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2011年3月24日 (木)

サイトウの酒田発・大震災日記 3月24日

 震災から2週間目の朝を迎えた。
 酒田は再び数センチ程の積雪となっている。今もまだしんしんと降り続いている。
 先日、宮古(岩手県)に住んでいる私の知人の無事が分かった。市内の小学校へ避難していたのだ。本当に良かった。決して一人で逃げる人ではないから、内心もうダメなのではないかと思っていたのだ。今は何をいってもあまりにも軽々しくて、ただ黙ってのみ込むしかないが、無事で良かったと、その小学校宛にハガキを出した。届いてほしい。
 また、福島の原発から10キロもしない地域に住んでいる先輩もいる。どこに避難しているのかまだ分からない。いわき市にいる先輩とも連絡がとれていない。
 それにしても被災地の惨状は凄まじい。テレビでしか知ることが出来ないが、あまりにも甚大で見ていられなくなる。
 今回の震災は大都市に被害が集中した阪神とはまるで違う。田舎で都市から離れていて何をするにも時間と手間がかかる。そればかりか、行方不明者がいると分かっても、その家が流されていてどこを捜せばいいのか分からない。捜索範囲が広すぎる。阪神では家が倒壊しても火災があってもそこに行けば発見できた。勝手があまりにも違いすぎるのだ。
 また、支援物質も避難所まで届くようになり、救援体制は本格化し始めたが、今度は自宅で避難している人たちにはまるで行き届いていないのだという。
 このように次から次と新たな課題が噴出し、不安材料が解消されるということがない。ただもう何もかもがもどかしくなるばかりだが、一つ一つ対処して、一つ一つ解決していくしかない。そのためにはやはり、皆で助け合い、歯を食いしばり頑張り続けるしかない。
 一方、深刻な状態が続く原発では、外部電源による復旧作業が完了し、通電が確認されるなどの明るい兆しが見え始めてきたものの、予断を許さぬ状態には変わりなく、楽観は1ミリも出来ない。
 また、原子炉から漏れた放射性物質は周辺の海水からも検出されたという。そればかりか、野菜や牛乳の出荷制限は摂取制限となり、水道水の汚染は首都圏にまで及び、東京と埼玉では乳児の飲用は控えるようにという指示が出された。国は直ちに人体に影響するようなことはないと繰り返しいっているが、ここまで数値が出されると穏やかでいられないのが一般人の感覚であろう。
 こうした事態は素人である私にも予想は出来た。今はまだ初期段階にすぎない。この事態が沈静化したとしても、核燃料の処理や広範囲の汚染除去などは予想以上に長期化するのではないか。私には何か国の対応がどこかピントがずれているようにしか思えないが、ここで批判しても始まらない。国は測定のモニタリングを強化して正確な情報を迅速に伝えてほしいが、これも分かり切ったことである。
 また、20~30キロの屋内待避圏内は孤立状態にあるという。住民は動くにも動けない。一般からの支援も放射能が怖くて敬遠されるのは当然だろう。国の待避指示以降の支援はどうなっているのか。何度もいうが、いっそのこと避難指示のほうがよかったのではないかといわざるを得ない。
 ゆうべは、避難指示地域に取り残された人の救助に入った自衛隊の説得に対して、「私はどうなってもいい、このままでいい」と、動けない夫の介護をしているというおばあさんが力なく語っていた。結局応じなかったが、胸が締めつけられ、「そうだろうな」という妙な納得と共に複雑な気持ちになってしまった。
 原発は人災だとしかいいようがない。(斎藤典雄)

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