やっと連絡がついた!被災された方の、今までの行動
このたび、災害にあわれたすべての方に、お見舞いを申し上げます。
まだ親族などと連絡の取れない方、不安な夜を過ごされているかと思います。
私ごとではありますが、奥山の叔父は、ようやっと連絡がつきました。
まだあまり長時間電話をすることがかないませんから、直接話をすることができませんでした。親族それぞれが入手した情報をつなぎ合わせての報告になりますが、今、誰かの安否が分からないままになっているすべての人に、少しでも何か伝えたく、ここにまとめてみます。
■叔父の住まいは東松島市。津波は家の手前で止まった
家族は全員無事。しかしインフラが整っていないため、到底いられない。叔父は情報を求めて避難所へ向かった。3か所ほど、転々としたという。
■様子が見えてきて、まずは電気の通じるところへ
数日経つと、ようやっと状況が見えてきた。余震に警戒しながら、自転車にてまずは電気の通じるところまで南下した。そして携帯を充電。
■携帯の様子を見ながら、電波の通じるところを探した
充電はできたが、電波がつながらない。自転車で、電波のつながるポイントを探す。と、ある地点で電話が鳴った。震災から6日目、あきらめずにずっと本人の携帯にコンタクトをとり続けた妹からのショートメールだった。すぐに返信を打つと、また妹から戻ってきた。このポイントで、親類すべてに連絡をすることができた。
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みな叔父を心配し、安全なところへ移動させてやりたいが、ガソリンがなく迎えに行くことができない。叔父はもうしばらく避難所を移動しながら、どうしてもインフラが整わないようであればまた相談すると言ったという。
このように、無事でありながらも連絡の手段が全くなく、まずは最小限でも不安定さを取り除いてから動こうとする人が数多くいると思われる。叔父はそうやって、誰かにコンタクトをとることより周囲の状況把握を優先し、少しの安定を見出してから行動した。被災者にとってみれば、自分が無事なことは確かなのだから、まずは居場所を確保することが一番大事なのは当然だ。連絡がいつまでも取れなくても、引き続き本人のダイレクトな番号に連絡し続けること。諦めない姿勢が大事と思わされた。
それにしても、叔父のいる避難所には報道関係者も多数入ったと聞く。なのに、171など安否を登録する手段を何も持たされなかったのはなぜだろう。今後、落ち着いたらゆっくり彼から話を聞いていきたいと思う。(奥山)
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