた車掌さんでは?」と思い、今度は乗務かばんを見ると(JR東日本、豊田運輸区、斎藤典雄)と書いてあったので「この車掌さんだ」と思い、新宿駅で乗り換えの為降りる時に本の感想を伝えようと話しかけさせて頂きました。
夕方のラッシュ時の忙しい時間に僕の感想に返答して頂きとても嬉しかったです、あの時は本当に有難うございました。
僕は昨日(4月5日)に高校生になりました。
これから3年間しっかり勉強して、3年後の4月にJR東日本に入社していつかきっと立派な車掌になれる様に頑張りたいと思います。

それではここら辺で失礼させていただきます。

投稿: 未来の車掌 | 2011年4月 5日 (火) 15時37分

ありがとう。覚えているよ。未来の車掌か。頑張れよ。何だか嬉しくて、泣けてきたよ

投稿: 斎藤 | 2011年4月 6日 (水) 13時26分

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